小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



市内には事故や災害で亡くなった人の供養塔が各地に建立されている。供養塔の場所は寺院の境内のほか、事故や災害のあった場所に建立されることも多い。小田原市米神の国道沿いには昭和39年に交通事故で殉職した警官の供養塔が今も残っている。小田原市早川から海沿いを伊豆方面へ続く国道135号。海岸に沿って続く道路はカーブが連続していて国道開通後から交通死亡事故が多く起きている。その国道135号の米神港先のカーブで昭和39年に交通取締り中の警官が交通事故で殉職している。事故現場の近くの国道脇、雑草に隠れるようにして一体の地蔵像が置かれている。地蔵像の下の台座には橋口末治 昭和三十九年五月十六日没と刻まれている。この橋口末治という人物は当時、神奈川県警第ニ交通機動隊の巡査で事故当日に国道135号で交通取締りを行っていた。橋口巡査は事故当日、スピード違反のバイクを発見し真鶴方面から上り線を追跡中に、センターラインをオーバーして対向車線のトラックと正面衝突して23歳の若さで殉職。神奈川県警に交通機動隊が出来て初の殉職者となってしまった。事故から10年が経過した昭和49年。橋口巡査の同僚ら22名が中心となって、故人の冥福と一般ドライバーに危険なカーブ地帯であることを知らしめるために供養塔を建立した。この供養塔の開眼供養式は昭和49年7月16日に成田の成願寺で行われ、その後事故現場近くの国道沿いに置かれた。事故から来年で50年。今は供養に訪れるほとんどいないようで雑草に隠れるようにしてひっそりと地蔵像が道路脇に佇んでいる。

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