<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

詩「ぼくはにんげんになったんだ」

2017年05月13日 09時44分00秒 | Weblog

詩「ぼくはにんげんになったんだ」

(曲が付いたらいいだろうな。小学生が歌ってくれたらいいだろうな)

 

1)ぼくはにんげんになったんだ/にんげんになったんだ/春風が笑っている/大空も笑っている

2)ぼくがにんげんになったのを/にんげんになったのを/春風が祝っている/大空も祝ってる

3)ぼくがにんげんになったから/にんげんになったから/春風に出遭っている/大空に出遭っている

4)ぼくをにんげんにしてくれた/にんげんにしてくれた/春風が歌っている/大空が歌っている

リフレイン:かあさんの白い色は雲の白い色。どこまでもどこまでもふんわりふんわりあたたかい。

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春のお出掛け

2017年05月13日 09時16分59秒 | Weblog

もういい? ええ、かあさんはできあがったよ。今日はまっかなワンピース。お化粧の匂いは薔薇の匂い。母さんは薔薇の匂い。片手を繋いでお出掛けをする。

もういい? うん、とうさんもできあがったよ。今日は緑のタキシード。玄関の光は春の光。父さんも春の光。片手を繋いでお出掛けをする。

もういい? はい、ちびさんもできあがったよ。今日のカートは蔽いなし。大空の白い雲も乗れる。ちびさんの放つ愉快。カートを押すのはでは誰だろう。

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傘をひっくり返したら?

2017年05月13日 08時50分39秒 | Weblog

傘は雨を弾くためにあるけれど/ひっくりかえしたら?/ひっくりかえしたら/お日様の遊ぶ池になった/昨日は雨/今日はお天気/庭に傘が干してある/八角形の逆三角形/宇宙の意思が集まって来て/しずかで/ひっそりして/おしゃべりで興じて/にぎやかだ/

傘は雨を弾くためにあるけれど/ひっくり返したら?/ひっくりかえしたら/風さんの泳ぐ海になった/昨日は雨/今日はお天気/庭に傘が干してある/八角形の逆三角形/お空の客が集まって来て/しずかで/ひっそりして/おしゃべりに興じて/にぎやかだ/

顔は敵を弾くためにあるのだけれど/ひっくり返したら?/ひっくり返したら/夢さんの眠る部屋になった/昨日は雨/今日はお天気/庭に顔が干してある/八角形の逆三角形/味方の友が集まって来て/しずかで/ひっそりして/おしゃべりに興じて/にぎやかだ/

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両方で役に立つんだ 傘というのは

2017年05月13日 08時22分14秒 | Weblog

読んだら為になった、なんてブログを書けたらいいだろうになあ。でもその種の楽しみは人様にお譲りすることにして、さぶろうはさぶろう。書けることしか書けない。しようがない。読まない人読みたくない人は自ずと去って行くだろう。心配は要らないのではないか、だから。

はい。では心配なしで行こう。

気になること。あるある。その内の一つ。こんなふうに生きていていいのかなあ。だらだらだらだらしているだけでいいのかなあ。社会貢献なし。地域貢献なし。国家貢献なし。老いていくだけ。これでいいのかなあ。成長なし。向上心なし。進歩なし。これじゃ、梨園だよね。他の生き方が出来るのならそうしていいけど、できないのだからしようがない。まもなく介護老人施設に移住することになるのかな。さぶろうは殊の外我が儘だから、手を取るばかりだろうね。介護者を困らせてしまうだろうな。そしてお終いが来る。やっと来る。みんなほっとするだろう、これで。てなことを、真面目に考えるようになった。

でもこんな否定的考えに捕まっているのは止めよう。暗くなるのは止そう。しょぼんとなるのはご免だ。なるようにしかならない。

今日はお天気がよさそう。種から蒔いたズッキーニが緑と黄色を合わせて20個ほど双葉を出して期待を広げている。小さなポットでは狭苦しそう。広い畑に移植をしてあげることにしよう。半分の10個は人様にお分けしよう。

昨日は数日雨。昨日使った傘が2個。裏返しにして洗濯物干し台に吊り下がっている。お日様が此処の池へ入って来て飛び跳ねて遊んでいる。表向きにしたら雨除け。裏返しにしたらさんさんと降る日の光受け。両方で役に立つんだ、傘というのは。おおおお、さぶろうとは大違いだ。

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みなさん案外上品である 欲が落ちて慎ましい

2017年05月13日 07時07分23秒 | Weblog

ああ面白い面白い。おもろいおもろい。独り世界。何をしていてもいい。裸でいても覗かれることはない。なんとか違反にはならない。透明人間。死者はみな透明人間ができる。幽霊だとか幽体霊体聖体だとか言うが、ともかく生身の肉体は持たない。棄ててきたから持たない。代わりに翼がある。これも見えないが、広げて飛ぶ。見て回る。旅をして回る。ああ面白い面白い。おもろいおもろい。制限がない。ルールがないから、ルール違反もない。好き勝手ができるが、みなさん案外上品である。欲が落ちて慎ましい。ルールがあるのかもしれないと思ってしまう。物への欲が磨り減っている。軽々とした動きをしている。西洋人世界のキリスト教のエンジェルに見間違う。案外エンジェルかもしれない。ともかく悪い暮らしじゃない。後悔しているエンジェルはいない。肉体を持つ人間界にだけしか幸福実現はないとして来た自分の浅い知恵が恥じられる。独り世界だけでもなくて寄り合いもときどきある。パーティーもある。合唱聖歌隊もある。楽しいものを楽しんでいられる。人間界と同居していても人間には見えない。透明なんだから。無であって空の般若心経の世界にいるのだから。深い深い高い高い智恵の世界にいるのだから。

見てきたような嘘を書くのは小説家。さぶろうも仲間入り。

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書かない 書けない 書いたら最後

2017年05月13日 06時30分58秒 | Weblog

そんなことは書きなさんな。品位が落ちますよ。本音のところは書かない。書けない。

つまり、本音のところは随分品位が下がったところ。ということか。

さぶろうのやつ、地獄の鬼をしながら、いつも極楽極めたところ、天界、天神界、仏界を憧れて暮らしている。

実のところは、地獄に堕ちたところにある地獄幸福を砂糖のように蜂蜜のように甘露飴のように、舐めている。こんな暮らしをしている。

秘密裡世界。鬼だけにできる地獄の幸福。でも、このことは書かない。書けない。書いたら最後。鬼界のタブー。

終生、1年365日、上を見て上を見て仰ぎ見ているばかりなので、首が凝って痛い。鬼専用ニンニク湿布薬でも貼っておくか。

マッサージでもしてもらうか。一時間2400円とあった。昨日の温泉場の奥の小さな部屋をちゅっとだけ覗いてみた。

下を向いたときだけに許される地獄の幸福。鬼の幸福。といっても世間様の上等幸福には及ばないけどね。

鬼の角磨きと金棒磨きと鬼のパンツ、ステテコの洗濯日和。今日は晴れ上がるそうな。

ところで、阿弥陀如来の極楽界にも上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)があるのだそうな。往生して行ってみたら、差別化されているそうな。よよよだね。だったら地獄界と似たようなもんだ。

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コチョコチョこちょぐられたような快感だぞ

2017年05月13日 05時46分38秒 | Weblog

もう夜が明けたよ。障子戸が明るいよ。雨の音もしていないよ。死んでいないよ。息をしてるよ。死んでいないなら、出来ることが有るはずだ。沢山有るはずだ。何をしたらそれを実感できるのか。絵に描いたように美しいあの人を独占したらいいのかもしれない。でも天女だから、そうそう巧くは行かない。まずは言葉が通じない。口説けない。だったらこれは没とする。次。打ち出の小槌を振ってみる。大金を手にしてみる。これで豪華客船世界一周の贅沢船旅を申し込む。こりゃぁいいだろうなあ。青い青い何処までも青い海を見て一月を暮らせたらいいだろうなあ。打ち出の小槌やあい。次。クレヨン水彩をしてみる。これは比較的可能だ。ハガキの裏に描いて友人のお見舞いに届ける。これはどうだ。遣ってみるか。でも、何処へなおしたかなあ。絵の具一式が見付からない。次。童謡の作詞を手掛けてみる。北原白秋になってみる。まどみちおになってみる。でも、なんどやっても巧く行ったためしはないからなあ。願いが自分大を超えている。没とするか。次。背広を取り出して改まって一人ファッションショーをする。若い頃に戻ってかっこよくキメてみる。余所行きする。????? よしんばキメたところで、行くところがない。若くないから極まらない。没とするか。じゃ、青空へ出て行って、十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経を音読する。30分是に浸る。これならよさそうだ。願いを聞き取ってもらった気になる。嬉しがる。これで充足する。そんなところはどうか。ふう。十一面観世音菩薩に会えるというのは誰にでもはできないぞ。会えたという気分はなかなかいいものだぞ。ウヒヒヒだぞ。コチョコチョこちょぐられたような快感だぞ。独り合点の狭い世界だけどね。遊んでくれる人がいないさぶろうは、苦労するよ。たった一日をにっこりして過ごすだけで苦労するよ。

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春の鳥の鳴き声すら聞き分けできないとは!

2017年05月13日 05時33分19秒 | Weblog

聞き慣れない鳥の鳴き声がしている。渡ってきた渡り鳥の類いに違いない。うっとりする。ネットで検索してみたら分かるかも知れない。バードウォッチングの会員にでもなっていたら、もう少しは事情が変わっていただろうに。それにしても、いい声だ。いい鳴き声だ。愛鳥週間を知っているらしく、車で一時間のの東与賀の有明海沿岸には、干潟の渡り鳥が集結しているらしい。新聞が報じていた。72年も生きていてこの山里へ飛来する春の鳥の鳴き声すら聞き分けできないとは! おざなりな、つまらない生き方をしてきたもんだ。

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寂しさが消えたかと思うとまた噴き出した

2017年05月13日 05時05分09秒 | Weblog

昨日は午後から筑後川を見に行った。雨に煙る大河を見に行った。久留米市に出て護岸の川土手をずんずん南下した。土手下に北野温泉を見つけて休憩した。天然温泉掛け流しの湯だった。ぽっかぽかの湯の看板があった。同年輩ふうのお爺さんたちがぞろぞろいた。無言の行をする猿になって湯に浸かっていた。シワシワしているのはさぶろうだけで、周りは栄養の行き届いた見事なお尻、筋肉のついた胸が隆起していた。恐れ入った。みなお金持ちに見えた。湯が熱くて30分が限度だった。露天風呂が見えたが雨の中へ出て行く気にはならなかった。そこを出て再び濁流の大河に戻り、夕暮れまで漫遊した。さぶろうの寂しさは、消えたかと思うとまた噴き出した。桜島山の噴煙のようだった。

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死なないで生きている 生きて死なないでいる

2017年05月13日 04時13分44秒 | Weblog

さぶろうが生きている。息をしている。腹が膨れたり縮んだりしている。体温がある。温かい。心臓が血液を送り出している。脈がある。尿意がある。目を開いてものを見ている。耳で風の音を聞いている。痒いところを指先で掻いている。空腹を覚えている。喉が渇いて水を欲しがっている。五臓六腑が黙々と働いている。死なないでいる。あの人のことを思っている。寂しがっている。奥歯がズッキンとしている。いつか息が切れるのを予感して恐がっている。足で立ってトイレまで歩いている。禿げ頭をしている。つるつるしている。晴れた日には畑に種蒔きをして楽しんでいる。それを幸福だとしている。もうすぐ真夜中の五時。さぶろうは自分が生きていることを確かめようとしている。死んでいたらできないこと、生きているからできること、それを区分けして命を実感しようとしている。雨を知らせて蛙が鳴いている。夜が明けようとしている。灯りを消すと障子戸がうっすら明るく見える。今日は何をしようかと考えている。風を切ってサイクリングをしている自分をイメージして、にやりとしている。さぶろうが生きている。死なないで生きている。寝ている布団が温かい。

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