ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

回想⑬ 2月19日 「高仁鳳さんを偲ぶ会」に参加しました。

2013-12-18 14:20:08 | イベント
  昨年12月12日12時12分、FBチングの高仁鳳さんが昇天されてから2か月と1週間が過ぎ去りました。

  この間実行委員会の方々が尽力され、2月19日午後6時半から、中川のKCC会館5階にて「高仁鳳さんを偲ぶ会」が行われました。



  予想はしておりましたが、100名の方々が参席されました。10テーブルに分かれて座りましたが私は「友人関連」の6番テーブルでした。100人の名簿を見ると、高さん自体も民団に所属され、教会に通っていらしたクリスチャンだったので、総連に所属しているのは私一人であったと思います。

 

  開会の後、全員で黙祷を致しました。

  文学仲間の金さんがいらしたのがせめてもの救いでした。右を見ても左を見ても知らない方ばかりで少し緊張しましたが、奥様のパンジャさんがわざわざ席まで来てくださって本当に恐縮いたしました。

  黙祷の後、在りし日の高さんを偲んでビデオを見せていただきました。











































  懐かしい姿、お元気だった時からだんだん衰弱されていく姿を見ながら、人間生まれたからには避けては通れない道だと感じました。

 印刷会社KBSの社員の方々が一生懸命高さんが好きだった歌を歌ってくださいました。













  ごちそうを頂いている間に実行委員の岡田さんが、各テーブルを回りながら1テーブルから二人づつ2分間スピーチをお願いしますと言いました。

  同じテーブルの方々はほとんど教会の方々だったのですが奥さんのお友達で高さんの事はあまり知らないとおっしゃるのです。

  できれば避けたかったけど分担が来ました。2分間で何を言えばいいんだろう。考え出したら食事がのどを通らなくなりだしました。

  ①テーブルの息子さんから思い出スピーチが始まりました。

























  次は6番テーブルです。ドキドキしながら待っていたら、なんと私をパスして7番テーブルに行ってしまいました。

  私が緊張して食事もろくにしていないことを見ていらした、横に座っていた教会の女の方が「なんと失礼な」と言って岡田さんに物申すため席を離れました。そして帰ってくると「ホさんは一番最後だそうです」と仰るでは無いですか。一番最後?どうしょう、

  頭の整理ができていないのにどんどんスピーチがすすみました。
















  ついに私の順番がやってきました。

  今日の参加者の中で民団員で無いのは私一人であったと思います。

  私は自分が3年前まで朝鮮学校の教員であったことを明かした上で、高さんとの思い出話を若干いたしました。

 高さんとの3年前の出会いから、2011年FBでの再会、そして2012年入院、お見舞い、たこ焼き屋での初デート、

  朝鮮学校にも取材に行きたいがなぜか壁がある、敷居が高いと仰っていた高さんに、決してそうじゃない、先入観を捨て一緒に行こう、私が案内すると約束した話などを言いました。

  最後の入院のため大阪朝高訪問は流れてしまいましたが、

  高さんが所属団体や思想は若干違っても、民族を愛し、ハングルを愛し、祖国の統一を願っていたお話をさせていただきました。

そして最後に高さんが好きだった「リムジンガン」の歌を朝鮮語で心を込めて朗読させて戴きました。



  実行委員会を代表して告別式でも弔辞をされた新井さんこと朴さんが挨拶されました。

  朴さんはじめ皆さんのスピーチを聞きながら、高さんがどれほどみんなに愛されていたのかをしみじみ感じました。

  最後に奥様が12月に入ってからの最後の闘病生活の様子を説明され感謝を述べられました。












  [なせばなる!]彼の口癖だったこの言葉は生前も、今も、これからも、みんなの気持ちの中に新しい勇気をくれるはずです。

  高さんのご冥福を改めて心からお祈り申し上げます。

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