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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

よい循環に逆らわず乗る

2016年02月24日 21時14分32秒 | Weblog

わたしはよい方向へよい方向へ向かっています。

この自己暗示をかけると坂が長い下り坂になって行く。

下ってスピードが付いたところで、次の上り坂を登りきる。

すこしペダルを漕いでやる。汗が出る。

長い上り坂だからスピードは落ちていくが、登りきったらそこからまた下り坂が始まる。

わたしはよい方向へよい方向へ進んでいます。この確信は力強い。

力になる。力は確信を生む。

これでよい循環になる。

太陽が東から昇って西に沈む。このよい循環に逆らわず、乗っていればいいのだから難しいことではない。

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不安にならない これが安心の秘訣である

2016年02月24日 20時54分53秒 | Weblog

不安にならない。これが安心の秘訣である。

なあんだ、そんなことだったのか。

暗くなることがあってもいい。そこをできる限り素早く抜けて出て来ればいいのだから。

そして素知らぬ顔をして安心をしている。これでいい。

万事是でうまく運ぶ。

不安にならないと万事がうまく運ぶ。

不安に堕ちるな。穴に落ちるな。暗い穴にとどまるな。

暗いと思ったら明るいところを目指せばいいのだ。向日葵になればいいのだ。すたこらすたこら光の射す方へ歩き出せばいいのだ。

暗い穴などはないのだ。自分が掘る以外に穴などはないのだ。穴を掘るな。

青空を仰いでいればいいのだ。これで安心ができることになっているのだ。

暗くなるのも明るくなるのも、不安になるのも安心するのも我が心の所為である。

こころがリードすれば体は安心して元気になる。健康を回復する。ゆたかになる。繁栄する。

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宇宙は繁栄に向かって動いている。これに逆らわず準じているだけでいいのだ。これで人も繁栄に向かうのだ。

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それを信じていればいい。万事うまく運ぶ。

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それが難しい? 難しくてもいいじゃないか。そこを抜け出す方法があるからいいじゃないか。

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道はある。大きな一本の道だ。これが未来へ貫いている。

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不安にならない。これが安心の秘訣である。明るくなるキーである。

さぶろうは今夜こんなことを思った。気分がハイである。

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宇宙は限りなく豊かだからこれに準じていたい

2016年02月24日 20時42分03秒 | Weblog

今年は閏年。2月が29日まである。この日は月曜日。この日に新しい車がやって来る。待ち遠しい。贅沢は一切省いた。スタンダード車だ。オプションはなし。誘惑に乗らなかった。エンジンはいっしょだし、これでいいんじゃないか。あと5年乗る。5年したら、軽自動車に変えるつもり。さぶろうはドライブが大好き。折り畳み式自転車を積み込んで知らない街へ行く。そこでリハビリのためのサイクリングをする。ふらふらふらふら走り回る。四国へも行きたい。お遍路さんを続けたい。秘湯を尋ね回りたい。西日本までなら尋ね回りたい。明るく元気でいたい。健康を維持していたい。畑仕事、土いじり、草取りの合間合間にふらりふらり、放浪をして回りたい。宇宙は限りなく豊かだから、これに準じていたい。限度を設けないでできる限りの豊かさを味わいたい。

 

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仏陀は人間に安心を届けている

2016年02月24日 20時28分44秒 | Weblog

さぶろうに解るくらいだったらたいしたことではないのです。さぶろうに仏陀が解るはずはありません。仏陀の法が解るはずはありません。(解らなくとも仏陀の法は存在しています)それではあんまり愛想がないので、仏陀が譲歩に譲歩を重ねて、経典を編んでサービスに努めていますが、それとて理解が届くわけではないのです。あやふやが当たり前です。で、人間はとことん信じることができずにいます。当たり前です。人間に仏陀が読み取れる訳がないのです。解るようだったら、それは偽物、まがいものです。掴まされたに過ぎません。

それでも仏陀はわれわれに安心を届けねばなりません。

仏陀はわれわれに太陽を届けました。月を届けました。星々を届けました。空気を鼻先にまで届けました。胸の奥にそれを吸い取っていますが、あれは安心を吸い取っているのです。目で見て耳で聞いて呼吸して安心が届けられています。

今日は白梅紅梅が咲いて安心を届けています。

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福寿草を発見 大発見だった

2016年02月24日 20時21分49秒 | Weblog

今日は強風の吹き荒れる中を、まあまあゴクロウサンなこっです、草取りに励みました。鼻水がたあらたら。ハクションとクション。いいんです。負けじと草取りに没頭しました。これで気が紛れました。こころの中は快晴になりました。おかげで花壇がきれいになりました。草を抜いた後から、なんとなんと、福寿草が咲いているのを発見しました。春の到来を忘れてなかったのですね。これは大発見になりました。

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その方がいいからそうなっています

2016年02月24日 20時05分48秒 | Weblog

はい。ビッグサプライズなのです。ビックリぽんなのです。行けば解ることになっています。それまでは秘密にしてあります。その方がいいからです。

なんでもそうです。その方がいいからそうなっています。

ああだこうだはみんな邪推です。事前に考えなくていいのです。考えなくてもいいようにしてあるのです。

死ねばどうなるか。はい、ビッグサプライズが待っています。

それもこれもおまかせしていればいいのです。おまかせするより他に方法はないのです。

わたしが死ぬように見せてあるのですが、わたしがわたしの力で死ぬことなどはできません。

あれは大いなるお力、スーパーエナジーのしかあらしめるところです。わたしのことあでありながら、わたしのあずかり知るところではないのです。そういう範疇ではないのです。

行けば解ることにしてあります。そこからはよいことが100列、1000列、無制限列しています。

ただしそれは人間の浅はかな知恵では計りかねるもので、完全脱帽の世界です。

さぶろうはそういうふうに考えています。邪推が天才的にうまいのです。人間は仏を思惟することができないのです。仏の智慧は人間の知恵を超脱しています。

ともかく死後のわたしはビッグサプライズをし続けます。死者は誰もがビッグサプライズをし続けます。サプライズ、サプライズ、サプライズして暮らしています。

ここは仏陀の国、オールマイテイの国です。完全に安心していていいところです。そらやそうでしょう、仏陀は慈悲者です。慈愛そのものです。万に一つも間違いはありません。

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どこまでも人間の側の邪推

2016年02月24日 13時57分11秒 | Weblog

為一切世間 説此難信之法 是為甚難      仏説阿弥陀経より

いいっさいせけん せっしなんしんしほう ぜいじんなん

一切世間の為に 此の難信之法を説く 是を甚だ難(かた)しと為(な)す

ここから先はさぶろうのさぶろう流の解釈です。正しくないかも知れません。

わたし(お釈迦様)は、この世に生きる人間たち、天人、阿修羅などの為に、阿弥陀仏の救世の誓願を記した「阿弥陀経」を説きましたが、これは信じることが甚だ難しい教えであります。甚だ難しいけれども(勇気を鼓舞して)これを説きました。この難しいことがここに実現しています。

お釈迦様は難信之法(なんしんのほう)=仏説阿弥陀経をお説きになられました。

ですが、仏が説かれた法は仏でなければ理解できません。

人の知恵が仏の智慧には到達できないのです。

人が仏を理解して信じるなどということは甚だ難しいことなのです。

仏を信じる人、阿弥陀経を信じる人は、したがって、なかなかいません。信じられる近さにはないからです。

それでもお釈迦様はご自分に鞭を打ってこの阿弥陀経をお説きになられました。

人が信じられるような形式を取る「方便」としてお説きになったのではないか。これがさぶろうの考えです。

浄土や極楽や往生は実は方便なのではないか。ここが入り口で、この先の先へまた先へ仏に誘われて行くのです。

仏の法を説かれても100の内の99・99は理解不可能で、残る0・01の内の、そのまた99・99が信不可能です。

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是為甚難(ぜいじんなん)だったのです。理解不可能、信不可能だったのです。

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理解不可能、信不可能では、人々は退却してしまいます。そこで魅力満載にする必要がありました。

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往生も浄土も極楽もそこで終着駅なのではありません。ここまでは人間の知恵が到達できる範囲です。

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ここまでがこの経典には記されています。でも、仏の智慧はここからがスタート地点です。

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でもここから先のことは書いてありません。浄土の様子はこまかく説明してありますが、ほんとうの仏の世界のことには触れられていません。

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ここまで来れば大丈夫だったからです。

そういう読みをさぶろうはしてみました。どこまでも人間の側の邪推です。

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なんとかなろう なんとかなってきたんだから

2016年02月24日 13時23分51秒 | Weblog

日射しが降り注いでぽかぽかしているが風がある。吹き荒れている。ので、サイクリングに踏み出せないでいる。なんだこれしき、だろうけど。

代車が来た。長い間愛用していた車とはお別れした。姿が見えなくなるまで、ありがとうの言葉をかけながら、見送った。

任意保険を新しく切り替えることにした。車屋さんは自分の車にも保険を掛けておいた方がいいと勧める。いままでは月額2500円ほどだったのが一挙に7000円を越えるという。渋った。5年間だと7000円x12ヶ月x5年で総額42万円を支払うことになる。いままで約50年間車に乗ってきたが一度も保険適用申請をしたことはない。これまでと同じように対人対物保険だけでよさそうに思えるが、今回の新車は残価型ローンを組んだので、月額保険料7000円のを盛んにお勧めになる。高い。どうしたもんだろう? 世のお金持ちのようにお金がふんだんにあるわけじゃない。悩ましい。

代車でお昼の弁当を買いに行って来た。おいしいところがあるのだ。今日は唐揚げ弁当だった。500円。お魚弁当は売り切れていた。家に戻ってきて日当たりのいい縁側で一人ピクニックをした。老人だからそうそう肉類は食べられない。唐揚げの3個あるうちの1個だけ食べて、あとは残した。娘が好きだから、夕食時にでも食べてもらおう。お茶を飲んで浜崎の名物けーらん饅頭を1個ぱくついた。中に餡子が入っている。家内が昨日唐津へ行って買って来たもののようだ。卓袱台(ちゃぶだい)の上に載せてあった。これは車屋さんにも差し出した。

なんとかなろう。そう思うことにした。ふふふ。なんとかなってきたのだから。

弁当屋さんのレジに若い人がいた。すぐに目を引いた。可愛い人だったから。「幾つですか、お嬢さんは」と聞いてみた。二十歳だという。いいなあ、いいなあ、若い人はいいなあ。手の肌がつるんつるんだった。溜息が出た。さぶろうのそれは皺だらけだ。そこに若い人がいるというだけで華やぐ。場が煌めく。美人さんだったから2倍にも3倍にもなって。目が開けていられないほどまぶしかった。

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愛車とお別れ

2016年02月24日 09時00分54秒 | Weblog

用事が出来た。電話が来た。いまは携帯に呼び戻される。無事帰宅した。都合4泊した。薩摩路を5日間。行きは高速を使ったが帰りは一般道を走った。休み休みしながら。合計走行距離が913km。よくまあ一人で走った。山の中の山の中をぐるぐる回って温泉を訪ねた。麻痺の左足の治療には効き目があった。あたたまってじんじんした。鹿児島港から硫黄島、黒島行きの船が出ている。黒島に一泊して戻ってくる旅だ。南の海を楽しみたいと思ったが断念した。船着き場に行って船も見て来た。雨になるという予報だったからだ。

雨は止んでいる。快晴になっている。我が家の庭の梅の花が開いている。これならサイクリングができそうだ。用事が済んだら行こう。

長いこと乗りこなしてきた愛車と今日でお別れすることになった。積んでいたものを外し、内と外を丁寧に掃除した。「あなたのお陰であちらこちらへ行けました。楽しませてもらいました。ありがとうありがとう」と言葉を添えて撫で回した。遠いところへも何度も行った。新車から12・6万キロを走りに走った。事故を起こすこともなかった。我が足となってくれた愛車に感謝する。車といえど情が湧いている。お酒でも振る舞ってあげたいところだ。

 

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