ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

9月29日、398回目の「火曜日行動」です。

2020-09-29 16:51:11 | お知らせ
爽やかな季節がやってきました。コロナ感染予防のため緊張は解けませんが秋という季節が滅入っている気持ちを少しは慰めてくれるようです。



今日のレポーターはお二人です。前半はハルモニ会の横道さんです。



写真撮影はいつも明るい松尾さんです。今日も力を合わせて発信してまいりましょう。



長崎由美子さんの第一声はじまりました。

☆長崎さん

府庁のみなさま ご通行中のみなさま こんにちは
わたし達は2012年4月から毎週火曜日に、ここに立ち続けて398回目になります。
10月13日に400回をむかえることになりますが、本来決して誇るべき数字ではありません。

朝鮮学校に学ぶこども達の笑顔と夢を大人が奪ってはならない。この当たり前のことを要求して、ここに立ってきました。
こうして立ち続けても、朝鮮学校の子ども達への差別が止まないばかりか、この大阪府の補助金はストップしたままであり、「高校無償化」制度から排除されてもう10年が経ちます。昨年10月から始まった、「幼保無償化」制度からも朝鮮学校幼稚園は除外されています。

「人権を守ろう」「いじめを許さない」こうしたスローガンがどこの役所や学校や公共施設に行っても掲げられています。これは当たり前のスローガンです。
それが朝鮮学校に関しては当然のごとく差別をし、朝鮮学校への差別が明らかになるとともに、いわゆるヘイトスピーチというものが非常に露骨になりました。

(ここで自転車で通行中の男性から “がんばれー” と応援の大きな声が! 長崎さんが「ありがとうございます」とマイクで応える一幕がありました)

露骨なヘイトスピーチに対して、日本で共に暮らす人達に対するへイトスピーチは許せない!とカウンター行動をする日本人の仲間もおられます。
また、川崎市では先日、ヘイトスピーチを行う団体に対しては罰則も含め、こういう団体には公共施設を貸し出さない、というヘイトスピーチ条例ができました。

しかし、大元である国、そして大阪府といった自治体が朝鮮学校に対して補助金を打ち切る、
すべてのこども達が平等に教育を受けられるために施行された「無償化」から朝鮮学校を除外する。ヘイトスピーチの背景には、これら国や自治体の差別があります。

私たちは司法に訴えを起こしました。しかし、「高校無償化」裁判では大阪地裁で唯一勝利判決が出ましたが、高裁、最高裁では敗訴でした。補助金裁判では地裁も敗訴でした。
強いものには巻かれろ。時の権力者にとって都合の悪いことは認めない。そんな司法から私たちの訴えは却下されました。

しかし、裁判は負けても、この火曜行動は続いています。
人間が人間として自分を愛し、ありのままの自分を認め生きていくという、こんな当然の権利を認めない。このことが日本社会を壊してきたと思います。

今回大阪市を廃止するという住民投票がコロナ禍にも係わらず11月1日に行われます。
多様な意見を排除し、自分達の意見を一方的に上から大声で押し付けてくる。それが今回の投票です。
これを見ても、わたしは朝鮮学校が受けてきた様々な差別と日本社会のこの状況は、本当に繋がっていると改めて思います。

火曜行動の8年を振り返えると、オンマに抱かれて参加した赤ちゃんはもう初級の3年生に、幼稚園の子ども達はもう中級学校になりました。
諦めずに続けていくことが、いつか正義に通ずることを、大人が諦めないで見せていく。
そして、次の世代の子ども達に渡していくことです。

沖縄では基地であれほど弾圧されても、諦めないおじい、おばあ、の闘う姿を見て育った若者たちに闘いは繋がっていっています。

朝鮮学校のこども達も春休み、夏休みなどにこの火曜行動に参加されます。
本来こども達がこの様な場に来て訴えなければならないことは残念なことですが、諦めないで、自分達のためにたたかっているオモニ・ハルモニがいる。同胞がいる。そしてこのようなことを変えていくのは、日本人の責任だと思ってたたかってくれている日本人がいる。
ここに来たこども達が見てくれていることが大きな力になっています。

今、心に傷を負って引きこもってしまう、社会の中で挫折して自分自身を失ってしまう、心が折れてしまう。こういう人達が日本社会で増え問題になっています。

私は朝鮮学校のこども達との出会いの中で、自分自身のアイデンティティを持ち、自分自身を認め、自分が認められるから、他人の持っている良さも認めることができる。そうした朝鮮学校の卒業生が日本社会に出ていった時に、色んな差別やハードルがありながらも、自分自身をきちっと持って明るく前向きに生きている姿をたくさん見てきました。
こうした朝鮮学校が育てている豊な人間性、それが日本社会の中で、どれほど大きな力になっているのか、それをぜひ多くの方々に知ってほしい。
大阪府庁で働いておられる方々も、ぜひ朝鮮学校の本当の姿を見ていただきたいと思います。




火曜バンドは不滅です❗️



生野地域のオモニたちやおじさんたち。



今日は火曜バンドの皆さんのアップをしますね。



今日初めて来られた大森さん❗️



おなじみの平石さん❗️



大村さんがマイクを持たれました。

☆大村さん

府庁で働いているみなさん  ご通行中のみなさん
爽やかな秋になりました。でもわたし達の心はそんなに爽やかではないのです。
まだまだ諦めないで頑張ろうという気持ちで、今日もここに立っています。

昨日は旭区にあります城北朝鮮初級学校の運動会がありました。
今年は観客は保護者と同居の家族のみということでした。もっとたくさんの人に見てもらいたいのですが、わたしは代表で見に行かせてもらいました。

このコロナ禍の中で、こども達は一生懸命練習して競技や演技をがんばりました。
最初に校長先生のご挨拶がありました。
コロナ禍で3ケ月の休校を余技なくされました。でもこども達はしっかり学習し、朝鮮統一の主人公になるために学んでいましたと、保護者や家族の方々に挨拶されました。
校長先生の言葉に「この学校をしっかり守って行こう」という思いがあふれていました。

勿論、運動会すべてが朝鮮語で行われていました。競技の進行もこども達が朝鮮語でやっています。幼稚園のこども達もしっかり朝鮮語を聞いています。小さい時からそういう環境で育つことによって、自分の国の言葉や文化を自然と身に付けていく。それが大事なことだと思いました。朝鮮学校幼稚園のこどもを「幼保無償化」から排除することは、以ての外だと思います。
こども達は久しぶりの行事に元気に生き生きと頑張っていました。

菅新政権は拉致問題を引き続きやる。彼は北朝鮮と言いますが、北朝鮮と“無条件”で交渉すると言っています。 
「高校無償化」「幼保無償化」「大学生の緊急支援」から除外し在日朝鮮人を弾圧しておいて、そんな交渉に朝鮮民主主義人民共和国が応じるとは、私は考えられません。
菅政権は安倍政権の負の遺産を引き継ぐのではなく、考えてもらいたい。

いつも付けている私のエプロンが今日変わりました。
このエプロンは私の友達が作ってもって来てくれました。

その友達が来ています。この場所に来るのは始めとのことですが、彼女は毎週土曜日、大阪駅前で「辺野古に新基地をつくらせない大阪行動」で頑張っています。大森さんです。
大森さんにアピールをお願いします。





大森さんもマイクを持たれました。


☆大森さん

火曜行動の皆さま初めまして。
皆さまが長―く頑張ってこられたことが、今日、良くわかることに出会いました。
初めての参加だったので府庁の正面玄関にまいりました。閉鎖中でした。
でも守衛さんが火曜行動の場所や始まる時間を、とっても優しく教えてくださいました。
皆さまの8年間の活動が、どれほど地道に人のこころに訴え、響いていたかがよくわかりました。本当にご苦労さまです。

大阪府庁の皆さま、この集まりがみえますかー。声が聞こえますかー。
一人一人の胸に差別はありませんか。朝鮮のこども達を冷たくあしらっている心がありませんか。
私は16年と3ケ月辺野古の海に基地を作らせない運動に参加してまいりました。
私は沖縄を差別している日本人の一人です。
私は朝鮮の人たちを苦しめている日本人の一人です。

ここに来ようとずっと思っていたのですが、なかなか来ることが出来ませんでした。
先週の土曜日、大阪駅前で署名活動をしておりました。最後に署名をしてくださった方は、元自衛官でした。その方は「戦争はいかん。どんなことがあっても戦争はしてはいかん。戦争のための基地は作ってはいかん。頼むわな」とご自分の経験をもとに話されました。
基地があるために、どれほど多くの女性が、こどもが泣いてきたか。

これからも皆さまと共に頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました。



☆長崎さん

大森さん、本当にありがとうございます。
全日建連帯のたたかいの所にも、色々なエプロンを作ってくださっています。
ほんとに勇気をいただいています。ありがとうございます。





大村さんのこのエプロンは大森さんが作って持ってきてくださいました^_^



お二人仲良く立たれて



レポートは井上さんにバトンタッチです^_^



☆長崎さん アボジからもよろしくお願いします。

☆アボジ(生野地域の朴さんのアピールです)

 こんにちは。398回目。簡単に一口で言うけれど長い年月。朝鮮人が朝鮮人の学校で学ぶという当然の権利を勝ち取るために、大阪府の差別をなくすために、無心でやって来た結果です。

 8年間には選挙もあり、大阪府議会議員の方々にも紆余曲折があり、私たちは入れ替わりも見て来ました。登庁されている新しい議員の皆さん、私たちはその前からここで声をあげているんですよ。聞こえていますか。

 今日は、生野の地域の朝鮮学校、大阪第四初級学校と生野初級学校のオモニたちと若干のアボジたちが来ています。

 今、朝鮮学校に対する差別がいっぱいあります。幼稚園にあっては幼保無償化制度からの除外、高校にあっては高校無償化制度からの除外、大学にあっては、コロナの中で補助金が大学生に出ていますが朝鮮大学生はそれからも除外されている、入り口から出口までずうっと日本政府、地方の行政は差別しています。中には宝塚市のように、朝鮮幼稚園に対して、政府が幼保無償化の適用をするまで自分たちの予算で自分たちの市から通う子どもたちには補助金を代わりに出しましょうという立派な地方議会もあるのですが、残念ながら私の住む大阪市では議論すらされず、大阪都構想の方では頑張ってはりますが、もっと足元ですべきことがたくさんあるように思います。

 今日ここに来ている第四初級学校のオモニの中に、自分の娘、息子を朝鮮学校に送られ、孫の代もみんな朝鮮学校に送られた方がいます。孫の一人は、皆さんんもよく知った名の日本の私学の大学でトップの成績で大学院に進まれ、学費の要らない特待生として大学院に通うことになったそうです。朝鮮学校の子どもたちも、クラブ活動、他の学校との交流、国際的な交流と、日本の子どもたちと同じようにがんばっています。なのに日本政府は、外交や政治的な問題が朝鮮学校をいじめることで憂さ晴らししているのか、穴埋めしているのか、大阪府にあっては政府よりもっと過激に朝鮮学校をいじめることによって「やった感」を都合よく出している。率先して朝鮮学校をいじめています。


 第四初級学校は生野のコリアンタウンのど真ん中にあります。毎週たくさんの観光客、買い物客が訪れます。外交問題が生じてもコリアンタウンにはたくさんの人が来ます。朝鮮や韓国の料理を食べたり、音楽を聴いたりすることが自然に行われています。政府や地方行政はこの人たちに朝鮮人をいじめるところを見せたいんでしょうか。誰に見てもらいたいんでしょうか。政治家と自称している先生方も政治家であるなら見学に行き、コリアンタウンを訪れるたくさんの日本人一人一人に聞いてみればいいんです。「朝鮮人をいじめたいですか?」「朝鮮人をいじめた方がいいですか?」と。

 朝鮮人をいじめると日本社会にそれは還って来ます。既にもう還って来ていると思います。在日コリアンが最も多く住むこの大阪市が率先して毅然とした態度でしっかり行政を行なってほしいと思います。





キャンディおばさんことチョグッスンさん登場です。



☆長崎さん 次にオモニからアピールお願いします。

☆オモニ(赤ちゃんを抱いたオンマがアピールします)

 大阪府の皆さん!私は朝鮮学校附属幼稚園の保護者です

去年10月、消費税10%の増税と時を同じくして、「幼保無償化制度」が実施されました。政府はその理念として「子ども・子育て支援給付の水準は、全ての子どもが健やかに成長するように支援するもの」とうたっています。この制度は、総合的な少子化対策を推進するうえで、子育てを行う家庭の経済的負担の軽減を図るという意味で素晴らしい制度です。

当初、この制度の対象は幼稚園、保育園、認定こども園に限られていましたが、待機児童問題の解消に向けた社会的な議論の中で、いわゆる託児所、ベビーシッターのような預かり保育を実施している施設にも適用の範囲が広げられました。

しかし、なぜか私たちの子供が通う朝鮮学校附属幼稚園は、運営母体が各種学校であるとの理由で、この制度から除外されました。全国には「無償化制度」の対象となる施設が55,000箇所あるそうですが、私たちの子どもが通う各種学校の運営による幼児施設は88箇所、割合にして0.16%にすぎません。政府がこの0.16%にしかならない各種学校幼児施設を「無償化制度」から除外する理由はなんなのでしょうか?

自治体の認可を受けず、地域のニーズにより保育サービスを行っている、「認可外保育施設」に関しては「無償化」の対象としているのに、自治体の公的認可のもと、教育活動を行っている朝鮮学校附属幼稚園は「無償化」の対象から除外する、その根拠は何なのでしょうか!
学校法人大阪朝鮮学園は、平成元年大阪府から各種学校の認可を受け、小・中・高級学校を運営し、学齢前の子どもたちのために附属幼稚園を設置運営しています。平成21年度までは大阪府が認可した、私立の教育施設として大阪府、大阪市から授業料軽減補助などの名目で「私学助成」も受けて来ました。ところが、平成22年度を境に、子どもたちとはなんら関係のない政治外交的な理由により、過去10年以上もの間、正当に受給してきた「私学助成金」が突然停止され、政府の新たな教育改革制度としてスタートした「高校無償化制度」からも、朝鮮高校だけが除外されることになりました。

朝鮮学校の児童生徒たちは、民族のアイデンティティーと共に、地域社会の一員として、多文化共生時代に向けた地域交流と友好親善の担い手として、一生懸命学んでいます。又、朝鮮学校附属幼稚園は、学齢前の幼児たちを広く受け入れ、待機児童問題の解消にも貢献し、働くお父さんやお母さんのために積極的な保育サービスを提供しています。

それなのに皆さん! 政府と自治体は、朝鮮学校に対する補助金の停止、「高校無償化制度」からの除外に留まらず、今度は学齢前の幼児にまで、その差別の枠を広げたのです。私たちは、子どもたちの未来に、差別のない明るい社会を創りあげなければならないと考えています。
私たち在日コリアンも大阪府民であり、大阪市民です。就労、納税の義務を果たし、地域社会の発展と大阪の未来のために、共に手を取り合う地域の仲間として、地域住民の皆さんとの親善交流事業にも積極的に参加しています。特に、私たち「朝鮮学校保護者連絡会」は、地域の学校との日常的な交流を通じ、多文化共生に向けた地域活動にも一生懸命取り組んでいます。どうか、朝鮮学校附属幼稚園にも、「幼保無償化制度」の差別なき適用を切にお願いします。


☆長崎さん 小さな赤ちゃんを連れての参加、ありがとうございます。しっかりと今の訴えを受けとめていただきたいと思います。
それでは、日本人の支援者からもアピールお願いします。


^_^


平石さんもマイクを持たれました。

☆平石さん 

私は以前、全港湾で活動していました。この火曜日行動への参加は、組合活動が終わってからですので余り長くはありませんが、毎回父母の方のアピールを聞くと日本人として恥ずかしい思いです。

今日で398回、一体何年続けさせるのか、これは行政の怠慢です。労働組合の立場から言わせてもらうと、大阪府の職員組合の方は何をしているんですか!あなた方が行政に申し入れすれば変わって来るんです。今ここで頑張らなければいけないのは労働組合です。維新に労組は潰されて来ました。官公労は弱体化されました。それでもできることはあるはず。


差別とヘイトに満ち満ちて欺瞞の都構想を言い立てる維新政治を許してはなりません。

11月1日は都構想の住民投票があります。ふつう、一度住民投票で負ければもう一度やるなどしません。それをきれい事ばかり並べてもう一度やるなどふざけた話です。橋下知事以来まき散らして来た差別・ヘイトの維新政治をここで断ち切らねばなりません。





☆長崎さん オモニがたくさん来てくださっているので順番にアピールしていただきたいと思います。

☆オモニ(ベテランオモニもアピールです。)


こんにちは。3人の子を朝鮮学校に送り、皆もう社会人になりました。息子が高2になる時に高校無償化の話がありました。とても喜んだことを昨日のことのように覚えています。その直後、足元から崩されるようにその対象から外されました。もう8年、9年の話になります。その間私たちはずっと訴え続けて来ましたが、高校無償化からは除外され、不当な判決にも心痛めていた所、今度は幼保無償化制度からの除外。この国の、私たち在日コリアンに対しての迫害以外の何物でもないと思います。
自分たちのアイデンティティーを守るために朝鮮学校をつくり今まで守って来ました。これを潰そうという明らかな意図があります。差別をする大人たちを見て子どもたちはどんな風に育つのでしょうか。こんな差別のある所で万博なんかできるのでしょうか。よく考えて下さい。そして朝鮮学校への補助金を再開されることを心から願っております。

☆長崎さん ありがとうございます。万博にしろオリンピックにしろ、謳われている憲章には、国境を越えて民族を越えて平和の祭典、と謳われています。ヘイトを生み出しておきながら都合のいい時だけ万博、オリンピックなんておかしいと思います。


 こんにちは。3人の子を朝鮮学校に送り、皆もう社会人になりました。息子が高2になる時に高校無償化の話がありました。とても喜んだことを昨日のことのように覚えています。その直後、足元から崩されるようにその対象から外されました。もう8年、9年の話になります。その間私たちはずっと訴え続けて来ましたが、高校無償化からは除外され、不当な判決にも心痛めていた所、今度は幼保無償化制度からの除外。この国の、私たち在日コリアンに対しての迫害以外の何物でもないと思います。
自分たちのアイデンティティーを守るために朝鮮学校をつくり今まで守って来ました。これを潰そうという明らかな意図があります。差別をする大人たちを見て子どもたちはどんな風に育つのでしょうか。こんな差別のある所で万博なんかできるのでしょうか。よく考えて下さい。そして朝鮮学校への補助金を再開されることを心から願っております。

☆長崎さん ありがとうございます。万博にしろオリンピックにしろ、謳われている憲章には、国境を越えて民族を越えて平和の祭典、と謳われています。ヘイトを生み出しておきながら都合のいい時だけ万博、オリンピックなんておかしいと思います。



申さんもマイクを持たれました。

☆オモニ 

アンニョンハセヨ。私は大阪朝鮮高級学校に娘を通わせている保護者です。

私の祖父は、その頃日本植民地下にあった朝鮮から日本に徴用として岩手県田老町に連れて来られました。自ら来たのではなく連れて来られました。

歴史的背景のそのことをどうこうではないのですが、それで私が日本にいて私の子がいて、日本人ではなく朝鮮人であって、学校に通うことを考える時に、日本人ではないので朝鮮学校を選んで通っている。もちろん納税の義務も果たしています。

今高校生の娘が幼稚園の時に高校無償化からの除外が始まりました。長女は卒業し、次女が高校に通っていますが、長い長い闘いです。それでも子どもたちはウリハッキョが好きで楽しく通っています。何も偏った教育をしているのではなく、日本の大学に進学できるような知識をしっかり教えています。その上に朝鮮の歴史やことばも教えてくれています。自分を何者であるかを知り受け入れ強く生きていくことがこの日本社会ではすごく大切で、私もそう感じるので子どもたちに強くしっかり生きてほしいという願いを込めてウリハッキョに送っています。


神聖な教育の場で公然と差別が行われている、だから許せないんです。解決できない国と国の問題や大人たちの問題をもって子どもたちを攻撃する、だから許せないんです。小さな幼稚園の子たちに何の罪があるのか。


どこでどんなふうに生きるのか、その人が選んで生きる、というところに立った場合、私たちが選んだこの朝鮮学校という場所は間違いなんかではなくとても素晴らしい学校です。皆さん、朝鮮学校に関心をもって、知って、感じて矛盾があれば声をあげて、行動して、一人一人の大人としてそう行動してほしいと切に願います。

私たちオモニたちも子どもたちが差別されていることに対しては一歩も譲れない思いでこれからも声をあげたいと思います。




シュプレヒコールにいつもの歌「声よ集まれ 歌となれ」が響き渡ります。




最後の歌は歌舞団の秦さんの音頭で「勝利のその日まで」❗️❗️



オモニ会の皆さんの記念撮影です^_^



いつものように駐輪場での申し送りです。



府庁内ロビー活動の報告をされる金さん!府庁内に初めて入ったの感想を述べられています。(ちなみに中級時代の放送部の教え子です^_^今日は男女5人も教え子が来ていました^_^)



大森さんもお話しされました。


このTシャツは若い頃仲間が作ってくれたそうです。辺野古の海を守りたい一心で今日もたたかっている方がいる。ウリハッキョと子どもたちを守りたい私たち❗️同じ思いでこれからも連帯していきましょう!

大森さんの連帯の心が染み込んだエプロンです❗️


9月ももう終わりです。もうすぐ400回目の「火曜日行動」の日がやってきます❗️」」

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支部会館で歌舞団のミニコンサートが行われました❗️

2020-09-26 23:16:00 | イベント
지부사무소에서 「얼씨구」회원들을 위한 가무단의 소공연이 진행되였습니다.
東成支部会館において大阪朝鮮歌舞団の特別公演「オルシグ」会員のためのミニコンサートが行われました。

家の工事など色々重なりバタバタしていて歌舞団の公演が今日であることをすっかり忘れていた私は公演開始10分前にお電話をいただき、びっくりして顔も洗わず自転車で駆けつけました。ドジな私のために公演開始が3分遅れ本当に申し訳ありませんでした。

コンサートは家族的な雰囲気の中、歌も踊りもコントも本当に素晴らしいものでした。コロナのためみんなが大変な時期ですが、歌舞団のみなさんがとても斬新なアイデアを出しあい素晴らしいコンサートを繰り広げてくれました。

メリハリのある舞踊、精錬された民族舞踊を3演目も見せていただき本当に感動でした。

歌は新人歌手もベテランも会場が吹っ飛びそうな迫力満点の歌声で私たちを魅了しました。

おまけに最後だからと受付担当だったカンサンスさんの普段着での飛び入り出演に拍手喝采でした。


同胞とともに❗️彼女彼らがいつも口にする言葉ですが、今日はその想いを全身で感じさせていたただきました。今日は趙団長も裏方だけではなく司会、トークで会場を沸かせてくれました。本当に楽しくウルウルさせていただいたコンサートが一瞬であったように思われました。



歌舞団の皆さん❗️これからも健康に気をつけて、コロナに負けることなく活躍してくださいね、素晴らしい芸術性と大衆性と奉仕の心をいつも持ち続けている皆さんを応援しますね。

この投稿を見てくださっている皆さん❗️歌舞団後援会オルシグ」の会員になってくださいね。よろしくお願い致します^_^



















































































































































































































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몽당연필이여 (モンダンヨンピルよ)

2020-09-24 23:07:00 | イベント






私の手だけ映っています。(笑)投稿しました。一瞬出ていました。(笑)

2012年2月20日「モンダンヨンピル 中野コンサートにて)

詩「モンダンヨンピルよ」  (2012・2・20)

<몽당연필>이여
          

하루,이틀이라면 
한번,두번이라면
어렵지는 않았겠지요

하지만 그대들은 
일년 열두달을 
지진피해지 아이들 위해 바쳤습니다

어떤 분은 노래를 부르고 
어떤 분은 악기를 다루고
어떤 분은 사회를 하고
어떤 분은 도시락을 장만하고
어떤 분은 뒤처리를 도왔습니다

이제는 낯익은 청년카토릭회관
달마다 지하콘사트장에 사람 넘치고 
대구며 광주,진주며 고양,인천에서
파도처럼 퍼져나간 소풍공연소식  

꿈과 같이 내 고향 제주도에 
그대들의 노래소리 울려퍼졌을 때
비록 몸은 이역땅에 있어도
함께 노래 불렀습니다 훨훨 바다를 건너 

우리에게도 조선학교는 <우리학교>가 되였다고
오히려 자기들이 얻은것 더 많다고
그래서 고맙고 또 고맙다고 미소 짓는 그대들

그 마음이 눈물 나도록 고마와서
자신에게 물어봅니다
나도 그대들처럼 <몽당연필>이 될수 있었을가고
  
(2012년2월20일)

「モンダンヨンピル(ちびた鉛筆)よ」
              

一日、二日ならば
一回、二回ならば
難しくは無かったことでしょう

だけど貴方たちは
1年12ヶ月を
地震被災地の子供たちに捧げました

ある人は歌をうたい
ある人は楽器を奏で
ある人は司会を担当し
ある人はお弁当をつくり
ある人は後片付けを手伝いました

今はお馴染みの 「青年カトリック会館」
毎月 地下のコンサート場には 人が溢れ
テグに光州、チンジュにコヤン 仁川から 
波濤のように広まった 遠足コンサートの便り

夢のように 我が故郷 済州島に
貴方たちの歌声が轟きわたったとき
たとえこの身は 異国にいても
共に歌いました ふわりふわりと海を越え

私たちにも朝鮮学校が「ウリハッキョ」になったと
かえって自分たちが得た物の方が もっと多かったと
それで 有難く 又 有難いと 微笑む 貴方たち

その気持ちが 涙がでるほど ありがたくて
自分自身に問うてみます
私も貴方たちのように「モンダンヨンピル」になれたかと

(2012年2月20日 感謝をこめて)





2011年11月27日ソウルでの「無償化除外反対アンソロジー」韓国版出版記念朗読会にて)



2012年5月21日城北朝鮮初級学校で感動の再会!

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7.8.9月のお花とグルメ

2020-09-24 09:39:00 | お知らせ
夏もいよいよ別れを告げ朝夕少し涼しくなってきましたね。

7.8.9月のお花とグルメです^_^













































































































































お粗末様でした。10月秋を迎えてまた美味しいもの作りますね^_^
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ソウル朗読会と 記念詩 故郷ー済州島を訪ねて (2011年11月27,28日)

2020-09-22 15:20:11 | 詩・コラム
  「朝鮮学校無償化除外反対のソウル朗読会」と故郷-済州島を訪ねて早や10年近い月日が流れました。

  2011年11月27日、朝鮮学校無償化除外反対アンソロジーの韓国版と、権海考さんのエッセーと朝鮮学校の子供たちの絵が収録された「私の心の中の朝鮮学校」が同時出版され、ソウルでの出版記念朗読会に詩人の河津聖恵さんと共に招待されました。







 私は「ふるさと」をウリマルで朗読し、河津さんは「ハッキョへの坂」を1連はウリマルでそのあとは日本語で朗読しました。





 権海考さんも挨拶に立たれ、この日初めてじかにお話をしました。





 そのあと二人でホ・ナムギ先生が1948年に書かれた「これが俺たちの学校だ」をバイリンガルで朗読しました。





 次の日11月28日の朝,河津さんは日本に帰り、私は故郷ー済州島を生まれて初めて訪ね、

 祖父が生まれ、父が生まれ、今は兄が一人住む故郷の家を初めて訪ねました。




 そして30年前に異国の地で亡くなり「死んでからでも故郷の地に埋めてくれ」と言い残された父の遺言を守り、

 長兄が埋葬してくれた小高い共同墓地を訪ね、初めて両親のお墓参りをいたしました。




 たった一日の故郷訪問でしたが感無量で、記念詩がすぐ出来上がりました。再掲いたします。


「記念詩」故郷―済州島を訪ねて


1.故郷の我が家

 
 
           
飛行機に身をまかせれば
2時間で辿り着く故郷の大地を
60数年の歳月をかけて
やっと 踏みしめた

この家で生まれた 祖父と父
長兄と甥たちが生まれ育った処
代々守ってくれた 西帰浦の
夢にも捜し求めた ふるさとの家

密柑畑に囲まれた故郷の我が家には 
門がなかった 鍵もなかった
いつでも帰っておいでと
両腕ひろげて待っていてくれた

庭先に足を踏み入れれば
たわわに 実った 密柑が
甘酢っぱい香りを漂わせ
うれしそうに 迎えてくれた

背中が曲がるほど はたらき続け
数知れず送り続けた 苗木や農機具
両親の深い思いやりと 長兄の汗と涙が
密柑畑に豊作をもたらしたのか

密柑をひと粒 噛みしめると
またたくまに広がる 蜜のような甘さ
生まれて初めて食べた我が家のみかん
なぜだか 胸がつまり 涙が溢れた

家族がいつも集い 笑い 泣き 助け合う
唯 それだけを夢見て生きた 父と母
その夢叶わず 異国の地で果てた悔しさ
ひとり佇む長兄はすでに70を越えたのに

張り裂けそうな痛みと 再会の喜びが交差し
涙でくしゃくしゃになった兄の手を取れば
真っ青な故郷の空は 暖かいまなざしで
私の胸を やさしく 溶かしてくれた


2.海の見える丘で

            
アボジ、オンニョが来ました 30年ぶりに
オモニ、あなたの娘ですよ 分かりますか?
愚かなこの娘の 参拝を受けてください

親不孝者と叱ってください
馬鹿者と罵ってください

でもこの娘は
あなた方の恥ずかしくない娘でいたくて
歯を食い縛り 今日やっと海を渡りました

アボジ、オモニ
西帰浦の海が見えます
水平線の彼方に漁船が浮かんでいます

必ず故郷の地に埋めてと願われた
あなた方の想い通りこの地に祭りました
海の見える 風致麗しき 共同墓地に

生前あれほど長兄に会いたがっていたのに
今は長兄を独り占めしているんですね
雑草取りやお酒も欠かさないそうですね

私、いつのまにか 孫が5人ですよ
定年のその日までがむしゃらに働きました
あなた方の前で 胸を張りたくて

友人たちが両親の墓参りに行くたび
なぜ私は行けないのかと嘆きもし
他人を羨んでばかりいました

でも やっと 安堵しました
子守唄のように聞いていた懐かしい故郷で
美しい海を見ていたら心が和みました

私たちの心配はもうしないで下さいね
やっとひとつに繋がりました 家族が
全ての憂いを忘れ安らかにお眠り下さい


3.鬼タンポポ
            

オモニのお墓で 雑草を刈っていたら
墓地のてっぺんに愛らしい花が咲いていた
黄色くて ちっちゃな 10cmほどの花

花の名前を尋ねてみたら
村の人が親切に教えてくれたっけ
外国から飛んできた鬼タンポポだそうな

風に運ばれてきたのか
雲に乗ってきたのか
あまにりにも愛らしくてじっと見つめた

ふるさと済州島は 何処を見ても絶景なのに
母のお墓がそんなに気に入り舞い降りたのか
鬼タンポポ 鬼タンポポ 愛しい花よ

椿に コスモス この地に花は多々咲けど
母と共に過ごしてくれた 優しい花
鬼タンポポ そおっと摘んで押し花にした

たとえ ふたたび この地を離れても
鬼タンポポと共に 故郷を胸に抱いて帰ろう
恋しい時 おまえを見つめ 母を思い出そう


4.古びた鍋ひとつ

           
故郷の家の いくつもの部屋を覗き
広々とした台所にも 入ってみたら
ガスコンロの上に ぽつんと鍋ひとつ

何十年使い続けた鍋だろうか
今はすっかり古くなってしまった鍋
蓋をそっと開けてみると
食べ残しの味噌汁が入っていた

この鍋で祖母は 兄のためおつゆを作り
畑仕事で荒れた手で兄嫁は 数十年の間
家族のため 食事の支度をした事だろう

長女は留学したアメリカで教授になり
教師になった息子はソウルに赴任し
記者になった末娘は釜山に行ってしまった
ひとり去りふたり去り 愛妻まで先立ち

また一人ぼっちになった長兄は
朝晩どんな気持ちで食事を作り
この鍋と共に月日を過ごしたのだろうか

広すぎる台所の ガスコンロの上に
寂しそうに置かれた 鍋ひとつ
食べ残しの味噌汁が入っていた


5.この冬に打ち勝てば
       

ふるさとの家の 屋上にあがり
周りを見渡せば
こじんまりとした村が眼下にひろがる

ゆったりと流れる静かなふるさとの時間
子供のように兄の腕にしがみつき
ただ座っているだけでもこみ上げる喜び

お酒が好きで 怒鳴ることが好きなのも
髪の薄いのまでアボジにあまりにも似て
ひそかに思った 血筋には逆らえないと

あの話この話に 花が咲き
何十年の空白が瞬時に埋め尽くされたとき
大きなかめを指差し兄が突然話してくれた

七歳の時 ハルモニと二人暮らしだった時
私が生まれた まさにその年の<4・3事件>
討伐隊が我が家にも襲ってきたそうだ

危機一髪の瞬間 大きなかめをスッポリかぶせ
兄を匿い助けた 機知に溢れたハルモニの話
初めて聞いたその話に 胸は どきどき

祖母の助けがなかったらこの世にいなかったと
豪快に笑う兄が なお 痛ましくて
おもわず涙をこぼしてしまった 馬鹿な私

どれほど 恐かっただろう 心細かっただろう
七歳で すでに 血の海を見てしまったなんて
長兄が歩んできた 波乱万丈な人生の1ページ

今日 去れば また いつ会えるだろうか
食事はどうするのだろう 洗濯はいつするの?
寒さは段々増すのに オンドルは誰が焚くの?

あの心配この心配で胸は痛むばかりなのに
何食わぬ顔で 兄は 妹を笑わせようと
笑い話を懸命にしつづける

木枯らし舞う この冬を打ち勝てば
私たち またきっと 会えるよね?
暖かい新春を一緒に迎えねばね 兄さん!

  2011年11月末日


「기념시」 고향-제주도를 찾아서

           

1.나의 고향집 

           

비행기에 몸을 맡기면 
두시간이면 가닿을 고향땅을
예순해를 넘겨서야
간신히 밟았구나 

여기서 태여나신 할아버지와 아버지
큰오빠와 조카들이 나서자란 곳
대대로 지켜온 서귀포의 
꿈결에도 찾던 나의 고향집

밀감밭에 둘러싸인 내 고향집엔 
대문이 없었어라 쇠도 없었어라
그 언제건 돌아오라고
량팔 벌려 기다려준 정다운 집

앞마당에 들어서니
무르익은 밀감이 나무마다 주렁주렁
달콤세큼한 향기 날리며
어서 오라 반기며 맞아주는듯

등뼈가 휘도록 일하여 번 돈으로
수십번을 보내신 모나무며 농기구들 
부모님의 정성과 큰오빠의 피땀이 
밀감풍년 이루어 우릴 맞아주었구나

한쪼각 입에 넣어 씹어보았더니
삽시에 입안에 퍼지는 달달한 맛
난생처음 먹어본 고향집의 감귤맛에
코허리가 찡하여 목이 메였네

이 집에서 식구가 오순도순 모여 살 
그날만을 꿈꾸다 운명하신 우리 아버지 
반백년이 지나도록 풀수 없던 그 소원 
어이하여 우린 갈라져 살아야만 했던가

터질듯한 아픔과 상봉의 기쁨으로
눈물 젖은 큰오빠의 손 덥석 잡으니
파아란 고향하늘은 푸근한 빛 뿌리며
내 가슴 후련히 녹여주는구나


2.바다가 보이는 언덕에서
               

아버지,옥녀가 왔어요 서른해만에
어머니,저예요 알아보시겠나요?
못난 이 딸의 큰절을 받아주세요

불효자식이라 욕해주세요
못된 딸이라 꾸짖어주세요

그래도 이 딸은 
부모님의 부끄럽지 않은 딸이고싶어
이를 악물고 오늘에야 왔습니다

아버지,어머니
서귀포 앞바다가 보이네요
수평선 저멀리 고기배가 서서히 가네요

죽어서도 고향땅에 묻어달라 당부하신
부모님의 소원대로 여기에 모셨대요
바다가 보이는 풍치좋은 공동묘지에

생전에 그토록 큰오빠를 찾으시더니
돌아간 후에야 큰오빠를 독점하셨네요
꼭꼭 벌초도 하고 술도 올린다지요

저는요 어느새 손자가 다섯이예요
정년의 그날까지 열심히 일했어요
부모님앞에 가슴펴고 서고싶어

남들이 부모님의 묘지 찾을 때면
내 신세가 왜 이 꼴이냐고 
한탄도 하고 남들 부러워만 했어요

하지만 이젠 마음이 푹 놓입니다
이야기로만 듣던 그리운 고장에서
고향바다 바라보니 속이 시원하네요

아버지,어머니 저희 걱정은 마세요
이제는 하나로 이어진 우리 식구
만시름 놓으시고 편히 잠드십시오


3.개민들레꽃
          

어머님 산소를 벌초하더니 
봉분우에 애기꽃 피여있었네
새노랗고 어여쁜 서너치 잡초

꽃이름이 뭐냐고 물어봤더니
마을사람 다정하게 말해주었지 
외국에서 들어온 개민들레꽃이래요

바람타고 날아왔나
구름타고 날아왔나
너무너무 이뻐서 뚫어지게 봤지요

내 고향 제주도 어딜 보나 절경인데 
엄마의 봉분이 그리 좋아 여기 왔나
개민들레 개민들레 고마운 꽃이여

동백이며 코스모스 피는 꽃도 많지만
울 엄마 섭섭찮게 함께 해준 개민들레
조심조심 따고서 책갈피에 끼웠네

내 비록 또다시 이 땅을 떠나지만
개민들레 너와 함께 고향땅 안고 가리
그리울 땐 널 보며 엄마모습 떠올리리
      

4.헐어진 남비 하나
       

고향집 여기저기 들여다보다 
널찍한 부엌에도 들어갔더니
가스콘로우에 남비 하나 놓여있었네

몇십년을 쓰고쓴 남비일가
이제는 다 헐어진 남비 하나
뚜껑을 살짝 열어보았더니
먹다남은 된장국이 들어있었지

이 남비로 할머니가 국을 끓이셨고
식구 위해 큰올캐는 거친 손으로 
몇십년을 국 끓이고 반찬 장만했겠지 

큰딸은 미국에서 교수가 되고
아들은 서울에서 교편 잡고
기자 된 막내는 부산으로 갔으니
하나 가고 둘 가고 올캐마저 영영 떠나 

홀로 된 큰오빠는 이 부엌에서
아침저녁 어떤 심정으로 밥을 짓고
이 남비와 함께 날과 달을 보내였을가

넓은 부엌의 가스콘로우에 
쓸쓸하게 놓인 헐어진 남비 하나
먹다 남은 된장국이 들어있었네


5.겨울을 이겨내면
          

고향집 옥상에 올라 
사방을 둘러다보니
오붓한 마을이 한눈에 안겨오네

천천히 흐르는 고요한 고향시간
어린애마냥 큰오빠의 팔에 매달려 
그저 앉아있기만 해도 기쁘기만 하네 

술 좋아하는것도 큰소리 좋아하는것도
머리숱 적은것마저 아버지를 하도 닮아
은근히 생각했네 피줄은 속일수 없다고 

이 이야기 저 이야기에 꽃이 피니
몇십년의 공백이 삽시에 매워지는데
큰 항아리 가리키며 돌연히 하는 말

오빠가 일곱살적 할머니와 둘이 살 때
내가 태여난 바로 그 해의 <4.3사건>
토벌대놈들 우리 집에도 쳐들어왔다는데

위기일발의 순간 큰 항아리로 푹 덮어
오빠를 숨겨 살리신 기지에 찬 할머님
그 이야기 처음 들으니 가슴이 섬찍했네

할머니가 아니였으면 이 세상에 없다고
호탕하게 웃는 오빠가 더 가엾어서
그만 눈물 떨구고만 이 못난 동생 

얼마나 겁이 났을가 얼마나 두려웠을가
일곱살 어린 나이에 피바다를 보았다니 
오빠가 걸어온 파란만장한 인생의 1페지

이제 떠나면 또 언제 만나게 될지
밥은 어떻게 해먹고 빨래는 언제 하려나
점점 추워질텐데 온돌은 누가 피우나

이 걱정 저 걱정에 가슴 쓰린데
태연한 큰오빠는 오히려 날 웃기려
우스개소리 찾으며 하고 또 하네 

칼바람 부는 이 겨울을 이겨내면 
우리 다시 꼭 만나게 될거죠?
화창한 새봄을 함께 맞아야지요 오빠!



        끝



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