ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

3月29日、465回目の「火曜日行動」です。

2022-03-29 16:12:00 | 火曜日










火曜日行動が始まる前から古賀さんがアピールをされていました。










465回目の「火曜日行動」、今日のレポーターはハルモニ回の陶山さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心一つに発信してまいりますね。








長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

大阪府庁でお勤めの皆さま、ご通行中の皆さま、こんにちは。いよいよ春らんまんという形で桜の花が大阪城公園にも咲き出しました。今日は465回目の火曜日行動です。

卒園式が終わり、来月4月には、入園式が、小学校・中学校・高校で入学式が始まります。私たちが10年前、4月17日に初めてこの府庁の前で声をあげました。朝鮮学校に学ぶ子どもたちが笑顔で夢と希望をもって大きくなってほしい、大人が子どもに対して差別しないでほしい、その当たり前の訴えを訴えてこの場に立ちました。

11年前にできたのが、すべての子どもたちに学びを保障していく、高校で学ぶ子どもたちに学費の無償化をということで、民主党政権の時に高校無償化制度が生まれました。この時には、日本に暮らすすべての子どもたちにこれを保障しようということで、外国人学校で学ぶ子どもたちも対象にするということで始まりました。当初は朝鮮学校も対象にするということで、条例の中にはちゃんと朝鮮学校も適用される項目も含まれていました。

大阪府は全国の中で最も多くの在日韓国朝鮮の人たちが暮らす自治体として、全国に先駆けて、朝鮮学校に補助金を支給してきました。その額は、通常日本の公立の学校で学ぶ場合おおざっぱに年間一人約100万円の税金が支給されています。私学で約3分の1の33万円、朝鮮学校に出された補助金は約7万円、69800円だったのです。

それでも全国に先駆けて朝鮮学校に出された補助金というのは、全国の自治体の中でも、多くの在日外国人、とりわけ戦前から植民地支配の中で日本で暮らしてきた、在日朝鮮人の人たちが、自分の言葉や文化を誇りを持って学び、日本社会で生きていくための民族教育、これを支援する補助金として全国の自治体に広がっていきました。しかし全国に先駆けて補助金を切る動きを作ったのが、前大阪府知事だった橋下徹さんの時で、この差別が始まりました。

10年前の2012年4月17日、この場に多くの方々が並んで声をあげました。その時赤ちゃんだった子どもを抱いたおかあさん、まだ小学校に入学したての子どもさんの手を引いたオモニたちがここで声をあげてきました。

どんな国に生まれようが、子どもたちには自分に誇りを持って、将来に夢をもって大きくなる権利があり、そして大人はそれを保障する義務があります。これが朝鮮学校の補助金の復活を求めて、私たちが声をあげてきたことでした。

大阪府の職員の方々、この10年の間、私たちが毎週火曜日こうやって府庁の前に立ち、それぞれがマイクをもってしゃべるときに、とりわけ自分の子が朝鮮学校に通いながら差別を受けているということに対しての心の痛みを悔しさを訴える、保護者の訴えは、皆さんの心に届いているでしょうか。想像をしてみてください。

この間共和国で、いわゆる日本との関係が拉致問題を契機に、バッシングと、政治の中で国と国との関係が悪化すれば、罪もない子どもたちに向かって攻撃の矛先が向かうということが、続いてきました。

でも昔の大阪府は違ったのですよ。いわゆる共和国に対して、ミサイルが飛んだ、そして共和国に対してのバッシングが続くときに、各日本の学校そして朝鮮学校に対して、暴言や暴力が行われないように配慮すべきだということを、昔の大阪府は声をあげていたのです。

行政が差別をしてはいけない、行政が好き嫌いで人を差別してはいけない、その当たり前のことを大阪府は守ってきました。それが10年前から、ある意味で子どもたちを人質のように、そして政治の道具として扱うような流れができ、もう10年も続いています。

これに対して私たちは、声をあげ続けることで、人間として私たちがなぜ朝鮮学校を守り、今日もたくさんの火曜日バンドの皆さんが楽しい音楽を奏でてくれています。

人間として生きるということは、誇りを持って生きること、そして自分を認めて、いろんな人たちと手を繋いで生きていくことが、人間として豊かになることだ、それを私はこの10年の間、皆さんと一緒に訴えてきたと思います。

大阪府が誇りを取り戻すためにも、かつて全国の自治体から、大阪府はいいな、いろんな人たちを認めて、障がいを持っても地域で暮らせる、そしていろんな国の人たちが大阪府の中で暮らしても認めていく、そう言われていた大阪府の誇りを取り戻してください。

いろんな人がそれぞれ自分の言葉で語っています。ぜひ職員の皆さんその声を聴いて、公務員として行政が差別をしてはならないということを、もう一度心に留めてください。


















火曜日バンドは不滅です❣️










大野さんのアピールが始まりました。

大野さん

 アンニョンハシムニカ。今日は少し暖かいのでほっとしています。毎週抗議の声をあげていますが、一向に聞き入れる様子はほとんどないなと長期戦になるなと思っています。

ウクライナの戦争がほんとに収束してほしいと思うばかりです。日本でも昔そうでしたが、あれだけこっぴどい目にあってきたという私たちの祖先が体験してきたということは、その体験者はお亡くなりになられて、現在までなかなか引き継がれてきてないと思いますが、せめて私たちが生きてる間に、平和のために何かできないかと思っています。

市民の方々が亡くなっていくということをテレビで見ていますと、悲しい限りではありますが、テレビの報道も一色だなという感覚も持っています。かつてアフガンであったりやイラクであったり戦争がありましたが、その時は報道もそんなに毎日されてなかったと思うのですが、何か意図的な報道もあるのかなという風にも感じます。

戦争は差別の結果なんですよ。国を差別する、あるいは個人を差別すると言う中で、最終手段として戦争へ向かう言うことが、今までの戦争の歴史が物語っていると思います。

この在日朝鮮人の方々に対する日本の差別は見過ごすことができません。ずっと戦前戦後続いてそういう教育をうけた日本の方々が、現在もずっと意識を持っていると思います。その中でも私は差別しないよという方もたくさんおられる。だけどメディアの報道を聞く中で、これは自然とそういう方向に意識が変わっていくなと思っています。

先日も元プロレスラーの木村花さんがSNSの嫌がらせ等でとうとう自死したということがありました。それに対して泉佐野だったと思いますが維新の市会議員が、木村花さんと一緒にプロレスしていた人が、大阪の吉村さんに対して、SNSで誹謗中傷するのは犯罪だと話されたら、早速ですね、受け入れて、SNSで誹謗中傷するのは条例違反だということで、間もなく施行されると聞いています。ほんとにいい判断をされる知事だと思います。

ただ維新の議員が言ったから良しと私たちは捕らえますけどね。そうではなく私たちのように、朝鮮学校に対する差別を即刻中止せよという要請の声にどうして応えてくれないのかなと思います。

朝鮮学校に対する差別は思い起こしましたら、2008年に当時橋下徹が知事になった、2009年には朝鮮学校に対する差別偏見が沸騰して京都の朝鮮学校に右翼の連中が襲撃した、そういう流れの中で、朝鮮学校に対する差別が日本中に広がっていったと記憶しています。

橋下徹知事は任期3年半勤めて大阪市長になる。政治を自分の都合のいいようにして、憲法改正についても維新の案を当時発表していました。自衛隊を国防軍にする、そして子供の面倒は家族が責任を持つ、そして高校、大学をすべて無償化するというような、耳触りのいい憲法草案を発表したと思っています。すべての学生を無償化すると言ってるのですね。だけどそこには「在日朝鮮人は除く」ということなんですよ。このようなことが日本の政権の中枢に上り上がっています。

2か月半後に参議院選挙が予定されています。在日外国人には投票権はありません。投票権がない、意思を表明できない、そんな人のためには必ずその人たちの要求を受け入れてするのが当然だろうと思います。

いずれにしても維新の方々が、良識ある方がほとんどだと思いますよ。だけど先頭に立ってやってる人がどう考えるのかによって、すべて政治がかかわってくると言う風に思っています。

日本の将来を考えるのであれば、腰を据えて10年後20年後まで政権に責任を持てる、そういう指導者でなければなかなか、5年後どうなっているか10年後どうなっているかと考えると、維新の皆さんにも頑張ってもらいたい。

そして大阪府庁で働く皆さんにも頑張っていただいて、一刻も早く朝鮮学校に対する支援・保障を実現してもらいたい。































































久々に来られた森さんがマイクを持たれました。

森さん

普段なかなか来れなくて、今日はここに来れたのですが、ここにいらっしゃる方といっしょに宝塚の朝鮮学校を支える宝塚市民の会をしています。伊丹の朝鮮学校がこの前、7人の小学生が卒業して、来年度入学が無いのです。明後日幼稚班に1人入園するのでお祝いに行こうと思っています。

子どもはほんとに素直で、おとなよりも真実を見抜いている面もあると思います。今流れている映像をみていると、戦争は子どもたちにとってどんな大きなものがあるか、私は心が痛みました。

お祝いにどんな絵本のしようかと探しています。「お日様とお月様のけんか」という絵本があります。お日様とお月様が喧嘩して最後に地球がほろんでしまうという絵本ですが、皆さんも一度見てみてください。














オモニ会の皆さんのアピールとシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」です。

中大阪地域のオモニたち

 アンニョンハシムニカ。私の子どもたちが朝鮮学校に入学する頃、高校無償化から除外され、親たちもずっとこの10年以上、闘ってきましたが、私の子どもたちもこの4月で高校3年生、中学2年生となるので、思うことがとても多いです。いつも政治の犠牲になるのは子どもたちですが、橋下知事から始まって吉村知事、子どもたちを敵視して、差別して傷つけて、生活できないように苦しめて、そんなに楽しいですか。全く理解できません。

そんなしんどい中でも幼児教育の新しい支援金を大阪府の多くの朝鮮幼稚園で獲得するなど、大きな前進もありうれしく思います。

465回目までこのようにたくさんの日本の方たちにも、ともに闘っていただき感謝の想いでいっぱいです。最近私の子どもたちが育った中大阪朝鮮学校の周りでは、未来へという言葉がキーワードのようにあふれています。子どもたちの夢のある未来のために、大人が責任をもって、力を合わせて一歩一歩前進していくこのスタンスをこれからもずっと貫いていきましょう。

歌「声よ集まれ、歌となれ」

シュプレヒコール

・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・行政が差別するな






















































大村さんのアピールです。

大村さん

もう10年間ここに立ち続けています。ウクライナへのロシアの侵攻が毎日毎日、痛ましい状況が映し出され、胸が締め付けられるようです。戦争は最大の差別であり人権侵害であるそのことをほんとに思います。

それなのに、国会で参議院の議長が、命の限り一生懸命闘っている人たちをたたえるような言葉を言うのが、ほんとにこの国はおかしいのではないかと思います。

戦争というのが日本でも他人ごとではないと思います。かつて1939年、私この言葉がいつも胸にあるのですが、俳人の渡辺白線という方が、「戦争が廊下の奥に立っていた」という句を残されました。今こんな状況に日本はあるのではないでしょうか。

かつて日本も侵略戦争を始める前、朝鮮を植民地にした、その結果できたこの朝鮮学校、この朝鮮学校に対してきちんとこの戦争責任をとることなく、今も差別し続けている。補助金の不支給、元大阪府知事の橋下知事が4要件を突きつけた。私立の各種学校に対して、日本の教育基本法にある指導要領を押し付けるなんてもってのほかだと思います。

又、不当な支配ということ、このことは行政がするのが不当な支配です。そういうことから考えてこの4要件はほんとにおかしい。けれどもそれをクリアーしながらも、苦渋の決断をしながら朝鮮学校はそれに応えよう、補助金支給を求めてきたのに、それに対して橋下さんは、大阪朝鮮高級学校を視察し、その時のことをこの前この火曜日行動に来た若者が、自分が高校生の時、橋下さんが来てにこやかにいろいろ話した。けれどもそれを裏切って補助金の不支給を伝えた。ほんとに子どもたちを裏切ることは決して許されることではありません。

そのことを思いながら、この10年間、補助金再開を訴えて、これは恩恵ではありません。府民の権利です。そういう思いで10年間の想いを述べさせてもらいました。
















歌舞団の舞姫の音頭で最後の歌は「勝利のその日まで」❣️❣️



















駐輪場での申し送りです。











4人のお子さんを連れてまで、「火曜日行動」に参加されたヒャンヒさんに大きな拍手が送られました。










クッスンさんが今日も愛のキャンディを配ってくださいました。コマッスムニダ❣️力が湧きます。









来週も頑張ろうと互いに励まし合いながら帰路に着きました。




春の陽気に誘われ、大阪城公園内を歩いて帰りました。しばらくお花見してくださいね^_^














































ではまた来週おめにかかります。




*李桂林さま、激励のコメント コマッスムニダ!ありがとうございます。これからもみんなで力を合わせ頑張りますね。(ニョニョ)
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3月22日、464回目の「火曜日行動」です。

2022-03-22 15:54:00 | 火曜日
寒い正午です。

雨の中464回目の「火曜日行動」が始まりました。



今日のレポーターはハルモニ会の木村さん、写真撮影は松尾さんです。悪天候ですが、心ひとつに頑張って発信してまいりましょう。



長崎さんの第一声始まりました。

今日はあいにくの冷たい雨ですが、そんな中でも私たちは子どもたちの笑顔を守るため、今日もこの場に立ち、大阪府が打ち切った補助金の復活と相変わらず排除され続けている朝鮮高校への高校無償化を求めます。
幼保無償化については、ついに朝鮮学校にも支給が開始されました。

来月の4月17日で、この行動も十年になります。この十年で、私のプラカードの写真の子どもは幼稚園児だったのが今や高級学校に通っています。

なぜ朝鮮学校が日本にあるのかを知り、それが存在することが日本社会にとってどれほど大切であるかを知らなくてはなりません。
私の活動の原点は、生野区の保育園で民族保育の実践を始めたことです。在日の園児がたくさんいる中、歌や踊り、食事など、朝鮮韓国の文化を保育に取り入れました。子どもたちが最も実感として受け止めたのは、在日の保育士が自分の本名を名乗ったことでした。子どもたちはそれを嬉しそうに受け止め、自分に民族名を次々に名乗っていきました。かけがえのない自分を認められ、心に傷を負わずに育っていく在日の子どもたちと接することは日本の子どもたちにとっても大きな力となります。私の次男はサムルノリがとても好きで、今では日本の伝統楽器を演奏しています。他国の文化を愛することは自国の文化を愛することにつながっていきます。

3月20日、多くの朝鮮学校で卒業式が行われました。参加するたびに、子どもたちが自分の受けてきた教育に誇りを持っていることがわかります。財政が苦しい中、大きな力で学校を支えてきた保護者たち、情熱を持って取り組んできた先生方、地域の在日同胞、それから日本人支援者、これらの人々に愛されることで、子どもたちは自分に価値があることを理解し、自分が何物であるかを知り、人の痛みに共感し、助けることができるようになっていきます。

朝鮮学校の子どもたちに加えられた十年間の理不尽さ! 大阪府は長い間人権の行政をおこなってきました。障害を持っていても生きていける制度、部落差別への取り組み…。
しかし、十年前に維新が登場してきた時から現場を次々と切り捨てていきました。

大阪府庁の職員の皆さん、これは公務員の尊厳をないがしろにしていることでもあります。




火曜日バンドは不滅です❣️



今日のアピールのトップバッターは古賀さんです。

☆古賀さん

日朝市民連合の古賀といいます。私は十数年前までは、朝鮮学校への補助金の増額を求めて大阪府と交渉する係でした。その頃は大阪府は補助金を出していました。しかも毎年増額していたのです。

しかし、十年前、維新が大阪の政治を牛耳ってからはすべて打ち切られていきました。補助金は正当に議会を通じて出されていたものです。それを打ち切った現在の方が不当です。

私は3月11日に東京の文科省前で金曜日行動に参加し、連帯のアピールをしてきました。そこには30人ほどの方々が集まっていました。今や全国各地でこのような運動があります。大阪府の教育は差別だ、と全国で言われているのです。日本は差別的な教育をしていると国連から何度も指摘されています。
差別があると日本人も幸せではありません。

吉村知事、府議会議員、大阪府職員の皆さん、私たちはこれからもがんばります。




☆中山さん

私は東成区に住む日本人です。先日、中大阪朝鮮初級学校の最後のイベントに参加してきました。子どもたち、卒業生たち、高齢者の方々、日本人も多数参加していました。

中大阪は生野初級学校に統合されるのです。

日本の学校も子どもの数が減るなどして統廃合が進んでいます。しかし、朝鮮学校の統廃合は、補助金がストップして財政が苦しくなったからです。

日本政府は高校無償化を適用し、大阪市・大阪府は補助金を復活させるべきです。私も力の限り闘っていこうと思っています。




☆竹内さん

富田林の竹内です。私がここに来るのは、元気をもらえるからです。

富田林には「片言韓国語講座」というのがあり、私はそこで2年間、毎月2回通って勉強をしています。韓国・朝鮮の言葉・文化を習っています。上にベテランのクラスがあって、それは通訳のできるレベルです。私の目標は韓国語で、この場でアピールすることです。いろんな国の言葉を勉強することはためになります。

よろしくお願いいたします。

  


オモニたちを先頭にシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が響き渡っています。

☆東大阪初級学校のオモニの皆さん

歌とシュプレヒコール

『声よ集まれ、歌となれ』

・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ!

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな!

・朝鮮高校に高校無償化を適用せよ!

・朝鮮学校への補助金を復活せよ!

・行政が差別するな!


 


宋さんが久々のアピールです。

☆オモニ

大阪府の皆さん、
3月には朝鮮高校、中級、初級学校の卒業式が次々にありました。私が初級学校の卒業式に参加して思ったことは、子どもたちの将来が幅広いことでした。世界に羽ばたく大きな夢を語ってくれる子もいました。

昨日は幼稚班の卒園式でした。

朝鮮学区への差別で子どもながらに傷ついてきたと思いますが、みなさんの権利闘争のおかげで、令和3年度の子どもから月々の給付金がもらえることになりました。何年もの間の闘争の成果です。すべての大阪府の学校が施策を共有できるようになるまで一緒に闘っていきたいと思います。



一生懸命聞き取りをされている木村さん!



大村さんのアピールと最後の歌は「勝利のその日まで」❣️❣️

☆大村さん

今日で464回となりました。
今日は2つのことを言いたいと思います。

まずは、先日、城北朝鮮学校で27回目の給食を実施したことです。
知り合いに朝鮮学校での給食を作ろうと呼びかけると「朝鮮学校には給食はないの?」と聞かれました。そうです。朝鮮学校には給食もなければ保健室もありません。学校保健法や給食法があるにもかかわらず。だから、子どもたちは毎日お弁当を持っていかなければなりません。月に1度、オモニたちが給食を作ってくれますが、私たちもせめて学期に1回したいと思って始めました。先日はコロナ禍でしたが、12人が駆けつけてくれました。

日本の学校では当たり前にあるものが朝鮮学校にはないのです。あるべきものがない。それは駆けつけて初めてわかることです。
たった学期に1回しかしていないのに子どもらに「コマッスムニダ」と言われるのは、胸が痛みます。
次に、城北での卒業式についてです。

今年は4人が卒業していきました。保護者・教職員に見守られ、校長先生が6年間の思い出を述べられました。朝鮮学校での教育で育ってきた誇らしい姿を見て、朝鮮学校を絶対になくしてはいけないと、心に刻みました。

『勝利のその日まで』

みなさん、諦めないでがんばりましょう!


駐輪場での申し送りです。



今夜は大阪第4初級の創立75周年を祝って八戸の里の東大阪文化創造館にてコラボ公演が行われます。

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3月15日、463回目の「火曜日行動」です。

2022-03-15 17:36:00 | 火曜日














春のような陽気です。463回目の「火曜日行動」始まりました。今日のレポーターは、ハルモニ会の平田さん、写真撮影は松尾さんです。








長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

こんにちわ 今日はいっぺんに春が来て、夏を思わせるような暖かさになりました。

今日も、朝鮮学校で学ぶ子ども達が夢と希望をもって大きくなっていってほしい、そのためにも大阪府が長年支給してきた朝鮮学校への補助金の復活、高校無償化の適用、すべての幼保の無償化が行われるよう、この場に立って訴えています。

大人が子どもを差別しない、ほんとにシンプルなことです。どの国に生まれても、その国の文化や言葉を学ぶ権利が保障される、これも当り前のことです。

この当り前のことを、私達はこうやって10年にわたって訴え続けていますが、まだ実現していません。子ども達にとってこれが当たり前になる社会、これは日本人の問題であり、日本社会の1人1人の問題だと訴えます。

3月は卒業式のシーズンです。朝鮮学校でも先日、大阪朝高、中級学校の卒業式が行われました。卒業式に行く度、卒業生が学校や両親に対して贈る感謝の言葉がむねをうちます。

自分が朝鮮半島にルーツを持つと言うのをはばかるような、否定するような言動があふれているこの社会のなかで、朝鮮学校では子ども達がありのまま認められて、ありのままの自分でいいんだと思えるのです。
自分のおじいさん、おばあさんがどうして日本の中で暮らすようになったのか、そして両親が深い愛情をもって育て、困難な中でも朝鮮学校に送ってくれたのか、感謝の言葉が子ども達の口から出てきます。

私がこの生野で朝鮮学校を支える会を作った原点は、保育園での体験です。生野区の平和保育園という、在籍の約70%が在日の子どもというところで保育士をしてきました。
子ども達が自分のルーツを知り、ほこりに思うようなそんな取り組みをしたいという声が上がり、在日の保育士と共にまずあいさつから取り組みました。

在日の保育士さんが初めて子ども達の前で本名を名乗り、本名で呼んでねと言った時、子どもが嬉しそうに「先生も朝鮮人なん、私も朝鮮人なんだよ」と言ったことが忘れられません。
このようにして育った子ども達と出会った日本人の子どもも、一緒に生きることで自分自身も他者を認めていこうとする力になります。

大阪が全国に先がけて補助金をを出してきたのは、在日が多く暮らす自治体として共に暮らす大切さを認めていたからではないでしょうか。

それが維新の橋下さんが知事になったとき打ち切られて、もう10年になります。大阪府は、大阪府のほこりを取り戻すためにも補助金の再開に早く取り組んでください。府民として、一緒に生きる人間として大阪府の課題と考えて一日も早い解決を共にめざしましょう。




















火曜日バンドは不滅です❣️



















アピールのトップバッターは大野さんです。

大野さん

大阪はね、在日朝鮮人に対して差別がひどい。なぜここまでやるのかという、私なりに理解し考えてはいますが。敵愾心を煽ってですね、日本国民、大阪府民に対しても攻撃を強めています。そんなことは決して許されないことです。

今、戦争が始まっています。戦争は絶対ダメです。殺し合うことはこれまでもあって、常にアメリカが介入して、残虐なことが報道されたことがありました。今の報道はね、同じ報道を何十回もするという、ちょっと懐疑的な報道があると思います。それだけ見て判断するのはどうかなというのもあります。

アメリカはベトナム戦争であれだけ人を殺して、そして多くの国がベトナム戦争に参加しているんです。韓国も。しかし、日本は参加しなかった。出来なかった。日本は安保条約、自民党政権のもとでもできなかった。

憲法ですね。きいつけないかんのは自民の動きです。憲法を変えると言い出しています。

重要な問題は、労働組合を味方につけると堂々と言っていることです。私は労働組合の出身で、これは見過ごせない。

ウクライナを取り巻く戦争についてもです。吉村知事はコメントを一切しない、エライと思います。橋下さんは毎日のようにテレビに出て、戦争について何でもかんでもコメントする。無視していきましょう。

吉村知事、一つ欠けているのは在日の子ども達に対する支援です。なぜかたくなに差別するのか。根本的な問題です。解決しないと日本の平和、世界の平和もありえないと申し上げておきます。



































チョン青年のアピールです。

初めまして。
在日青年同盟のチョンと申します。私は今年、29歳になります。

先日、朝高に通う子供たちが卒業式を迎えました。自分が関わる地域の子ども達の姿を見てきました。僕が18歳、高3の時に高校無償化と朝鮮学校だけが除外されるということが起こりました。僕は高校3年生であまり深く考えることができませんでした。

その当時、知事である方が学校にいらっしゃって、一緒にラグビーをして、サッカーをして”何も問題ない”という感じで仲良くなったとそう思っていました。その直後に高校無償化除外という、本当にひどい仕打ちを受けました。

僕は大学に進学して東京で学び、金曜行動など色々闘争を行ってきました。しかし、まだ変わらない状況です。卒業して11年が立ち、この間権利が認められず、悲しい気持ちにもなりますが、今後も抗して活動していきたいと思っています。
私事ではありますが、学友が結婚することになりました。1人は医者、1人は弁護士と日本社会の発展のためにとこころざしをもって学んできた子たちです。

こうした子たちのためにも除外はおかしいと思います。日本が嫌いで活動しておりません。
より良い日本社会を作るためです。早く高校無償化が実現するよう、日本と朝鮮の国交、有意義な発展のために頑張ろうと思います。






















若いオモニのアピールとシュプレヒコールと全員で合唱は「声よ集まれ 歌となれ」❣️

オモニ

おつかれさまです。私は大阪朝鮮第4初級に子どもを通わせている親です。
幼保無償化の新たな支援策に採用されたことを大変うれしく思っています。

ぜひとも大阪府全体で幼保無償化を採用してくださることを強く求めます。大阪朝鮮第4初級は今年、75周年を迎えました。来週火曜日、22日に公演を予定しています。子ども達が元気にリハーサルをしています。大阪府庁の皆様、子ども達の元気な姿、明るい未来を背負っている子ども達の姿をぜひ見に来てください。沢山の日本の方々に見に来ていただけるようよろしくお願いします。

*子ども達の学ぶ権利を保障せよ!

*朝鮮学校の子ども達を差別するな!

*朝鮮学校に高校無償化を適用せよ!

*朝鮮学校に補助金支給を復活せよ!

*行政が差別するな!


























































大村さんのアピールです。

大村さん

こんにちわ  今日で463回目になります。

3月13日は大阪大空襲があった日で、被害が一番大きかった日です。色々な方が証言しています。先日3月13日、朝鮮人の被害者の追悼集会がありました。2回目です。

当時、大阪では大阪の人口の1割が朝鮮人だったと推定されています。植民地支配下で日本にやって来ざるを得なかった人々や強制連行されてきた人々です。大阪空襲の被害者は1万5千人と言われていますが、その1割1200人以上の朝鮮人の方が亡くなったと推定されています。国や自治体が調査せず明らかになっていません。

日本名のまま記載されていて、本名での記載を求める動きもあります。聞き取り調査などで、ピースおおさかには177名の方が本名で記載されています。

こうした歴史を知る必要があると思います。13日の集会に当時12歳だった方が来られて証言されました。その方が、ずっと日本名で来たが、本名をつかったら楽に生きられるようになったとおっしゃっていました。それを聞いて朝鮮学校の子ども達の姿が思い出されました。


















最後の歌は大村さんの音頭で「勝利のその日まで」‼️














駐輪場での申し送りです。



















来る3月22日、大阪朝鮮第4初級学校の創立75周年イベントが行われます。皆さん是非お越しください。金剛山歌劇団とのコラボで行います。





火曜日バンドの木村さんがまたまた美味しいみかんを沢山持ってきて下さいました。






火曜日行動終了後、大阪府交渉に有志で参席し、3時間15分お話を聞きました。大阪府が先頭に立って民族差別、民族教育差別を平然とおこなってきたことを全身で感じ身震いしました。来週も頑張ります。勝利のその日まで!

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再掲いたします。この日を忘れないために!

2022-03-11 11:36:09 | 詩・コラム
決して忘れてはならない、風化させてはならないという想いで、拙い詩ですが、あのころに思いのまま書き続けた詩を掲載いたします。よろしければご覧くださいね。〈ニョニョ)





①しっかり 見るんだよ        
    
よし君、舞ちゃん
しっかり 見るんだよ
泣くだけ泣いたら
しっかり 見るんだよ

あなた達の先祖が築き
お婆ちゃんの思い出のアルバムも
喜びも悲しみもみんな詰まった
あなた達の故郷だよ

影も形もなくなった
家も 田んぼも 犬小屋も
根こそぎ 流されてしまった
一瞬に 流されてしまった

残ったのものは 残骸だけ
残ったものは 悲しみだけ
残ったものは 苦しみだけ

でも あなた達が残った
希望が 残った

しっかり 見るんだよ
ここにいた人たちを
ここにあった 家を 田んぼを

生きていれば 何とかなるよ
希望があれば 生きていけるよ
みんなが 応援してくれている
一人じゃないよ 私たちは

しっかり 見るんだよ
誰が 何を どのように したのかを

     2011・4・6




「똑똑히 보거라」
 
길남아,마이야
똑똑히 보거라
실컷 울고나면
똑똑히 보거라

너희들의 조상이 꾸리고
할머니의 추억의 사진첩도
기쁨도 슬픔도 고스란히 담긴
너희들이 자라난 곳이다

그림자도 흔적도 없어졌어
집도 논밭도 소도 개우리도
송두리채 흘러가버렸단다
눈 깜빡할 사이에 흘러가버렸어

남은것은 잔해만
남은것은 슬픔만
남은것은 고통만

그러나그러나 
너희들이 남았다
희망이 남았다

똑똑히 보거라 
여기에 살던 사람들을 
여기에 있던 집을 논밭을 강아지를 

살아있으면 어떻게나 산단다
희망이 있으면 살아갈수 있단다
만사람이 성원을 보내주고있지 않느냐
우린 혼자가 아니야

똑똑히 보거라
누가 무엇을 
어떻게 하자고 하고있는가를 



②「一杯のクッパッ」   
   
愛しい 卒業生達よ
とびきりの御馳走ではないけれど
一杯のクッパッに込められた想いを
忘れることなく 胸に刻んでおくれ

日本中の 同胞達が
心を込めて送ってくれた救援物資
その 貴重な 米と 野菜と 肉で
オモニ達は クッパッを作られた

全てが足りなくガスまで切れてたけど
まだ肌寒い校舎の外で
薪をくべながらご飯をたき
先生達は クッパッを作られた

大地震が起きた瞬間
自分の事より 初級部妹達の 身を案じ
揺れ動く校舎の中に 果敢にも飛び込み
毅然と後輩達を助け出した 卒業生達

校舎は傾き 窓ガラスはこなごな
寒さに震える 後輩達のため
ためらいも無く カーディガンを脱ぎ
ギュッと抱きしめてあげた 卒業生達

10年もの長いあいだ
兄弟のように過ごした 幸せな日々
君達の心に紛れも無く育ったものは
自分の事より先に 他の人を想う心

花より美しい心を育んでくれた
ウリハッキョに感謝を捧げ
君達が巣立っていく日に
とびきりの御馳走は出来なかったけれど

愛しい卒業生達よ 忘れないでおくれ
どんなときも1人では無い事を
母なる祖国が 見守ってくれている事を
手を差し伸べてくれた同胞達がいることを

行く手にいくら困難が待ち受けようとも
一杯のクッパッの 温かさを忘れず
願わくば 今度は 君達が
あったかぁいクッパッになってくれる事を
       
* クッパッ(お汁をかけたご飯)

―東北朝鮮初中級学校 卒業生達に―



「한그릇의 국밥」      

사랑하는 졸업생들이여
진수성찬은 차려주지 못했어도
한그릇의 국밥에 담긴 그 뜻을
영원히 잊지말고 간직하여라

일본땅 동포사는 곳곳에서
정성담아 보내준 구원물자
그 귀한 쌀과 나물과 고기로
어머니들은 국밥을 만드셨다

모든게 부족하고 가스마저 끊겼어도
아직은 바람 세찬 교사밖에서
장작을 피워가며 밥을 지으며 
선생님들은 국밥을 만드셨다

대지진이 일어난 순간
제몸보다 초급부동생들 걱정이 앞서
흔들리는 교사속에 용케도 뛰여들어 
끝내 동생들을 구원해낸 졸업생들

교사는 기울어지고 유리는 깨져
추위때문에 벌벌 떠는 동생들 위해
서슴없이 웃옷을 벗어 입혀주며
한가슴에 꼭 안아준 졸업생들

10년가까운 기나긴 세월
친형제처럼 지내온 행복의 나날
너희들의 마음에 고이 자라난건
자기보다먼저 남을 위하는 마음

꽃보다 고운 마음 키워준 
우리 학교에 감사드리며 
너희들 떠나가는 뜻깊은 날에
푸짐한 진수성찬 차려주지 못했어도 

사랑하는 학생들이여 잊지 말자
그언제나 우린 혼자가 아님을 
어머니조국이 항상 지켜보고있음을
진정으로 도와주는 동포들이 있음을

앞으로 너희들이 걸어갈 길우에
그 어떤 어려움이 닥쳐온데도
한그릇 국밥의 뜨뜻함을 잊지말거라
바라노니 다음은 너희들이 국밥이 되길 

 -도호꾸조선초중급학교 졸업생들에게-




③「天に向かって」           
            
大阪今里楠通りに 一本の桜の木
樹齢何十年になるのだろう

大人の腰ほどの太い幹は
化石の様にごつごつしているが
数百本の枝という枝には
愛らしい蕾が一斉に笑顔を見せ始めた

心ない人が引っ掛けてしまったのか
折れたまま辛うじてくっついてる枝にも
隔たり無く蕾は生まれ花をつけた
りっぱにりっぱに花をつけた

戦前 くねくねした 小川だったところ
その頃から 一本の桜の木は
道行く人々に 春を知らせてくれた
雨風に耐えながら 空襲をも乗り越え

何とたくましいのだろう
地面すれすれの所からも枝が延び
枝という枝の先は 天に向かっている
折れた枝さえも 天に向かっている

自分の花の重みに
押しつぶされそうになりながらも
力を振り絞って 天に向かっている
枝たちは 今も天に向かっている

一本の桜の木に 被災地の方々を想う 
天に向かって 一緒に生きていこうと
お日様は 今日も 燦々と降り注ぎ
元気になってと 励ましてくれている
         2011.4



「 하늘을 향하여 」
      
大阪 今里 楠거리에 한그루 벗나무
몇십년을 묵은 나무일가

어른의 허리마냥 굵직한 줄기는
화석인양 울퉁불퉁하지만
수백갈래의 가지란 가지에선
예쁜 꽃망울이 활짝 웃는구나

매정한 사람한테 걸리였는지 
꺾어진채 간신이 붙어있는 가지에도
차별없이 망울은 맺혀 꽃을 달았구나
장하게 장하게도 꽃을 달았구나

지난날엔 구불구불한 시내였던 곳
그때도 한그루의 벗나무는
길가는 사람들에게 봄을 알려주었지
모진 비바람을 이겨내며 공습마저 이겨내며

어쩌면 이렇게도 씩씩할가
땅바닥에 스치도록 가지는 뻗어
가지란 가지의 끝은 하늘을 향하고있네
꺾어진 가지마저 하늘을 향하고있네

자기 꽃의 무게에 
꽉 눌리울것 같아도
안깐힘을 다 써서 하늘을 향하고있네
가지들은 이 시각에도 하늘을 향하고있네

한그루 벗나무에 솟구쳐오르는 피해지생각
하늘을 향하여 함께 나아가고싶구나
해님은 오늘도 찬연한 빛을 뿌리며
다시한번 기운내라 고무해주고있거니




④「 仮面を剥がせ 」
       
同じ日同じ時間に
天地が揺れ山河が変わった

同じ日同じ時間に
田畑を失い家族までも失くした

同じ日同じ時間に
家屋が流され校舎がつぶれた

同じ日同じ時間に
絶望を突き破って立ち上がり助け合った

なのになのに 
彼方達は私たちを透明人間にしてしまった

《朝鮮の子供達だけは除外する》
高校無償化も 自治体の教育助成金も

彼方達には見えないのですか
悲しみを堪えながら近隣のために働く人達が

彼方達には見えないのですか
民族を越え助け合う親善の輪が

彼方達は人間の心を失った
100年が過ぎても変わったものが何も無い

《良識のある国》、《ひとつになった日本》
呆れて物が言えない 仮面を剥がしなさい

許せない 直ちに 取り消しなさい 暴挙を
良心が見ている 世界中が見ている
         
     2011.4



「가면을 벗어던져라」
           
한날한시에 
천지가 흔들리고 강산이 변했다

한날한시에 
논밭을 잃고 가족마저 잃었다

한날한시에 
가옥이 무너지고 교사가 망가졌다

한날한시에 
절망을 뚫고 다시 일어나 이웃을 도왔다 

허나 허나 
너희들은 우리를 투명인간으로 만들었다

≪조선학교학생만은 제외한다≫
고교무상화도 자치체교육조성금도

너희들에겐 안보이느냐
슬픔을 참아가며 이웃을 돕는 학생들이

너희들에겐 안보이느냐
민족을 넘어서며 협조하는 친선의 륜이

너희들은 인간의 마음을 잃은지 오래다
100년이 지나도 변한게 없구나

≪량식있는 나라≫,≪단결된 나라 일본≫
어안이 벙벙하다  가면을 벗어던져라  

용서치 않으리라 당장 거둬치우라
량심들이 보고있다 온 세계가 주시하고있다



⑤「無念の花」           

あたり一面 黄色い花
菜の花畑のように見えます
咲誇っているように見えます
でも私は 咲いてはならない花でした

私は冬キャベツ
あなたの食卓で喜ばれる筈でした
お好み屋さんで大活躍する筈でした

ビタミンCやUが 豊富で
ロールキャベツや トンカツの付け合わせに
薬の名前にもなりました 胃腸を整えると

津波で家が流され 人も、車も流されたのに
私たちは踏ん張り この地に生き残りました
なのに 進入禁止地域に指定されました
原発の放射能を一杯浴びたからと 誰のせい?

親子3代続いたキャベツ栽培
7500個の私たちは放置され
悲しみのあまり 自ら命を絶った御主人
泣く泣く この地を離れた ご家族

私たちは放射能の雨を浴びるだけ浴び
誰からも見向きもされないまま
黄色い花になりました 
恨みの花 怒りの花 無念の花に 
   
2011・6・30



⑥「うらぎり」
      
「愛してる 君のすべてを!
困難を一緒に乗り越えようね」

やさしく ささやいてた 貴方が
突然 言った 「さよなら」

「母さんがさ 駄目だってさ
丈夫な赤ちゃん産め無いからって」

嘘だよね 冗談でしょう?
死ぬまで一緒だって 言ったよね

どうなるの 私の心は?
これから 何を信じればいいの?
 
福島にいたことが どうして
別れる理由になるの? ひどい

胸が張り裂けそう 
誰を怨めばいいの?

  2011・7.3



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ニョニョの日記詩(A-17~A-23)バイリンガル

2022-03-09 20:48:38 | 詩・コラム

*ただの生活の記録ですが、ボケないように日記詩を綴っています。よろしければ読んでくださいね、






日記詩Aー17
大失敗


先週の土曜日の朝
パジャマのままコーヒー飲みながら
まったりしていたらピンポンの音が
え?リアン?!休校じゃ無いの❓
「ごめん!先に行ってて〜」
バタバタと着替えて
自転車に乗り 追いかけたけど
リアンは裏門から校舎内に!
やってしまった 大失敗❣️
リアンを一人で登校させてしまった
こんな失敗 初めてのことだ
5年間 1度の欠席もなく
一緒に登校したのに 本当に残念
ボケが始まったのかな 落ち込む私


일기시Aー17
대실패


지난주 토요일아침
잠옷 입은냥 커피 마시면서
한가하게 지내더니 핑퐁소리가
아니❓리안❓휴교중이 아니야❓
「미안!먼저 가줘 〜」
부랴부랴 옷을 갈아입고
자전거를 몰아 뒤쫓아갔지만
리안은 뒤문에서 교사안으로!
저지르고 말았다 대실패❣️
리안을 혼자서 학교에 보내고말았다
이런 실수는 처음이다
5년간 한번의 결석도 없이
함께 등교했는데 정말로 유감스러워
노망이 시작되였나 침울해진 나








日記詩 Aー18
嬉しい電話


久しぶりに電話が
愛しい教え子から❣️

「先生、結婚することになりました❣️」

嬉しくて ただ 嬉しくて
受話器を長い間 離せなかった

サッカー少年だった彼
中級部三年生の時
初めて入った国語の時間
黒板も見ず運動場ばかり見ていた彼
何日続いたろうか無視作戦

「なぜ?!」
長い沈黙の後やっと口を開いた彼
「前の男の先生が良かった」

笑えば良いのか叱れば良いのか
もう17年も前のお話
思い出すたび苦笑い

高級部時代
朝青の専従時代
大学時代
教員時代、、、

ずっと見守ってきた ただそれだけ
なのに彼が電話をくれた
胸一杯の喜びを運んできてくれた


일기시 Aー18
반가운 전화


오랜만에 전화가 왔네
사랑하는 제자한테서

≪선생님、결혼하게 되였습니다!≫

반가워서 그저 반가워서
수화기를 오래동안 놓지 못했네

축구소년이였던 그
중3때 처음 들어간 국어시간
흑판도 안보고 운동장만 바라보던 그
며칠 계속되였을가 무시작전

「어째서?!」
오랜 침묵끝에 간신히 입을 연 그
「이전 남자선생님이 좋았어요」

웃어야 할지 욕해야 할지
벌써 17년전의 이야기
생각 날 때마다 나오는 쓴웃음

고급부시절
조청전임시절
조선대학시절
교원시절…

내내 지켜보았다 그저그것뿐
헌데 그가 전화를 주었다네
가슴가득 기쁨을 날라다주었네






日記詩 Aー19
やっと登校


コロナ騒動のおかげで
1人休み 2人休み
やっと揃って登校だ
何か嬉しくて
繋いだ手に力がこもる
あと1ヶ月 
どうかお休みがないように
最後の日まで登校できますように
お願いしますと 空を見上げれば
真っ青な空が広がっていた


일기시 Aー19
겨우 등교


코로나소동때문에
한사람 쉬고 두사람 쉬고
겨우 함께 등교다
뭔지 기뻐서
잡은 손에 힘이 넘친다
나머지 한달
부탁입니다 쉬여야 하는 날이 없도록
마지막날까지 등교할수 있도록
도와주세요 하면서 하늘을 올려다보니
푸르른 하늘이 펼쳐졌었다






日記詩Aー20
薔薇屋敷


学校からの帰り道
毎朝 今里筋を西側に渡ると
その日の気分で帰る道を変える
今日は薔薇屋敷の前を通って帰る
春夏秋冬 薔薇屋敷は豊年だ
どんな方が住んでいるのか
主の顔を見たこともないけど
いつも豊年の 薔薇屋敷❣️
裏通りの車も通れない古い長屋だ
でもここだけは別世界 真っ白な壁
夢見る乙女が住んでいるのか
ヨボヨボのお爺さんが住むのか
想像するのも また 楽しい






일기시Aー20
장미저택


학교에서 돌아가는 길
매일 이마쟈또쓰지를 서쪽으로 건느면
그날의 기분으로 골목길을 바꾼다
오늘은 장미저택앞을 지나서 갈란다
춘하추동 장미저택은 풍년이다
어떤 분이 사시는지
주인얼굴을 본적은 없지만
언제나 풍년인 장미저택❣️
뒤골목의 자동차도 못 지날 공동주택
하지만 여기만은 별세계 새하얀 벽체
꿈꾸는 처녀가 사는지
비칠비칠 걷는 할아버지가 사시는지
상상 해보는것도 재미 아니냐





日記詩Aー21
最後の学芸会


ハルベは中大阪の一期生
孫のヒジョンは最後の卒業生
こんな偶然があるのですね
ハルベが通い 娘達や息子が育ち
孫たちと三代が通った中大阪
最後の学芸会を見ようと
コロナ禍でも沢山の方々が来られた
一つの演目を見るたび胸が熱くなり
孫の出番では涙をグッとこらえた
歌も踊りも口演も天下一品
勉強も運動もどこにも負けなかった
助け合い運動は特に素晴らしかった
保護者達は古き良き伝統を守ろうと
最後の日まで頑張っている
子どもたちが言った
中大阪の学校の名前は無くなっても
ここには新しい立派な中高級学校が
建てられるのだと❗️
時代の流れは止められない
理屈ではわかっているのに
最後の校歌の合唱ではついに涙が❗️
そうだ、子どもたちの言う通りだ
後ろはもう振り向かない
新しい明日を築くためまた頑張ろう
子どもたちの未来のために
民族教育の灯を消してはならない❗️
学校の数だけを考えるのはよそう
より良き環境を子どもたちのため❗️
大切な事を気付かせてくれた学芸会






일기시Aー21
마지막 학예회


할배는 나까오사까의 1기생
손자 희정은 마지막 졸업생
이런 우연이 있는거네요
할배가 다니고 내 아들딸이 자라고
손자들이랑 3대가 다닌 나까오사까
마지막 학예회를 보자고
코로나사태하에서도 많은 사람이 왔다
하나 연목 볼 때마다 가슴이 뜨거워지고
손자손녀가 나올 땐 눈물을 꾹 참았다
노래도 춤도 구연도 천하제일
공부도 운동도 비길데가 있었으랴
서로 돕고 이끄는 기풍은 교사에 넘쳤다
보호자들은 오래된 좋은 전통을 지키려
마지막날까지 전력을 다하고있다
아이들이 말했다
나까오사까 학교이름은 없어져도
이 자리엔 새롭고 훌륭한 중고급학교가
세워진다고‼️
시대의 흐름을 막지는 못하리라
머리안에선 리해되는데
마지막 교가합창에서는 드디여 눈물이
그렇다 아이들의 말이 옳다
뒤돌아보지 말자
새로운 래일을 꾸리기 위해 다시 힘내자
아이들의 미래를 위하여
민족교육의 불을 절대로 꺼서는 안된다
학교의 수만을 세우는것은 그만하리
보다 좋은 환경을 아이들을 위하여❗️
소중한것을 깨우쳐준 마지막 학예회






日記詩Aー22
「恋文」


海のような大きな心で
いつも励ましてくださった方が
大切なお手紙とプレゼントを
送ってくださった
足りないことだらけの詩集を
三冊も読んでくださり
感想まで下さった海一アボジ
詩「作業服」が一番気に入ったと
連れ合いへの想いが胸を打ったと
温かい言葉まで添えてくださった
コマッスムニダ!
80余年の異国生活の中で
文字はゴツゴツと粗くなられたけど
恋文のようなお手紙に
胸が高鳴りました
13歳の時初めて恋文くれた同級生を
60年振りに思い出しました






일기시Aー22
「사랑펴지」


바다처럼 큰 마음으로
언제나 힘을 주시는분께서
소중한 편지와 선물을 보내주셨다
부족함이 많은 시집을
세권 다 읽어주시고
감상까지 써주신 해일아버지
시<작업복>이 가장 마음에 든다고
남편에 대한 마음을 잘 알았다고
따뜻한 말씀까지 곁들여주셨다
고맙습니다!
80여해 이국살이속에서
비록 글자는 울퉁불퉁 거칠어졌어도
련서같은 편지에 가슴이 높뛰였습니다
13살때 처음 사랑편지를 준 동급생을
60년만에 떠올렸습니다






日記詩Aー23
二十歳の肖像


半世紀も前の写真が
今日も私に問いかける
思い残すことは無いのかと
1968年9月
大阪で五つの鉄筋校舎を建て
湧きに湧いていた同胞社会
毎日のように行われた祝賀大会で
歌い踊り祝った幸せだった日々
運動場に数千人が集まり
祝賀大会が終わった後も
延々と続いた歓喜の農楽
その隊列の中に
太鼓を叩きながら踊る私がいる
二十歳の肖像 生涯の宝物❣️






일기시Aー23
스무살의 초상


반세기가 넘는 옛 사진이
오늘도 나에게 묻는다
마음에 걸리는 일은 없느냐고
1968년9월
오사까에서 5교나 철근교사 일떠세워
들끓고 들끓었던 동포사회
매일처럼 벌어진 축하모임에서
노래부르고 춤추며 축하한 행복의 나날
운동장에 수천명이 모여
축하대회가 끝난 뒤도
오래오래 계속된 환희의 농악
그 대렬속에
북을 치면서 춤추는 내가 있다
스무살의 초상 한평생 안고 살 보물







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