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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

大事故にならずに済んだ

2016年02月07日 16時56分23秒 | Weblog

冷え込んできている。またぞろ、雪にでもなるのだろうか。サイクリングに出たのはよかったんだが、道を渡ろうとしていてその中央で安定を欠き自転車もろとも転倒してしまった。とっさには起き上がれない。寒いので体がすばやい反応をしてくれない。鈍痛がやって来る。早く起き上がらねば自動車に踏みつけられてしまう。焦ったがしばらく大の字になっているしかなかった。やっと起き上がったが頭がふらふらする。まずは自転車を抱き起こして道を渡りきった。大きな道路である。自転車を止めて傷む部分を確認した。麻痺の足の膝と手の臂が擦りむいて出血している。膝が動きにくくなっている。このまま続行できるかなと不安になった。しかし、ともかく帰るしかない。でももうサドルを跨ぐのが恐い。しばらく足を引き摺りながら自転車を押して歩いた。そしてああよかったと思った。大事故にならずに済んでよかったと思った。夕方に書けて冷気が流れ込んできた。昼間、日が射していたのでさぶろうは軽装である。下着と薄いシャツである。ペダルを漕いでからだを温めなければならないと決断して、自転車に乗ったがやはり安定性を欠いてふらふらした。ああ、自分は70才だったんだと思った。

 

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童謡詩「みんなひとりじめ」

2016年02月07日 13時07分11秒 | Weblog

童謡「みんなひとりじめ」

かあさんは左/とうさんは右に/

ふたりがわたしの手を/握って/かるがると/坂道を/下りて行く

母さんの横に/とうさんが座る/

わたしはふたりのうしろ/歌って/ドライブを/海辺まで/していった

かあさんは内で/とうさんは外/

わたしは見ているだけで/さあっと/お掃除が/進んでく/日曜日

かあさんが外で/とうさんが湯船

はだかのわたしがくるり/回って/湯煙も/抱かれてる/夜八時

リフレイン:

かあさんがひとりと/とうさんがひとりと/わたしがひとり/みんなひとりじめ/

空も月も山も海も/みんなひとりじめ/

これで童謡詩になっているのかなあ? 疑問。順番もこれでいいのかな?

8/8/8/3/3/5/5/5

児童虐待が進んでいるでしょ。これが悲しくって。親子の愛情の具体例を詩にしてみました。こどもは可愛がらなくちゃいけない。世界をひとりじめさせなければならない。

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あれもしたいこれもしたい

2016年02月07日 10時46分36秒 | Weblog

<あれもしたいこれもしたい>は健康であって初めて見えて来るもの。もしかしたら、<あれもしてこれもしているうちに健康が保たれる>ということもあるのかもしれない。あるいは<あれもしてみたいこれもしてみたいと思う力が健康を育てる力になる>のかもしれない。その<あれもこれも>の中身だが、いつもひとりでいるさぶろうの場合は自ずと制限される。つまり<一人で出来ること>に限定されてくる。自転車を積んであちこちにドライブをしてそこを拠点にしてサイクリングをする、それが目下の狙い目である。これだったら一人でも出来るからだ。鹿児島、宮崎、山口、広島、兵庫などに行き、サイクリング市内歴史徘徊を楽しんだ。それがどうも癖になっているらしい。次の目標地点は遠い日本海沿岸地帯である。行き帰り優に2週間は見ておかねばならない。その間はひとりだから絶対に健康を維持しておかねばならない。途中棄権はできない。健康に自信が出来てきたらだが、東北の震災復興地帯にも足を延ばしてみたい。まあまあ、そんなに遠隔地でなくてもいいではないか。近距離で狙っているのは熊本市内。2泊3日で大丈夫だろう。ここなら平坦地、ペダルがゆっくり漕げそうである。とはいえ、それも財力が伴っていなければならない。もどかしいが、今日明日というわけには行かない。

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山岳地帯をサイクリングしてみたい

2016年02月07日 10時00分08秒 | Weblog

さぶろうの乗っている自転車は車輪半径が27cmとやや高め。5段ギアチェンジ切り替えがついている。でも、ちょっとした上り坂でも苦労する。長めの上り坂では息が切れてしまうので、下りて押さねばならない。だから、さぶろうの家から北、上り坂が続く背振、三ツ瀬方面へは挑戦できていない。起伏が激しいところも無理。だからおのずとサイクリングの行動範囲も制限される。ときどき車でドライブしているときに、急峻な坂道、山坂でもスイスイスイと楽に自転車にのって登って来るサイクリストに出会う。たいがい若者なんだけど、中にはそうでない人も見かける。あれは8~10段ギアチェンジ切り替え車だ。さぶろうもあれが欲しい。先日イオンショップの自転車コーナーを覗いたらこれが展示されていた。値段は32000円。しばらくそこを動けなかった。(オフロード専用マウンテンバイクではなかった)。税金がかかれば、もっとする。これに鍵とライトをつけ、時速計器、距離メーターなどを装備すれば40000円くらいにはなってしまう。年金以外に収入が見込めないさぶろうの財布と相談すれば答は明白だ。まさかローンを組んで手に入れておくわけにもいくまい。8ヶ月間毎月5000円を積み立ててやっと購入可能になる。欲しい。あれに乗ってゆっくり漕いで背振山頂に立ってみたい。いやいやまだ体力もついていないからこれは無理かも知れない。でもともかくギアを切り替えて山岳地帯に足を踏み入れることができるようになる。行動半径がうんと拡大する。欲しい。だったら、この8ヶ月間で体力増強に努めねばならない。いまでも麻痺の左足は軽く添えているだけだから、右脚の負担が大きい。よほどの脚力、筋力アップが獲得されないとこの構想はおじゃんになりそうである。アスリートジムにでも通ってみるか。いやそこまでのファイトはない。

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人はもっともよく輝かされて生きている

2016年02月07日 03時28分50秒 | Weblog

トイレの中はさぶろうの読書タイムである。ローラ・インガルス著の「大草原の小さな家」シリーズを読み進めている。名文だ。読み進めながらいもいつもしきりに彼女の文章術に感心する。昨日はとうとう絶句した。感動をもらって落涙に及んだ。ローラの姉メアリーは目が見えない。猩紅熱で視力を失っている。で、ローラが姉の目になっている。そこにある日二人の旅の牧師さまがまだ未開拓の村に通りかかる。ローラの家にお迎えをする。この地に教会を建てる下準備をするために来ラれたようだ。食事の後にお祈りが始まった。賛美歌を歌ってそれから牧師さまが盲目のメアリーをご覧になり神の教えを説いていかれる。こんなふうに。「神様はこの世とこの世に生きるものたちを愛しておられます。守って導いておられます。その人をもっともよく輝かそうとされます。もっともよく生きられるようになさっています。ここにいるメアリーも例外ではありません。メアリーを愛して彼女の内面をもっとも美しく輝かそうとしておられるのです」お母さんが泣き出します。そしてメアリーをほめたたえてこう言います。「その通りです牧師さま、この子は神の教えに背いていません。これを神様の愛のしるしだと受け取って暮らしています。悔やんではいません。わたしたち家族はメアリーを囲んで支え合い助け合い、こうして暮らしていけることを誇りにしています」彼女はやがて、牧師が勧めてくれた目が見えない人のための大学へ進んで行きます。貧しいインガルス一家にはしかし学資にできるお金がありません。ローラが姉のために生きようと決心をして働きに出ます。

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賞でるもの、言祝ぐものであふれていくだろう

2016年02月07日 03時08分07秒 | Weblog

真夜中の三時。もうみなさんおやすみになっておられることだろう。さぶろうはnature calls meして目覚め。さあ、どうする。これも自然にまかせることにする。おや、新聞が配達されて来たようだ。バイクの音が遠ざかる。お寒いだろう。

今日は2月7日(日)。2月も一週間が経った。そろそろ梅見になるだろう。路傍の馬頭観音さまの石像の前にネコヤナギが飾られていた。我が家の裏庭の都忘れが小さなかわいい紫の花をつけた。寒い冬を無事にしのいだようだ。こうして賞でるもの、言祝ぐものであふれていくだろう。

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