☆ この町にほんとに小さき川ありて春の光が一番に来る 前田 康子
歌詠みの歌はテクニックが見えてそのテクニッシャンぶりが鼻につくことがある。前田康子という人を知らない。たまたまブログで読んだだけである。一読をして、わたしの琴の弦が感じて鳴り出したので、ここに取り上げる。
*
歌は共感かもしれない。感じたものを感じ合うのだ。町の中を小さい川が流れている。川だなんて気づかないほどの川だろうから、両岸に生えているスミレ、タンポポ、スカンポ、ギシギシにも目がいかない。そこに立ち止まる作者がいる。川にはちょろちょろと水が流れている。北国だったら雪解けの水は水量が多いだろう。瀬を作っているかもしれない。春の光が降ってくるのが、瀬に立つさざ波でわかる。きらきらして光ってくる。一番先かどうかはあまり大事ではないが、作者にとっての驚きがそれをそう受け取らせたのであろう。作者の心の中にこれでやっと光があふれてくる。さざ波の声が喉元からこぼれてくる。歌は、もともと自然賛歌なのだという思いがこのごろのわたしには強くなってきた。賛歌というのは、すなわち生きている喜びの表明なのだ。素直な感情の歌を読んでみてわたしは幾分素直になってきている。
歌詠みの歌はテクニックが見えてそのテクニッシャンぶりが鼻につくことがある。前田康子という人を知らない。たまたまブログで読んだだけである。一読をして、わたしの琴の弦が感じて鳴り出したので、ここに取り上げる。
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歌は共感かもしれない。感じたものを感じ合うのだ。町の中を小さい川が流れている。川だなんて気づかないほどの川だろうから、両岸に生えているスミレ、タンポポ、スカンポ、ギシギシにも目がいかない。そこに立ち止まる作者がいる。川にはちょろちょろと水が流れている。北国だったら雪解けの水は水量が多いだろう。瀬を作っているかもしれない。春の光が降ってくるのが、瀬に立つさざ波でわかる。きらきらして光ってくる。一番先かどうかはあまり大事ではないが、作者にとっての驚きがそれをそう受け取らせたのであろう。作者の心の中にこれでやっと光があふれてくる。さざ波の声が喉元からこぼれてくる。歌は、もともと自然賛歌なのだという思いがこのごろのわたしには強くなってきた。賛歌というのは、すなわち生きている喜びの表明なのだ。素直な感情の歌を読んでみてわたしは幾分素直になってきている。
私の持っている【塔】短歌会の50周年記念合同歌集に15首載っていました。
残念ながら
☆ この町にほんとに小さき川ありて春の光が一番に来る 前田 康子
は載っていませんでしたが。。。
写真を見ると私たちよりひとまわりは若いかな(^^
2~3紹介しますね。
”タネゲン”の苗に蜂来て翅える 今年初めて見るそのひかり「前田康子」
コンタクトすうっともどる定位置に見つめていれば春は眠たし「前田康子」
【塔】の人は日常の何気ないことを歌にされますよね。
この歌集は2005年に頂いた物ですが発行は2004年8月です。311名のすごく有名な人もそうでない人もアイウエオ順に15首ずつ載っています。
宝の持ち腐れっていうのかしら?しばらくこの歌集読んでいなかったけど、また読んでみます。