<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

可と不可とに執着しなければ

2017年05月22日 14時27分21秒 | Weblog

なんだかんだ、かんだなんだ。慰めること慰めること。他の誰もそうしてくれないことが分かっているので自分で自分の所行言説、所在所信を宥め賺しする。それでいいとする。それもこれも是とする。いい加減なものだ。だからいずれも底が浅い。馬の足が見えているが、仕方がない。垂らしたスカート(裳裾)では隠せない。

こうでなければならない。こうあるべし。こうせよ。これが正しいなどという条項も世の中には羅列している。これ見よがしだから、さぶろうだって見ていないわけでもないが、見て見ない振りをしてこの戒めを歩きすぎる。立ち止まったところでそれが出来るわけではない。不逞の輩の一人、さぶろうである。正しいことができるわけがない。

閻魔大王様の最終の裁判があるのなら、通るわけがない。抗弁はするまい。抗弁くらいで庇いきれる算段は立たない。通れなかったらどうなるのか。そのまま地下牢に押し込められるのか。それとも押し返されるのか。やり直しを義務づけられたって、しかし、それで改悟ができる当てもないだろう。

覚悟を決めておくしかない。といったって、策があるわけでもない。俎の鯉は跳ねない。鯉ほどの度量がないさぶろうは、万策尽きた態でそこにじっとしているだけである。

玉名温泉を流れる大川沿いには菖蒲園がある。橋の上から見下ろしただけだが、花見客が溢れているようだった。立ち寄らずにそこも通り過ぎた。何事もそこそこにして通過する。可もなし不可もなし。可と不可とに執着をしなければ、裁判を逃れられるというわけでもないが。

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世の中はだから面白い

2017年05月22日 13時20分19秒 | Weblog

お金持ちでもないさぶろうが、ちょくちょく旅へ出るものだから、友人の山口さんなんかは、そんなお金がどこにあるんだと言う。後々、借金苦で困りはしないかと心配する。最低料金のところを探し出して泊まっているのだが、それでもたしかに出費だ。お金が要る。お金は工面をしなければならない。働いてはいないから、あらたまった収入があるわけではない。なけなしの金を掻き集める。打出の小槌があるわけではない。ポチが此処掘れワンワンと吠えてくれることもない。大鷲がやって来て宝島まで連れて行ってくれたというためしもない。さぶろうはかみさんに頼むのも嫌だから、かみさんも別途その分のお小遣いをくれるわけでもない。でも、行きたくてたまらなくなるのである。生きている内にしか行けないと思うのである。いまは幸いにしてその条件を満たしている。生きている。死んではいない。だったら何はさておいても出掛けるべきだと思うのである。そしてぷいと行ってしまう。結局行き儲ける。事は成る。不思議なものだ。ポケットがすっからかんになって帰ってくる。そういう山口さんもついてきたいところだろうが、彼はまだ働いている。毎日ではないが仕事をする日が埋まっている。だったら行けない。そこでひょいと思ったことだが、お金持ちはさぶろうのような旅は出来ないのである。お金持ちではない者が自由の旅に出て行けるのである。矛盾をしている用だが、世の中そうなっている。兆超お金持ちのお医者さんは患者さんが押し寄せてくるからとても温泉旅なんてできっこない。能力があることを自慢している出世人ABCDEFさんたちも、その能力が足枷になってふらり旅に出るなんてことは縁遠くなるだろう。そうすると、金のないさぶろうが金のある人たちよりも自由を享受できていることになる。恵まれているということになる。こうやって上下、強弱、金持ち貧乏がくるりと引っ繰り返っているところが世の中だ。世の中はだから面白い。

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それがいかにも自然な行動のように聞こえて来る

2017年05月22日 12時09分54秒 | Weblog

背かない。称賛する。従う。誉め讃える。仰ぐ。奉る。正しいとし、義とする。否定をせずに正面を向いている。

こうすれば神さまは喜ばれるであろうと思った。神の国に入れる、神の国には入れないなどと書いてあるが、上記の行動をしていれば、そうした選別の網には掛からないで済むだろうと思った。

ではそれができるか。さぶろうにそれができるか。瞬時はできるかもしれない。そういう気分になることもあるかもしれない。しかし、きっとしれにも疑いを入れて掛かるだろう。

自己の不幸不運にこと寄せて疑いの地獄に堕ちることもあるだろう。世を正しいと思えなくなるということもあるだろう。そしてそこをどうにか通り過ぎる。明るい青空が見えて来る。そして背いたことを悔いる。悔いが深まる。

背かない。従う。仰ぐ。称賛する。誉め讃える。こうしたことを喜ぶのは、しかし、人も同じだろう。指導者を自称している人は、こうしてほしいと切望するだろう。国家も国家を率いる指導者もそうだろう。そこまで行かなくとも社会構成の上位に立つ人たちなら、そういう縦列をよろこぶだろう。

おべんちゃらではなく、こころの底から誉め讃えることができるときもある。そういうときには当の本人だって喜びには入れる。背くことは選択肢にないというときにはこころが晴れ晴れとする。五月の大空のように晴れ晴れとする。

五月の空を正しいとして義とする。今日の空はそんな空である。山々からは新緑の甘い風が吹き渡ってくる。山の麓のあちこちには栴檀が花を着けて、この世の成り立ちに賛辞を贈っている。渡って来た夏鳥たちが神々を讃える賛歌を歌っている。それらの行動の一々がいかにも自然に聞こえて来る。

 

 

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生命力のシンボルは巌のように逞しかった

2017年05月22日 10時18分59秒 | Weblog

天草列島は周囲はみな海である。当たり前だ。島だからそうなる。海岸線が続く。海風を受けながら心地よさそうにサイクリングをしている人たちを多く見かけた。軽快車に乗って軽快に走っている。若い人ばかりでもなかった。でも来ている衣装、ヘルメットみな格好は若い人そのものだった。案外、若返り方かも知れない。それに、走るところどこも景色がいいから、飽きが来ないだろう。高校生の自転車集団にも出遭った。20人30人ほども一列になっていた。これは何かの運動クラブの体力訓練なのだろうか。指導者が一人後ろについておられた。部の顧問だろうか。彼だけは50ccのバイクだった。サイクリングに適しているがサイクリングロードは設けられていない。行き交う車も多いから事故にあったら大変である。天草下田温泉公共の湯白鷺の湯に入ると、高校生集団に出遭った。これは何のクラブだろうか。胸が隆々としているから、やはり何かの運動クラブの合宿途中なのか。秘所を隠さない。黒々としている。湯船の中央で彼らは円陣を組んで男性突起物の突起具合自慢比べをし始めた。これがなかなか愉快だった。青春のパワーが全身に溢れて迸っているのだから、その中心部分も当然見事である。生命力のシンボルは実に逞しかった。若者はこの逞しい秘宝を隠したままにしておきたくない。そういう衝動が高まっているとしても不思議ではない。しかし、それも分かるような気がした。ついでにみなさんもお尻も見させてもらった。鍛錬が読み取れるお尻だった。明るい笑い声が弾ける湯船だった。

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隠れ湯とは隠れた湯なのか隠れる湯なのか

2017年05月22日 09時53分29秒 | Weblog

「九州 男の隠れ湯 300湯」という本の薦めにしたがってあちらこちらの「隠れ湯」に通い出した。隠れている湯だというから、あまり人口に膾炙していない湯のことだろうが、そうとも言えないで、行ったところはどこも繁盛している。天草列島の大矢野町にある「弓が浜温泉」洞窟湯に入ってきた。大通りからはずっと奥へ入っている。海岸からはさほど遠くない。だがこの本がなければ、わたしなどはここまでは入り込まないだろう。旅館業もやっているらしい。入湯料は500円。湯船が3ヶ所に分かれている。どんずまりに露天に続く洞窟がある。可成りの長さだが、底は浅い。途中女性湯の処で頑丈な衝立が造られていて突き当たりになっている。赤湯だったらしいがいまは白湯になっているらしい。鉄分があるのだろう、洞窟の底も壁面も湯が溢れているところは結晶板が出来上がっていてゴツゴツしている。天上がある奥湯も洗い場まで湯の結晶があって歩きにくい。湯も熱い。脱衣所の隣、一番手前の湯船はぬるいので長く浸かってみた。バイク族の若者たち四五人と会話をしてみた。楽しそうだった。同じくバイク族の壮年組4人は洞窟湯探検を済ませて足早に立ち去って行った。500円に相当するまで辛抱してぬる湯に浸かっていた。隠れ湯を検証できたので満足した。この日は来る途中にそういえば道いっぱいに広がって走るバイク族にたくさん擦れ違った。後ろから来るバイクの音がせっついているように聞こえてやかましかった。隠れ湯とは隠れたところにある湯なのか、隠れ場所にする湯なのか。どっちだろうか。別に隠れるほどの有名人でもないさぶろうのようなものは、それほどの隠密性は不要だった。

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