ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

8月30日、209回目の「火曜行動」です。

2016-08-30 18:52:39 | 火曜日




昨日までの大雨が嘘の様な大阪の空です。空はいつも地上のことを見ています。70階段を上りながら、この階段も空の下にあると思いながら、一段一段上りました。





10分前に府庁前に到着しました。


大阪朝高も27日に2学期が始まりました。東京に帰っていない朝大生たちが、今日も大勢来てくれました。




今日のレポーターは「ハルモニ会」の木村さんです。よろしくお願いいたします。





長崎さんの弾む様な明るいアピールから火曜行動始まりました。暑くはないけど風がとてもきついです。帽子がとんでいきます。

☆長崎さんの始まりのアピール

 「大阪府庁前でビラをまき続けてきた4年間でビラを受け取るようになってくれた人もいますが、一方で無視をして受け取ろうとしない人もいます。そんな人はかたくなに無視することで自分の心を守ろうとしているのでしょうか。
 私が一番怒りを感じるのは、子どもたちがこの行動に参加して差別している人に向かって「お願いします」と頭を下げているのに、それを無視したり、時には心ない言葉を投げつけたりする人がいることです。

 この夏休みには朝鮮高校や朝鮮大学など多くの学生・若者がアピールしてくれました。その中には沖縄を訪れた学生もいました。辺野古や高江に対する暴力と朝鮮学校への差別とは根がつながっています。

 先日はリバティおおさかの裁判支援集会に参加してきました。その弁護団長丹羽弁護士が、差別の問題は自分自身の魂が殺されていくことであり、人間性を取り戻すために立ち上がることで人権を気付き挙げてきたのだと強調されました。
 障害者排除の社会もまた、朝鮮学校への差別と共通しています。
「気の毒だけど仕方がない」と見て見ぬふりをする、そんな態度が差別を助長し、やがては、ナチスのような虐殺につながっていくのではないでしょうか。

 もうじき秋の運動会やバザールが始まります。まずは知ること、出会うことです。それを通じて感じてほしいと思います。

 お互いの違いを認めあい、最後まで諦めない、分断を許さず、広がる豊かさを私は火曜行動に学んできました。」(レポート木村)







「火曜バンド」は三人からです。





本家イケメン三銃士健在です。









生野初の先生方が大勢来てくれています。




大阪第4の金里奈先生等も来ています。





高江にも行ってくれた朝大生が、又来てくれました。

































仲間たちの笑顔に救われます。





菊江さん、ひまわりの様な方です。作りたてのゼッケン持って立ってくれました。



























梁オモニムもお元気です。





金さんがマイクを持たれました。

☆金オモニのアピール

 「私は日本の小中学校に通い、たくさんの日本の友人ができました。日本に生まれ育ってよかったと思う一方で、朝鮮人差別もたくさん経験しました。そこで私は自分の3人の子どもが朝鮮人として当たり前に生きられるように、みな朝鮮学校に通わせました。

現在一番上の男の子は朝高を卒業した後、公立大学で医学を学んでいます。次の女の子は朝鮮大学に行き、末の女の子は朝高で舞踊を学んでいます。朝鮮学校に行かせてよかったとは思っていますが、経済的にはたいへんです。


 大阪は今まで私たちのことを認めて仲良くしてきたではありませんか。それがどうして政治的な理由で妨げられるのでしょう。


 100回目の火曜行動を迎えた時、早くこの闘いを終えたいと涙しました。200回を越えてもやはり同じ思いで訴えなければなりません。経済的に窮地に陥っているこんな闘いはまっぴらです。日本のためにも、私たちの民族のためにも闘い続けましょう。」(レポート木村)







今日は平田さんも「火曜バンド」です。









柴田さんもアピールします。

☆日本の若者のアピール

 「ぼくの兄は大学時代に嫌韓本やネットに基づいて在日について差別的な論文を書きました。そういう人にどうやって語りかけたらいいのでしょうか。政治的な話をしてもかみ合わないのです。


 先日尼崎マダンで初めてマッコリを飲みました。おいしかったです。こんど田舎に帰ったらマッコリを土産に、阪神が好きな兄に、野球やスポーツ界では在日がたくさん活躍しているといった切り口で話たらいいのかなとも思っています。


 民族的マイノリティが生きやすい社会は誰にとっても生きやすい社会になるはずです。関東大震災の時のようなデマによる虐殺を絶対に許さない社会に少しずつ変えて行けたらと思っています。」(レポート木村)










お!イケメンが、、、




朝大生のアピールです。

☆朝大1回生


 「火曜日行動200回は記念すべき日ではないとツイッターにありましたが、本当にそうだと思います。

大阪での火曜行動、東京での金曜行動に参加するたびにいつも胸が痛くなります。


大人たちは自分のせいで子どもたちに差別があると考え、私たちは自分のせいで後輩たちに差別があると、そして後輩たちもまた次の世代に対して申し訳ないという気持ちを持つのでしょう。そういう繰り返しが嫌です!


 これからも東京で勉強し力をつけたいと思います。日本政府が弾圧すればするほど闘いの輪は広がります。勝利をつかむまで共にがんばりましょう
」〈レポート木村)





生野初の玄先生のアピール

☆朝鮮学校の教師

 「5,6年生の子どもたちに対して、元々子どもたちの生活にはなかった「裁判」や「補助金」について語るたびに苦しくなります。

その一方でしっかり伝えなくてはならないとも思います。共にがんばりましょう。」(レポート木村)







歌舞団の舞い姫も!


 「私たちが朝鮮の歌や踊りができるのは朝鮮学校で学んだおかげです。朝鮮学校は絶対にあるべき存在です。」(レポート木村)




アピールが続いています。朝大生

☆朝大1回生

 「ツイッターで「今の日本では朝鮮学校への悪口を言うだけで教師になれる」という発現を見ました。

東京都知事選を見てもそうだと思います。朝鮮人いじめの不当な差別があります。

自分の学校がつぶれるかもしれないという環境の中で誰が楽しく勉強できるでしょうか。勝利は我々の手にあると信じてがんばっていきます。」(レポート木村)




☆朝大1回生

 「無念に卒業した人の思いが火曜行動と金曜行動につながっています。そこには日本政府に対する怒りがあふれています。

朝鮮学校の問題だけでなく、日本の中で人が人らしくいきられない多くの問題がつながっています。

ウリハッキョを建てた先輩たち、トンポたち、日本の方々に対してできること、それは全ての人としての自由、人の命の大切さ、教育の大切さをここで訴えることだと思います。」〈レポート木村)






 ☆東大阪市の金さんがマイクを持たれました。

 「東大阪は60カ国、約2万人の外国人が住んでいる地域です。私は在日三世ですが、もう五世、六世にまでつながっています。ものづくりにたくさんの人が従事し、税金も払っています。七〇年前に東大阪の地で朝鮮学校が建てられました。ここに生まれ育った子どもたちがなぜ差別を受けるのでしょうか。差別が拡大していくとどうなるのでしょうか。


 ラジオ番組で94歳の元海軍兵士のことが紹介されたのを聞きました。乗っていた船が沈没し生き延びた兵士は、一般の人と接触することを禁じられた上、激戦地に送られました。


大本営発表で損害を少なく発表したためでした。そんな戦争体験を80歳の時から学校などで語り部として話す活動をおこなっていましたが、最近、校長からやめてくれと言われ中止せざるをえなくなったということです。


 軍人として死ぬのが当然であるというかつての教育の恐ろしさ、そして現在の風潮の危険性を次の世代に伝えないと取り返しのつかない事態につながるのではないかと思います。


 11月3日には布施で「ちがいを豊かさに わたしたちのまちはアジアのまち わたしたちのまちは世界のまち」というフェスティバルがありますので、ぜひ来てください。」〈レポート木村)






大変、突風に館山牧師が吹き飛ばされそうになりました。周りの仲間が直ぐに駆け寄り補助し、大事には至りませんでした。館山さん、どうかご自愛ください。










ー菊江さんが再度マイクを持たれ「金曜行動」の歌を歌ってくれました。ー

 全国が繋がっています。私たちの思いはこの歌に集約されています。

「声よ集まれ、歌となれ」

どれだけ叫べばいいのだろう
奪われ続けた声がある
聞こえるかい? 聞いているかい?
怒りが今また声となる
ソリヨ モヨラ ノレヨ オノラ
声よ集まれ 歌となれ
トンムヨ モヨラ ノレ プルジャ
声を合わせよう ともに歌おう

聞こえないふりに傷ついて
かすれる叫びはあてどなく
それでも誰かと歌いたいんだ
一人の声では届かない だから
 ソリヨ モヨラ ノレヨ オノラ
 ふるえる声でも 歌となる
 トンムヨ モヨラ ノレ プルジャ
 声を合わせよう ともに歌おう

 ソリヨ モヨラ ノレヨ オノラ
 ただ当たり前に生きたいんだ
 トンムヨ モヨラ ノレ プルジャ
 ただ当たり前に歌いたいんだ

いますぐその足をどけてくれ
4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる
踏まれてもくりかえし立ち上がる
君といっしょならたたかえる
 ソリヨ モヨラ ノレヨ オノラ
 声よ歌となれ 響きわたれ
 トンムヨ モヨラ ノレ プルジャ
 声を合わせよう ともに歌おう」


そのあと「火曜行動」のうたをみんなで元気に歌い、駐輪場に集まりました。


















いつもの様にクッスンさんと大阪城公園内を歩きながら帰りました、今日は涼しかったのでアイスは食べず、天空レストランに上がり、大阪城を見下ろしながらあったかいコーヒーをいただいてから帰りました。夏休みももうおわるので、、、













ピース大阪の前の花











噴水が見えて来ました。来週も頑張ります。




 


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カンフィソン朝鮮舞踊研究所 第34回目の発表会

2016-08-27 08:57:24 | イベント
去る8月25日、午後6時半よりクレオ大阪中央の大ホールで、カンフィソン朝鮮舞踊研究所の第34回目の発表会が行われました。舞台の裏で司会及びナレーションを担当していたのでリハーサルの舞台袖の写真と、最後の挨拶の写真しかありませんが、正面からの写真は藤井幸之助さんのFBの写真をいただきました。雰囲気だけでも味わってくださいね。




フィナーレでのカンフィソンさんの感謝のご挨拶








リハーサルのはじめに戻りますね。






お昼の1時に会場到着、真っ白な雲が迎えてくれました。


2時からリハーサルです。












本番前、子どもたちの緊張を解いてあげようと先生も一生懸命です。


途中から写真を撮りました。ピンぼけですが、、、






























































一部のリハーサルが終わり10分間の休憩です。

2部は舞踊組曲「心の舟歌」全7場です。尼崎の康沈哲先生が1場・7場の作曲をしてくださいました。

1部は演目の紹介が主なのでそんなに神経を使わなくても良いのですが、2部はそういうわけにはいきません、1か月前からずっと考えました。カン先生はこの舞踊組曲を通して何を言いたいのだろうと・・・

リハーサル前にも子どもたちの練習風景を2回も見に行きました。今までのプログラムも全て読み、先生がなんのために舞踊研究所を日本で初めて設立し今日までの36年間頑張ってこられたのかを表現せねばなりません。ただ海外公演をこんなにしましたよ。という宣伝のために2部があるのではありません。

カン先生はいつも仰います。「私は舞台裏のことまで心配せずに舞踊指導に専念したい、だから自分の言いたいことを全て知っていてくれる呉光雨さんに舞台監督をお願いし、司会進行・及びナレーションをあなたにお願いしたいの」と・・・

老体に鞭打ちながら、痛い足に針をうちながらも発表会を成功させるため研究生を叱咤激励されている先生を見ながら、私も頑張らねばと何回お思ったか知れません、書いては消し、消しては書きを何度繰り返したか知れません。先生は何も要求されません。私に全てを任せておられます。

リハーサルを終えたとき、やっとつかめました。先生の想いを・・・リハーサルを終え、又原稿を書き替えました。自分が納得できるまで、そして迎えた本番でした。










































統一の花ーイムスギョン






青い鳥



























リハーサルが終わりました、あと2時間で本番です。緊張が走ります。


楽屋に行くと、カメラマンが待っていました。




映像作家の崔先生です、江原道から来られました。

リハーサルでの私のナレーションを聞いて、オモニ(母)を思い出したと言って楽屋に来られたのです、6.25以前ご両親は元山に住んでおられたそうで越南されたあと崔さんが生まれたそうです。

崔先生は若い頃大阪芸大の影像科に留学されていたこともあり日本語も堪能です。






初対面なのに、高銀先生の詩集をプレゼントしてくださいました。コマッスムニダ。



いよいよ本番です。藤井さんのお写真を戴きました。私は司会進行とナレーションにだけ集中しました。




















第2部の解説  「舞踊組曲”心の舟歌“全7場”」の1部分を掲載いたします。


「10年経てば山河も変わる」というウリナラの諺がありますが,3度も山河が変わるほどの長い歳月が過ぎ去りました。

 思い起こせば1980年5月、「姜輝鮮朝鮮舞踊研所」という小舟が鶴橋という港から出港しました。たった15名の研究生を乗せ、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」という民族統一へのメッセージを掲げ、右にも左にも進んでいく方向がわからず只ひたすら櫓をこぎ出しました。

 途中何度も大きな風波や襲ってくる嵐をまともに受けつつ、それでもめげずに必死の思いで、ひたすら櫓をこぎ続け、数千人の人々を乗せたりおろしたりしながら今日に至りました。 

初海外公演―中国公演〈1990年)・・・

 アメリカ公演〈1993年)・・・

 1995年8月、ついに母なる祖国―平壌での公演が実現しました。・・・


 平壌のあとは何処に‽ そうです。南、済州島での公演が実現しました。〈2006年)
 私たちは済州島公演で統一の花‐リム・スギョンの雄々しい姿を表現した「白頭からハンラまでの想い」を舞台に上げました。・・・



 済州島公演の次の年、私たちは待ちに待ったソウルでの公演を実現しました。

 ソウルでは公演もさることながら、幼き研究生たちと共に38度線の統一閣まで行った際に、わが民族の最大の悲劇で或る分断の現実を目の当たりにする機会がありました。これも、研究生たちにとって、これからの自分たちの進む道しるべの助けになると思います。

 誰に言われたわけでもないのに研究生たちはリムジンガンの前で、2年前に舞台に上げた舞踊組曲「青い鳥よ、私の想いを届けておくれ」で踊ったように両手を広げ、鳥になって涙しながら「リムジンガン」を歌いました。3世、4世達の心に祖国統一の想いは間違いなく伝わっている!感動の瞬間でした。・・・


 たとえ分断されていようとも祖国があったからこそ、両親の慈しみと民族教育があったからこそ、民族意識をしっかり持ち、私たちは小舟での航海を続ける事が出来ました。

 これからも私達を取り巻く状況は厳しいと思いますが、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」の初心を忘れず統一祖国に向かって航海を続けていきたいと思います。




発表会が終ったあといろんな方からの感想がパソコンに送られてきていました。おひとりだけ紹介いたしますね。「ハルモニ会」の木村さんです。

「ニョニョさん、こんばんは
とても素敵な舞踊に招待いただき本当にありがとうございました。
ニョニョさんの朗読も迫力があってすばらしかったです。

第一部ではかわいらしい舞踊、勇壮な舞踊、珍しい楽器を使った舞踊などいろいろあってどれも興味が尽きませんでしたが、特に心に残ったのは「折り鶴に願い託して」でした。
少女たちと折り鶴たちがそれぞれに「38」で分断され、それでも折り鶴たちが懸命に飛び回ってついに「38」を壊してしまうところが感動的でした。

第二部はさらにどの踊りもドラマを感じました。踊りはもちろんのこと、演技や表情がとてもすばらしかったと思います。
兄にからかわれてふくれっ面をしていた弟が、兄の演奏につい踊り出してしまう情景にほのぼのしたものを感じました。
かわいらしい春香の首に枷がかぶせられて心配し、ハッピーエンドにほっとしたり、楽しそうな電車ごっこにうきうきしたりしました。
ここも一番心に染みたのは、「白頭からハルラまでの想い」でした。いつも火曜行動で演奏している曲が流れ、せりふがなくてもその想いが聞こえてくるような気がしました

青い鳥は息子から母への手紙を託されていたのですね。そのことがわかったときも、感動的でした。

本当にすばらしい舞台をありがとうございました。
はじめは今度の火曜日にお会いしたときに話そうと思ってたのですが、ついつい書かずにいられなくなってしまいました。」木村
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8月23日、208回目の「火曜行動」です。

2016-08-23 16:39:29 | 火曜日
炎天下、208回目の「火曜行動」が行われました、生野初のオンマたち、朝高オモニ会のオモニたち、朝大生、朝高生と今日も200名以上が参加し、府庁前は熱気で燃えそうでした。




2週間ぶりに70階段を上りました。まるで1年ぐらい休んでいた様な錯覚を覚えました。





あまりの暑さに枯れてしまった苗木を生き返らせるため、散水車が水をまいていました。







府庁前到着です。10分前なのに朝高生で一杯でした。








今日のリーダーは大村和子さんです。

ー大村和子さんのアピールからー

「今日は208回目の火曜行動です。
厳しい残暑の中を、大阪朝高のラグビー部とテニス部の生徒さんたちと先生が大勢来てくれました。オモニ会からもたくさん来て下さっています。

『8月14日』

8月14日・15日ソウルに行ってきました。
8月14日は1991年キム・ハクスンハルモニが日本軍の「慰安婦」であったと初めて名乗り出られた日です。
その日を記念して毎年8月14日はメモリアルデーのとしています。
ソウルの日本大使館前には日本政府が押し付けた「和解・癒やし財団」に反対して大勢の人が集まっていました。若者もたくさん参加していました。韓国の人たちは被害者を無視し、政府間で勝手に手打ちしたことは「慰安婦」問題の解決にはならないと怒っています。


『8月15日』

朝鮮の解放・独立記念日の15日は民間レベルで開催された「平和と統一」の会議に出てきました。
そこでは、韓国ソンジュに配備されようとしているサードミサイルが、韓国の問題だけでなく、朝鮮半島全体を戦争に巻き込むことになりかねないという危機感から、反対運動に立ち上がっていました。

36年間続いた日本の植民地支配は農民たちから土地を奪い、半島で生活出来なくなり日本に渡った人、日本人兵士の穴埋めのため強制的に労働者をして連れてこられた人々、そういう歴史の中で解放後、国語教習所が生まれ、朝鮮学校へと成長していきました。

まさに在日の人々の血と涙と汗で朝鮮学校はつくられました。
しかし日本政府の朝鮮学校への弾圧は繰り返され、その都度学校存続のたたかいがありました。
そして、いま又、「無償化」除外、自治体補助金停止の弾圧がおきています。

日本が植民地支配の責任をとり、朝鮮学校差別をやめることは、日本が真に多文化共生の民主的な社会になるためです。わたしたちはそのためにここに立っています。」(レポート横道)






今日のレポーターはハルモニ会の横道さんです。よろしくお願い致します。

あまりに人が多いので全員写せないと思います。ご理解下さいね。





























朝高生たちのカバン




































































大村さんにマイクがうつりました。

ー大村 淳さんのアピールからー

「8月16日ソウルの地下鉄の掲示版のニュースに、安倍首相が靖国神社に「供物」捧げたと流れていました。韓国でも中国でもアジアの中で、いかに靖国のことが意識されているか、改めて思いました。

日本人は歴史に鈍感ではないか。
朝鮮学校と、そこで学ぶ子どもたちは、歴史的経過の中で存在してきた。

言葉・文化・名前・命すら奪われた歴史。奪ってきた日本。
その歴史を少しでも踏まえるならば、朝鮮人のアイデンテテイーを持って学ぶことを、保障しなくてはならないのに、反対のことをしている。

4年前まで大阪府・大阪市は少額ではあるが、朝鮮学校に補助金を出してきた。それは自治体の誇りでもあったはずだ。しかし、元知事の差別と偏見に満ちた発言によって、補助金は停止されたままだ。

そのことを大阪の人は見過ごしてはならない。
日本の中で、隣人が苦しめられている、それに手を差し伸べるのが本当の国際化ではないでしょうか。」(レポート横道)










九州を出発して自転車でやってきた朝大生二人組です、大阪朝高出身の李君。


朝大2年  リ・ソンレ君

「チャギドゥルン トンイルヲ ウィヘソ タㇽリンミダ!
― 自分達は 祖国統一のために 走ります!」

のメッセージを掲げて、九州から京都まで各地のウリハッキョを訪問しながら、自転車で旅をしています。
今日はちょうど大阪まで帰ってきたころです。 僕は大阪出身です。

京都朝鮮初級学校への在特会のヘイト攻撃や鶴橋のヘイトスピーチなど、彼らの差別と排除に出くわす過程で民族のアイデンテテイーを獲得しました。
しかし、差別と弾圧の中でアイデンテテイーを確立するのは、あまりにも消極的です。

朝鮮学校に対する日本政府の差別・弾圧は、一般的な人権の視点からも、日本の法律からみても、国際的な条約からみても間違っています。
自分たちは必ず勝利します。がんばって闘いましょう!











暑さのため横断幕を持ち続けるのも大変なことです。








オモニムたち元気一杯!





斎藤さぁ〜ん。








広島朝高出身の鄭君も元気にアピールです。

ー朝大2年  チョン・チョンス君ー

「リ・ソンレと一緒に自転車の旅をしています。
各地のウリハッキョを訪ね、自分が見たものは、ウリハッキョを守ろうと頑張っておられる同胞の姿と、そこで学ぶ子どもたちの明るい姿でした。

今は大変厳しい状況ですが、法律を変えるのは人々の声です。

人々の声が集まって、力になるのです。

それが人類の進歩です。

あきらめずに頑張りましょう!」(レポート横道)






朝高生もアピールします。

ー朝高3年 男生徒ー

火曜行動に参加して、同胞や日本の方々の期待に応える為にも頑張ろうと実感することが出来ました。
僕たち学生自身が、要求を勝ち取るまでもっと頑張っていきたい。




ー朝高3年 男生徒ー

僕はラグビー部の主将をしています。
ラグビーでは国籍は関係ありません。日本の高校生とも交流しています。

ラグビーには「ノーサイド」精神があります。
試合が終わると敵も味方も関係ない。お互いに理解を深めていく。
大阪府や市も「ノーサイド」精神で正しい判断をしてください。






ー朝高3年  女生徒ー

テニス部で頑張っています。
今日、火曜行動に参加して、これからもたくさんの人々と一緒にたたかっていきたいと思いました。頑張ります。







中山さん、遅れて登場








ー大村和子さんのアピール2.ー

「若いみなさんのアピールに勇気付けられました。ありがとう。

沖縄では沖縄の人たちの抵抗運動に対する報復として、学校や施設の冷房費の削減を迫っています。沖縄は暑いです。その上、空は軍用機のごう音が止みません。

これは朝鮮学校への差別と同じです。

文科省は私学助成の充実を打ちだしていますが、どうして朝鮮学校が視野に入ってこないのでしょう。日本人として情けない思いでいっぱいです。」〈レポート横道〉





-高江にも行ってきた朝大生のアピール-

-朝大1年 女子学生-

「沖縄辺野古と高江に行って来ました。
キム・キガンさんの講演を聞いて、肌で感じたいと思い行って来ました。

高江では本土ではあり得ないことが起っている。
なにわナンバーの大阪府警がたくさん来ていた。
大阪府民の税金を使って、高江の弾圧をしているのです。

本当の敵は機動隊ではない。もっと上にいる。と言っておられましたが、沖縄の人どうし闘わせているのが悲しい。

ふみ子おばあちゃん(島袋文子さん)の善良な心は全国に広がっていると実感しました。
その中の一つが火曜行動だと思っています。
悔しいけど、笑顔でたたかっていけば、連帯も広がります。がんばりましょう!」〈レポート横道)






高江で購入した、たたかいのTシャツ






長崎さん、出張から走って帰って来ました。








生野初の子どもたち。





ー高江に応援に行ってきたもう一人の朝大生ー


「今回は沖縄で学ぼうと戦跡や資料館に行きました。

実際に行くことで、体感することが出来、私たちの問題であると思いました。

辺野古ではカヌーの体験をした。1時間もすれば体が痛くなった。でも辺野古では毎日何人もの人がカヌー隊として海に出ています。

高江では19日盆明け早々に工事が始まったが、早朝5時に550人もの人が集まって、工事のトラックが入るのを3時間止めた。

弾圧の本質は同じです。

人が集まれば、大きな力になれば、連帯してたたかったなら、私たちが大阪府警を沖縄に行かせないことも可能かも知れないのです。

みなさん! 一緒にたたかっていきましょう」(レポート横道)






「火曜バンド」増えています








ー朝大生の力強いアピールー
 

「日本の皆さん!

在日朝鮮人は歴史的存在です。歴史を無視して語ることは出来ません。

学ぶ権利の剥奪は明らかな差別です。

本来は保障をされて当たり前の存在です。

この冷たい氷のように差別と偏見で固まった日本の、氷を解かすように頑張っていこう!

(いつもキャンデーを配ってくださるクッスンさんが、8月はかち割りの氷を配って下さっています)」(レポート横道)









ー朝高オモニ会 沈会長のアピールー


「私は朝大と大阪朝高に子どもたちを送っています。
二人ともウリハッキョが大好きです。

ウリハッキョを卒業して、日本の社会で生きていきます。

日本の友人もたくさんいます。

日本の社会で納税の義務も果たしてきました。

自分のルーツをしっかり持っているからこそ、日本の社会で生きていけるのです。

卒業生たちは、日本のなかで、素晴らしい人になってくれると思います。」(レポート横道)






-長崎さんの結びのアピール-

「火曜行動にも参加されていた、静岡から大阪に研修に来ておられた岡田先生の言葉です。

―西成の貧困教育を見る中で、「人間が人間を取り戻す。これが本来の教育である」と感じた。そのことは、朝鮮学校にも繋がっていた。朝鮮学校の教育は本当に素晴らしい―

そうおっしゃっていました。


これからも頑張っていきましょう!」(レポート横道)





朝高の校長先生は写真を撮ろうとするといつも顔を隠します。笑

この後みんなで「火曜行動」の歌2 「この坂を上れば」大合唱しました。




駐輪所での総括








「セウォル号事件の真相を究明するための学習会の案内もありました。





和歌山から親子で参加された申さん

















余りに暑いので大阪城公園を歩いて帰りながら途中の売店でアイス買って食べました。クッスンさんと一緒に、来週も頑張ります。





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カンフィソン朝鮮舞踊研究所リハーサル風景(8月21日)

2016-08-21 20:26:30 | イベント
8月21日午後4時よりリハーサルが行われました。写真だけですが、ご覧ください。本番はバックに映像が入り、音楽があり、ナレーションも入ります。子どもたちお化粧もするし、照明も有るのでもっともっと素敵だと思いますよ、是非25日クレオ大阪中央にお越しください。午後6時半開演です。




第1部


































































































第2部




































































































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夏休みも終わりに近づいて、、、

2016-08-20 08:59:03 | 日記


八木駅前のハイベスカス







八木の特別支援学童の入り口のお花

(8月19日)


長かった夏休みも終わりに近づいて来ました、8月25日に行われるカンヒソン朝鮮舞踊研究所第34回の発表会が終われば私の夏休みも終わります。

フリーになった今は、毎日が日曜日、夏休みのような日々ですが、、、笑

現在から過去へと写真は向かいます。






静岡県立高校の岡田昌人先生のおはなしを聞かせていただきました。





8月18日夕方の自宅2階のベランダから見た夕焼け







どんどん伸びてるゴーヤ






朝、久々の中大阪学童、孫たちを送りました。






朝の玄関のブーゲンビリア





8月16日夜、孫たち全員帰って来たのでたこ焼きパーティーしました。








8月16日お昼は研究所の練習風景を見に行き、協議もしました。最後の追い込みです。






8月15日朝から5色ナムルを作って
お墓参りに行ってきました。前日にどなたかはわからなかったのですが、既にどなたかが清掃をしお花を供えて下さっていました、ありがとうございます。










8月14日朝、大阪城公園の散歩から帰りくつろいでいる時、急に連絡が入り、午後1時半に玉造のお好み焼き屋で楽しいひと時を過ごしました。

福岡初級の保護者であり、熱烈なウリハッキョ愛校者です。2014年夏、今年の夏と2回も府庁前に来られ「火曜行動」を応援してくださいました。





朝の大阪城公園内























12,13日、岐阜県本巣の自然の中で過ごし、朝市で購入した野菜で美味しい料理沢山作ってクンハンメにも食べていただきました。^o^










朝からテレビにかじりついて卓球の試合を見ました。どちらにも勝って貰いたかったけど、キムソンイ選手が銅メダルをいただきました。









8月7日孫たち連れて「子どもコンサート」に行き夜は家族全員呼んで楽しいピビンバパーティーをしました。^o^





6日研究所の練習風景を見に行き、協議もしました。









5日、八木の学童の子どもたちと海遊館に行ってきました、疲れたけどとても楽しかった。




「火曜行動」に朝大生たちが大勢来てくれました。





心ある日本の方々と4年以上毎週一緒に行動しました。







7月31日は中大阪の納涼に参加しました。









7月30日は城北初級の納涼大会に参加しました。





楽しい夏休みが終わりを告げようとしています、が、今月末まで予定満載です^o^





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