人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

民主党代表選を戦って

2011年08月30日 | 政治
 私は、このたびの民主党代表選挙を傍観者ではなく馬淵陣営の中心で戦った。他陣営の仲間ら羨まれるような清々しい選挙を戦うことができたが、結果は予想以上に厳しいものとなった。私にとってもいろいろと考えさせられた代表選挙だった

1.数の論理に挑んだ代表選挙
 派閥・グループの足し算、引き算や反小沢・親小沢ということだけで日本の指導者を選んでいいのか?派閥・グループなし、当選3回、51歳での出馬、永田町の常識に挑んだ戦いは惨敗に終わったが、一切のしがらみのない馬淵候補が一歩もひけをとらず演説や討論を行う姿は、代表選挙に一石を投じたと自負している。
 代表選挙直後に、小沢前幹事長に近い一期生とたまたま話をしたが、「グループでしめつける手方はもう限界だ。このやり方では何度やっても勝てない。」とぼやいていた。党内最大グループの支援を受けながら、一回目投票で一位となった海江田候補が決選投票で逆転負けしたのは、数の論理の限界を示しているのではないか。
 しかし、負けは負けである。田中角栄以来の「数の論理」に代わる政治スタイルの確立に向けて、これからも挑戦を続けていきたい。

2.言葉の力
 決選投票の勝敗を決したのは、野田氏の演説だったと言われる。どんなによい政策や熱い想いを持っていてもそれを言葉にしなければ人には伝わらない。代表選を通して、言葉の力で人を動かすのが政治家だということをあらためて考えさせられた。原稿に目を落とした前原氏や人の言葉を借りてきた海江田氏の演説が人の心を打たないのは当たり前だ。また、TPPについての変節を疑われる発言や三党合意についての軽率な発言といった言葉の軽さが海江田候補の致命傷となった。四半世紀にわたって、毎朝、街頭演説を続けてきた野田氏の演説が勝敗を決したというのは、ある意味、民主党らしさなのかもしれない。

3.首相になる準備
 私は、馬淵陣営の当初からの中核メンバーの一人として、20名の推薦人集めに奔走した。20名の壁は、実際にやってみると、正直、想像以上に厚かった。告示の前夜まで、推薦人確保に追われたことで、先輩議員からは売名行為と言われ、メディアからは泡沫候補扱いをされたことが、本選では、死に票を嫌う議員の支持を失い、予想以上に票が伸びない結果につながった。
 推薦人20名のうち、13名が一期生の衆議院議員で、2期生以上は、馬淵の地元奈良の県連会長の滝代議士と同期の2名だけである。代表選挙を目指すなら、まず、自前で20名の推薦人を確保することが出馬の大前提となる。自前で推薦人を集めることができず、誰かの手勢を借りれば、大きな借りを作ってしまう。その点、自前で20名の推薦人を集めることができず、小沢氏や鳩山氏の支持を最初からあてにしている海江田候補が傀儡と見なされるのは当然だ。
 20名の推薦人を確保するためには、グループを持つかどうかは別にして、日頃から同僚議員との絆を深め、選挙の応援など他人のために汗を流す努力が必要である。また、代表、総理を目指すからには、政権構想の骨格くらいは長い時間をかけてあたためておく必要がある。中曽根元首相は若い頃から将来首相になった時にやりたいことをノートに書き留めていたという。代表、総理を目指すものは、本来、時間をかけて、準備と努力をしたものでなければステージに上がる資格がないと思う。今回の代表選の候補者のすべてがそうした準備や努力を重ねてきた有資格者と言えるのか。馬淵代議士は、自分なりに政権構想を練り、率先して他の議員の選挙応援に行き、膝詰めで話をする機会を作ってきた。3期生までの中で、少なくとも、強い意欲を持って、そのための準備や努力をしてきた議員がいるかといえば、私は馬淵代議士以外にはいないと思う。この点、今回、20名の推薦人を集めて立候補にこぎつけたことは将来につながる選挙だったことは間違いない。

 私は、今回、脱会届を提出して、馬淵選対に入ったが、もともとは、野田グループ、花斉会に所属している。したがって、野田首相には大いに期待している。政治家としての包容力、言葉の力で、党をまとめ、国政の混乱を我慢強く収拾して欲しい。私も私なりに野田政権を支えていきたいと思っている。
 


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