為一切世間 説此難信之法 是為甚難 仏説阿弥陀経より
いいっさいせけん せっしなんしんしほう ぜいじんなん
一切世間の為に 此の難信之法を説く 是を甚だ難(かた)しと為(な)す
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ここから先はさぶろうのさぶろう流の解釈です。正しくないかも知れません。
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わたし(お釈迦様)は、この世に生きる人間たち、天人、阿修羅などの為に、阿弥陀仏の救世の誓願を記した「阿弥陀経」を説きましたが、これは信じることが甚だ難しい教えであります。甚だ難しいけれども(勇気を鼓舞して)これを説きました。この難しいことがここに実現しています。
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お釈迦様は難信之法(なんしんのほう)=仏説阿弥陀経をお説きになられました。
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ですが、仏が説かれた法は仏でなければ理解できません。
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人の知恵が仏の智慧には到達できないのです。
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人が仏を理解して信じるなどということは甚だ難しいことなのです。
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仏を信じる人、阿弥陀経を信じる人は、したがって、なかなかいません。信じられる近さにはないからです。
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それでもお釈迦様はご自分に鞭を打ってこの阿弥陀経をお説きになられました。
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人が信じられるような形式を取る「方便」としてお説きになったのではないか。これがさぶろうの考えです。
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浄土や極楽や往生は実は方便なのではないか。ここが入り口で、この先の先へまた先へ仏に誘われて行くのです。
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仏の法を説かれても100の内の99・99は理解不可能で、残る0・01の内の、そのまた99・99が信不可能です。
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是為甚難(ぜいじんなん)だったのです。理解不可能、信不可能だったのです。
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理解不可能、信不可能では、人々は退却してしまいます。そこで魅力満載にする必要がありました。
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往生も浄土も極楽もそこで終着駅なのではありません。ここまでは人間の知恵が到達できる範囲です。
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ここまでがこの経典には記されています。でも、仏の智慧はここからがスタート地点です。
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でもここから先のことは書いてありません。浄土の様子はこまかく説明してありますが、ほんとうの仏の世界のことには触れられていません。
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ここまで来れば大丈夫だったからです。
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そういう読みをさぶろうはしてみました。どこまでも人間の側の邪推です。