ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

ニョニョの日記詩(2-31)~(2-36)

2021-10-27 10:17:05 | 詩・コラム




日記詩2ー31
どんなお仕事されてます?


良く聞かれる
どんなお仕事されてます?
返事に困り 口をもごもごさせる
専業主婦ですと 言うには
家の用事完璧に出来ていないし
活動家ですと 言うには
「火曜日行動」しか行けてないし
詩人ですと 言うには
名作も書けていないし
先生ですと 言うには
週2時間ぐらいしか教えていないし
一番困る質問だ
そうだ これにしよう
私 人間しています‼️


일기시2ー31
어떤 일을 하고계시나요?


종종 질문을 받는다
어떤 일을 하고계시나요?
대답을 어떻게 해야 할지 참으로 딱하다
전업주부입니다 하기엔
집일을 완벽히 하고있는것도 아니고
활동가입니다 하기엔
「화요일행동」밖에 못 다니고있고
시인입니다 하기엔
명작 하나 지은것도 아니고
교원입니다 하기엔
주에 2시간정도밖에 수업 못하고있고
가장 딱한 질문이다
그렇다 이걸로 하자
저 인간 합니다‼️





日記詩2-32
試験中


「昨日の試験どうやった?」
「三つ間違った」スファの答え
「そうか、、、今日も試験やなぁ」
「そうやで、明日もや」
「そしたら[スファと遊ぶ日]は
明日試験終わってからにしよか」
「そうしょう」一件落着
そうか 初級部2年生でも
試験はあるねんなぁ 大変やなぁ
ハンメは2年生の時多分
100%試験勉強しなかったと思う
偉いなぁスファ
明日は間違い二つまでにしいや


일기시2-32
시험중


「어제 시험 어찌되였니?」
「3개 틀렸어」 수화의 대답
「그래、、、오늘도 시험이구나」
「그래요 、래일도요」
「그럼 [수화와 노는 날]은
래일 시험 끝나고 할가?」
「그러자」 한건 락착
그런가 초급부2학년이라도
시험을 치는구나 애쓰는구나
함맨 2학년때 아마도
100%시험공부 안했다고봐
기특하구나 수화야
래일 틀림은 2개까지로 하자꾸나






日記詩2ー33
不思議な縁


55年前
歌舞団に入団した時
色白でとびきり美人な先輩がいた
先輩が踊るとみんなうっとり眺めた
何年かのち結婚され奈良に行かれ
双子の可愛いお子さんにも恵まれた
そのお子さんの一人と何十年後
文芸同の文学仲間として共に過ごし
今回もう一人のお子さんの娘さん
先輩のお孫さんと席を共にした
何という縁だろう
50歳は離れているお孫さんと
一緒に声を合わせ朗読の練習をし
一緒に笑い楽しいひと時を過ごした
その先生がうちの孫娘を教えている
幸せな 縁の不思議を感じた一瞬






일기시2ー33
신기한 인연


55년전
가무단에 입단했을 때
살갗이 하얀 미인선배를 만났다
선배가 춤추면 모두들 넋을 잃었다
몇해후 결혼하여 나라현에 가시고
이쁜 쌍둥이를 낳아 곱게 키우셨다
그 따님의 한사람과 몇십년후
문예동의 문학부에서 함께 지내고
이번엔 또 한사람의 따님의 딸인
선배님의 손녀분과 자리를 함께 했다
이런 인연도 세상엔 있는구나
50살은 떨어져있을 손녀님과
함께 소리 합쳐 랑독공부를 하고
함께 웃으며 즐거운 한때를 보냈다
그 선생님이 우리 손녀를 배워주신다
행복한 인연의 신기함을 느낀 순간






日記詩2ー34
サラン サラン テイクアウト


朝鮮新報の紙面の間に
1枚のチラシが挟まっていた
<サラン サラン テイクアウト>
お、若いオモニ会の皆さん頑張ったね
かっこいいチラシ作ったね

白菜のキムチに参鶏湯(サムゲタン)
雑魚炒めにトマトキムチ
写真を見てるだけでもよだれが…
だけど<テイクアウト>って何なの?
英語なんて<アイラブユー>しか
知らないんだけど

何々?<テイクアウト>が
包装販売だって?!
家まで持ってきてくれるの?
ヤッター!
膝の痛いハンメには持って来いだね
いつも忙しい嫁にも教えてあげよっと
食べるほどに学校愛の助けになるんだと

横もお向かいも裏の家もみんなに声かけて
<テイクアウト>するよ
<サラン サラン テイクアウト>最高!
分会長、<テイクアウト>お願いしますよ!




사랑 사랑 테이크아우트


조선신보 지면사이에
한장의 광고쪽지 끼여있었네
≪사랑 사랑 테이크아우트≫
오오, 젊은 어머니회역원들 애썼네
멋진 전단지 꾸몄구나

배추김치에 삼계탕
멸치볶음에 도마도김치
사진을 보기만 해도 군침이…
근데 ≪테이크아우트≫가 뭔데?
영어라곤 ≪아이라부 유≫밖에 모르는데

뭐뭐? ≪테이크아우트≫가 포장판매라고?!
옳지! 무릎이 아픈 이 할미에겐 딱이네
언제나 바쁜 며느리에게도 알려야지
먹을수록 학교사랑에 보탬이 된다니

옆집 앞집 뒤집 다 소리 걸어
≪테이크아우트≫ 하겠소
≪사랑 사랑 테이크아우트≫ 최고!
분회장, ≪테이크아우트≫ 부탁합시다!






日記詩2ー35
「罪ほろぼし」


久々に次女の勤める学校に行った
独唱、独舞会ーどの子も素晴らしい
手が痛くなるほど拍手を送った
帰り際 知り合いと挨拶を交わすと
その方が仰った
「いつも娘さんのかかわる行事に
来ておられますね。偉いですね」
とんでもないです、金さん
「罪ほろぼし」なんです
子どもたちが幼かった頃
私の仕事と子供達の行事が重なって
運動会や学芸会や行事に行けなくて
寂しい想いいっぱいさせたんです
それで今
「罪ほろぼし」してるんです


일기시2ー35
「죄갚음」


오랜만에 둘째딸 일하는 학교를 찾았다
재간둥이들의 독창、독무회
누구할것없이 너무너무 잘한다
손바닥이 아프도록 박수를 보냈다
돌아갈무렵 아는분과 인사를 나누더니
그분이 말씀하셨다
「언제나 자제분과 관련된 행사엔
꼭 와계시네요、훌륭하십니다」
천만입니다 김씨、「죄갚음」을 한답니다
아이들이 어릴적 내 직장과
아이들 다니는 학교의 행사가 겹치여
운동회랑 학예회랑 여러 행사에 못가서
섭섭한 마음을 많이 가지게 했어요
그래서 지금 「죄갚음」을 하고있어요








日記詩2ー36
たかが自転車事故
されど 自転車事故


100日前の7月14日
急な雨に洗濯物が濡れる心配先立ち
一目散で家に向かう途中
右横から突撃してきた自転車に
思いっきりぶつけられ
左膝から転倒した恐怖のあの日
左腕の痛みがこんなにも続くなんて
夢にも、夢にも 思っていなかった
3ヶ月が過ぎても痛みが止まらず
やっと整形外科でレントゲン撮った
骨に異常はないが腕の筋を痛めたと
電気治療も始めた よぎるのは後悔
今まで病院に行かなかった 後悔
すぐに治ると勝手に判断した後悔
たかが自転車事故
されど自転車事故
後悔と痛みだけを残した自転車事故
愚かな自分に後悔


일기시2ー36
고작 자전거사고
하지만 자전거사고


100일전인 7월14일
갑짝비에 빨래물 젖을 걱정이 앞서
쏜살같이 집을 향하는 도중
오른쪽골목에서 돌격해온 자전거에
가차없이 들이받치여
왼쪽무릎부터 굴러떨어진 공포의 날
왼쪽팔의 아픔이 이렇게나 계속될줄을
꿈에도 꿈에도 생각 못했다
석달이 지나도 아픔이 아물지 않아
겨우 정형외과에서 엑스선사진을 찍었다
뼈에 이상은 없으나 팔의 힘줄을 상했대
전기치료도 시작했다 머리 스치는 후회
이제껏 병원에 안 갔던 후회
곧 나아질거라 제멋대로 판단한 후회
고작 자전거사고
하지만 자전거사고
후회와 아픔만 남긴 자전거사고
어리석은 자신에게 후회
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10月26日、446回目の「火曜日行動」です。

2021-10-26 19:33:00 | 火曜日




秋晴れの火曜日。今日は446回目の「火曜日行動」の日です。






今日のレポーターはハルモニ会の井上さんと横道さんです。







写真撮影はいつもお馴染み、松尾さんです。短い時間ですが、心一つに発信して参りましょう。








三週連続で引っ張って下さった大村さんの第一声です。

☆大村さん

府庁で働いておられるみなさん、ご通行中のみなさん、こんにちは。今日はとても素敵な秋晴れになりました。私たちの心もこんな風な晴れ晴れとした気持ちになりたいものです。

今日で446回目となりました。9年と半年が経ちました。理不尽な日本政府のあり方、行政・自治体のあり方について、私たちの思いを伝えたくここに集まっています。

朝鮮高校だけ無償化制度から除外するのはおかしいと、全国5か所で裁判は闘われました。5か所全部が上告まで行きましたが、結果は1勝14敗となりました。この1勝はここ大阪の一審での判決です。朝鮮学校の存在を認め、民族教育の意義を認め、朝鮮民主主義人民共和国と結びついているのが何ら矛盾するものではないという、素晴らしい判決でした。この地裁判決が、高裁では何ら内容に触れることなく覆され、国に忖度した判決が出されました。他の14敗の判決もすべてそのようなものです。北朝鮮、朝鮮総連、それにつながる朝鮮学校というかたちで判決が出されたのです。日本にずっと存在し続ける朝鮮への差別感、拉致問題以降の、朝鮮に対する嫌悪感を利用しながら、これらの判決は出されてきたわけです。

なぜなのか。植民地支配の結果奪われたことば、歴史、文化、それらを取り戻すために朝鮮学校があるということを私たちが見据えて来なかった、植民地支配の歴史を日本社会がきちんと清算していないからです。今また植民地主義がこの日本で再生産されようとしているのです。まっとうな日本社会になってほしいという思いで私たちはここに立っています。

先週につづき、朝鮮大学校の学生さんたちが実習生として4人来られていますので、若い人たちの声をみなさんに聞いていただきたいと思います。



















京都から高橋さんがまた来てくださいました。









今日の火曜バンドの皆さんです^_^

















今日も朝鮮大学実習生の皆さんが大勢来ておられます。





















































アピールです。

☆朝鮮大学校生

通行人のみなさん、大阪府庁のみなさん、こんにちは。
このたび朝鮮大学校から実習生として来ましたリと申します。
2013年度から9年間続いてきた私たちの法闘争も敗訴で終わってしまいました。我々も東京虎ノ門で金曜行動というかたちで文科省の前で闘い続けてきました。僕は大阪出身で、中3の時から府庁前で火曜行動にも参加してきました。ですが、ずっと、ずっと叫んでも耳に入らないのか、声は届きません。

先ほど、大阪地裁の勝訴判決の話もありましたが、勝訴判決の歴史的意義は大きく二つあると思います。
一つは何と言っても我々在日本同胞たち、そしてここで雨の日も風の日も毎週立ち続けてくださっている日本の方々、の一致団結した力を見せれたということです。
もう一つは、朝鮮学校の正当性を日本に見せつけれたということです。
ですが、その後敗訴が続きました。

私たちは、あなた方の正義に訴えます。我々は、勝利が来るその日までここで叫び続けます。
日本のみなさんも、長い闘いとなるかもしれませんが、私たちも叫び続けますので一緒によろしくお願いします。










アピールが続きます。

☆朝鮮大学校生

通行中のみなさん、府庁のみなさん、私は朝鮮大学校に通う、今大阪に実習生として来ているものです。

私たち朝鮮大学校の生徒たちも、コロナ禍で経済的に厳しい大学生たちに向けた給付金制度から除外されるという差別を受けています。私は、ウリハッキョに通い始めて16年目になりますが、差別を受けない日はなかったと思います。愛知の朝鮮高校に通ったんですが、愛知でも裁判がある度に出向いて、街中でビラも配り、闘い続けてきました。朝鮮大学校でも金曜行動に出て、闘い続けてきましたが、結局、高校無償化裁判では不当な判決が出て敗訴になってしまいました。

朝鮮学校に通う学生たちは、朝鮮人として当たり前のこと、ウリマルを習い朝鮮の歴史を習い、同胞社会の中で、日本社会の中で生きていくために当たり前のことを学んでいるだけなのです。なのに、日本学生と差別をされて、当たり前にもらえる権利ももらえずに厳しい中で学ばなければいけない、こんな理不尽な差別はあってはならないと思います。
教育権はみなに平等に与えられるべきもので、自分たちは当たり前の権利ももらえずにこうやって毎週闘争を続けてきています。

今、大阪で実習しながら火曜行動に参加していますが、東京に帰っても日本政府の理不尽な差別に対して声をあげていきますし、朝鮮大学校を卒業しても、大阪で闘ってくれているみなさんと一緒に、差別がなくなるまで勝利を勝ち取る日までずっと闘っていきたいと思います。ありがとうございます。


☆朝鮮大学校生

ご通行中のみなさん、今日この火曜行動に参加しているみなさん、そして大阪府庁のみなさん、こんにちは。私は朝鮮大学校から実習で来たチェと申します。
自分は、広島出身で、高校三年生の時、高校無償化裁判ではじめて地裁判決を受けるという日、今でも忘れません、7月29日に不当判決が出た時、本当に悔しくて、怒りしかなくて、涙しか出ませんでした。日本の高校生と同じように勉強して普通に学校生活を送っているだけなのに、なんでこんな差別を受けなくてはならないのか、差別に対して憤りがこみ上げました。

そして、大学にあがってまでも、コロナ禍での大学生に向けた支援給付金までも援助されないし、ましてや今や幼稚園生にも幼保無償化から除外するという差別、こういった日本社会は許してはならないと思います。そんな中でも毎週こうやって火曜行動や東京でも金曜行動で自分たちは声をあげています。正義の問題だと思うので、ご通行中のみなさんには高校無償化、幼保無償化についてもっと関心を持っていただきたいし、府庁のみなさんにはこれに対してもっと真摯に向き合ってもらいたいと思います。

自分たちは、勝つその日まで絶対声をあげ続け闘い続けます。これからもよろしくお願いします。


☆朝大生

ご通行中のみなさん、府庁のみなさん、わたし達は今日も火曜日行動として声を挙げにきました。
私は朝鮮大学校から実習生として大阪に来ています。

私も高校時代差別の中で過ごしてきました。そして朝鮮大学でも朝鮮人だというだけで、差別を受けながら学生生活を送っています。
日本政府は高校無償化除外から始まり幼保無償化、そして補助金もカット、コロナ禍での大学生緊急支援給付金からも全て朝鮮学校が各種学校だからという理由だけで排除してきました。

幼稚園から大学まで、民族教育を受ける、その当たり前の権利すら認められず、私たちはずっと闘ってきました。当たり前の権利だから、本当は闘わなくてもいいのです。
でも私たちは、日本の方たちや外国の方たちと連帯して闘ってきました。
しかし、日本政府の考えは全く変わらず差別は続いています。

朝鮮人だから、○○人だからという理由で除外してきました。
政府は制度的に適用されないのだと言って、朝鮮人だから差別するということを隠してきました。
逆だと思います。朝鮮人だから差別する。それを隠すために制度的枠組みを作ってきたのが政府だと思います。
おかしいことはおかしいと私たちは主張すべきだと思います。

私達は朝鮮人として当時者として闘っていますが、おかしいと思った日本の方々も何年も声を挙げてくださっています。

今は朝鮮人という理由だけで差別されていますが、逆に日本人という理由だけで差別される日が来るかも知れない。誰がいつ差別を受ける当事者になるかわからない。そのような社会が21世紀も続いていると感じています。

だからこそ、市民の力で “おかしいものはおかしい” と声を上げ続けていく。これが第一歩だと思います。
この問題がニュースにも取り上げられず、誰の関心も引かない、その様なマイノリティの権利を、私達が主張して連呼して皆さんに解ってもらう。そして解ったからには一緒に連帯して繋げ広げていく。
それこそが私達同胞の力であり、日本の方々との連帯の力です。
私達は何時の日か勝利を勝ちとれると確信しています。
私達は今日も立ち、そして勝利の日まで立ち続けて声を上げ続けます。

皆さん! ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。









大村さんが繋いでくださいます。

☆大村さん

若者達が色々な訴えをされました。
彼等は高校無償化から除外された時、大阪府・市の補助金が無支給になった時、初級学校の低学年、中学年の頃でした。
その時きっと心の中で、色んなことを思っていたのではないでしょうか。
大学生になって、日本の政治について色々な意見を言われました。
朝鮮学校を外すために、法律を突然に変える。許せないことです。

今、選挙戦真っ只中ですが、彼等には一票がありません。
私は、彼等の思いを胸に、この様な差別政治をしない人に一票を投じたいと思います。










大和高田から毎週来られている森本さんのアピールと替え歌です。朝鮮の歌「鳳仙花」のメロディに乗せてうたわれました。自作です。

☆森本さん

24日の毎日新聞。衝撃を受けました。
「権力の犯罪 獄中13年―在日韓国人元死刑囚の歩み」これが毎日新聞のトップ記事で掲載されました。衝撃と同時に感動しました。
マスコミに対しては半ば失望していたのですが、新聞の一面に取り上げてくれた。そして大変良心的な記事でした。

そして、もう一つお知らせです。
奈良県では「日朝親善友好協会」が立ち上がりました。11月26日に結成総会を開催します。大きな勇気と希望をもらいました。
それで、歌が出来ました。「鳳仙花」という日帝時代から歌われてきた抵抗歌ですが、それを元歌にして替え歌を作りました。

池辺さんが伴奏してくださいます。
朝鮮語の元歌に続いて私の替え歌をうたいたいと思います。聞いてください。


















申さんのアピールと合唱。

府庁のみなさん、学生達のアピールに耳を傾けてもらったでしょうか?
自分達は学生時代を差別の中で過ごし「学ぶ権利はみな平等ではないか」と話してくれました。高校無償化から差別された彼等が社会に出て行きます。幼稚園児たちが無償化から差別され、コロナ禍の大学生支援金からも差別される。この差別はいつまで続くのでしょうか。一度この差別の連鎖を断ち切るためにも、大阪府庁が先手を切って、良い判断をされることを願っています。

歌♪♫『声よあつまれ 歌となれ』

シュプレヒコール

・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ
・朝鮮学校の子どもたちを差別するな
・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ
・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ
・行政が差別するな




シュプレヒコールが響き渡ります。




























最後の歌はカンさんの音頭で「勝利のその日まで」!




























駐輪場での申し送りです。




ちょぐっすんさんが今日も愛のキャンディを配達してくださいました。









行事のアピールが続きます。










大村さんがソウルのモンダンヨンピルからウォンで1000万円(日本円94万2.516円)が無償化連絡会大阪に送られてきたことを紹介されました、大きな拍手が送られました。みんなで記念写真を撮りモンダンヨンピルに送ることになりました。











本当にコマッスムニダ‼️



来週はみんな帰ってきます。来週からも頑張ります。
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ニョニョの日記詩(2-24)~日記詩(2-30)

2021-10-25 21:29:52 | 詩・コラム





日記詩2ー24
連名の花籠


思いもかけず
連名の花籠が届いた
1982年私が初めて教壇に立った日
中学一年生だった教え子
大学卒業後 母校ー東中に赴任し
長い間同僚だった英語の先生
もうお一人も元同僚だった優秀な方
ピアニストになると思っていたのに
日語の先生として東中で机を並べた
千葉と大阪に離れても二人は仲良し
いつも一緒だったお二人が
連名で花籠を贈ってくれた
定年退職の日から10年が過ぎても
忘れられぬ美しい追憶の中の二人が
拙い詩集の出版を祝い
これからもお元気でと贈ってくれた
真心が一杯詰まった花籠を‼️


일기시2ー24
련명의 꽃바구니


뜻밖에
련명으로 된 꽃바구니가 전해졌다
1982년 내가 첫교단에 선 날
중급부 1학년생이던 제자
대학졸업후 모교 동중에 부임하여
오래동안 동료로 일하던 영어선생님
또 한분도 동료였던 우수한 선생님
피아니스트가 될거라 이름 날렸건만
일어교원이 되여 책상을 나란히 했다
치바와 오사까로 떨어져도 둘은 친우
어려움도 기쁨도 함께 하던 두 선생이
련명으로 꽃바구니를 보내주었다
퇴직의 날로부터 10년세월이 지나도
잊지 못할 아름다운 추억속에 사는 둘이
변변치 않은 시집의 출판을 축하하여
앞으로도 건강하시라고 보내주었다
정성이 담뿍 담긴 꽃바구니를‼️






日記詩2ー25
さつまいも


冷蔵庫の中を片付けていたら
さつまいもが4つ出てきた
三つはコノミヤで先日買ったもの
後一つは奈良からの最後の芋
お鍋で蒸していたら
香りが台所いっぱい広がった
秋だなぁ 幼い時よく食べたなぁ
一日中傘を作っていたオモニが
お腹を空かせた私たちが夕食待つ間
蒸したさつまいも用意してくれてた
一瞬に子ども時代に帰してくれた芋
何歳になってもオモニが恋しい
いつもニコニコ優しかったオモニ
働いてばかりいたオモニ、、、


일기시2ー25
고구마


랭장고안을 치우고있더니
고구마가 4개 나왔다
3개는 슈퍼에서 며칠전 산것
나머지 하나는 나라에서 보내준것
남비에 담아 찌느라니
좋은 냄새가 부엌가득 퍼졌다
가을이구나 어릴적 많이도 먹었지
하루종일 우산을 만들던 어머니가
배고파하는 우리가 저녁 기다릴 때까지
찐 고구마를 준비해주셨었다
순식간에 어린시절로 이끌어준 고구마
몇살이 되여도 어머니가 그리워
언제나 벙글벙글 상냥하시던 어머니
일만 일만 하시던 어머니、、、












日記詩2ー26
お弁当色々


「今日のお弁当なにー?」
学校に向かいながらスファの質問
「今日は唐揚げ弁当やで」
「やったー‼️スファ大好き」
「せやけどハンメ、ハンメの弁当
いつも4つの繰り返しやなぁ〜」
(ううっ 見破られたか‼️)
その通りだよスファ
唐揚げ弁当、オムライス弁当、
焼肉弁当かハンバーグ弁当、
それにピビンパプ弁当の繰り返し
もう頭が錆びついて
他のメニューが浮かばないのさ
笑って許してふふふ
火、木 週2回のお弁当当番
でもね五色弁当だけは忘れないよ
ほうれん草、人参、卵、豆もやし
ミニトマト、ブロッコリー、
じゃこ炒め、それにサランさ、、、
これだけは毎回必ず入れるよ
栄養が片寄らないように
元気で過ごしてくれるようにと
祈りながらお弁当作るんだよ
サランサラン ハンメ弁当だよ^_^


일기시2ー25
도시락 이모저모


「오늘 도시락 뭐예요?」
학교를 향하면서 수화의 질문
「오늘은 기름튀김도시락이야」
「아싸ー‼️수화 제일 좋아」
「그치만 함매、함매도시락은 언제나
4종류가 반복되고있는것 알아요?」
(아차 꿰뚫어보고있구나‼️)
니 말 그대로야 수화야
기름튀김、오무라이쓰、불고기、헴버그
그리고 비빔밥도시락의 되풀이
하지만 이젠 머리가 돌지 않아
다른 메뉴를 생각도 못해
웃으면서 넘어가줘 ㅋㅋㅋ
화、목 주2번의 도시락당번
하지만 오방색은 절대 잊지 않아
시금치、홍당무、닭알 、콩나물
미니도마도、브록코리ー
멸치볶음、거기에다 사랑을 담뿍
이것만은 매번 빠지지 않아〜
영양이 한쪽으로 쏠리지 않도록
하루를 힘있게 지내도록
바라면서 도시락을 만드는거야
사랑사랑 함매도시락이야〜^_^






日記詩2ー27
心の友たちへ


10年近い月日
毎週かかさず
共に手を取り会って歩んできた
心の友たちが
お花を贈ってくれた
ルクリア ココ
花言葉は「清純な心」
朝からウルウルしています
還暦が過ぎて巡り合った友たち
育った環境も生活様式も色々だけど
一つの目標に向かって共に歩んだ
大切な友たちが 祝ってくれた
国の違いなどとっくに忘れてたけど
心のそこから嬉しい


일기시2ー27
마음의 벗들에게


10년가까운 날과 달
주마다 빠짐없이
손과 손을 잡고 걸어온
마음의 벗들이
꽃을 보내주었다
루크라아 코코
꽃말은 「청순한 마음」
아침부터 눈가가 촉촉합니다
환갑을 지나 만난 벗들
자라난 환경도 생활양식도 가지가지지만
하나의 목표를 향하여 함께 걸어온
소중한 벗들이 축하해주었다
나라의 차이같은건 벌써전에 잊었지만
마음속으로부터 기쁘다






日記詩2ー28
辛かった1996年


朝高の運動会が雨のため
午後からに変わったので
先にお墓参りに向かっている
25年前の1996年は
本当に辛く悲しい一年だった
3月に末息子が旅立ち
6月にはシアボジ(舅)が
10月にはシオモニ(姑)が
相次いでお亡くなりになった
いくら気丈な私でも
この一年だけは元気になれなかった


일기시2ー28
모질던 1996년


조고운동회가 비때문에
오후가 되였으니
먼저 성묘하려 이꼬마를 향했다
25년전인 1996년은
참으로 모질고 슬픈 한해였다
3월에 막내아들이 16살에 떠나고
6월에 시아버님이 떠나시고
10월에는 시어머님마저 떠나셨다
련이어 떠나가셨다
아무리 어기찬 나도
이 1년만은 견디기 힘들었다





日記詩2ー29
泣いて下さった


突然かかってきた電話が
「もしもし」
「もしもしオンニョ先生?
私です、oooです。
今、詩集読み終えました、、、
(嗚咽で通話中断)」
30年前 初めて手紙を下さった方
ハングル教室の教材にしたいからと
「山ツツジ」を選んでくださった方
いろんな縁が重なり
遠く離れていても心通わせた方
浮かぶのは優しい笑顔 と
決して清書しない草稿のままの手紙
大阪で10回目のオモニ中央大会が
催された時 偶然に再会し喜び合った
「今 しなさい」という詩と共に
後悔の無い人生をと下さった手紙
無言で励ましてくださった方
そんな方が泣いている
拙い詩集を読んで泣いて下さってる


일기시2ー29
울어주셨습니다


갑자기 걸려왔다 전화가
「여보세요」
「여보세요 옥녀선생?ooo입니다
방금 시집 다 읽었습니다...
(울음소리로 통화중단)」
30년전 처음 편지를 주신분
한글교실의 교재로 쓰고싶다고
[산진달래]를 뽑아주신분
여러가지 인연이 겹쳐
멀리 떨어져 살아도 마음 오가던분
떠오르는것은 상냥한 미소와
절대 청서 하지 않는 초고대로의 편지
오사까에서 10차어머니대회가 열린 날
우연히 재회하여 기쁨을 나누었다
「지금 하십시오」란 시와 함께
후회없는 인생을 보내자고 주신 편지
말없이 위로해주신분
그런분이 전화기너머에서 울고있다
서투른 시집을 읽어서 울어주셨다





日記詩2ー30
涙は何故出るのかなぁ


通学班を送って家に帰り
ホットを飲みながらほっとしてたら
宅急便がやってきた 和歌山から
とても胸を打つ感想文と
早生みかんがぎっしり詰まっていた
この頃歳のせいだろうか
すぐにウルウルしてしまう
自分の想いよりももっと深い感想
皆さん詩人じゃ無いかと思うほど
熱い熱い感想文‼️
70余年 いつもささえていただいた
今日もみんなと一緒に生きている
嬉しいのに涙は何故出るのかなぁ


일기시2ー30
눈물은 어째서 나오나요 


통학반을 보내서 집에 들어와
커피를 마시면서 휴식하더니
택배가 날아왔다 와까야마에서
가슴을 울리는 고마운 감상문과
와까야마의 귤이 잔뜩 들어있었다
요새 늙어서 그럴가
곧 눈물이 나온다
나 자신의 생각보다 더 깊은 감상
모두들 시인이 아닐가 생각할 정도로
뜨겁고 따뜻한 감상문‼️
70여해 언제나 이렇게 부추겨주셨다
오늘도 모두와 함께 살아간다
기쁜데 눈물은 어째서 자꾸 나올가?





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ニョニョの日記詩(2-16)~(2-23)

2021-10-23 21:24:24 | 日記




日記詩2ー16
手(2首)


手が、手だけは、、、
手が綺麗ねぇ と
手だけは綺麗ねぇ は
意味が違う
若い頃は、手が綺麗ねぇと言われ
今は、手だけは綺麗ねえと言われる
右手と左手
左手は今もお姫様の手
右手はグローブのような手
左手は添えるだけ
右手は使いっぱなしでゴツゴツ


일기시2ー16
손(2수)


손이、손만은 、、、
손이 곱네요 와
손만은 곱네요 는
뜻이 다르다
젊을 땐 손이 곱네요 라 말 듣고
지금은 손만은 곱네요 라 말 듣네
오른손과 왼손
왼손은 여전히 공주님 손
오른손은 가죽장갑 같은 손
왼손은 곁들이기만
오른손은 쓰기만 하여 울퉁불퉁






日記詩2ー17
快晴の運動会


一週間遅れの運動会
待ちに待った運動会
いろんなこと制限されても
子どもたちの笑顔がかがやいている
どの子も一生懸命
どの子も愛しい大切な宝物‼️






일기시2ー17
쾌청이야 운동회


1주일 기다린 운동회
기다리고기다린 운동회
이것저것 제약되였어도
아이들의 얼굴엔 웃음꽃 만발
어느 아이도 힘껏
어느아이도 사랑스러운 우리의 보물‼️






日記詩2ー18
「心」さんの灯りがともった‼️


緑橋のコノミヤの横の
居酒屋「心」さんの灯りがともった
長ーい間、緊急事態宣言が出るたび
まじめに本当にまじめに
店を閉めていた涙
やっと昨日から再開したようだ
コロナさん、これ以上ココロさんを
苦しめないでね
それでなくてもココロが痛いのに


일기시2ー18
「코코로」가 문을 열었다‼️


선술집「코코로」가 문을 열었었다
오래ー동안 긴급사태선언이 날 때마다
성실하게 정말 성실하게
문을 닫았었다 (눈물)
겨우 어제부터 재개한것 같다
「코로나」야 더이상 「코코로 」를
괴롭히지 말아다오
그렇지 않아도 「코코로」가 아픈데






日記詩2ー19
御手洗の滝


皆さん、この滝の名前呼んで見て
おてあらいの滝?
みすずの滝?
それが違うんですよ
「おちょうずの滝」と呼ぶんだって
朝、BSの旅物語で見てびっくり
日本の地名の読み方は本当に難しい
昔、修験者がこの滝に立ち寄り
手を洗って身を清めたことから
名付けられたそうなんですよ
佐賀県に位置する滝なんですって
一度行ってみたいなぁ
「御手洗の滝」‼️


일기시2ー19
御手洗의 폭포


여러분、이폭포의 이름을 불러보세요
오떼아라이의 폭포?
미수주의 폭포?
그게 아니랍니다
아침、티비의 려행프로를 보다가 깜짝
「오쬬주의 폭포」라 부른대요
일본지명을 불러보는건 정말 어려워요
옛날 수행자가 이 폭포에 들러서
손을 씻고 몸을 깨끗이 했다고
이렇게 이름 지었다 하네요
사가현에 자리잡은 폭포랍니다
한번 가보고싶어요
「御手洗의 폭포」‼️







日記詩2ー20
朝は共同作業


6時10分起床
目覚ましのアラームの音で起きる
すぐに始める お弁当作り
火、木は八つ 普段は一つ
夫は朝食作り
食パンにチーズとコーン載せて
トースターで焼いている
純ココアに牛乳と甘酒混ぜて
飲み物を作っているボケ防止だと
昨年の4月から始まった共同作業
私が居なくなっても
一人で充分生きていけるね と
いつも思う 共同作業


일기시2ー20
공동작업


6시10분 기상
자면종의 아람소리로 깨여난다
곧 시작하는 도시락만들기
화、목은 8개 평소는 1개
남편은 아침 준비
식방에 치즈와 옥수수알 얹어서
토스터로 굽는다
순코코아에 우유와 단술 섞어서
마실것도 만들어준다 치매예방이란다
지난해 4월부터 시작된 공동작업
내가 없어져도
혼자서 충분히 살아갈수 있구나라고
항상 느끼는 공동작업






日記詩2ー21
碇ヶ関のりんご


チエさんがまた送って下さった
ふるさとを忘れないでねと
青森県碇ヶ関のりんごを‼️
2011年7月 9日
生まれ故郷ー平川市碇ヶ関を
62年ぶりに 訪ねた
碇ヶ関支所の黒滝さんや花岡さんが
私の故郷を探すため尽力下さった
チエさんは私が生まれた木賃宿の
隣に住んでいた方 教員一家の娘さん
チエさんの証言のお陰で
私は還暦を過ぎて初めて
自分の生まれた場所を探せた
チエさんは感謝してもしきれぬ恩人
なのに毎年りんごを送ってくださる
形は不揃いで色も色々だけど
お店には売っていないりんご
チエさんが丹精込めて育てたりんご
ふるさとの香りが涙を誘う
また 行きたい


일기시2ー21
이까리가세끼의 사과


찌에할머니가 다시 보내주셨다
태여난 고향을 잊지 말라고
아오모리현 이까리가세끼의 사과를‼️
2011년7월9일
생을 준 고향ー이까리가세끼를
62년만에 찾았다
이까리가세끼지소의
꾸로따끼、하나오까시가
내 고향을 찾기 위해 힘써주셨다
찌에할머니는 내가 태여난 작은 려관의
옆집에 살던분 교원일가의 따님
찌에할머니의 증언덕분으로
난 환갑을 지나서야 처음으로
자기가 태여난 자리를 찾을수 있었다
몇번 감사를 드려도 모자랄 은인이시다
그런데 해마다 사과를 보내주신다
모양은 하나하나 다르고 빛도 다르지만
점방에는 안 파는 귀한 사과
찌에할머니가 정성담아 가꾸신 사과
고향의 향기가 눈물나게 한다
다시 가고싶다






日記詩2ー23
運動会の日に


秋晴れの日曜日
大阪中高 中級部の運動会
コロナのため昨年はリモート観覧
今年は祖父母も観ても良いそうだ
嫁が取ってくれた席で静かに観覧
元気一杯な生徒たちの姿に胸が熱い
校舎を眺めていると いつしか
記憶は55年前へと玉串時代へ
高3の運動会だけこの地で行われた
雑草が鬱蒼と茂り三日間草むしり
勿論校舎は無かったけど これから
ここが我らの学び舎になると思えば
草むしりも楽しいものだった
新校舎が建ったのは1973年9月
卒業してすでに7年も経っていた
我が子が巣立ち 今は孫たちが通う
三代が学び育てていただいた故郷
永遠なれ母校よ 大阪朝鮮中高よ‼️






일기시2ー23
운동회날에


하늘도 푸르른 일요일
오사까중고 중급부의 운동회
코로나때문에 지난해는 리모트감상
올해는 조부모도 관람해도 좋단다
며느리가 잡아준 자리에서 조용히 관람
용기백배한 학생들의 모습에 가슴뜨겁다
교사를 바라보느라니
기억은 어느새 55년전 따마꾸시시절에
고3 운동회만 이땅에서 진행했다
잡초가 무성하게 자라 3일간 잡초뽑기
물론 아직 교사는 없었지만 앞으로
여기가 우리의 배움터라 생각하니
잡초뽑기도 신나기만 했었다
새교사가 세워진것은 1973년9월
졸업후 벌써 7년이 지났었다
자식들이 여길 떠나고 손자들이 배운다
3대를 키워 일군으로 자라게 해준 고향
영원하라 모교여 오사까조선중고여‼️





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10月19日、445回目の「火曜日行動」です。

2021-10-19 20:56:00 | 火曜日






今日のレポーターはハルモニ会の陶山さんです。写真撮影は松尾さんです。今日も心一つに発信してまいります。



大村さんの第一声始まりました。

大村さん

府庁で働いている皆さん、ご通行中の皆さんこんにちは。少し肌寒くなってきました。そして雨が降っていましたけど、雨が上がりました。今日で445回目となります。高校無償化から除外され、大坂府・市の補助金が不支給となり、その適用と再開を求めて、ここでみなさんにいろいろな声を訴えています。

先日、日曜日に大阪朝鮮高級学校の運動会を見に行きました。朝、雨でしたので午後開催となりました。感染対策を講じながらの開催でした。観客数もいつもより少なかったのですが、競技内容・演技内容も少し変わってはいましたが、学生たちは本当に生き生きと、明るく元気にそして誇らしく頑張っておりました。

私はその姿を見て、どこの高校生も同じやん。日本の学校の運動会を見ても、日本の学校の学生を見ても、みんな同じなんですね。どうして朝鮮学校だけが、高校無償化から、また補助金不支給とされるのか、そういうことがいっぱい頭の中に巡りました。けれども、違いは朝鮮学校の運動会はすべて朝鮮語、ウリマルで行われています。子どもたち同士の会話もウリマルでなされてます。それが彼らの誇らしい姿、それを目の当たりにしました。

最後の演技では、卒業する3年生が未来というテーマで演技をしていました。その集団演技に彼らはどういう思いで演技をしているのかなとじっと見ていました。私自身が思うのに、彼らはじっとこの日本社会で、これから自分たちが輝かしい未来を作っていくんだ、朝鮮人としての誇りを、ずっと朝鮮学校で学び、誇りを持って生きていくこの姿を、そのままこの日本社会に向けて、未来に輝いていくんだ、この逆境の中でもたくましく生きていくんだ、そんな思いを一人ひとりの表情から感じながら、見せてもらいました。皆さん朝鮮学校を見てください。朝鮮学校の子どもたちに出会ってください。そう思います。


今日から選挙期間になりました。どの政党もいろいろなことを言っています。その中で多様性を重んじながら、過去の歴史に向き合って、この問題を一緒に解決できるような、そういうところを私は選んでいきたいと思います。

岸田さんがこの前初心演説でおっしゃっていたのに、何度、何度、国民の皆さんの期待に応え、国民の命と、今までみんな口調はそういいます。国民の中に在日の人たち、在日の子どもたちが入っているのでしょうか。税金はきっちりと皆さん納めておられます。私たちと同じように納めているのに、国民、国民、国民の中に、そして、この選挙からも一票投じること、自分たちの意思を投じることができない、この在日の人たちの想いが、どこまで政治をやっている人たちに届いているのだろうかと思います。この声が届くような一票を、私は投じたいと思います。皆さんもそうだと思います。今日もいろんな方たちが来られています。

まず朝鮮学校を卒業して、朝鮮大学校へ行き、その学生さんが大阪の学校に教育実習に来られています。学生さんに話してもらいます。



火曜バンドは不滅です。バンドリーダーの古賀さんは出張ですが、池辺さんが来てくださいました。



朝鮮大学の実習生がアピールの先頭に立ちました。

学生

 ご通行中の皆さま、そしてこの闘争に参加している皆さま、こんにちは。私は政治経済学部の法律学科4年生として、この大阪の地に実習生としてきました。

 私はこの生きてきた21年間ウリハッキョにずっと通ってきたのですが、私が生きてきた人生の中で朝鮮人として差別を受けなかった日はありませんでした。

 そして今も朝鮮大学校に通いながらも、このコロナの中で、経済的に難しい学生たちが多い中、その経済的基盤を支えるために政府が出してきたこの支援策、緊急給付金制度から私たち朝鮮大学校の学生は除外されています。

 私はこの除外制度に疑問を感じています。それは朝鮮大学校の除外問題だけでなく高校無償化問題、幼・保無償化問題も一緒で除外されていると思います。それは単に各種学校としての理由だけでなく、政治的外交的理由で差別していると考えています。ウリハッキョに通う生徒たちは、ウリハッキョに通う理由としては親、兄弟たちと一緒に、自分が在日朝鮮人として堂々と、この同朋社会の中で、日本社会の中で生きていく、そういうモットーをもってウリハッキョで生活していると思います。

 それなのに教育を受ける権利というのは、民族、人種関係なしに、皆が平等に受ける権利なのにもかかわらず、ウリハッキョの学生だけずーっと差別を受け、子どもたち・学生たちの教育を受ける権利を侵害していると思っています。私はこれからも卒業した後も継続して、この火曜行動、東京の金曜行動でも、私たちの主張はひとつも間違っていない主張だと思います。私はこれからもこの闘争に勝利するまで皆さんと共に闘い続けたいと思います。



朝鮮大学の実習生のアピールが続いています。

学生

 アンニョンハシムニカ。朝鮮大学校政治経済学部政治経済学科4年生として、大阪に実習に来て今日が2日目です。このように一緒に闘争できてうれしく思います。

 ご通行中の皆さん、自分たち在日朝鮮人は、70年以上たつこの歴史の中で、ほんとに長い間差別されて苦しい中で生きてきました。そんな中でも先代たちの闘争により、自分たちはそれでも今、この日本社会の中で朝鮮人として生きていける土台を、先代たちが作ってくれたと思います。そして高校無償化、幼・保無償化、補助金問題、そして朝鮮大学校の緊急給付金問題、いろんな差別がある中で、この差別を決して許してはいけないと思っています。

 このような社会ではいい日本社会は作っていけないと思います。高校無償化問題で言えば、5つの地域で裁判を行い、大阪だけ地裁で勝ったのですがそれ以外はすべて負けた、このような結果になっているのですが、自分たちがやっているこの闘争は全く不当なことではなくむしろ政府がやっている政策が不当だと言えます。

 自分たちは自分たちが朝鮮人としてこの日本で生きていくために必要な人権を守り、闘っているのです。日本人の皆さんにもこの問題に関心を持って、そして一緒に闘っていくそんな気持ちがあれば、自分たちもすごく心強いです。在日朝鮮人の明るい未来と幸福のために生きていきます。共に闘いましょう。



常時参加者の中山さんが久しぶりにマイクを持たれました。

中山さん

東成区にある朝鮮学校を支援している日本人です。先日西宮市で在日朝鮮人の学生が文化公演をしました。西宮市の甲陽園というところで、地下壕が戦中に掘られ、朝鮮人が動員されました。

 その壁には、「朝鮮国独立」「緑の春」という字が刻まれていました。そのことを題材にした創作劇です。内容が非常に濃く、考えさせられました。しかし西宮市は、その地下壕の銘板には、強制の字は一切使わずに、あたかも戦争の遺物のような形でしか保存されていません。そこで在日の青年たちが調査し、聞き取りをして創作劇を作りました。

 行政が歴史を捻じ曲げ、現在も在日朝鮮人に対する差別を強めています。このような中で在日朝鮮人が創作劇をし、その劇には日本人の市民団体も参加しました。このように日本人と朝鮮人、日本の戦前、戦中の歴史を正しくするような活動がされています。私はこのような歴史を改ざんする、そして朝鮮人を差別する行政を決して許すことができません。ともに頑張りましょう。



南大阪の「1%の底力」の伊関さんもマイクを持たれました。

 皆さんご苦労様です。1%の底力の伊関です。1%の底力という会は、日本人の会です。月収の1%を朝鮮学校のためにカンパして朝鮮学校を支えようという活動をしています。

 なぜ日本人がこういう活動をするかというと、日本の社会、大阪の未来を考えたときに、活力のある社会・未来というのは差別と排除の先には生まれない。人類は今や運命共同体の時代、ゼロサム思考ではやっていけないですよ。差別と排除ではもう成り立たない。そういう時代を迎えているのです。それをまだ差別と排除して、残った取り分を独占していくというゼロサム思考、いわゆる勝つか負けるか、そういう形の社会というのは前世期の遺物となってきている。まさに差別と排除の先には日本の・大阪の未来は無いという気持ちで、日本人としてこの活動に取り組んでいます。私たちの会はそういう会です。

 先日、能勢の田んぼで稲刈りしました。今年で25年になるのですけど、朝鮮学校の子どもたちと一緒に田植え・稲刈りをしてきました。今年は残念ながらコロナのために一緒にできなかったので、協力農家さんの機械をお借りして、一瞬のうちに終わったということです。

 実りは友好の実りです。先日南大阪のハッキョの方に5俵、100kg、城北ハッキョの方に1俵20kgお届けしました。これは日朝国交正常化と民族教育支援ということを願って、25年にわたって植え続けられた友好の実りです。

 これから朝鮮学校に対する差別なき無償化の適用、そして補助金の復活、これを切にお願いしてやみません。それは大阪の未来のため、日本の未来のため、活力ある未来のために決して欠かすことのできないことです。ともに頑張りましょう。アプロハムケ。



雨が降っても動じることなくペンを握る陶山さん!



中大阪初級にお子さんを送る田さんがマイクを持たれました。

オモニ 
 
中大阪から来ました。子ども3人ををウリハッキョに通わせているオンマです。昨日とその前の週とその前の週と小・中・高校とそれぞれ運動会があって、昨日は高校は見れなかったのですが、小学校と中学校、ほんとに楽しく見させていただきました。子どもたちがほんとに生き生きしていて、誇りを持って行進している姿を見て、ほんとに涙が出ます。

 私もそういう風に生きてきたし、子どもたちもそういう風に生きてきたし、次の代もぜひ民族の自分たちのルーツを知って、誇りを持ってこの日本で生きていってほしいなと思っています。

 朝鮮学校に対する圧力とかがあるのですが、いい加減、この悪循環というか、悪しき風習というか、これを断ってほしいなといつも感じます。私たちはここで日本の方たちと共存していくということが大事だと思っていますので、日朝国交正常化もいつかできたらいいなと思って、火曜日行動なかなか参加できないのですが、きょうも参加しています。今後も声をあげる大切さを感じながらまた来ます。



シュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が続きます。


・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ

・行政が差別するな



最後の歌は歌舞団の尹さんの音頭で「勝利のその日まで」‼️



いつものように駐輪場での申し送りです。



参加者の皆さんに和歌山の姜さんが送って下さったみかんを食べていただきました。



朝鮮大学の実習生が自己紹介をし、大きな拍手が送られました。お一人は北海道、もうお一人は三重の出身です。



12月26日に行われる神戸朝鮮高級学校吹奏楽演奏会の紹介がありました。故 田中ひろみさんが力を注いで来られたイベントの一つです。みんなで少しずつカンパもさせていただきました。



田中直子さんもアピールされました。



来週も頑張りましょう‼️

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