ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

回想⑯ 北大阪初中 総合芸術公演 「チェジャリ」 2部

2013-12-18 20:01:03 | イベント
   北大阪朝鮮初中級学校創立55周年記念総合芸術公演 第2部「一般公演」をアップいたします。

9.男声コーラス「ウリハッキョは僕らの故郷」保護者、地域同胞選抜、

   2曲目はアプロハムケ・北大阪のメンバーも一緒に「青春時代」、3曲目はアンコールで「朝鮮民謡」

  (リハーサル)















   藤井さん登場!



  アプロ・ハムケからお二人が賛助出演です。とても良かった。









 
  (本舞台―びしっと蝶ネクタイしめています。)

















 10.独唱 「希望」 北大阪42期生 (現 大阪歌舞団 声楽手)


 
   美しい姿にみんなうっとりです。(リハーサル)







  (本舞台)





 清らかな声で同胞たちを魅了しました。

 11.民族器楽重奏 「歓喜」北大阪民族器楽団(有志)しっとりと聞かせてくれました。

  (リハーサル)







 (北大阪中の呉先生登場です。)





  (本舞台)





 12.舞踊 「太鼓の舞」初級部舞踊部・中級部体育クラブ男子・北中出身の大阪朝高舞踊部

 (リハーサル)躍動感にあふれています。



















  (本舞台)

















 13、ソプラノ独唱① 韓錦玉さん(北大阪19期生)「アリアリラン 」

  (リハーサル)透明感のある素晴らしい歌声です。海外でも大活躍しています。



  (ピアノ伴奏は高祥子さん―ベテランです。)



  (本舞台)





 韓さんは歌だけではなく母校に対するメッセージも送ってくれました。(在校生には大きな夢を持とうと、同胞たちにはウリハッキョを守ろうと) 

 ソプラノ独唱② 金桂仙さん(北大阪第4期生)「錦繍江山」、「ホルロ アリラン」

  (リハーサル)大ベテランです。深みのある情感のこもった歌いっぷりは感動を呼びました。



  ピアノ伴奏の金貞淑さんは、なんと初代校長の金根鳳先生の娘さんでした。(今日まで知りませんでした。)



  (本舞台)





 14.チャンセナプ独奏 「豊年」金剛団歌劇団 崔栄徳さん。

  サプライズです。会場を大いに沸かせてくれました。昨年も大阪のたくさんの納涼の集いを盛り上げてくれました。
 
 (リハーサル)



 (本舞台)







 
 15.映像 「頑張ろう!北大阪」 フィナーレ出場のため見れませんでした。

 16.終幕:合唱 「私たちは此処にいます」、「校歌」 全出演者・スタッフ

 (リハーサル)



  (学生代表が感謝と決意を述べました。)













  (本舞台)娘が写してくれていました。



  12月25日、最後の「火曜日行動」の日、詩創作の依頼を受けてから約2か月、ついに本舞台が終わりました。

  母校ー北大阪を巣立って半世紀、まさか自分が後輩たちと共に舞台に立つなんて夢にも思っておりませんでした。

  12歳から15歳までの3年間通った北大阪、友情も、初恋も、ウリマルに対する愛も、教員になろうと思った夢もすべてここから始まりました。

  自分のルーツを知り、異国においても民族の心をしっかり持って生きるよう諭してくださった先生方!コマッスムニダ!

  3年間同じクラスだった3期生の親友と共に、創立55周年の記念すべき舞台に立てた喜びは何物にも代えることはできません。

 有難う母校!私の「チェジャリ」、いつも帰りたい心のふるさと、命の限り守らねばならない心のよりどころです!

                  

 





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回想⑮ 北大阪初中の総合芸術公演 「チェジャリ」1部

2013-12-18 19:44:16 | イベント
  
  2月23日、待ちに待った母校―北大阪の創立55周年を記念した総合芸術公演「チェジャリ」が新大阪のメルパルクホールにて盛大に行われました。

  私の出番が2番目の演目だったので、演目1と2はリハーサルも本番も写せなかったのでご了承くださいね。

  写真はリハーサルと本番、両方撮れたものはなるだけ両方をアップいたします。比べてお楽しみ下さい。

  第1部(生徒公演)

 1.序幕:合唱と舞踊 「共に」全校生 写真なし

 2.映像と詩の朗読 「チェジャリ」 第3期卒業生 金允善、許玉汝、6年生

    55年の歳月が川のように流れていきました

    異国で生まれ育った子供たちが
    心のふるさとと歌う ウリハッキョ

    まさに北大阪朝鮮初中級学校は
    同胞たちの汗と涙で築き上げた
    心のよりどころ 大切な宝物

    嬉しいときも辛い時も探し求めるところ
    私たちみんなが 胸に抱きて生きる
    永遠の「チェジャリ」なのです

    (以下省略)



  1月10日、原稿を校長先生に送り、共に練習を始めて45日、母校を2回訪ね子供たちと合同練習をいたしました。

  子供たちは練習するたびに上手になっていくのに、私は自分の書いたものなのになかなか覚えられず、リハーサルの時までトチリました。情けない。昔なら5分で覚えられたものを、なんということでしょう。ただの老いのためとは言いたくない。日頃の記憶するための訓練が足りないのでしょう。反省しています。

 3.歌とお話 「ウリハッキョ」初級部低学年













  ウリマルがハキハキしていて日頃の国語授業の成果を感じました。

 4.民族器楽演奏 「民謡メドレー」 初中合同

   音合わせと照明のきっかけを合わせるだけだったので写真は1枚しかありません。




 5.幼稚班公演 「森のお菓子屋さん」

   もう最高です。歌も演技もウリマルも踊りも楽器もすべて最高!

  (リハーサルの写真)
























   (本番の写真)端っこで撮ったので鮮明ではありませんが













 6.演劇 「私たちが受け継ぐもの」 中級部3年生

  みんなが主人公になった素晴らしい演劇でした。男子生徒もユーモアがあってのびのび演技していました。

 (リハーサルの写真)















  (本番の写真)





 7.創作舞踊 「花壇の前で」

   6.の演劇の内容をうまくつなげた秀作です。表情、手の動きがとても良かったです。

  (リハーサル)












  (本番)











 8.民族打楽合奏 「鼓動」 初級部高学年、中級部男子

 今日の公演で多分一番人気があったことでしょう、歌を歌いながらの打楽器演奏は初めて見ました。

 リハーサルの時、教え子の美香先生が全身で指導されている姿を見て、ただただ感動しておりました。

 (リハーサル)















  (本番)





  取りあえず1部だけアップしました。2部もすごかったです。乞うご期待!(続く)
  

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回想⑭ 2月22日 康宗憲先生の講演を拝聴しました。

2013-12-18 19:27:40 | イベント
  2月22日、午後6時半から8時半まで、東成区民センター小ホールにて「日朝市民連帯・大阪」結成7周年に際し講演会が行われました。



  講演タイトルは「朝鮮半島情勢と日朝国交正常化」でした。

  講師は、韓国問題研究所 康宗憲所長でした。


(パワーポイントの準備をされる康先生)

  開会前に司会の永久のり子さんが「ホンギルトン寄金」の事やモアパレードの事、またモンダンヨンピルの2013年度のカレンダーのPRをされました。(余談:このカレンダーには私の創作詩「モンダンヨンピルよ」も収録されています。)



  6時35分、永久さんの司会で集いが始まりました。



  主催者を代表して、「日朝市民連帯・大阪」共同代表の有元さんが力強い挨拶をされました。



  日朝市民連帯 「・マルチョボ」の後ろに日本全国の他府県の名前が続き、全国で「日朝国交正常化」のため、一斉に立ち上がることを願っていると仰っていました。

  講演に先立ち講師の康宗憲さんに対して改めて紹介され、36年間の戦いの末,ソウル高裁で死刑判決を受けていた「スパイ容疑」の無罪を勝ち取られた康先生にお祝いの花束をお渡しすると告げられました。





  花束を贈呈されたのは「火曜日行動の先駆者」長崎さんでした。

  講演が始まりました。







  講演「朝鮮半島情勢と日朝国交正常化」

①戦後の日朝関係史と最近の情勢 

②朝鮮はなぜ、核兵器と弾道ミサイルを開発するのか?

③日朝国交正常化への道

  *先生の講演の中で一番印象に残ったのは

 「36年間の戦いの中で得たものは”楽観的に生きよう” ”悲観の中から得るものは何もない”」という言葉です。

  又、「今は一時的に相手が途方もなく大きく見えるかも知れないが、ひるむことは無い。正義は我にある」というお話でした。

  この最近もやもやしていたものが一気に吹き飛び、爽やかな気持ちで帰ることができました。百人力を得た感じです。元気と真心を頂きました。

  康先生の著書「死刑台から教壇へ」を読まれた方なら、死刑判決を受けての獄中13年間がどんな過酷なものであったかをお分かりだと思います。

  私はこの著作を読むことに依り、死刑囚が夜寝る時も手錠をはめたままの不自由な格好で寝ていたということを初めて知り、号泣いたしました。

  康先生の穏やかで優しさに溢れた表情は艱難辛苦を乗り越えた方だけが保有できるものだと思ってきました。


  友人のスンミョン青年がこのような感想を送って下さいました。

  「カン・ジョンホンさんファンである僕は 今回の講演会も聞いてスカッとしました。
  カン・ジョンホンさんの話は、論理的で説得力があって分かりやすいです。
  カン・ジョンホンさんの二重基準(ダブルスタンダード)批判は痛快です。

  どう考えても、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の核実験は容認されて、朝鮮の核実験だけが非難されて、制裁の声が上がる現代世界は不公平であり非正常な状況ですし、他の外国人学校の教育内容は容認されて、朝鮮学校の教育内容だけが非難されて、 無償化除外や補助金停止になる日本社会は不公平ですし非正常な状況です。

  自分たちは核兵器や長距離ミサイルや人工衛星を保有しておきながら、相手には核兵器や長距離ミサイルや人工衛星を保有するなと言うのは説得力ゼロです。」


(京都から駆けつけてくださったスンミョンさんです。花嫁募集中です。)

  講演が終わり、「安倍総理大臣への要請文」が朗読され満場一致の拍手で採択されました。



  最後に共同代表のおひとりである加来洋八郎さんが閉会の挨拶をされました。



  帰り道、冷たい風がビュービュー吹いていましたが、心は熱く燃え、自転車のペダルを漕ぐ足に自然と力が入りました。
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回想⑬ 2月19日 「高仁鳳さんを偲ぶ会」に参加しました。

2013-12-18 14:20:08 | イベント
  昨年12月12日12時12分、FBチングの高仁鳳さんが昇天されてから2か月と1週間が過ぎ去りました。

  この間実行委員会の方々が尽力され、2月19日午後6時半から、中川のKCC会館5階にて「高仁鳳さんを偲ぶ会」が行われました。



  予想はしておりましたが、100名の方々が参席されました。10テーブルに分かれて座りましたが私は「友人関連」の6番テーブルでした。100人の名簿を見ると、高さん自体も民団に所属され、教会に通っていらしたクリスチャンだったので、総連に所属しているのは私一人であったと思います。

 

  開会の後、全員で黙祷を致しました。

  文学仲間の金さんがいらしたのがせめてもの救いでした。右を見ても左を見ても知らない方ばかりで少し緊張しましたが、奥様のパンジャさんがわざわざ席まで来てくださって本当に恐縮いたしました。

  黙祷の後、在りし日の高さんを偲んでビデオを見せていただきました。











































  懐かしい姿、お元気だった時からだんだん衰弱されていく姿を見ながら、人間生まれたからには避けては通れない道だと感じました。

 印刷会社KBSの社員の方々が一生懸命高さんが好きだった歌を歌ってくださいました。













  ごちそうを頂いている間に実行委員の岡田さんが、各テーブルを回りながら1テーブルから二人づつ2分間スピーチをお願いしますと言いました。

  同じテーブルの方々はほとんど教会の方々だったのですが奥さんのお友達で高さんの事はあまり知らないとおっしゃるのです。

  できれば避けたかったけど分担が来ました。2分間で何を言えばいいんだろう。考え出したら食事がのどを通らなくなりだしました。

  ①テーブルの息子さんから思い出スピーチが始まりました。

























  次は6番テーブルです。ドキドキしながら待っていたら、なんと私をパスして7番テーブルに行ってしまいました。

  私が緊張して食事もろくにしていないことを見ていらした、横に座っていた教会の女の方が「なんと失礼な」と言って岡田さんに物申すため席を離れました。そして帰ってくると「ホさんは一番最後だそうです」と仰るでは無いですか。一番最後?どうしょう、

  頭の整理ができていないのにどんどんスピーチがすすみました。
















  ついに私の順番がやってきました。

  今日の参加者の中で民団員で無いのは私一人であったと思います。

  私は自分が3年前まで朝鮮学校の教員であったことを明かした上で、高さんとの思い出話を若干いたしました。

 高さんとの3年前の出会いから、2011年FBでの再会、そして2012年入院、お見舞い、たこ焼き屋での初デート、

  朝鮮学校にも取材に行きたいがなぜか壁がある、敷居が高いと仰っていた高さんに、決してそうじゃない、先入観を捨て一緒に行こう、私が案内すると約束した話などを言いました。

  最後の入院のため大阪朝高訪問は流れてしまいましたが、

  高さんが所属団体や思想は若干違っても、民族を愛し、ハングルを愛し、祖国の統一を願っていたお話をさせていただきました。

そして最後に高さんが好きだった「リムジンガン」の歌を朝鮮語で心を込めて朗読させて戴きました。



  実行委員会を代表して告別式でも弔辞をされた新井さんこと朴さんが挨拶されました。

  朴さんはじめ皆さんのスピーチを聞きながら、高さんがどれほどみんなに愛されていたのかをしみじみ感じました。

  最後に奥様が12月に入ってからの最後の闘病生活の様子を説明され感謝を述べられました。












  [なせばなる!]彼の口癖だったこの言葉は生前も、今も、これからも、みんなの気持ちの中に新しい勇気をくれるはずです。

  高さんのご冥福を改めて心からお祈り申し上げます。

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ニョニョのお弁当シリーズ⑩ 孫弁当45,46,47,48とおまけ

2013-12-18 09:38:23 | グルメ
  ニョニョのお弁当シリーズ⑩です。今年はあと2回で終わりです。今日は夕食のおまけつきです。


 12月11日 孫弁当45 「じゃこ握り弁当」小松菜と薄あげの煮物付





   夕食の子持ちカレイと大根とエゴマの葉の煮つけ




 12月13日 孫弁当46 「ごぼう・牛肉炒め弁当」 




    夕食の「豚と色々野菜の寄せ鍋」




    夕食の「生イカとセロリーのオリーブ油炒め」





 12月16日 孫弁当47「法事のおかず弁当」鮭にぎり付





 12月18日 孫弁当48「海老・そぼろ弁当」そぼろはシイタケ入り





 今年は20日、25日の2回でお弁当は終わりです。
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