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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

「くわばらくわばら」は雷避けの呪文

2017年09月15日 14時40分15秒 | Weblog

台風が近づいて来ているのだそうな。くわばらくわばら。

「くわばら」とは「桑原」と書く。井戸に落ちた神鳴りさんが白状をしたのだそうな。二度と此処へは落ちてきませんからと命乞いをしたらしい。井戸に落ちたところをすかさず蓋されてしまったらしい。で、自分は桑の木を苦手としているから、これが生えているところ、すなわち桑原には落ちてこない。クワバラという言葉でさえも忌み嫌う、と。そこまで弱音を吐露されたところで井戸の蓋が微かに開いた。そして下の天界に戻って行った、とか。その通り、「クワバラ」の音が地上にしただけで、神鳴りさんはすっかり意気地なしになってしまったのだそうな。

さて、台風さんはどうだろう。やはり雷神様のご親戚なのだろうか。

 

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にんげんどもは来るなとはしゃぐ熊八

2017年09月15日 14時28分57秒 | Weblog

月と飲む酒のうまさよ にんげんは誰も来るなとはしゃぐ熊八     薬王華蔵

月が秋を呼び寄せている。秋が来ると月が満ちて月の心が澄み渡る。それを熊八が見ている。熊八にはそれが分かるからである。それというのは月の心が澄んでいるかどうかということだ。どうして分かるのか。月の子心が澄んでいると彼の心も澄む。すると酒がおいしくなるのである。おいしくなって初めて月と対酌できるようになるのである。一杯一杯また一杯。秋の夜は長い。ここへ邪魔者が入ってきてはならぬ。にんげんというふてぶてしい顔つきをした者は入ってきてはならぬ。ここは狭い心しか持ち合わせていない者たちの、我が儘道場だからである。酩酊したら月影と踊る。よろよろよろよろと踊る。なにやら訳の分からぬことを喋り出す。そのはしゃぎようの幼さといったらない。手の舞足の舞。萩や芒が間に分け入ってきたことも知らぬげに。

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茸狩りの秋

2017年09月15日 14時06分39秒 | Weblog

「茸狩りの秋の到来」 

今は公民館になっているところに、「青年会所」と呼ばれている建物が建っていた。青年団の活動拠点だった。此処で寝泊まりもしていた。一階の畳の間には煮炊きが出来る大きな囲炉裏も掘られていた。覗いてみたい衝動にも駆られたが、勿論小学生が近寄ることは出来なかった。その頃の青年は威厳があって堂々として、ひどくおっかなかった。女性会員もいたのかもしれない。
 秋が来ると青年団は忙しくなった。近くの松山の管理を任されていたのだ。此処に松茸が立つ。松茸狩りに来る団体客を案内して午前中に山へ向かい、夕方近くに帰って来る。獲れた松茸は、松の根元に生えている常緑シダ・ウラジロで包んであった。一行に近づくだけで秋山の匂いが溢れた。入山料がどれだけだったのだろう。青年たちは、贅沢にも、後でこれを囲炉裏で炙って酒を飲んだに違いなかった。
 今はその松山は松食い虫にやられてしまって跡形もなくなっているし、活動する青年団も解体されてしまっているようだ。
 茸狩りの秋が来る。この松山には入れなかったが、昔昔、父と一緒に茸狩りに行ったことがあった。食べられる茸を昔の人は知っていたらしい。ゴルフ玉大の白い茸を覚えている。
 現代人のわたしは毒茸が見分けられないので、季節が来ても茸狩りには行けない。山に入れば様々な茸が匂っているだろう。季節の恵みにあずかれないとは残念なことだ。

*********

これは今日の新聞「男の星座」に掲載された。投稿してから4日目である。「茸」は「キノコ」とカタカナ書きに修正されていた。「松茸」もカタカナ書きだった。ふうんと思った。「茸」は新聞では使えない漢字なのだろう。茸狩りが今の季節にぴったりしたのだろう。

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