<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

もうやすみます 一日を動かしていた様々なお力さま、お疲れ様でした

2018年03月20日 22時26分07秒 | Weblog

もうやすみます。一日を動かしていた様々なお力さま、お疲れ様でした。わたしを載せて動いて下さった一日さま、ありがとうございました。滞りなく一日が過ぎていきました。雨の音がしています。わたしは安らいでいます。

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今日はNHK教育テレビ「宗教の時間」の番組録画を連続して見ました

2018年03月20日 20時07分27秒 | Weblog

こんばんは。雨になっています。

今日はこれまでに録画していたNHK教育テレビの「宗教の時間」を開いて、じっくりまとめて4本も見ました。仏教の教えに関するものばかり。全部で65本も溜まっていました。週一回、日曜日に放映されている番組です。この頃見てなかったのです。どれにも深い感銘を受けました。でも、感銘を受けても、受けたというばかりで、それを消化できていません。牛の胃袋のように何度も反芻しなければ、こなれません。それを発酵させるには時間が掛かりそうです。見たものは次々消していきました。次が録画できなくなる恐れがあります。

午前中はまたまた畑に出て野菜の収穫をして、丁寧に洗いいました。午後には、家内の知人がそれをもらいに来て下さいました。さまざまな野菜類をどっさりお上げしました。

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今朝の詩 「落下傘」

2018年03月20日 09時25分07秒 | Weblog

詩「落下傘」

わたしの/大元の/生命の/受精卵は/分裂を始めない前の/たった一個の受精卵は/もうすぐ分裂を始める/落下傘を空中で開くように/開き始める/ふうわりと/

その開いた生命落下傘は/それからどんどん/どんどんどんどん/開き出して行く/巨大に開く/そして最後は/初めの受精卵の数十兆倍にも/開く/

それがいまのわたしだ/わたしの/その初めの/受精卵は/此処にいるいまのわたし/今日のわたしを想像していただろうか/し得ていただろうか/

わたしの/生命落下傘は/数十年を経ても/まだ開いている/開き続けている/その間で/わたしを構成する細胞は/幾度となく/死んで/そして生まれた/

まだそれでも/目標地点ではないとしている/生命落下傘は/まだ地上に届かない/長い長い飛行物体だ/宇宙空間の/銀河を/一巡りしたくらいの/長い距離を/飛び回っている/

 

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其処言葉一つで括ってしまうのはよくないなと思って

2018年03月20日 08時30分44秒 | Weblog

おはようございます。今朝の天気は曇り。空はどんよりしていかにも重たげです。雨は降っていません。

前に、このブログでイエスマンのことを書きました。しかし、そのことば一つで括ってしまうのはよくないなとも思いました。賛成者、支持者、推進してくれるプロモーター、支援してくれるサポーターもいるはずです。いてくれなければいけません。事を進めるときに、そういう人たちがいて活動してくれなければ、そこでストップしてしまいます。「全員が心を一つにして」「一致団結して」「水も洩らさぬほどの協力態勢で」などとも言います。異を唱えてもいいのですが、全体で意見を戦わせて、そこで一つの回答を得れば、そこで一緒に同じ方向に進んで行く。それが議会民主主義です。しかし、一人の権力者の権力が余りにも偉大になり、それが長期に及べば、異を唱える者もいなくなります。異論は封鎖されます。唱えたところでもみ消されてしまうからです。しかも異端者、反逆者、敵呼ばわりされてしまいます。此処へ来ると智慧者はもはや異論を差し挟まなくなります。おべっかを使う方が楽になります。イエスマンが生まれて来ます。一つの方向だけが強調されてそれだけを正義としてしまいます。これは危ういのです。長期に亘る独裁政権ではこういう現象が現れ出て、話し合うべき議会はマンネリ化していきます。間違いを正せなくなります。間違いも見えなくなって一方的な戦争へと突き進んでいきます。

今朝はそんなことも考えてみました。一極集中の政策を追求した日本の徳川幕府政権などというのは長期に及んでいます。そこらあたりをどうやって防いでいたのでしょうね。

 

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一度座った権力の椅子はなかなか人には譲れないもののようだ

2018年03月20日 03時52分35秒 | Weblog

権力の座という椅子はそれほどに居心地のいい椅子か。世の政治家たちを見るとそう思う。一国を統治する主席、首相、大統領、委員長、et ceteraたちは、なんのかのと言いながら、まさしく独裁者。なかなか降りようとはしない。次も次も次もを狙っている。

反対者は粛正をする。弾圧をする。追放する。言論統制を敷く。イエスマンで固める。一票の反対投票もないようにする。何処かの国の投票結果をテレビで見て、ついけらけらと笑ってしまった。

(保身のためなら己だってそうするだろうなあ。その国のその場に居合わせることがあったら。クワバラクワバラ)

イエスマンで固めるのが民主主義だとは到底おもえなかった。イエスマンを任じているって、そういうふうにはおもえなくなるのだろうね、いつのまにか。凄まじいストレスにもなるだろうが、凄まじい快楽でもあるのだろう。昇進が保障される。おこぼれがもらえる。お金持ちになれる。権限を分けてもらえる。それはまた、独裁者と同じほどのストレスと快楽なのかもしれない。

独裁者もイエスマンも己のやり方をすべて正義に塗り替える。それが巧みになる。巧妙になる。これを堂々と国民にも押しつけてくる。国民のためだ、国のためだと言いながら。そして支配を揺るぎないものにしていく。

歴史は何度も繰り返されて行く。そしてそれが現在にも罷り通る。一度座った権力の椅子、支配者の座は、なかなか人には譲れないもののようだ。独裁者と独裁者は、頂上決戦をして、国の国との戦争になる。巻き添えを食らう国民たち。それでもイエスマンを死守するように操作される。

裸の王様を笑えなくなると、世は非常事態宣言をしいている。ワンウェイの軌道修正には笑いは大切なのだ。

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どうしてこんなヘンな夢を見なければならんのだ?

2018年03月20日 03時39分18秒 | Weblog

夜中の三時半過ぎ、今。ダム放水。見ていた夢を反芻している。一口で言うと、ヘンな夢だった。どうしてこんなヘンな夢をみなければならぬのだ? 抗議したくなる。でもたぶん、夢の作者は、抗議したくなる当人。ヘンな人はわたしということになる。やっぱりヘンなんだ、己という人間は。あれこれ我慢を強いられているところ、虐げられているところ、屈辱を感じているところ、そういうものが、こんなヘンな夢で挽回をこころみているのかもしれない。

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