なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

2016-09-20 16:05:12 | 日記


命の危険性があるのなら、試練なんて悠長なことは言ってられない。ただ目を見開いて、サバイバルの道を探すだけだ。

命まで持っていかれないのなら、念仏のように「まだマシな方だ」と唱え、不幸を呪うのでなく、チャンスや活路を見出すために現状を肯定的に捉えるべきだ。焦りと不安にとりつかれないために。


命まで持っていかれないのなら、ムリにでも、試練と呼ぶ事にしよう。


手応え

2016-09-19 14:44:35 | 日記
手ごたえ、は印象であり、結果と一致するとも限らない。
印象とは、全体を満遍なく捉えているのではなく、特徴的な事、目立つ部分に偏った心象である。部分が全体を支配している。あてになるとは言えない。

思い入れ、思い込みが激しいとき、特にその程度が強くなる。つまり懸命に取り組んだこと程、手応えと結果の乖離が大きくなるはずだ。

囚われ

2016-09-18 16:22:01 | 日記
何かに囚われているのなら、気付かぬうちに己の影を踏んでいる。その感情がなかなか過ぎ去らないのは、足で踏みつけているからだ。逃れるには、まずこの事に気付かねばならぬ。

他者の想念は光のようなものだから、いろんな方向に影がさしている。そのいくつかを踏んづけているのだ。そのままでも別段構わない事が多いが、囚われていると感じるのなら、光の方向、影の向きに気付かねばならない。


ドラッグ

2016-09-17 10:23:28 | 日記
疲れているとき、ドリンク剤を飲んで一瞬元気になったような気もするが、胃には優しくなく、かえってもたれてしまう事がある。

そうとわかっていても凌がなければならないことだってあるが。

だが、クセになるのはよくない。

まあ、つまり、ドラッグ、だ。違法ではないドラッグが、身の回りにはたくさんある。これを用いてでも凌がなければなるない場面は、めったにない。(たまにあるが)焦っていても深呼吸して一息おいて、「キキそうなクスリ」に手を出すのはなるべくガマンすべし。

ぎこちなくても

2016-09-16 17:46:34 | 日記
何も考えていなくても、自動的に動く事ができるようになるまでは習熟したとは言えない。考えて次の動作に移るのは、どこかぎこちない。
避けて通る事は出来ないことだから、ぎこちないのを怖れる必要はない。続ければ、それは必ず卒業できる。
恥もかくだろうし、悔しい思いもするけど、続ければ、卒業できる。習熟すれば、全部思い出でしかない。思い出は多いほうがいい。だから怖れることはない。