ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

34回目のパウゼ ピアノコンサートと 詩「素足の先生」

2015-11-30 10:16:09 | 日記

昨日はいろんな行事がありましたが、目をつぶって娘の出演するピアノコンサートに行ってきました。




初級部のころから田渕門下に入り、お亡くなりになられた田渕英治先生のご指導を長年受けさせていただきました。

先生亡き後は奥様の田渕千代子先生のご指導を今日も受けさせていただいています。


途中2年間はウイーンの音楽院に留学しましたが、帰国後もずっと田渕先生のお世話になっています。


今回は有難くもトリで演奏させていただくということで、とてもワクワクしながら会場に向かいました。


ショパン作のプレリュード op.28 No.17~24を演奏いたしました。


専門的なことはよくわかりませんが、演奏に心がこもっているのを感じ感無量でした。



感謝の心を込めて、何年か前に田渕先生のお姿に感動して書いた詩を掲載させていただきますね。


 「 素足の先生 」
           
            
             ニョニョ

あびこのランズホールで行なわれた
ミニコンサートが無事終わった
暖かい拍手と花束に囲まれて

ホンワカ いい気分で出ようとしたら
入り口近くで千代子先生が
お客様と歓談されておられた

「先生 御指導頂き有難う御座いました」
深々と頭を下げたとき 素足が見えた

「先生 スリッパは?」
「お客様が大勢見えられたので
足りなくなったのです.有り難い事です」

特等席に座られてもおかしくない先生が
裸足で ずっと立っておられたなんて

ああ 先生 あなたはいつも このように
弟子達を見守ってくださったのですね

美しかった先生の黒髪は
いつしか雪の色に変わったけれど
昔とちっとも変わらない明るい笑顔で
娘達を見守ってくださった 千代子先生

時には厳しく 時にはやさしく
母のように 姉のように
弟子達の成長を喜んで下さった先生!

あなたの素足が物語る 崇高な歳月に
ただただ 頭が下がる 私です
 



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ウリナラの絵本「子犬のうんち」

2015-11-27 23:41:48 | 詩・コラム
今日は月1のボランティア活動の日です。某 特別支援教室に行って参りました。クオンジョンセンさんの素晴らしい絵本「子犬のうんち」を日本語で「読み語り」させていただきました。2年半前にもアップしましたがもう一度ご覧になってね。胸が熱くなること間違いなしです。




      「こいぬの うんち」日本語版





トリの いえの しろが、うんちを しました。
いしがきの すみっこに。
しろは ちいさな こいぬだから、
こいぬの うんちです。





すずめが いちわ とんできて、
こいぬの うんちを ちょんちょんと つつきました。
「うんち! うんち! アイゴー きったねぇ┅┅」
すずめは そういって、どこかへ とんで いきました。


「なんだって! ぼくは うんちだって?
ぼくは きたないんだって?」
こいぬの うんちは、はらがたつやら かなしやらで、
とうとう なきだしました。





それを みていた つちくれが、
うわめづかいに にやっと わらいました。
「どうして わらうんだよう?」
こいぬの うんちは、くってかかりました。
「じゃあ、うんちを うんちと いわないで、なんというんだよ。
おまえは うんちの なかでも、いちばん きったねえ いぬぐそだぞっ!」


「うわーん!」
こいぬの うんちは、こえを はりあげて なきました。





それから しばらく たちました。
「うんちくん、おいらが わるかったよ。ごめんよ。
もう なくなよ、なっ」
つちくれが やさしく なだめるように いいました。
「┅┅」
「ほんとうは おまえより おいらのほうが ずるいし、
きたないかもしれない┅」
こいぬの うんちは、いつのまにか なきやんで、
つちくれの はなしに みみを かたむけていました。





「もともと おいらは、むこうの やまの だんだんばたけで、
こくもつや やさいを そだててたのさ。
なつには、むらさきや しろの じゃがいもの はなを さかせたり┅」
「それが どうして、ここに ころがっているの?」
こいぬの うんちが たずねました。





「おいら、とってもわるいことを したんだよ。きょねんの なつは、あめがちっとも ふらなくて、
ひどい ひでりつづきだったんだ。
おいら、そのとき とうがらしの あかんぼうを からしてしまったんだよ。」
「えっ! かわいそう」
「そのばちが あたったんだ。きのう、ここで おいらだけ にぐるまから こぼれおちたのさ。
ああ、おいら、もう はたけにも かえれないし、なかまにも あえないよ」
つちくれは かなしそうに つぶやきました。
そのときです。にぐるまが がたごと やってきて ぴたっと とまりました。





「ありゃりゃ!これは、うちの はたけの つちの ようじゃが?
おお、そうか そうか。
きのう、ここを とおったときに おとしちまったんだな。
よしよし、はたけに ちゃーんと もどしてやるからな」
にぐるまの おじさんは、
つちくれを いとおしそうに りょうてで ひろいあげました。





にぐるまが つちくれを のせて いってしまうと、
こいぬの うんちは ひとりぼっちに なりました。


「ぼくは きたない うんち。なんの やくにも たたないんだ。
ぼくは これから どうすれば いいんだろう?」
こいぬの うんちは、ひとり さびしく つぶやきました。





ふゆが すぎ、はるに なりました。 
にわとりの かあさんが、ひよこを 12わ つれてやってきて、
こいぬの うんちを じろじろ みながら いいました。
「どうみても たべものでは なさそうね。なにかの かすのようだわ」
かあさんどりは、ひよこたちを つれて、
くびを ふりふり いってしまいました。





あめが しとしと ふってきました。
こいぬの うんちの まえに、
みどりいろの めが、ぽつんと かおを だしました。
「きみ、だあれ?」
「わたしは きれいな はなを さかせる たんぽぽよ」


「どれぐらい、きれいなの? そらの おほしさまくらい、きれいなの?」
「そうよ。きらきら かがやくの」
「どうして そんなに きれいな はなを、さかせることが できるの?」
「それは そらから ふってくる あめと、
あたたかい たいようの ひかりの おかげよ」
「そうか┅、 そうなんだ┅ 」
こいぬの うんちは たんぽぽが うらやましくて ためいきが でました。





「それとね、もうひとつ ぜったい ひつようなものが あるの」
たんぽぽは そういって、こいぬの うんちを みつめました。
「┅┅ 」
「それはね、うんちくんが こやしに なってくれることなの」
「ぼくが こやしに なるって?」
「うんちくんが ぜーんぶ とけて、わたしの ちからに なってくれることなの。
そうして はじめて、わたしは おほしさまのような きれいな はなを さかせることが できるの」




「えっ! ほんと? ほんとに そうなの?」
こいぬの うんちは、うれしくて うれしくて、
うれしさの あまり、たんぽぽの めを りょうてで、 ぎゅっと だきしめました。





あめは みっかかん ふりつづきました。 
こいぬの うんちは、からだじゅう あめに うたれて どろどろに なりました┅。 
どろどろに とけて、つちの なかに しみこんだ こいぬの うんちは、たんぽぽの ねっこに あつまり、
くきを のぼり、つぼみを つけました。





そして、あたたかい はるの あるひ、
きれいな たんぽぽの はなが ひとつ、さきました。
はなの かおりが、
かぜに のって あたりに ただよいました。
やさしく ほほえむ たんぽぽの はなには、
こいぬの うんちの あいが、
いっぱい いっぱい つまっていました。(おわり)



 


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今週のお花とグルメ日記

2015-11-26 09:26:53 | 日記
この日記は今日から下がっていきます。















































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11月24日、172回目の「火曜日行動」です。

2015-11-24 20:24:04 | 火曜日
11月24日、172回目の「火曜日行動」です。








11月24日、172回目の「火曜日行動」の日がやってきました。

W選挙が終わってすぐなので、皆さんのお顔をどう見ようかと思案しましたが、日本の皆さん、いつもと変わりなく明るい笑顔でお見えになりました。



今日のレポーターは横道さんです。よろしくお願いいたします。




ー長崎さんのアピールからー

「11月17日「補助金」の裁判がありました。生野初級学校の生徒さんたちが傍聴に来てくれました。こういう所にまで子どもたちが来ざるをえないことに、大人として本当に申し訳ないと思いました。どうか配っているチラシを手にとって読んでください。


先日生野初級学校の公開授業に参加してくれた日本の高校生たちから、朝鮮学校の本当の姿を聞いた級友が、自分も一度朝鮮学校に行きたいという便りをくれました。
『出会わないこと、知らないことが、無知が、実は人を傷つけている』と話されたオモニの言葉を高校生たちは真摯に受け止めてくれました。


まだまだ理解されていないので、毎回アピールしていますが、朝鮮学校の保護者も国税、府民税、市民税を納める納税者です。政府は「高校無償化」導入の財源として、子どもの税金控除を廃止し、結果増税になったが、高校は無償化された。しかし朝鮮高校のみ「無償化」から除外され、保護者の税金だけが上がった。こんな不条理を許しはなりません。


大阪府、市の補助金は、国から一切助成されていない朝鮮学校にとって、金額は少なくても大きな支えです。それ以上に府や市と共生してきた朝鮮学校の存在を否定されたようで、子どもたちの心を傷つけました。
補助金停止という差別は最大のヘイトスピーチではないでしょうか。
「高校無償化」や自治体補助金は、恩恵などではなく、「こどもの権利条約」で国際的に認められている民族の言葉、文化、歴史を学ぶための当然の権利です。


昨日、日本軍「慰安婦」問題の集会で、韓国挺対協代表のユン・ミヒャンさんが好きな言葉を紹介されました。
『乗り越えられないと思った壁も、実は門である。たたき続けることによってやがてヒビが入り門になっていく』と。
どんなに硬い氷河も下には水が流れています。
人には伝わらないと切ってしまうと、運動は終わってしまいます。
これからもがんばりましょう。」(レポート横道)



「火曜バンド」の皆さん、初めはお二人でした。




カンさんと金栄子さん、金さんは今日も夜勤明けで家にも帰らず直接府庁前に来てくださいました。頭が下がります。金さんを見ているといつも勇気を戴きます。














仲間の皆さん、つらいときほど笑顔が良いですね。有難うございます。






美男子三銃士の登場です。



「火曜行動」のマドンナ エミさんです。




おっと!「火曜バンド」がいつの間にか4人になりました。

「もやもやも悩みも晴れて英気満つ闘う仲間の笑顔を見れば ちゅうき」    

「過てる時代の歴史学ばんと「はだしのゲン」を若きらと読む ちゅうき」

森本さんの上の娘さんが一緒に参加されました。







生野初の若いオンマです。美術評論家の白凛さんのお姉さんだということ、今日初めて知りました。







生野初のオモニ会の方々です。生野西支部の委員長もご一緒に!








大阪第4初の前オモニ会会長さんです。




南の兄弟が送ってくれた大切な横断幕です。





「火曜バンド」が5人に!池辺先生いつの間に…




方さん、昨日はご苦労様でした。盛会でしたね。尹美香代表の講演を聞いて本当に元気をいただきました。







ー大村さんのアピールからー

「旭区の「城北朝鮮学校を支える会」の大村です。支える会は150名の会員がいます。
城北朝鮮初級学校は創立56年を迎える歴史の古い学校です。校舎も朝鮮学校の中で一番古いそうです。

保健室、理科室など日本の学校にあるものが何もありません。
開放廊下なので、風や雨が吹き込んできます。教室の床、廊下は木です。
でも子どもたちはウリハッキョが大好き、友達が大好きと元気よく学んでいます。

日本の学校では当たり前の給食もありません。オモニ、アボジが朝早くからお弁当を作る負担は大変だと思います。
支える会では何かお手伝い出来ないかと考えて、何度か給食を作って生徒さんに食べてもらっています。今回で4回目になりました。

給食作りに協力してくれた友人は、初めての朝鮮学校訪問で関心を持ってくれました。いきいきと勉強している姿に感動してくれました。
生徒さんたちも大変喜んでくれて、学年ごとにお礼を言いにきてくれます。

こういう差別を許している社会を作っている日本人の一員として、本当に恥ずかしい。
大阪府、大阪市は朝鮮学校差別が間違いであると、日本人として早く気がついてほしい。
そして速やかに補助金を復活していただきたい。」(レポート横道)




大村さんがアピールされている間も、生野初のオモニ会の方々が何回も何回もビラを取りに本部の方まで来てくださいます。

向かって左二人が教え子です。一人は放送口演部で3年間ずっと一緒でした。真ん中の崔さんは今も吹奏楽頑張っています。




クッスンさんが足も痛いのに愛のキャンディを今日も運んできてくれました。





私も今日は3ついただきました。落花飴が好きです。




ーカンさんのアピールからー

「今回の知事・市長W選挙は、選挙権はありませんが、大きな関心をもってみていました。
『このW選挙の結果をもって、対立から対話の契機に』とある新聞の社説に書いていました。本当にそういうきっかけになれば良いと思います。

私は大阪府や市を相手に裁判沙汰になるとは、夢にも思わなかった。
朝鮮学校は府や市と頻繁に対話を積み重ねた結果、歴史的な経緯も理解され、朝鮮学校に対する補助金は全国で最初に行われたのです。
朝鮮学校はいつの時代も大変でしたが、今のように朝鮮学校に子どもを送るために、幾つも仕事を掛け持ちして働く親の姿を、子どもに見せることになるとは思いませんでした。


私の息子は大阪朝鮮高校ラグビー部でがんばっています。学校にシャワーはなく、ホースで水をかぶります。それでもがんばるのは、レギュラーになりたいだけでなく、一所懸命取り組むことで、「60万回のトライ」のように、朝鮮学校が人々に知ってもらえるなら、という思いが高校生なりにあるのだと思う。


朝鮮学校は日本の学校と変わらない授業を行っています。ただ、母語で行っています。最近はアジアからの観光客も多くなって、朝鮮語が聞こえると『つい反応してしまって道案内をした』と嬉しそうに報告してくれます。小さな国際交流ですね。

これからも共生の街をめざして、挫けず、めげずにがばっていきましょう。」[レポート横道)














ひょうきんな金さん、笑顔を見れば自然に笑顔になれます。





最後の〆は長崎さん、おしまいはいつものように「火曜行動の歌―この坂を上れば」の合唱です。もう百何十回歌っつています。歌えば歌うほど仲間の大切さを感じます。




いつものように駐輪所に集まり報告し合いました。






クッスンさんの足がまだ本調子じゃないので一人で大阪城公園内を歩いて帰路につきました。冬が目の前まで来ています。寒そうな風も吹き始めました。皆様、冬支度はなさっていますか?今夜から急激に冷えるそうですよ。どうぞご自愛下さいませ。来週も頑張ります。

蟻になってコツコツ岩をつついて行きますね。いつかはきっと岩が崩れることを信じて・・・

横道さんレポートお疲れ様でした。





















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11月22日、劇団「タルオルム]10周年記念公演を見ました。

2015-11-23 18:31:21 | イベント



  11月22日、大阪でも最も歴史が古く校舎も古い城北朝鮮初級学校に於いて、劇団「タルオルム]10周年記念公演「あの日・約束」が上演されました。

 
  私は今回の公演の解説をしようとパソコンの前に座ったのではありません。タルオルムの座長金民樹さんが歩んできたこの10年間を見守ってきたものの一人として感じてきたことを率直に書こうと思い立ちました。










今回共同で作品を作って下さった済州島のチェサンドンさん。





今回の公演の済州島の壁絵をすべて無償で書いてくださった済州島のヤンチョヌさん。




劇団「タルオルム」の座長金民樹さん。

40になってまだ何年も経っていません。子供さんが二人います。二人とも役者として舞台に立っています。旦那様はまるで保護者のように民樹さんとお子さん二人を暖かく見守ってくれています。

30そこそこで一つの劇団の座長になって早や10年、この間1作も逃さず作品を見続けてきた私も感無量でした。

10年前の旗揚げ公演は「孤島の黎明」、2005年の事です。済州島で行われた4・3事件が舞台の背景でした。

韓流ブームが大手を振っていた時期にも彼女たちが作る舞台はいつも地味で、真剣で、故郷が背景にあり「4・24の風」のように民族教育がテーマとして選ばれました。

今回の作品も4・3事件が背景にあります。

今回の公演の劇場になった城北初に来たのは初めてではありません。

民樹さんのおなかの中で赤ちゃんがどんどん大きくなっていた2003年、祖国の北と南が大変関係の良かった時期に、忠清道の公州で6月に行われた第21回韓国演劇祭に大阪の演劇口演部と劇団プルナが招待され、私も演劇祭に参加するため毎日練習に参加したのですが、残念ながら臨月を迎えていた彼女は一緒に行くことはできませんでした。その時の練習場がここ城北初の講堂でした。

でも彼女は自分が行けなくても仲間のために最後の日まで練習に付き合ってくれ、励ましてくれました。

その年の冬に一人芝居で海を渡った彼女は産後間もないころでしたが、素晴らしい演技で故国の演劇人を唸らせたと聞いております。

そして2年後、彼女は劇団「タルオルム」を立ち上げたのです。










過去から現在へ、現在から過去へと目まぐるしく舞台は変わりながら、4・3事件がもたらした民族の悲劇と、明日を信じて、みんなが学びみんなが平等に暮らせる幸せな世の中を夢見て立ちあがり、そして命果てた済州島の人たちの姿を描きながら、外勢によりもたらされた民族の悲劇を二度と繰り返してはならないことを無言のうちに語りかけます。







4・3事件の時に犠牲になった姉が弟に託した「ひまわりの種」! ひまわりは平和の象徴かも知れません。明るい未来への夢かも知れません。

時代は変われど現実に私たちの周りではあの頃と本質的には何も変わらない状況が続いています。決して諦めてはならない!守らなければならないのは何なのか!1世から2世へ、2世から3世、4世へと思いは繋がっていきます。

力作です。民樹さんが歩んできた幼いころからの道のりを知っているがゆえに、もっともっと泣けて泣けて涙が止まりませんでした。それは離散家族であるがために苦難の道を歩まなければならなかった自分自身の人生ともオーバ―ラップされ胸がちぎれそうでした。

泣いた後は元気が出てきました。教え子に元気をもらい、しっかり生きてくださいねとハッパをかけてもらったような気持ちです。


ただ一つ残念だったのはウリマルで公演してほしかったことです。日本語が駄目だというのではありません。この劇こそ日本語だけでは伝わらないものがあるのです。やはり初めからそうであったようにいくら難しくともバイリンガルでやるべきです。ウリマルには力があります。日本語での歌を聞いてもピンときません。伝わってくるものは半分です。

ウリマルを知らない人が多いからこそウリマルで演劇をしてほしい!字幕や解説が入ってもいいじゃないですか?!

だって劇団「タルオルム」は周りを照らす月明りなのですから…



劇団「タルオルム」の皆さん、客演の皆さん、学生の皆さん、劇団OBの皆さん、故郷の支援者の皆さん、本当に本当にお疲れ様でした。皆さんの一つになった心が今回の公演成功の鍵だったと思います。国籍・民族・思想・所属団体等の違いを乗り越え助け合った皆様の想いが観客の心に届いたのだと思います。本当に本当にコマッスムニダ!

追 一つ言い忘れました。ピョンリョンナさん、本当にご苦労様でした。民樹さんを支えこの10年間変わることなく共に歩んで来られましたね。本当に立派です、あなたの支えが無かったら民樹さんもこんなに頑張れなかったと思います。

あなたとは2003年6月の公州演劇祭に一緒に出演しましたね。教師と教え子の役で・・・片時も忘れることは無かったですよ。あの時まだあなたは10代だったのかな?見事に成長されましたね。本当に感無量です。苦しいとき、あの時の感激を思い起こせば勇気が湧いてきます。これからも初心を忘れず頑張ってくださいね。

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