ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

2月23日「北大阪朝鮮初中級学校創立55周年記念公演―チェジャリ」を観にいらしてください。

2013-01-31 22:02:28 | お知らせ


 来る2月23日、新大阪のメルパルクホールに於いて

「北大阪朝鮮初中級学校創立55周年記念公演ーチェジャリ」が行われます。

 1幕 草創期の部分のナレーションを書かせていただきました。6年生の皆さん方と共に朗読させていただきます。

 朗読はウリマルでしますが対訳を掲載してみました。

 未熟ですが北大阪のウリハッキョの歴史を伝えるのに少しだでも役立ってくれることを願い掲載いたします。

 たくさんの皆さんのご来場を切に願っています。


                   


(対訳)


 「チェジャリ」(自分の場所)


55年の歳月が川のように流れました

日本で生まれ育った子供たちが
心のふるさとと呼ぶ 「ウリハッキョ」!

まさに 北大阪朝鮮初中級学校は
同胞たちの血と汗と涙で築き上げた
温かい「ゆりかご」、大切な宝物なのです

嬉しい時も苦しい時も 探し求める所
私たちみんなが 心に抱き生きる
永遠の拠り所 「チェジャリ」なのです

    X      X     X 

1945年8月15日
亡国の苦しみから解き放たれた1世同胞たちが
解放の喜びを胸に 最初に始めたことは
後世のための学び舎「国語講習所」の開設でした

「奪われた民族の魂を取り戻すため
 子供たちにウリマルとハングルを学ばせよう」

此処 北大阪の地にも
高槻や東淀川、豊能朝鮮学院で
数百名の朝鮮の子供たちが学び始めました

校舎はみすぼらしく机一つまともな物は無かったけれど
自国の言葉と文字を学ぶ 喜びに溢れていました
自国の歴史と文化を学び 雄々しく育って行きました

しかし 1948年4月 身を切るような風が
草創期のウリハッキョに吹き荒れました

日本の反動たちは 校内に消防車まで引き入れ
学生たちと同胞たちに冷水を浴びせたばかりか
1949年 強制的にウリハッキョを閉鎖しました

だが同胞たちは 嘆いてばかりはいませんでした
祖国の温かい日差しを全身で感じながら
同胞たちは また 学校を築き始めました

そうして 1957年4月1日
遂にわが北大阪初中級学校の前身である
東淀川朝鮮初級学校が創立されたのです

驚いたことに その1週間後 
戦後の復旧建設に拍車を懸けていた祖国から
教育援助費と奨学金を送られてくることを
誰が予想しえたでしょうか

祖国の配慮に限りなく励まされた同胞たちは
1959年8月に学校建設委員会をつくり
翌年3月に 木造2階建ての校舎を建設したのです

そればかりか 4月には中級部を併設し
その年1960年5月には その名も誉れ高い
北大阪朝鮮初中級学校が誕生したのです。

「1番良いものを子供たちのために」との
主席の偉大な教えを高く掲げ
1963年7月には大きなプールも作りました

そればかりか 共和国創建20周年を記念して
同胞たちは「100日間革新運動」を力強く押し進め
鉄筋校舎建設に起ちあがったのです

「力のある人は力を、知識のある人は知識を、
 お金のある人はお金を出して
 この地に誰もが羨むような鉄筋校舎を建てよう!」

「一つの分会で一つの教室を作る運動」が
2教室、3教室作る運動に発展し
同胞たちの熱意は高まるばかりでした

国を奪われたために
見知らぬ異国の地に引っ張って来られ
牛馬よりも過酷な人生を歩んだ同胞たちが

自国の言葉も知らず歴史も知らねば
またもや国を奪われてしまうと
あらゆる犠牲を乗り越え学校建設を押し進めました

1968年1月18日 ついに
新幹線が見える上新庄の真ん中に
地上を見渡すように4階建ての鉄筋校舎が
にょっきり そびえ立ちました

階段を上り下りする足取りも軽やかに
皺だらけのお爺さんやお婆さんの顔にも
幼いちびっこたちの顔にも
幸せの笑みがこぼれました

新校舎を見回す同胞たちの目からは
感激の涙があふれ
昨日までの苦労が吹き飛んだように
喜びに溢れました

同胞社会の宝であり
いつでも私たちを待ってくれている
心のよりどころ―「チェジャリ」を築き上げたのです


         *チェジャリー自分の場所

 
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11月30日「マラソン大会」

2013-01-30 19:43:55 | イベント




 11月30日11時より、神路公園にて「マラソン大会」が開催されました。

 まず準備体操です。



 ルールの説明を聞きます。



 みんなで軽く1周まわります。





 1年生から出発です。350MX3周です。

















 ユナが応援しています。



 リファが男女混合で2位になりました。良く頑張りました。2位は初めてだそうです。




 2,3年生の組の出発です。350Mx5周です。



















 2年生のユナは2,3年混合チームで6位でした。いつもは4位ぐらいだそうです。





 高学年混合チームです。女子は350MX8周、男子は350MX10周です。









































 ユニは2位でした。良く頑張りました。いつもは4位ぐらいだそうです。





 最後の学生が来るのを全員で待ちながら声援を送っています。素晴らしい光景です。落伍者は一人もいませんでした。

 新芽が今か今かと春を待っています。



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孫たちの学校と写真で見る「11月29日―火曜日行動」

2013-01-29 20:55:00 | 火曜日
 朝、いつものようにウリハッキョの前を通り孫の家に向かいました。







 朝日を浴びて、今朝もウリハッキョは凛とした面持ちで私を見つめてくれました。

 昨日あるブログを通じてびっくりするようなニュースが飛び込んできました。引用します。

 「市が朝鮮学校に立ち退きを要求して提訴」

 大阪市は、2012年12月26日、学校法人大阪朝鮮学園を相手に、訴状を提出した。

大阪市が要求しているのは、
1、中大阪朝鮮初級学校敷地上の工作物一切を収去し本件土地(中大阪朝鮮初級学校用地)を明け渡せ
2、平成24年4月1日から明け渡し済みまでの間、1ヶ月あたり金124万4000円を支払え
というものである。
 (この裁判の第一回口頭弁論期日は、2013年2月13日である。)

 中大阪朝鮮初級学校の敷地は大阪市の所有する土地であることは間違いない。どうしてそこに朝鮮学校ができたのか?歴史的な経緯を知る必要がある。

 1945年、日本が戦争に負けるまで、日本軍国主義は朝鮮半島を植民地にし、朝鮮の人々から金貨財宝を略奪した。農地や家屋も略奪した。日本の炭坑や工場、軍事施設の建設などの過酷な労働のために労働者を日本へ強制連行したり、日本軍のために従軍慰安婦を募集するなど、きわめて反人道的な残虐行為を行ってきた。

 それだけではない。日本は朝鮮の人々から民族としての尊厳まで奪おうとたくらんだ。日本政府は朝鮮の人たちに朝鮮語を使うことを禁止し、名前も創始改名といって、日本式の名前を強要した。

 1945年、日本軍国主義が敗北すると、在日朝鮮人のオモニやアボジたちは私財をなげうって「国語教習所」を設立し、そこで自分の子供たちに朝鮮語教育、民族の誇りを取り戻す教育を行おうとした。

 しかし、アメリカの占領軍は、朝鮮戦争を準備するため在日朝鮮人運動を抑えようとし、1949年10月19日、「朝鮮学校閉鎖令」を出した。日本中の朝鮮学校を閉鎖し、学校や会館などの財産も没収した。
しかし在日のオモニやアボジたちは、黙って引き下がらなかった。日本の官憲どもと命がけの闘いをくりひろげ、また民族教育の灯りを取り戻していった。

 中大阪朝鮮学校は、「朝鮮学校閉鎖令」で前身の「東成朝鮮学園」は廃校になったものの、「大阪市立西今里中学校」として、実質的な民族学校を存続させたものである。しかし、朝鮮への帰還者が増えたことなど、情勢の変化から、1960年、大阪市教育委員会に自主学校として切り替え、移行することを申請し、一年間の準備期間を経て認められ、校地も今の「中大阪朝鮮学校」が継承したものである。
これは、大阪市が歴史的に在日朝鮮人の民族教育に理解を示してきた結果であり、日本で一番たくさんの在日朝鮮人が居住し、その税金もいただいている行政区としては、当然のというか、最低限の処置だったといえる。

 それを今回、橋下市長は、いきなり「校地を返せ!それができなければ、一月124万4千円の家賃を払え!」と裁判に訴えてきたのである。

 天下の大阪市の市長が、わずか全校生徒50人の民族学校を相手取り、「学校から出て行け」「百二十四万円の家賃をよこせ」と裁判を起こしたのだ。自分で自分を「民族排外主義者」、「ファシスト」と宣伝しているようなものである。一体、行政の長として、民族教育をどうしようとしているのか、徹底的に追求せねばならない。
これは、南北朝鮮はじめ近隣諸国の怒りを買い、全世界から軽蔑されることになるだろう。橋下だけがアジアから孤立するのなら「勝手にしろ」ですむが、何しろ「大阪市長」の看板をぶらさげているのだから、大阪そのものが経済的にも文化的にも孤立してしまうことが心配される。

 裁判になった以上、多民族多文化共生をめざす日本人として、とことん闘うしかないだろう。(I・R)」

 理不尽にも2年間以上も当然支払うべき助成金をカットしているばかりか徹底的にウリハッキョを潰そうとしている輩に対して怒りがこみ上げてきました。

 11時半、自転車に乗って府庁前に向かいました。



 今日も大勢の日本の方々と同胞が集まり心の底から訴えました。

 私もビラをまきながらマイクアピールもしました。ウリハッキョの大切さを訴えた高校生の詩と、ウリハッキョに通う子供たちへの熱い想いをうたった金敬淑さんの「道端に咲く薺(なずな―ぺんぺん草)に君たちを想う」を朗読していたら胸が詰まり涙が出そうになりました。











































 平田さんのお友達が大勢応援に駆けつけてきてくれました。彼女たちとお話をしながら、心ある日本の方々の真心に心からの感謝を述べました。



 モンダンヨンピルの金明俊監督も早くから来てくれてみんなを励ましてくれました。本当に謙虚でいつも暖かい方です。

 「火曜日行動」終了後学校に行きました。宿題をしたり本を読んだりトランプをしたりして過ごしている児童たちを見ていたら、思わず胸が詰まりましたがぐっとこらえました。

5時過ぎいつものように食器を洗うため学童室を出て洗い場に向かう途中とてもきれいな夕日を見ました。写真ではそう見えないけど。

 明日は晴れるのかなぁ。







 

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1月25日 マラソン大会がありました。

2013-01-25 22:11:28 | イベント


 大阪城公園噴水前です。冷たい風が吹いています。空は真っ青です。

 初級部のマラソン大会です。低学年は1.4KM、幼稚班は700M.500M,250M、高学年は2.8KMを走ります。

 10時30分丁度、低学年が1年生から順番に出発しました。

                     

幼稚班の児童たちは先生と枯葉であそんでいます。

 

        

 学童生が2年生の1,2,3位を独占しました。







 幼稚班の児童たちも頑張って走ります。

                

 泣いて走らない子もいます。



 高学年女子と男子です。。

                         

 子供たちの一生懸命走る姿が元気をくれました。
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コリア文学教室を理解していただくため総務課に送った詩(残り6作)

2013-01-24 20:27:46 | 詩・コラム


6.「 背中 」
          

栗色の長い髪をたらし
ジ―ンズのミニスカートにブーツ履いて
颯爽と歩けば 誰でも振り返りそうな 先生
昨年まで ユファのクラス担当だった 先生

桃のようにピチピチして 可愛い先生が
今年度はいつも 園児をオンブしている
1才児 担当だ

 
《先生、肩凝りませんか?》
《うーん 大丈夫ですよ》
《そのお子さん まだ歩けないのですか?》
《歩けるけど 泣いてばかりなので…》

そうなんですね 泣いている子は
オンブが一番ですね 安心するんですよね
オンブすれば 他の仕事も出来ると仰る 先生

スタイル気にして かっこう気にして
自分の子供でも中々オンブ出来ませんよ
先生えらい! ママ達 負けてますねぇ

先生の背中は鼻水や涙でベッチョリだけど
園児達には まるで 揺りかごのよう
遥か むかしが懐かしい 子育てのころ

先生! 子供達はちゃんと見てますよ背中を
いつか きっと 肩叩きしてくれますよ            
                         


7.「 収穫 」

         
小雨ぱらつく園庭を はさみ片手に
小躍りしながら年長組さんたちが
向かいます 裏門近くの 菜園に

10年ほど前に作られた菜園
きゅうり、なすび,じやがいも、ゴーヤ…
所狭しと植えられています

今日は三度豆の収穫です
「左手で豆をやさしく押さえて
右手でそっと切るのですよ」

赤ちゃんをさわるように豆を押さえ
園児達は次から次へと切っていきます
鼻歌までちらほら聞こえます

「小さいのは取っては駄目よ」
まだまだ大きくなるから
その時取ろうと仰る川野先生

農薬は使わない 害虫も素手で取る
春に蒔いた種が 紫色の小花をつけ
それが散ったあと実がついた三度豆

「後でゆがいて食べようね」
「わぁい やったー」
先生もニコニコ 園児達もニコニコ

収穫の喜び溢れる菜園です
植物への思いやりがもたらした
最高の贈り物です 先生の真心です             
                          


8.「おいで!」
         

空豆を食べるのがイヤだと
朝からピイピイ泣いていたユファ
まぶたが はれている

保育園に着くなり
担任の先生 発見!

「おいで!」
いつものように 両手を広げて
先生が むかえて下さった

一目散に
先生めがけて 走っていく ユファ
涙顔が ニコニコ顔に 変身!

たったの ひと言 「おいで!」
どれだけ 多くの 園児達が
この言葉に 癒されたことか

やさしい笑顔と 暖かいひと言と
ぎゅっと 抱っこしてもらえるだけで
子供達は こんなにも 幸せなんです




 9.「僕のハンメだぞ」
                        

ひよこ組のガラス戸越しに
ヒジョンとタッチしたりチューしてたら
ゆう君がとことこやってきた

ニコニコゆう君
バンバン戸をたたき
わたしにタッチした

それを見ていたヒジョンが
ゆう君の手をはらいのけた
めげないゆう君 またタッチ

ついにヒジョンが
ゆう君をつきとばしてしまった
《僕のハンメだぞ!》

こかされ エンエン泣き出したゆう君
ごめんね ゆう君 大丈夫?
謝りながら苦笑いしてしまった

1才の反撃にびっくり!
《さわるな 僕のハンメだぞ!》
眼が得意げに言っていた

       (2011.2.24)

*ヒジョンは1歳、まだしゃべれません       
                              



10.「ハンメ 見ててや」

          
いつもの時間 朝 保育園で
ユファが 言った
「ハンメ 見ててや」


ニコニコ顔で 朝の準備
声掛けだけで アドバイスする
(これもいらないかも?)


制服脱いで 袖 出して
ハンガーにていねいに掛ける
お手拭、箸箱袋もいっしょに


カバンからお帳面出して
出席のシールはり
「今日 何日?」


帰るときの着替えも
ちゃんとロッカーにいれ
洗濯物袋もすかさず広げる


最後はうがいに手洗いだ
水道の蛇口も自分で開け
ゴロゴロペーもお手のもの


もうじき4歳 でも 軽すぎて
弟のヒジョンに時々やられるけど 
立派な お姉ちゃんです


「ハンメ もう来なくていいよ」
嬉しいやら 寂しいやら
いつかは訪れる 自立の日です 



11.「コマッスムニダ!ありがとう!」
                 

ミルクが飲めなくて
人見知りがはげしくて
泣いてばかりいました

牛乳もダメ、卵もダメ
そんなリファを
大事に大事に育んでくれた
<つみき>保育園!

声も一番大きいです
踊りも大好きです
絵本も大大好きです
なんにでもチャレンジします

赤ちゃんの時から
5さいになった今日まで
我が家のようにすごした
<つみき>保育園!

つみきを積み上げるように
一段また一段
成長させてくれました
温かく見守ってくれました

生活発表会、運動会
バザー、保育参観…
なによりも 毎日の生活指導

いつも一生懸命な先生方
国籍や肌の色やハンディを越え
誰にも平等にやさしかった
親、きょうだいのような先生方!

あなた方のご苦労は
子ども達の笑顔になり
子ども達の心の栄養になり
子ども達の未来へと繋がりました

コマッスムニダ!ありがとう!
思いやりの心を育ててくれた
<つみき>保育園!
リファ達みんなの心のふるさとです!

 
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