goo blog サービス終了のお知らせ 

<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしはやがて死にます それはそうしていいからです

2018年03月12日 14時02分24秒 | Weblog

わたしはやがて死にます。それはそうしていいからです。そうしていけないことは、そうならないのです。

わたしはやがて死にます。次へ次へコンベアーが進んで行きます。わたしを次へ行かせたいのです。此処へ留まるよりもその方がいいからです。

わたしはやがて死にます。でもそれは卒業ということです。単位を修得したということです。もちろんその単位は人それぞれの単位ですから、難易度はあります。

わたしはやがて死にます。急いでいるのでも遅れているのでもありません。わたしの企画書の通りです。企画書はわたし一人が書いたものでもありません。吟味されています。大丈夫です。わたしに一番ぴったりしていたのです。

わたしはやがて死にます。でも悲しまないでいていいのです。悲しいけれど悲しまなくてもいいのです。別れはすぐにまた出遭いに繋がっています。新しい出遭いが次々に待っています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どっかで小さな詩の朗読会をしてみようかな 誰も来ないだろうな

2018年03月12日 12時36分55秒 | Weblog

どっかで詩の朗読会をしてみようかな。わはははは。誰も来てくれないだろうな。誰かのピアノリサイタルの合間に入れさせてもらえないかな。でも、トーンダウンさせてしまうだけかもしれない。何処かの図書館の朗読会なんかに加わったらいいのかな。第三詩集を出版したいのだけど、それには100万ほど掛かりそう。財布にそれだけの資金のめどはない。じゃ、やっぱりじっとしておくか。それがいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外からそれがわたしへわたしへと向かってきた

2018年03月12日 12時20分34秒 | Weblog

ああ、嬉しい。嬉しい嬉しい。午前中に詩が生まれた。3篇も。すんなりと。比較的に安産だった。

それがいい作品なのかどうかは分からない。でも書けたことが嬉しい。書くには協力が必要なのだ。協力をもらえたのだ。外からそれがわたしへわたしへと向かって来た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒヨドリが庭の侘び助の花を啄みに来ています

2018年03月12日 09時14分46秒 | Weblog

おはようございます。ヒヨドリが庭の侘び助の花を啄みに来ています。でかい体でゆさゆさ茂みを揺らしています。僕は昨日も、我が家の畑の野菜をお分けするためにあちこちへ移動しました。せっかくの野菜が薹を上げてしまうからです。車の中に幾つもの籠を用意してそこにたんまりいろいろな野菜を積み上げて。食べられる内に食べてもらうことに努めました。昨日は延々唐津まで行きました。今日はもう行きません。静かにしています。でもまだ畑にはたくさんの緑菜が待機しています。もうすぐ花芽を着けてしまいます。花芽もおいしいのですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気という大気が充満しているところにわたしはいます おやすみなさい

2018年03月12日 03時23分34秒 | Weblog

3時半近くになりました。もう一度やすみます。寝ることをやすむと表現します。やすむとどうなるか。バルブが自動で開きます。何のバルブか。何処にそれがあるか。宇宙世界には元気という大気が流れています。これがわたしのバルブから流れ込んできます。そのバルブはチャクラとも呼ばれています。大輪の花の花蘂のような形をしています。頭頂部にあります。合計7つもあります。眠ると此処が花開きます。チャクラが回転しはじめます。目が覚めたときには、すっかりわたしは元気をもらっています。なんともまあ有り難いことであります。此処、宇宙世界はいいところであります。いいところに生まれ、いいところに生き、その後にはまたいいところへ死んでいけることを感謝します。おやすみなさい。元気という大気が充満しているところにわたしはいます。さあ、バルブを全開します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これでわたしがこの世に生きていることが正しくされているのだ 無憂樹と菩提樹と沙羅双樹に思う

2018年03月12日 02時58分01秒 | Weblog

インドは赤道直下にある国。暑い。太陽が照り付ける。日陰が欲しい。日陰は木が提供してくれる。人は木陰を求めて休息を取る。人ばかりではない。鳥も獣たちも。渡る風もそこで冷却されて、涼しくなる。お釈迦様はここでお生まれになった。此処でお悟りを開かれた。此処で涅槃に入られた。お生まれになったときには無憂樹、ピッパラのもとであった。お悟りを開かれたのは菩提樹のもとであった。涅槃に入られたのは沙羅双樹のもとであった。無憂樹と菩提樹と沙羅双樹は、三聖樹とされた。美しい花が咲く。花々は、お釈迦様がお生まれになったことを讃え祝い喜んだ。お釈迦様がお悟りを開かれたこと、それを説法されたこと、万物が法を知る手筈が整ったことを讃え祝い喜んだ。お釈迦様が涅槃にお入りになられたことを讃え祝い喜んだ。無憂樹も菩提樹も沙羅双樹も、法があるということを知っていたのである。法は真理である。ダンマである。わたしを生かしている正しい力のことである。これでわたしがこの世に生きていることが正しくされているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臭いなんて、鼻を抓んだことが恥じられる 真夜中のウンチ

2018年03月12日 02時46分47秒 | Weblog

真夜中のウンチ。臭気が這い上ってくる。臭い。外に出て来たところでこうだから、細い管の腸の中では、もっと強烈なんだろうなと思う。食べたものを消化してくれた、その証だ、これは。消化酵素で分解して分解して分解して、栄養分を摂取してくれたのである。みながよってたかって。協力し合って。寝もしないで。ひもすがらよもすがら。これで力をもらって生きているのである。なんだか手を合わせたくなった。体を構成している全組織さまに深々のお辞儀をしたくなった。臭いなんて、鼻を抓んだことが恥じられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外に現れることを好むものと、それを慎むものとがある。人間は前者だ

2018年03月12日 02時31分09秒 | Weblog

いま真夜中。2時半。今は動いていく。止まらない。じゃ、それを見たか。見ることも出来ない。何処にもないからだ。ないけれども、ある。あるから、動いている。動くものには皆、動かすものがあるはず。いつも対になっているはず。しかし、これも見えない。両者ともに見えない。見えることが絶対でもない。絶対不可欠でもない。現れるものと現れるのを慎むものとに分かれている。われわれ人間は現れることを好む。現れないでいることを恐がる。死も恐がる。それが現れないでいるからだ。慎む時をすごしているのに。それを理解できない。時というのはそれができる。考えてみると不思議だ。いつもその不思議なもの、今というものに、押され引かれ、導かれ、守られている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする