ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

4.24教育闘争70周年記念 火曜日集会とパレード

2018-04-24 19:46:26 | 火曜日





4.24教育闘争の日から70年が過ぎました、しかし朝鮮学校への差別と弾圧は
とどまることを知らず、日に日に陰険になって来ています。誰が考えても理不尽極まりない民族教育への弾圧は、全世界の良心の前で恥すら忘れたように執拗に続けられています。



正午前、既に多くの参加者たちが大阪城公園内 教育塔の前に三々五々集まり始めました、予報通り11時ごろから雨は本降りになってきましたが、、、







































































今日のれぽーたーは春母(ハルモニ)会の長老である横道昭子さんです。写真撮影はパレード含めほとんど松尾和子さんです。よろしくお願いいたします。


正午きっかり長崎由美子さんの司会で集会が始まりました。

☆長崎さん


私たちは今日、民族教育と朝鮮学校を守るために、ここに集まりました。


70年前、祖国解放を迎え、自分達の民族の誇りを取り戻すために始まった民族教育に対し、大弾圧がありました。
その時、金太一少年が警官の銃弾の犠牲になりました。


又、今日は、朝鮮学校差別に反対し「高校無償化制度」の即時適用と、大阪府・大阪市の「補助金」即時再開求め、府庁前で毎週火曜日に行っている火曜行動は、291回目になります。
もう6年が経過しました。


6年経っても、否70年経っても変わらない日本社会が、変わらなくてはならない時に来ています。
南北首脳会談が始まります。
東北アジアが大きく変わろうとしているのです。


今日の行動には、東大阪朝鮮中級学校と大阪朝鮮高級学校から生徒さんと先生が、オモニ会、アボジ会の保護者の方々、同胞の方々、日本人支援者の方々がたくさん集まってくださいました。

雨に負けず、雨を吹き飛ばす元気なパレードしましょう!






服部良一さんの姿も見えます。









アピールが始まりました。最初は弁護団を代表して任弁護士のアピールです。

☆任真赫弁護士

みなさん こんにちは。
私は若輩ものですが、今日は弁護団を代表してまいりました。


70年前、朝鮮学校閉鎖令という超法規的な弾圧がありました。
70年経った今も弾圧が続いていると思わざるを得ません。
その根底には、民族差別政策と同化政策があるのです。


大阪では4月27日に「無償化」裁判控訴審3回目弁論があります。
名古屋では「無償化」裁判の判決を迎えます。


70年前に果敢に闘われた一世、二世の先輩が今もって闘っておられる。
わたし達は負けるわけにはいきません。
力を結集して一丸となって闘いましょう!














この写真覚えていらっしゃるでしょう、そうです、昨年7月28日、無償化闘争勝訴の日勝利宣言の幕を泣きながら持っていたあの新人弁護士です。





アピール





オモニ会を代表して福島初級オモニ会長リ・ヨングムさんのアピールです。


☆李ヨングムさん(福島初級 オモニ会会長)

1948年4月24日から70年が経った今日という日に、ここ大阪府庁前に私自身が立つ意味をかみしめています。

4.24は祖国解放後、在日同胞の民族教育権利闘争史上、最大規模の事件の一つだったそうです。
私は、先日あった大阪府オモニ連絡会主催の4.24記念民族教育セミナーに参加してたくさんのことを学びました。

まさに4月24日は、民族教育を守る不屈の魂と、輝く伝統を受け継ぐ「永遠の勝利記念日」、ウリマルとウリハッキョを守るために決死の覚悟で闘った「闘争記念日」、「学校記念日」だということでした。

4・24教育闘争では犠牲者も多く、当時16歳だった金太一(キムテイル)少年の命も奪われました。
私のこどもが今16歳で、大切な息子を失った金太一少年のオモニのことを思うと胸が張り裂けそうになり、ウリハッキョは二度と奪われてはいけない大切な民族権利だということを深く刻みました。

今、日本政府と地方自治体がウリハッキョを奪おうと躍起になっています。
ご存じのように去る3月20日、大阪地裁は大阪府、大阪市補助金裁判控訴審において、行政の違法行為を黙認し子どもたちの学ぶ権利を認めず、不当な判決を言い渡しました。本当に怒りを禁じえません。

 大阪府、大阪市はいわゆる「四要件」を提示し、2011年度から今日まで朝鮮学校にだけ補助金を全面カットしました。これは明らかに民族教育の権利を否定する民族差別です。

 保護者であるオモニたちはこの間、昨年の不当判決を乗り越え歯を食いしばり闘ってきました。そして迎えた7月28日、無償化裁判で民族教育を権利として認め、国が朝鮮高級学校を「高校無償化」制度から排除することを違法とする画期的判決を勝ち取りました。
ウリハッキョは七十年もの間、在日の子どもたちに母国語をはじめ民族の歴史や文化を教え、民族的アイデンティティーを胸に、祖国と同胞社会に貢献するりっぱな人材を育てるため、誇り高く民族教育を実施してきました。

 
ウリハッキョは、過去の奪われた民族的尊厳を取り戻すために、一世の同胞たちが苦難を乗り越え創設し、二世・三世が発展させてきた命のように大切な場であり、こどもたちは朝鮮と日本の友好の懸け橋となる、私たちのかけがえのない大切な未来です。

わたしたちはこれからも、弁護団の先生方、多くの日本人の方々、韓国の支援者の方々とともに手を取り、このたびの不当判決にひるむことなく、子どもたちの平等な学習権、民族教育を守るため全力を注いでいきます。

1948年4月24日の阪神教育闘争から70年目の今日、私たちは脈々と受け継がれてきた4.24の精神をこれからも受け継ぎ、大阪府・大阪市の補助金支給再開と高校無償化が実現するその日まで、最後まで闘い抜きます。
  
(ヨングムさんから原稿をいただて転載させていただきました)






青年代表は黄さんです。


☆留学同 黄貴勲さん

70年前の4月26日、金太一少年は銃によって虐殺されました。
弾に当たったなどではなく、虐殺です。


あの弾圧はアメリカ軍(GHQ)が指示していました。
70年後も変わることなく弾圧している。


あの時、立ち上がり果敢に闘った人たちと、同じ覚悟もって闘えるか、わたし達は問われているのです。
人間の尊厳をかけて朝鮮学校を守り抜いた、輝かしい歴史に学び、わたし達も闘えるか問われているのです。


南北朝鮮に平和が訪れようとしている今、自分達がこの地で朝鮮学校を守っていけるか、そのことにかかっています。


大阪府知事や市長を話し合いの場に引き出して、話し合いに応じさせる。
そんな覚悟で闘いたい。
どんなことがあっても、朝鮮学校を共に守っていきたい。









続いてのアピールは高校生時代から火曜行動への参加を続けている申さん。


申リョンスルさんのアピール

70年前の今日、ここ大阪で16歳の少年が命を失いました。
彼は異国の地で民族を守るために叫び、闘いました。
70年が経った今、私は彼のように声を上げているのか、戦っているのか。
もう一度、民族教育権擁護闘争最大規模である4,24(サイサ)を私たち青年が中心となり繰り広げて行かなければいけません。

私は高校まで朝鮮学校で祖国を学び、民族を学びました。
自身が在日朝鮮人であることを知り、民族の歴史を自身の歴史として学びました。
朝鮮学校で民族的アイデンティティを養ったから、今の私がいます。
しかし、私が朝鮮学校に通っていた15年間、いや、70年前から今日まで民族教育権だけでなく、在日朝鮮人の権利は保証されていません。

昨年7月28日の大阪地裁での「無償化」判決は、司法に正義があることを示しました。
「無償化」制度の趣旨に反する政策は不当である。無償化は平等に学ぶことができるための法律で、排除は主旨に反すると裁判長おっしゃいました。真っ当なことです。朝鮮が植民地にされた歴史的経緯からすれば、民族団体が民族学校に関わるのは当然であり、自国の指導者について学ぶのは当然であるという判決です。

無償化裁判は大阪地裁で勝訴しましたが、国による差別はまだ解消されていません。

朝鮮学校では人間としての自尊心、誇りを持っていけるような教育がなされていますが、日本社会では守られるべきものが切り捨てられています。
朝鮮学校をいじめてもいい対象として、自分の鬱屈を向けようとするのは、社会のゆがみの現れです。

道を歩く日本の方々に問います。
そして、朝鮮学校を悪く言う同じ在日コリアンの方々にも問います。
1つでも朝鮮学校について知ろうとしましたか?
一歩でも朝鮮学校に歩み寄ろうとしましたか?
無知が差別を生み、無関心が差別を作ります。

朝鮮学校を知らない人が差別をし、権利を奪うのです。

みなさんにも、気づいて頂きたい。
朝鮮学校の置かれている問題が特別なものでなく、大人が奪ってはならない希望そして将来の夢、そして自分やどの国の人も持っている当たり前の、
子どもの権利条約にもある、子どもが学ぶ権利、
言葉や文化を誇りを持って学ぶ民族教育権、
これが奪われているということに気づいて頂きたい。

そして、「これは自分たちに関係のないこと」
この無関心の中で、
過去の歴史がなかったことにされていくことに、
そして今子どもたちの学ぶ権利が奪われようとしていることに、
まったく知られないまま、関心を持たないまま過ぎようとしていることに対して、
関心を持っていただきたい、そしてこれは日本社会の問題だということを知り、一緒に考えていただきたいです。
そして、一緒にこの社会を変えていきたい。

国や行政が守らなければならないのは、
誰にとっても公平であることです。
それが憲法を守るということです。

一日も早く、日本の子どもたち、朝鮮学校の子どもたちすべての子どもたちが同じ温かい愛情に包まれることを私は願っているし、そのために戦います。

70年前の今日、16歳の少年ははどのような信念を持って叫んだのか、どれだけ強い覚悟を持って闘ったのか。
彼の信念、覚悟を私たち青年が受け継ぎ、青年である私たちが中心となり、在日朝鮮人の権利のために、よりよい日本社会のために闘い続けます。
みなさん、共に闘いましょう。





服部良一さんのアピール

☆服部良一さん(元衆議院議員)

こんにちは。
社民党の服部です。国際問題を担当しております。

阪神教育闘争から70年目のふし目ということで、感慨をもって参加しております。
改めて、闘いの歴史に心から敬意を表したいと思います。

民族の言葉、歴史、文化を学ぶことは、至極当然の権利です。

日本の侵略、強制連行、植民地支配の過酷な歴史の中で、解放後もそのまま日本に残らざるを得なかった方々もたくさんおられます。
民族教育の保障は日本政府に責任と義務があるのです。

わたしは議員時代にオモニ会のみなさんと、何度も文科省へ申し入れ行動に行きました。
先日、多文化共生の集会で、前文部科学事務次官の前川喜平さんの講演を聞きました。
素晴らしい講演ではありましたが、現役の時にもっと頑張ってほしかったな、と思ってしまいました。

北朝鮮と総連を敵視し、政治と教育をごちゃ混ぜにして、民族教育の権利を奪うことを許してはなりません。

東北アジアの平和への動きを後戻りさせてはなりません。
そして一日も早く、日本は共和国と国交を回復しなくてはなりません。

この脈絡の中で、朝鮮学校の闘いも必ず勝ちます。
がんばりましょう!









アピールの最後は大村和子さん。

☆大村和子さん

2012年4月17日、第一回火曜行動から夫と共に二人三脚でやってきました。

それから6年たちました。むしろ弾圧は酷くなっています。

初めての火曜行動の時、初級1年生だった子ども達は、この春中級生になりました。

この春、夫は亡くなりましたが、夫はしっかり前を向いて、ウリマルも日本語も堂々と学ぶ、ハッキョの子ども達を、本当に心から愛していました。
機会ある度に、朝鮮学校の子ども達を差別するな、いじめるな!と言っていました。

朝鮮学校の様々な困難は、日本社会の在り方、日本人の在り方が問われているのだ。
民族教育権を守る闘いは日本人の問題である、といつも言っていました。

夫は亡くなりましたが、これからも心は二人三脚で一緒に闘っていきます。
みなさん、元気にがんばりましょう!




☆長崎さん

アピールをしてくださった皆さん、ありがとうございました。

大村和子さんありがとうございました。

大村淳さんも、私たちと一緒に歩いてくださっていると思います。


パレードのシュプレヒコール紹介。
〇 子ども達の笑顔を奪うな!
〇 民族教育を守ろう!
〇 行政は朝鮮学校を差別するな!
〇 最後まで諦めずに闘うぞ!


デモパレードが出発です。


70年前、警官隊が撃った20発の銃弾の一つが頭を貫通し、無残な死を遂げた16歳の夢多き少年ー金太一少年の遺影を胸にしっかり抱きしめた玄理事長始め無償化連絡会代表たちを先頭にパレードが始まりました。
































子供たちも参加しています。





















































































赤ちゃんを抱っこしてパレードに参加した素晴らしいオンマ❣️








出発地点で演奏しながら激励していた火曜バンドもパレードしながら演奏します。





























































府庁正面玄関前です。この近くで右翼の人たちがヘイトスピーチを繰り返し妨害しました。


























































朝鮮学校の一部の生徒たちです。













シュプレヒコールをしながら歩く梁さん。











いつも火曜行動を行なっている府庁南館の前を通ります。





















1時間、スピーカーを担いで行進してくださったのは、長崎さんです。












感謝してもしきれません。






通過しました。









パレードを全て撮影してくださったのは松尾和子さんです、本当にお疲れ様でした、松尾さんはこの後直ぐに辺野古に向かって機上の人となりました。










最後まで共に行動してくださった館山さん❣️本当にお疲れ様でした、歴史はきっと先生を記憶するはずです。

今日のパレードには600名近い方々が心を一つにし参加してくださいました。200回目のパレードの時の倍の方々です。お疲れさまでした。








ハルモニ会の皆さんと大阪城公園内を歩きながら帰路につきました。













雨も少し上がり公園内の木々はシャワーを浴びてとても美しかったです。

















70階段を下ります。





今朝の朝日新聞の朝刊です。記事を書いてくださった記者さんもお見えでした。ありがとうございます。

また新たなたたかいが始まります、4月27日には裁判がありますが、同時に祖国の板門店では歴史的な南北首脳会談が始まります。

今年の1月1日、新年の辞から始まった南北の雪解けはとどまることを知りません。春の花々のようにまた期待に胸膨らませましょう。

















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土曜日、藤の鑑賞とお見舞いと前川さんの講演と、、、

2018-04-21 19:42:19 | お出かけ
野田の藤が綺麗そうやでと夫が教えてくれたので通学班を送ったその足で玉川まで地下鉄で行き、マップ片手に散策しました。










中大阪の前の公園

















玉川到着




























































































記念撮影


















































川を跨げば身内の入院している病院があるのでお見舞いに行きました。

思ったより元気で一時間ずっと喋ってくれました。お喋りが何よりの薬だと思います。良かった。








1時間半病院にお邪魔して今度は肥後橋の近くの中之島フェスティバルブラザ店の妻家房で石焼ピビンバとチヂミ、チゲを二人で食べました。千切りキャベツサラダ食べ放題、カクテギ食べ放題のランチで980円に大満足しました。皆さんも梅田近辺にいらしたら一度寄ってみてね、本当に美味しかった。







食後夫と別れて私は一路住吉東に向かいました。前川喜平さんのお話を聞くためです。場所は高野山住吉東にある住吉住宅集会所でした、お向かいの人権会館には凄い!













会場は満席でした。

ソフトで優しい語り口に魅了されました、時々ジョークも混ぜながらチクリチクリと批判も入れ笑いを誘いながらもしっかり2時間「日本の現状と基礎教育保障の重要性」を語ってくださいました。詳細は書きません。








朝に読んだ記事です。

家に帰り少し横になった後お好み焼きを焼いて孫たちと食べました。今日はとても暑かったけど意義深い日でした。

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4月17日、290回目の「火曜行動」です。

2018-04-17 15:32:11 | 火曜日
今日は4月17日、今から満6年前の今日、この地での「火曜行動」が始まりました、290回目です。私は10回目からの参加なので280回目の火曜日です。

雨予報が出ていますが、なんとか持ちこたえました。









今日のレポーターは「春母(ハルモニ)会」の陶山さんです。






写真撮影は松尾さん!今日もよろしくお願いいたします^_^





横道さんのご主人が大きなプラカードを作って参加して下さいました。





横道さんが文字は私が書いたと仰っていました。お疲れ様でした、お二人の合作ですね^_^







長崎さんのアピール始まりました。

⁂長崎さん

 2012年4月17日から火曜日行動始めて6年、寒い日も暑い日も府庁の前に立って、訴え続けることになるとは当初思ってもいませんでした。大人が子どもの夢を奪わない。どの国に生まれようが子どもは差別されない。その当たり前のことを訴えているのだから、当然一日も早く解決されるはずだという思いでいました。

大阪府としての誇りを取り戻してほしい。大阪府の誇りというのは、日本で一番多くの在日韓国・朝鮮の人たちが暮らす自治体として全国に先駆けて共に暮らす住民として、非常に不十分ではあるけれども、民族教育の保障として朝鮮学校に補助金を支給してきたのです。


 2012年大阪府庁の前に立つ原因となったのが、橋下知事による朝鮮学校へのいわれのない4要件による差別、そして松井知事による4要件を守って学校としてすべて行政から求められたことに応じたにもかかわらず、さらに突然、子どもたちが毎年自分の祖国に行っていた迎春公演に参加した、この行事が朝鮮総連の主催行事ではないことを立証せよという。こうした中で補助金が打ち切られ今日に至っています。

 
 今国会では、連日のように安倍政権の行ってきた、いわゆる公のもっとも信用に値する公文書が偽造されてきた、うそで塗り固めてきたということが次々と明らかになってきました。安倍政権の中の体質である、上から押さえつける、声を聴かない、パワハラ、いわゆる女性に対するひどいセクハラが明らかになってきました。


 加計学園問題では秘書官が首相案件だということが愛媛県の職員のメモの中から明らかになり、これに対して松井知事は先日「首相案件と認めたらどうですか」とおっしゃいました。私たちも声を大にして言いたいです。「松井知事も森友学園を認可したことについて松井案件と認めたらどうですか」そして、そうでないとするなら大阪府議会がもとめている百条委員会に出てきてしっかり説明を果たす義務があります。

松井知事が当然認可できるはずのない森友学園を認可したその手で、朝鮮学校への補助金を打ち切ったからです。20年以上行政として信頼と対話の中で支給をしてきたそれを突然打ち切った。朝鮮学校に対してきちんとした根拠も子どもの人権から見てもあらゆる面で打ち切ることが許されないにも関わらず、打ち切った。


片方では森友学園当時どうだったでしょうか。子どもたちに教育勅語を学ばせる、そして運動会で「安倍首相がんばれ、戦争法案を成立させてくれてありがとう」こんなことを言わせていた森友学園。当時塚本幼稚園を、松井知事の属する大阪維新の会はこれを絶賛しておられました。維新の会の方々は次々に塚本幼稚園に行って、ここの教育を絶賛しておられました。

維新の後押しの中で森友学園の認可が、私学審査会の中でこれは問題がありますよ。付属する中学も高校もない、単立の小学校の認可は今までされていなかった、そして森友学園自身で土地・財産を持っていないから、運営資金がないから途中で学校がつぶれてしまう。行っている子どもたちの行き場がなくなる。私学審議会の中でも問題ありとされていたにも関わらず最終的に認可したのは松井知事です。

森友学園認可のコインの裏側が朝鮮学校への補助金の打ち切りです。これは安倍政権が日本の中でどういう教育をしていきたいのかがわかります。


 去年の7月28日に初めて朝鮮学校の裁判で勝利をしました。裁判官が判決の中ではっきりと出したことが教育基本法のことでした。日本の過去の戦争の反省、教育が権力の思うままに教育に介入し、戦争を遂行させるようにした反省から、いわゆる行政が教育に口出しをすることは認められないということでした。


今、森友学園が認可されたことを見ても、国にとって都合のいい歴史を教え、国にとって都合のいい子どもたちを教育する学校はどんどん認可する。だけど朝鮮学校はつぶされるのか。それは日本が過去、朝鮮半島を支配した歴史を踏まえたうえで、日本の中でしっかりと自分のアイデンテイテイーを持った子供を育てている、だからこそ朝鮮学校があることが日本の都合のいい歴史を作っていく上では邪魔になる、だからこそ朝鮮学校に対してここまで弾圧をしつぶそうとしているのだと思います。


先日4月14日、大阪でも靱公園に2000人が集まり安倍退陣を求める集会でも、朝鮮学校への弾圧、ヘイトを助長することに対する声もあげられました。大阪府にもう一度大阪府としての誇りを取り戻してもらいたいと思います。


 今、大阪万博誘致に躍起になっています。万博の趣旨、オリンピックの趣旨をもう一度考えてください。すべての国が集まり、お互いの文化を尊重しお互いの良さを認め合うことです。


今大阪城にもたくさんの観光客が来ています。先日も韓国からの観光客が話しかけてきました。こういった状態が日本の中にあるということに驚き残念だと言っておられました。ひいおじいちゃんひいおばあちゃんの時代から大阪に暮らしている朝鮮半島にルーツを持つ子どもたちが、日本の中で親は税金を払いながら、この大阪府は子どもたちへの還元を一切受けずに子どもたちが学ぶ権利も認めずに、これをアジアの方が見たときに万博を開く趣旨から遠く離れていると思います。


松井知事がやったヘイトスピーチも私たちは忘れていません。赤ちゃんを抱いたオモニが松井知事に対して「この子に民族教育を受ける権利があるんですか?」と問うたのに対して松井知事が「ない」といったことを私たちは忘れません。


 いよいよ来週になりました。4月24日、阪神教育闘争。これは70年前にGHQによって朝鮮学校閉鎖令が出された。この中で在日同胞の人たちが二度と自分たちの学ぶ場を奪わせることはできないと集まり、この府庁前を埋め尽くしました。そこに警察隊が出動し16歳のキムテイル少年が銃弾を受け亡くなりました。


来週4月24日、第291回目の火曜日行動になります。教育塔の前に集まって、70年前自分たちの学校をつぶすなと集まった時から、70年もたって、私たちが290回も大阪府庁の前に立たなければならない。未だに日本の中で過去の植民地への真摯な反省がされない、大人が子どもの夢を奪わない、どの国に生まれようが子どもは次世代を育てる宝として大切にされる、そんな当たり前のことが通らない。朝鮮人の子どもなら差別してもいい、こんなことがもう6年も続いている。国会で上からの命令ならどんなひどいことでもしていく、それに対して感覚がマヒしてくる。


 この4月に朝鮮学校も入学式を迎えました。自分が在日朝鮮人である、これを当たり前に認めて生き生きと生きる。補助金が打ち切られて6年。働いている先生たちの待遇、補助金打ち切りがどれほどの負担になってきたのか。もっと先生を続けていきたい、もっと子どもたちと一緒に居たい、そう思っても学校の運営が本当に過酷になっている。先生方の生活を支えることができない。思いがある中でやむなく離職せざるを得ない先生方も生まれています。

大好きな先生が辞めざるを得ない。それを思う子どもたちの気持ちを考えてください。子どもたちが自分はありのままでいいんだな、日本社会の中で堂々と生きていっていいんだな、そう思う心に傷を負わない、心に光を持った子供たちが日本社会の中で育っていくことが私たち日本社会を豊かにしていくことです。


ぜひビラを受け取って、自分のお子さんお孫さん、知り合いの子どもたちの顔を思い浮かべてください。子どもたちがどんな思いで学校に通っているのか、そこで働いている先生たちの思いに心をかぶせてください。





スカッと爽やか、朴卓さん、遠く奈良から一番乗りで駆けつけて下さいました。





火曜バンド元気に出発です。








平石さん、連続して参加されました。古賀さんと良いコンビです^_^




プラカード重いので若者(?)にバトンタッチです^_^




















宋裕子さん、黙々とビラを配っておられます。





イケメン三銃士健在です❣️





素敵なコンビです。





熟女美女軍団です^_^





森本さんが一週しながら皆さんにご挨拶、途中からかソウルに出発するためです、明日ソウルでの「水曜デモ」に参加されるそうです^_^




平石さんアピールです。

*平石さん

 50年近く組合活動をしています。いろいろ非正規の労働者の相談を受けますが、シングルマザーの方の話では、年収180万円で子どもを二人育てているとか、この10年ぐらいで大きく様変わりしてきました。貧困が増えています。公務員にまで貧困が広がっています。臨時雇用です。新自由主義と規制緩和によって貧困を増やしてきたのです。

たった1%の人間が社会の富を持って行っている。日常働いてできる富は一緒です。1億総中流と言われていた時代は、同様に分配があってもう少し豊かでした。それを1%の人間がとっていっているのです。そのために泣いているのが今の貧困労働者層です。小泉と安倍がこういう政治を作りました。

安倍は断末魔にあえいでいます。安倍は調子に乗って自分の任期を9年にしましたがもう終わりです。9月の総裁選ではおそらく選ばれないでしょう。かれの傲慢さがこのような事態を招いたのです。


傲慢といえばもう一つ、大阪維新です。橋下が出て大阪をむちゃくちゃにしました。大阪府の職員からも話を聞く機会が何度もありました。彼らは口には出しませんが、大阪府に橋下が来た時に「あんなやついらん」と言っていた人がたくさんいました。今まじめに働いている職員の中にはこのような方が多いと思います。

その橋下が朝鮮学校への補助金を停止し、くやしいことに全国に広がりました。もう少し人権に対する配慮ができないのでしょうか。松井知事も橋下と同じく、補助金停止を続け、そして朝鮮人や自分の気に入らない人にさんざんの抑圧を行っています。そこで浮いた金をどうするのでしょう。万博を作ったり浪速を作ったり、要するに大企業を儲けに供しようとしているのです。このような政治はまっぴらごめんです。

私たちは自らの力で自らの運命を切り開く、ともに戦う人と連携をしながら自分たちの権利を主張していく。民主主義が破壊される世の中で私たち自身が少数であろうが当然の権利を主張して頑張らなければいけないと思っています。


一緒に見られているのです。松井知事大阪府庁の皆さん、人に対する優しさがあるなら直ちに補助金の停止を打ち切り、もう一度共に生きる施策に戻っていただきたいと思います。大阪維新の皆さん。人の権利を大事にしてまっとうな政治をしていただくようにお願いしたいと思います。
















孫さん、今日も頑張っておられましたが、ビラを受け取らず無視までされて怒りが爆発してしまったようです。









いつも指定席ですね。駐輪所前のスペース






























⁂南大阪の劉先生のアピールです。

朝鮮学校の教員でもあり、保護者でもあります。ここで何回かこの場で話をしました。そのたびに自分自身を見つめる場でもあります。大阪で生まれて大阪で育った在日三世であります。言葉は大阪弁が一番得意です。東京弁はしゃべれません。学校で習った朝鮮語を少々しゃべれます。大阪の血が流れていると思っています。

大阪で生まれ育って半世紀が過ぎました。大阪が好きです。東京より好きです。前も言いましたが、大阪が少し変わってきたなと、東京へはようついていかん大阪が、なんか知らんけど東京について行っとると。誰の顔見てるのか?ということを感じる今日この頃です。

大きな組織には大きな組織の論理があると思いますが、今まで日本が戦争が終わった後に培ってきた民主主義とは何なのかということを、この頃私は日本人ではないけど考えることがあります。選挙で1票投げて自分が支持した人が当選したらそれでいいのか、負けたらそれでアカンのか、そういう問題だけではないのではないかと、

議員さんがすることはあるとは思いますが、大阪府民として、大阪市民としてやるべきことをして、小さい声ではありますが声をあげながら、在日ではありますがやっていかなければならない。そのためには日本の方々とこの声が届いている日本の方々と手を携えていかなくてはいけないと思っています。

いろいろな問題はありますが、朝鮮学校に子どもを送っている保護者としましては、やっぱり今一番大変なのは、少子化の問題もありますが、財政難というのが直近の問題というか、大きな問題としてのしかかっています。先生を続けたくても続けられない、そういう状態が長引いています。人並みにもらえないような状態が続く中で、各々、各家庭を持ち、各家庭の事情があるのですがやむなく去っていく先輩や後輩を見ると、非常に胸が痛いです。けどいろいろ支えてくださる方々がいてるからこそ私もがんばりますし、去っていった先生方もまた第2線、第3線で頑張ると言っていました。

今子どもたちは一生懸命勉強しています。スポーツ・文化にも励んでいます。それは親御さんたちの力や支えてくださる日本の方々がいてるからこそ、学校の中では何も悩まずに生きています。けど小さい10歳に満たない子どもが「また北朝鮮や」とテレビではそればっかり放送するので「また北朝鮮なのか」というのを、小学校の子どもたちも反射的にきています。

この報道がおかしくないのかどうかというのが普通の大人であればわかると思います。けど南北が和解して、朝米が初めての歴史的な会談をする前にしてから、変な特集が始まったりしてるのはなぜなのかというのを深く考えなくてもわかってしまう、そういう日本の社会がどうなのかというのを、黙っていては変わらないと思いますので、大阪府庁で働くみなさん、良心をたくさん持っておられると思います。小さな声をあげて小さな力を団結してから、大きな力に向かっていけるように頑張ってください。






⁂エミさんのアピールです。

 保護者の一人です。今日の夜にセミナーがあります。講師は人権問題について活動している方で、在日三世の人です。国連ジュネーブにも何回も飛んで行って、朝鮮学校への無償化問題のことを訴えているそうです。

私の友達も何人かは保護者を代表して、オモニ会の代表としてジュネーブに行きました。座り込みをしたり千羽鶴を折ってみんなの心を届けようとしていました。一人のアピール時間が10分ではたりないとアピールをしていたら、ほかの国のアピールをする方が自分の時間をあげるよということで10分を越えて、日本が在日朝鮮人・韓国人にしている差別のことを訴えてきています。

今日の講師のこの方を含め何回も訴えているので、日本政府は国連から何回も勧告を受けています。にもかかわらず、それを無視して拉致問題などばかりをあげて、自分たちの植民地支配を顧みない、そういう状況のもと、朝鮮学校をなくそうというその一つが、この補助金・無償化対象ではないということですね。このことをもっともっとたくさんの方に知っていただきたい。

今保護者がどういう気持ちでこどもたちを学校に送っているのか、なぜ私たちだけが差別されなければならないのか、インターナショナルスクールに通う子や中華学校に通う子と、どういう違いがあるのか、そのことを本当に知っていただきたい。そういう思いで今日は夜、東成区民センターで人権について学んでいきたいと思います。皆さんも学んでください。







リョンスルさんも久々のアピールです。

⁂若者申さん


 今年母校である和歌山朝鮮初中級学校が創立60周年を迎えます。先日母校の入学式に行ってきました。全校生徒、園児含めて39人になりました。私が小学5年生の時に50周年でしたがその時35人でした。10年経って4人も増えました。うれしいことです。

しかし現実を見てみると9つのクラスがある中、先生方は校長先生・講師の先生含めて8人しかいません。4つのクラスが合同で授業を受けます。そして1年生と3年生が一人の担任の先生が受け持っています。そう考えたときに補助金を出さない、高校無償化を適用していないという差別は、民族を子どもたちに教えてあげようとしている先生たちの命を奪っていると私は思います。

子どもたちだけの差別ではないと思っています。火曜行動で一人ひとりと向き合って意識を変えていく、日本の方々一人一人の良心を問うという活動は大切なことだと思いました。これからも参加します。

皆さん、一度自身の良心に問いかけてみてください。この問題を他人の問題として考えないでください。苦しんでいる子どもたち、先生たちそして保護者の皆さん、そして在日朝鮮人の私も含めて皆さんがいます。一度自分に問いかけてみてください。これからもご支援ご協力よろしくお願いします。






奈良から一番に駆けつけて来てくれた朴卓さんのアピールです。

⁂奈良のアボジ


 4月なので新入職員の方もたくさん働いておられると思います。先日奈良の朝鮮学校の幼稚班に息子が入園しました。たった一人の入園式に、本当に多くの方が参加してくださり親としてはほんとにうれしく思います。

息子本人も毎日楽しく通っており、今日は私が初めてお弁当も作ってみました。そんな毎日が私自身も楽しくてしかたありません。


そんな朝鮮学校に通わせてよかったと思っている私ですが、二つ返事で通わせますと言ったものの、通わせるのには葛藤や悩みもありました。その悩みや葛藤の根源が、ほかならぬ差別というものにあります。私は差別というものは不当に区別をすることだと思っているのですがその先陣を切っているのは誰でしょうか?ほかならぬ行政なのではないでしょうか。

もちろんそれを支えているのは多くの一般市民であるのは事実なのですが、そこを冷静に公正に業務を遂行するのが行政の責務だと思います。そういう意味で補助金の停止というのは差別を助長するものでありますし、一刻も早い補助金の復活を求めるとともに、今まで以上の補助金を求めます。今まで出ていた補助金ですら、法的見地から見ても差別という見地から見ても妥当だと思っていません。だから即刻補助金の復活のみならず、今まで以上、増額されることを強く望みます。



(卓さんのFBで朝見つけた卓さん手作りのお子さん用のお弁当、ご夫婦で当番制で作っておられるそうな、ほほえましい)






(ちなみにこの写真は昨年の物です、赤ちゃんを抱っこしての参加はみなさんに大きな感動を与えました。男女同権を身を持ってしめしてくれています。素晴らしい❣️)





長崎さんがまとめてくださっています。

⁂長崎さん

 ちなみに朝鮮学校への補助金打ち切られたとき年間一人69800円、約7万円

うちの息子が日本の公立学校で受け続けた税金の額は年間100万円でした。

決して十分な補助金ではありません。

最後に歌を歌って終わります。







最後の歌は姜さんの音頭で「勝利のその日まで」❣️











いつものように駐輪所の前で申し送りです。






私もタルオルムの公演の宣伝をさせていただきました。






来週はいよいよ4.24 70周年記念の火曜行動とパレードです、集合場所は教育塔前(NHK前の信号を渡った所)です。お間違えのないようによろしくお願いいたしますね、沢山の方々の参加をおまちしております。^_^



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朝鮮舞踊家 姜輝鮮先生の追悼式及び追悼公演

2018-04-15 21:58:40 | 日記
姜輝鮮先生の追悼式と追悼公演を行ってから早 2週間が過ぎ去りました。4月5日の新報電子版に掲載されました随筆を掲載させていただきますね。







入口のお迎えの花です。





会場のお迎えの花です。


 「朝鮮舞踊に生涯を捧げた姜輝鮮先生を偲んで」

                               ニョニョ
                           

 去る3月31日午後6時より大阪阿倍野区民センター大ホールにて、朝鮮舞踊家 姜輝鮮先生の追悼式及び追悼公演が行われた。

 昨年の1月11日、余りにも突然に旅立たれた姜先生を偲んで教え子や「舞踊団ナルセ」の皆さんが準備した催しには300名近い方々が列席してくださった。

 1部追悼式では、黙祷の後、略歴が紹介され、三人の研究生が心のこもった作文を朗読した。申侑知(東中)の「永遠の私の先生」、金紗祐(東中)の「電車ごっこ」、河侑奈(京都中高)の「人生の師匠」。どの作文にも先生の厳しくも慈愛に満ちた人となりが綴られ「…先生は朝鮮人としての誇り、舞踊に対する愛、生きていく上での大切なことを教えて下さった…」と涙をこらえ朗読した。

 生涯、家庭を持たず、家庭的にも恵まれなかった先生にとって、教え子たちは実の子であり実の孫であった。通夜、告別式,49日法要、樹木葬も全て「舞踊団ナルセ」、教え子たち、保護者が心一つにして執り行った。

 49日法要の日、統国寺の崔スニムがおっしゃったように教え子たちの力でこんな大きな事を全て立派にやり遂げると言う事は並大抵のことではないと思う。

 ウリハッキョの在校生はもとより、日本の学校に通いながら研究所に長年通っていた研究生たちにとって先生との出会いは人生の転機そのものであったようだ。こんなに温かい心を持った教え子たちに囲まれた先生の人生は決して寂しいものではなかったと確信している。

 2歳の時から30数年研究所に通い続けたある方は、34回行われた研究所の発表会に抜けたのは1回だけだったそうだ。

 民族教育を受けることは出来なかったけど先生の研究所に通う事が自分にとってのウリハッキョだったと回想する。

 今回の追悼式と追悼公演を企画したのは先生が自ら作られた舞踊団ナルセの皆さんだが、映像、パンフレット、字幕づくり等すべてを担当したばかりか、案内状の発送、追悼式の式順、演目も考え、3か月間、毎週日曜日には出演者たちの技術指導も受け持ち精力的に動いてきた。






1.朝鮮人形 春香伝

















2、セナップとサンモ

























3、ムダンチュム(巫女の舞)



















4、映像と詩の朗読 「あなたのアリラン」



그대의 《아리랑》

ニョニョ


태여나 처음 아버지가 마련해주신
분홍색 저고리가 너무 좋아서
무대가 좁아라 빙빙 돌던 그날부터
예순해를 쌓아올린 그대의 무용인생

《다음 발표회에선 반드시
<나의 아리랑>을 춤추겠어요┅》

마지막 약속을 지키지 못한채
우리곁을 갑자기 떠나간 그대
영상으로만 보는 그대의 《아리랑》

새하얀 치마저고리에 흰 천 날리며
민족수난의 력사와 더불어
자신이 걸어온 삶의 자욱자욱을
《아리랑》에 담아 춤추던 그대

다리가 뜻대로 움직이지 않다고
우아하게 못춘다고 쓴웃음 지었건만
그대의 《아리랑》엔 깃들어있어라
하나되길 바라는 절절한 소원이

오끼나와의 파아란 바다가에서
일본학교 강당이며 무대에서
아메리카며 연변의 해외동포앞에서
꿈결에도 그리던 고향 제주도에서

그대가 춤춘 《아리랑》은
백의민족의 기상을 보여주고
우리 민족이 하나가 되여야 함을
말없이 우리에게 깨우쳐주었어라

“춤추자,나래펴라 하나될 그날까지”
한평생 내건 그대의 구호는
제자들의 가슴에 고이 이어졌거니
환희의 날 맞이하고야 말 그대의 웨침

┅어디에 있느냐 아리랑고개
우리 마음속에 있는 희망의 고개
통일의 고개를 넘어갑니다
그대의 《아리랑》과 영원히 함께


あなたの《アリラン》


             ニョニョ


初めてアボジが買ってくれた
ピンクのチョゴリが余りにも嬉しくて
舞台狭しと跳びはねたその日から
60年もの間積み上げたあなたの舞踊人生

《次の発表会では必ず
 <私のアリラン>を踊るわ┅》

最後の約束も果たせないまま
突然去ってしまったあなた
映像だけで見るあなたの《アリラン》

真っ白なチマチョゴリに真っ白なショール           
民族受難の歴史と
共に歩んできた人生の足跡を
《アリラン》に込めて舞っていたあなた

足腰が弱くなったと
優雅に踊れないと苦笑いしていたけど
あなたの《アリラン》には宿っていた
ひとつになることを願った切なる想いが

沖縄の真っ青な海辺で
日本学校の講堂や舞台で
米州や延辺の海外同胞の前で
夢にも焦がれていた故郷―済州島で

あなたが踊った《アリラン》は
白衣民族の気概を示し
わが民族はひとつであらねばと   
ただ黙って私たちを諭してくれた

“舞う、舞いあがれ ひとつになるまで”
生涯をかけたあなたのメッセージは
教え子たちにそのまま引き継がれ
歓喜の日を迎えんとする心の叫びがこだまする

┅どこにあるの アリラン峠
私たちの心の中にある希望の峠
統一への峠を越えていきます 
あなたの《アリラン》と永久に








5.群舞 「兄弟星」

 今回の演目の最後を飾ったのは、祖国統一への想いを大空に輝くお星さまに託して姜先生が創作された群舞「兄弟星」だった。私は演目の紹介を終え舞台の袖から彼女たちの踊る姿を見ながら、込み上げるものを押し殺すことができなかった。

 群舞「兄弟星」は今まで何回も披露された作品だが、今回の衣装は真っさらだった。葬儀の後、先生の荷物を整理していたとき、衣装箱にきれいに収められていた20着もの新しい衣装を発見した舞踊団の皆さんは驚きを隠せなかったそうだ。先生が次の35回目の公演の構想と準備をすでにしていたとは…

 群舞「兄弟星」は先生が新たに作って下さった衣装と共に、祖国統一を願い続けた先生の意志を継いでいかんとする研究生たちの決意の表明になった。

















































最後のご挨拶
(最後になった34回目の発表会での姜先生)










先生の写真の前で


 追悼式に来られた陶山喜代子さんは「先生の踊りの中に込められた”舞う、舞いあがれ!ひとつになるまで“の想いを映像の中に、舞の中に沢山感じました。きっと先生の想いは生徒さんに引き継がれ、絶えることなく実現されていくことでしょう…素敵な追悼公演でした」と感想を寄せてくださった。

 秦勝元さんは「…統一、民族の祈願のため自分ができること、やるべきことを姜輝鮮先生は生涯をかけてなさったんだと感銘を受けました。今一つは、受け継ぐ、受け継がれることの大切さも感じました…」と語られた。

 15才の時、大阪朝高の舞踊部員として先生に出会ってから半世紀余り、先生をある時は近くで、ある時は遠くで見続けてきた私だが、先生亡き後、先生の素晴らしさを再認識したように思う。

 朝鮮舞踊を通じて祖国の統一に寄与しようと、唯一その想いで半世紀を駆け抜けてきた舞踊家!思想や所属団体の違いを乗り越え、誰にでも手を差し伸べ、ウリハッキョに通えなかった生徒たちの胸にも舞踊を通じて民族の誇りや自負心を育てて来られた先生!最後になってしまった34回目の発表会の準備期間、日に日に痩せていく先生に食欲が戻ってくれることを願ってピクルスを作って持っていったら「美味しい、美味しい」を連発された先生、研究所に行くたび「ピクルスある?」と恥ずかしそうに聞かれた童女の様な先生…

 今まで影マイクに徹してきた私だが、今回だけは民族衣装を着て司会進行をし、先生の在りし日の映像に合わせ、舞台下手で自作詩を朗読した。

 ”舞う、舞いあがれ!ひとつになるまで“

 私の脳裏に焼き付いたこのスローガンを、舞踊団ナルセの皆さんと共に生涯掲げていこうと思う。





舞台監督もご一緒に(写真提供は主に秦勝元さん)











4月16日の朝鮮新報5面に掲載されました。コマッスムニダ❣️
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2018年4月14日、造幣局の桜の通り抜け

2018-04-14 13:59:30 | 花たち
どんより曇った土曜日、夜から明日にかけ雨が降ると言うのでお昼休みの間に造幣局の桜の通り抜け🌸にいって来ました。毎年行ってます^_^







大阪城公園入口から






















桃園の横を通って







大坂橋渡って











入口到着











閑山(八重桜の一種)が多い
























































空が青ければもっと桜が映えるのに残念





記念に一枚撮っていただいた、旦那様に












今年の花だそうだがほとんど散っていた涙





























楊貴妃だって































































てんこうのせいか、昨年より地味だったような気がする
























京橋駅近くまで歩いてテレビでお馴染みの「マグロ一徹」でマグロ丼食べて家にかえりました。朝から12.000歩歩きました。




家のちかくです^_^



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