ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

1月30日、279回目の「火曜行動」です。

2018-01-30 21:35:23 | 火曜日
寒い寒い火曜日です。



今日頑張ってくれた留学生同盟の三人娘です(^ ^)











15分前に到着してしまいました、さすが誰もいませんでしたが、12時5分前一人二人と集まり始めました(^ ^)




今日のレポーターはハルモニ会の横道さんです。写真撮影の松尾さんは今辺野古に行ってらっしゃるので、今日はニョニョが走り回りますね。




金栄子さん、一番乗りです。





長崎さんの第一声が始まりました。

☆長崎さん

朝鮮学校の子ども達が自分で責任を負えない外交問題や政治的なことで、学ぶ権利を奪われようとしています。
これは私達がここに立って訴えるまでもなく、いじめの最たるものです。

「高校無償化」からの排除に対して訴えた裁判で、昨年7月28日全国で唯一、大阪地裁で勝利しました。
民族教育を保障するという、国際基準や憲法に照らして当然の判決ではありましたが、当日、白いチマチョゴリの制服で参加した朝高生は感激で抱き合い、嬉しい涙でした。

残念ですが国は控訴しました。


今日は韓国の方が見学に見えていますが、韓国では朝鮮学校のことをご存じない方々も多いです。
そんななかでも、韓国で応援して下さる方々が火曜行動に参加してくださったり、カンパもいただいています。


平昌オリンピックで韓国と共和国の統一チームが誕生します。素直に評価したいと思います。
日本では、仲良くしようとしている足を引っぱり、問題あるかのような、それを煽るような報道ばかりで残念でなりません。
朝鮮がなぜ分断されたのか。分断の中でどれほど苦しんできたのか。日本にまるで責任が無いかの様な報道ばかりです。

今日は若いオモニも参加されています。アピールをお願いします。レポートは全て横道さんです。)







森本さんも松尾さんご夫妻も出張中なのでちょっぴり寂しい「火曜バンド」です。



姜さん、南さん、朴さん!





常時参加者のエミさん






つじさんもお元気です。





我らが平田さん❣️





斎藤さーん❣️珍しいツーショットです、クッスンさーん❣️




城北のソさん!




希望の星の申さん!





いつもお元気な長崎さん!





イケメン三銃士健在です。この頃は熟女の田中直子さんがいつも一緒ですね(^ ^)





呉さんもこの頃、火曜日には必ずおられますね。





館山さんの奥様はいつもシャキッとしていらっしゃいます。





「火曜行動」が始まってから結婚し二児の母になった金香姫さんがアピールされました。

☆若いオモニ

アンニョンハセヨ
大阪府庁で働いている方々、こんにちは。

私は2年前、府庁の裏口で松井知事から、私の愛娘には学ぶ権利がない、と言われました。
「この子に学ぶ権利はないのですか?」と訴えた私に松井知事は「ない!」と言われました。
覚えていますか?


今冬の平昌オリンピック、アイスホッケーの南北合同チームについて、テレビをつければ、キャスターやコメンテーターが悪い事のように言っています。
どうして素直に喜べないのですか? 隣の人がケンカして嬉しいですか?
私は仲良くすることを素直に喜びたいと思います。私達は明日でも統一してほしいと思っています。


2年後には日本でも平和のオリンピックがあると言うのに、今も朝鮮学校を差別しています。
日本の子どもも、朝鮮学校の子どもも、同じ将来、未来があるのです。
あなたたちは、目の前でこけている子に先ず「何人や」と聞いてから起こすのですか?
NHK教育テレビを見ていると、「みんな違って みんないい」違いを認めあい共生することの大切さを、日本のテレビが教えてくれます。


なのに、朝鮮学校だけ許せない。と常に差別しています。
私の子どもたちは学べないのですか?
朝鮮学校で母国の言葉、文化、歴史、自分のことを学ぶことで、日本の文化や歴史も理解できるのです。

大阪府・市の補助金再開を願っています。直ちに再開してください。




☆長崎さん

オモニの「私の子どもに学ぶ権利はないのですか?」という質問に、松井知事が「ない!」と言ったことに対し、私たちは何度となく知事に申し入れをしました。しかし「差別はしていない」と言うばかりで、何ら確たる返答はありませんでした。


祖父祖母の代からなぜ日本で暮らしているのか、朝鮮学校が存続している意味を理解していただきたいと思います。
そしてありのままの朝鮮学校を見てください。
今日お配りしているビラには、これから各学校で行われる芸術祭の案内を載せています。
マスコミの共和国パッシングなど、暗い嵐の中ですが、子どもたちは明るく伸び伸び学んでいます。発表される芸術も素晴らしく、大変レベルが高いです。

ぜひ一度、朝鮮学校を訪ねてください。


今沖縄の辺野古では100台ものブルトーザーが、寒い中座り込みをしている人々に近づいてきています。
森友問題で「妻が関与していたら、国会議員を止める」とまで国会で言っていた安倍総理は、次々証拠が出て来てもガンとして受け付けません。

認可した松井知事は、役人の不手際だと責任転嫁で逃げています。
籠池夫妻を6ケ月も拘置所に閉じ込めたままです。
松井知事は森友学園を認可した同じ年に朝鮮学校補助金を打ち切りました。このことはコインの表と裏なのです。


知らないことは差別に繋がります。
大阪府職員のみなさんは誇りを持って、差別を無くすために取り組んでいただきたい。






高さんじゃないですか?




歌舞団の歌姫がいます。






韓国から観光に来た方々五人がみんなにお話を聞いております。





「1パーセントの底力」南大阪の伊関さんもアピールです。

☆伊関さん

「1%の力でハッキョを支える会」の伊関です。
日本人のサラリーマンの私が、なぜハッキョを支える会の活動をしているかというと、それは「差別や排除の先に未来は無い」と考えるからです。

会社の仕事上、大阪万博に関心がありますが、30年近く支給してき補助金を打ち切る大阪人権状況は、国際的に恥ずかしいことです。

万博サポーターの一人として訴えます。

松井知事、あなたは間違っている。
今はグローバルな世界基準に合わせないと通らない。内政問題では通用しない時代です。
今の大阪は落第点を言わざるを得ない。世界基準を満たす大阪であるべきです。

差別なき「無償化」の適用と、補助金支給再開を、松井知事!
よろしくお願いします。







韓国から観光で来られた方のうち女性が、会計担当の大村さんに「是非頑張って下さい」と言いながら賛助金を手渡されました、有難うございます。




今からまた他に行かれるそうで、頑張れコールを、残して去って行かれました。



もうお馴染みですね。kcc会館の李さんです。いつも自転車で来られています。













留学同の若者たち頑張っています。







クッスンさん登場です、愛のキャンディコマッスムニダ❣️







井上さん今日もニコニコです。





東成の朴さん、歯切れの良いアピールです。


☆朴ヨンチさん

私もウリハッキョに通う子どもの親なので、こんな寒かったら風邪引かないかな、と心配します。皆さんもそうでしょう。
子どもを守りかばうことは大人の責任です。


しかし朝鮮学校差別を、恰好いいことをしているという論理の大人がいます。
でも、子どもを助ける本当の恰好いい大人もたくさんいます。
12月21日中日新聞に掲載された岐阜朝鮮小中学校の生徒の投稿を紹介したいと思います。


『私は岐阜市の岐阜朝鮮小中級学校の六年生です。5月、学校においしいパンがたくさん届きました。私はうれしさと共に「なんでこんなに多くのパンが届くのだろう」と不思議に思いました。
ンは岐阜県内に住む七十代半ばの男性からの贈り物でした。沖縄県出身という理由で、かつて差別されたことがあるそうで、苦労する人や親がいない子どもたちに少しでも力になろうと活動しているとのことでした。私たちの学校のことも知り、励ましの意味を込めた
と聞きました。今も定期的にパンは届けられています。


 私たちのことを思ってくれる日本人がいることを知って驚きましたが、同時にとても嬉しく思いました。十月末にあった学校のバザーにも日本人がたくさん来てくれました。今後も一人でも多くの日本の皆さんと交流したいです。』


子どもの目は差別する大人も、良い大人も見ています。
「差別する人が多い」と思って大人になるか、「いい人が多い」と思って大人になる方がいいかを考えると、それほど難しい問題ではないのです。

今は大阪府大阪市の本当の姿でしょうか? 日本の子どもも、外の子ども差別しないのが人の行政の役割です。本来の大阪に戻っていただきたいと思います。









夫さんのお姿も見えますね。










田中直子さんもアピールです。


☆田中さん

先週1月26日、森友問題の院内集会に参加しました。国税庁前で佐川国税庁長官糾弾の集会の後、文科省前の金曜行動に参加しました。

凍てつく、氷も張る、雪もちらつく中、歌をうたいアピールをしておられました。
胸が熱くなりました。

今日は『日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク』から行事を紹介させてください。

●明日1月31日(水)18時30分~ ドーンセンター
 『平和の少女像にこめた思い』
韓国から少女像製作者のご夫妻を迎えてお話をしていただきます。

●2月3日(土)13時30分~ PLP会館
『宋神道さんを忘れない』
昨年12月に亡くなられたシンドさんの追悼と共に、二度と戦をしてはいけないというシンドさんの意思を引き継ぐ覚悟を確認する集会にしたいと考えています。


●2月4日(日)14時~  すてっぷホール(豊中市 豊中駅前)
『沖縄で出会った「慰安婦」』川田文子さん講演会
沖縄に取り残された「慰安婦」ペポンギさんの聞き取りをされた川田さんにお話ししていただきます。

立続けに集会が続いています。この内、一つでも参加いただければ嬉しいです。



☆長崎さん

大阪市吉村市長はサンフランシスコ市の「慰安婦」記念碑ことで、サンフランシスコ市との姉妹都市を解消すると言っていますが、本当に恥ずかしいことです。

日本軍「慰安婦」だった、金福童(キムボクトン)ハルモニと韓国挺対協のユンミヒャンさんは火曜行動に二度参加してくださいました。
ボクトンハルモニは、朝鮮学校の子どもたちに鉛筆をたくさん寄付してくださいました。

それでは最後に、歌姫といっしょに元気に歌いましょう!








最後の歌は「勝利のその日まで」です、歌舞団の歌姫が音頭を取ってくれました。この歌を作曲された方です。作詞はニョニョがさせていただきました。











駐輪場に向かう前に携帯が固まってしまいました。留学同三人娘もエミさんが送ってくれました。


来週もスタッフ力を合わせてレポートさせていただきますね。最後の日まで頑張りましょう!





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「諦めない、勝利の日まで❣️」大阪社協26号に掲載されました。

2018-01-27 07:16:56 | 詩・コラム
昨日、大阪社協26号を送っていただきました。昨年9月末に脱稿したものですが、諸事情により昨日送られてきました、有難うございます。多くの方に読んでいただきたいので、ブログに転載させていただきます。







「諦めない、勝利の日まで!」

                         ニョニョ
 
■「大阪無償化裁判勝訴の日」

 「え? 裁判長、今なんて言った?!」
 2017年7月28日11時、大阪地裁202号大法廷内。 
 一瞬だった。大阪無償化裁判判決の言い渡し! 
 最後の「…費用は被告の負担とする。」だけが耳に残った。
 その瞬間、隣に座っていた長崎さん、大村さんと顔を見合わせた。
 「勝ったん?!勝ったんや!ウリハッキョが勝ったんや。」
 涙が止まらない。言葉が言葉にならない。
 粛然と立っている真っ白なチョゴリ姿の朝高生たちに「イギョッソ、イギョッソ、ウリガ イギョッソ(勝ったの、私たちが勝ったの)」と告げると、202号大法廷内には悲鳴にも似た彼女たちの歓声と泣き声が響き渡った。
 そのあとのことはほとんど覚えていない。

 傍聴券獲得に外れた私をわざわざ探してくれ、「オンニョさん、行ってきて下さい」と自分の傍聴券を譲ってくれた「火曜行動」の仲間たち! 彼女らに吉報を早く知らせたくて、外で待っているみんなに早く知らせたくて、202号室を出てすぐの階段の上で「正義が勝利しました!」とフェイスブックに投稿している間に、法廷の中にいた人たちはみな外で待っている数百人の仲間たちの所へ駆けつけた。
 一足遅れて法廷の外に出てみると、そこはもう歓喜の坩堝(るつぼ)だった。

 5年の間、苦楽を共にした仲間たちに早く会いたくて必死に走ったが、抱き合い、肩をたたきあい、握手をし、歓喜にむせぶ数百人の人々の中をかきわけて進むのは容易ではなかった。うれし涙が次から次からあふれ出てくる。会う人ごとに涙でぐしゃぐしゃになった顔で「勝った、勝った」を連発しながら抱擁しあった。何回も「火曜行動」で会っていた教え子やオモニ会の皆さんと目があった途端、どちらからともなく無言で抱き合いただただ泣いた。涙とは嬉しい時ほどとめどなく流れるようだった。

 やっと裁判所の入口で「春母(ハルモニ)会」のメンバーたちと会うことができ、互いに肩を叩きあい、手を取り合いながらミニ報告会の行われる北浜の会場へと向かった。
 同じ時間、長崎さんや朝鮮学園理事長、丹羽弁護団団長等による記者会見が行われていた。北浜でのミニ報告会では大村さんの司会のもと、藤永先生をはじめ弁護団の方々が次々と駆け付けて来られた。廊下は会場の中に入りきれなかった方々であふれる状態だった。
 弁護団の先生方の喜びに満ちた解説を聞き、やっと何が何なのかを知ることができた。


 1. 文部科学大臣が原告に対し平成25年2月20日付けでなした本件規則第1条第1項第2号ハに基づく指定をしない旨の処分を取り消す(取消訴訟ー判決 認容)。
  *不指定処分の取り消し。
 2. 文部科学大臣は原告に対し、大阪朝鮮高級学校について、本件規則1条1項2号ハに基づく指定をせよ(義務付け訴訟ー判決 認容)。
  *高校無償化適用の指定義務付け。
 3. 訴訟費用は被告の負担とする(判決 認容)。
 “ 全面勝訴判決!!”

 まるで夢を見ているようだった。1月26日に行われた補助金裁判大阪地裁判決言い渡しの日には、あまりにも理不尽な不当判決に血の涙を流した私達だった。そればかりか9日前に広島地裁で行われた無償化裁判判決でも1月26日と何ら変わらない不当判決が言い渡され怒りに震えていた私達だった。
 
 それがこの日は、朝鮮学園側の請求を全面的に認めた画期的な判決になったのだ。当たり前のことだという方もおられたが、私はただただ勇気をもって判決文を書いて下さった裁判長に感謝したい思いでいっぱいだった。
 ミニ報告会ではいろんな方が発言されたが、お子さん二人をウリハッキョに送っている申麗順さんの涙ながらの発言が今も私の胸を躍らせる。
 「今まで生きてきた中で、初めて自分が認められたと感じた一瞬でした。先輩たちから受け継いだものをこれからも守っていきたいと思っています。」

 無償化連絡会共同代表の藤永先生は「勝ちました! 掛値なしに歴史的な日です。朝鮮学校が裁判で国家に勝利したのは、日本の歴史上ありませんでした。民族教育の権利を司法が認定したのです。まだまだ控訴審もあるでしょうから,頑張っていきましょう」と語った。



(火曜バンド)


■「260回分の火曜日行動の図表を作りながら」
 報告会から帰った私は感動に浸る間もなく家で作業を開始した。完全勝利の日、250回を超える「火曜日行動」の記録を図表にまとめようと決心したのだ。
 「火曜行動」に初めて参加した日から、写真を撮り続け、その日の行動の様子を記録し、ブログとFBで全国に発信し続けた者として、全ての記録を整理し後世に残すことは神聖な義務であると思ったからだ。
 勝訴の日から夏休みの間、240回分のブログを何度も読み返し、一回の「行動」を一行にまとめ、A4用紙10枚分の図表を完成させるのに1か月という日時を費やした。
 数字的な統計は取っていなかったため、無償化連絡会の一員であった李さんに連絡し、彼が参加し続けた237回目までの数字的なデーターをいただいた。その後のデーターは姜さんにお願いした。
 最初の9回目までは記録がないので、1回目から参加されていた朴さんにお願いして記録を辿った。朴さんが初期のころ手帳に記録して下さったものと、動画に残して下さったものを何十回と見直しながら参加者の確認を行った。どうしても30回目までの回数が日時と合わず一週間ほど走り回ったが、大村さんが2012年度の手帳に記帳して下さっていたので、2012年7月3日は警報が出たため中止、9月4日は在特会の妨害のため中止したことが判明し、無事260回分の図表を仕上げることができた。



(新年を迎えて)








(ハルモニ会、火曜バンド 他 常時参加者の皆さんたち)




■「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジーを刊行して」
 図表を仕上げるまでの1か月の間、私の脳裏にはいろんな方々の顔が浮かんだ。

 朝鮮学校無償化除外が発表されてから二か月後の2010年6月10日に初めて会った日から交流を深めた京都在住の詩人河津聖恵さん。 
 79名の日本の詩人とコリアの詩人を網羅し、2週間ほぼ徹夜しながら彼女と共に『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』を作り刊行した2010年8月1日!

 その本を持って河津さんはもちろん、詩人の市川逸子さん、柴田三吉さんらと共に、文科省に要請に出かけた日々。除外反対アンソロジーの朗読会を企画し、広島朗読会では、今は亡き詩人―御庄博実さん、広島大の崔教授をゲストに迎え、奈良朗読会では歌人の浅川肇さん、エッセイストの朴才瑛さん、東京朗読会では西武の辻井喬さん、映画評論家の四方田犬彦さん等を迎え対談をしていただき、ピアニストの崔善愛さんにピアノ演奏で花を添えていただいたことなどが次から次へと思い起こされた。

 2011年3月11日、あまりにも大きな被害をもたらした東日本大震災の後は、私たちの呼びかけに応じてくれた13名の文芸仲間と共に、被害の大きかった東北朝鮮初中級学校を訪ね、慰問と無償化除外反対のためのチャリティコンサートを行ったこと。その次の日、碇ヶ関支所の皆さんの尽力で、夢にまで見た生まれ故郷―青森県平川市碇ヶ関の生地跡を探し当てたこと……。

 その年の11月27日に「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジ―」ハングル翻訳版と在日の子どもたちの絵に俳優の権海孝さんがエッセイをつけ出版した『私の心の中の朝鮮学校』の合同「出版記念朗読会」がソウルで開催され、その集いに招待された河津さんと私が、ソウルの会場で自作詩をウリマルで朗読したこと。その次の日、生まれて初めて故郷―済州島を訪ね30年ぶりに両親の墓参りができたことなど、すべてのことが走馬灯のように浮かんでは消え、消えては浮かんだ。

■「火曜日行動と私」
 私が火曜行動に参加するようになったのは、火曜行動が始まって2か月後の、ちょうど10回目の火曜日行動の日からだった。
 2012年6月16日、北陸のウリハッキョを訪問した帰りの列車の中で河津さんとこれからのことを話し合った。河津さんは福島県の被災地の方々と痛みを分かち合い共に行動する、私は大阪府庁前での「火曜日行動」に参加することを決めた。
 2012年6月19日、大雨の降る中、初めて府庁前に立った時の衝撃!
 なんと静かで明るい「行動」だろう。みんなが笑顔でたたかっている。道行く人々に笑顔で語りかける行動!未来を、勝利を信じる者たちだけが見せることのできる素晴らしい笑顔!
 参加して間もない17回目の火曜行動が行われた日、府庁前に 「海坊主」こと在特会の回し者が現れ、口にするのも汚らしい暴言を吐き続けた。
 この「海坊主」の重なる蛮行を目の当たりにしながら、私は「火曜行動」の模様をFBとブログで発信し、広範な人々に知らせなければと思い立った。しばしば右翼の人から嫌がらせのコメントが入り、一時は削除、中断もしたが、負けるものかと奮い立った。9月18日―20回目の「火曜行動」の日から今日まで仲間たちの協力のもと、一度もブログ発信を休むことはなかった。
 作成に一か月もかかった記録図表「火曜日行動の足跡」が完成した日、私は1編の詩を書き260回目の火曜行動で朗読した。

    「ここに立つ」 


ある人は賑やかにアコーディオンを弾き
ある人は楽しげにリコーダーを吹いた
毎週毎週 「火曜日行動」の日に

ある人は歌を作り
ある人はキャンディを分かち合った
辛い時こそ笑いを忘れまいと

ある人は専門学校入学式の日
新調のスーツ姿で府庁前にやって来た
1枚でもビラを配ってから出発したいと

ある人は毎回重いスピーカを運び
その妻は毎日30分も訴え続けた
子どもたちの笑顔を奪わないでと

ある人は夜勤明けの度に
休む間もなくここに駆けつけ
差別反対と訴えビラを配った

ある人は病で痛む足を引きずりながらも
250日間 雄々しく立ち続けた
大雨降る日も 強風吹きすさぶ日も

ある人は49日葬を終えた日
夫の果たせなかった遺志を受け継ぐと
涙をこらえてここに立った

ある人は子どもたちを育てるため
いくつものパートを掛け持ちながらも
ウリハッキョを守ろうと涙で訴えた

ああ、ここは人間の愛があふれる場
民族の違いを越え 心一つに
未来を胸に描く所

幼な子からお年寄りまで
刃より強い笑みを浮かべながら
私たちは立つ 今日もここに立つ

             ―2017年9月12日―

■「素晴らしい火曜日の仲間たち」

⁂詩では語りつくせなかった火曜行動参加者たちのことをこの機会に記そうと思う。
 (総連・女性同盟・教職員等の専従の方々は省いているのでご了承願います。)

◇長崎さんご夫妻

 第1回目から今日まで終始一貫「火曜日行動」をリードして下さったお二人。夫の敏和さんは毎回重いスピーカーを自転車で運び、由美子さんは毎回30分以上アピールされた。そもそも火曜日に「火曜行動」を行うことになったのも、敏和さんのお仕事のお休みの日が火曜日だったからだそうだ。由美子さんの最愛の母上の葬儀の日も火曜日だったので、スピーカーを運ぶため敏和さんは大阪に残った。由美子さんは次の火曜行動の日「母は私が朝鮮学校の問題にかかわることを喜び、共に生きることを望んでいました。母の遺志も受け継いでこれからも頑張っていきたいと思います。」と涙ながらに思いを述べられた。「笑顔は刃より強い」と、いつも笑顔で語り続けられている。涙の多い由美子さんは、ウリハッキョに通う子どもたちへの差別を止められず申し訳ないと、アピールの度、何度も何度も涙ぐまれた。由美子さんは「生野のウリハッキョを楽しく支える会」を立ち上げ、日常的にウリハッキョを支援しているばかりか、公開授業などがあるたびに大勢の人々をウリハッキョに案内し、「目で見て心で感じてほしい」と訴え続けられている。

◇大村さんご夫妻

 いつも力強い大きな声でのアピールでみんなを引っ張って下さったご夫妻。長崎さん不在の日はもちろんリーダーを務められたばかりか、「城北ハッキョを支える会」を立ち上げ常時運営しながら、会の方々と共に学校給食を9回も準備して下さった。
 お二人は枚方から電車を何度も乗り換えながら一番多く火曜行動に参加されたのだが、二人分の交通費は1日3000円もかかった。単純計算しても5年数か月の間に交通費だけで75万円も使われたのである。82回目の日から和子さんが着用されている「火曜エプロン」は友人が応援の一環として作って下さったもので、彼女のトレードマークになっている。
 
◇館山さんご夫妻

 館山さんは初期からずっと参加されている。幼い頃小児麻痺を患いその後遺症に苦しめられながらも、「日本の真の民主主義を勝ち取るためには、朝鮮の子どもたちへの差別を許してはならない」と、痛い体に鞭打ちながら凛と立ち続けるお姿で参加者に大きな力を下さった。100回目、200回目の記念パレードの日は、行進には参加できないからと、一人で府庁前に立ち続けシュプレヒコールを続けて下さった。150回目の火曜行動の前日、ご自宅のお風呂場で転倒され3か月間入院されながらも、見舞客に「火曜行動に行けなくてごめんなさい」とおっしゃっていた。館山さんの入院中は奥さまがずっと参加されたし、ご主人の退院後は欠かさずお二人で参加されている。いつもは穏やかな笑みを絶やさない方だが、理不尽な行為に対しては鉄拳のような力強さで批判をされる方だ。



(館山さん)


◇オモニ会の皆さん

 大阪朝高、東大阪中級、北大阪初中級、中大阪初級、東大阪初級、生野初級、大阪第4初級、城北初級、福島初級、南大阪初級、和歌山初級のオモニ会からは地域担当日に合わせ積極的に参加されている。子どもたちをウリハッキョに送るオモニとして、オモニ会の皆さんのアピールは説得力がある。道行く人々の足を止め参加者たちに無限の力をくれた。
 ある保護者のオモニは「私は5人の子どもをウリハッキョに送るためいくつものパートを掛け持ちしながら働いています。月20万円の教育費は大変です。それでもウリハッキョに送りたいのは、それだけウリハッキョが素晴らしいからです。」と涙ながらにアピールされた。その日、参加者みんなが涙しながら、「どんなことがあってもウリハッキョを守り抜こう」と誓い合った。オモニ会の皆さんの尽力度は計り知れない。

◇中山、李鉄、方清子、井上(男性)さん

 中山さんと李さんは、館山さんと三人でいつも同じ場所に立っているので「イケメン三銃士」と名付けさせていただいた。お二人とも初期のころから参加されている。中山さんは火曜行動などの様子を何度も新聞に投稿して下さった。 
 方さんと井上さんも初期のころから参加されている。<日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク>の活動として水曜デモにも欠かさず参加されながら、府庁前にも来て下さっている。方さんは2016年2月に「多田謡子反権力・人権賞」を受賞された。

◇田中ひろみさん

 初期のころから参加され、自作の歌「朝鮮学校を守ろう」を美しい声で何度も歌って参加者を鼓舞し、府庁前を歩く人々を引きつけた.「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」の活動として東日本震災後、支援ハガキを作って販売し、その売上金を継続して東北地方のウリハッキョに送り続けている。5年前からは、夏休みに放射能被害から子どもたちを守るため「福島のウリハッキョの子どもたちの保養キャンプ」を宝塚で開催し皆さんを引っ張って下さっている。

◇古賀さん
 
火曜バンドのリーダーとして初期のころからアコーディオン演奏で参加者を鼓舞し、道行く人を引きつけている、雨の日も強風の日もアコーディオンの聞こえない日はないほどである。多い日は8人が火曜バンドを務めた。近頃は「統一マダン」やいろんな催しにも招待され演奏をしている。「火曜行動」にはなくてはならない存在である。

◇森本さん
 
奈良のハングル教室で「火曜行動の歌」を習って心を動かされ、翌日の2013年7月23日、63回目の火曜行動からずっと参加している。65回目からは「三線」を持参し、古賀、木村、森本の三人トリオで4年間演奏を続けてきた。この間火曜行動に関する「短歌」だけでも70作以上創作発表した。娘さんも時々火曜バンドに合流する。

◇池辺、宮川、松尾さんご夫妻
 火曜バンドの一員として、不定期だが何回も参加しておられる。池辺さんは67回目の火曜行動に初めて参加され、電子ピアノ持参で演奏を続け、宮川さんは時々バイオリンを弾きながら雰囲気を上げて下さっている。松尾さんご夫妻は、200回目の記念パレードから参加している。ご主人は火曜バンドの一員としていつも鈴を担当している。和子さんは、215回目の火曜行動から写真撮影を担当し、精力的に動いて下さっている。

◇井上(女性)、田中直子さん
 
井上さんは74回目の火曜行動から参加されたのだが、最近は火曜バンドの一員として毎週、打楽器を持参し演奏を続けている。田中さんは、第1回目に参加した後、時々来られていたが、本格的に参加されるようになったのは今年、森友学園問題が大きく取り上げられるようになってからである。毎回アピールをされ「岩のように」のダンスも披露して下さっている。

◇柴田、申姈瑟さん
 
二人共若者代表。柴田さんは、唯一の日本の若者である。2015年12月15日に行われた175回目の火曜行動から参加し始め、来るたびにアピールをしてくれる。沖縄の反米闘争と掛け持ちである。申さんは、大阪朝鮮高級学校在学中11回も火曜行動に参加し、そのたびにアピールを行った。朝高卒業後、専門学校の入学式の日にも「1枚でもビラを配ってから入学式に行く」と言って、府庁前に新調のスーツ姿のまま現れ、時間ぎりぎりまでビラを配りアピールをした。和歌山からいつも往復4時間かけて参加し、若者代表として毎回自らの意志でアピールも行っている。オモニ(母親)と東大法学部学生の兄さんも最近参加された。
 
◇梁鳳順さん
 
「嫁の代わりに来ました。」と80歳の梁鳳順さんが府庁前に訪れたのは火曜行動75回目の2013年10月22日のことだった。奇しくもその日はご主人が亡くなってから満6か月の日だった。6回目の火曜行動の日から毎回末っ子のウォンサ君を連れて参加していた嫁の崔妙華さんが就職することになったため、ハルモニが代わりに来られたのである。長年教育関係に携わっていたご主人の宋華鐘さんの遺志を継ぎ、雨が降ろうが風が吹こうが、自転車に乗って坂道を上がって参加されてきた。梁さんはもう84歳になられたが、「無理をなさらないで下さい」と言っても「ここに来れば元気になれる。」とおっしゃりながらみんなに勇気を与えて下さっている。



(梁鳳順さん)



(長老同士)



◇金栄子さん

 6回目の2012年5月22日から今日まで定期的にずっと参加されている。堺在住の看護師さんなのだが夜勤明けにも家に帰らずそのまま府庁前に来られ、「朝鮮の子どもたちを差別しないで下さい」と会う人ごとに声掛けをしながらビラを渡している。

◇金愛美さん

 7回目からほとんど毎回参加している唯一の保護者である。美容師さんだが、時間をやりくりしながら府庁前に駆けつける。26回目の火曜行動の日、自分の想いを始めて詩「芙蓉の花よ」に書き留め、それをきっかけに文芸同(在日本朝鮮文学芸術家同盟)文学部に入部することになった。この間、火曜行動関係だけでも5編の詩を書き発表している。一人娘のミユちゃんも1年生の時から夏休みや春休みに一緒に参加し、自作の作文を府庁前で読み大きな感動を与えてくれた。ミユちゃんは現在6年生になった。愛美さんは、先日行われた東京での全国オモニ会アクションにも代表で参加し、力強いアピールで関東地方の方々にエールを送った。

◇金由夏さん

 城北初級学校の保護者の一人。106回目の2014年6月24日と109回目の7月15日に「火曜帽子」をたくさん作って参加者に届けてくれた。冬場には「火曜ティッシュ」を作り、あったかーいコーヒーを持ってきてくれたりした。夏には「火曜うちわ」を作って参加者を励ましてくれた。

◇邵秀玉さん

 二人の男の子の保護者だが初級学校の事務を見ながら機会あるごとに参加している。
 若くしてご主人(専従だった金学才さん)が急死され哀しみに沈んでいたが、49日葬を終えてすぐに行われた41回目の火曜行動に参加し、「夫の遺志を継ぐ」と涙をこらえ決意された。火曜行動に参加するたび裏門前でビラを配りながら、何度も松井知事と対面している。104、109、129、149回目と府知事にあうたび、「ビラを読んで下さい。」「補助金を交付して下さい。」「子どもたちの夢を奪わないで下さい。」と要請し続けている。

◇金主休、金和美さん
 
お二人は火曜行動終了時に合唱する「火曜行動の歌」を作曲された。
 「君たちが大きくなったら」(金主休作曲)は、59回目の2013年6月から、「この坂を上れば」(金主休作曲)は73回目の同年10月から歌うようになった。
 「勝利のその日まで」(金和美作曲)は、集会やオモニ会、そして235回目から火曜行動の最後に歌うようになった。

◇大阪朝鮮歌舞団の皆さん

 歌舞団の皆さんは36回目の2013年1月15日から毎回交代で参加している。特に声楽部の李恵子・金和美さんは、来る度歌を歌い火曜行動参加者を励まし、235回目からは最後の合唱の音頭をとってくれている。

◇学生の皆さん

 大阪朝高生、東中生、北中生、京都中高生、福島初生、大阪第4初生、中大阪初生、南大阪初生、生野初級生たちは何度も訪れ、ビラを配り、歌を歌い、横断幕を作ってくる。また応援の色紙やカイロやビタミンのアンプルまで持ってきて激励してくれた。
 朝大生は夏休みや春休みに大勢来てアピールを積極的にし、みんなを鼓舞してくれた。


◇「春母(ハルモニ)会の皆さん」

 初期から火曜行動や裁判傍聴に毎回参加してきた横道昭子、平田アサ子、チョ國順、許玉汝、木村奈保子の5人で自然に結成された。裁判傍聴終了後、同じ方向へ帰る途中にランチを共にし、いろんな意見交換も行う。
 「春母(ハルモニ)会」という名称は、「おばあさん会」ではなく、いつも春のような暖かさでみんなを包み支えようという想いを込めて名付けられた。

 具体的な行動は、2015年2月10日に東京で行われた無償化連絡会全国大会にハルモニ会からも代表を送ろうということから始まった。「民族教育を守るための闘いはオモニ会だけではなく、昼間動けるハルモニ会も一緒になって行わなければならない」と意見一致を見て、私が大会に参加した。この日を契機に、ブログの内容をハルモニ会で力を合わせて作ろうと提議し、アピールの聞き取り作業を交代ですることなった。2015年4月28日の146回目に横道さんから部分的な聞き取りが始まり、6月23日の153回目から正式に平田、横道、木村が交代でレポートを担当するようになった。

 260回目までを総括すると、長老の横道さんが38回、平田さんが35回、木村さんが33回レポートして下さった。184回目から参加した朴玲熙さんもハルモニ会に属し、197回目にレポートをするようになり、3回レポートをしていただいた。陶山さんは254回目からハルモニ会に参加し、258回目からレポートを繋いでくれている。

 ハルモニ会の平田さんはこの間、180日分の日記をハングルで書いてみんなに感動を与えた。長老の横道さんは、初期のころは姑さんの介護の合間に駆けつけて下さっていたが、今は毎回参加しいろんな学習資料も提供して下さっている。木村さんは「火曜バンド」も兼任し、時々娘さんも同行させている.

 チョ國順さんは初期のころから毎回キャンディを準備され、「参加者に元気になっていただこう」と配達し続けている。夏にはカチ割り氷を用意して下さる。キャンディとカチ割り氷だけでもこの間10万円以上を使っていらっしゃることだろう。感動した二人の方がチョさんのことを書かれた詩は朝鮮新報にも掲載された。

◇木村・平田・横道さんは果物や野菜が田舎から送られてきたり、自宅で季節の野菜が収穫されれば、いつも火曜日の仲間に分けてあげている。みかん、ゴーヤ、胡瓜、すいか等々。

◇その他の方々

 前半期に頻繁に参加して下さった方々は永久、永野、有元、横谷、伊藤、中村、津々木、小山、金春花、崔妙華、趙成華、河鳳仙、金哲也さんたち。後半期(2014年以後)に数多く参加されている方々は西山、斎藤、武市、つじ、KCC会館の李、呉洋子、李正恵さん。不定期で継続参加されているのは金昌範、伊関、岡本さん。

◇他地域からも駆けつけて下さった大勢の支援者

 東京の服部、西中、長谷川、金日宇夫妻、韓至彦、埼玉の洪さん、群馬の廉数昭夫妻、岐阜の安西玲子、金竜誠さん、静岡の宋一、岡田(半年間)さん、京都の河津聖恵、李元重牧師、李淳明、厳康秀、許牧師、宋基燦、朴錦淑、女性同盟の方々、京都初級・京都第2初・京都中高オモニ会の方々、兵庫の金貴美、李友子、尼崎初中オモニ会、神戸朝高オモニ会の方々、奈良の邵哲珍、岡山の呉信浩、下関の李和淳、徳島の牧師、福岡の文善紀さん、英国人留学生のピーター、在米2世の尹さん、在米の林春植牧師(コンサートを開催し、その収益金50万円を火曜行動にカンパしてくれた。)他多数。
 韓国からは孫美姫、尹美香、金福童、キム・ソンミン、労働組合の方々、坂下氏、チョン・ギヒョン、歌手の洪氏、ヒマンナビ24名、挺対協8名、キム・ジスクさんと労組の方々、韓国民主労組の方々。彼らは横断幕やホンギルトン基金を持ってきてくれ力強いアピールで元気をくれた。



(ソンミヒさん)




(長谷川さんを囲んで)


◇取材や撮影に来た団体や個人

コマプレス(朴思柔・朴敦史)、朝日新聞、毎日新聞、朝鮮新報、月間雑誌イオ、NHK、関テレ、韓国MBS、共同通信、金明俊、安海龍、キム・チョルミン、ウォンソク、中村一成、高賛侑、他からも多数。
◇「火曜行動」の期間に亡くなった教育関係の方々
宋華鐘、余日花、金学才、玄哲男、李栄汝さん。(心からご冥福をお祈り申し上げます。)

◇「火曜行動」の間、創作された作品の記録(2017年9月12日まで)

 平田アサ子 詩 「”それでも“と”だから“」(1編)ハングル日記(180編)
 金宏城   詩 「氷一粒」(1編)⁂朝高1年生の時
 金愛美   詩 「芙蓉の花よ」〈他4編〉
 許玉汝   詩 「ごめんなさい」〈他24編〉
 金主休   曲 「この坂を上れば」〈他1曲〉
 金和美   曲 「勝利のその日まで」(1曲)
 森本忠記  短歌 (70首)
   *2012年4月17日から2017年11月21日までの火曜行動参加者は
     延べ11,622名、 手渡したビラは延べ107,970枚。
     「火曜行動」1回目から270回目までの統計です。

■「諦めない、勝利の日まで!」
 最後になるが、丹羽弁護団団長を始め、この間、無償化裁判や補助金裁判を勝利に導くため常に尽力くださった弁護団の先生方に心から感謝を述べたい。又、李昌受,姜賢、玄順愛さんはじめ、黙々と尽力くださった全ての団体の専従の方々に敬意を表したい。

 長くなること自体が良いことではないが、5年半もの間「火曜行動」に毎週参加しながら胸に込み上げてきた疑問の1つは、なぜ日本の友人たちがこんなにも長期間にわたって共に行動しているのかということだった。日本の方々は「朝鮮学校の問題は私達自身の問題だ」、「朝鮮の子どもたちに対する政府の態度は日本の民主主義のバロメータ―だ」といつもおっしゃる。そして朝鮮の子どもたちのために涙を流しながら訴え続けて下さっている。決して誰にでもできることではない。人間としていかに生きることが誇り高い生き方なのかを知っている人だけが、このように考え行動できるのだと思う。

 長老の梁鳳順さんはいつもおっしゃる。「私はここに来るまで日本の方々がこんなにも一生懸命共に闘っていることを知らなかった。本当に感激で一杯だ。いくら老いても当事者の私たちがもっと頑張らなくてどうする。」と。私も心からそう思う。

 日本政府は高校無償化から朝鮮学校だけを除外したが、私たちの揺るぎない同志愛を決して除外することはできない。すでに私たちは民族の違いや宗教の違い、所属団体の違いをはるかに超え、人間の尊厳を取り戻すための闘いを共に継続しているのだ。
 
私自身「火曜行動」への参加が、もしも義務感であったり、強制されたものであったなら、こんなにも長い間続けることはできなかったと思う。暑い日も寒い日も熱のある日も膝が痛い日も、この日だけは行かなければと思ったのは、「ウリハッキョがあったから私の人生があった」という想い、「もしもウリハッキョがなかったなら、私はどんな人生を送ったか分からない」という想いからだった。

 2010年3月に定年退職し、これからは老後をゆっくり楽しもうかなぁと思っていた私が、7年の間、現役の時よりも忙しくなり、方々走り回ったのは想定外のことだったが、この7年間本当に貴重な体験をさせていただいた。

 元来私は日本語で詩やエッセーを書いたりする機会がほとんどなかったのだが、日本政府の許せない行為を目のあたりにし、「日本の方々に訴えるためには日本語で書くしかない」という思いでペンを走らせてきた。

 『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』に掲載するため、初めて日本語で書いた詩「ふるさと」。私はこの詩の中で、戦後間もないころ知る人一人いない青森の片田舎で生まれ、引っ越しを繰り返しながら根無し草のように生きていた自分が、ウリハッキョに通う中で自分の国の言葉や歴史を学び、自分の国に対する自負心を持ち、人間の尊厳を取り戻したことについて書いた。私が通い、子どもたちが育ち、孫たちが今日も通うウリハッキョは誰も奪うことのできない心のふるさとなのだと。

 その想いが全ての行動の始まりだったと思う。私はもうすぐ古希を迎えるが、私の子どもや愛しい孫たちは、この国でこれからも暮らしていくことだろう。祖国の分断70数年はあまりにも長すぎた。考えれば考えるほど、今のこの民族差別と偏見に満ちた状態をそのまま後世に残すわけにはいかないと思う。

 朝日連帯のこの力を誰も揺るがすことはできない。諦めたときが終わりの日であることを参加者はみんな知っている。どんな困難が待ち受けようとも、勝利のその日まで私たちは、私は、立ち続ける!







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1月23日、278回目の「火曜行動」です。

2018-01-23 19:04:44 | 火曜日
昨日までの雨は上がりましたが、風が強いです。






5分前なのに大勢見えておられます。





今日のレポーターはハルモニ(春母)会の陶山さんです。写真は松尾さん。よろしくお願い致します。








長崎さんの第一声が響き渡っています。

⁂長崎さん

子どもたちに笑顔を。すべての子どもたちの夢や希望を奪わないで、次の世代を引き継ぐ宝として育てていく義務が、大人にはあります。残念ながら、今、朝鮮学校の子どもたちに対して、大人が子どもたちの夢や希望を奪う、子どもたち自身がこの日本社会の中で、自分が在日韓国朝鮮人として生きていくことを、本当に認められている、自分の存在は日本社会の中でこの大阪の中で認められているのだ、そんな気持ちをもって過ごすことができない。差別は今も、もう5年も続けられています。


私たちは2012年の4月17日からここに立っています。全国に先駆けて支給されてきた補助金が打ち切られたこと、そして国に対しては高校の授業料無償化が朝鮮学校だけが排除されていること、この復活を求めてここにいます。大人が子どもの夢と希望を奪わない、在日朝鮮人であることをもって差別させない、こういったことでこの場にいます。ここに参加している人の立場は様々です。私は日本人として、クリスチャンとして、にぎやかに盛り上げている火曜バンドの皆さんも日本人としてこの場に参加しています。この大阪で活動しているだけでなくて、今沖縄で何度も米軍のヘリコプターや航空機が落下する事故が起きています。その沖縄の受けている差別は本当に、人間の尊厳が国によって奪われているというところでは共通しています。そうした沖縄の問題に長年かかわってきた人も参加しています。


 この火曜日行動には韓国からもキムボットンハルモニ、ユンミヒャンさんが参加してくださったこともあります。今、日韓合意に対して、もう一度、当事者の方々の痛みや苦しみを変えていくという形で合意されていなかった、だからこそ、誠意ある形で当事者のハルモニたちの痛みに対して謝罪をすることが必要だ、そんな日韓合意に対しても声をあげてきた皆さんも、この場に参加しています。


この大阪で補助金打ち切りのきっかけになったのは橋下知事の時です。これまでの経過を顧みず、突然学校に対して4要件なるものを突き付けて、学校側がそれを満たしているにも関わらず、結局朝鮮学校への補助金を打ち切りました。


橋下改革の下で多くのものが壊されました。この近くにあるピース大阪。韓国・中国・アジアからの観光客が多い中、かつて日本が植民地支配を行ってきたこと、この世に侵略戦争があり多くの加害を生み出した、そういうことをきちんと向き合った歴史がされていたなら、私はアジアから来た観光客の中から、ああ大阪にはこうやって過去の歴史を見て、これから仲良くしていこうという、素晴らしい場所があるなと、きっと観光スポットになったと思います。でもこのピース大阪には加害の歴史を取り払う、そしてリバテイー大阪、人権博物館として海外からも評価の高かった人権博物館も橋下市長によってつぶされました。今、厳しい運営を強いられています。


お互いに人間が人間として誇りを持って生きていこうとするとき大切にしてきたそれぞれの文化や歴史、そして2度と戦争はしたくないその気持ちで勝ち取ってきたこと、それが今、維新と安倍政治によって壊されていったのだなあということが、互いにわかって、手を繋ぎあってこのように火曜行動にもいろんな方方が参加することになりました。


この火曜日行動にも韓国からたくさんの方々が参加されました。韓国はキャンドル革命を経て、ムンジェイン政権が誕生しました。私は22日の日曜日に東成区民センターで自白という映画を見てきました。韓国のジャーナリストの監督が、韓国で北のスパイ団にでっち上げられた脱北者の方の中で、韓国の中で今も分断があるという。いわゆるでっち上げてまで北の脅威を韓国情報誌が作り上げてきた、それを追及する映画を見た。それを見て私は大阪に来るきっかけになった韓国に留学してスパイとしてでっち上げられ死刑の判決を受け13年服役をして帰ってきた李哲さんが映画を見た後語っていました。


李哲さんの語る、捕まった時の恐怖と拷問は本当にひどいものでした。全裸にされて体中を殴られ、そして自分の婚約者を連れてきて目の前で犯す、そのお母さんも犯すという激しい拷問に気持ちが萎えたと、映画の中でも語っていました。韓国の中で脱北者と言われる人たち、両方の狭間の中で切り捨てられ、スパイとしてでっち上げられその中で自殺をする人も出た、そういうことを映画の中で事実を追いながら、ジャーナリストの人が不正を明らかにしていく、その姿を映画の中で描いていました。


この映画を見ながら、今の日本の姿は本当に恥ずかしくて仕方ありませんでした。私が40年前、軍事政治下にある韓国の、いわゆる政治犯救援活動をしているとき、日本は民主主義だ、韓国は独裁政権だと言っていました。でも軍事政権の中から民主政権を作り、かつて自分たちの中にあった、過ちを勇気をもって白日の下にさらしてでもそれを変えていこうとしている。それに対して日本はどうなのか。森友問題で明らかな不正、そして籠池さんを5か月にもわたって獄中に勾留したままということに対して、大きな怒りが沸き起こらない、そしてそのまま流されていく、そういった韓国の戦いとの違いを考えながら映画を見ていました。


今朝鮮学校が置かれている姿、いわゆる4・24の阪神教育闘争の時に、この大阪府庁の周りをたくさんの人が囲み、その中で金太一少年が犠牲になった、閉鎖例が出される中で朝鮮学校が学校を守り抜いて、今日まで続いてきた。


文科省が通達を出して、各自治体が次々と補助金を打ち切りました。経済的に追い詰められて、そして少子化の中で、いくつかの朝鮮学校が閉鎖されている。いわゆる形を変えた学校閉鎖令という形で差別されているということに、本当に私たちは、時計の針を逆戻りされている。
子どもたちの夢と希望を奪わない。何度でも言います。

「アンニョンハセヨ」

韓国からたくさん観光に来ておられますけど、ぜひ、日本で暮らしている在日同胞の方々が、どんな思いで朝校を守りそして日本社会の中で生きてきたのか、思いを寄せていただけたらと思います。(すべてのレポートは陶山さんです。)







東大阪のオモニ会の方々が最初から積極的にビラを配ってくださっています、寒いからか今日はビラを受け取ってくださる方が多いようです。















無敵の火曜バンド勢揃いです(^ ^)

「フェイスブックいつも写真を載せてもらい恥ずかしいやら嬉しいやら  ちゅうき」





オモニたちの笑顔が素敵ですね、元気が出ます。





風が❣️





セット乱れまくり、でもえくぼが可愛い、10歳は得してます。えくぼのおかげで、、、(^ ^)












東大阪初級のオモニです。

⁂オモニ

 3人の子どもを朝鮮学校に通わせています。私は日本で生まれ日本で育ってきました。ほとんどの方が朝鮮学校でどのような教育が行われ、どのような人がかかわっているのかわかりません。

日本で生まれ、日本で育ち日本で生きていくのに、なぜ近くの日本の学校に通わず、高い月謝と家からも遠く、古い校舎朝鮮学校に送るのか、私たち朝鮮人にとって自分が何人なのか、日本の環境の中で、日本人でなく朝鮮人であることを自覚すること、朝鮮語も朝鮮の文化も自分で探していかないと、触れ合うことができません。

自分のルーツがどこにあるのか、なぜ日本に来て日本で朝鮮人として生きていく姿を、日々日常的な生活の中で朝鮮語にふれあい同じ朝鮮の仲間と出会い、自分のルーツを自覚し、身体で感じ、アイデンテイテイーを育てていけるところが朝鮮学校なのです。

朝鮮学校は民族学校で、在日朝鮮人にとって祖国は北の朝鮮民主主義人民共和国と南の大韓民国・韓国、朝鮮半島です。私たち保護者は、朝鮮の言葉と文化を学ばせたい、民族と触れ合わせたいのです。私たちは日本で生き続けるために、ルールに従って生活しています。下校中に年配の方が重い荷物をもっていると、重たいランドセルを背負いながらも、おばあさんに声をかけ荷物を持ってあげる生徒もいます。登校班で学校に向かいながら、日本の方々と元気にあいさつを交わす学生もいます。学校でも日本の学校と交流もしています。日本人の中にも朝鮮学校を応援してくれる人もたくさんいます。すべての子どもの学ぶ権利を、政治利用はしないといいながら、争いや対立はあるはずがないところに持ち込む理不尽さは何なのでしょうか。


北朝鮮がらみなら何でも認められるこの日本社会は、本当にいい社会なのでしょうか。保護者として、朝鮮学校の卒業生として声をあげ闘っていきたいと思います

⁂長崎さん

朝鮮学校に行くと子どもたちは本名で通います。幼稚班でも朝鮮の言葉や歌や遊びも習います。学校に行ったときに当たり前に自分の国の母国語である朝鮮語を使う。そして当たり前ですが日本社会の中で暮らす中で日常の言葉は日本語です。二つの国の言葉を使いながら朝鮮学校で学びます。朝鮮学校で学ぶということは、ありのままの自分は何なのかということです。私が勤めておりました幼稚園で、園児の70%近くが在日韓国朝鮮人でした。


子どもたちに自分のルーツである韓国朝鮮の、民族の言葉や文化を知る、民族保育をしようよとなりました。在日韓国の人たちはずっと通名で生きてきた人たちでした。日本の学校に通い、ハングルも読めない、一から私たちと同じように自分の民族性を取り戻していきました。

でも朝鮮学校出身の保育士さんは、まず言葉ができる、そして自分たちのおじいちゃんやおばあちゃんがなぜ日本に来て暮らすようになったのか、そして自分の国の言葉や文化について知っていました。ありのままの生き方は何なのか、そして自分が在日韓国朝鮮人であることは素敵な事なのだということを、子どもたちがもって育つためには、今、日本社会の中で暮らしていて、そういったものが得られるでしょうか。


テレビをつければ、いわゆる北バッシングが音に流れる中でこの正しい情報、むしろ自分自身が韓国朝鮮人であることは悪いことではないか、そんなメッセージしか流れてきません。そういう中で本当に自分の存在が堂々と認められ、差別や被害にあった時も、だから日本人に生まれればよかったではなくて、この自分自身が持っているルーツに誇りを持ちながら差別に向かっていく、そんな心を育てているのが朝鮮学校です。私たちも一緒に考えていきましょう。






丁寧に丁寧にビラを配るオモニたち













若者代表のリョンスルさんもアピールします。

*若者


 今日も寒いですね、皆さん、ポケットに手を入れずビラを受け取ってください。先週、大阪朝高の後輩たちが火曜行動に来てビラを配り、アピールしてくれました。私はすごく心を打たれ元気をもらいました。先週、学生たちがビラを配ったからもらってくれたのですか。そうではなく、私は良心でもらってくれたと思います。しかし最近学習会でこういう言葉を習いました。


 「行動する良心たれ。行動しない良心は悪の味方となる」その通りだと思います。皆さんはただ良心でビラを受け取って、それを見るだけですか。本当の良心だと私は、朝鮮学校はどういう学校なんだろう、関心をもって興味を持って見て知ることだと思います。ただビラをもらうだけでなくて、ああこの人たち頑張っているなと思うだけでなくて、一人の社会を作る人として行動してほしいと思っています。私は社会を作る一員としてこの火曜行動に参加しています。皆さんの良心がこれからの社会を作っていくと思います。これからもご支援よろしくお願いします。


*長崎さん


 公務員のはたらきというものが現場の当事者の痛みや苦しみを排斥する、その手助けをするのがいわゆる行政の仕事、上から降りてきた命令をただすればいいという方向にどんどん変わってきているように思います。


先日NHKのドキュメンタリー「731部隊」を見ていました。その中で、公務員の仕事とある意味で通じるのですが、非常に残虐なこと、ひどいことをしながら、それぞれが何をしなければならないのか、。

731部隊の中でも分業化する。解体だけする人、検査だけする人注射だけする人、お互いがバラバラで上からの命令に従っているだけ、でもその結果、相手の人を殺す。ひどいことをしているという罪悪感を持たないで、731部隊のあのひどい人体実験が行われたということが出ていました。


私は今この大阪府がこうやって5年6年と私たちが府庁の前に立ち続けて差別しないでほしいと訴え続けている、これに対して、この公務員として現場の痛みや苦しみを変えていくのがいわゆる行政の仕事ではないでしょうか。上からの差別をしなさいという命令があったら、上の命令に従うだけ、そういう形で行うだけ、それがかつての大阪府を変えていっていると思われます。上からの命令に従うだけ。そうでない皆さんのそれぞれの持つ良心に訴えたいと思います。







珍しいツーショット








イケメン三銃士健在です。

















































静岡の李恵順さんから又カイロが送られてきました。コマッスムニダ。

「寒風に負けず闘う人の群れ貰ったカイロまだあったかい ちゅうき 」

 「安倍政治の嘘とごまかし打ち砕き火曜に集う人みな元気 ちゅうき」







チョンジャさん、乙女のようです





森本さん、三線片手にぐるっと一周します。






長崎さんが繋ぎます。





娘さんのような松尾さん。





同級生かな?左の方は教え子です。











ニョニョさん 自作詩の朗読


 「ここに立つ」



ある人は賑やかにアコーディオンを弾き
ある人は楽しげにリコーダーを吹いた
毎週毎週 「火曜日行動」の日に


ある人は歌を作り
ある人はキャンディを分かち合った
辛い時こそ笑いを忘れまいと


ある人は専門学校入学式の日
新調のスーツ姿で府庁前にやって来た
1枚でもビラを配ってから出発したいと


ある人は毎回重いスピーカを運び
その妻は毎日30分も訴え続けた
子どもたちの笑顔を奪わないでと


ある人は夜勤明けの度に
休む間もなくここに駆けつけ
差別反対と訴えビラを配った


ある人は病で痛む足を引きずりながらも
250日間 雄々しく立ち続けた
大雨降る日も 強風吹きすさぶ日も

ある人は49日葬を終えた日
夫の果たせなかった遺志を受け継ぐと
涙をこらえてここに立った


ある人は子どもたちを育てるため
いくつものパートを掛け持ちながらも
ウリハッキョを守ろうと涙で訴えた


ああ、ここは人間の愛があふれる場
民族の違いを越え 心一つに
未来を胸に描く所


幼な子からお年寄りまで
刃より強い笑みを浮かべながら
私たちは立つ 今日もここに立つ



⁂長崎さん


 2月14日、水曜日3時から、高校無償化の高裁があります。
 3月20日、火曜日3時から、補助金裁判の高裁判決が出ます。

 その日6時半から東成区民センターで報告集会があります。

また、この2月3月には、各 朝鮮学校の芸術発表会があります

2月18日、生野初級学校、八尾プリズムホールで
2月17日、第4初級学校、クレオ大阪東で
2月23日、東大阪中級学校
2月25日、城北初級学校

子どもたちの生き生きした姿を見に来てください。







宋裕子さんのアピール

⁂オモニ


 朝高に子どもを通わせている保護者です。先週、朝高の学生たちがここでアピールしたと聞きました。ここに来る前にピース大阪に行って学習してきたそうです。以前にもこのピース大阪に何度か足を運んだということで、今回来てびっくりしたそうです。今までいろんな展示があったのが変わっていてびっくりしたという話を聞きました。どこでそういう教育をこれからやっていくのかなと切実に思った。私もいろんなことを考えさせられました。今週の24日、水曜日に、子どもたちの団体が布施で街頭宣伝をすることになっています。


4・24、今年70周年を迎えるということで24日に合わせて、毎月行動をしています。一回目の大阪駅前でやった時から子どもがそこに行きたいと言う。クラブが終わってから行くから、遅くなるから母親としては心配なのですが、自分たちが行ってチラシを配りアピールをすること、これが自分たちに課せられた課題なんだと。

勉強もしないといけない、クラブ活動もしないといけない、でも自分たちが今これをすることがとても大事なんだと言って、毎月この行動に行っています。私たちの子ども普通の高校生です。アイドルも追っかけます。

先週日曜日には淀高の演奏会にも行きました。普通の青春を謳歌する普通の高校生が、なぜ街頭に立ち、無償化・補助金の問題でアピールをしたいと思うのか。そういう風に私たちの子どもが日本の社会の中で闘うことを強いられている、このことをぜひ皆さん考えてください。

自分の子どもが)勉強しなければいけないこの時間になぜ街頭に立ってこういう行動をしなければいけないのか、大人たち私たちがそういうことに目を向けて一緒に考えてほしいなと思っています。私たちのこと知るためにも一緒に考えてください。







最後の歌はカンさんの音頭で「勝利のその日まで」













終了後いつもの駐輪場で申し送りです。





べっぴんさん揃いのオンマたちに大きな拍手が送られました(^ ^)
















来週も頑張りましょう
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3年前の1月23日に新報に掲載された孫の作文です。「広報部長」ハルモニ

2018-01-20 22:40:45 | 詩・コラム
  愛知在住のFbチングであるパクへミョンさんから投稿があり、「コッソンイ」中高級部門37号に孫が書いた作文が掲載されていたと連絡くださいました。まだ見ていませんが、送って下さった挿絵を見たらそっくりすぎて思わず笑ってしまいました。


  1月23日に新報日本語版に訳されて掲載されていましたので、もう一度載せますね、時間のある方はお読みください。




 〈第37回コッソンイ〉中級部1年・作文部門   

               「広報部長」ハルモ二

東大阪中級学校 1年  潤伊

 日本の人たちは、私のハルモニを「広報部長」と呼ぶそうです。それは、今も続いている「火曜行動」に毎週欠かさず参加し、フェイスブックとブログを通じてその様子を広く知らせているからです。

今、大阪は橋下市長の差別政策によって補助金が支給されない厳しい状況にあります。しかし、同胞、アボジ、オモニ、先生、日本の先生たちがなんとしても「高校無償化」と補助金を獲得しようと、「火曜行動」を繰り広げています。

私は、なぜ朝鮮学校だけ差別されるのかがわかりません。早く権利を獲得できればいいなと思います。

1年間、寒い日も暑い日もたたかい続けることは大変なことです。そのためハルモニは、みんなのたたかう熱意が冷めないよう歌を作り、一緒に頑張ろうと励ますそうです。それゆえ、日本の人たちはハルモニを「広報部長」ハルモニと呼ぶのです。


  私が初級部6年のとき、ハルモニが学校に来て少年団員たちに「火曜行動」に関する話を聞かせてくれました。

「…幼い頃は貧しかったけど、故郷の家のようなウリハッキョがあったから祖国が歩んできた歴史を学ぶことができ、人としてどう生きていくべきなのかを知ることができた。だから、命のように大切な朝鮮学校を守るため『火曜行動』に出ているの…」

  そう話した後、ハルモニが歌詞を書き、ハラボジが作曲をした火曜行動のうた「坂道を上ると」を教えてくれました。大阪府庁までいくには長い坂道を自転車で上らなければならないのですが、この歌には、どんなにつらくても子どもたちのために向かうんだという思いが込められています。私は心の中で、一日でも早く「高校無償化」が実現され、補助金がまた支給されるようになればどれだけいいかと思いましたし、私のハルモニも引き続き活躍してくれたらと思いました。


(朴さんが送って下さった「コッソンイ」の挿絵です。)


  私たちは翌週の火曜日、「정성이면 돌우에도 꽃이 핀다(雨垂れ石を穿つの意)」という横断幕を作って「火曜行動」に参加し、ハルモニが教えてくれた歌を思いっきり歌いました。

  ハルモニがビラを配りながら、参加者たちを一生懸命写真に収める姿を見ました。そして、多くの同胞や日本の人たちが、どんなに無視されてもめげずにビラを配る姿を見て胸がじんと熱くなりました。そして、私もウリハッキョを守るため、もっと一生懸命勉強し、少年団生活を頑張らなければいけないと思いました。

 「広報部長」ハルモニ!

  私はこのあだ名が正しいと思います。ハルモニが歩んできた人生そのものだと思うのです。

私のハルモニは青森県で生まれました。あちこちへ引っ越しを繰り返した後、京都で住んでいたころはくず物を集めるため曾おじいさんが引くリアカーの上でウリマルを習ったそうです。なので、朝鮮の本を読むのも楽しく、兄さんと一緒に夜間学校で朝鮮の歌を教えることにもやりがいを感じ、誰よりもウリマルを愛し、異国の地でウリマルを輝かせたいという思いが湧きあがったそうです。現在は、初級学校で低学年の児童たちの学童の先生をしています。宿題を見て、本を読み聞かせており、学父母たちもとても喜んでくれているそうです。

  定年退職するまでは、ウリハッキョの国語の先生でした。当時は日本各地のウリハッキョではじめて放送口演部を作り「가고가고 기여가고(朝鮮語の早口ことば)」先生と呼ばれるほど、子どもたちの話術の訓練に力を入れたそうです。

  私は、ハルモニが先生をしていたその学校に入学し、学んでいることがとてもうれしいです。

  ある日の音楽の時間に、ウリハッキョの校歌を習ったとき、作者の名前をみてとても驚きました。私のハルモニの名前だったからです。ハルモニは文芸同に属しながら、詩もたくさん作り、それが朝鮮新報やいろんな本に紹介されています。詩を書くのもすべて、在日同胞の歴史を歌詞に綴り、それを後輩たちに知らせるために作るのだそうです。なので、火曜行動に参加し、フェイスブックやブログを通じて宣伝し続けるのも、早く私たちの権利を獲得するため、同胞、日本の人たちがどれだけ熱心にたたかってきたのかを広く伝えるためなんだということが分かりました。

  こんなハルモニだけど、家にいるときは普段どこでも見るような天然ハルモニです。ときには私が一度話したことを何度も聞き返すこともあり、些細なことに口うるさいときはめんどくさいと思うこともしばしばです。

  すごいハルモニだけど、よくわからない行動をするときもあります。一緒に道を歩いていると突然立ち止まり、カメラで花の写真を撮るのですが、多いときは一日に100枚ほど撮るときもあります。予定通り進まず、イライラするときもあります。しかしあるときは、「ニトリ」というお店の名前を「トトリ(どんぐりの朝鮮語)」と呼び間違えることもあって、その一言で家中が笑いの渦に巻き込まれます。くしゃみをするときは「ハッピ!」と言うので、笑わずにはいられません。でも、オモニが忙しいときにハルモニの家に行くといつも、ごちそういっぱい用意してくれ、洗濯もしてくれるので、本当に感謝しています。

  ハルモニは、私たちの成長記録を写真と、詩を書いて残してくれるので、やっぱり家の中でも「広報部長」なのだと思います。

  わたしもハルモニになったら、私のハルモニのように面白いハルモニ、孫の自慢になるハルモニになりたいです。そして、孫たちに「ハンメはすごいな!」と言われるよう、いろんなことにチャレンジして活躍できるよう努力していきます。


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1月16日、277回目の「火曜行動」です。

2018-01-16 18:01:15 | 火曜日
3月のようなあたたかさです。天からのプレゼントだと思って府庁前に向かいました。



10分前だというのに、入試を終えた朝高三年生の皆さんが既に到着していました。頼もしいです。







春を感じさせるあたたかさです。





今日のレポーターはハルモニ〔春母〕会の木村さんです。




写真は松尾さんが送ってくださいます。今日も宜しくお願い致します。









長崎さんが力強いアピールで始めてくださいました、先ずは朝高生のアピールリレーです。

☆長崎さん

今日は当事者である大阪朝鮮高校の3年生39人が参加しました。補助金が打ち切られたときには小学生であった生徒さんたちです。卒業式を笑顔で迎えてほしいと思っているのですが、まだまだ差別が続いています。
そんな中、朝鮮学校で学んできた生徒さんたちのアピールをお願いします。(すべてのレポートは木村さんです。)






⁂朝高生1(男子)


高校「無償化」から阻害され、いっこうに差別がなくならない悲しい状況が6年間も続いています。裁判闘争を闘う中で、勇気をもらい、朝鮮学校で学ぶ大切さを学びました。補助金の再開と「無償化」の適用をお願いします。




⁂朝高生2(女子)


私は2年生の時にワールドカップに朝鮮民主主義人民共和国の代表として参加しました。小さいときからの夢が叶えられてうれしく思っています。民族教育は必要です。なぜそれが排除されるのかわかりません。私は民族教育のために闘っていきたいと思っています。






⁂朝高生3(女子)


自分の民族の文化を学ぶのは当然のことです。私は6年生の時から朝鮮学校でそれを学んできました。3月には卒業を迎えますが、後輩たちには「無償化」が適用されるようになってほしいと思います。





⁂朝高生4(男子)

ぼくはラグビー部に所属しています。国体には大阪代表として参加しました。日本人も朝鮮人も全員が一つになって優勝しました。全員が友としてわかり合えることが証明できました。それなのに、このアピールをしなければならないのは悔しいことです。





⁂朝高生5(女子)


私が小学生の頃からの問題が今も解決していません。差別と偏見がありますが、どんな逆境にも負けずに、一世二世のように前へ進んでいきたい。私たちに教育の権利を与えてください。





⁂朝高生6(男子)


ぼくは小学校1年生から12年間朝鮮学校で学びました。部活でラグビーをしています。日本の子どもとも一緒に試合をします。朝鮮人と日本人は一緒に手をつないで生きていけると信じています。日本社会を共に生きていきたい。





「冬空の青より青き若き群れ朝高生に会いて嬉しも」  ちゅうき















南さんに金さん





生野初級の2年生のオンマたちです。























沈さん姉妹です。








積極的にビラを配っている朝高生です。






イケメン三銃士に直子さんも一緒です^_^











長崎さんが話します。

☆長崎さん
朝高生たちは、本来なら自分自身の楽しみのために使うべき時間を、こうして街頭に立ってアピールしています。たのもしいと思う反面、なぜ高校生が立たねばならないのか、自分たちの力のなさを痛感します。


なぜ高校生が府庁前に立っているのか、自分自身の子どもや孫と重ね合わせて考えてください。子ども連れのお母さんの気持ちも考えてください。


2月14日には、一審で歴史的勝訴を勝ち取った「無償化」裁判控訴審の法廷が開かれます。午後3時からですが、抽選が2時30分に終わりますので、2時10分には裁判所前に集合してください。






エミさんもアピールです。

☆オモニ(エミさん)


私は火曜行動が終わった後、いつも事務局長と話をします。

「朝鮮学校は何か悪いことしたんですか」という私の問いに、「朝鮮学校は悪くない。日本の学校の教育とは異なるが。それを知らない人がたくさんいる。それを伝えねばならない」と事務局長は言います。


1月7日の成人式に出席しました。受けた愛を返していきたいと語っていました。差別の中でも立派に育っているのだと感じました。


7月28日の判決では、母国語を学び、その指導者を尊重するのは当然だと述べられました。控訴審ではきっと勝利します。教育の権利を平等に与えてください。


☆長崎さん
私も1月7日の成人式に参加しました。

民族教育を受けていなければ、差別の中で、日本人に生まれればよかったと自分を否定してしまうかもしれません。
さきほどの朝高生のアピールの中で、「日本人とは必ず理解し合える」との意見がありました。自分がつらい思いをしたからこそ、人の痛みがわかるのでしょう。


生野初級学校の公開授業に近大の学生120名が参加したことがありました。その時参加できなかった人がわざわざ学校に連絡してきたということもありました。


なぜ日本政府――安倍政権がここまで朝鮮学校を差別するのでしょうか。それは日本の植民地支配を覆い隠すためです。そのためにじゃまになるから排除してきたのです。








火曜バンドは今日も先駆者です。






頼もしいです





































リョンスルさん





珍しいツーショットです





生野初級のオモニたちがアピールします。

☆オモニ

全国の中で朝鮮学校だけが「無償化」制度から排除されています。補助金も文科省通達によって、どんどん停止されていっています。


高校「無償化」は、所得にかかわらずすべての生徒に教育の権利を与えるもので、国際人権規約の長い歴史を持っています。国家間の政治・外交問題を理由に排除するのは許されません。当たり前の権利として実現させたい。










初々しいですね^_^




赤ちゃんを抱っこされて1時間立ち続けたオモニもいらっしゃいます。






若いアボジもアピールします。


☆青年(2人の幼子の父親)


私は朝鮮学校の卒業生です。私の子どもたちはまだ通う年齢ではありませんが、いくら差別されようとも通わせたいと思っています。そういう人は、いくらあなたたち行政が差別しようとも変わることなく通わせるでしょう。


大阪府・市は差別行政を撤回してほしい。あなたたちは我々を差別しているということを自覚してほしい。彼らが小学校の時から7年。いつまで差別行政を続けるのか。一日も早く撤回してほしい。





















陶山さんもアピールします。


☆陶山さん


私は教員をしていました。朝鮮学校との関わりは、チマチョゴリを切られた事件について授業で話をしていると、子どもたち自身の口から、近所に朝鮮学校があることを知っているという話が出たことをきっかけにしたものでした。それ以来ずっと城北朝鮮学校との関わりが続いています。


1月14日に城北朝鮮学校でおこなわれたキムキガンさんの『在日バイタルチェック』という演劇を見に行きました。キムキガンさんは日本の学校を出たのですが、朝鮮学校の出身の知り合いがいて、様々な人の話を聞いて、チェジュドから来たハルモニの一生を演劇にしました。面白おかしく、時に涙するエピソードを混ぜ合わせた演劇でした。その中で彼女の最後の言葉が印象に残りました。


「これで121回目の公演になるが私は日本人に謝ってほしいと思っているわけではなく、歴史の真実を知ってほしいのです」と。







美人姉妹はいつも一緒です。





田中なおこさん、森本さんを中心に「岩のように」を歌いながら踊ったのですが、ちょっと練習不足で残念でした。^_^





朝高生も一緒に歌ってくれたのですが、伴奏が少しも小さかったかなぁ?








歌舞団の舞姫と共にご機嫌な森本さん





大村さんは笑顔の似合う方ですね、素敵です。





kcc会館の李さんお久しぶりです^_^



☆長崎さん

高体連の大会にも出られるようになり、JRの定期券にも学割が適用されるようになり、これからは差別のない世の中が来ると思ったのに、朝鮮学校の排除がなされています。もう一度原点に戻って差別のない世の中を目指していきたいと思っています。


大村さんのアピールです。

☆大村和子さん


こんな天気のいい日に高校生の皆さんが街頭に立っています。みなさんは「朝鮮人として生きていくことをしっかりと学んだ」、「日本人と朝鮮人が理解し合えることを学んだ」といいました。

日本社会は日本人と様々なルーツを持つ人が共に生きることが必要です。

朝鮮学校は大切なところです。それがあることで、日本社会には希望があると思いました。キムキガンさんの話に私も同じことを感じました。朝鮮の歴史があることをないものと白々しく言うのが今の日本社会です。

朝日新聞の夕刊でイ・ハンネさんという92歳の元BC級戦犯の方のことが取り上げられました。戦争中は「日本の軍人」となり、戦後は日本国籍を取られ、日本人と同じ戦後補償を受けることができませんでした。日本の大学生が、この話に心を動かされ、ドキュメンタリーを制作しました。


こういうことを知って日本人が何をするかを学ばねばなりません。朝鮮学校がなぜできたのか知ってほしいと思います。







クッスンさんが愛のキャンディの配達です^_^







最後の歌はカンさんの素晴らしいテノールの音頭で「勝利のその日まで」

















いつものように駐輪場に集まり朝高生たちに大きな拍手が送られました。























来週もあたたかければ有り難いですね。





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