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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

世界が穏やかに過ぎた ほっとしている

2017年09月09日 22時43分37秒 | Weblog

さあもうやすもう。そろそろ11時だ。夕方3時間以上も畑仕事をした。怠け者の十郎にしては、甚だ上出来だったと思う。途中、背中に汗がびっしょりになるほどに流れていささか気分が悪くなった。日射病にでもなったのかと思った。ここで中断してもよかったのだが、ペットボトルの水を飲んでみたら、改善した。日が落ちて凌ぎやすくなった。とうとう日没まで続けた。藪同然になっていたところが、草を抜いて耕して、秋野菜の植え付け準備の立派な畑となった。いきなり筋肉を酷使したのだろう、麻痺の左脚の腿が固く凝って痛い。

この日の北朝鮮は建国記念日。しかし、どんな軍事行動をもとらなかった。集まって来た国民に対して核装備した国家の威信を見せ付けてやりたかったはずだが、これをやらなかった。穏やかに過ぎた。抑制に努めたのだろう。ほっとしている。

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草藪が畑になった オミゴトなり

2017年09月09日 13時52分00秒 | Weblog

午前中、3時間ほど畑の草取りをした。日が照っていたので、暑かった。汗を掻いた。蚊にも悩まされた。一ヶ所に草を集めたら山になった。お陰で藪が畑に変貌した。見事に。なにしろ、夏の間中ずっと怠けていたのだから、このツケは大きかった。疲れた。

 

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北朝鮮に平和な未来を保障してあげられないか

2017年09月09日 12時37分53秒 | Weblog

あくまでこれは推理推測だが、北朝鮮が核を放棄したら、国家と国民の安全を保障して上げようと大国は考えて、話し合いのテーブルにつけようとしているが、しかし、その話に乗ったら、身ぐるみ剥がされて弱体化し、言いなりにされてしまうのではないか、と北朝鮮は恐れているだろう。何処の国の歴史にも、その手の懐柔策、とどのつまりのお国没収は、数限りない。騙されるのではないかという猜疑心が深まるだろう。だから、外交に乗れない。スイスは仲介の役を買おうと言っているが、これも恐らく北朝鮮によって否決されるだろう。国際連合はこういうときにこそ世界の平和回復の役割を果たさなければならないが、アメリカ、中国、ロシアなど大国の思惑が統一できないでいる。

騙されては大変だ、で、北朝鮮の取る道は自力で国を防衛していく道しか残されていないことになる。だから他国の侵略に備えてぎりぎり国威発揚を印象づけるしか道がない。テポドンを打つ。ICBM、核弾頭を打つ。水爆実験を繰り返す。後へ引けない。平和を希求することが即大国への隷属になってしまうのではないか、国家のイデオロギーが破壊されるのではないか、独裁者の権威と権限が剥奪されてしまうのではないか、などなど疑問が次々に湧き起こって、北朝鮮は国家の未来が読めない。

北朝鮮が、たとえばだが、日本の敗戦後のように、アメリカの軍門に降ればどうなるか。アメリカ軍はすばやくそこに駐屯することになるだろう。それを恐れている国は、北朝鮮を宙ぶらりんの今のままにしておきたいだろう。

政治のことは十郎には分からない。だから単なる推測だ。結論は、世界平和の維持だろう。世界中が北朝鮮の国家として認め、現在と未来を保障することだろう。繁栄する国家として認めて上げることだろう。だが、それは必ずしも独裁者の言いなりを保障するというものでもない。世界が監視をするという条件が優先されるだろう。彼らにはこれは受諾できない。こうなると解決は先延ばしされてしまうことになる。十郎の小さな料簡では、もうここらでギブアップだ。先が読めない。因みに当事国の北朝鮮の国民はどう考えているのだろう。独裁者の国家思想に洗脳されていて、或いは判断が麻痺しているのかもしれない。戦争へ戦争へと駆り立てられていった嘗ての我が国のように。

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北朝鮮の国と国民の安全を保障することはできないか

2017年09月09日 12時13分31秒 | Weblog

9月9日、重陽の節句。中国では奇数の9は陽である。しかも9は陽の最大値。菊薫る頃だから菊節句とも。高いところに登って、現在の健康長寿を祝う風習があったらしいが、いまはもう廃れてしまったのだろう。あまり聞かない。「登高」の行事がそれに当たる。祝いの日だから、穏やかな日であってほしい。

北朝鮮は今日が建国記念日。国威発揚を世界に知らしめている。日本の国家もかって富国強兵をスローガンにして近代国家レベルまで登り詰めようと努力した過去がある。富国になればどうしたって強兵になる。富国して強兵になれば、その先は他国へ侵略をしたくなる。北朝鮮は国威発揚だけですめばいいものを、それでは抑制できずに虎の威を借って吠える。侵略され続けて来た国の歴史を持っているから、他国の強兵が気になってしょうがない。軍備拡張こそが自国を守る手段だということを信じて疑わない。先鋭化する。核保有国の仲間入りを果たしたがそれでも落ち着かない。ICBMを打ち続ける。挑発を続ける。国連決議も聞かない。孤立の道を進む。これでは結局、国を守る方法を見誤ることになりはしないか。一国の不安定は世界情勢の不安定を招く。緊張状態が続く。

国連決議で北朝鮮の国の安全と国民の安全を保障してあげられないか。そうすれば北朝鮮の恐怖が取り除かれるのではないか。恐怖と敵対は背中合わせである。恐怖を取り除くようにはできないのか。国家の防衛に厖大な国家予算を費やさないでいいようにできないか。国家予算をより多く国民の暮らしが豊かになる方へ向けられないか。そんなことを考えて午前中を過ごした。

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乗り越えて乗り越えて今がある このフシギを思う

2017年09月09日 01時02分45秒 | Weblog

色々なことがあったなあ、これまでに。それをことごとく凌いできた。乗り越えて乗り越えて、今がある。今を生きている。フシギだなあと思う。よくもまあ、そのそれぞれの艱難辛苦に沈没しないで、その度に浮き上がって来られたなあ、と思う。きっと何かが誰かが助けてくれてたはず。火の海から救い出してくれたはず。一人の力でここまで生き延びられたはずはない。その誰かがいったい誰であったのか。何者だったのか。何故そこまでして十郎に肩入れをしてくれたのか。一切が不明だ。その彼、或いは複数の彼等はもしかしたらそうすることでみずからを窮地に追い込んだりしてはいまいか。満身創痍してはいまいか。心配になる。いつか会うことがあるだろうか、そういう救済主に。案外会っても、それはわたしでしたよとは言わないかもしれない。恩着せがましい顔をしないかもしれない。微塵も。で、やっぱりずうっと隠れているのかもしれない。では十郎は誰かのためのそんな救済主になったりするのだろうか。それだけの力をこの人生の間に蓄えることが出来ただろうか。いや、窮地に落ちた人を助け出そうという慈悲の心を湧かすだけの人間に成長してきただろうか。甚だ甚だ心許ない。やっぱり自己中心的行動に終始するかもしれない。我が儘なままの十郎である。我利我利亡者のままである。これを恥じる。それにしてもよくまあこんな頑なな男が生き延びて来られたもんだなあ。今夜はそういう思いが堰を切る。1000個、10000個のトラブル障害の大岩を、1000回、10000回悉く乗り越えて来られたもんだなあ。十郎は十郎の手足に触れてみる。しみじみとなる。ほんとうに生きている十郎なのかどうか疑ってみる。ほんとにそれだけの値打ちのある人間だったのか。愛情を降り注ぐに値する者だったのかどうか。結果からだけでものを言えばこの答はイエスである。間違いなくイエスである。そうでなければ十郎が生きて此処にいることはないのだから。ではこれからはどうなのか。愛情を降り注ぐだけの優位性を持つようになっていくのかどうか。自信はない。裏切るようだけど、その自信はまだもって生まれていない。だったら今後の十郎救済は打ち切りにするぞという声が聞こえてきそうだが。覚悟はあるか。それもまだない。

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