1
小乗仏教は自利というところをやかましく言います。自己を完成させることが自利の内容です。智慧を育て上げることが眼目になります。大乗仏教は、これに対して、利他というところをやかましく言います。他者の利益を図ること、他者を救済することが利他になります。慈悲を実践することが眼目になります。
2
仏教は0と1の2進法です。究極の0を知ること、涅槃を寂静とすることです。そこから動き出すと1になります。自己完成の悟りの内容に足が生えてきます。実践実行してはじめて悟りが具体化されてきます。2進法ですから、1はまた0に戻ります。0は充電です。1は活動です。二つは結局のところ相俟っているのです。
3
他者を救済するには、それだけの力を備えていなければなりません。その力が、実は無尽蔵だということを、悟りが教えてくれます。だから惜しみなく他者にも分かつことができるのです。その力のことを法とも呼んでいます。ダンマとも呼んでいます。
4
他者の救済とは、他者の苦しみ悲しみを癒して差し上げることに通じています。苦しみ悲しみが昂じると人は、気を病んでしまいます。気は、流通の気孔をいつもは開いていますが、苦しみ悲しみが増すとこれが閉じてしまいます。これをもう一度開けて差し上げるのです。
5
元気の気孔を開いている者は、他者の元気の気孔を開けるだけの力を備えています。小乗仏教はだから大乗仏教へ進むのです。大乗仏教も小乗仏教に戻るのです。二つは、よりよく作用し合っています。
6
自己を治癒している者の能力を自治能力と、わたしは、呼んでいます。この能力は特別のものではありません。普通、誰にでも備わっています。これは電流のようなもので、相手に流れて行きます。相手の躰の一部に触れただけで流通を開始します。握手でもそうなります。言葉を伝って流れることもできます。
7
自治能力は分裂して増殖して移動します。家族の間ではこれが日常的に行われています。元気を分かち合って暮らしているのです。人は互いに互いの医者でもあるのです。