ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第22次支援活動<気仙沼市・登米市>(その1)~仙台で後見の稽古

2014-05-30 15:56:56 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ようやく今月の活動のご紹介にこぎつけました~。去る5月18日(日)と19日(月)の2日間、宮城県気仙沼市の煙雲館と登米市の柳津虚空蔵尊さまにて能楽ワークショップを行って参りました。

今回は2つの上演ともワークショップで、これもプロジェクトとしてかつてない活動内容です。そうしてこの2回の公演とも、これもプロジェクトとして初めて有料上演とさせて頂きました。というのも震災3年を経てプロジェクトの活動資金がとうとう枯渇の危機にさらされる状態に陥り、そのために活動の方針も少々修正せざるを得ない状況になったためです。

震災3年目に至りすでにプロジェクトに継続的に募金を頂くことは皆無に近くなりました。実際には現在でも隔月という間隔で募金頂ける方は少数ながらあるのですが、どうやらプロジェクトはこれでもボランティア団体としては幸運な例のようです。「毎月募金くださる方がある? 被災地によほど根付いた団体でもなければ、そんな団体はもうないですよ」と他のボランティア団体から ぬえが言われたのが去年の今頃ではなかったかと思います。そうして、熱い思いは持ちながら活動資金の問題で支援活動から撤退したボランティア団体を ぬえでさえこれまでにいくつ見てきたことか。。

息の長い支援というのはこれほど難しいことなのですね。この時期に至って ぬえは初めて思い知りました。これまでも活動には節約を心がけてきましたし、活動を継続するためによく支出を計算して、その結果ゲストの能楽師や音楽家などの交通費も自弁を強いることも度々でしたが。。それでもこの難関から逃れることはできなかったのです。

このとき、他のボランティア団体から ぬえにアドバイスを頂いて、いわく「東京で資金を集めて被災地でそれを使い果たす支援のあり方の時期は過ぎたと思います」「これからは有料の催しも始めるべきで、活動の場が仮設住宅であっても、本物を見せるのならば少額であっても有料にすべきです」と。

これは半年くらい前に ぬえに頂いたアドバイスで、以来 ぬえはずっと逡巡を繰り返してきました。一方、ぬえらプロジェクトの活動でも仮設住宅や仮設商店街の慰問のほかに「文化の復興」を指標とした催しを展開して参りました。すなわち被災地に疑似プラネタリウムを出現させて音楽と能の上演を行う「星と能楽の夕べ」公演。またそれの簡略版のような位置関係になる「能とピアノの夕べ」公演。これらは被災住民さんだけでなく、広く被災地が芸術文化に気軽に親しめる街に再生できるように、と考えて行ってきたものです。

当時これら慰問ではない文化的な催しもすべて入場無料で行ってきたのですが、なるほど、これらを「イベント系」の企画を慰問上演と切り離して考えることは不可能ではないかもしれない、とは漠然と考えていました。前述の他ボランティア団体さんの言う「仮設住宅でも有料に。。」という考え方は どうしても ぬえには共感できなかったのですが、いざ自分が活動資金で苦労するようになると、こうして慰問と切り離した上演を有料にする事は現実味を帯びてきたのです。

こうしてこの5月にまずは実験的に有料公演を実施してみる事に決まったのは、ぬえらにアドバイスしてくださった他ボランティア団体との協調した計画だったのですが、その後この団体にも金銭的な問題が起こり、連絡が取れなくなり。。プロジェクトの独自の採算によって実施することになりました。ホントに一時はどうなることかと。。

ところが活動を終えた今、関係者の努力や参加者のご厚意によって、これまで通り節約を旨とすれば本年に予定している活動は実施可能の目途がつくところまで状況は改善されつつあります。今回の活動は実験的な有料公演のみのものではありましたが、今後も継続してこのような催しを行うことになります。一方仮設への慰問を怠ることがないよう自分へ戒めをもって、また企業スポンサーなど協力者を探すことや、東京などでの活動報告会を開催して活動を周知させるなどの努力もして行かねばならないでしょう。

【5月17日(土)】

本来の活動は翌日からの予定でしたが、そこで上演する能『松風』には後見が必要で、しかもこの役は舞台上でシテの物着をする大役。これを引き受けてくれた気仙沼市民でプロジェクトの絶大な協力者である村上緑さんは、引き受けてからその役目の重要さと難しさに驚いたようで。。ちゃんと事前に説明はしたつもりなのですが、物着の手順などプリントを送ったらはじめて大役を実感したらしいです。

そこでこの日急遽 ぬえだけが先に出発して仙台で緑さんの稽古をつけることになり、昼頃に東京を発って夕方には仙台に到着しました。

緑さんのお仕事が終わってから、ご友人の方のおうちに宿泊する予定で、そこにて即席の稽古。ご友人はとても喜ばれて、そのうえこの方はお料理教室の先生。稽古が終わってからご馳走を頂き、あまつさえ(ぬえ、初対面なのに)宿泊までさせて頂きました~~。もう今回は急遽の仙台入りだったので車中泊を考えていたのに、初日からラッキーですぅ

画像はこのとき頂いたタケノコ。矢竹かしらん。美味。このほかにもホウレンソウに似てるけど味はニラ(!)という驚くべき野菜など、知らない食材をたくさん知りました。恐るべし東北の食文化。

決算報告書(2014.04.27~28)

2014-05-29 00:20:09 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第21次被災地支援活動
(2014年04月27日~28日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金       55,601円
     募金収入             10,000円
     活動時募金収入          57,929円         収入計  123,530円

 【支出の部】
  〈活動費〉 41,429円
    ◎交通費        39,599円
     (高速道路通行料         13,520円)
     (ガソリン代            7,946円)
     (ガソリン代            9,063円)
     (ガソリン代            9,070円)
    ◎印刷費        1,830円
     (チラシ印刷費           1,830円)        支出計    41,429円

 【収支差引残額】                          残額    82,101円

※注※
・今回の活動までに直接頂戴した募金1件(ハシモトさま)、現地活動中に頂いた募金5件(Paoさま、横山不動尊さま、タチバナさま、ムラカミさま、北野神社参詣のみなさま)がある。大変ありがたい事で各位に御礼申しあげる。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、休日・深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・4月1日より消費税が8%に増税となり、また高速道路利用料金も夜間割引の割引率が大幅に縮小となった。さらに休日割引もこの6月から縮小となる。一方震災から3年目を迎えてプロジェクトへの募金もほとんど皆無の状態で、活動の継続には大変な困難な状況である。このままでは活動資金面の問題から活動休止に追い込まれる恐れもあり、他のボランティア団体の活動も参考にして、被災地でも有料の上演を行うこととした。ただし当面のところ有料上演はイベントやワークショップに限り、会場の条件により募金を募る場合もある。さらに被災地以外の場所でも活動報告会を開いたり、引き続き企業スポンサーなどを探す努力を重ねるつもりである。銀行口座への募金も引き続き呼び掛けさせて頂く。息長い支援活動のために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成26年5月28日


                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com
↓領収証は次頁以下に添付




活動報告書(2014.04.27~28)

2014-05-28 23:49:11 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第21次被災地支援活動
(2014年04月27日~28日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに20度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る04月27日~28日の2日間に渡り宮城県・登米市および気仙沼市にて寺社での奉納上演を行いました(※注2)。

今回の活動は東北の桜の季節の訪問ということで、大変楽しみにしておりました。被災地での上演曲ではやはり『羽衣』が群を抜いて頻度が多いのですが、『羽衣』の季節は春で、まさに桜の季節に似合う能なのです。折しも登米市の横山不動尊さまでは春祭りが開かれるということで、そこでは昼には住民さんの演芸大会も行われますが、宵から夜にかけては音楽家による奉納演奏も行われるとのこと。寺院の祭典としては賑やかやで、プロジェクトも奉納させて頂くことになりました。

横山不動尊さまは大徳寺というのが正式な寺号ではありますがご本尊・不動明王坐像が「お不動さま」として古来当地で崇敬を集め、また親しまれております。明王像は国の重要文化財として指定されていますが、震災の地震に遭って損傷し、京都にて修復されていました。昨年その修復が完了し、同じように被災して修復された仏像・神像とともに東北歴史博物館で「神さま仏さまの復興」と題された特別展覧会で一堂に公開されました。この展覧会も終了して像は3年ぶりに大徳寺に戻り、今回はそれから初めての春祭りということで盛大なお祝いとして開催されました。横山不動尊のおとなりには仮設住宅も建っていて、住民さんも楽しまれたことと思います。

また気仙沼の北野神社も桜の名所として著名だそうで、ここでの奉納は気仙沼市民でありプロジェクトの良き理解者・協力者でもある村上緑さんが交渉してくださり、実現に至りました。震災後はボランティアの拠点としても使われた神社の境内に昨年新築なったばかりの神楽殿は、鏡板のような老松を描いた緞帳が設えられていて、大変立派なものでした。前月の活動で直接宮司さまとお会いして打合せも整っており、当日は開演前に小雨が降ったにもかかわらずチラシによる宣伝もあって70名ほどのお客さまにご参集頂きました。終演後神楽殿の上で簡単なワークショップを行い、またお客さまからは活動資金のための募金を頂戴致しました。関係各位に厚く御礼申しあげます。

なお北野神社での奉納上演は「気仙沼ケーブルネットワーク」さまにより取材が行われ、上演の模様は市内ケーブルテレビにて放映されたことを併せてご報告申しあげます。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
【協力者】(敬称略)
 村上緑/横山不動尊(大徳寺)/北野神社/気仙沼ケーブルネットワーク/門田慶之
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト/横山不動尊

【活動記録】(敬称略)
 4月27日(日)
八田・寺井早朝東京出発、往路福島県三春町の「滝桜」を見に立ち寄るも、前日の大風によってすべて散ってしまったあと。残念ながら宮城県を目指すも、時間が早いため石巻に立ち寄り関係者に挨拶を済ます。東京在住の建築家ながら石巻で活動を続ける天野美紀さんが経営する、地元の食材を活かす料理を提供するレストラン「日和キッチン」を初めて訪れることができた。

その後登米市に向かう途次でもあったので石巻市の大川小学校、またこちらは2年ぶりになる長面地区を視察。また翌月にワークショップを開催させて頂く柳津虚空蔵尊にお伺いして打合せを済ませ、ようやく登米市に到着。

◎横山不動尊 春祭り 奉納出演
18:00 ~ 能「羽衣」 出演(八田・寺井)
修復が済んだ不動明王坐像の帰還をお祝いする意味も込めた恒例の春祭り。不動堂のとなりに設けられた特設ステージでの上演。事前にご祈祷を受けて奉納上演をしました。露店も出て大変な賑わいで、能の上演の後高橋日出子さんとその友人のコンサート、仙台を中心に活動する母娘のユニット「Sonido del Viento」のコンサートも行われました。ステージの上方には桜の枝が伸び、四方には竹が立てられて竹灯籠が灯され、宵闇の中、桜の下での『羽衣』の上演が叶いました。

終演後大徳寺さまのお計らいで夕食を頂戴し、追分温泉の宿泊も手配頂きました。また大徳寺さまからは活動資金の提供を頂きました。何から何までご厚意を頂き大変感謝しております。

 4月28日(月)

笛のTさんの東京の生徒さんも伴って気仙沼へ。被災地を訪れるのは初めて、とのことだったので、途中で志津川の防災対策庁舎を訪れる。いわゆる震災遺構が気仙沼にはすでになくなっているので、このように初めて被災地を訪れる人に被害の実態を感じてもらう場所を紹介するのに苦労するのですが、やはり人命の被害があった場所を残すのには決着のつかない複雑な問題もあります。石巻の大川小学校の校舎は遺族から保存の声があがり、女川町でも中学生が声を上げたと聞いていますが。。

気仙沼で村上緑さんをピックアップ、まずは夏の活動のために気仙沼市内の中央公民館を訪れ、利用団体登録について相談。プロジェクトの資料をお渡ししたところ、館長さまのお計らいで団体登録のご許可を頂くことができました。

その後急いで北野神社へ。社務所にてご挨拶を済ませてすぐに神楽殿にて上演準備。だいたい用意ができたところで正式参拝を受けました。その後小雨が降ってきて心配するが、お客さまは70名ほど集まってくださいました。

◎北野神社奉納出演
13:30~ 能「羽衣」 出演(八田・寺井)
菅原秀紘宮司さまのご挨拶のあと笛のTさんの解説に続き能の上演。終了後、せっかくの機会なので神楽殿にて簡単な能楽ワークショップを行う。気仙沼ケーブルネットワークの取材あり。お客さまより活動資金の募金を頂戴しました。また終演後社務所にて菅原宮司さまのご厚意により昼食をご馳走になりました。まことにありがたく、感謝申しあげます。

これにて今回の活動は終了、Tさんの生徒さんが東京に帰ってから自宅に帰る交通機関の心配もあるので、急いで気仙沼を後にして帰京致しました。深夜にならずに東京・新橋に到着、ここにて解散となりました。


【収入・支出】

震災から3年が経ち、ほとんど募金が集まらなくなり、プロジェクトの活動資金は大変厳しい状況にあります。また一方この4月から消費税が増税となり、また高速道路利用料も休日・夜間割引の大幅な縮小が行われました。益々活動の継続は困難な状況にあり、プロジェクトではイベントに類する上演の場合やワークショップは有料で行う方針を立てています。

今回は過渡期で、2カ所の寺社での上演は奉納であるので無料ではありますが、北野神社では終演後に急遽ワークショップを行ったため募金を呼び掛け、お客さまは快く応じて頂けました。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動の繰越金が 55,601円という大変厳しい状況での活動でしたが、八田の生徒さんからの募金1件10,000円が事前に届けられました。また活動中は大徳寺さまからもご厚志を頂き、また往路に立ち寄った石巻でも仮設商店街のお店から募金を頂戴致しました。これによって今回の活動の中で頂いた募金の総額は57,929円となり、繰越金を含めた活動資金の総額は123,530円となります。

一方支出は、増税によるガソリン価格の高騰も現在までのところ影響は見られず、また東北までの往路は日曜であったため高速道路利用料は休日割引の対象となりました。さらに宿泊は横山不動尊さまのご厚意によってご用意頂きました。これによって支出はかなり切りつめられ、ガソリン代、高速道路利用料、チラシ印刷費の総額で41,429円に抑えることができました。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は寺社での2回の奉納上演のみの活動となりましたが、いずれも隣りに仮設住宅があったり、震災時にはボランティアを受け入れて復興の拠点となった場所です。プロジェクトとしてはここに敬意を払いつつ、桜が咲く時期に被災地にて『羽衣』を上演できたのが何よりもっての喜びです。活動資金の枯渇は活動の継続の可否を左右する大変大きな問題ではありますが、今回はお客さまや寺社のご厚意によって募金を頂戴することができ、活動の展望も開けてきたように思います。また今回も気仙沼市民の村上緑さんの活躍はめざましく、北野神社との交渉、宣伝チラシの配布などに尽力頂きました。改めまして御礼申しあげます。

震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていく事になります。息長い支援のために皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。

平成26年5月28日
                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その5)~気仙沼・北野神社奉納

2014-05-26 03:12:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【4月28日(月)】

朝、追分温泉で朝食まで頂いて、さて気仙沼に向けて出発。ここで笛のTさんの生徒さん。。東北ではなく東京の教室の生徒さんらしいですが、若い女の子が同乗することに。どうやら横山不動尊さまでの我々の能の上演を見るために わざわざお出でになったらしい。横山から気仙沼まで、また活動終了後は東京まで行動を一緒にすることになりました。当然気仙沼での活動はいろいろと手となり足となり手伝ってはもらいましたが、さすが若手。キビキビと動いて、なかなかの有能ぶりを見せてくれ、ずいぶん助かりました。



聞けば彼女は被災地に来るのは初めてだそうで、それならばというわけで横山から気仙沼に向かう途中に志津川の防災対策庁舎に立ち寄りました。いわゆる震災遺構を見せてあげようと思ったのですが、気仙沼には共徳丸が撤去されて以来、すでに遺構として見るべき場所は残されていません。難しい問題ですが、こうして震災から3年を経て、はじめて被災地にやって来る人はまだいるのです。こうした人に震災の恐ろしさを感じてもらい、東北から帰ってから周囲にそれを伝えてもらうためには、この日遺構に立ち寄ることは是非とも必要なことでした。

人命の被害が出た建物を遺構として保存するのは遺族には大変な心労を強いることになり、実際に地元の住民さんの意見によって「震災遺構」は次々と姿を消しているわけですが。。そうして ぬえの気持ちも、保存には反対であったのですが。共徳丸がなくなり、これから先は言葉だけで震災を伝えることになった時、ぬえは初めて気持ちを翻すことになりました。百聞は一見に如かず。やはり津波の破壊力を、そしてこの地で人々がどんな恐ろしい体験をしたのかを肌で感じるのに、遺構はあまりに雄弁です。よそ者だから言えることなのかも知れませんが、これらの遺構を残してほしい、と ぬえもいまは思っています。今から思えば石巻の木の屋さんの「鯨缶」。。あれは人命の被害もなかった遺構だから、なんとか残してほしかった。

やがて気仙沼に到着、昼食のコンビニ弁当を買って、奉納上演会場である北野神社に行きました。宮司さまにご挨拶してからすぐに神楽殿に楽屋入りをし、さて支度の目途もついたところでお祓いを受けました。書き忘れましたが前日の横山不動尊でも上演前にお願いしてご祈祷を受けさせて頂いております。

新築なったばかりの木の香りのする神楽殿は広々としてとても気持ちが良い舞台でした。しかも舞台の後方には鏡板のような老松の図の横断幕も用意してあって、これを垂らすことによって神楽殿は能舞台のような趣になります! ただ、ここはお客さまが見ている場所から見るととても高く、見上げるような形になってしまいます。それでここでも上演中に舞台を下りてみることにしました。う~ん、ただ、こちらの舞台の下には ほんの1m弱の奥行きの土台部分があるだけで。。面を掛けている ぬえが恐怖心を起こさずにここを下れるかしら。。?

結局 宮司さまが木製の低い簀の子を用意してくださり、これを所作台のように舞台下の土台に置くことによって、まずは舞台下の凹凸をなくし、かつ舞台から下りる段差をすこし軽減することができました。

やがて奉納の時刻となり、さきほどまで少々降っていた小雨もほとんどあがり、絶好のコンディションです。お客さまも。。あれ、この画像を見る限り70名ほどもいらっしゃったのではないかしら!





あ、一番手前に「ともしびプロジェクト」の杉浦さん一家が (^◇^;)



予定通り舞台からちょっとだけ下りることもできて、まずは良い上演だったと思います。この日も上演曲は『羽衣』。「南無帰命月天子」とシテが合掌するところは右横の方向に当たる本堂に向けて型をしました。





終了後、突然の思いつきで能楽ワークショップを行いました。なんせ広々とした神楽殿で、参詣のお客さまが舞台に上っても装束を広げたりするのに十分なスペースがあると思ったからで、能装束に触れられるこの機会はなかなか好評だったようです。お客さまからは活動資金として募金も頂戴し、大変ありがたいことでした。






それどころか、終演後に片づけをしていると宮司さまが頻りに「片づいたら社務所の方へ。。」と促されます。社務所に伺うと、なんとお食事を用意してくださっていて。。大変ありがたいことでした。。ぬえは例によって遠慮はまったくない人なのでバクバク頂戴してしまいました~ すんませ~ん。

これにて今回の活動は終了。まだ日も高いのでどこかに寄りたいなー、と 鹿折マルシェでおみやげなど買い込みましたが、あまり遅くなって深夜に東京に到着すのだとTさんの生徒さんが自宅に帰れない、ということもあって早々に一関に向かい、一路東北道を南下して東京に帰りました。時刻はかなり遅くなったのですが、新橋に到着できれば終電に間に合う、ということで、そこで解散。みなさんお疲れさまでしたー。

(この項 了。今回の上演の画像は吉田晶子さまがfacebookにアップしたものを拝借致しました)

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その3)~横山不動尊春祭り

2014-05-25 23:50:08 | 能楽の心と癒しプロジェクト
柳津で打合せのあと、横山不動尊さまに向かいましたが、指示された通り、まずは宿となる「追分温泉」にチェックイン。こちらは横山不動尊さまによってこの日に予定されている春のお祭りのイベントの出演者にわざわざ宿をご用意頂いたもので、ありがたくご厚意に甘えさせて頂きました。





それからようやく今日の上演会場の横山不動尊さまへ。到着すると門前から交通整理が行われている大変な賑わいでした。ご本尊である重文の巨大な不動明王像は震災により損傷を受け、京都に運ばれて修復を受けていました。昨年修復が完了すると多賀城市の東北歴史博物館で開かれた『神さま仏さまの復興』という特別展でほかの修復仏とともに展示され、これは ぬえも拝見に伺いました。この度の春祭りは不動像がいよいよお寺に戻ってから初のお祭りで、盛大にお祝いすることになって、そこでプロジェクトも能の上演でお邪魔させて頂くことになりました。





それにしても境内も露店が立ち並び、巨大な不動明王像を納める不動堂も、東北6県のの36におよぶ不動尊の出開帳が行われていて大変な賑わい。どこを楽屋にしようかな。。と思いましたが、良い天気で気候も良い時期でもあり、不動堂の後ろの地面にむしろを敷いて頂いて、ここを楽屋とすることにしました。

それでもひっきりなしに参詣のお客さまが不動堂の後ろにまで来られる。。あとで知ったことですが、不動像には胎内仏が納められていて、その霊験があまりに強力なため、胎内仏は後ろ向きに納められているのだそうです。それで参詣客が不動堂の後ろ側にまでいらっしゃったのですね。この日は不動明王の御前で舞うので、縫箔は少し強い文様のものに換えました。



やがて上演時刻が近づいてきました。この日は昼間から住民さんの演芸大会なども、これは別のステージで行われていたのですが、ぬえたちの出演は奉納を主眼とした宵まつりで、不動堂のすぐ隣りに仮設ステージが設けられました。段々と宵も迫ってきて仮設舞台には篝火も焚かれました。舞台の後方には山が迫り、舞台の四隅には竹が立てられ、シテはこれをかき分けるようにして登場することになります。舞台の前方には竹灯籠が淡く光を放ち、おとなりには青銅製の五重塔。そうして頭上には桜の枝。。

この日の上演は『羽衣』。もう東北でも何度も上演していて。。一番上演頻度の高い曲ですが、この日は桜の木の下での舞です。満開からは少々過ぎていましたが、まだまだここの桜は見事に咲き誇っています。能楽師ならば誰でもそうだと思いますが、『羽衣』を桜の木の下で舞うのは能楽師の念願ですね。ぬえにとってもこれは始めての経験でした。

こうして美しい宵の催しが始まりました。この日会場に到着して見てみると仮設ステージは低いもので、おまけに客席はそこから少し離れて作られていましたので、これは途中で舞台を下りて客席に近いところで舞うというアイデアはすぐに浮かびました。舞台の前には杉の枝が目隠しに敷かれていましたので、そこをうまく越えて行けるかが少々心配ではありましたが、開演前に何度か試してみて、まあ大丈夫であろう、という確信は得ました。日が陰ってくるとまた感じが変わるので気を抜くわけにはいかないですが。。









上演ではなんとか舞台から下りることができ、まずひと安心。もっとも舞台下で舞い終えて舞台に戻るときに、ぬえはうまく方向を見定めて舞台に戻ったつもりだったのですが、実際には舞台の正面より少し右に外れて舞台に上がったようで、そのために長絹の露が竹灯籠の上に触れて、お客さまは燃え上がるのでは、とヒヤヒヤしたそうですが。。ま、一瞬のことだから、さすがに燃えるということはありません。

ぬえたちの能の上演のあと、登米市出身の高橋日出子さんと友人たちによるコンサートがあり、またそのあと仙台を中心に活躍する母娘の音楽ユニット「Sonido del Viento」のコンサートもありました。日出子さんのコンサートでは声楽のほかバイオリンとハープも登場、とは聞いていましたが、まさかグランドハープが持ち出されるとは思いもよらなかった。





終演後、お寺がご用意くださったお食事を頂戴して、宿舎である「追分温泉」に。結構な山道を通って行くのですが、途中でタヌキが歩いているのを発見! 。。と思ったら、夜更けになって温泉につかってからテラスに出て涼んでいると。。今度は ぬえの2m先にタヌキさんが登場しました。ありゃ、この山にはたくさんいるのね。

翌朝、二日酔いにもならずに(笑)起床して次の目的地、気仙沼の北野神社に向かいました。

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その2)~「日和キッチン」と大川小学校と長面と

2014-05-16 14:27:32 | 能楽の心と癒しプロジェクト
三春の滝桜が散っていて残念~な気持ちで再び走り出しました。この日は登米市の横山不動尊さんで出演の予定だったのですが、開演は夕方なので、とりあえず石巻に向かい、関係者にご挨拶だけ申しあげることにしました。

石巻。。前回こちらで上演したのは仮設商店街の「立町復興ふれあい商店街」さんの3周年記念のイベントでしたから、昨年の12月ですね。ずいぶん不義理を重ねてしまいましたが、観光協会や秋田屋庭園、そして立町商店街のみなさんのお元気な姿を拝見できてうれしかったです。朝食は初「日和キッチン」でした。





オーナーの天野美紀さん(写真:左の方)は東京在住の建築家で、震災直後から石巻でいろいろな活動を続けておられ、昨年の春にここ「日和キッチン」をオープンされました。こちらもご多分に漏れず被災建物で、それを東京の仲間と一緒にみごと改装し、石巻の食材を活かした料理を気軽に食べられるお店として生まれ変わらせたのです。天野さんは東京での仕事もあるので毎週末、夜行バスを利用して東京から石巻に通っておられるのですって! ここにも震災後の活動から東北大好きになっちゃった方が。

さてまだ時間も早いので、登米市に向かうのと まあ方角が近いので、大川小学校と長面地区の現状を見に行きました。

大川小学校はきれいな祭壇が整えられ、校庭跡には慰霊碑も建てられていますが、周囲になにもなくなった中に、立ち入りを制限するロープが張り巡らされた校舎がポツンと建っているだけ。それでも校舎に手を合わせる人の姿が絶えたのを見たことがない場所です。







現在、石巻市により検証委員会が立ち上げられてここで起きた大惨事の原因究明が進められていますが、様々なトラブルも起こって、真相究明には至っていないのが実情のよう。。ぬえの関心は、それ以外にもあって、先日ここで追悼のためのアコーディオンのコンサートが開かれたというニュースがありました。プロジェクトでは仮設住宅や仮設商店街では上演をしますが、いわゆる震災遺構では ほとんど上演をしたことがありません。やっぱり人的な被害が出た場所では、鎮魂や慰霊の意味がある能楽であっても、どうしてもイベントとして見られてしまうかな。。と ぬえ自身が躊躇していた、ということもあるのですが。。

が、これまで当地で出会った音楽家とか舞踏家の方の中には、意外に震災遺構の前で上演しておられる方がありますね。そういう画像が名刺に刷り込んであったり。。ちょっと違和感も覚える ぬえではありますが、またそれらの上演は必ずしも関係機関に許可を得ての上演ばかりでもないようですが。。 それでも大川小学校の前での能の奉納はしてみたいと考えています。今後関係者の方とお話しさせて頂こうかしら。。

ところがこの日、大川小学校の前でとんでもない事が。。

それは破壊された校舎を見ながら談笑する おばさんたち。ご遺族が聞いたらたちまち怒声が起こるような、ちょっとここでは書けないような冗談を大声で、笑いながら。。

。。風化、という言葉が頭をよぎりました。この人たちは慰霊の気持ちを持って訪れたのではなく、観光客だったのです。個人の人間性の問題かもしれないけれど、風化は悼みの気持ちにも起きるかもしれないです。今後ここがどうなっていってしまうのか。。最後に言っておきますが おばさん、神様は見てます。

大川小学校から海の方へ行って、長面地区にやって来ました。2年前ここに来たとき。。 知らぬ間にぬえの身に危険が迫ったらしく、東京に帰ってから ちょっとした騒動になりましたが。。その時の記事はブログからも削除してしまいましたし、みだりに人に話してもならない、と ある人から言われています。

それから月日は流れ、その人にも相談して、ようやく再びここを訪れることにしました。地区の大部分が地盤沈下で水没していた2年前と比べて、瓦礫の撤去も終わり、大規模にかさ上げ・埋め立てが行われていましたが、やはりあちこちに水たまり。。というか海が入り込んでいる、という様子は変わりない感じです。





驚いたのはこの車の残骸。未だにこういうものが残されていました。この地区は住民さんも激減しただろうし、街の再生には難しい問題もあるでしょう。復興までの道のりの遠さを感じる光景でした。



しかし内海のような長面浦の対岸、尾崎地区の方へ行ってみると、古いながら手の込んだ装飾のある神社があって、こちらでは住民さんとしばしお話させて頂きました。法印神楽のことを伺うと、たまたまこの日、北上川の対岸の吉浜地区でお祭りがあり、法印神楽も奉納されるだろう、とのこと。残念ながらそれを見るには時間がなく、長面を後にしました。

最後に柳津の虚空蔵尊さまに立ち寄って、5月に行う予定のワークショップの打合せ。

柳津虚空蔵尊は横山不動尊と同じく神仏混淆の痕跡をとどめて鳥居を持つお寺です。それにしても柳津虚空蔵尊さんの鳥居の壮大なこと! 奥様の杉田史さんと親しくお話しさせて頂きましたが、お寺カフェがあったりお寺としても面白い試みに様々取り組んでおられて、復興支援活動もかなり精力的に行っておられる方でした。

この日は5月のワークショップの打合せでしたが、秋には境内の野外で能を上演してみようか、などと夢がふくらむ良い機会だったと思います。

。。といってもここ、柳津虚空蔵尊さまでのワークショップも、もう3日後に迫りました! お寺の境内の様子などはそのご報告のときに詳しくご紹介したいと思っております。

お寺カフェ「夢想庵」で頂いた おそばとケーキ、激美味でした!!

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その1)~滝桜は散っていました。。

2014-05-13 22:51:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
もう今週には第22次活動が予定されている昨今。。去る4月末に登米市および気仙沼市にて第21次となる活動をして参りました。

今回は桜の頃の活動で、それがなんと言っても楽しみでした。かつてプロジェクトでは2012年のゴールデンウィークに気仙沼大島で活動したことがありまして、東京ではとっくに散っていた桜が満開なのを見て驚いたものですが。。今回はたまたま登米市でお世話になっている横山不動尊さんの春のお祭りに出演させて頂けることになり、満を持して、桜の下での舞という趣向となりました。

。。が、そこは自然のこと。活動の日が迫ってくるにつれて、福島ではもう桜が満開だ、気仙沼でも咲きだした、と例年より微妙に早い開花の便りが東京にもたらされてきて、このままでは活動の頃にはもう桜の時期は終わってしまうんじゃ。。? と心配される事態になってきました。

それでも東京を出発する前日には「まだ咲いている」との報告も寄せられて、なんとかギリギリのタイミングで東北地方に向かうことになりました。

【4月27日(日)】

例によって未明に東京を出発。この4月から消費税が増税となり、ガソリン代の値上げが心配されますが、それはまだ顕著に影響は表れていないようですが。。問題は時期を同じくして行われた高速道路の割引制度の廃止や縮小で、東北支援活動にとっては またまた大きな障害となる心配が起きました。今回はたまたま往復とも休日割引の対象日で、6月いっぱいまでは50%の割引が適用されますが、これとて7月以降は30%割引に縮小される予定。我々プロジェクトに限らず東北の被災地支援がますます難しくなって来るのは必至です。なんとかならないのでしょうか。。

そういう心配事がある一方、この日の ぬえは活動の最初から観光気分も。せっかくの桜の季節の活動なのだから、と往路に有名な福島県・三春町の滝桜に立ち寄ることにしました。もう活動の何日も前から楽しみにしていて、三春町のホームページに上げられた開花状況の報告を見たり、ライブカメラの映像でチェックしたり。。なんて便利な世の中になったもんでしょう。

で、この日の滝桜は散り際。。やはり桜を見るにはギリギリ、という感じでした。桜の季節には滝桜の周辺は大渋滞、見るなら夜明けがお勧め、という情報も得ていたので午前5時過ぎに滝桜に到着しました。高速道路を下りて滝桜に向かう道すがら、あちらこちらにある桜はどれも花盛り。いやが上にも期待は高まりました。

が。

ああ、なんということか、滝桜は完全に花が散って灰色の無惨な光景でした。。



この時間にすでに観光協会の職員さんも滝桜の詰め所に出勤していたのでお話を聞いてみると。。
この前日まで、なんとか滝桜は花を残していたのだそうです。そして、むしろ滝桜の後方の丘の上にあるソメイヨシノがちょうど花の盛りとなって、広い公園になっている滝桜の周辺全体がちょうど見頃なのだったそうで。

ところがその午後に強い風が吹いて、一気に花が散ってしまったのだそう。滝桜も、ソメイヨシノも。
観光協会の職員さんは「そのときは、まるで真っ白いレースのカーテンを空中に引いたようで、それはそれはキレイだったんですよ!」と。そうですか。。

ついでながらその夕方近く、すでに花が散ったあとにNHKの取材が来たのだそうです。花が散っていたのに取材班も困ったようですが、そこはプロの技術で、右下の方に少しだけ残っていた滝桜の花を上手に写して「うん、これなら満開に見えるかもしれませんね」なんて言って帰ったのだそうで。花が残っている? ははあ、このへんか。。



そしてテレビでその映像が放映されたのですが、それを見てやって来た観光客は散った滝桜を見てガッカリ。「観光協会では観光客に問いつめられて平謝りだったんですよ」と職員さんは笑いながら教えてくれました。そうですか。。

そんなわけで、最初からつまづいた形の今回の活動。登米市と気仙沼の桜はどうだろう。。不安は胸をよぎりつつ、残念な寄り道に落胆しつつ、先を急ぐことにしました。。

決算報告書(2014.03.10~11)

2014-05-09 07:12:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第20次被災地支援活動
(2014年03月10日11日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 106,498円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     銀行口座利息             13円        収入計  139,011円
                           内訳:ボラ 106,511円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉 50,910円
    ◎交通費        32,360円
     (高速道路通行料         14,250円)
     (ガソリン代            8,710円)
     (ガソリン代            9,400円)
    ◎宿泊費    16,000円
     (2人×2泊           16,000円)
  〈雑 費〉         2,550円
     (PA機器送料           2,550円)

  〈寄 付〉(ギエ)
     ネットワークオレンジさんへ    32,500円        支出計   83,410円

 【収支差引残額】                         残額    55,601円 (ボラのみ)

※注※
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については今回の活動中に被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体としてNPO法人「ネットワークオレンジ」に寄付し、これを以てお預かりしていた「ギエ」を全額精算するに至った。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・これまで資金面で支援を受けていたボランティア団体JIN'S PROJECTからの協力が得られなくなり、また震災から3年目を迎えてプロジェクトへの募金もほとんどなくなっている。息長い支援活動のために、有料のイベントを行うなど活動方針の転換もやむを得ない状況である。今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。

 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上
  平成26年5月7日
                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com
↓領収証は次頁以下に添付





活動報告書(2014.03.10~11)

2014-05-07 08:42:34 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第20次被災地支援活動
(2014年03月10日~11日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに19度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る03月10日~11日の2日間に渡り宮城県・気仙沼市にて短歌の朗読会への参加、ボランティアのパーティへの出演、および災害ラジオへの出演を行いました(※注2)。

今回の活動で特筆すべきは、もちろん3回目となる震災の日に活動を行ったことです。これまでプロジェクトでは震災の日には石巻市で活動をして参りましたが、今回ははじめて気仙沼市で震災の日を迎えることとなりました。また石巻での震災の日はほとんど一日中上演会場にとどまっていましたが、今回ははじめて市内の様子を見ることができ、また市が主催する追悼会にも参列することができました。改めて震災を悼む日を被災地で過ごすことが出来、有意義な活動であったと思います。

反面、震災の日の前後にはおよそ能楽の上演ができる雰囲気ではなく、実際の活動には受け入れ先が見つかるか心配ではありました。が、気仙沼市民であり、プロジェクトの活動の良き理解者・協力者である村上緑さんの活躍によって、震災の日に気仙沼市では高名な「煙雲館」にて短歌の朗読会が開かれることがわかり、そこに出演させて頂くことができました。当日は韓国の歌人・李承信さんの朗読会も大変心動かされ、また終了後の懇親会も興味深いものであったのですが、煙雲館のご当主である鮎貝文子さまには大変親切にして頂き、この5月には能楽ワークショップを開催させて頂くお話しにまで発展することができました。

そのほか1年前の活動時からすれ違いが続いていた住民ボランティアの伊藤雄一郎さんが主催する音楽ボランティアさんたちのパーティにて上演させて頂いたことは、催しそれ自体はとても心温まるものであった反面、会場となった伊藤さん経営のワインバーが被災建物を改造したもので、いまだに震災のすさまじい状況を鮮明に伝えていることに衝撃を受けました。こちらでは伊藤さんの協力スタッフさんから、いま気仙沼で大変問題となっている防潮堤をめぐって、いろいろな暗部の話を伺ったことも心に残ります。また「けせんぬま災害FM」に出演させて頂いたことも特筆すべきで、これは石巻で2年前に出演させ頂いて以来のことでした。

3.11の震災の日には気仙沼市でも様々なイベントが行われていました。大規模なものとしては光の柱を空に向けて立ち上げる「3月11日からのヒカリ」プロジェクトが、これは震災の1年後から毎年行われているものです。これを見ることは念願でありましたが、このたびようやく実現することができました。またやはり住民ボランティアの杉浦恵一さんの「ともしびプロジェクト」が気仙沼女子高で行ったイベントを見たり、さらに震災の日に合わせて放送された震災時の再現テレビドラマを当事者の方の家で一緒に見たり。。自分たちの能の上演以外の面で、かつてないほど多くのイベントや行事に参加することになったのも印象深いことでありました。

なお、長らくプロジェクトでお預かりしていました義捐金を、今回ようやく気仙沼市のNPO団体「ネットワークオレンジ」さんに寄付することができました事も併せてご報告させて頂きます。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
【協力者】(敬称略)
 村上緑/伊藤雄一郎/鮎貝文子/けせんぬま災害FM
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)
 3月10日(月)
八田・寺井早朝東京出発、午前中に気仙沼に到着し、村上緑さんをピックアップして、次回の活動の会場と決まった北野神社を下見。突然の訪問ながら宮司さまも在宅しておられ、打合せも済ますことができた。

その後松岩の「けせんぬま災害FM」スタジオへ移動

◎けせんぬま災害FM「にじなま」出演
14:00 ~ 謡と笛の実演「松風」 出演(八田・寺井)トークには村上緑さんも出演
スタジオは防音設備もない個人のお宅の一室ながら、プロジェクトの活動の宣伝もして頂き、大変ありがたい活動となりました。

その後煙雲館に移動、翌日の朗読会の打合せ。夕方より伊藤雄一郎さん主催のライブに出演

◎ボランティア グループのパーティへの出演
18:00 ~ 能「羽衣」 出演(八田・寺井)
会場「WINE BAR風の広場」は被災建物の2階の一部を改装したもの。外観も震災当時のままで、電気も一部しか通じていない状態で、真っ暗な控室が楽屋となりました。参加者は若者の音楽ボランティアさんのグループで、大船渡などで活動を行い、この日が打ち上げパーティーを兼ねたライブ。プロジェクトとしては被災者ではなくボランティアさんたちを対象としたねぎらいの意味での上演でありました。参加者は若者ばかり10数名ながら熱心に能を見てくださいました。その後スタッフさんから防潮堤の問題やそれにまつわる暗部の話を聞き、複雑な思いでした。

 3月11日(火)

◎李承信さん短歌朗読会への参加 13:00
能「羽衣」 出演(八田・寺井)
李承信さんは韓国で唯一の歌人で、同じく歌人だった母の影響による親日家。震災を受けて日本を悼む歌を出版し、気仙沼市内でこれまで朗読会を開き、この日は落合直文の生家で、庭園が気仙沼市の文化財指定を受けている煙雲館にて朗読会を開かれるとのことで、村上緑さんの交渉によりこのたびプロジェクトとしても朗読会に華を添えることができました。参加者50名ほど。

終了後、ちょうど震災の時間2:46となり、参加者全員にて黙祷を捧げました。その後懇親会となり、列席しておられた気仙沼のユニセフ団体の先代の会長さんの老婦人がかつて謡の稽古をしておられたとのことで、一緒に「羽衣」「猩々」の謡を同吟するなど、思いがけない出会いもありました。

その後リアス・アーク美術館で今後の活動についての相談をし、美術館の隣の総合体育館・ケー・ウェーブにて気仙沼市が主催する「東日本大震災追悼式」に参列。式典は2:46に合わせて開かれていたので、このときはすでに終わっていたものの、献花だけは夕刻まで可能とのことで、そこにのみ参列しました。さらに杉浦恵一さんの「ともしびプロジェクト」が廃校が決まった気仙沼女子高で開いた、生徒が校舎に感謝を捧げるイベントにも参加。
そのイベントが行われた気仙沼女子高の3階教室から「3月11日からのヒカリ」の投射を見、それから以前にもお世話になった市民の協力者の方のご自宅にてNHKによる震災の再現ドラマを鑑賞。この協力者の方は、ドラマの原拠となった事件の直接の当事者で、当時の状況をこと細かに教えて頂きました。

3月12日(水)

笛のTさんは東京の舞台出演の都合により早朝に気仙沼を出発、午前中、気仙沼のNPO団体「ネットワークオレンジ」事務所を訪問し、募金としてお預かりしていた義捐金を寄付しました。午後、気仙沼のシンボルのような存在の安波山に車で上り活動を終了、深夜に東京に帰着しました。


【収入・支出】

プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。震災から3年が経ち、現在ではほとんど新規の募金が集まらなくなり、活動資金は大変厳しい状況にあります。

募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂くこととしてお預かりさせて頂いておりました。このたびギエの残金32,500円は気仙沼市で活動するNPO団体「ネットワークオレンジ」さんへ寄付させて頂き、これを以てすべての義捐金の配布が終了しました。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として 138,998円(内訳:ギエ106,498円ギエ32,500円)があり、また銀行の利息として13円の収入がありました。これによって今回の活動資金の総額は139,011円となります。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 55,601円(ボラのみ)となりました。大変心細い金額で、年末年始の19次活動の際に期待していた企業さまからの補助金が受けられなかったため、資金の予定が大幅に狂った事は否めません。しかしながらこれらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。また多方面からの助言もあり、今後は被災地での活動もイベント系の催しに関しては少額の入場料を頂いたり、募金箱を設置するなどの方法も視野に入れて検討しております。

仮設住宅における活動については今後も入場無料を堅持する方針ですが、かつて活動資金の枯渇のために撤退したボランティア団体は数多くあり、活動資金の調達は息の長い運営のための大きな課題のひとつだと思います。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は3年目を迎えた震災の日を、今年も被災地で迎えられたことをまずは喜びたいと思います。被災地を巡る状況は刻一刻と変化を続けており、昨年まで震災の日に活動を行ってきた石巻の湊小学校は新年度からの再開に向けて工事が行われていたため使用不可となり、一時プロジェクトは活動の場を失ってしまいました。そこを気仙沼の各方面にお話しを繋いでくださったのが市民の村上緑さんで、お礼の申しようもありません。村上さんはその後も事実上プロジェクトの気仙沼現地事務所のような立場で活躍してくださり、プロジェクトの活動の場を開拓してくださっております。

このように市民との連携で活動を行えるようになったのはプロジェクトの活動のひとつの成果と言えるでしょう。石巻にも同じようにプロジェクトのために奔走してくださる方があり、また活動にお邪魔するたびに募金をくださる方もおられます。しかしながらプロジェクトの活動は2~3ヶ月に1度というペースで、なかなかいつも活動を心待ちにしてくださる方がおられる街でコンスタントに活動をすることが出来ず、不義理を続けている状況もあります。

一方、震災3年目を迎えてプロジェクトへの募金はほとんどなくなり、またこれまで我々プロジェクトの資金面の支援をしてくださったボランティア団体からの支援も途絶えてしまった厳しい現状もあります。今後は東京で支援頂ける企業などを探す一方、被災地でもイベントとしての催しは入場料制にするなど、運営の方法を模索して行かねばならないと痛感しております。

しかしながら、今回の活動では市指定文化財の庭園を持ち、伊達藩の家老職だった名門・鮎貝家の居宅であり、また歌人の落合直文の生家でもある「煙運館」で活動することができ、現ご当主の鮎貝文子さまには大変厚遇を頂きました。文子さまからはその後もご協力を頂き、この5月には煙雲館にて有料の能楽公演とワークショップを開かせて頂く予定になっております。

また石巻ではついに機会がなかった公式の追悼会に出席させて頂き、さらに3.11の日に催された他団体の催し。。伊藤雄一郎さん主催のボランティアさんのパーティーや「ともしびプロジェクト」の気仙沼女子高でのイベント、そして「3月11日からのヒカリ」に、それぞれ参加させて頂いたり拝見させて頂くことができたことも、被災地に寄り添う意味ではじめての生きた経験だったと思います。伊藤さんのスタッフさんや鹿折マルシェ、鮎貝さんなど、市民や関係者の方々から震災当時のことや気仙沼の現状について様々なお話しを伺うこともでき、これも印象深く、意義深い経験であったと思います。

震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていく事になります。息長い支援のために皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。


平成26年5月7日







                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                              E-mail: QYJ13065@nifty.com

第20次支援活動<気仙沼市・震災3年>(その13)~ネットワークオレンジへ寄付。。と安波山

2014-05-02 01:08:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【3月12日(水)】

今回の活動は前日までにすべて終了、この日は東京に帰るだけです。笛のTさんは次の目的地に向けて早朝に宿を出て駅に向かい、この日は ぬえは一人で帰ることになります。

とくに急ぐ予定もなかったため、午前中はのんびりと気仙沼で過ごすことにしましたが、まずは忘れてはならない、義捐金を届けるために「ネットワークオレンジ」さんの事務所に向かいました。

ぬえたちプロジェクトは震災後の活動開始時点より募金を頂いて活動資金とさせて頂いておりますが、震災の年には ぬえたちプロジェクトの活動資金のほかに被災地の人々のために役立ててほしい、という趣旨の義捐金をお預かりしていました。この義捐金は現地に根を下ろして支援活動を続ける信頼の置けるボランティア団体に寄付させて頂くこととし、過去には石巻で活動する「明友館」「チーム神戸」の2団体に数度に渡り寄付させて頂きました。

その後 ぬえたちプロジェクトの活動の場も気仙沼や登米市などに広がって行き、また被災地の状況も変わって来ました。義捐金が ぬえたちプロジェクトに託されることもなくなり、そうして少額の義捐金は銀行口座に残ったままになっていました。それを寄付するべき団体の模索は続けておりましたが、気仙沼で出会った障害児童支援団体の「ネットワークオレンジ」が ふさわしかろう、ということになり、この日お届けさせて頂いたのでした。

「ネットワークオレンジ」さんは震災前から活動を続ける団体で、障害児童の支援にとどまらず、気仙沼の経済活動を活性化させるための事業。。起業家支援などを大規模に展開しておられ、震災を受けて復興のためにさらにスピードを上げて活動しておられます。ぬえとのお付き合いももう2年に及ぶと思いますが、なんと言っても今回の寄付の決め手は、この5月に東新城地区に新拠点を開所された際に ぬえもお邪魔させてお祝いさせて頂き、このとき代表の小野寺美厚さんから「次に震災が起こった時には私たちがここを拠点に立ち上がって支援活動を行います」というお言葉を聞いたことに尽きるでしょう。今回の寄付の金額は3万円強ではありましたが、これも募金された方の熱い想いが込められた大切なお金です。すべての義捐金を寄付するのに時間はずいぶん掛かってしまいましたが、復興はこれから益々難しい段階にさしかかります。有益に使って頂く団体に寄付できたと自信を持ってご報告できると思います。

東新城を出て、昼食は鹿折マルシェの団平さんにて! 共徳丸が撤去され、かさ上げ工事のために仮設の道路が出来たりで鹿折もだいぶ様相が変わりました。団平さんによれば共徳丸がなくなってからお客さんは以前の1/20にまで減ったそうですが。。この日は団平さんは定休日だったのですが、ぬえと同じように気仙沼で活動する人が集まるということでお店を開けて頂き、だいぶ賑わっていました!

最後に安波山(あんばさん)に上ってみることにしました。安波山は気仙沼のシンボル的な存在の山です。標高はそれほど高くないし、単独峰のように目立つ山でもないのですが、ちょうど内湾を見下ろす位置にあって、気仙沼の街を抱く格好になるのですね。鹿折地区からはさらに偉容が望めます。

じつはこの安波山、頂付近まで立派な舗装路が通じていて、車で上がることができるのです。それで緑さんと一緒に山頂を目指したのですが、いや。。その「立派な舗装路」にたどり着くまでの道が複雑で、かなり奥まで入り込んでから道を間違ったことに気づいて延々とバックで戻ったり。。住民さんに道を聞いたり、かなり難渋しながら、ようやく道を見つけて山頂近くの駐車場までたどり着きました。

うん、たしかに絶景ですね! 気仙沼の写真というと時々見かける俯瞰図はここから撮影したものだったのか。ビデオ撮ったけど写真撮り忘れた!

。。が、次第に天候が崩れてきて、小雨。。いや小雪も降ってきました。だんだんと視界も利かなくなってきたので山を下りました。

一路 一関から東京に向けて帰還! これにて今回もミッション・コンプリートです!
3.11という日に気仙沼にいられた幸せをかみしめて、まずは今回のご報告もこれにて一旦終了とさせて頂きます~

第20次支援活動<気仙沼市・震災3年>(その12)~「3月11日からのヒカリ」

2014-05-01 19:53:02 | 能楽の心と癒しプロジェクト
先週、第21次の活動を終えて帰ってきたばかりですが。。すみません、まだ3月の活動のご報告の続きです。

3月11日の夜、気仙沼では3本の光の柱が立ち上がります。「3月11日からのヒカリ」というこのプロジェクトは震災の1年後のその日から行われていて、今年で3回目になるのだそうですが、3.11にはいつも石巻にいた ぬえはこの日初めてそれを見ることができました。

夕方18:30、防災無線から「見上げてごらん夜の星を」が流れると、引き続いて内湾地区を取り囲むように3カ所から一斉に「鎮魂・希望・感謝」を表す光の柱が立ち上がりました。ん~、ちょっとコンパクト・デジカメでは厳しいですか。淡い青い柱が、これはプラザホテルの周辺から立ち上がっているところ。



しかし、実際には肉眼では はっきり映って見えていました。この日は「ともしびプロジェクト」さんの企画で気仙沼女子高の構内に入ることができましたから、思わずもとても良い条件で見ることができました。雲ひとつなく、そうして空には明るい月が出ていました。まるで満月かと思いましたが、あとで月齢を調べてみると、半月を少し過ぎた程度であったようです。ここ、気仙沼女子高の3階のベランダからは、3本の光の柱がその月に向かって伸びているように見えました。

やがて気仙沼女子高を出て駐車場に戻り、笛のTさんを宿に届けると、緑さんと再び内湾地区に行ってみました。光の柱が立ち上る、その現場をちょっと見てみようかと。。



先ほど見たプラザホテルのそばが一番近いようだったので早速そこへ。そこは小山の頂上に建つホテルに上がるための道路の中腹にある駐車場でした。巨大な投光器2基と、さらに巨大で騒音をあげている発電機。やっぱり ここまで大掛かりな計画となると大変な規模で行われるんだな、と実感。



その後 緑さんをお友達の小山さんのお宅まで送って、ぬえは一時宿に帰り休息しました。が、この日はまだこれで終わりじゃないのです。

この夜、NHKでは震災に関連するドラマ「生きたい たすけたい」を放映する予定になっていました。覚えておられるかなあ、震災の夜、公民館に避難した母親が迫る津波と火災に死を覚悟して送ったメールが、これを受け取ったイギリスに住む息子さんの手を経てツイッターで次々と拡散し、ついに当時 東京都副知事だった猪瀬氏の知るところとなって、翌朝救援ヘリが到着した、というお話し。これは気仙沼の中央公民館で起こった実話です。

ところが緑さんのお友達の小山さんは、なんとその中央公民館の中に事務局がある福祉団体の職員さんで、まさにこの時 公民館に取り残されて救援された人々の中におられました。そこで、この日は緑さんは小山さんのお宅でこのドラマを一緒に見よう、という話になっていて、ぬえもお邪魔させて頂くことになっていたのでした。

宿からは徒歩で行ける距離の小山家でドラマを見ましたが、「セットにしてはよく公民館の内部が再現できている」「私たち被災者は、だって! この頃はまだ被災者なんて言葉は使ってなかったよね~」とかまあ、盛り上がりながらドラマを見たのでした。屋上の2つの建物に別れての避難の様子とか(近所から避難してきた保育園児を励ましながらの一夜、という様子は小山さんは別の建物にいて見ていないそう。でも煙がひどくてあちらの建物は大変だったろう、とのこと)、避難してきた中に水産工場で働く外国人もいて、国民性の違いを感じた話など、興味深いお話しを伺いました。それにしてもヘリでは一度に少人数しか運べず、400名を超える避難者の救出には何日も掛かったのだそうで、やはり大変な体験だったのでした。

やがて深夜に ぬえは宿に帰りました。この日は朝から煙雲館での催し、震災の時間。。2:46の黙祷、ケーウェーブでの公式追悼会への参列、ともしびプロジェクトの気仙沼女子高でのイベント、「3月11日からのヒカリ」、そうして小山さんのお宅で体験談を伺うなど、めまぐるしかったけれども3.11らしい濃い体験をすることになりました。

「3月11日からのヒカリ」の投光時間は深夜0時まで。小山さんのお宅を辞した頃にはもう光の柱は消えていました。