ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

追憶2015 64 次女も出演したパウゼ ピアノコンサート 11・23

2015-12-30 20:53:43 | 日記
昨日はいろんな行事がありましたが、目をつぶって娘の出演するピアノコンサートに行ってきました。




初級部のころから田渕門下に入り、お亡くなりになられた田渕英治先生のご指導を長年受けさせていただきました。

先生亡き後は奥様の田渕千代子先生のご指導を今日も受けさせていただいています。


途中2年間はウイーンの音楽院に留学しましたが、帰国後もずっと田渕先生のお世話になっています。


今回は有難くもトリで演奏させていただくということで、とてもワクワクしながら会場に向かいました。


ショパン作のプレリュード op.28 No.17~24を演奏いたしました。


専門的なことはよくわかりませんが、演奏に心がこもっているのを感じ感無量でした。



感謝の心を込めて、何年か前に田渕先生のお姿に感動して書いた詩を掲載させていただきますね。


 「 素足の先生 」
           
            
             ニョニョ

あびこのランズホールで行なわれた
ミニコンサートが無事終わった
暖かい拍手と花束に囲まれて

ホンワカ いい気分で出ようとしたら
入り口近くで千代子先生が
お客様と歓談されておられた

「先生 御指導頂き有難う御座いました」
深々と頭を下げたとき 素足が見えた

「先生 スリッパは?」
「お客様が大勢見えられたので
足りなくなったのです.有り難い事です」

特等席に座られてもおかしくない先生が
裸足で ずっと立っておられたなんて

ああ 先生 あなたはいつも このように
弟子達を見守ってくださったのですね

美しかった先生の黒髪は
いつしか雪の色に変わったけれど
昔とちっとも変わらない明るい笑顔で
娘達を見守ってくださった 千代子先生

時には厳しく 時にはやさしく
母のように 姉のように
弟子達の成長を喜んで下さった先生!

あなたの素足が物語る 崇高な歳月に
ただただ 頭が下がる 私です
 



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追憶2015 63 劇団「タルオルム]10周年記念公演「約束」

2015-12-30 20:47:31 | イベント



  11月22日、大阪でも最も歴史が古く校舎も古い城北朝鮮初級学校に於いて、劇団「タルオルム]10周年記念公演「あの日・約束」が上演されました。

 
  私は今回の公演の解説をしようとパソコンの前に座ったのではありません。タルオルムの座長金民樹さんが歩んできたこの10年間を見守ってきたものの一人として感じてきたことを率直に書こうと思い立ちました。










今回共同で作品を作って下さった済州島のチェサンドンさん。





今回の公演の済州島の壁絵をすべて無償で書いてくださった済州島のヤンチョヌさん。




劇団「タルオルム」の座長金民樹さん。

40になってまだ何年も経っていません。子供さんが二人います。二人とも役者として舞台に立っています。旦那様はまるで保護者のように民樹さんとお子さん二人を暖かく見守ってくれています。

30そこそこで一つの劇団の座長になって早や10年、この間1作も逃さず作品を見続けてきた私も感無量でした。

10年前の旗揚げ公演は「孤島の黎明」、2005年の事です。済州島で行われた4・3事件が舞台の背景でした。

韓流ブームが大手を振っていた時期にも彼女たちが作る舞台はいつも地味で、真剣で、故郷が背景にあり「4・24の風」のように民族教育がテーマとして選ばれました。

今回の作品も4・3事件が背景にあります。

今回の公演の劇場になった城北初に来たのは初めてではありません。

民樹さんのおなかの中で赤ちゃんがどんどん大きくなっていた2003年、祖国の北と南が大変関係の良かった時期に、忠清道の公州で6月に行われた第21回韓国演劇祭に大阪の演劇口演部と劇団プルナが招待され、私も演劇祭に参加するため毎日練習に参加したのですが、残念ながら臨月を迎えていた彼女は一緒に行くことはできませんでした。その時の練習場がここ城北初の講堂でした。

でも彼女は自分が行けなくても仲間のために最後の日まで練習に付き合ってくれ、励ましてくれました。

その年の冬に一人芝居で海を渡った彼女は産後間もないころでしたが、素晴らしい演技で故国の演劇人を唸らせたと聞いております。

そして2年後、彼女は劇団「タルオルム」を立ち上げたのです。










過去から現在へ、現在から過去へと目まぐるしく舞台は変わりながら、4・3事件がもたらした民族の悲劇と、明日を信じて、みんなが学びみんなが平等に暮らせる幸せな世の中を夢見て立ちあがり、そして命果てた済州島の人たちの姿を描きながら、外勢によりもたらされた民族の悲劇を二度と繰り返してはならないことを無言のうちに語りかけます。







4・3事件の時に犠牲になった姉が弟に託した「ひまわりの種」! ひまわりは平和の象徴かも知れません。明るい未来への夢かも知れません。

時代は変われど現実に私たちの周りではあの頃と本質的には何も変わらない状況が続いています。決して諦めてはならない!守らなければならないのは何なのか!1世から2世へ、2世から3世、4世へと思いは繋がっていきます。

力作です。民樹さんが歩んできた幼いころからの道のりを知っているがゆえに、もっともっと泣けて泣けて涙が止まりませんでした。それは離散家族であるがために苦難の道を歩まなければならなかった自分自身の人生ともオーバ―ラップされ胸がちぎれそうでした。

泣いた後は元気が出てきました。教え子に元気をもらい、しっかり生きてくださいねとハッパをかけてもらったような気持ちです。


ただ一つ残念だったのはウリマルで公演してほしかったことです。日本語が駄目だというのではありません。この劇こそ日本語だけでは伝わらないものがあるのです。やはり初めからそうであったようにいくら難しくともバイリンガルでやるべきです。ウリマルには力があります。日本語での歌を聞いてもピンときません。伝わってくるものは半分です。

ウリマルを知らない人が多いからこそウリマルで演劇をしてほしい!字幕や解説が入ってもいいじゃないですか?!

だって劇団「タルオルム」は周りを照らす月明りなのですから…



劇団「タルオルム」の皆さん、客演の皆さん、学生の皆さん、劇団OBの皆さん、故郷の支援者の皆さん、本当に本当にお疲れ様でした。皆さんの一つになった心が今回の公演成功の鍵だったと思います。国籍・民族・思想・所属団体等の違いを乗り越え助け合った皆様の想いが観客の心に届いたのだと思います。本当に本当にコマッスムニダ!

追 一つ言い忘れました。ピョンリョンナさん、本当にご苦労様でした。民樹さんを支えこの10年間変わることなく共に歩んで来られましたね。本当に立派です、あなたの支えが無かったら民樹さんもこんなに頑張れなかったと思います。

あなたとは2003年6月の公州演劇祭に一緒に出演しましたね。教師と教え子の役で・・・片時も忘れることは無かったですよ。あの時まだあなたは10代だったのかな?見事に成長されましたね。本当に感無量です。苦しいとき、あの時の感激を思い起こせば勇気が湧いてきます。これからも初心を忘れず頑張ってくださいね。

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追憶2015 62 「岡山のウリハッキョに行ってきました。」

2015-12-30 13:50:04 | 日記




11月20日、朝8時に家を出て地下鉄、新幹線を乗り継ぎ岡山駅に着いたのは9時半でした。思ったより岡山は近かったです。

岡山駅には幼稚班の金先生が迎えに来てくださいました。




なんで岡山に行ったの?はい、そのことを話せば長くなりますが、定年退職する前、私にはささやかな夢がありました。

「退職して自由の身になったら一人芝居を作って全国の学校を回ろう、そして子どもたちに在日一世や2世がこの国でどういう風に生きてきたかを伝えよう」という夢でした。

私はそのことを親しい友人たちに公言していました。なぜかというと夢が夢で終わるのが嫌だったからです。人の前で言ったからには何としてでも実現せねばなりません。しかし退職前に慢性気管支炎を何度も患い何回も何回も咳が止まらなくなったり声が出なくなったりしてしまったのです。

お医者さまからは声を長年出し過ぎたので回復は難しい、声を出し続けなければ普通の生活には支障が無いだろうと言われました。

1人で長時間喋りつづけなければならない一人芝居はやっぱり無理かなぁと断念し、わびしい気持ちのまま退職の日を迎えたのでした。

ところが、2010年3月退職後すぐに「朝鮮学校無償化除外問題」が大きな社会問題としてクローズアップされたのです。(いったん中断します)



岡山駅前です。大きなビルが立ち並んでいました。

私は無償化問題が起きたとき日本の詩人の河津聖恵さんの呼びかけに応じて「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」を刊行するお手伝いをしました。そして79名の日朝詩人たちのコメントと詩が掲載されたこの本の朗読会を有志たちと組織し、アンソロジーを朗読するという方法で除外反対運動を行ったわけです。

広島のウリハッキョを皮切りに、東京第2初級、奈良学園、京都中高、東北初中高、北海道初中高、北陸初中等を回りながら訴え続けました。

私は学校を回るたびに詩の朗読をしたり、時には学生たちやオモニたちに詩の朗読や朝鮮の昔話の指導をする中で、一人芝居ではないけれど、私は自分の夢を一つ一つ叶えているような嬉しい気持ちになったのです。

そんな話を昨年京都で行われた「金斗鉉先生の李朝展」でお会いした岡山の金福寿先生に、なにかのきっかけでお話したのですが、その話を覚えて下さっていた金先生が、一年半が過ぎた先月、是非岡山にいらしてくださいとありがたくもオモニ会と共に、講演会を構想して下さったのです。それで私から、どうせ行くなら生徒たちと短時間でもウリマルのお勉強を一緒にさせてくださいとお願いしたわけです。




学校に到着しました。とても整理整頓された綺麗な学校です。統合される前は倉敷初中の校舎だったのですが、何年か前に岡山には幼稚班だけを残し、初中級はこちらに移転してきたそうです。











到着してすぐに始めの授業が始まりました。

始めの授業は初級部高学年の全員の皆さんと一緒に行いました。4年生の教材「他人にばかり頼っていた狸」という昔話の読み方のお勉強をさせていただきました。生徒たちはとてもノリノリでいろんな質問にも的確な返事をしてくれました。笑い過ぎのため何度も授業が中断されそうでした。

2時限目は中級部全員です。30名の生徒たちと1年生の詩の教材「友を愛せよ」という名詩の朗読の勉強をしました。



中級部は初級部のように笑うような内容ではないのですが、内容を正確に把握するための質問にも積極的に答え適度な声の大きさでどんどん上手になっていきました。日常的に国語の授業を楽しみ、どれだけ密度の高い授業が行われているのかを十分読み取れました。



その後すぐ支部事務所まで徒歩で移動し、子育て真っ最中のオンマたちの前で2時間近くお話させていただきました。

題名の通りですが僭越ながら私の体験談をお話させていただきながら、どんな困難があっても人間前向きに考え生きていれば、未来は開けること、子供の時から夢や希望を持つことが、大人になってどれほど大きな力をくれるかを体験に基づいてお話させていただきました。

又子育てに置いて褒めることの大切さをお話しました。、叱る時は大声やその時の感情で叱るのでは無く、一貫性が無ければならないこと、子どもを傷つけてはならないことなど、またウリハッキョのすばらしさを学校の中にいる私たち自身がちゃんと見つけようという話や、、なぜ日本学校の教師や韓国からの来校者がウリハッキョに来て「朝鮮学校こそまさに統一祖国のモデル校」だと言ったのかをお話しました。

今日集まって下さったオモニたちの中には、25年前のお正月公演の時に一緒に2か月間過ごした教え子が3児の母になって私の前に現れました。

又昔の若い同僚が2児の素敵なオンマになって喜んで迎えてくれました。

学校では朝高時代の先輩の書芸家であり書芸の講師である韓先生とも再会しました。大阪から岡山に赴任された呉委員長とも再会をしました。昔からよく存じ上げていた崔先生の子息がこちらの教員になっておられたし、初級部時代のうちの長女の担任先生だった林先生の娘さんがここで教員をされていました。なんだか嬉しくて嬉しくて本当に来て良かったと思いました。

又講演後迎えに来てくださった、昔の教員仲間まであり詩人仲間で在った金貞任先輩と1時間近く色々懐かしいお話をさせていただき元気を一杯いただいて帰路いつきました。



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追憶2015 61 「子どもたちの笑顔と希望のために 今こそScrum! 今こそTry!」

2015-12-30 11:31:37 | イベント
11月12日、天満の北区民センターに於いて、「子どもたちの笑顔と希望のために 今こそScrum! 今こそTry!

       -朝鮮学校を守るための裁判支援集会・大阪ーが行われました。







ー長崎さんのFBから頂いた言葉ー


「今こそScrum!今こそTry!朝鮮学校を守るための裁判支援集会大阪が北区民センターで開催されています。

大阪朝鮮高級学校の美しいコーラスで始まり、金尚均教授からこの闘いが人間の尊厳を取り戻すものだと講演があり、

金星姫弁護士より補助金裁判の報告されています。続いて鄭文哲弁護士より無償化裁判報告がされています。

二人とも朝鮮学校出身で深い怒りを込めて毅然と語られています。絶対負けられない闘いです。」





(講演は「民族教育と排外主義」金尚均先生)








「補助金」裁判 報告:金星姫弁護士




「無償化」裁判 報告:鄭文哲弁護士



(司会者)

4.文科省要請活動報告:大阪オモニ会連絡会












サプライズです。ウリハッキョ出身のプロレスラー リ・ジェギョンさんが紹介され「みなさんに元気になっていただこうと、大切なものを守るため自分はリングでたたかったいる」とみんなを励ましてくれました。







連帯挨拶:孫美姫さん(ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会共同代表)





通訳は李明玉さん








まとめの挨拶:宇野田尚哉(朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪共同代表)






ソウルから来られた「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」の皆さんが持ってきてくださった大きな横断幕」

訪問先のウリハッキョに贈られました。一番良く見える場所に飾ってくださいと校長先生にお願いしたと孫共同代表が紹介されました。


―中山さんのFBのコメントを転載いたします。-

「朝鮮学校を守るための裁判支援集会・大阪(北区民センター大ホール)に参加した。

金尚均(キムサンギュン)氏が「民族教育と排外主義」と題して講演した。

結構、専門的な内容だったが、鋭い切口に新鮮な感動を覚えた。龍谷大学の法科大学院教授(専門は刑法)。京都朝鮮第一初級学校を「在特会」が襲撃した時の保護者で、最高裁・勝訴確定まで裁判に関わってきた。

講演の要旨。

裁判に踏み切った動機を、「あったことをあったことにする」「日本人の手であったことにする」とのべ、これまでの在日朝鮮人の歴史を振り返り、「あいつらが悪い」「あったことがなかったことにさせられてきた」とのべた。

この裁判の意義は、人間の尊厳を回復させることにある、とのべた。

行政が、朝鮮学校であるということだけで差別するのは不当であり、「不当であることは不当であると示さなければならない」、何故朝鮮人ということだけで差別されなければならないのか、朝鮮学校でどういう教育をしているのか、どういう生徒がどのような教育を受けているのか、ということで判断されるのでなく、朝鮮学校だから、朝鮮人だからということだけで差別されていいのか。


ウリハッキョ出身の若手弁護団からの裁判(補助金、無償化)の解説も、わかりやすくてよかった。

オモニ会から、文科省との交渉の報告がおこなわれた。迫力ある報告に会場は、拍手喝采だった。

ウリハッキョを支援する「韓国]の市民団体から、「私たちは勝利するでしょう。私たちの力強い団結で、在日朝鮮人に対する差別を中断させ、日本の軍国主義復活を阻み、アジアの平和を成し遂げましょう」と力強いアピールがあった。」(コメントは中山茂さんでした。)


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追憶2015 60 11月のお花とグルメ日記

2015-12-30 11:25:47 | グルメ
今日から11月1日まで下がって行きます。
























































































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