さて、ぬえは普段の舞台では地謡を謡っている事がほとんどなのですけれども、その折におワキが登場される場面を毎度つぶさに拝見しています。そして、おワキのお流儀によって演技のいろいろな面で微妙な違いがあるのだな、という事をよく思うのですけれども、そう思う以上にはあまり深くは考えた事がない。
この度師家の月例会で『藤』の地謡に出ていて、この、観世流だけが後世に改作されたために他流と内容が異なっている、という曲におつき合い下さっているおワキ(この時のおワキは宝生流)の苦労を考え、また先日の新潟薪能では、観世流の詞章と同一の本文を持つ福王流のおワキがお相手の舞台を見て、おワキのお流儀による違い、という事を少しく考えました。
ここで ぬえが見たおワキのお流儀による演技の違いを列挙してみると。。
【次第】でワキとワキツレが登場した場合。。
ワキが舞台に入り、脇座の方まで出るとき、
《福王流》ワキツレも角と脇正まで出(ワキは脇座より立ち戻り)ヤア、ヨーイとワキへ向き合い、ワキツレのみツメ足あり、打切を聞いて謡い出し。
《宝生流》ワキツレは後見座前に立ったまま舞台に入らず、ワキが立ち戻る時に舞台の角と脇正まで出、ワキと向き合い、ヤ、ハ、ハアと大小鼓の掛け声に合わせてツメ足、打切を聞いて謡い出し。
宝生流のワキツレが、ワキが立ち戻るまで後見座前に控えているのは、ワキが目立つようにする工夫、というだけでなく、囃子方にとっても好都合なのだと思います。大小鼓はワキ一同が橋掛りを歩んでいる間は「ツヅケ」という同じ手組をずっと打ち続けていて、ワキが舞台に入り、脇座で立ち戻りの型をすると「サシ打切」という、謡い出しのための手に移行するのです。ところがたとえば『殺生石』や『遊行柳』のように大小前に大きな石や塚の作物が出される場合、大鼓がトメの手組に変えるときに、肝心のワキの姿が大鼓からは見えないはずなのです。こういう時におワキの流儀が宝生流であれば、ワキツレの型を見れば(ワキツレの立ち位置からはワキの型を見ることができる)、トメの手組を打つタイミングが見計らえるはずです。福王流の場合でもワキツレの動向を見ればワキの型がどこまで進んでいるのかの検討はつくとは思いますが、これは宝生流の型の方がより確実だと言えるでしょう。(本当にそうなのかどうか、次回のお舞台でお囃子方に聞いてみることにしましょう)
【道行】のトメ
「~に着きにけり」と、ワキ一同は旅をしてきた結果として物語の舞台となる、ある土地に到着します。ワキは「急ぎ候ほどに、これは早○○に着きて候」などと【着きぜりふ】を述べ、この土地にしばらく留まることを宣言します。そのときのワキのセリフ「しばらくこの所に逗留し、心静かに一見せばやと存じ候」など、に対して、ワキツレは同意する事を表明します。パターン化された演技なのですが、このワキツレの言葉がおワキのお流儀によって違いますね。
《福王流》ワキツレ「然るべう候」
《宝生流》ワキツレ「尤もにて候」
※高安流については普段あまり拝見する機会がありませんでしたので、今回は比較しないでおきます。。
この度師家の月例会で『藤』の地謡に出ていて、この、観世流だけが後世に改作されたために他流と内容が異なっている、という曲におつき合い下さっているおワキ(この時のおワキは宝生流)の苦労を考え、また先日の新潟薪能では、観世流の詞章と同一の本文を持つ福王流のおワキがお相手の舞台を見て、おワキのお流儀による違い、という事を少しく考えました。
ここで ぬえが見たおワキのお流儀による演技の違いを列挙してみると。。
【次第】でワキとワキツレが登場した場合。。
ワキが舞台に入り、脇座の方まで出るとき、
《福王流》ワキツレも角と脇正まで出(ワキは脇座より立ち戻り)ヤア、ヨーイとワキへ向き合い、ワキツレのみツメ足あり、打切を聞いて謡い出し。
《宝生流》ワキツレは後見座前に立ったまま舞台に入らず、ワキが立ち戻る時に舞台の角と脇正まで出、ワキと向き合い、ヤ、ハ、ハアと大小鼓の掛け声に合わせてツメ足、打切を聞いて謡い出し。
宝生流のワキツレが、ワキが立ち戻るまで後見座前に控えているのは、ワキが目立つようにする工夫、というだけでなく、囃子方にとっても好都合なのだと思います。大小鼓はワキ一同が橋掛りを歩んでいる間は「ツヅケ」という同じ手組をずっと打ち続けていて、ワキが舞台に入り、脇座で立ち戻りの型をすると「サシ打切」という、謡い出しのための手に移行するのです。ところがたとえば『殺生石』や『遊行柳』のように大小前に大きな石や塚の作物が出される場合、大鼓がトメの手組に変えるときに、肝心のワキの姿が大鼓からは見えないはずなのです。こういう時におワキの流儀が宝生流であれば、ワキツレの型を見れば(ワキツレの立ち位置からはワキの型を見ることができる)、トメの手組を打つタイミングが見計らえるはずです。福王流の場合でもワキツレの動向を見ればワキの型がどこまで進んでいるのかの検討はつくとは思いますが、これは宝生流の型の方がより確実だと言えるでしょう。(本当にそうなのかどうか、次回のお舞台でお囃子方に聞いてみることにしましょう)
【道行】のトメ
「~に着きにけり」と、ワキ一同は旅をしてきた結果として物語の舞台となる、ある土地に到着します。ワキは「急ぎ候ほどに、これは早○○に着きて候」などと【着きぜりふ】を述べ、この土地にしばらく留まることを宣言します。そのときのワキのセリフ「しばらくこの所に逗留し、心静かに一見せばやと存じ候」など、に対して、ワキツレは同意する事を表明します。パターン化された演技なのですが、このワキツレの言葉がおワキのお流儀によって違いますね。
《福王流》ワキツレ「然るべう候」
《宝生流》ワキツレ「尤もにて候」
※高安流については普段あまり拝見する機会がありませんでしたので、今回は比較しないでおきます。。