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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お早うが言える朝が来ています。

2025年04月26日 09時29分05秒 | Weblog

おはようございます。おはようが言える朝が来ています。外は明るいです。日射しがあります。庭には赤い色のアネモネが咲いています。大空が青く澄み切って広がっています。遠くまで遠くまで。

嬉しいです。わたしのまわりが、わたしを嬉しくさせようとしています。そのまんなかに立って、わたしはそれを受け止めます。

惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 

わくぜんぼんぶしんじんぽつ しょうちしょうじそくねはん

浄土真宗経典 正信偈より

惑染の凡夫も(ひとたび)信心を発(おこ)りなば、(この迷いの)生死こそが即ち(阿弥陀仏の教えられる)涅槃となる、という事実を証知させてくれる。

(これはわたしの我流の読み取りであるから、正論ではない)

生死即涅槃。しょうじそくねはん。生死がそのまま涅槃である。あるとき、信心の心がふっと発(おこ)る。すると惑染の生死流転だった我が身の風景が、そっくり安らいだ涅槃寂静の風景に転じている。

無明煩悩の生死流転は、わたしの涅槃への飛び板であったことが、知らされる。飛び板を蹴って跳ね上がって信のこころが引き起こされてくる。

わたしに阿弥陀仏への信の心が発って飛び板を蹴らせるのは、阿弥陀仏の大悲によるものである。

4月26日、今日は土曜日。仲春の晴天が爽やかである。さ、これから作業着に着替えて畑に出よう。草取りをしよう。梅雨時までには薩摩芋の苗を畑に植え付けたい。

 

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