なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

信じるものは

2020-10-26 17:48:57 | 日記
強く信じることは、過激な行動をとることと全く違う。それは一時の激情、というべきであり信心とは異なる心象だ。
強く信じる、ということは、疲れきって、あるいは年月が経って、諸々どうでもいい、という心境になったとき、それでもなお、これだけは守りたい、と思えることでなければホンモノではない。信じていることが行動と、理性や感情を介在することなく結びついているのでなければ信じていることにはならない。
だから、扇動する者に裏切られるのは当然だ。一時の気持ちの高まりを巧みに利用しているだけだから。信じる気持ちは、長くごくありきたりの生活の中で試され鍛えられた気持ちでなければ、ホンモノではない。


打開策

2020-10-25 16:11:35 | 日記
辛いからといって、要求だけする人になってはいないだろうか。辛いから、周りを見る余裕がない。ましてや、思いやる余裕がない。すると、なぜ・・してくれないいのだろう?と思い始め、それはつまり逆恨みにもつながっていく。そして疎まれるようになり、ますますつらくなる。
辛くても顔をあげて周りを見渡すことを、やめてはならない。辛さとは周囲の関係の中で生まれることがほとんどだ。ならばよく見て観察せねば、打開策は思いつかない。

不安

2020-10-24 17:28:22 | 日記
痛みを感じないというこはセンサーが壊れているということであり、身体に重大なダメージを負うことを回避できない。
不安を感じない、ということは警戒心の欠如であり、危険や危機を回避できない。
痛みも不安もないほうが楽に決まっているが、感じるおかげでより大きな辛さを避けることができる。
どちらも必要なのだ。ただ、過剰だとやはりつらい。
特に不安については、特に理由がなくても感じるときがある。
考えてみれば当たり前のはなしで、命は脆く限りあるから、ではないだろうか。


そのような理由により、不安はいつでも付きまとう。半分は必要だから、残り半分は、生き物に必然のこと、として観念するしかない。
あって当たり前、振り払おうとして顔を上げて前を向く、のであるから、まあいいや、と思うことにして。





条件

2020-10-23 16:21:39 | 日記
条件がそろっていない、ということは冷静に受け入れなければならない。
条件について、きちんとしたガイドラインが定まっていなくても、必要な条件を見抜き、現状を照らし合わせ、満たさないなら諦めた方がいい。
いや、諦めた方がいい、というよりは、諦めざるを得ない。
あるいは、条件を満たすまで、待つ。
その判断は、意地、信念、思い込み、妄想、期待、すべて捨てて臨むべきだ。それらは判断を曲げるだけ、でしかないのだから。


わからないけど

2020-10-23 06:40:01 | 日記
他人の気持ちはわからない。わかるわけがない。
で、終わってしまうとみもふたもない。
確かにわかるわけはないのだが、それでも、なんとなく、わかった気になるときがある。
わかった気になる、のは良くないことではなく、むしろ必要なことだ。お互い、多少なりともわかった気になってやっとコミュニケーションが可能になる。


ただそこで大事なのは、やっと分かり合えた、とまでは思ってはいけない、ということだ。
わかったような気がするが、本当のところはよくわからない、と保留することが大事だ。


わかるわけがないという諦念と、わかった気なったという楽観が、うまく混ざってこそ、うまくやっていけると思う。