ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

ふるさと(バイリンガル)

2020-03-23 21:33:39 | 詩・コラム
오늘은 이 부로그를 개설하여 3001일째를 맞이한 날입니다. 기념으로 조선학교무상화제외를 반대하여 난생처음 일본말로 지은 시를 게재하겠습니다. 이 시는 저의 원점이기도 합니다.

10年前、朝鮮学校無償化除外を反対して生まれて初めて日本語で詩を書きました。




 「 ふるさと 」  

            ニョニョ

生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった

60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると 
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す 

北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ

突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で 
私をこの世に生み出してくれたオモニ 
自分の歯でへその緒を切ってくれた母

6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々 
函館の海でいか裂きしながら 
私達を育ててくれたオモニ

零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた

青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた

生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って   
声張り上げた《ボロおまへんか》と
 
あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
出生地はいつの間にか京都市になっていた

家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校

初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生

麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった

ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと
    
ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて

同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり

疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日

それでも踏ん張れよと諭してくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ

私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ

決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!

     2010.7

*ウリハッキョ 私達の学校〔朝鮮学校〕
*ウリマル朝鮮語 *ハラボジ祖父 *オモニ母





 「 내 고향 」
             

나서 자란 곳이 고향이라고
그 누가 말했던가
내게 고향 따위는 없었다
내 고향이 없었다

60년이 지난 지금도
두 발목에 남은 고무줄 자국을 보면
나도 모르게 눈물이 난다
자상하시던 어머니가 생각난다

홋카이도(北海道)에 계시다는 아버지를 찾아
홀몸이 아닌 어머니는 언니와 둘째 오빠 손을 끌고
몇 번 또 몇 번을 열차를 갈아타셨다
봇짐 하나 머리에 이고서

돌연 쓰나미처럼 엄습해온 진통
아오모리(青森)의 작은 여관 이불 수납실에서
날 세상에 낳아주신 어머니
당신의 이로 탯줄을 끊어주신 어머니

여섯 달 후에 홋카이도로 넘어가
마구간에서 기거하던 날들
하코다테(函館) 바다에서 오징어를 손질하며
우리를 키워주신 어머니

영하 20도의 얼어붙을 것만 같던 갯바람
나를 업고 바닷가에서 일하신 어머니는
내 양말이 벗겨지지 않도록
고무줄을 단단히 감곤 하셨다

아오모리에서 홋카이도로
홋카이도에서 도쿄로
도쿄에서 어렵사리 교토(京都)로 돌아왔을 때
나는 다섯 살이 돼있었다

태어나서 처음으로 만나 뵌 할아버지
공습으로 한 쪽 다리를 잃으신 할아버지
할아버지의 손수레에 매일같이 몸을 싣고
큰 소리로 외쳤다 “넝마 없나요?”

이 골목 저 골목을 함께 누빈 나날
언제나 들려주신 고향 이야기
할아버지가 제출해주신 나의 출생신고
출생지는 교토시 시모교(下京)구로 돼있었다

가족 모두가 오사카로 이사한 후
훌륭한 조선사람이 되라며
부모님이 보내주신 우리학교
만원전차에 실려 통학한 학교

처음 다녔던 우리학교는
모가와(藻川) 옆의 작디작은 학교
체육시간엔 강가의 넓은 모래밭을 뒹굴고
미술시간엔 화창한 강변에서 언제나 스케치

보리밥과 김치뿐인 도시락
비 오는 날이면 여기저기 양동이가 늘어섰어도
다정한 선생님과 친구들에게 둘러싸여
조금도 싫지 않았다, 즐겁기만 했다

아, 야, 어, 여……
노래하듯 한글을 익히며
어린 마음에 결심을 했다
나중에 크면 고향의 아나운서가 돼야지, 하고

우리학교에서 공부한 나날들
사랑도 하고 싸움도 하고 고민도 해가면서
진로에 대해 이야기 나눈 그리운 날들
단 한 번도 없었다, 외로울 때라고는

동포를 위해 힘써보자는 마음으로 일을 선택하고
제주도에 사는 큰 오빠와 상봉할 날을 꿈꾸면서
집회와 시위에도 참가한 나날
꿈은 다가왔다가는 다시 멀어지고

지칠 줄 몰랐던 청춘 시절
쉬는 것도 잊고 지낸 중년 시절
돌연 악몽처럼 슬픔이 밀려왔던 날

그래도 버텨내야 한다고
꼭 껴안아준
그것이 우리학교
어머니처럼 포근했던 우리학교

태어난 곳조차 모르는 나에게
추억과 벗과 꿈과 용기를 주고
사랑하는 마음을 자라게 해준 우리학교

나에게도 조국이 있음을 깨우쳐준
우리학교는 흔들리지 않는 마음의 기둥
나의 고향은 우리학교

결코 누구도 빼앗지 못하리라
내가 다니고 자식들이 공부하고 손자들이 다니는
우리학교, 마음의 고향을!

   (2010.7)

 









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とても悔しく残念なお知らせです

2020-03-13 20:50:00 | お知らせ
とても悔しく残念なお知らせです。

「大変残念で苦渋の決断ですが火曜日行動を3月中はお休みすることにいたしました。4月から再開の予定ですが、大阪市が休校を3月21日まで延期したことを受け本当に悔しいですが中止といたしました。朝鮮学園と色々協議をし万一の問題が起きたときのリスクが、一番弱い当事者にかかることを考えて涙の決断をしました。どんな嵐の時も妨害にも負けず続けて来た火曜日行動を休むのは悔しくてなりませんが4月の再開を願いそれまでできることをしていきます。(無償化連絡会 大阪 長崎由美子さんからの連絡)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨年3月31日、東成にて「共に 春のウリノレ音楽会」が行われました。

2020-03-10 19:28:41 | 詩・コラム



随筆「ともに 春のウリノレ音楽会」を終えて/ニョニョ




(高らかに歌をうたう出演者たち)


私は「ともに」という言葉が大好きだ。それは私の70年の人生そのものが「ともに」の人生だったからかも知れない。

去る3月30日、大阪市の東成区民センター小ホールで催された「더불어 ともに 春のウリノレ音楽会」には、雨にもかかわらず立ち見が出るほど多数の観客が訪れた。

決して華やかなコンサートではない。しかしベテラン声楽家が4人も出演する上、フルート、ピアノ伴奏に至るまで音楽一筋の人生を送ってきた人々のコンサートである。

若い頃、朝鮮歌舞団や音楽教員として働いていた彼らは、今は、溶接工として工場で汗を流し、夜明け前からキムチ屋でキムチを漬け、介護施設で働きながら数十年間絶え間なくレッスンを続け、舞台に立ってきた人たちである。私は彼らを尊敬し心の底から応援したいと常々思っていた。

35年前の1985年から10年間、毎年行ってきた文芸同文学部と混声合唱団「セボム」のコラボコンサート「歌と詩朗読の夕べ」にも今回の出演者全員が参加した。

12年前の2007年3月31日には、東大阪市の夢広場で「ともに 40年」というコンサートを催し、再び同じメンバーが舞台に立った。

「ともに 40年」は、フルート演奏を続ける夫と、詩を書き続けてきた私が文芸活動を始めて40年という節目を迎えた時、仲間たちが企画してくれたコンサートだった。あの日の感動は今も鮮明に残っている。

私は初めから今回のコンサートに関わる予定ではなかったが、彼らが「春に音楽会を開こう」と何回か話し合っているのを傍で見ながら、何か手伝えることが無いかなぁと思ったのがきっかけだった。音楽会のテーマが気になり尋ねると崔大弦さんが「『ともに』が良いんじゃないかな」というので、同じことを考えていた私はとても嬉しくなった。

それは長年連れ添った仲間同士のコンサートでもあるが、この困難な時代だからこそ単なる音楽鑑賞会で終わるのではなく、コンサートに来てくださる方々も「ともに」元気になれるコンサートにしなければと思ったからだった。




(公演では7年間行われてきた「火曜日行動」に関する歌もうたわれた)

私は大阪で2012年4月から7年間行われてきた「火曜日行動」と連帯するコンサートにすることを提案した。それというのも出演者のひとりである金主休さんが作曲し文春一さんが録音してくれた火曜日行動の歌「君たちが大きくなったら」「この坂を上れば」の動画を作り2013年から毎週火曜日にFBで流し、火曜日行動終了時にみんなで歌っていたからだ。




(詩の朗読をする陶山喜代子さんは「火曜日行動」の仲間だ)

2018年から火曜日行動のたびに歌い続けている「勝利のその日まで」、また昨年からオモニ会の皆さんが毎週歌っている金曜日行動の歌「声よ集まれ 歌となれ」、これらの歌を歌うだけでもどんなに良いだろう、舞台と会場が一体となって共に歌うならば必ず力になれると思ったのだ。

私は7年間撮り続けた2万5千枚もの写真の中から、歌の内容に合う写真を100枚ほど選び、ドキュメンタリー映画「60万回のトライ」共同監督の朴敦史さんにスライドを作ってと依頼し、詩「ここに立つ」の朗読を火曜日仲間の陶山喜代子さんにお願いした。

ついに迎えた3月30日。「ともに 春のウリノレ音楽会」は大成功だった。






1部では昨年一気に高まった統一気運を反映して選曲された歌「青い柳」、「白頭と漢拏は我が祖国」、「臨津江」を女声二重唱,男声二重唱、4重唱で歌い上げ大きな感動を呼び起こした。



元福実さんは「サビスー白馬江」「鳥打令」を、




文春一さんは「ムンギョン峠」「千の風になって」を歌い、




金主休さんは「ハマナス」と「故郷の夜」をフルートで演奏した。



李明玉さんは尹伊桑の歌曲「月の暈」、「ブランコ」を、



そして崔大弦さんは、祖国解放前の歌「異郷暮らし」と、南の声楽家呉鉉明氏が楽譜をくれた「帰天」を朗々と歌い上げ、



17曲全てを金文淑さんがピアノの伴奏で支えた。



年輪を重ねた素晴らしい歌声はマイクが無くとも会場の隅々にまで響き渡り満員の観客を魅了した。このコンサートをハルモニ会とオモニ会の皆さんが後押ししてくれたことはいうまでもない。

奈良から駈け付けた森本さんは「音楽を楽しむことと、共に闘う想いが一つになって勇気と感動を戴きました」と熱い感想を寄せて下さった。

生涯「ともに」を大切にしたい!










(文芸同大阪顧問)



愛と闘いの歌声に勇気

音楽会の感想

「共に 春のウリノレ音楽会」に寄せられた感想のうちいくつかを紹介する。

◇素晴らしい音楽会でした。音楽を楽しむことと共に闘う思いが一つになって勇気と感動を戴きました。「一員であってよかった信頼と絆の仲間火曜日行動」(森本忠紀、70代)

◇素晴らしい音楽会に癒されました。普段仕事ばかりしていると聴くことのないウリノレ。その価値を改めて胸に刻んだ思いです。ピアノもフルートも良かった。心温まる司会も、最後の連帯も素晴らしかった。これからも是非続けてほしいです。(韓哲秀、50代)

◇コンサートはとても温かくて、歌もフルートもピアノも司会進行も良かった。みんなが日本という国に疲弊する前に補助金が再開され、朝鮮学校の子どもたちに「日本が大好き」と言って欲しいです。(大橋清美、40代)

◇春のウリノレ音楽会は、素晴らしい歌声と仲間の友情と絆を確かめる感動の集いでした。最後に火曜日行動の闘いのなかで生まれた歌がうたわれると、この7年の厳しい年月を手をとりあって歩んできた仲間の顔が浮かび涙がでました。またホンギルトン基金への寄付も心から感謝致します。(長崎由美子、60代)

◇オルシン方の歌声が圧巻でした! 「君たちが大きくなったら」の歌と共に映されたスライドに三男坊とオモニの写真が‼ 思わず涙が‼ オモニの意志を継いで最後まで闘います‼(宋寿賢、50代)

◇知らぬ間に時間が過ぎ去ったコンサートでした。ピアノの音色、フルートの音色、素晴らしい歌声…心の中に温かい光が差し込んできたような時間でした。(張順任、30代)

◇アットホームな雰囲気の中で春の訪れを感じられるコンサートでした。年輪を重ねた歌声と演奏がゆったりと会場を包み込むにつれて、朝鮮学校への深い愛情と、差別を許さない決然たる思いが共有される空間になっていきました。火曜行動の歌も一挙に聴け、7年に渡るこの長く困難な活動に改めて思いを馳せ、敬意を新たにしました。(藤永壮、50代)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年前の11月に岡山のウリハッキョを訪ねました。再掲いたします。

2020-03-10 18:03:22 | 日記




11月20日、朝8時に家を出て地下鉄、新幹線を乗り継ぎ岡山駅に着いたのは9時半でした。思ったより岡山は近かったです。

岡山駅には幼稚班の金先生が迎えに来てくださいました。




なんで岡山に行ったの?はい、そのことを話せば長くなりますが、定年退職する前、私にはささやかな夢がありました。

「退職して自由の身になったら一人芝居を作って全国の学校を回ろう、そして子どもたちに在日一世や2世がこの国でどういう風に生きてきたかを伝えよう」という夢でした。

私はそのことを親しい友人たちに公言していました。なぜかというと夢が夢で終わるのが嫌だったからです。人の前で言ったからには何としてでも実現せねばなりません。しかし退職前に慢性気管支炎を何度も患い何回も何回も咳が止まらなくなったり声が出なくなったりしてしまったのです。

お医者さまからは声を長年出し過ぎたので回復は難しい、声を出し続けなければ普通の生活には支障が無いだろうと言われました。

1人で長時間喋りつづけなければならない一人芝居はやっぱり無理かなぁと断念し、わびしい気持ちのまま退職の日を迎えたのでした。

ところが、2010年3月退職後すぐに「朝鮮学校無償化除外問題」が大きな社会問題としてクローズアップされたのです。(いったん中断します)



岡山駅前です。大きなビルが立ち並んでいました。

私は無償化問題が起きたとき日本の詩人の河津聖恵さんの呼びかけに応じて「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」を刊行するお手伝いをしました。そして79名の日朝詩人たちのコメントと詩が掲載されたこの本の朗読会を有志たちと組織し、アンソロジーを朗読するという方法で除外反対運動を行ったわけです。

広島のウリハッキョを皮切りに、東京第2初級、奈良学園、京都中高、東北初中高、北海道初中高、北陸初中等を回りながら訴え続けました。

私は学校を回るたびに詩の朗読をしたり、時には学生たちやオモニたちに詩の朗読や朝鮮の昔話の指導をする中で、一人芝居ではないけれど、私は自分の夢を一つ一つ叶えているような嬉しい気持ちになったのです。

そんな話を昨年京都で行われた「金斗鉉先生の李朝展」でお会いした岡山の金福寿先生に、なにかのきっかけでお話したのですが、その話を覚えて下さっていた金先生が、一年半が過ぎた先月、是非岡山にいらしてくださいとありがたくもオモニ会と共に、講演会を構想して下さったのです。それで私から、どうせ行くなら生徒たちと短時間でもウリマルのお勉強を一緒にさせてくださいとお願いしたわけです。




学校に到着しました。とても整理整頓された綺麗な学校です。統合される前は倉敷初中の校舎だったのですが、何年か前に岡山には幼稚班だけを残し、初中級はこちらに移転してきたそうです。











到着してすぐに始めの授業が始まりました。

始めの授業は初級部高学年の全員の皆さんと一緒に行いました。4年生の教材「他人にばかり頼っていた狸」という昔話の読み方のお勉強をさせていただきました。生徒たちはとてもノリノリでいろんな質問にも的確な返事をしてくれました。笑い過ぎのため何度も授業が中断されそうでした。

2時限目は中級部全員です。30名の生徒たちと1年生の詩の教材「友を愛せよ」という名詩の朗読の勉強をしました。



中級部は初級部のように笑うような内容ではないのですが、内容を正確に把握するための質問にも積極的に答え適度な声の大きさでどんどん上手になっていきました。日常的に国語の授業を楽しみ、どれだけ密度の高い授業が行われているのかを十分読み取れました。



その後すぐ支部事務所まで徒歩で移動し、子育て真っ最中のオンマたちの前で2時間近くお話させていただきました。

題名の通りですが僭越ながら私の体験談をお話させていただきながら、どんな困難があっても人間前向きに考え生きていれば、未来は開けること、子供の時から夢や希望を持つことが、大人になってどれほど大きな力をくれるかを体験に基づいてお話させていただきました。

又子育てに置いて褒めることの大切さをお話しました。、叱る時は大声やその時の感情で叱るのでは無く、一貫性が無ければならないこと、子どもを傷つけてはならないことなど、またウリハッキョのすばらしさを学校の中にいる私たち自身がちゃんと見つけようという話や、、なぜ日本学校の教師や韓国からの来校者がウリハッキョに来て「朝鮮学校こそまさに統一祖国のモデル校」だと言ったのかをお話しました。

今日集まって下さったオモニたちの中には、25年前のお正月公演の時に一緒に2か月間過ごした教え子が3児の母になって私の前に現れました。

又昔の若い同僚が2児の素敵なオンマになって喜んで迎えてくれました。

学校では朝高時代の先輩の書芸家であり書芸の講師である韓先生とも再会しました。大阪から岡山に赴任された呉委員長とも再会をしました。昔からよく存じ上げていた崔先生の子息がこちらの教員になっておられたし、初級部時代のうちの長女の担任先生だった林先生の娘さんがここで教員をされていました。なんだか嬉しくて嬉しくて本当に来て良かったと思いました。

又講演後迎えに来てくださった、昔の教員仲間まであり詩人仲間で在った金貞任先輩と1時間近く色々懐かしいお話をさせていただき元気を一杯いただいて帰路いつきました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月3日、10日の「火曜日行動」中止のお知らせです。

2020-03-01 22:31:00 | お出かけ
無償化連絡会大阪からのお知らせです。

「コロナウィルスの罹患者が大阪市内でも発生し感染予防のため火曜日行動の3日と10日を休止することとなりました。再開については情況を判断し延期の場合は無償化連絡会HPでもお知らせを致します。」

重複しても知人にお知らせください。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする