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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

四角四面がまあるくなる童謡詩「ふっふう」

2016年02月12日 11時20分37秒 | Weblog

こどもたちが口ずさんでくれる歌を書きたい。なかなか書けない。書いても口ずさんでくれる歌にはならない。でも諦めないでまたトライする。さぶろうは、ふっ、案外けなげだ。

こどもたちの口ずさみそうな童謡詩「ふっふう」

 

ふ/ふ/ふ/

「ふ」はふううっと息を吐きかける「ふ」/

ちょいと力を抜くと/「ふっふう」になる/

やってごらん/

口を閉ざしていては/できない/「ふ」/

こころを閉ざしていてはできない/「ふ」/

息を/大空に/吐きかける/

空まで届くように/力いっぱいに/ふっふう/ふっふう/

四角四面がまあるくなるよ/

笑いがはじけて来るよ/ほおら/

さぶろうは曲が作れない。合唱曲ふうになれないかな。得意の口笛で吹くのは吹くが、メロデイーができても、それを音符には移せない。

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民間堕胎薬ヒナタイノコズチ

2016年02月12日 10時47分27秒 | Weblog

人様のブログで読んだ「泥棒草」というのはイノコズチのことなんだろうか。小さな小さな草笹の棘穂のことだろうか。やや大きいオナモミ、メナモミのことだろうか。果穂がある草は釣り針棘をつけていてこれでズボンを刺してくる。野原や草藪を歩くとこれの襲撃を受けた。叩(はた)いてもなかなか落ちなかった。そんな遠い遠いこども時代を思い出した。青い八重葎(ヤエムグラ)も人なつこくて、歩き回る人によくくっついて、ズボンの股を這い上って来る。植物は熟々(つくづく)知恵者である。智慧を自慢している人間さまに委託して子孫を遠くまで運ばせる。近縁種のヒナタ・イノコズチの根は乾燥させると強精剤、利尿剤にもなるらしい。俗世間では堕胎薬として珍重したとも。別名、フシダカ、コマノヒザ。ヒユ科の多年草。くっつくのは苞(ほう)と言うらしい。

 詩「野原の勲章」

さぶろう、よい/お前/あどけなくなりたくはないか/童心にかえりたくはないか/よい/さぶろう/だったら/イノコズチの苞を/靴下に刺して歩け/野原の勲章受諾を/誇示して歩け/そうしたら/お前の全部/残さず/確実に/あどけなくしてくれるだろう/童心にかえらせてくれるだろう/請け合おう/さぶろう、よい/野原へ行って来い/

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福寿草の自生地におんぶされて行ったことがある

2016年02月12日 10時18分44秒 | Weblog

人様のブログを拝見。福寿草が写真に収まっていました。あざやかな黄金のかがやきをかがやかせて。

福寿草が自生する山までおんぶをしてもらったことがありました。山の中腹の傾斜の激しい渓谷沿いに。屈強な男性4~5人が代わる代わるさぶろうを背中におぶって行かれました。枯れ葉が積んでいますから、ここへ足を置くと一気に滑り落ちてしまいます。リーダーの人が櫟の木にロープを張り巡らせてくれました。これを握りしめながらその黄金の宝の場所まで進んでくれました。枯れ葉の下に、それはありました。見渡すとそこにもここにも福寿煙突がありました。リーダーは登山隊のリーダーで於保という人でした。さぶろうはまだ下半身が麻痺の状態でそんなところへは登っていけません。新聞投稿で「山はいいだろうな。いまごろはどんな野草が花を着けているのだろう」といったことを書いたのです。於保さんがこの投稿記事を読んで、さぶろうを探し出して来て、行けない、行くことは生涯ないだろうと観念していた山へ連れて行って下さったのでした。さぶろうはひどくひどく恐縮しました。60キロを越す大男です。背負って山に登るなどは大変な重労働だったと思います。感謝をしてもしてもしきることではありません。代わる代わるおんぶされました。滑らないように倒れないようにと一歩一歩踏みしめながら急斜面を登って行かれるのです。みなさん汗びっしょりでした。さぶろうはまだその時の感謝を背負い込んだままです。お礼ができていません。あれから15年、みなさんとはもう音信不通になっています。さぶろうはずっと恩知らずに成り下がったままです。福寿草のニュースを聞くとあの勇猛果敢な春の山登山隊のみなさんの善意が蘇ってきます。いまはもう麻痺は左足だけになっています。長い長いリハビリが功を奏して来たのです。「おれたちは一人の恩知らずを背中に背負って行った」彼らの記憶にそうあるのかもしれません。新聞投稿でお礼の記事を書きましたが、とてもとてもあのときの分厚い善意のお返しなどできていないのです。

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濃い味が出なくなったのかな?

2016年02月12日 09時42分23秒 | Weblog

関西の人は「おおきに」と言う。独特のイントネーションをつけて。抑揚が深い波間を作ると深い余韻が生まれる。「おおきにありがとう」の略語らしい。文語の「オホキナリ」の連用形とか。室町時代以降の語と辞書にあった。関東にはこれに類する感謝の際の略語があるのだろうか。「どうも」がそれだろうか。九州弁ではどうだろう。言葉は長ったらしいのを嫌って簡潔に走り、ぎゅっと収縮して圧縮効果が高まりそこでどっと爆発。これですばやく的を射てしまう。短いのがいいというわけでもない。だらだらだらだらいかせてくれるという手法もある。たとえば「そうでごじゃりましたか、そうとは知らずようけい失礼を致しました。そちらさんの気持ちよう伝わってきました。此処の辺りがこう、こんな具合にうれしゅうござります。ほんにほんに」などとわざとゆっくり冗漫に応えてくれると、これはこれで効果抜群で、こちらもそれに匹敵するくらいの丁寧な感激に到達する。<単発ピストル型>と<だらだらナメクジ型>、どちらがお好みですかみなさんは。九州人はどちらかというとピストル型なんじゃないのかなあ。「ほんと?」「それほんとか?」などと文尾を揚げて切り返して来るが、クエスチョンではなくてただのお礼言葉だったりする。「「ほんと?」「ほんま?」これは何処の地方に多いのだろう。若い人は最近「うっそう!」で片付けてしまうようだ。「ありがとう」が使い古され擦り切れて、濃い味が出なくなくなったのかもしれない。

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これがいい こうしよう

2016年02月12日 06時32分07秒 | Weblog

飽き性分のさぶろうはなんでも長持ちしない。飽きる。あっさりしたもんだ、まったく。ラジオ体操、もうやっていない。朝6時半からの10分は、これで運動をしていたのに、寒くなってぱったり途絶えてしまった。怠け者の天才さぶろう。新年お正月から一念ぽっきして何かを始めるという人はいるけど、そこで止めたって人はあんまりいないのじゃないのかなあ。習い事、趣味の会もこれに洩れない。何をしても続かない。呆れる。永続性がない。必ず途中でぷつんと切れる。お粗末すぎる。自慢にはならない。息の根もこれに倣ってぷつんと切れて、目覚めたら死んでいたという具合になってくれたらいいのだが。「どうもまるっきり苦しんだ様子がありません、大往生でしたよ」と家族を安堵させる、これでいい。これがいい。こうしよう。

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努力者への信頼と感謝がふたり

2016年02月12日 00時28分55秒 | Weblog

もうやすみます。みなさんおやすみなさい。

今日がこんなにいい一日であったのはどうしてだったのか。やすむまえにさぶろうはこれを考えてみる。いろんなことが思い当たった。いろんな理由が正当性を得た。しかし、最後の一つも相応の説得力を持っていた。それは、<さぶろうの一日をそうせしめようとして努力したものがいる。確実にいる>ということだった。さぶろうはこれであたたかい気持ちになった。努力者への信頼と感謝がふたり寝床の横に来て寝る準備を手伝ってくれた。

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