ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

随筆 文芸同と共に半世紀(バイリンガル)

2025-01-11 21:29:23 | 詩・コラム



随筆 
         文芸同と共に半世紀
                               

 歳月とはまさに流れる水の如し…
 これが今の私の素直な気持ちである。
 文芸同(在日本朝鮮文学芸術家同盟)結成65周年を祝い、2024年12月14日、ここ大阪の地でも記念公演「ハンマウム(一つの想い)」が行われ、私もその場で2編の詩を朗読させていただいた。

 一編は、昨年3月朝鮮大学を卒業し母校の教壇に立った一番上の孫をうたった自作詩「こんな日が来るなんて…」、もう一編は、朝鮮の著名な詩人であるキム・サンオ詩人の詩「願い」を演劇口演部の仲間と共に合唱詩として朗誦した。 

朗読を始めると急に胸がドキドキして勝手に涙が溢れてしまった。周りの人々は私がなぜ涙を流しているのかわからなかったはずだ。それもそのはず私自身がびっくりしたのだから… 孫娘の成長過程をうたいながら私は自身が歩んできた人生をふと思い起こしていたのかも知れない。

 私が文芸同に加入したのは58年前の1967年だった。文芸同が何をするところなのかはよく知らなかったけど、高校卒業と同時に大阪朝鮮歌舞団で活動することになった私は、自動的に文芸同の盟員になった。その時まだ18歳だった私は、実に半世紀を超える長い歳月を文芸同と共に歩んできたことになる。

 朝鮮の歌や踊りが大好きで小学生のころから舞踊部に属していたが、共和国創建20周年に際し5つの鉄筋校舎建設運動に立ち上がった大阪の同胞たちの姿を見ながら、ウリマル(自国の言葉)、ウリクル(自国の文字)をしっかり勉強して、同胞たちにもっともっと力強く呼びかけなければならないと心の底から思った。

 特別に文才があったわけではないけれど、時代の要求と受け止め、公演の台本を作り、二十歳になったとき、生れてはじめて詩も創った。同胞たちの民族愛、祖国愛、師弟愛を目の当たりにしながら書かずにはおれなかったと思う。

 5年半に渉る歌舞団での生活、女性同盟本部で過ごした2年余り、文芸同大阪支部での7年間の専従生活…末息子が不治の病に侵され専従を辞めざるを得なかった1年間、その時も自分にできることはないかと居住支部を訪ねウリマル教室の講師として同胞たちと過ごした懐かしい日々…

 1982年、夢のように中級部の作文講師として再出発し、次の年から30年余り朝鮮語の教師としての仕事をしつつ、文芸同文学教室に通い詩作と発表をつづけた日々…

 1998年からは教員生活をつづけながらも文芸同大阪支部の委員長の重責を担い、同じ年、才能ある演劇家と巡り合うことによって文芸同支部に演劇口演部を新たに立ち上げ活動の幅を広げた。

 2010年3月に定年退職の日を迎えるまで教員生活と文芸同活動の両立を続けたが、私は疲れを知らなかったし、むしろその日々があったからこそ幾度となく押し寄せてきた試練の峠を越えることができたと思っている。

 定年退職後、自ら初級学校を訪ね放課後学童指導員の仕事を楽しんだ6年間、それと同時に日本の詩人たちと共に「朝鮮学校無償化除外を反対する」詩集を刊行し、仲間たちと共に広島を皮切りに奈良、京都、東京、東北、北海道、北陸まで足を延ばし、朗読会を開き朝鮮学校を守ろうと訴えた日々…

2012年からは大阪府庁前で行われた「火曜日行動」に毎週参加し、日本の有志たちと共に12年の間一度も欠席することなくフェイスブックで実況配信を続け、ブログを通して「火曜日行動」に参加されている同胞や日本の友人たちの姿を発信し続けてきた。

 朝夕を問わず走り回り家庭の仕事をこまめにできなかったが、舅、姑、夫のお陰で、有難くも子どもたちはすくすく育ち、今日はウリハッキョの先生、民族学級の専任講師、音楽家に育ち元気に働いている。

 文芸同結成65周年を記念する公演の最後に、1958年にキム・サンオ詩人が創作した詩「所願(ねがい)」を朗誦しながら私は改めて考えてみた。生涯私たちが願ってきたことは何であったのか、何のために文芸同活動を続けてきたのかを…

 異国生活も80年近くなれば虚無感も無くはない。しかし諦めたその日が終わりであると常々思ってきた私は、これからもずっともがいていこうと思っている。
 年ごとに増え続けるしわも人生の勲章と受け止め、若者たち、文芸同の仲間たちと人生の終わりの日まで詩を書き朝鮮語の朗読を楽しみながら生きていこうと決意を新たにしている。 
                     




수필
문예동과 더불어 반세기


세월이란 정녕 흐르는 물과 같이 빨리도 흐르는구나… 이것이 나의 숨김없는 오늘의 심정이다.

문예동결성 65돐을 축하하여 지난해 12월 14일 이곳 오사까에서 문예발표모임 《한마음》이 진행되여 나는 여기서 두편의 시를 읊었다.

하나는 올해 조선대학을 졸업하여 모교의 교단에 서게 된 큰손녀를 노래한 자작시 《이런날이 올줄이야…》, 다른 하나는 김상오의 시 《소원》을 연극구연부 맹원들과 함께 합창시로 읊었다.

랑송을 하기 시작하니 저도 모르게 가슴이 두근거리고 눈물이 나왔다. 아마 동포들은 내가 어째서 울먹거리는지 알지 못하였을것이다. 손녀의 성장과정을 노래하면서 나는 자신이 걸어온 한평생을 순간적으로 돌이켜보았는지 모른다.

내가 문예동에 가맹한것은 57년전인 1967년이였다. 문예동이 어떤 조직인지 잘 몰랐지만 고급부를 졸업하여 오사까조선가무단에 배치된 나는 자동적으로 문예동 맹원이 된것 같다. 그때 내 나이 18이였으니 실로 반세기가 넘도록 문예동조직과 함께 걸어온셈이다.

초급부시절로부터 무용부에 속하여 우리 노래, 우리 춤을 무척 좋아하던 나였지만 공화국창건 스무돐에 즈음하여 다섯개 철근교사건설운동에 떨쳐나선 동포생활현장을 돌아보면서 우리 말, 우리 글을 더 익혀 직접 동포들에게 호소하는 일을 많이 해야 한다는것을 뼈저리게 느꼈다.

글재주가 특별히 있는것도 아니였지만 요구에 따라 공연대본을 만들고 스무살이 되던 해 난생처음으로 시도 짓게 되였다. 가슴을 뜨겁게 하는 동포들의 모습이 자연스럽게 나에게 펜을 쥐게 한것이리라.

5년 반의 가무단생활, 녀성동맹조직에서의 2년남짓한 생활, 문예활동을 계속해야 한다는 고마운 배치로 1981년까지 계속된 문예동지부에서의 전임활동, 막내아들이 불치의 병에 걸려 조직을 떠날수밖에 없었던 1년간, 그래도 자기가 할수 있는 일을 찾아야 한다고 성인학교 강사의 임무를 맡아 동포들과 함께 지낸 벅찬 나날…

1982년 꿈과 같이 중급부 글짓기강사의 임무를 맡게 되고 중급학교에서 30년남짓한 기간 국어교원으로 활동하면서도 빠짐없이 문예동문학부모임에 참가하여 창작발표활동
을 계속한 나날…

1998년부터는 교원생활을 하면서 동시에 문예동 오사까지부의 위원장의 중책을 맡아 일하였고 같은 해에 재능있는 연극인을 만나 문예동지부에 연극구연부를 새로 무어 활동의 폭을 넓혔다.

2010년 3월에 정년퇴직의 날을 맞이할 때까지 교원생활과 문예동활동의 량립이 계속되였지만 나는 힘든줄을 몰랐고 오히려 그 나날들이 있어 몇번이나 닥쳐온 인생의 시련과 고비를 넘어올수 있었다고 생각한다.

정년퇴직후는 스스로 초급학교를 찾아가 방과후학동지도원으로 활동하면서 동시에 일본정부의 탄압과 차별을 반대하여 오사까부 부청앞에서 시작된 《화요일행동》에 매주 참가하여 그 모습을 현장에서 페이스북으로 알리고 선량한 일본사람들과 힘합쳐 블로그를 통하여 12년동안 우리 학교를 지키자고 호소해왔다.

혼자서는 결코 넘어올수 없었던 산과 강들, 만약 문예동조직이 없었더라면, 우리 동포사회가 없었더라면 나의 오늘의 보람을 어찌 생각할수 있었으랴.

아침저녁으로 뛰여다니느라 가정일을 꼼꼼히 못하였지만 고맙게도 우리 아이들은 시부모님과 남편의 도움으로 오늘은 우리 학교 교원으로, 민족학급 강사로, 음악가로 자라 부지런히 활동하고있다.

문예동결성 65돐을 기념한 공연마지막에 1958년에 김상오시인이 지은 시 《소원》을 읊으면서 나는 다시한번 생각하였다. 한평생 우리가 바라던것이 무엇이였고, 무엇을 위하여 문예동활동을 벌려왔는가고…

이역살이도 80년이 가까와지니 허무감도 없지 않다. 그러나 단념했을 때가 끝이라는것을 뼈저리게 느껴온 나는 계속 발버둥치자고 생각하고있다.

날이 갈수록 불어나는 하얀 머리도 주름도 인생의 훈장이라 여기고 젊은이들과 함께 문예동조직에서 인생의 끝까지 시를 짓고 우리 말 구연을 즐기면서 살아가자고 마음 먹고있다.

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2025年1月7日、599回目の「火曜日行動」です。

2025-01-07 17:07:13 | 火曜日
寒いけれど爽やかな日です。






今年最初のレポーターはハルモニ会の木村さんです。






写真撮影は松尾さんと中山さんです。








ニョニョも一緒に頑張りますね。















長崎さんの第一声始まりました❗





長崎さん

☆長崎さん

うららかな元旦から一転、寒の戻りになりました。来週600回めは、教育塔前に集合してミニパレードをおこないます。一日も早く火曜日行動が終了して、朝鮮学校の子どもたちが安心して過ごせますように。人を傷つける言葉がネットに溢れていますが、この場で語られる自分自身の言葉はつながりを作っていきます。











火曜日バンドは2025年度も不滅です❗










崔さんがマイクを持たれました。

☆崔さん

昨年末、韓国のユン大統領の戒厳令に対し、民衆の非暴力的な力でねじ伏せることができました。反面、日本では、憲法を破壊し、戒厳令と同様の緊急政令を作ろうとしています。言論弾圧、戦争が目の前に迫っています。朝鮮、ロシア、中国など近隣諸国との友好関係を作っていきましょう。朝鮮学校への差別をやめることはその突破口となるでしょう。











キムチャンボムさんもマイクを持たれました。

☆キムチャンボムさん

年始から心痛むニュースが続きます。イスラエル人も日本人も一人一人なら優しいはずなのに、なぜ集団になると冷酷になるのか。府庁の人も大阪府というバックなしに一人の人間として朝鮮学校の子どもを直視してほしい。日本の大人は権力、組織、しがらみから自立していない。我々の試みに温かい手をさしのべる人を一人でも増やしていきたい。












中橋さんもマイクを持たれました。

☆中橋さん

40年間大阪市で教員をしてきた者として、民族教育のすばらしさを述べたい。私が勤務していた学校では民族学級の発表を全校児童でおこなっていました。先日の発表会では25年前の生徒が今はオモニとなって再会し、民族教育を守る活動に誇りを持ち続けていました。

朝鮮学校の校長先生も参加しておられ、交流が脈々と続いていることを感じました。







参加者の皆さん❗













初めて来られた束村さん。

☆束村さん(北大阪朝鮮学校を支える会のメンバー)

朝鮮学校はすばらしいコミュニティで、その中で子どもたちは生き生きと学んでいます。日本の学校と同じように支援してほしい。このすばらしい文化は、日本人にとっても大切です。







青年同盟のキムさんです。

☆金さん(在日青年同盟)

私たち青年同盟は朝鮮学校の幼児や小学生にクリスマス・プレゼントを配る活動をしました。朝鮮高校の生徒たちも忙しいのに、この活動に参加しました。私たちの同胞社会の中では互いに鼓舞しあいますが、一歩外に出ると冷たい言葉がかけられます。

火曜日行動をしなくても権利が獲得されるようになってほしいと思います。

 










初級部の校長先生が今日もアピールされました。

☆リュウ校長先生

かつて国際的に前を進んでいた大阪府は、いつの間にか逆の方向を先走っています。朝鮮学校の子どもたちは、低学年まではただ毎日を楽しく過ごしていますが、高学年になるとなぜ自分が日本に住んでいるかを考えるようになります。在日へのいいニュースはほとんど聞かない中、火曜日行動で語られる言葉は生徒・保護者を勇気づけています。

朝鮮学校にも大阪万博から案内が来ましたが、安全面から「検討中」と答えています。














☆オモニ

火曜日行動が一日も早く終わることを願って歌います。

『声よ集まれ、歌となれ』

・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ!

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな!

・朝鮮高校に高校無償化を適用せよ!

・朝鮮学校の補助金支給を復活せよ!

シュプレヒコールが続いています。





































最後は大村さんのアピールと合唱です。

☆大村さん

2025年が始まりました。今年は大阪で民族教育が始まって80年になります。
この80年間、日本の政府は朝鮮学校に対していいことを何一つしてきませんでした。差別と弾圧の80年です。2025年をもっといい年にしたいと思います。朝鮮学校の子どもたちから年賀状が来ます。それを読むと胸が熱くなります。その気持ちを込めて歌います。


 승리의 그날까지(スンリエ クナルカヂ)
      勝利のその日まで

1.고개를   들어요  한숨을  거두자요
コゲルル トゥロヨ ハンスムル コドゥジャヨ
(空を見上げよう ため息つかずに)

아이들의  웃음을  빼앗길순   없잖아요
アイドゥレ ウスムル ペアッキルスン オプチャナヨ
(奪われるものか 子どもらの笑顔)

포기를   말자요   단념도   하지말고
ポギルル マルジャヨ タンニョムド ハヂマルゴ
(諦めるまい 断念するまい)

전진만이  우리의  길  승리의  그날까지
チョンヂンマニ ウリエキル スンリエ クナルカヂ
 (進もう我らの道 勝利のその日まで)

2.人らしく生きよう 誇りをもって
  学びの権利を 永遠(とわ)に守ろう
  諦めるまい 断念するまい
  進もう 我らの道 勝利のその日まで (2017年2月27日 作) 


































申し送りの場で、ニョニョさんの指導による『勝利のその日まで』の発音練習が行われました。


来週の火曜日1月14日は、正午より教育塔前で「火曜日行動600回記念」の集会を持ち、12時半からミニパレードを行います。
どなた様もふるってご参加ください。お待ちしております。
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12月24日、598回目の「火曜日行動」です。

2024-12-24 15:54:31 | 火曜日
今日は12月24日、巷ではジングルベルの歌が流れウキウキ気分だけど、私たちは怒りを鎮め今年度最後の「火曜日行動」を行いました。



今日のレポーターはハルモニ会(春母会)の平田さんとヨシナリさんです。



写真撮影は中山さんと松尾さんです。ニョニョも一緒に今日も心ひとつに発信してまいりますね。応援よろしくお願いいたします。



長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

こんにちわ  今日は今年最後で598回目になります。火曜日行動、元気に始めていきます。2012年にたち始め始めましたが、周りの景色は大きく変わりました。変わらないのは子ども達への差別です。変えていきたい、その思いで2025年、来年は1月7日からスタートします。1月14日は600回ということで、府庁周辺をパレード予定です。

1年を振り返ると、色々な方が、様々な思いをもって参加してきました。
大人が子どもの夢と希望を奪わない、子どもが責任の取れない問題を、子どもに押し付けない。当り前のことです。
今、ガザではパレスチナの沢山の子どもをはじめとする人々が殺されています。戦争、政治の駆け引きとされる中で、毎日子どもが殺されているのです。大阪でも抗議の声を上げています。

朝鮮学校へもこんな当たり前のようにされている差別を、大人がだまっていてはいけないと思います。
韓国では伊大統領が戒厳令を出しましたが、僅か6時間で、駆けつけた国会議員によって解除されました。そして弾劾が決議されました。市民たちが集まり国会前で声をあげつづけています。

民主主義は自分で勝ち取るもの、あきらめない、繋がって怒りの声を上げて行く。
まさに私達に民主主義の力を教えてくれていると思います。
私たちの火曜行動も、諦めない、あったことを無かったことにさせない、そして一緒に生きることは楽しいよ、ということで頑張っていきましょう。

歴史を忘れない、ということで山口の長生炭鉱の問題に取り組んでいる上田さんがアピールしてくれます。




山口から来られた上田さんが一番にマイクを持たれました。

上田さん

二回目の参加で、先週参加して様子をネットにあげたら、私のフォロアーは1万2千要るんですが、おおきな反響がありました。ネトウヨも多く入ってきましたが、彼らは日本人の遺骨収集もしないでなぜ韓国の・・というのですが、そういう彼らは何もしていません。

私達は、沖縄、パラオで遺骨収集、DNA鑑定に取り組んでいますが、政府は韓国の人のはしないというんです。私たちからすれば、韓国だけなんでやらないんだということです。

長生炭鉱で、強制労働の現場のような姿が現れようとしています。12月19日に大椿議員が国会で質疑してくれました。市民たちがここまでやっているのに政府はなぜやらないのかと。政府は遺骨の場所がわからないと言うばかりです。今、日本最高レベルのダイバーが協力してくれ、市民が協力してくれて300メートルの地点に200メートルまで入ることが出来ています。クラウドファンディングで今300万円が集まっています。政府は早くやれ、朝鮮学校への差別もですがこんな差別はやめろ、と言っていきます。協力よろしくお願いします。





古川さんもマイクを持たれました。

古川さん

おつかれさまです。
私が言いたいことは、行政が差別をするな。吉村知事、わたしたちの仲間を差別するな
それだけです。よろしくお願いします。



オモニ会の高さんが今日もマイクを持たれました。

高さん

お疲れさまです。

今年最後の火曜行動になりました。子ども達が排除されたまま2024年が過ぎることに憤慨しています。吉村知事、長としてあなたがすることは、分断を煽ること、排外主義を推し進めることないと思います。大阪の全ての府民の生活と安全を守ることではないですか。

2012年、第二次安倍政権が誕生して最初にしたことが、朝鮮学校を排除することでした。拉致問題に進展はありましたか?ないです。拉致問題は子ども達と関係ないからです。

子どもたちを使って、大人がすることですか。

来年こそは子ども達の民族的権利を保障してほしいです。補助金の復活、高校無償化の適用をしてほしいです。子どもたちの安全は守られているでしょうか。吉村知事の仕事は、分断を煽ることではありません。






シュプレヒコールが続いています。




アギさんがアピールされました。

アギさん

「気いつけやーあんたのことやでその差別、無関心は差別を呼ぶだけやでー」

私は朝鮮学校に子どもを送っている保護者です。
私の息子が赤ちゃんの時の冬、抱っこをして火曜日行動に参加をし、チラシ配りをしていました。
その時府庁から出てきた当時の府知事から、私の子どもには学ぶ権利が「ない」と吐き捨てられました。
その事が今でもずっと忘れられません。
市民が選んだ政治家が子どもに対してそのような暴言をするなんて、憤りでいっぱいでした。
だからこそ、これは差別なんだと諦めずに
子ども達を大切にする…そんな社会を作り変えて行かなければと、声をあげています。
この火曜日行動で声をあげなくていいような社会を、みんなが認め合ってたくさんの理解が必要だとすごく思います。

今日は終業式でした。
2学期の間に学んだ事、成長した事を持って家に帰ってきます。
そんな我が子が通う朝鮮学校が大好きです、大切に思います。
たくさんの理解を得ていきたいです。
一度朝鮮学校に遊びに来てください、子ども達の目を見てください。
朝鮮学校をあたたかく見守ってくださるみなさんの姿を見てください。
府庁で働いているみなさんも一度、行政の役割を単に仕事では無く、あたたかい心で見直し、朝鮮学校に対してまっすぐ向き合って頂きたい思います
よろしくお願いします。







火曜日バンドは不滅です❗



町田さんがマイクを持たれました。

町田さん

春から参加させて頂いてます.

それまで枚方で教師をしていました。

小学校でサマースクールの取組みを続けてきました。在日コリアンの子どもたち、ルーツのある子どもたちが1年のうち1泊2日だけ集まり、同じルーツのある友達と一緒に過ごし韓国の遊び・文化と出会うキャンプです。

日頃、日本名・通名を名乗って自分のルーツを隠すようににして生活してきた子ども達が、本名を名乗り、お互いを呼び合いながら本当に素晴らしい笑顔で1泊2日を過ごし、また1年後に会おうねと約束をして帰っていく…そんな場面に会いました。

残念ながら、今の日本社会には差別があり、酷いヘイトをする人もいます。
そしてその差別を見て、見えないかのように通り過ぎる日本人がたくさんいます。
その事で、子ども達が自分自身の事、生まれてきた事を喜べないようになる状況は、何とかしなければならなりません。
その責任は日本人にあるし、日本人が忘れてはいけません。

差別を見過ごし、それを解決できないままにしているのも日本人です。
ちゃんと責任を持って取り組まなければと思います。
サマースクールで見られた、お互いを認め合ってアイデンティティを大切に思い、厳しい世の中だけどしっかりと強く生きていく力になるということ。
そんな子どもたちの笑顔が、朝鮮学校にはたくさんあります。

政府も大阪府も行政や教育もちゃんと朝鮮学校を支え、守るべきです。
それと正反対な差別や、補助金の打ち切り高校無償化の対象外など、断じて許せません。
「子ども達をいじめるな、しっかりと支援をし、子ども達の笑顔を曇らせるようなことは直ちに止めろ」
そんな声をみんなであげていきたいと思います。



崔さんもマイクを持たれました。

今日は文学の話をしましょう。
みなさん大阪城天守閣の麓に、豊国神社があるのはご存知ですか。
その秀吉を祀っている神社の隣東側に、石碑が建っています。
鶴彬(つるあきら)と言う、反戦川柳作家の石碑です。

なぜそこに建っているのか。
1930年代そこに陸軍刑務所があって、そこに1931年から鶴彬が1年8ヶ月治安維持法違反の罪で収監されていました。
その因果で有志の手により、鶴彬の石碑を建てたのです。

刻まれた碑文
  〜暁をいだいて闇にいる蕾〜

1930年代、真っ暗な戦争にひた走っていく日本の中にも、明るい日本の未来を胸に秘めながら、しっかりと生き抜いている。
そんな蕾たちがいたる所にいるんだと言う、そんな思いが込められています。

その時の日本と今の日本、そっくり似てます。
今の日本にもこの碑にあるような、蕾たちがしっかりと生き抜いています。

朝鮮学校もその大切な蕾
その蕾を今、摘んでしまおう失速させてしまおうとしている。
それに対し無自覚である、それが今の日本の姿じゃないでしょうか。

この場所から歩いて10分です。
ぜひ、鶴彬の碑文の前に建って見てください!
何か思いが伝わってくるのではないでしょうか。

長崎さん

〜万歳とあげた手を大陸に置いて行った〜
と言う彼の川柳があります
戦時中にそのようなことを言った事で、彼は収監され戦時中に亡くなりました。
鶴彬のお話、ありがとうございました。

昨日は大阪地裁の前に、17時から300人ほどの女性達が集まりました。
1審で有罪判決が出た滋賀医大の判決で、無罪になったとゆう事に対し、被害者がどんな思いでいるだろうかとたくさんの女性達が「あなたは1人じゃないよ」と。
この判決に怒る人、一緒に声をあげる人がいるよと示さないといけないと。
急な呼び方でしたが、たくさん集まりました。
司法が何のためにあるのか。
私達が朝鮮学校の裁判でもそうでしたが、行政の差別を司法が正さず、差別を司法が後押しをすることを見てきました。

司法が独立をし、様々なものを正していく
そんな世の中になる為にも、みんなで声をあげたいと思います。








最後は大村さんのアピールです。

大村さん

今日で598回、2024年の最後の火曜日行動となりました。

今日は北大阪初級学校のオモニ達が、終業式で子ども達が帰ってくるような、大変な時間にわざわざ駆けつけてくださっています。
朝鮮学校では補助金も何もかも打ち切られており、年末という事で学校の方でも歳末のキムチやトックといった販売、オモニ会からもいろんな活動をして、学校の運営資金にも充てています。

在日の多い大阪府には、過去にはいち早く外国人学校への補助金が為されていました。
4条件と言うのはなかったのに、なぜか後になって条件をでっちあげて作り、このように補助金を止めてしまった。
本当に許されないことです。

2012年の4月17日から始めた火曜日行動
来年には600回になります。
この活動は正当な要求を持ってこの場でやっている事をおとしめるような事を、ある市の市議会議員がエックスで書いています。
何年も前に火曜日行動に来ていたオモニの写真を載せ、反政府的・反国家的な事をやっていると。市会として許されないと言っているわけです。
正当な活動を妨害、中傷する、オモニ1人の問題では無いとして、提訴したわけです。
朝鮮学校をおとしめられる事、許せない事他にもありますがご本人は頑張るとおっしゃっていました。
私達はこれを踏まえて、これからも諦めずこの場で頑張りたいです。




今年度最後の歌はやはり「勝利のその日まで」❗



何百回歌ったことでしょう❗



今日も東成のサンタさんが美味しいクッキーを皆さんにプレデントして下さいました。



駐輪場での今年度最後の申し送りです。



新井さんが又、無償化連絡会への志を持ってきてくださいました。



続いていろんなアピールと催しへのご案内がありました。



今年度は今日が最終日になりますが、新年は7日の火曜日に599回目の「火曜日行動」が行われること、1月14日には600回目の火曜日に際し教育塔前に集まり12時から集会、12時半からはミニパレードが行われること知らせて下さいました。



皆さま、激動の2024年に別れを告げ、2025年を間もなく迎えます。どうか健康に気をつけられ又府庁前でお会いいたしましょう。
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12月17日、597回目の「火曜日行動」です。

2024-12-17 17:11:27 | 火曜日


今日のレポーターは、ハルモニ会の横道さんと井上さんです。



写真撮影は松尾さんと中山さんです。今日も心ひとつに発信してまいりますね。



長崎さんの第一声始まりました。

☆長崎さん

一日も早く子どもたちが夢と希望をもって巣立っていけるよう、今日も597回目の火曜日行動を始めます。

大阪にも多くの国の子どもたちが暮らすようになりました。自分の国の言葉や文化を保障していくことはこどもの権利条約や大阪府の教育指針にも謳われています。しかし、大阪府は朝鮮学校への補助金を打ち切りました。朝鮮学校で学ぶことが許されず、子どもが政治の駆け引きの材料のように扱われているのは明らかにおかしいことです。

韓国でユン ソニョル大統領が戒厳令を出した後、6時間でくつがえされました。国会では弾劾決議されました。多くの犠牲を払って民主主義を勝ち取った世代とその背中を見て来た若い世代、特に女性差別に声をあげた20代30代の女性たち、の大きなうねりが起きています。朝鮮学校にも韓国から様々な支援が送られ、今日もモンダン ヨンピルの皆さんが参加されています。

皆が手をつなぎ合って闘っていることが目に見える火曜日行動です。では、南大阪の田村さんの方からアピールをお願いします。




田村さんがマイクを持たれました。

☆1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支える会 田村さん

韓国で戒厳令が出され、民衆が立ち上がりそれを差し止めました。日本も負けていられません。

大阪で維新は、教育の無償化に力を入れる、とよくテレビで言っていますが、差別をしておいてどの口が言っているのか、恥ずかしい。税金を納める者としてこんな行政は許せません。

府庁で働く公務員の皆さん、良心を持っているなら勇気をもって知事に言ってください。朝鮮学校も無償化しましょう、と。そうしたらみんな応援しますよ。

吉村知事もちゃんと聞いてください。よろしくお願いします。




火曜日バンドは不滅です❗



崔さんがマイクを持たれました。

☆チェ さん

府庁の皆さんお元気ですか。

2024年12月というのは、京都朝鮮初級学校が在特会に襲撃されて丸15年、それに対して最高裁が、明白な違法性があり人種差別であると判決を下してから10年になる年です。この事件を経て日本社会は変わっていないどころか、朝鮮人、韓国人、在日外国人、周辺諸国民族に対する憎悪、反感、差別、嫌悪が社会を覆っています。それが政府の戦争政策を後押しし裏打ちしています。

韓国でユン ソニョル大統領が非常戒厳令を発令するという暴挙に出ました。それに対して民衆は非暴力大衆行動を以て押さえ込みました。片やシリアでは、アメリカ、イスラエル、トルコ、EUが後押しする反体制勢力によってアサド政権が打ち倒されました。

今、世界は戦争と戦争に反対する闘いがせめぎ合っています。帝国主義と反帝国主義勢力のせめぎ合いが熾烈を極めています。そして日本は戦争の側、帝国主義の側に立ち率先して押し進める動きをしています。この在り方は日本の真の未来につながっていくのかしっかり見極め考える時ではないでしょうか。この状況で沈黙と無関心は罪です。

真の日本の在り方に向かう突破口が朝鮮学校問題です。朝鮮学校問題にしっかりと向き合っていくことを通して日本の真の未来を共に築いていこうではありませんか。



山口から来られた上田さんがマイクを持たれました。

☆上田さん

初めて来ました。山口県宇部市の長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の事務局長をしています。

報道でご存知の方も多いと思います。海底炭鉱の浅い所で酷い強制労働があり、1942年2月3日事故が起きました。働いていた人の7割が朝鮮からの人でした。

遺骨を掘り出すためクラウドファンディングで1200万円集めて坑道を見つけました。220㎝×180㎝の驚くばかりの狭さでそれほど酷い所で働かされていたのです。

山口では朝鮮学校のことで1か月に一度県庁前で座り込みをしています。私は大阪なので参加してないのですが長崎さんから大阪で毎週火曜日やっていると知らされ本日参りました。

ダイバーが手を上げてくれ、先日200mまで入ってくれました。あと100mほどで遺骨がある場所に到達します。1/31から2/2まで潜水調査します。坑口の補強と遺骨のDNA鑑定のための600万円の第二次クラウドファンディングを12/10から開始しました。1週間で160万円が集まりました。

坑口が開いたことによって良心の窓が開いたのか、山口のメディアも連日報道し、東京でも全国放送され、東京での記者会見は満杯になります。

強制労働はなかったなんてでたらめは通じません。酷い環境の中で働かされ、82年を経て我々の目の前に現れた訳です。遺骨返還を2025年に実現するためにがんばります。

朝鮮学校支援も来たからにはこれからも毎週来ます。長生炭鉱の闘いも皆さんと共にあると決意を述べて話を終えます。



中山さんがマイクを持たれました。

☆ 中山さん

今月3日から韓国は激動しています。

実は1972年7月4日「7・4南北共同声明」と言う素晴らしい共同声明が出ています。

50年前、南の政府が条約を履行していれば、こういう状態にならなかったと思います。

わたしもこの2週間は街頭に出てデモに参加しています。韓国の留学生もたくさん参加されていました。

韓国、東アジア情勢に日本も無関係ではありません。共に闘っていこうと思っています。




女性同盟の申さんがマイクを持たれました❗

☆申さん

来年の1月14日にこの闘いは600回を迎えます。今、わたし達のみならず、いろいろな外国人に対する差別や人権蹂躙が行われています。

朝鮮学校は2年後に80年の歴史を迎えます。歴史の中では民族教育に理解のある首長さんや議員さんがおられた時もありました。でも今は最悪の状態ではないでしょうか。

高校無償化、府・市補助金、幼保無償化のたたかいを、大阪府大阪市から変えて行きましょう! みんなで力を合わせて!





☆ 歌とシュプレヒコール

歌「声よ集まれ 歌となれ」

シュプレヒコール

・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・朝鮮学校の子どもたちに高校無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ

・行政が差別するな



最後は大村さんのアピールです。

☆ 大村さん

韓国では「ウリハッキョを守る市民の会」があり、毎週金曜日に支援行動をして下さっています。その金曜日行動が500回を迎え、ソウルの日本大使館前で記念集会が行われ、日本政府に差別撤廃を申し入れました。

この火曜日行動からのメッセージも読み上げられ、全員で「ソリヨ モヨラ」の合唱もされていて、その様子をいろいろな情報で教えてもらいました。

わたし達も諦めることなく勝利に向けて頑張りたいと思います。




最後の歌は「勝利のその日まで」❗

空を見上げよう ため息つかずに
奪われるものか 子どもらの笑顔
諦めるまい 断念するまい
進もう われらの道 勝利のその日まで!



駐輪場での申し送りです。




いよいよ来週の火曜日24日は、今年度最後の「火曜日行動」になります、皆さん❗暖かい格好でお近くの皆さんお誘い合わせの上お越しくださいね。
最後の日まで頑張るのみです。


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12月14日、文芸同大阪結成65周年記念公演が行われました。

2024-12-15 22:19:36 | イベント
12月14日、午後6時より、大阪生野区民センターにて「文芸同大阪結成65周年記念公演 「ハンマウム(한마음)」が行われました。




写真撮影は主に文芸同の秦勝元さんです。






司会のお二人



1.歌と舞踊
  この世に羨むものはない  「大阪朝鮮歌舞団」



2.詩朗読 文学部


 

「跡」リバンセ




 「こんな日が来るなんて」
 ホオンニョ




3.群舞
  春風に誘われて
 「舞踊部成人組」




4.女声重唱
 「チョゴリ」
 音楽部「ヒャンウム」




5.金管重奏
  「ゆこう!白頭山へ」
 大阪朝鮮吹奏楽団




6.詩朗読 文学部
 「白い上靴」リイルヨル


 

「前へ」パクテジン




7.混声二重唱
 「春風」大阪朝鮮歌舞団
 カンサンス、キムシオン

 


8.三人舞 舞踊部青年組
 「フンパラム」




9.詩朗読 文学部
 



「きみの目指す道」キムエミ




「数える」チェドクホ


10.男性重唱 音楽部トウ厶
 「崔じいさんの平壌巡り」
  




11.寸劇と合唱詩 演劇口演部

  「願い」




12.重舞 大阪朝鮮歌舞団
  「舞姫」




文芸同大阪結成65周年記念作品集「プルシ(火種)24号」も普及させていただきました。









沢山の方々がご来場下さり応援して下さいました。コマッスムニダ!
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