ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

11月30日、450回目の「火曜日行動」です。

2021-11-30 15:47:00 | 火曜日
冬が近づいています。









今日は11月30日、450回目の「火曜日行動」が行われました。








今日のレポーターはハルモニ会の井上さんと







横道さんが担当して下さいます。







写真撮影はいつも若々しい松尾さんです。よろしくお願いいたします。








長崎さんの第一声始まりました。

☆ 長崎さん

今日は暖かい日ですが、朝鮮学校の補助金が打ち切られてもう10年が過ぎました。
2012年の4月17日にこの府庁前に立って、来年で実に10年になります。この火曜日行動を始めた時には正直に言って、1年も2年も続くだろうかと思っていました。大人が子どもを差別しない、誰が考えても当たり前の、こんな不当な差別がこんなに長い間続くとは思っていませんでした。小学生の頃に火曜日行動に来ていた子どもたちがもう成人し社会に出ていく、自分の子どもを連れてやって来るような、そんな歳月の流れです。

なぜ最も多くの在日韓国、朝鮮の人たちが大阪で暮らしているのでしょうか。突然やって来てこの街に暮らしているわけではありません。日本が植民地支配をし、その中で日本で暮らさざるを得なくなった、自分たちの国の文化やことばをすべて奪われ、名前も創氏改名というかたちで朝鮮名から日本名に変えられた、そのような中で戦後朝鮮学校は生まれました。子どもたちが、自分は在日韓国、朝鮮人であるというアイデンティティに誇りをもって生きていく、こうした学校があることが、私たち日本人にとってもどれほど社会を豊かにしてくれたのか、といつも思っています。

火曜日行動にはいつもいろんなメンバーが参加しています。国籍、思想信条、宗教、立場の違う人たちが、子どもたちの笑顔を守るというその一点で、違いを越えて集まって来ました。
そして何より、差別を受け続けてきた当事者であるオモニの方々、アボジの方々、学生、先生方が参加して自分の言葉で皆さんに語りかけています。今日も学生の皆さんが参加してくれました。

また、火曜日行動は、火曜日バンドという文化で支えられています。火曜日行動に来るとなにか雰囲気が楽しいね、いろんな人が自分らしくアピールをしていて、闘いの場ではあるけど楽しいね、とよく言われます。これから発表していただく森本さんはいつも三線で盛り上げてくださっていますが、歌人でもあり、朝日歌壇に朝鮮学校のことを詠った短歌を数多く投稿し掲載されてきました。闘いの中からことばが生まれる、闘いの中から文化が生まれると言いますが、私たちは厳しい闘いの中だけれど、人と出会い、つなぐことが楽しい、そして、輝いている子どもたちやオモニたちを見て、朝鮮学校を知り、マスコミで流されている偏見などから解放されてほしいとねがっています。

では、森本さんお願いします。











いつもマイクとスピーカーを運んでくださっている長崎さん‼️








今日のアピールトップバッターは大和高田から毎週来られている森本さんです。

☆ 森本さん

奈良県、大和高田市から毎週火曜日行動に寄せてもらっている森本です

先日、11月26日、奈良県橿原文化会館に大勢の人が集まり、奈良県日朝親善友好協会結成総会が催されました。火曜日行動の仲間の皆さんも大勢来てくださりとてもうれしく、心強かったです。火曜日行動の皆さんの応援の暖かさをあらためて身に染みて感じました。
オープニングで歌を歌わせてもらったのですが、よかったよかったという声をいただいて、ありがたかったのですが、そんな風に言ってもらえるようにできたのも応援あればこそです。
我々は集まって一緒に抗議の声をあげていることでお互いにどれほど応援の力をいただいているか、どれだけ励ましあっているかということをあらためて感じ、感謝している次第です。

橿原文化会館では、100人には届かなかったのですが、たくさんの人が集まって、奈良県親善友好協会の出発を誓いました。僕はその場に皆さんといて、まるで会館が、これからの新しいアジアに向かって船出する船に一緒に乗り合わせたように感じました。
池辺幸恵さんがお祝いの「ラ・カンパネラ」をピアノで弾いてくださって、続いて僕は三線で歌わせていただきました。これから平和と友好の新しいアジアに向かって船出していく、船出の銅鑼を打ち鳴らす気持ちでした。
今日はそのうちの、鳳仙花という歌の替え歌を歌わせていただいて、応援してくださっているお礼と、奈良県日朝親善友好協会がこれから荒海に乗り出していくその胸の高鳴りを歌わせていただきます。


  ♪ 朝鮮高校 無償化除外
    怒りの声挙げ 早くも十年
    差別の壁に 風穴あけよう

  ♪ 幼保無償化 またもや除外
    幼いこころを 差別で切り裂く
    国の病いの 根を打ち砕こう

  ♪ 北風吹き抜け 垣根も凍るよ
    やがて芽を吹く 春まで耐えよと
    鳳仙花 おまえの命を 祈るよ


ありがとうございました。我々はひとつです。これからも応援よろしくお願いします。


☆ 長崎さん

ありがとうございます。心をひとつにしてこれからも頑張っていきたいと思います。
それでは、京都から来てくださった方にお願いしたいと思います。














城北ハッキョのオモニたち








城北ハッキョの6年生の皆さんが来てくれました‼️









2週間後に4人目を出産されるヒャンヒさんが来てくださいました。この方は娘時代から来られていますが、必ずマイクアピールをして下さいました。













火曜バンドは不滅です‼️



















京都からまた来てくださった高橋さんがマイクを持たれました。

☆ 大阪府庁にお勤めの皆さん、ご苦労様です。
もし自分のお子さんが学校で歴史を習って来たときに、何か質問されたら親としてどのように説明されますか。
私の教えている6年生のお子さんが学校の社会科の先生に聞いたそうです。
「日本は戦争でひどい目にあったことを授業で習ったけれど、それ以前に他の国に対してしたことについてはあまり書かれていません。それはどうしてですか」と。
悲しいことに何も答えは返って来なかったそうです。はぐらかされたと言っていました。
もし、府庁にお勤めのお父さんお母さんが同じように質問されたらどのように説明されますか。

たとえば、塾で使っている社会科の資料集を見ますと、朝鮮戦争についての記述があります。受験対策として、「朝鮮特需」ということばを覚える以外に、その意味合いや、それが日本にとってどれだけ原罪になっているかは書かれていません。あたかも日本にとっては他人事のように書かれ、そのおかげで経済が生き返ったとかまるで良い出来事のようにもとれる記述がされています。鋭いお子さんなら気づくはずです。日本が原因となって隣の国で戦争が起きて、毎日人が死んでいく、それがきっかけで経済が復興しそれを特需と呼んでいる、そのことについて何かおかしくない?と聞かれた時に親としてどんな説明をしますか。

このあたりの問題を我々日本人が解決しない限り、良かれと思ってやっていることが、真心でやっていることが実は違うということに気づかないのです。せめて家族だけは愛してると思っているかもしれませんがそこには幾重にも折り重なった打算が働いているはずです。一定の人たちを踏みつけた上で成り立っている繁栄ならば、そこから問い直さなければいけないと思っています。自分のお子さんがまだ感性が鋭いうちに歴史のことで質問された時に、親としてどのように答えるのか、そのことについて考えてもらいたいと思います。
今日は以上です。














イケメン三人衆健在です‼️



























☆長崎さん

次はもうすぐ 4人目のお子さんが生まれるオンマからのアピールです。
最初に火曜行動に参加された時は独身だったのですよ😊

ヒャンヒさんがアピールをしました。

☆オモニ

アニョンハシムニカ みなさんお久ぶりです。
大阪府庁で働いているみなさんも、お久しぶりです。
恒例の2年に一度の産休に入ったので、久しぶりに火曜日行動に来れました。
多分2週間以内には生まれるかな、という状況です。

こうして子どもをたくさん産むことができる日本も素敵だなと思っています。
道行く知らない人からも「がんばってね」と声を掛けられることも多いです。
わたしはユニクロで働いているのですが、たくさんのお客さまが「コロナで大変だけど頑張ってね」とか「仕事しながらだけど頑張ってね」と声をかけてくださいます。
「4人目なんです」と言うとすごく喜んでくださいます。

子どもが生まれるというのは、私自身家族が増えるのも嬉しいのですが、みんなから「頑張ってね」とか「えらいね」とか「おめでとう」などなど嬉しい言葉しか聞かないんです。
出産出来る方、出来ない方、いろいろな方がおられると思います。私は今、自分勝手な出産と言うより、有難いことだし、みんなの愛があって出産に臨めるのだと感じています。

朝鮮学校無償化の問題、補助金の問題、まだまだ先が見えないのですが、子どもを育てるということは、出産も同じですが、国、行政、人・・・いろんな方の愛があって出来ることだと思っています。

ユニクロでは ―会社の福祉厚生を紹介する訳ではないのですが― 幼稚園、小学校に入学する時、お祝い金がもらえます。朝鮮学校も各種学校ですが日本の学校と同じように貰えます。 当たり前なんですが日本の学校と同じように認めてくれています。

「マスクを朝鮮学校には配りません」という誤報が流れた時、わたしは即、人事のほうに電話で意見しました。職員の間違った判断で誤報が出てしまったこと、全国の朝鮮学校にも配布すると言ってくれました。
朝鮮学校も日本の国で普通に存在しているし、日本の人達も認識はあるのですが、でも根本の政治が朝鮮学校を排除するという、ほんとうにひどい、ずるいやりかだと思います。

人権問題、LGBTなどの意識が日本でも世界でも広がっています。でも日本は法律とかルールは変えない。

わたしの4人目の子どもが朝鮮学校に行く頃までには、日本の人権問題も世界と同じようになってほしいし、なっていくと信じています。
朝鮮学校の問題だけではなく、「人が生きる」という権利に対しては、世界の先頭をいく気概で日本は変わってほしい。

2022年は皆が気持ちよく “ワアー” って暮らせる社会を作っていきましょう。
わたしも子育てがんばります!



































☆長崎さん

素晴らしいアピールでしたね。ありがとうございます。

大村さんもマイクを持たれました。


☆大村さん

450回目の今日は、城北朝鮮初級学校の6年生が参加してくれています。
朝鮮学校には日本の学校では当たり前のことが、無いわけです。
給食もそうです。給食が無いので、学期に一回、日本人の支援者で作ろうということで、この前も給食作りをしました。

給食の後、子どもたちはお礼に来てくれてお礼の言葉と歌をうたってくれました。
初めて給食作りに参加した方は、子どもたちの授業の様子を見て、日本の学校と変わらない様でも、やはり朝鮮語で学び、朝鮮人としてのアイデンティティをしっかり持って誇らしげに学んでいる姿にものすごく感動したと話しておられました。

今日は6年生の皆さんに一言アピールと自慢の歌をうたってほしいと思います。















☆6年生の男子

城北朝鮮初級学校の6年生です。初めて火曜日行動に参加するので緊張していますが、皆で「ソン プングム タヨ」(アコーデオン ひきながら)を歌います。


城北初級の6年生の皆さんが心を込めて歌を歌ってくれました。みんな涙をこらえました.















オモニたちもアピールやシュプレヒコールをし「声よ集まれ 歌となれ」を全員で歌いました。

☆幼稚班のオモニ

アニョンハシムニカ
今日は城北朝鮮学校の幼稚班のオンマ達と一緒に参加しています。
私自身はこの火曜日行動に参加するのは3~4回目になります。今日は450回目ということですが、皆さん暑い中も寒い中も何年間も参加されていることを思うと、高校無償化、幼保無償化、補助金の状況が変わっていないのをもどかしく思います。

私自身,城北初級学校出身で、今は子どもが三人通っています。
わたしの住んでいる所は、日本の人も一緒に住んでいる分譲地なのですが、その分譲地には、その校区の学校に通う子ども達が、もちろんたくさんいます。

でも、うちの子どもが朝鮮学校に通っているから、一緒に遊ばない、というようなことは全くなくて、学校から帰って放課後は皆一緒に分譲地の路地で遊んでいます。

こうやって子ども達は仲良く遊んでいるのに、「差別はいけない」「いじめはいけない」と言っている大人達が朝鮮学校を区別や差別するのは論外だと、ずっと思ってきました。

私は朝鮮初級学校、中級学校、高級学校と通学しましたが、自分の子どもが朝鮮学校に通う時に、まさかこの様になっているとは夢にも思っていませんでした。
なぜ大人達が朝鮮学校に通う子ども達を差別するのか、凄く悔しいです。
だからと言って自分の子どもを朝鮮学校に通わせないとなったら、それこそ、本当におかしな話だと思います。

自分の子どもには日本で育つけれど、朝鮮人としての自覚をしっかり持ってほしいので、これからも朝鮮学校に通わせ続けます。

大人が子どもに「差別やいじめを無くそう」と言うのだったら、もっと真剣に人種差別や人権を考えてほしいと思います。 コマスミダ。


☆歌とシュプレヒコール

♪歌『声よ集まれ 歌となれ』♪

シュプレヒコール
・子どもたちに学ぶ権利を保障せよ!
・朝鮮学校の子どもたちを差別するな!
・朝鮮学校に「高校無償化」を適用せよ!
・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ!
・行政が差別するな!













































最後の歌は歌舞団の和美さんの音頭で「勝利のその日まで」を元気に合唱しました‼️

























駐輪場での申し送りです。

















城北ハッキョの6年生の皆さんに大きな拍手がおくられました。








火曜日行動が先週は祝日のためお休みだったので何か懐かしく仲間と談笑して帰路につきました^_^

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ニョニョの日記詩「2-46~2-53」まで(バイリンガル)

2021-11-30 09:24:52 | 詩・コラム


日記詩2ー46
紅葉

遠くまで出かけなくても
学校前は既に紅葉している
秋が早足で駆け抜け冬仕度をしてる
風邪ひかないようにと
ダウンコート引っ張り出して
スパッツ履いて手袋にマフラー
完璧な冬模様
鏡を見て笑ってしまった
まるでクマのプーさんではないか


일기시2ー46
홍엽

멀리까지 안 가도
학교앞은 벌써 노란옷으로 갈아입었다
가을이 서뿔리 달려가 겨울차림이다
감기 걸리지 말자고
털외투 끄집어내여
털양말에 장갑에 목도리
완벽한 겨울모습
거울을 보고 웃음이 절로 났다
이게 뭐야 마치나 곰의 뿌상이 아니냐


日記詩2ー47
15年前の旅行券


15年前
還暦の日を迎えた夫に
会社から旅行券が贈られた
色々使ったけど6万円分だけ残り
何年も引き出しの中で眠っていた
ひょんなことからこの旅行券を
使い果たす機会がやってきた
昨日新幹線のチケットに代えてきた
行き先は各々違うけど
夜には宿所で合流する
次の日は港巡りをする予定
楽しみだなぁ 今からワクワク
どこに行くかは秘密!


일기시2ー47
15년전의 려행권


15년전
환갑의 날을 맞이한 랑군님께
회사에서 려행권이 선물되였다
이것저것 썼지만 6만원몫만 남아
오래동안 배닫이안에서 잠자고있었다
뜻밖에 그 려행권을
마저 사용할 기회가 찾아왔다
어제 신간선 차표와 바꾸어왔다
가는곳은 각각 다르지만
밤에는 숙소에서 합류한다
다음날은 항구둘레구경을 할 예정
신날거야 지금부터 두근두근
어디에 가는지는 비밀!


日記詩2ー48
580円のコート


この間、心斎橋に行った時
商店街をのんびり歩いていたら
露店でハンガーに吊るしたコートが
目に留まった 5800円?!
いや違う580円‼️
え?!もう0が見えない歳なのか?
いやいや間違いなくロングコートが
5 8 0 円‼️
試着してみるとピッタリ‼️
どこにキズがあるのかなぁ
遊び心で買って帰った
家に帰り隅から隅までよ〜く見ると
袖のつけ方が左右反対だった
なるほど それで安かったんだ580円
袖が反対だからと別に良いじゃない
毎朝、通学班を送る時着ている
喜ぶべきか 資本主義社会の矛盾


일기시2ー48
580엔의 코트


며칠전 싱사이바시에 갔을 때
상점가를 한가로이 거닐더니
로점에 옷걸개에 건 코트가 눈에 띄였다
5800엔?!
아니야 580엔‼️
뭐?벌써 0하나가 안보이는 나이야?
아니아니 틀림없이 롱구코트가 580엔
시착해보니 몸에 꼭 맞는다‼️
어디에 흠이 있을가
반장난으로 구입했다
집에 간후 구석구석까지 잘 살펴보니
소매를 다는 방법이 좌우 반대였다
오 그래서 헐했구나 580엔
소매를 반대로 달았다고 무슨 상관이랴
아침마다 통학반 보내면서 입고있다
기뻐해야 하나?자본주의사회의 모순


日記詩2ー49
イチョウの木が、、、


学校前のイチョウの木が
黄色の服に衣替えしょうとしている
短い秋が終わろうとしている
いつもなら日曜のたびに
あちこち出かけるのに
コロナのおかげで巣ごもり生活だ
でも通学班と毎朝歩くお陰で
木々や草花の変化に心踊らせて
枯れることなく平安を保っている


일기시2 ー49
은행나무가、、、


학교앞의 은행나무가
노란 옷으로 단장하려 한다
짧은 가을이 물러서려 한다
여느때 같으면 일요일마다
여기저기 나들이 하는데
코로나때문에 집안에 들어박혔다
하지만 통학반덕분에 아침마다 걸으니
나날이 변화되는 나무와 화초를 보며
마음 마를 날 없이 편하게 지낸다


日記詩2ー50
18.250日


嫁いだ日から
18.250日が過ぎ去った
長かったのか短かったのか
無我夢中の日々だった
色んなことがあったけど
大声で喧嘩をすることもなく
心穏やかな日々を送れたと思う
残された日々は多くないけど
1日1日を大切に生きていきたい


일기시2ー50
18.250일


시집간 날로부터
18.250일이 지나갔다
길었던지 짧았던지
무아무중의 나날이였다
가지가지 일들이 있었지만
크게 싸우지도 않고
너그러운 마음으로 맞고보낸 나날들
남은 나날은 그리 넉넉치 못하지만
하루하루를 소중히 살고싶다


日記詩2ー51
イオ


47年前
大阪朝鮮吹奏楽団の
第1回定期演奏会を聴きに行った
その日は夫も出演して
フルートソロをさせていただいた
曲目は「自由歌」革命歌謡だった
第39回目の今日の演奏会には
3番目の孫のリファが
ユーフォニュームで出演した
なんと嬉しい繋がりだろう
娘たちはピアノを演奏するが
管楽器の演奏はリファが初めて
ハルベは嬉しかっただろうな
代を継いで孫が演奏してるんだもの
これこそ「イオ」だね^_^
40回目の演奏会には
二人共出演できれば嬉しいな^_^


일기시2 ー51
이어


47년전
오사까조선취주악단의
제1회 정기연주회를 들으러갔다
그날은 남편도 출연하여
흐류트쏠로를 하였다
곡목은 「자유가」 혁명가요였다
서른아홉번째의 오늘 연주회에는
세번째손녀인 리화가
유호늄 악기로 출연했다
얼마나 기쁜 인연이랴
딸들은 피아노연주를 하지만
관악기의 연주는 리화가 처음
할배는 기뻤을거야 대물림이지 않나요
이것이야말로 「이어」이지요^_^
마흔번째 연주회날엔
둘이 함께 출연하면 좋겠구나^_^


日記詩2ー52
ふるさとの林檎


「ふるさと 碇ケ関のりんごです
今年も寒い季節がやってきました
体調には十分お気をつけて!」
とても美しい文字と真心で
今年もやってきたお手紙とりんご
寒い冬がやってくるというのに
私の胸はポカポカだ
ふるさとの朋友が今年も
碇ケ関のりんごを送って下さった
遠く離れてもふるさとを忘れるなと
毎年毎年送ってくださる
肉親とてこんなにあたたかだろか
支所長職も引退されたのに
まだ忘れずに送ってくださる
嬉しいのに涙がこみ上げてくる
必ず行きますね 碇ケ関に
コロナが明ければ真っ先に行きます
それまでどうかどうかお元気で‼️


일기시2ー52
고향집의 사과


「고향 이까리가세끼의 사과입니다
올해도 추운 계절이 찾아왔습니다
몸조리 잘해주십시오」
참으로 고운 글과 진정을 담아
올해도 내게로 온 편지와 사과
추운 겨울이 다가오는데도
내 가슴은 후끈후끈하다
고향집의 친구가 올해도
이까리가세끼의 과실을 보내주셨다
멀리 떨어져 살아도 고향을 잊지 말라고
해마다 해마다 보내주신다
육친인들 이렇게 따뜻할수 있을가
지소장직도 이젠 물러서셨는데
아직도 잊지 않고 보내주신다
기쁜데 웬 눈물일가
반드시 가겠어요 이까리가세끼에
코로나가 사라지면 맨먼저 가겠습니다
그때까지 부디 부디 건강하세요


日記詩2ー53
贈り物


いつもいつもいただいてばかり
遠くから金婚を祝いますと
とても素敵なプレゼントが‼️
「金婚式、チュッカトゥリンニダ❣️
2人で50年を歩むことができるのが
当たり前ではないのだなぁと思うと、
なんとなくお祝いしたくなったので、
贈らせていただきました❣️
これからもお元気でお幸せに😊」
あたたかいメッセージと共に
真心を贈って下さったKさん
本当にコマッスムニダ‼️
貴方のように私も他の方々を
心から祝ってあげることのできる
優しいお婆さんになりますね^_^


일기시2ー53
선물


언제나 늘 받기만 하네요
멀리에서 결혼 50돐을 축하한다고
아주 멋진 선물이 날아왔다
「결혼 50돐 축하드립니다‼️
둘이서 50년을 걸어간다는것이
간단치 않다는것을 느끼면서
왜서인지 축하드리고싶어
보냈습니다!
앞으로도 건강하게 행복하세요」
따뜻한 메세지와 함께
진정을 보내주신 k씨
참말로 고맙습니다‼️
그대처럼 나도 다른분들을
마음속으로 축하해드릴수 있는
마음착한 할머니가 되겠습니다。


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箕面の滝まで歩きました^_^

2021-11-29 21:25:00 | お出かけ
秋ともぼつぼつお別れ、恒例の箕面の滝まで歩いてきました。


















































































































今年も箕面のマイナスイオンに癒されて帰りました。



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秋の終わりに大阪城公園散策^_^

2021-11-27 17:48:00 | お出かけ
11月27日、秋の終わりに大阪城公園内を歩きました^_^

































































清々しい気持ちで帰路に着きました、さぁ今夜は東成ウリマル教室の日です。頑張ろうっと^_^
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朴八陽の詩5 [진달래 」(あまりに悲しい事実―春の先駆者 ツツジをうたう)

2021-11-26 12:30:04 | 詩・コラム
あまりに悲しい事実
   ―春の先駆者 ツツジをうたうー

              朴八陽

わたしにツツジの花をうたえというのか
この貧しい詩人に その寂しくもか弱い花を
早春、山あいに前ぶれもなく咲きはしたが
とある朝 風雨にむなしく散った花を
どんな言葉でうたえというのか?

うたうにはあまりに悲しい事実
百日紅のように真っ赤に咲くことも叶わぬ花を
菊の花のようにいつまでも咲くことも叶わぬ花を
刺すような氷雨に打たれ散った ふびんな花を
うたうより むしろ手に泣くだろうに

友よ もうあなたもこの花を見ただろう
あでやかな花々が一つなりとも咲き出すまえに
寒風が吹きすぎる山肌に寂しげに咲いている
春の先駆者! 薄紅色のツツジの花を

ツツジの花は春の先駆者
それは春の兆しを一番に告げる預言者
春の姿を初めに描く先駆者
風雨にむなしくも散る薄い花びらは
先駆者の不幸な受難だ

いったいなぜ この貧しい詩人が
このようにもその花を手に泣くのか知っていようか?
それはわれらの先駆者たちの受難の姿が
あまりにも多く 私の脳裏に浮かぶゆえ

うたうにはあまりに悲しい事実
百日紅のように真っ赤に咲くことも叶わぬ花を
菊の花のようにいつまでも咲くこと叶わぬ花を
冷たい雨風に打たれ散るか弱い花を
うたうよりは手にして泣くだろう

だが ツツジの花は訪れんとする春の姿を思い描きながら
寒風が吹きすぎる山肌で むしろほほ笑み告げるだろう
「いつまでも永く咲くは 花にあらず
先がけて春を知るのが真の花だ」と。
                 1930年
           (訳 上野 都)

진달래
-봄의 선구자를 노래함-

     박팔양

날더러 진달래곷을 노래하라 하십니까
이 가난한 시인서러 그 적막하고도 가냘픈 꽃을
이른봄 산골짜기에 소문도 없이 피였다가
하루아침 비바람에 속절없이 떨어지는 꽃을
무슨 말로 노래하라 하십니까?


노래하기에는 너무도 슬픈 사실이외다
백일홍처럼 붉게붉게 피지도 못하는 꽃을
국화처럼 오래오래 피지도 못하는 꽃을
노래하느니 차라리 붙들고 울것이외다


친구께서도 이미 그 꽃을 보셨으리다
화려한 꽃들이 하나도 피기 전에
찬바람 오고가는 산허리에 쓸쓸하게 피여있는
봄의 선구자 연분홍빛진달래꽃을 보셨으리다


진달래꽃은 봄의 선구자외다
그는 봄소식 먼저 전하는 예언자이며
봄의 모양을 먼저 그리는 선구자외다
비바람에 속절없이 그 엷은 꽃잎이 짐은
선구자의 불행한 수난이외다


어찌하여 이 가난한 시인이
이같이도 그 꽃을 붙들고 우는지 아십니까?
그것은 우리 선구자들 수난의 모양이
너무도 많이 나의 머리속에 있는 까닭이외다


노래하기에는 너무도 슬픈 사실이외다
백일홍처럼 붉게붉게 피지도 못하는 꽃을
국화처럼 오래오래 피지도 못하는 꽃을
모진 비바람 만나 흩어지는 가엾은 꽃을
노래하느니 차라리 붙들고 울것이외다


그러나 진달래곷은
오려는 봄의 모양을 머리속에 그리면서
찬바람 오고가는 산허리에서
오히려 웃으며 말할것이외다
≪오래오래 피는것이 꽃이 아니라
봄철을 먼저 아는것이 정말 꽃이라고≫-

1930년

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