さて女川町の町民野球場仮設住宅での公演は、付属の集会所で行われました。
ここの集会所もまた。。プレハブ造りの一般的な仮設集会所とは一線を画していますね~。やはりログハウス風というか山小屋風というか、高い天井に入口は大きくガラス戸が開いていて、開放感がいっぱい。集会施設、というよりは子どもたちの遊び場のような明るさに満ちた空間でした。ほおらほら、子どもたちも伊藤さん目当てに集まってきましたよ?
ちょっとした控室も、伊藤さんらスタッフさんの事務スペースもちゃあんとあって、ぬえは伊豆の知人から支援頂いたマンガ本を寄贈し、また集会所の一角に面や扇を飾るミニ・展示コーナーも作りました。今回の訪問では展示コーナーが作れたのはこの女川町民野球場仮設だけでしたが、展示だけのために面や扇を用意した手間も、ここでは本当にやってよかったと思っています。
さて着替えて能『羽衣』を上演しました。
どうも。。着替えているときから見所が賑やかだな。。とは思っては居たのですが、さて ぬえが登場してみると、この広い集会所にあふれんばかりのお客さまが集まっていらっしゃいます(!)。
ざっと拝見申し上げたところ。。数十人がいらっしゃったのではないでしょうか。それも、上演中にだんだと住民さんや子どもたちも集まってこられて、入口の外に立ったままご覧になっているお客さまも増えてきました。う~ん、仮設住宅での上演としては過去最大の住民さんにご覧になって頂いたかもしれません。
終演後は恒例の記念撮影。トップ画像がそれです…逆光になってしまいましたが、にぎやかな様子はおわかり頂けると思います。何人かの住民さんとツーショットの記念写真も撮りましたが、能を熱心に見てくれて、記念写真も一緒に撮ったこの男の子が印象的でした。
お囃子の体験コーナー。笛のTさんと太鼓のYさんが懇切丁寧に能の楽器を解説し、実際に触って頂いて。「鳴った、鳴ったあ!」と歓声をうれしく聞きながら ぬえは装束を脱いで洋服に着替えます。
そうしてお囃子方とバトンタッチして、今度は ぬえの装束着付け体験コーナー。。これがまた、忘れられない事になりました。
このときは唐織の着流しを住民さんの一人に着付けてさしあげて。なんでも日舞の先生だったというこの方。着付けが出来上がって扇を持って頂き、それならばと少しだけ型を教えて演じて頂きました。住民さんも大喜びで盛んに拍手が出ました。。までは良かったのですが。
体験コーナーもすべて終わって、さてさて解散になったとき、先ほど唐織を着た方が ぬえに話しかけてこられました。
日舞の先生だったんですってね~。道理で能の型も決まっていましたね~。なんて軽口を叩いている ぬえに、この方が話してくれた事は。。
もとは日舞をやっていたのですが。。津波で主人を亡くしてしまって。。それ以来、なにもする気が起こらなくて。。踊りもそれ以来ずっとやっていません。。でも今日は能が見られると聞いてやってきて。。そのうえ能装束まで着せて頂いて。。
こう ぬえに話してくださり、ぬえらの訪問に感謝してくださったそのお顔には大粒の涙が。。
ぬえはもう何と言って良いのかわかりませんでした。
被災地支援、なんて最初こそカッコいい事を言っていた ぬえらの活動も、もう、最初の2~3回目からは東北の、あの優しい おばあちゃんたちに会いたくて通っているようなものです。ぬえなんぞにはあの住民さんたちのお心の深いところには立ち入るすべも、またそんな事をするべきでもないんだけれど、悲しみを乗り越えて、明るく復興に向けて進んで行かれるあの住民さんたちと一緒に楽しい時を過ごせれば、それで良かったのです。いつのまにか ぬえたちの活動は、こんな形に自然に移っていきました。
しかし、やはりどう考えてももの凄い悲劇がこの土地に起こったのです。ぬえらは「能楽の心と癒やしプロジェクト」を名乗ってはいますが、いまこうして現実にその悲しみに直面したときに、その悲しみに寄り添う事が ぬえなんぞにできるのか。。? 能楽が持つ癒しの力は、それは強力だと思いますが、個人の演者としての ぬえがそれをお伝えする事は、はたしてどこまで出来ているのだろうか。。ましてや悲劇の当事者ではない ぬえがこの悲しみを共有する事なんて不可能でしょう。
。。こんな事を、この日は考えてしまいました。それでも、ぬえたちの能は住民さんたちのお気持ちの中にいつの間にか寄り添っていたんですね。問題は、ぬえにその覚悟がなかったことでしょう。。そういえば ぬえは被災地での活動を、もう13ヶ月続けているのですが、涙を流しながら体験を語って頂き、感謝されたのはこの日が初めてだったのではないかと思います。。いや、正直、どこまで行っても部外者の ぬえに日が訪れるとは思っていなかった、というのが真実か。
どうやって活動をするべきなのか。。もう1回。。自分に立ち戻ってみる必要がありそうです。。ぬえ。
ここの集会所もまた。。プレハブ造りの一般的な仮設集会所とは一線を画していますね~。やはりログハウス風というか山小屋風というか、高い天井に入口は大きくガラス戸が開いていて、開放感がいっぱい。集会施設、というよりは子どもたちの遊び場のような明るさに満ちた空間でした。ほおらほら、子どもたちも伊藤さん目当てに集まってきましたよ?
ちょっとした控室も、伊藤さんらスタッフさんの事務スペースもちゃあんとあって、ぬえは伊豆の知人から支援頂いたマンガ本を寄贈し、また集会所の一角に面や扇を飾るミニ・展示コーナーも作りました。今回の訪問では展示コーナーが作れたのはこの女川町民野球場仮設だけでしたが、展示だけのために面や扇を用意した手間も、ここでは本当にやってよかったと思っています。
さて着替えて能『羽衣』を上演しました。
どうも。。着替えているときから見所が賑やかだな。。とは思っては居たのですが、さて ぬえが登場してみると、この広い集会所にあふれんばかりのお客さまが集まっていらっしゃいます(!)。
ざっと拝見申し上げたところ。。数十人がいらっしゃったのではないでしょうか。それも、上演中にだんだと住民さんや子どもたちも集まってこられて、入口の外に立ったままご覧になっているお客さまも増えてきました。う~ん、仮設住宅での上演としては過去最大の住民さんにご覧になって頂いたかもしれません。
終演後は恒例の記念撮影。トップ画像がそれです…逆光になってしまいましたが、にぎやかな様子はおわかり頂けると思います。何人かの住民さんとツーショットの記念写真も撮りましたが、能を熱心に見てくれて、記念写真も一緒に撮ったこの男の子が印象的でした。
お囃子の体験コーナー。笛のTさんと太鼓のYさんが懇切丁寧に能の楽器を解説し、実際に触って頂いて。「鳴った、鳴ったあ!」と歓声をうれしく聞きながら ぬえは装束を脱いで洋服に着替えます。
そうしてお囃子方とバトンタッチして、今度は ぬえの装束着付け体験コーナー。。これがまた、忘れられない事になりました。
このときは唐織の着流しを住民さんの一人に着付けてさしあげて。なんでも日舞の先生だったというこの方。着付けが出来上がって扇を持って頂き、それならばと少しだけ型を教えて演じて頂きました。住民さんも大喜びで盛んに拍手が出ました。。までは良かったのですが。
体験コーナーもすべて終わって、さてさて解散になったとき、先ほど唐織を着た方が ぬえに話しかけてこられました。
日舞の先生だったんですってね~。道理で能の型も決まっていましたね~。なんて軽口を叩いている ぬえに、この方が話してくれた事は。。
もとは日舞をやっていたのですが。。津波で主人を亡くしてしまって。。それ以来、なにもする気が起こらなくて。。踊りもそれ以来ずっとやっていません。。でも今日は能が見られると聞いてやってきて。。そのうえ能装束まで着せて頂いて。。
こう ぬえに話してくださり、ぬえらの訪問に感謝してくださったそのお顔には大粒の涙が。。
ぬえはもう何と言って良いのかわかりませんでした。
被災地支援、なんて最初こそカッコいい事を言っていた ぬえらの活動も、もう、最初の2~3回目からは東北の、あの優しい おばあちゃんたちに会いたくて通っているようなものです。ぬえなんぞにはあの住民さんたちのお心の深いところには立ち入るすべも、またそんな事をするべきでもないんだけれど、悲しみを乗り越えて、明るく復興に向けて進んで行かれるあの住民さんたちと一緒に楽しい時を過ごせれば、それで良かったのです。いつのまにか ぬえたちの活動は、こんな形に自然に移っていきました。
しかし、やはりどう考えてももの凄い悲劇がこの土地に起こったのです。ぬえらは「能楽の心と癒やしプロジェクト」を名乗ってはいますが、いまこうして現実にその悲しみに直面したときに、その悲しみに寄り添う事が ぬえなんぞにできるのか。。? 能楽が持つ癒しの力は、それは強力だと思いますが、個人の演者としての ぬえがそれをお伝えする事は、はたしてどこまで出来ているのだろうか。。ましてや悲劇の当事者ではない ぬえがこの悲しみを共有する事なんて不可能でしょう。
。。こんな事を、この日は考えてしまいました。それでも、ぬえたちの能は住民さんたちのお気持ちの中にいつの間にか寄り添っていたんですね。問題は、ぬえにその覚悟がなかったことでしょう。。そういえば ぬえは被災地での活動を、もう13ヶ月続けているのですが、涙を流しながら体験を語って頂き、感謝されたのはこの日が初めてだったのではないかと思います。。いや、正直、どこまで行っても部外者の ぬえに日が訪れるとは思っていなかった、というのが真実か。
どうやって活動をするべきなのか。。もう1回。。自分に立ち戻ってみる必要がありそうです。。ぬえ。