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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

仏教の極意は発見の美学

2016年02月26日 11時14分07秒 | Weblog

ふふ。今日書いたブログが合計これで10個。読んでくれる人がいるかどうか。ちょい見でポイ捨てかもしれないが、それでいいことにしよう。

役に立つことは何にも書いてはいないからそれでしようがない。

でも役に立つことって何だろうね。あるはずなんだけど、そんな高級なものを狙えそうにないよ。狙わなくちゃならないとなると、負担が重くなるしね。

もうお昼だ。パンを二個テーブルに置いてもらった。これを食べて留守番をする。こんな暮らしだもんね。

ヤクタタズってカタカナ書きにしてみる。自嘲気味に。でも自嘲はまずい。臭気が凄い。流れない泥沼の臭いがする。栓を抜いて流してしまおう。

仏教の極意は無価値の尊重。ヤクタタズがあってもそこに価値を発見する。発見の美学。そうするとそれがくるりと変身する。ヤクダッテクル。これを転換の「転」とする。

馬糞が道に落ちていたらそれを拾って畑の肥料にすることができる。馬糞が野菜を育ててくれる。捨てずに馬糞を拾えば、この世の清掃にもなる。

無価値と見た者はこの世の一切を無価値にしてしまって不満と不平をかこつ。

とかなんとか言っちゃってさぶろうはどうか。ごろんと寝ているばかり。発見は発見家にまかせたばかりで。

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無想の夢想

2016年02月26日 10時57分57秒 | Weblog

好き勝手をしている。したくないものはしない。しなければならないこともしない。しらんふりして怠けている。

咎める人の目の前には、だから、出て行けない。そっとそっとして隠れている。

日が差し込むお縁側に出て本を開いて、でも、うつらうつらしている。夢見心地だ。ほんとうに生きているか。問われたら答えようもない。詮索なしにする。

ときおり不意に、自分を好いてくれる大好きな人のことを夢想して、もうすぐお昼だ。そんな人がいるわけがないから、無想の夢想だ。

いたらどんなに生き生きするだろう。生気溌剌。耄碌の死者が一気によみがえるだろう。

好き勝手をしている。できるだけ迷惑をかけないようにしている。ふんわりしている。

死んでいるのか生きているのかはっきりしないほどにしている。これはしかし高級な妖術でもある。見上げたものでもないが、かといって、見下げたものでもない。

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鼻で春をくんくん嗅ぎ回る

2016年02月26日 10時46分24秒 | Weblog

家内が、ぽかぽか陽気になった畑に出て、蕗の薹を摘んできた。2個だけしか見付からなかったようだ。においを嗅いでみる。たしかに春の匂いだ。鼻にくんと来た。

人間には鼻がある。これは動物の鼻と共通している。犬、猫、猪に同じだ。これで刺激を受ける。獲物を探す。外部と交流連結することができる器官だ。人間にもこの高等な器官が発達しているからこれを活用しないテはない。春をくんくん嗅ぎ回る。

梅も匂う。山椿も匂う。菜の花も匂う。おんなの人の化粧も匂う。焼き芋もカレーライスも匂うけど、空も匂う。雲も匂う。

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久しぶりにサイクリングに行けるかもしれない

2016年02月26日 10時19分01秒 | Weblog

10時半。日が射してきてあたたかくなってきた。風もないようだ。久しぶりにサイクリングへ行けるかも知れない。それだけのことで、他愛ない、そわそわわくわくする。

18段ギア切り替え付きの自転車を、市の自転車専門店に見つけてきている。もう3度も通っている。それが欲しくてたまらない。3万を優に越えている。6~7万というのもある。すぐには買えそうにない。

だが、狙っている。いつかこれに乗って気取ってみたい。サイクリストを気取ってみたい。タイヤが細い。ボデイーも軽く軽くしてある。

スピードが出そうだ。安全帽ヘルメットを被らないと危険だ。これで玄界灘まで(片道60~70kmくらいはありそう)走破してみたい。若者になって。背中にリュックを背負って。

そうだ、そこに泊まればいいのだ。片道70kmだと往復はその倍だ。この高齢で一日では無理だ。大きな道は避けたい。18段切り替えだと山道も大丈夫かも知れない。

大きな道は恐い。トラックの風に巻き込まれてしまいそうだ。自転車道はしかしまだほとんど整備されていない。(どこかの県の県庁所在地には整備されていたようだ) トラックと一緒に車道を走るのは危険極まる。ふらふらすることだってある。倒れることだってある。

さあ、そこまでの元気が残っているかな。大いに疑問だけど。車に自転車を積んでいくというテもある。そうすれば、負担はずっと軽くなる。

サイクリングは麻痺の足のリハビリにはうってつけだ。歩けないけどペダルを漕ぐことはできる。麻痺の左足は添えているだけでも自転車は進む。

 

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通帳実印入りの鞄を紛失

2016年02月26日 09時55分49秒 | Weblog

興奮するとどうして口の中が乾いてからからになってしまうのだろう。水を飲む。水を飲む。それでもすぐに乾く。どうしていいか分からない。

幾冊かの通帳と実印入りの鞄が行方不明になった。昨日、久留米の銀行までそれをぶらさげて行ったのだ。休眠状態だった銀行通帳の解約に。

夕方風呂に浸かっているときに、鞄はどうしたかなとそれを思い出した。車から降ろしていない。家内に車の中を見てもらった。

車の中にはないと家内は報告する。さぶろうはもう風呂になんか寝そべっていられなくなった。まだあったまってもいない。そんなはずはない。もう一度確認をしに行ってもらった。

ない、と家内は言う。家の中も探してもらった。やっぱりない。何処へやったか思い出せない。

帰宅してすぐにベランダの鉢物に水撒きをした。鞄を下ろしたかどうか覚えていない。警察に届けねばならない。風呂から飛び出す。服を着るのももどかしい。

興奮が頂点に達している。何をすべきか。もう夜の7時を過ぎている。久留米まで探しに行くのか。銀行はもうとっくに閉まっている。

通帳にはたいしたお金は入っていない。さぶろうは貧乏だから。でも、でも、でも・・・。やっぱり近くの警察に行って届けて来よう。

懐中電灯をつけて外に出た。念のためにもう一度車の中を探してみた。ライトに紐が見えた。後部座席の下だ。あった。家内が2度も見て回ったのに、それは隠れて見えなかったのだ。

安堵した。口の渇きはそれでも止まらなかった。興奮はボルテージを下げてくれない。あった! あった! そればかりを繰り返している。

老人は老人だ。大事な物なら大事にすべきなのだが、飛んでしまう。帰宅してお風呂に浸かっている段になってやっと、「あれれ、どうしたかな?」と気になってくるくらいだ。

家内が「ごめんごめん」を言う。咎める気はない。あったのだ、とにかく。

布団にくるまってもなかなか寝付けなかった。NHK囲碁の時間のビデオを見ることにした。90分してやっと落ち着いた。よかった、まだそれをつぶやいていた。

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百叩きの刑

2016年02月26日 09時38分28秒 | Weblog

この男、うじうじ。うじうじ男。実行に移さない。思ったことは実行に移せばいいのに、それはやらない。だからいつでも、うじうじしている。棍棒で百叩きの刑にでもしたらよかろう。繭の中の春の蚕。

実行に移そうとした途端にブレーキを踏んでいる。それは駄目これは駄目。罪悪のお前にはふさわしくない、などなど理由が次々について実行不能になってしまう。

罪悪の自意識は意気地(いくじ)がない。美しい人に逢いに行きたい。

屋根の霜も太陽が息を吐きかけて解かしてしまった。もういいだろう。外へ出ようか。この地球は美しい人のいるところだ。

美しいおんなの人に逢いに行きたい。ひらがな書きの美しいおんなの人のかたわらで呼吸をしていたい。

それができればうじうじはなくなるはずだ。できるか。できない。じゃ、やっぱり百叩きだ。

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人をやさしくして恋しがる

2016年02月26日 09時26分38秒 | Weblog

そのくせ人が恋しい。恋しがる。人を恋しがる。人をやさしくして恋しがる。クレヨン水彩で人をやさしくやさしく描いて。

さぶろうに恋しがられるような人などは、しかし、いない。さぶろうが俗悪醜悪だからだ。

俗悪醜悪をよしとする人などがいるはずがない。そこでぴたりとクレヨン水彩の筆は止んでしまう。

人恋しさが止んでしまう。水を浴びせられた焚き火のように消えてしまう。煙を残して。もう誰もいない。

やさしくしているのは春の空。これに包まれているしかない。八天山の山に雲が浮かんでいる。おおいおおいをして呼んでいるふうに見えてしまう。

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わたしは正しいという人には近づけない

2016年02月26日 09時11分35秒 | Weblog

わたしは正しいという人のところへは近づけない。拒否が見てとれるので近づけない。これを破ってまでして入り込もうとは思わない。この人を去るしかない。濁っている者は清らかな水場の人といっしょには泳げないのだ。それは寂しいけれど。不正義の濁りが肌に馴染んであたたかい。妄想妄念に一人であたたまって濁っている。春近い。二月もそろそろ終わる。

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欲望胎、感情胎という胎をも住処とす

2016年02月26日 08時40分57秒 | Weblog

人はこの老人をいろ爺、えろ爺と蔑むであろうが、こころの中に涌いてくる欲望がある。触れたい。雪のように白い、湯のようにあたたかい人間の肌に触れたい。やわらかな海のうねりに顔を埋めて漂っていたい。仄かな人心地を呼吸してしばし酔狂していたい。春の訪れを告げる桃の花梅の花桜の花の色香を、人の中に嗅いでいたい。莫妄想(まくもぞう)! 妄想をすることなかれと一喝されそうだが、妄想をする。邪念する。いろ爺えろ爺くそ爺。然り。その通りだ。しかしそれは想念の懸想。それは一場の妄想で終わる。浜辺の昼顔の夢がもう夢から覚める。

からだは老いているのに、老いていくことにこころや感情や色情が抵抗をしている。体の中を流れる赤い血が赤いのだ。こころや感情も鮮血をして赤く流れているのだ、いまも。人間は肉体だけに住んでいるのではない。欲望胎、感情胎という胎にも潜まっている。精神胎、意識体、魂魄胎をも住処としている。老いた肉体の泥の底でこれが蠢く。肉体から天空へ蹴って出て白蛇のように青龍のように胎動する。

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自己管理は自己介護

2016年02月26日 08時19分06秒 | Weblog

かちこち、かたかた、ことこと、畑が。霜が張り付いている。こちらに見える隣家の北側の瓦屋根も霜化粧。固まった菜の花の茎がことりと折れそうな。雀くらいの大きさの珍しい小鳥がつがいで来て侘び助の周辺を飛び回っている。嘴の辺りが白い。体の毛は浅黒い。敏捷だ。こんなに寒い日は湯に限る。近くの新しい老人施設に涌いているもみじの湯に行こうか。自己管理の自己介護だ。市民は200円だったか。この老人は他に是といってすることもない。人の役に立つこともない。そうか、裏の畑にジャガ芋を植える仕事が残ってた。肥料を一俵もらい受けてた。

他所さまのブログを読ませてもらうとコメント欄が大人気のようだ。共通の話題で沸騰している。さぶろうの書くこの「おでいげ」欄にはこれがない。人の共感を誘っていないということかもしれぬ。まあいい。この男、無精者。人の情けも弾いてしまうところがある。気を回して交わるのを億劫にしている。これでいいか。人付き合いが悪いのだからしようがない。野鳩のようにひとり遊びをしておく。

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