ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

追憶2015⑩ 3月末、青森の朋友たちが「60万回のトライ」を観に行ってくれました。

2015-12-20 23:16:45 | 日記



  





  2011年7月10,11日と生まれ故郷を探しに平川市碇ヶ関を訪ねた私は、花岡さま、黒滝さま、および支所の皆さまのおかげで生まれ故郷を探すことができました。あの日の感動は今も消えることがありません。

  あれから5年近い月日が流れましたが、恩人たちとの交流はずっと続いていました。秋になれば故郷を忘れないようにと津軽リンゴを送って下さり、どくだみ茶や栗やお米まで送って下さった方々!




  今回コマプレスの案内で「60万回のトライ」が青森で上映されるという嬉しいニュースを得た私は早速青森に連絡を入れました。年度末の決算などお忙しい中、4名の方々が青森まで足を運んでくださいました。







  今回の監督たちとの対面及び、映画鑑賞のため青森県女性同盟の林委員長がご尽力くださったこと決して忘れません。

  夏か秋に青森を訪問する時皆さんにじかにお会いしてお礼を申し上げたいと思います。

  花岡さん、黒滝さんも大変良い映画を見ることができたと有難いメールとこの2枚の写真を送ってくださいました。本当に有難うございます。こうして少しづつ雪が解けて行けば嬉しいなと思っています。

  花束まで準備して下さって本当に有難うございます。

  今日はとても嬉しい日になりました。

  追伸

  コマプレスのパク・サユ監督が写真とメールを送ってくれました。





  舞台の上にあがって頂いて、私とどこで繋がったのかという話をしていただいたそうです。なんかすごく恐縮しています。


  又サユさんが私の生まれ故郷の駅の写真も撮って送ってくれました。懐かしいです。








  有難うサユさん、トンサさん。


 それから青森の皆さん、本当にありがとう。生まれ故郷に帰ってきたような喜びを感じた日になりました。


 *約束から4年が経った今年の10月23,24,25日の三日間、生まれ故郷を再訪し朋友の皆さんと感激の再会をいたしました。
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追憶2015⑨ 3月22日、姜輝鮮朝鮮舞踊研究所の練習風景を観てきました。

2015-12-20 23:08:44 | 日記
姜輝鮮朝鮮舞踊研究所の練習風景を観に行ってきました。





リハーサルは29日、本公演ー第33回発表会は31日の6時半、クレオ大阪中央で開演ですが、司会進行を務めるにあたり、子供たちの表情が見たくて行って参りました。



すべての作品に朝鮮舞踊の心と歴史を感じました。素直で、一生懸命な子供たちの姿に練習なのに何回涙したか知れません。


踊りはうわべの美しさだけではありません。民族の魂、民族の心が込められなければ…


2歳から30年間通った方も出演されます。おしめも外せなかった3歳の時から通って今回独舞を踊る方もいます。





15歳の時に先生と舞踊の世界で巡り合って50年の歳月を共にしました。今からワクワクしています。










御年70歳を迎えられた今も舞踊一筋の人生をひたすら歩んでおられる先生を尊敬します。


 新しい物も良いですが、人生の年輪が凝縮された本物の舞台を是非皆さんに見ていただきたいですね。



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追憶2015⑧ キムキガンさんの一人芝居を中大阪で楽しみました。(アボジ会企画)

2015-12-20 22:57:08 | 日記



 3月14日、キム・キガンさんの一人芝居とアボジ達手作りのクッパプを美味しくいただき,至福のひとときを過ごしました。
























  
ー中山さんのFBでの投稿を転載させていただきました。ー

  「中大阪初級学校でのマダン劇。


 劇団「石(トル)」のきむ・ぎがんさんのひとり芝居『あずき粥ばあさんとトラ』。

  ひとり芝居というより、観客参加型の集団劇。マダン劇という表現方法は、朝鮮古来の伝統芸能のように思うが・・・

  ひとり芝居は、会場の教室に入る前の廊下から始まっている。会場の生徒たちは音声だけ。劇中のハルモニは、朝鮮学校の何かのイベントで「あずき粥」を売ってくれと頼まれたという設定。

  廊下の壁を触りながら、同胞たちが自分たちで学校を建設したなどと独り言を言いながら登場する(朝鮮訛りの関西弁で)。そして会場に入るなり、会場のハルモニの手を握り「いい指輪、してはるわ(朝鮮訛りの関西弁)」とか、生徒たちもひとしきりいじり、さて本題に。

  朝鮮の民話と思うが、ハルモニを食べにくるトラをいろんな動物などに「あずき粥」(この日はクッパ)を食べさせて、トラ退治をお願いするという物語。動物はまだ動きが想像できるが、「切り」や「すだれ」(写真)になった生徒やオモニは特長ある動きをして登場するのだが、その動きがコミカルで笑ってしまう。さらに指導するハルモニ(きがんさん)の動きがまた面白い。会場は爆笑の渦だ。

  


























































  登場する生徒やオモニは、事前に打ち合わせがなく、まったくのぶっつけ本番だという。なにかの動物になったオモニが突然、きがんさんの太鼓にあわせてアリランを踊りだすが、これが実にうまい。あとできがんさんに聞いたが、始まる前に参加者の様子を見て、決めるそうだ。(きがんさんのひとり芝居では、目をあわさないようにしなければ)


  1時間を越すひとり芝居。幼稚班の園児も大笑いで、最後まで熱心に観劇していた。これも驚きだった。

  園児でも、退屈しなければ、1時間でも集中できるということだ。芸術発表会で、踊りや歌など舞台には慣れている朝鮮学校の生徒、園児だから、きがんさんの「いじり」にも躊躇せずに参加できたのかもしれない。



  中大阪初級学校は六年生がいない。この日のイベントは卒業式がない3月を盛り上げるために設定されたようだ。今年の新入生、園児は増え、総勢50人ほどになるいという(現在は42人)。


  朝鮮学校は給食がなく、保護者、特にオモニの負担が大きい。そして、各種発表会、スポーツ大会、その他行事も多い。日本の学校より、生徒、保護者は大変である。財政的負担もはるかに大きい。もちろん、教職員も大変である。

  しかし、子ども達に母国語を学ばせ、民族の誇りを取り戻し、民族の歴史、文化・伝統を学ばせるために同胞社会一体になって、民族学校を支え、発展させている。


  今日の取り組みも含めて、朝鮮学校に行くとこれらの熱気、躍動を感じる。」(中山茂さんのコメント)







  一人芝居の間、笑い転げていた私だが、横の席の方々を見ても皆同じ、多分笑い過ぎて、ずいぶん皺も増えたと思う。でもこれは幸せのしわだから良いんです。




  これはびっくり!お芝居が終わり椅子を片づけていると、詩人仲間でもあり演出家でもある東京の文玉仙さんが、何故だかは知らないけど来ていらした、勿論再会の抱擁!

  先月の20日、文科省前で「要請行動」をした日、大きなマスクをつけた中年の方が「ソンセンニム!」と声をかけてくださったがマスクのせいもあり一瞬誰だかわからないほど痩せていらっしゃった。その日に比べれば今日は玉仙さん元気溌剌!楽しい空間を共にした喜びが湧きあがってきた。




  何日か前から声をかけていた「春母(ハルモニ)会」のメンバーも全員楽しい時間を共に過ごした。





 彼女たちは3階の「民族教育歴史資料館」にも足を運びじっくりと民族教育の足跡を追ってくれた、










  講堂にあがり美味しいクッパブを頂いた。







  食べているときキム・キガンさんが来られたのでお願いして一緒に写真に入っていただいた。木村さん、ごめんなさい。写真が切れていた(涙)









  今回の企画者であるアボジ会会長の守幸さんが今回の趣旨やアボジ会の方々の頑張りについて説明された。大きな拍手が湧きあがった。







  アボジ会の皆さん、本当にコマッスムニダ!おかげさまでとても楽しい時間を過ごさせていただきました。

  それからキム・キガンさん!今回も「在日バイタリチェック」に負けないほどの感動を有難うございます。一人芝居とマダン劇の素晴らしい要素をバランスよく取り入れ、子供も大人も楽しめる、素晴らしい公演でした。何人もの役者希望者が生まれそうでしたよ。


  一緒に見られた皆さんがとても素敵な感想を語ってくれました。一言でキム・キガンさんの人間性がそのまま表れた舞台だったと仰っていました。本当にコマッスムニダ!

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追憶2015⑦ 末孫のスファが1歳のお誕生日を迎えました。3月7日

2015-12-20 22:44:56 | 日記
昨日3月7日は、スファの1歳のお誕生日でした。





1年間みんなに愛されてすくすく育ってくれたことに感謝しています。

群馬からサドンニムも駆けつけて下さいました。家族みんなでお祝いしました。















 「トルチャビ」では「筆と馬牌」をつかみました。


 調べてみたら「筆」は勉学にいそしみ立派な学者になると、「馬牌」は今でいう検事、判事等正義のために戦う法に携わる人間になるしるしと書かれていました。





 
健康で社会に役立つチョソンサラムになってくれれば良いと思います。


 「100日チャンチ」の日にスファに贈った詩を掲載します。


「スファヘ」


10か月を待ちきれず
おまえはどうしてそんなに急いだの?

「絶対安静 絶対安静!」
何回聞かされた言葉だろうか
そのたび ただただ
無事を祈り続けた私たち

大きい姉のように歌が上手になるかなぁ
小さい姉のように絵が大好きになるかなぁ
それとも兄のようにウルトラマンになって
悪人どもをやっつけてくれるかなぁ

まっすぐで 純粋な人になれと
みんなでつけた名前もいいなぁ
呼ぶほどに愛しい我が家のスファよ

いつの間にか 迎えた「100日」
アックンアックンと アピールも半端じゃないね
4人兄妹の末っ子でも 私だけを見てよと!

「100日」は お前が生をうけ
365日間生き抜いた 嬉しい日なんだよ
わかめ汁と白ごはんで「三神床」準備して
感謝しながら 無病長寿祈ろうね

愛しいスファよ
家族みんながおもっている
厳しい風を防いであげたいと

私たちのもとへ来てくれた
大切なおまえの笑顔を
いつもいつも見ていたいから

  -100日を迎えた良い日に-


「 수화에게」

열달을 견디지 못하여
너는 어쩌자고 그렇게 서둘러
인간세상에 나오려 했느냐

[절대안정 조심조심!]
몇번 되풀이된 의사의 말
그때마다 그저 무사히 태여나기를
빌고 또 빌었거니

큰언니처럼 노래를 잘 부르려나
작은 언니처럼 그림을 좋아하려나
아님 오빠처럼 우르토라망 되여
나쁜놈들 호되게 때려부시려나

옥돌처럼 곱고 순수한 사람되라고
가족들이 달아준 이름도 좋구나
부를수록 정다운 우리 수화야

어느새 [100일]을 맞이했더니
아꿍 아꿍 재잘거리며 자기주장도 제법
네남매의 막내여도 나만 보아달라고!

[100일]은 네가 생을 얻은지
365일을 살아낸 기쁜 날이란다
미역국과 흰밥으로 삼신상 차려
감사드리며 무병장수 기원하자꾸나

우리 사랑 수화야
세찬 바람 불어도 꺾이지 말거라
일가친족 모두가 바람막이 될거야

고맙게도 우리에게 온 네가
늘 웃음꽃 피우며 자라주길
함메는 언제나 바라고있단다



1歳9か月になったスファは走り回っています。歌が本当に上手で音感がとても良いです。(ハンメバカです。笑)
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追憶2015⑥ 2・20~21 無償化連絡会全国大会に参加しました。

2015-12-20 14:58:23 | イベント
 2月20,21日に東京に行って参りました。




 上記の集いに参加するためです。


 大阪からは無償化連絡会の藤永共同代表、大村さん、藤井さん、朝高オモニ会副会長の沈さん、申さん、ハルモニ会代表の私の6人が行って参りました。


 1時20分、文科省前到着です。







 2時に文科省内に入り大きな部屋に全国から来られた無償化連絡会代表の方々が中に入りました。飛行機で到着したばかりの韓国のソン・ミヒ代表も途中から参加しました。





 全国無償化連絡会長谷川代表の要請に引き続き、地方の代表たちが続々と発言しました。


 大阪からは沈さんが自ら作ってこられた要請文を読み上げ担当者に手渡しました。





 藤永共同代表も大阪の現況を述べられ強く抗議されました。






 記者会見が別室で始まりました。






 ここでの様子は某新聞社の記事を転載いたします。


「高校就学支援制度でも対象外、朝鮮学校生徒ら抗議

 2年前に文部科学省が朝鮮学校を当時の高校無償化制度の対象に指定しないことを決め、その後の現在の制度でも就学支援の対象外となっているとして、朝鮮学校の生徒や関係者らがこの対応に抗議する記者会見を行いました。

 記者会見したのは、東京の朝鮮学校に通う現役の生徒や卒業生、それに教職員や保護者らです。会見した関係者らは2年前に文部科学省が当時の高校無償化制度の対象に朝鮮学校を指定せず、その後、制度が就学支援制度に代わってからも朝鮮学校が対象となっていないことについて抗議しました。

 下村文部科学大臣は2年前、日朝関係では拉致問題に進展がみられていないことや朝鮮学校が朝鮮総連と密接な関係にあり国民の理解が得られないなどとして朝鮮学校を対象に指定しないとしていて、その後は文部科学省は朝鮮学校側や支援者が各地で起こしている裁判を見守る姿勢を示しています。

 20日の会見で朝鮮学校の関係者らはこうした対応が朝鮮民族に対するヘイトスピーチを助長させる弊害をもたらしてきたなどとする談話を発表するとともに、今後も朝鮮学校を就学支援の対象とするよう訴えていくとしています。(20日19:41)」





 地方を代表して大阪の藤永共同代表が発言しました。主に大阪での戦いの内容です。


 政府の無償化除外差別が地方に与えた影響の大きさについて、ヘイトスピーチを助長させたことを文科省が認識しているのかな、と感じずにはいられませんでした。


 彼らの返答は、上司に伝える、裁判の行方を見守る等のおうむ返しだけです。


 まるでロボットがおうむ返ししているように感じました。


 文科省への要請は3回目ですが、年々私たちに対応する職員が若くなっています。上司は知らん顔、新入りに対応させて高みの見物でもしているのでしょうか。


 4時からは文科省前の金曜行動に合流しました。凄い熱気です。文科省を取り囲んでいます。1000人は軽く超えていることでしょう。


















 全国無償化連絡会の長谷川代表や韓国から来られたソン・ミヒ代表の力強い連帯の挨拶も参加者に大きな勇気を与えたと思います。


 大阪代表も紹介され全員が一言ずつアピールを行いました。





  終わってから記念撮影です。





  藤井さんだけビラを配っててまに合いませんでした。


  FBを通じて知り合った金曜行動の先頭に立っているオモニたちや日本の友人、ソン・ミヒさんらと写真を撮りました。昔から知っているような錯覚を覚えるほど親近感を覚えました。Fbの力はすごいですね。







  そのまま、秋葉原に移動して全国から来られた方々との交流会に参加いたしました。日本の方がたと半々です。








 全員が紹介され一言ずつ喋りました。私は日本の友人たちとの心の交流を詠んだ自作詩「あなたと私」を朗読させていただきました。






「あなたと私」

            
うんざりするような梅雨時も
冷たい風吹く冬の日も
いつも「火曜行動」の日には
約束したように府庁前でお会いしましたね

日本人のあなたと朝鮮人のわたし
歳も近く考え方も似ているのに
なぜか心のなかが見えなくて
もどかしい時もたまにあったけど

あなたが初めてマイクを握った日
朝鮮の子どもたちをいじめないでと
震える声で 涙ながらに訴えた日

胸の中にくすぶっていた小さな壁が
さらりと崩れていくのを感じました
電流のように繋がりました 心と心が

あなたの涙は清らかな水滴になり
私の心の中の種にも降り注がれ
信頼と連帯の花が咲きはじめたのです

目的地は果てしなく遠いけど
あなたと私 一つになるなら
行く手を阻むものは 何もない
子供たちの笑顔を守れぬわけがない

会うごとに深まる私たちの友情
約束はしていないけど あなたと私
火曜日にはまた会えることでしょう










  「ウリハッキョ」と子供たちを守る市民の会の共同代表の連帯の挨拶と今回持ってきてくださった横断幕が胸を打ちました。

  その日は大久保に泊まり友人と再会し11時まで語りあいました。

  次の日は又ほかの友人お二人と赤羽で再会し元気の出るお話をしながら昼食を頂き、今日の全国集会の会場である東京文化会館に向かいました。偶然同じ日に行われた東京中級部の学芸会を見ることができました。(前日に模様はアップしてあります。)














  感動の内学芸会は終了し5時半から集会が始まりました。





  写真撮影は禁止されていたのでこの日の内容を要約してくれていた友人のFbの記事を転載いたします。


  「 昨日の全国集会、さながら裁判勝利・無償化適用・差別排除の「前夜祭」のような盛り上がりでした。

  ・オープニングの留学同の演劇、参加者の気持ちを一つにしてくれました。


  ・三年生の「まさか後輩に受け継がせるとは思っていなかった」、「悔しい」の言葉が胸に突き刺さりました。


  ・韓国の「市民の会」のみなさん、コマッスムニダ。

  会場で掲げられた「共にする金曜行動・今日も続く!勝利の日まで!」、「子どもたちのため力強い連帯 私たちは必ず勝利します」との横断幕、そして「(支援・関心を示すのが)遅れてミアナムニダ」を繰り返されたソン・ミヒさん連帯挨拶、力づけられました。


  ・地方の代表は言いきっていました。「被告側」のお粗末な「反論」、そもそも差別を正当化する論拠などないと。

   それにしても、あるfb友だちは「人波」と発信していましたが、文化会館の一階にこれほどの人が集ったのは、ここ数年なかったのでは…。たくさんの日本の市民が参集しました。

   食堂から180余りの椅子を運び入れ、それでも足りず、当初予定していなかった2階席にまで。たたかいのなかで、「民族教育が同胞社会の礎」との思いが強まっているのでしょう。
   
   関東一円から組織的に動員したとはいえ、朝大生は試験や、アルバイトなどでいつもの参加者の五分の一だったとか。それでもこの「人波」です。

  「祝賀集会」の場は、もっと大きな「ウリハッキョ チキジャ(私たちの学校を守ろう)」のうねりが、きっと支援の輪ももっと大きく広がっていることでしょう」(金日宇さんのfbから転載)


   大阪代表も紹介され藤永さんがアピ-ルをされました。私たちも紹介され起立し皆さんに一礼をいたしました。

   大勢の昔の仲間たちとの再会を果たし、新たに数知れない同志たちを得た、感動的で勇気を頂いた二日間でした。











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