缶ビールを2缶飲んだ。寝る。風呂は農作業の後、夕食の前に、ぽかりと入った。ぼかりと浮いてすぐに上がった。もちろん事前にゴシゴシ体の汗を洗い落としてから、だが。北朝鮮の太平洋上大規模水爆実験のことは忘れることにした。十郞太がしかめっ面をして覚えていたって、どうにかなるものでもなかったから。
客人だった。上がってもらって椅子に掛けてもらい、2時間ばかりあれこれ話をした。雨は上がったようだ。風はない。外に出よう。秋野菜の種がまだ袋に沢山残っていた。もったいない。プランターに種蒔きをしておこう。まだ蚊が飛んでいるかも知れない。蚊取り線香を腰にぶら下げておかねばなるまい。
*
一体どうなるんだろう。キム朝鮮労働党委員長は、ニュースでは、声明を発表して、アメリカのトランプ大統領の国連演説を受けて、それを非難する形で、太平洋上で大規模な水爆実験を強行するらしい。北朝鮮と米国双方の鼻息が荒い。恐ろしい地球壊滅の時刻が刻々と近づいてきている。二国間の憎悪の遣り取り問題ではない。すでに自制心がなくなっているのだろうか。地球の平和のために行動する国連にはどんな具体的な解決策があるのだろうか。
*
そうなれば、十郎太が秋野菜の種蒔きをしても無意味だろう。衆議院を解散して総選挙に持ち込んだところでそれがどうなろう。世界の平和と国の安全が脅かされているというのならば。この先、もはや安定した世界秩序はとれなくなってしまうだろう。世界中の人たちは、十郎太は、そういう緊迫が差し迫った中で、何をしたらいいと言うのだろう。
*
いたずらに恐怖心を煽らずに、やっぱり普段通り、畑に下りて農作業に専念しているより他に手立てはない。静かに腰を下ろして、小松菜、不断草、高菜などなどの種蒔きをしよう。
「新しい一日の到来を知る」
新聞は朝の4時過ぎには配達されてくる。(もっと早いことも) 雨の日も嵐の日も。その日にはビニールに包まれて。バイクの音が近づいて来て止まる。玄関の金属製の郵便受けがカタンと音を立てる。防犯灯がぱっと灯る。寝間の障子が微かに明るむ。パタパタと遠離っていく跫音がする。新しい一日の到来を知る。
金曜日は他の曜日以上に配達を待っているのですぐさま玄関を開ける。新聞を手にして、闇の向こうへ小さく「ご苦労様」をつぶやく。
配達してくださる方のお顔を見たことはない。でも様々なご苦労が偲ばれる。お仕事とはいえ、毎朝のことである。しかも真夜中。闇を貫く光の矢の如き善意の塊の人に思えても来る。忍耐力などこれっぽちも具えていない小生には、この仕事は無理。絶対無理。野良犬に追いかけられたりしないだろうか。バイクは故障しないだろうか。風邪で熱を出すこともあるはず。その場合はどうなさるのだろう? たぶん日頃から人一倍健康維持に努めておられるだろう。
金曜日? 金曜日は読者の文芸が掲載される日である。とりわけみなさんの短歌を楽しみにしている。そこで早速お布団の上に新聞を広げて、作者の工夫を推し量りながら、短歌が映し出す風景を楽しんでみるのである。
+++
新聞の「読者の広場」欄にこの稿を9月15日に投稿していたら、今日22日金曜日に掲載されていた。一つは、毎朝欠かさずに新聞配達してくださる方々におねぎらいをしたかったのである。こんな形で。毎朝早くから待っている人がいるということ、様々な企画の記事を読んでいる者がいるということ。これをもって一日の始まりとしている読者がいるということ。新聞に関わる仕事をしている方はこれを日々確認されているはず。新聞という形態をしつつ、この世は善意と善意との遣り取りで繋がっているはずだからである。
うふふうふふ。夜中のトイレ通い回数1回、今夜も。で、痛快。熟睡ができたのだから。うふふうふふ。単純なんだなあ、この老爺は。4時を過ぎた。もう一度寝てもいいなあ。勿体なくもあるなあ。起きてうふふうふふをしみじみ味わっていた方がよさそうにも思える。あれあれ、雨音がし出したぞ。大粒のようだ。
青首大根を蒔き直した、昨夕。発芽しなかったところに。順調に発芽しているところもある。どうしてそんな差が出来たのだろう。それから日没まで小葱の植え付けをした、細型プランターに。いろいろしている。いろいろ遊んでいる。こそこそこそこそと。一人の土遊びは楽しい。今日も遊ぼう、お天気がよければ。