なんでそうなるのか

青森県八戸市で公務員試験塾オクトを主催する岡政也のブログです。

苦労

2014-03-26 12:30:53 | インポート
 苦労といっても、乗り越えられる苦労もある。
 乗り越えられる苦労は、そのただなかにいるとき、苦労とはあまり思わない。なんかしんどいけど、まあそれが当たり前、の状態だと思っている。そしてふり返ってみて、あの時と同じことはもうできないなあ、と感じたとき、あれは苦労だったのだ、と思い当たる。
 さらに時間がたつと、苦労自慢が始まるのだが、その頃には、厳しい境遇で鍛えられた筋肉の上に贅肉がしっかりついていて、心身ともに丸くなっている。

 あとのことはまあいい。苦労を苦労と感じていない、ということは、厳しい環境に適応している、ということだ。その適応の過程こそが、自分を鍛えるということに他ならない。苦労を苦労と感じなくなった時、自分のレベルは上がっている。



潔よい

2014-03-25 13:40:03 | インポート
 潔い、というのは肯定的な価値だが、これは非常にバランスが大事だ。
あっさりあきらめるのでは頑張りが足りない、ということになる。

 つまらない未練を素早く断ち切って次に気持ちを切り替えられる。
自分の行動を反省し、非を認める。

 などができる、ということだろう。
が、粘り強い、というもう一つの価値は逆側にある。

 何らかの責任を取るような場合は潔くあるべきだ。が、何かに取り組んで成し遂げようとする場合は、少々見苦しくても粘りが必要なことが多いように思う。



断続もまた力なり

2014-03-24 15:31:14 | インポート
 社会人の場合、断続もまた力なり、ではないだろうか。
もちろん継続のほうがいいのだが、そうもいかない事情も多々ある。

 いったん休止していたことを復活させるのは結構しんどい。が、インターバルをとることにはメリットもあるような気がする。
なるべく毎日やるが、できない日があっても気持ちを切らさずにいたい。



やればできるはず

2014-03-23 19:10:21 | インポート
 才能を生かし切れている人、は意外と少ない。身の周りには「やればできるやつ」は、たくさんいる。
しかし実際には忙しいとかしんどいとか、いろいろな理由をつけてやらない。そうこうしているうちに年月は立ち、才能は埋もれてくすんで、心にあれこれ悪さをするようになる。

 毎日に満足し心穏やかな日々を送るのならそれでいいが、多くの人にとって絵に描いた餅だ。「やればできたはず」という無用なプライドで自家中毒を軽く患いながら生きていく。

 そうならないようにするために、毎日前進する意思を発揮しなければ。昨日と同じで良し、と思ってしまうのは後退だ。なにも形に見える一歩でなくてもいい。前に向かって歩いていれば、心地よい風を感じることができる。それでいいと思う。


2014-03-22 16:25:33 | インポート
 最初から志があるのなら話は簡単だが、それほど立派な人ばかりでもあるまい。
何かを成し遂げたい、と願うのは、物事に取り組んでいく過程において芽生えてくることが大半だ。
志をもて、というより、まずはやってみよ、と言うほうが有効なアドバイスだ。

 すべてはうつろい、変化の中に我々の生はある。動作を伴って初めて心が動いていくことのほうが多い。