だいぶ旧聞に属してしまうかもしれませんが。。
去る3月9日から12日にかけて 6度目となる宮城県訪問公演を行って参りました。今回の日程だけはどうしても外せなかった。。だいぶスケジュールの確保にも苦労しましたが、震災から1年のその日、石巻・湊小学校ほかで行われた追悼集会に出席するためです。そういった主旨の集会ですから今回は公演はなく喪服で黙祷を捧げるだけ。。のつもりだったのですが、やはり公演を行うことになりました。もう街並みや道もわかっている通い慣れた街でしたが、今回はだいぶ緊張しながら当地に入った ぬえでしたが。。やはり旧知のみなさんとお会いすると話が弾んで。深刻になり過ぎない追悼集会。。とても感動的でした。
年末から年始、そして2月と、「能楽の心と癒やしプロジェクト」としての最近の活動は極寒の季節の訪問でした。地吹雪も体験したし、吹雪の山道も走りました。でも、そういう難しい時期だからある程度まとまった日程を組んで東北に赴くことが出来た、とも言えます。さすがに3月に入って気候が少しやわらぐと、公演などの予定も立て込んできて、なかなかまとまった旅行のスケジュールを立てるのが難しくなってきます。今回は ぬえが最もまとまった日数を確保することができ、先発隊として先に現地入りしたのですが、笛方のTさんは東京での催しの都合があって、追悼集会がある3/11の前夜に東京から高速バスに乗り、当日の早朝に石巻に到着する、というハードスケジュールでした。
そして今回はゲストとして太鼓方のKくんも参加してくれました。Kくんは独自に震災被害の支援活動を行っているのだけれども、今回はそれとは別に ぬえらが行っているような被災地の真ん中に入り込んでの活動に賛同してくれ、参加を決めてくれたのでした。やはり夜行の高速バスを利用しての石巻入りで、大変だったろうと思いますが。。
さて ぬえはそんなわけで彼らよりも少し早く、3月9日に千葉県での稽古を終えたあとの正午頃に高速に乗り、一路石巻を目指しました。昨年末以来久しぶりに一人で運転。やっぱり宮城県は遠いな~、と思いつつ、それでも通い慣れた道なので のんびりと走ってゆきました。。と言いたいところですが実際は公演が近い伊豆の子ども能の打合せの電話やらで いちいちサービスエリアで停まりながらの行程。。そうだ! そういえば今回は伊豆の国市の子ども能参加児童のお母さんたちに、被災地の仮設住宅の集会所に寄付する絵本やおもちゃの提供を呼び掛けたのですが、なんとこれがレイちゃん(←愛車)いっぱいになるほどの支援物資となりました! いや、ホント、装束などの ぬえの荷物もありますから、車内は ぬえ一人が乗って満杯の状態。もしもスケジュールが合ったとしても、TさんやKくんも同乗して同じ日に石巻に向かうのは不可能な有様でした。
夕方遅くに石巻に到着し、関係者に連絡をして夕食を済ませ、これから3泊の長きに渡ってお世話になる石巻市商工会議所の佐藤氏のお宅にお邪魔しました。
じつは今回の訪問では宿泊場所が一番の問題でした。3.11という震災から1年目になるこの日は全国から人々が集まって、あちこちで追悼集会やイベントが行われるのは必至で、ホテルはおろか(募金を活動資金としている ぬえたちは最初から有料の宿泊施設の利用は視野に入れていませんでしたけれども)、ボランティア団体の拠点や事務所も、それぞれの団体の関係者で一杯の雑魚寝状態だろうことは容易に想像できたからです。そこで ぬえは迷惑は承知の上で、個人のお宅に宿泊させて頂けないか、これまで石巻で出会った(お世話になった)市民の方にお願いしてみることにしたのでした。
最初にお願いしたのが佐藤さんで、ありがたい事にふたつ返事で引き受けてくださいました。思い起こせば佐藤さんとのお付き合いも偶然から始まったようなもんだなあ。。
去る3月9日から12日にかけて 6度目となる宮城県訪問公演を行って参りました。今回の日程だけはどうしても外せなかった。。だいぶスケジュールの確保にも苦労しましたが、震災から1年のその日、石巻・湊小学校ほかで行われた追悼集会に出席するためです。そういった主旨の集会ですから今回は公演はなく喪服で黙祷を捧げるだけ。。のつもりだったのですが、やはり公演を行うことになりました。もう街並みや道もわかっている通い慣れた街でしたが、今回はだいぶ緊張しながら当地に入った ぬえでしたが。。やはり旧知のみなさんとお会いすると話が弾んで。深刻になり過ぎない追悼集会。。とても感動的でした。
年末から年始、そして2月と、「能楽の心と癒やしプロジェクト」としての最近の活動は極寒の季節の訪問でした。地吹雪も体験したし、吹雪の山道も走りました。でも、そういう難しい時期だからある程度まとまった日程を組んで東北に赴くことが出来た、とも言えます。さすがに3月に入って気候が少しやわらぐと、公演などの予定も立て込んできて、なかなかまとまった旅行のスケジュールを立てるのが難しくなってきます。今回は ぬえが最もまとまった日数を確保することができ、先発隊として先に現地入りしたのですが、笛方のTさんは東京での催しの都合があって、追悼集会がある3/11の前夜に東京から高速バスに乗り、当日の早朝に石巻に到着する、というハードスケジュールでした。
そして今回はゲストとして太鼓方のKくんも参加してくれました。Kくんは独自に震災被害の支援活動を行っているのだけれども、今回はそれとは別に ぬえらが行っているような被災地の真ん中に入り込んでの活動に賛同してくれ、参加を決めてくれたのでした。やはり夜行の高速バスを利用しての石巻入りで、大変だったろうと思いますが。。
さて ぬえはそんなわけで彼らよりも少し早く、3月9日に千葉県での稽古を終えたあとの正午頃に高速に乗り、一路石巻を目指しました。昨年末以来久しぶりに一人で運転。やっぱり宮城県は遠いな~、と思いつつ、それでも通い慣れた道なので のんびりと走ってゆきました。。と言いたいところですが実際は公演が近い伊豆の子ども能の打合せの電話やらで いちいちサービスエリアで停まりながらの行程。。そうだ! そういえば今回は伊豆の国市の子ども能参加児童のお母さんたちに、被災地の仮設住宅の集会所に寄付する絵本やおもちゃの提供を呼び掛けたのですが、なんとこれがレイちゃん(←愛車)いっぱいになるほどの支援物資となりました! いや、ホント、装束などの ぬえの荷物もありますから、車内は ぬえ一人が乗って満杯の状態。もしもスケジュールが合ったとしても、TさんやKくんも同乗して同じ日に石巻に向かうのは不可能な有様でした。
夕方遅くに石巻に到着し、関係者に連絡をして夕食を済ませ、これから3泊の長きに渡ってお世話になる石巻市商工会議所の佐藤氏のお宅にお邪魔しました。
じつは今回の訪問では宿泊場所が一番の問題でした。3.11という震災から1年目になるこの日は全国から人々が集まって、あちこちで追悼集会やイベントが行われるのは必至で、ホテルはおろか(募金を活動資金としている ぬえたちは最初から有料の宿泊施設の利用は視野に入れていませんでしたけれども)、ボランティア団体の拠点や事務所も、それぞれの団体の関係者で一杯の雑魚寝状態だろうことは容易に想像できたからです。そこで ぬえは迷惑は承知の上で、個人のお宅に宿泊させて頂けないか、これまで石巻で出会った(お世話になった)市民の方にお願いしてみることにしたのでした。
最初にお願いしたのが佐藤さんで、ありがたい事にふたつ返事で引き受けてくださいました。思い起こせば佐藤さんとのお付き合いも偶然から始まったようなもんだなあ。。