そして上演する側から言わせてもらえば、この曲にはナゾがいっぱいです。
まず有髪で出家もしていない求道者という人間像がよくわからない。『花月』や『自然居士』も同じたぐいの人間なのでしょうが、どうもそれぞれの役の性格はかなり違うようです。『花月』はふだん清水にはいるけれども求道者というよりはまだ幼い少年という風情で、友達(間狂言)と遊ぶ、という場面がいくつも出てくるし、『自然居士』は雲居寺という寺に居を定める住職で、やはり東岸居士のような漂泊の求道者という香りはしません。
東岸居士は、今日はたまたま橋の勧進をしているけれども、その目的が成就してしまったら またふらりとどこかへ旅だってしまいそうな、そんな危うさも感じさせる人で、そうだなあ、シテというよりは ちょうどワキ僧のような感じの人なのではないか、と ぬえは考えています。まさに求道者という言葉がぴったり。故郷を問われて「むつかしの事を問ひ給ふや。もとより来る所もなければ出家と云うべき謂はれもなし。出家にあらねば髪をも剃らず、衣を墨に染めもせで、ただ自づから道に入って、善を見ても進まず智を捨てても愚ならず。。」と答えるところは、花月が自分の名前を問われて「月は常住にして言うに及ばず。さて「くゎ」の字はと問えば、春は花、夏は瓜。秋は果、冬は火。因果の果をば末後まで一句のために残す」と言うのに似ていますが、花月の言葉遊びとは違って東岸居士はすでに自分の存在の意味を自分に問うた果てに獲得した言葉のように聞こえますね。
そして東岸居士は自然居士を「先師」と呼んでいます。東岸居士だけでもわからないのに自然居士の弟子? そしてワキはさきほどの東岸居士の故郷を尋ねるときに、こう問うのです。「さてさて東岸西岸居士の郷里は何処如何なる人の父母を離れし御出家ぞや」 。。ははあ。。西岸居士というのもいるのかあ(やっぱり)。。
そして二つの舞。『東岸居士』のシテは最初に「中之舞」を舞い、クセの後に「鞨鼓」を舞うのですが、やはり二つの舞を舞う『自然居士』とはかなり意味は違っていて、最初の「中之舞」はワキに「またいつもの如く謡うて御聞かせ候へ」と促されて「狂言綺語をもって讃仏転法輪の真の道に入る」と考えて舞う舞。そしてその後に述べられる長大なクセは。。これは一遍上人の言葉ですね。さらにワキに鞨鼓を打つことを所望されて「鞨鼓」を舞いますが、キリに「さざ波は簓、打つ波は鼓。何れも何れも極楽の歌舞の菩薩の御法とは聞きは知らずや」と言っているように、じつはシテの行動は常に説教の意味を持っています。間狂言に「面白きもの」を見ることを求めて東岸居士に会ったワキの、何気ない所望に応えているように見えながら、じつは東岸居士はワキに仏説を説いているのですね。ワキが旅人。。すなわち俗人に設定されているのも、あながち意味がない事ではないようです。
それにしても、この「中之舞」と「鞨鼓」は、どうして同じ「破掛り」で始まるのでしょうかね? 演者はこういうところの方がむしろ気になるのですが、「鞨鼓」の笛の譜は「中之舞」から始まって、途中で「鞨鼓」独特の譜になり、最後はまた「中之舞」に戻るのです。だから「中之舞」と「鞨鼓」は重複している部分があります。同じくこの二つの舞を舞う『自然居士』では重複を避けるためでしょう、「鞨鼓」の最初の「中之舞」の部分を省略して、いきなり「鞨鼓」の譜から演奏しはじめるのです。ところが『東岸居士』では重複はそのままで「中之舞」に始まり「中之舞」に終わる常の「鞨鼓」。これはお囃子方も不思議に思っている方があるようです。能の演出は重複をとっても嫌う傾向にあるのに、これはなぜ? ぬえも今回は結論には達しませんでしたが、『東岸居士』は古来あまり上演頻度も高くなかったようで、昔の「内」「外」と、人気曲と不人気曲を分類していた謡本が刊行されていた時代には案外「外」に分類された曲の中には演出の研究が徹底されていないのかな? と思わせる曲もないわけではないので、『東岸居士』もそのような曲の一つなのかもしれません。
まず有髪で出家もしていない求道者という人間像がよくわからない。『花月』や『自然居士』も同じたぐいの人間なのでしょうが、どうもそれぞれの役の性格はかなり違うようです。『花月』はふだん清水にはいるけれども求道者というよりはまだ幼い少年という風情で、友達(間狂言)と遊ぶ、という場面がいくつも出てくるし、『自然居士』は雲居寺という寺に居を定める住職で、やはり東岸居士のような漂泊の求道者という香りはしません。
東岸居士は、今日はたまたま橋の勧進をしているけれども、その目的が成就してしまったら またふらりとどこかへ旅だってしまいそうな、そんな危うさも感じさせる人で、そうだなあ、シテというよりは ちょうどワキ僧のような感じの人なのではないか、と ぬえは考えています。まさに求道者という言葉がぴったり。故郷を問われて「むつかしの事を問ひ給ふや。もとより来る所もなければ出家と云うべき謂はれもなし。出家にあらねば髪をも剃らず、衣を墨に染めもせで、ただ自づから道に入って、善を見ても進まず智を捨てても愚ならず。。」と答えるところは、花月が自分の名前を問われて「月は常住にして言うに及ばず。さて「くゎ」の字はと問えば、春は花、夏は瓜。秋は果、冬は火。因果の果をば末後まで一句のために残す」と言うのに似ていますが、花月の言葉遊びとは違って東岸居士はすでに自分の存在の意味を自分に問うた果てに獲得した言葉のように聞こえますね。
そして東岸居士は自然居士を「先師」と呼んでいます。東岸居士だけでもわからないのに自然居士の弟子? そしてワキはさきほどの東岸居士の故郷を尋ねるときに、こう問うのです。「さてさて東岸西岸居士の郷里は何処如何なる人の父母を離れし御出家ぞや」 。。ははあ。。西岸居士というのもいるのかあ(やっぱり)。。
そして二つの舞。『東岸居士』のシテは最初に「中之舞」を舞い、クセの後に「鞨鼓」を舞うのですが、やはり二つの舞を舞う『自然居士』とはかなり意味は違っていて、最初の「中之舞」はワキに「またいつもの如く謡うて御聞かせ候へ」と促されて「狂言綺語をもって讃仏転法輪の真の道に入る」と考えて舞う舞。そしてその後に述べられる長大なクセは。。これは一遍上人の言葉ですね。さらにワキに鞨鼓を打つことを所望されて「鞨鼓」を舞いますが、キリに「さざ波は簓、打つ波は鼓。何れも何れも極楽の歌舞の菩薩の御法とは聞きは知らずや」と言っているように、じつはシテの行動は常に説教の意味を持っています。間狂言に「面白きもの」を見ることを求めて東岸居士に会ったワキの、何気ない所望に応えているように見えながら、じつは東岸居士はワキに仏説を説いているのですね。ワキが旅人。。すなわち俗人に設定されているのも、あながち意味がない事ではないようです。
それにしても、この「中之舞」と「鞨鼓」は、どうして同じ「破掛り」で始まるのでしょうかね? 演者はこういうところの方がむしろ気になるのですが、「鞨鼓」の笛の譜は「中之舞」から始まって、途中で「鞨鼓」独特の譜になり、最後はまた「中之舞」に戻るのです。だから「中之舞」と「鞨鼓」は重複している部分があります。同じくこの二つの舞を舞う『自然居士』では重複を避けるためでしょう、「鞨鼓」の最初の「中之舞」の部分を省略して、いきなり「鞨鼓」の譜から演奏しはじめるのです。ところが『東岸居士』では重複はそのままで「中之舞」に始まり「中之舞」に終わる常の「鞨鼓」。これはお囃子方も不思議に思っている方があるようです。能の演出は重複をとっても嫌う傾向にあるのに、これはなぜ? ぬえも今回は結論には達しませんでしたが、『東岸居士』は古来あまり上演頻度も高くなかったようで、昔の「内」「外」と、人気曲と不人気曲を分類していた謡本が刊行されていた時代には案外「外」に分類された曲の中には演出の研究が徹底されていないのかな? と思わせる曲もないわけではないので、『東岸居士』もそのような曲の一つなのかもしれません。