ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

日記 「リファのインフルエンザ日記②」 (2012.2.29)

2012-02-29 22:05:59 | 日記
日記  「リファのインフルエンザ日記②」


 今日で3日連続、インフルエンザにかかっているリファが、朝からハンメの家に来ています。熱も下がりとても元気です。

 加湿器から吹き出ている蒸気を触りながら、「太陽出てへんのに雲がいっぱいやー」と喜んでいます。

 すぐに「ハンメ、トランプしょう」とせがみます。二人で「点数表」を作り試合開始です。はじめは「スピード」です。最近訓練を続けているハンメの圧勝です。3対0です。

 次は「ババ抜き」です。2回私が勝って最後の1回は同点です。

 途中休憩です。今までならきっと悔し泣きをしているはずですが、今日は「ハンメ強なったなぁ」と感心しています。それで私も言いました。「ボケたらあかんから頑張って頭使うてんねん」、すると「そやな。ハンメ、ボケたらあかんもんなぁ。」とわかったふうなおしゃまなことを言っています。

 おやつに「チョコパイ」を食べました。食べながら「次は、<神経衰弱>をしょう。」と言います。私は「神経衰弱」が苦手なのですが挑戦を受け立ちました。

 案の定、リファの圧勝です。1回目、36:16,2回目、44:8、3回目、36:16です。総合76:30でボロ負けしました。前日の夜,ユニとユナとも「神経衰弱」しましたが圧倒的に4年生のユニより1年生のユナが強いのです。「神経衰弱」は幼いほど強いのでしょうか。

 圧勝して気分の良くなったリファは、「30分だけお昼寝しようか」というとすんなり寝てくれました。寝ている間に昼食の準備です。

 リファの要求通り、雑魚入りの白いお粥と大根と人参のお味噌汁、雑魚と獅子唐の炒め物、私の大好物の卵焼き、それに市販のものですが黒豆の煮物と、しそ昆布を準備しました。

 雨も上がり青空が広がっています。ぐっすり1時間15分も眠ったリファが起きました。
食欲が出てきたのか、今日は箸が進みます。出されたものをすべてぺろりと食べました。
おまけに雑魚が美味しいから「お持ち帰り」すると言います。私は嬉しくなってたっぷりタッパーに入れて持たせました。

 昼の薬を飲んでいるとオンマが迎えにきました。もう一日お休みすると登園できそうです。

 夕方オンマからメールがありました。お昼過ぎから保育園に通っている弟のヒジョンの熱が上がったり下がったりしているとの事、妹のユファも段々咳がひどくなっているらしい。リファのインフルエンザがうつったかも知れないと言うのです。

 一山越えたら又山です。明日はオンマも仕事休んで、子供3人連れて小児科病院に一緒に行くことになりました。やれやれ。
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昨年3月の初め、河津さんと熊野を旅しました。

2012-02-29 07:54:39 | 日記
 「紀州・熊野に魅せられて」

1.紀州へようこそ!        

3時間
心地よい高速バスに揺られ
白浜とれとれ市場前に到着した

「紀州へようこそ!
 お待ちしておりました。」

剃りあげた頭にうっすらと残る
産毛のような白い頭髪と白いあごひげ
大柄な倉田さんが大きな手を差し出した

(わぁ アルムのオンジそっくり!)
子供のようにはしゃぎながら
初対面とは思えない彼の手を握り返した

田辺市立美術館に向かう道すがら
車の中でずっとクラシックを流してくれ
途切れることなく話しかけてくれる

小高い山に囲まれた濃い紅色の喫茶店に着いた
ガラス張りの壁 真ん中に置かれた古いピアノ
ガラスの向こうに紺碧の海が見える

なんて素敵なところだろう
斜め下には美術館が見え右手には病院
倉田さんが6ヶ月も入院していたという

河津さんのお陰で九死に一生を得ましたと
1年間の闘病生活を淡々と話された倉田さん
ゆったりとした口調は壮絶さを感じさせない

メガネの奥の優しい瞳は
いつも周りの人を気遣う暖かいまなざし
こうして紀州の一日が始まった

* アルムのオンジ(アルプスの少女ハイジーの祖父、人里離れたアルムの山の中に一人で住んでいた人)

2.田辺市立美術館にて         

前方に果てしなく広がる太平洋
太陽の光を浴びて銀色にきらめく海
春を一足先に運んでくれる穏やかな浜風

まるで大きな公園のような敷地に
紫、黄,白のすみれの花が咲き乱れ
暖かい色のモダンな美術館が建っていた

2011年3月5日今日ここで
「原勝四郎が放ち続ける詩の光」を
河津聖恵さんが講演し朗読もする

原さんの絵「江津良の海」が表紙になった
詩集「新鹿」をひざの上にそっと置き
倉田さんと前後に並んで耳を傾ける

ここの人たちは他郷の人が語る故郷の話を
どんな思いで聴いているのだろう
原さんの絵が詩人の言葉で光になり花になる

原さんの荒々しいほど力強い絵画が
河津さんの繊細な詩心を揺さぶり
一編の詩が原さんの絵に命を吹きかけている

素晴らしいコラボに観客の目が輝く
自分の住む紀州がどんなに素晴らしいかを
新たに発見する喜びに満ちている

高層ビルなど縁のない自然の素晴らしさと
力みなぎる絵画と光を放つ詩が
ひととき安らぎをくれ 幸せをくれた

3.湯ノ峰温泉のゆで卵
             
一七日、入れば、両眼が明き
二七日、入れば、耳が聞こえ
三七日、入れば … …

生命の「再生」の湯を味わってと
倉田さんが湯ノ峰温泉に案内して下さった
山道をくねくね回り、峠を越え越え

橋上から見下ろす川面に ゆらゆら何だろう? 
硫黄の匂いが漂う川辺に下りて
五つ入りの卵の袋を 囲いの温泉に入れる

《残念、壷湯は40分待ちですよ。》
仕方なく近くにだけでも行ってみる
入り口に男の靴が大小 親子だろうか

《熊野が誇る世界遺産なので
入ってもらいたかったなぁ》
屋根の苔を触ってみた 歴史を感じる

《ゆで卵でも食べましょう》
後ろ髪引かれながら 川辺に戻ると
石畳の上に寝そべって 人が本を読んでる

寒くないのかなぁ と 思いながら
足下の石畳をさわると あったかぁい! 
小川の水も温泉の湯だ あったかぁい!
ゆらゆら踊ってたのは 温泉の華だ!

倉田さん、河津さん、夫とわたしに
ひとつづつ ゆで卵の配給 嬉しいな
《残りの一つは はい、オンニョさん》

あちちちち なかなか 剥けない
口に入れると 硫黄の香りが
じゅわっと 広がった 美味しい!

温泉には入れなかったけど
倉田さんの温かぁい思いやりが
ここ湯ノ峰温泉でも 胸いっぱい広がった

4.熊野の椿
           
朝から贅沢に花ノ窟見物
入り口に向かって樹木の間を歩いていたら
これはビックリ
椿の木が天高くそびえ立っているではないか

首が痛くなるほど仰ぎ見る椿は初めてだ
10メートル以上あるだろうか
何百年ここに立っていたのだろうか
熊野の神木のように天下を見守っている

春の木と書いて椿 陽春を予祝する美しい花
つらつら ツバキ うちの国では トンベク
なんと似ている呼び名だろう
どちらの名が先に付いたのかなんて問題外

真っ赤な花を誇らしげにいっぱいつけ
広い葉っぱは陽光をはねかえしキラキラひかる
葉と葉の間から刺し込む光に胸弾ませ
つるつるの幹を撫ぜれば暖かいオモニの肌のよう

オモニの故郷済州島でも椿の花が満開だろう
幼い頃オモニがお風呂上りに
いつも頭に擦り込んでくれた椿油
故郷では自分で絞って作ったと言ってたっけ
 
まだ一度も行ったことの無い オモニの故郷を
異郷の熊野で感じるなんて夢にも思わなかった
異郷で見る故郷 でも 涙が出るほど嬉しい
倉田さん有難う 思いがけない贈り物です

*オモニ(母)

5.熊野灘の海に向かって
            
熊野が誇る世界遺産  
海に向かって吠える獅子岩を眺めながら
自然に会話がはずむ

《うちの国の金剛山にも
同じ名前の岩があるんですよ。》
《伝説なんか集めたらおもしろいでしょうね。》

《日本、朝鮮、中国は良く似てますね》
《昔は朝鮮通信使なんかが
 海を渡って良く来たもんですよ。》

七里御浜に静かに下り立ち
獅子岩を背に海に向かって佇む
《あの頃に戻れないかねぇ》

3月の太陽は惜しげもなく海を照らし
鏡のように光り輝く熊野の海は
遠慮なくその美しさを見せ付ける

空と海が重なった水平線に飛び交う水鳥
音もなく浜に押し寄せるさざなみは
真っ青な海に良く映える純白のレース

知らぬ間に涙がこぼれる
獅子になり 海に向かって吠えたい
海は一つ 太平洋も朝鮮東海も日本海も

この海の向こうには 私の祖国がある
子ども達と同胞達の希望を乗せ
行き来していた「マンギョンボン号」は
いつ又この海を渡ってこれるのだろう

心優しい熊野には似ても似つかぬ現実
一人一人はこんなにも温かいのに
どうしてどうして?なぜなの?

《ぼつぼつ会場に行きましょうか》
倉田さんの声に はっと我にかえる
お天道様が寂しげに笑っていた

6.あんかけスパゲティ
       
朗読会の前に腹ごしらえと
通りに出たものの 残念
日曜日はあっちもこっちもお休みだ

しばらく行くと やっと喫茶店が一軒
ドアーを開けたとたん
壁のメニューが見えた

(あんかけスパゲティ?)
《すぐ出来ますか?》
《それ御願いします!》

4人がいっせいに声を上げた
二人前づつしか茹でられないので
時間差で食べてと のん気な返事

出演者二人に先に食べて 行ってもらう
甘酢っぱい良い匂いが 店中に広がる
やっとありつけた「あんかけスパゲティ」

どれどれ どんな味だろう
急がせたせいか パスタがやや固い
でも味は一級だ 《美味しいですね》

《有難う御座います。オリジナルです。
この味出すのに 1年かかりました。》

一年かかるほど
特別な料理には見えないけど
本人が言うんだからそうなんだろうな

一度食べた味が忘れられず 
その味出すために ああでもこうでもないと
作りつづけたそうだ

ウインナーと玉葱をいため
塩胡椒してオイスターソースを絡め
とろみを付けた 「あんかけスパゲティ」

女主人の優しそうな笑顔が プラスされ
後味が とてもよかった 
ゆったりと時間が流れた 熊野での思い出

7.夢の祝祭
           
かまどで沸かした熱いお湯で
煎じて下さったお茶をおいしく頂く 
目の前には 無数の火鉢

障子を外し準備してくださった畳の会場
60の座布団が敷き詰めてあった
築123年だと云うとてもしっとりした旧家

熊野での朗読会に
これ以上贅沢な会場があるだろうか
時間前なのに人で溢れそう

スクリーンに映し出される熊野と詩の数々
会場に響き渡る朗読とフルートの音色
時折かすかに聴こえる咳さえ遠慮気味だ

静寂の中に浪々と朗読はつづき
モーツアルト、バッハの名曲が詩に溶け合う
なんて素敵な空間だろう 夢の祝祭だ

一言一言噛み締める様に詠む河津さんの声が
出会いから今日までの日々を
懐かしく思い出させる

駆け足で走ってきた日々
<無償化>の記事に一喜一憂し
励まし合い助け合った宝石のような時間

眼をそっと閉じれば
紀州の山々が、煌く海が見える
倉田さんが、熊野の人々の顔が見える

来てよかった しみじみ沁みる喜び
忘れかけていた何かが 今 蘇る

8.17時48分 熊野市発
          
朗読会の余韻がしっとりと胸に残る
阪本さんの鈴の音の様な素晴らしい朗読も
娘さんの切なくも暖かいエレクトーンの音も…

去りがたい熊野を後にする時刻が迫っている
何故こんなにも胸を熱くしたのだろう
たった二日間の旅が

紀州・熊野を懐くような小高い山々
海のきらめき、さざなみのやさしさ
オモニを思い出させた花ノ窟の椿

何よりも出会った人々の温かさ
倉田さん 中田さん 三谷さん そして
テキパキと動いて下さったスタッフの皆さん

全てに対する感謝の気持ちが
私を捉えて離さないのだろうか

駅まで送って下さった倉田さんが
孫達と一緒に食べてとお土産まで下さった

どうして ここまで気遣って下さるのだろう
お礼は返って 私達がしなければならないのに 

心が通い合った 幸せ 噛み締めて
去り行く車に 何回も 手を振る
クラクションを鳴らし 答える 倉田さん

17時48分 熊野市発の列車に乗り込んだ
胸いっぱいの感動と 安らぎを積んで

          終

         2011年3月
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昨年の今日こんな詩を書きました「ウリハッキョが大好き!」バイリンガル

2012-02-28 20:10:47 | 日記

「ウリハッキョが大好き!」
           

孫達の学芸会
人がいっぱい
ハルベ、ハンメ、オンマ、アッパ
近所のおばさんまで来ている

花のような衣装を身に着けた
1年生の始まりの挨拶から
最後の校歌合唱まで
場面が変わるたびに拍手喝さい

年とって涙もろくなったのかな?
合奏聴いても合唱聴いても
踊りや体操見ても涙が出る
よその子を見ても涙が出る

なんて けなげなのだろう
外では木枯らしが吹いているのに
ホールの中は春がいっぱい
朗々とした歌声が鳴り響く

なんて 明るいんだろう
暗いニユースで日本列島ゆれているのに
ウリハッキョの子供達がいるところには
お日様が燦々と光を放っている

ただ可愛いだけじゃない
互いをおもいやり、励ましあい
オンマ、アッパを信じている
先生が大好き、ウリハッキョが大好きだ

ウリハッキョの学芸会
ウリマルが生きている
ウリチャンダンが息づいている
希望の花が咲き誇っています

* ウリマル【朝鮮語】ウリチャンダン【朝鮮のリズム】
* ウリハッキョ【朝鮮学校】

 「우리 학교가 좋대요」

     
손자들의 학예회
사람들이 와글와글
할배,함메.아빠,엄마
옆집 아줌마까지 와계시네
 
꽃처럼 고운 의상 차려입은 
1학년생의 첫 인사로부터
마지막 교가합창까지
장면이 바뀔 때마다 박수갈채

늙어서 눈물이 헤퍼졌나?
합주를 들어도 합창을 들어도
무용이며 체조룰 보아도 글썽
남의 집 아이를 보아도 글썽

어쩌면 이리도 씩씩할가
문밖엔 찬바람이 윙윙 부는데
회관안엔 봄이 한창이야
랑랑한 노래소리 울려퍼지네

어쩌면 이리도 밝을가
어두운 뉴스로 일본땅이 흔들리는데
우리 학교 아이들이 모인 곳엔
해님이 찬란한 빛을 뿌리네

얼마나 기특하나요
서로들 도와주고 서로가 힘이 되고
아빠엄마 아이로 태여나 행복하대요
선생님이 좋대요 우리 학교가 좋대요

우리 학교의 학예회 
우리 말이 살아있어요
우리 장단이 숨쉬고있어요
다가오는 봄을 먼저 알려주었어요

     


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日記 「リファのインフルエンザ日記①」 (2012・2.28)

2012-02-28 13:56:27 | 日記
日記  「リファのインフルエンザ日記①」


 リファがA型インフルエンザにかかり二日目,ハンメと8時40分から14時まで6時間弱一緒にすごしました。
 
 リファはつみき保育園に通っていましたが、昨年4月の年長組から中大阪の幼稚班に通っています。ダンスが大好きで、リズム感もよいので、保育園の時もすごく褒められていました。

 今は人見知りもしないし誰にでも順応しますが3ヶ月のころから1歳になるまで、人見知りがとても激しく長引いたので、オンマ、アッパが苦労したと思います。おまけにアレルギーがあったので牛乳や卵も禁止され、お誕生日の日もケーキを特注せねばなりませんでした。

 食が細くおまけにいろいろ制限される食べ物があったので、オンマは本当に苦労したと思います。でも几帳面なオンマが献立もよく考え、栄養のバランスを考えながら薄味で食事させたし、治療もきちっと受けさせたので、今はアレルギー体質を屈服して細いけど元気な明るい子に育ちました。

 6歳ですが4歳の妹とやんちゃな2歳の弟が下にいます。気持ちよいほどハキハキしていますが、度がすぎるときは「リファ、優しく、優しくしゃべってねぇ」と言います。すると、すぐ声のトーンが下がりますがほおって置くとエスカレートしてしまいます。

 負けず嫌いで一緒にトランプをしていても、負けるとよく泣いていました。(このごろはだいぶマシになりました。)

 今日も午前中はトランプ、オセロ、ゲーム等をしながら楽しく遊びましたが今は真剣勝負をしても5分5分です。

 好き嫌いがはっきりしているので食事も注文を聞いてからつくります。昨日はうどんが良いといい、今日は蕎麦が良いと言ったので要求通り作りました。熱も下がり食欲も戻ってきました。

 無理やりお昼寝もさせ、昼食後きっちりお薬も飲みました。私が食事の片付けをしていると、急にピアノの練習を始めたので、しばらくほおっていくと「ハンメー、来てー」と呼ぶので用事を中断しピアノのそばに行きました。楽譜どおり弾けているか見てというのです。
 
 「カエルのうた」と「ジングルベル」の2曲の練習をしていました。両手の練習曲です。「かえるのうた」は少しだけ注意してあげるとすぐ、ちゃんと弾けていましたが、「ジングルベル」の方は楽譜どおりに弾きません。符点音符がなく4分音符が並んでいるのに符点音符のように弾くのです。多分今まで耳で何回も聞いていた「ジングルベル」が頭にこびりついているのでしょう。

 何回か指摘をし、治ったと思ったら、また符点音符のように弾いてしまいます。私も適当に目をつむってやればよかったかも知れませんが、楽譜と違うように弾くのは絶対ダメだと思い、何回も注意しました。するとリファが急に泣き出しました。泣きながらもまだ練習しているのです。

 私が「しんどい時に無理に練習しなくても良いよ」と言っているのにまだ泣きながら練習をするのです。たまりかねて私は「リファおいで」と云ってリファを抱っこして長椅子に連れて行きました。まだ泣いています。「なんで泣いてるの?」と聞いても何も答えず泣いています。私はリファが不憫になり、しばらく赤ちゃんの時のようにリファをギュッと抱き続けました。

 やっと泣き止んだので、何も言わず一緒に蕎麦を食べました。昨日は食欲がなくうどんを半分残しましたが今日はお汁も残さず大根、人参,とろろコブ、かまぼこの入った蕎麦をきれいに食べました。食後二人でトランプをしていたらオンマが迎えに来たので帰りました。泣いたことはオンマに内緒です。明日もきます。


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日記詩7. 「守ってください」バイリンガル  (2012・2・27)

2012-02-27 14:44:50 | 日記


 「守ってください」



「守ってください ウリハッキョを!
国を奪われ故郷を追われ 私は
学ぼうにも学べませんでした」

小刻みに震える声は 私たちの心を揺さぶり
88歳の あなたの ひとことは 
教えてくれました 生きる事の本当の意味を 

亡国の民として生まれ 
朝から晩まで畑仕事に追われていたあなたが
ご主人を探して日本に渡ってこられたのは
花も恥じらう18歳の時でしたね

艱難辛苦を乗り越え 子供たちを育てながら
ずいぶん頑張られましたね 分会長として
一軒一軒 同胞の家を訪ね歩き
新校舎建設へと呼びかけられましたね

東大阪朝鮮第4初級学校 新校舎落成式の日
ご主人と共にテープカットされた45年前も
21世紀をひた走る 今日も 変わりなく
ウリハッキョを支え続けて下さったハルモニ

割れた窓ガラスに テープを貼り暮らしても
子供たちのためには 全てを投げ出される
尊いあなたの姿を見ながら 考えるのです
あなたの心を動かし続けたものが何なのかと!

「ウリハッキョは心のふるさとです!」
感謝の気持ちを込めて子供たちが歌った時も
目頭を抑えながら仰いましたね
「守ってください ウリハッキョを!」と

時代が変わろうとも守り抜かねばならないもの
それなくして 生きていけない大事なもの!
それがなんなのかを 諭してくださった
ハルモニ 私たちみんなのハルモニ!

創立65周年を記念しハルモニが贈って下さった
新しい机と椅子で今日も学ぶ 輝く笑顔たち
ウリマル、ウリハッキョ、すべてのウリを愛し
ハルモニの想いを繋げて行こうと励みます

必ず守り抜きますとも ウリハッキョを!
ハルモニムが蒔いて下さった学校愛の種は
子供たちの胸に、私たちみんなの胸に
民族愛の花を永遠に咲かせることでしょう

 * 尊敬する金甲生オモニムに 



   「지켜주시오」

              
-지켜주시오 우리 학교를!
 나라 빼앗기고 고향 쫓겨난 나는
 배우고싶어도 못배웠어요

잘게 떨리는 소린 우리 마음을 흔들고
여든여덟살 할머님의 한마디는
깨우쳐주셨습니다 진정한 삶이 뭣인가를

나라없는 백성으로 태여나
아침저녁 밭일에 쪼들리던 할머님께서
주인님을 찾아 일본으로 건너오신것은
꽃들도 부러워할 열엷살때였다지요

모진 고생 이겨내며 자식들 키우면서
분회장으로서도 무척 애쓰셨다지요
한집한집 동포집 찾아가며 
새교사건설에로 불러일으키시였다지요

오사까조선제4초급학교 새교사준공식날
주인님과 테프캇트하신 45년전에도
21세기를 줄달음치는 오늘도 변함없이
우리 학교를 받쳐오신 우리 할머님

깨진 유리창 테프로 고정하여 살면서도
아이들을 위해선 무엇하나 아끼지 않는
숭고한 모습을 보며 생각하군 합니다
할머님마음속에 그무엇이 꽉차고있는가를 

<우리 학교는 마음의 고향입니다!>
감사의 마음담아 아이들 노래했을 때도
눈시울 적시며 할머님께선 말씀하셨지요
-지켜주시오 우리 학교를!

시대가 달라져도 기어이 지켜내야 할것 
그것없인 살수 없는 소중한 그 무엇!
그것이 무엇인가를 온몸으로 가르쳐주신 
할머님 우리 모두의 할머님!

창립65돐 축하하여 할머님 선물해주신
새 책걸상으로 배우는 환한 웃음꽃들
우리 말,우리 학교,우리를 사랑하며
할머님의 뜻 이어가자고 힘쓴답니다

기어이 지켜가렵니다 우리 학교를!
할머님께서 뿌려주신 학교사랑의 씨앗은
아이들의 가슴속에,우리모두의 가슴속에
민족사랑의 꽃으로 길이 피여날것입니다 

* 존경하는 김갑생어머님께


 
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