ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その2)

2013-10-30 01:43:29 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【10月20日(日)】

例によって前夜から出発して深夜走行して東北に行くつもりのところ、活動の共催として頂いているJIN'S PROJECTの折尾仁代表から、自分たちも車で東北を目指すつもりだが、仁さん本人のほか、スタッフの一部の者を ぬえ車に同乗させてほしい、との依頼が直前に来て、急遽公演当日の朝に東京を出発することに。これが朝日新聞の記者さんでした。車中でもビデオを回されて、え~、正直このとき ぬえは時々ウザく思ったのですが、そんな気持ちが吹き飛ぶような動画が昨日配信されまして。。その車中の様子が、これから活動に向かう高揚感と、それから緊張感がほどよく記録されていました。。この動画には、よくこの瞬間を撮ったなあ?? と思うような場面もあって、撮られていた ぬえが気づいていない。。まさにプロの技でした。

前述の車中の出来事も、ぬえが軽く手を打ちながら大鼓を打っていて、じつはこれはこの日の上演曲『羽衣』をさらっているのではなくて、数日後に控えた東京での舞台で『姨捨』の地謡を勤めるので、その勉強をしていたのです。でも映像を見ると、まるでこの日の舞台のための準備を車中で再確認しているように見えますね。まあ、有り体に言えば『羽衣』のような身近な曲を上演当日に緊張感を持って復習する、ということも ぬえの立場ではもうありません。しかもこの曲は被災地でもう数十回舞っていますし。それでも初めて訪れる東松島の仮設での上演を前にして、しかも折からの悪天候で、屋外での上演という当初の予定が崩れたために、計画を練り直さなければならない事情もあって、そういう緊張感はずっと持っていました。このときは、当日の上演方法について考える頭を少し休めて、その次の東京での舞台に向けての勉強に切り替えていたところだったのですが、どちらもこれから ぬえを待ち受ける舞台に対する準備には相違なく、その気分を、動画を見るであろう一般の方々にわかりやすい形で切り取ったのが、この車内の映像だったのだろうと思います。

東松島市に到着、昼食を摂ると、ほぼ予定していた楽屋入りの時間になりました。ここまで長時間の道のりを、気を遣ってくれた仁さんが多くの時間を運転してくれたため、ぬえも屋内に変更された今日の公演のやり方について練り込むことができました。まずは楽屋入りの前にショッピングセンターに寄って、花束をあつらえてもらうところから、この日の ぬえの新しい計画は動き出しました。

今回の活動ではたった2日間の活動期間の中で、上演もたった2回だけ。1日1回の上演というのも、プロジェクトとしてはあまり例がありません。大概は、せっかく当地まで赴くのだから、と欲張って、1日に2カ所で活動するのが当たり前で、1日に1回の上演は、その受け入れ先が見つからない場合とか、長距離の移動を伴う場合に限られていました。だからいつも忙しい思いをしながら活動しているのですが。。

この日、活動場所となった グリーンタウンやもと仮設住宅は250世帯を有する巨大な仮設住宅です。今回は最初から東松島市での活動をターゲットにしていましたが、当初は(一度断念している)「星と能楽の夕べ」公演の実現を目指していました。ところが なかなか設備やシチュエーションが似合う会場が見つからず再度断念。。市とも相談して、今回は「能とピアノの夕べ」公演を行うこととしました。「ピアノ公演」こそ、この8月に初めて石巻で行った上演形式ですが、意外や大きな成果を得ることができて、これまたプロジェクトの上演形態のひとつとして今後も進めていくことになり、早速にこのたび東松島での上演に至ったわけですが、考えてみれば「星と能楽」にしろ「ピアノ公演」にしろ、それは仮設住宅での【慰問活動】とは別の、もうひとつのプロジェクトの目標。。「文化の復興」を成就するための【イベント】として考えていたもので、これを仮設住宅で上演するのはこれが初めての試みでした。

第17次支援活動<東松島市・陸前高田市>(その1)

2013-10-28 01:40:14 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、やっとのこと、先週行った活動についてのご報告ができます。周回遅れのランナーみたいじゃね。

今回の活動は東松島市と岩手県の陸前高田市の2カ所、1泊足かけ3日の、短い日数とはいえやや強行スケジュールだった割には公演回数は少ない催しでした。考えてみると、せっかく現地に行くのだから、と欲張って、いつも1日に2カ所程度の公演は行っているのですが、今回は移動距離の大きい活動だったと思います。もともと東京でのスケジュールの合間を縫っての活動でしたので、そういう制約もあったのですが、それよりも、活動内容が準備に時間の掛かるような濃いものだったために、上演回数が限られた、というのが実情であると思います。それほどに今回は印象深い活動となったと自負しております。

さて今回の活動の特色は。。いろいろありすぎてご報告に困るほどですが、まずは東松島市での活動。東松島市は震災で、とくに野蒜地区や大曲地区に壊滅的な被害を受けた街です。お隣の松島町が比較的被害が軽微だったのと比べるとまさに対照的で、震災3ヶ月後に当地を訪れた ぬえは、ここで初めて甚大な被害の状況を見て戦慄しました。

その後プロジェクトとしての活動を東松島市で始めたのは震災後 最初に年が明けた直後の冬でしたね。2カ所の仮設住宅で活動させて頂いたほか、1カ所の仮設住宅に ぬえが指導する 伊豆の国市の子ども創作能の参加者のご家庭からの支援物資をお届けする活動も行いました。また能面を打つことを趣味としている市民の方と知己を得て、上記仮設住宅での活動にご一緒して頂き、能面の展示も同時に行いました。これは ぬえらプロジェクトが市民と一緒に活動した最初の例になっています。ところがその後 東松島市での活動はなぜか途絶えてしまって。。今回お邪魔させて頂いた グリーンタウンやもと仮設住宅での活動は、それ以来1年半ぶりの活動となりました。

二つ目の特色としては、その東松島市での上演にはじめてフルート演奏家を入れて「能とピアノの夕べ」公演を行ったこと。それは先日 気仙沼・地福寺さんでの「送り火の集い」をご覧になっていた内野さんで、もとより笛のTさんの知人だから地福寺にも見えたのですが、終演後 控室にご挨拶に見えたときにフルート演奏家と聞いた ぬえは、これは「能とピアノの夕べ」のロマンチックな公演に大きな力になる、と直感し、その場で次回。。つまり今回の公演での共演をお願いしたのでした。

。。まあ、考えてみれば ぬえがフルートに合わせて舞うわけではなく、「能とピアノの夕べ」、のうち「ピアノ」の部分に共演頂くわけなので、ピアニストの御子柴さんの了解も得ずにフルートの出演をお願いするのはフライングなのですけれども。。結局御子柴さんも ぬえのアイデアにすぐに了承くださって、かなり離れた場所に住むお二人なのですけれども、ご一緒に練習もしてくださって、東松島での「能とピアノの夕べ」公演は、それはそれは ぬえが予想していた以上の素晴らしい効果を上げたのでした。

それから三番目の特色は、プロジェクトとして初めて岩手県の陸前高田市で活動ができたことですね。しかもそれが「奇跡の一本松」の前での奉納上演だったということ。。「震災遺構」。。とはこれは呼ぶべきではないかもしれませんが、ともあれ被災地の随一の知名度を持つこの松ですが、意外なことにどうもここではイベントらしいものはこれまで行われていないみたいです。。いえ、よく調べたわけではないのですが、ぬえがここで奉納上演をさせて頂くことになったので ちょっと検索してみた限りではなにも見つからなかったし、ぬえ自身もそういう話を聞いたことがなかったもので。。いずれにせよプロジェクトのこれまでの活動とは一線を画すような活動が始まりました。

それというのも、この春から活動をご一緒させて頂いているNPO団体 JIN'S PROJECTさんのお力に負うところが大きいです。今回の活動では東松島市と陸前高田市の2カ所での活動でしたが、東松島市の活動は当プロジェクトの企画ながら、陸前高田市の活動は、これはプロジェクトの活動が始まって以来 初めてのことですが、完全にJIN'S PROJECTさんにすべてのプロデュースをお任せしての活動になりました。それは我々 能楽師のプロジェクトでは考えつかないようなアイデアと人脈をつぎ込んでの計画で、同じボランティア団体でありながら、こうも発想が違うのかと毎度驚かされもしますし、我々プロジェクトよりも大きな理想を持っていることに信頼も持っています。この場合、理想の大小は優劣に直結するものではありませんで、ぬえたちのように小さく 小さく、仮設住宅の住民さんに寄り添っていてあげたい、と思う活動と、地域や市のような大きな単位で復興の一助になろうとしているかの、その視点の違いであろうかと思います。でも、発想が大きければ活動の規模も大きくなるわけで、その大きさには、避難所での掃除から活動を始めた ぬえは ただただ茫然と見上げることしかできないわけで。。

ぬえたちの活動も2年半近くに渡って、いま大きな岐路に立っているような気もします。そんな、いろいろな感慨を持つ活動となりました。

決算報告書(2013年08月16~17日)

2013-10-25 01:03:48 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第16次被災地支援活動(2013年08月16日~08月17日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 258,702円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     直接頂戴した募金5件(ボラ扱い) 66,000円        収入計  357,202円
                           内訳:ボラ 324,702円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉
    ◎交通費(大川典良分)9,000円
     (ガソリン代            9,000円)
    ◎交通費(御子柴聖子分)10,230円
     (ガソリン代            6,430円)
     (有料道路通行料          3,800円)
    ◎宿泊費    20,600円
     (2人×1泊            8,000円)
     (3人×1泊           12,600円)       支出計   39,830円

 【収支差引残額】                         残額    317,372円
                          内訳:ボラ 284,872円 ギエ 32,500円

※注※
・プロジェクトの活動にかかる資金は主に募金によって賄われている。プロジェクトの活動にご理解を頂き、ご支援を頂いた諸兄には、改めて深謝申し上げます。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・今回の活動は本年3月の活動以来ご協力頂いているNPO団体JIN'S PROJECTとの共催である。それにより同団体のご厚意の仲介を頂き、企業さまよりプロジェクトメンバー2人についてのみ、使途は交通費に限って補助金のご支援を頂いた。関係各位に深謝申し上げる。
・本決算報告書は活動資金を募金として提供頂いた方へのご報告であるため、支援企業さまからのご支援にかかる費用は上掲しなかったが、内容は次の通りである。交通費 38,241円(内訳:高速道路通行料金 12,600円、ガソリン代 25,641円)印刷費7,200円(チラシ印刷費)
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・近来銀行口座へ継続的に活動資金を募金してくださる方も複数あり、またボランティア団体JIN'S PROJECTさまのご厚意により、活動によっては同団体との共催の形を取ることによって支援企業さまからの補助金を頂ける機会も増えてきた。しかしながら今後も息長い支援活動を続けてゆくために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。


【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)
普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ


                                           以上

  平成25年10月23日






                           「能楽の心と癒しプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                                    E-mail: QYJ13065@nifty.com

↓領収証は以下に添付



活動報告書(08/16~17)

2013-10-24 10:18:31 | 能楽の心と癒しプロジェクト

能楽の心と癒やしプロジェクト
第16次被災地支援活動(2013年08月16日~08月17日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに15度に渡り岩手県釜石市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難している旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびメンバーの八田、寺井は、去る8月16日、および同月17日の2日間に渡り宮城県・気仙沼市および登米市内にて計4回、能楽の上演を行いました(※注2)。

今回の活動はNPO法人「JIN'S PROJECT」との共催とし、気仙沼市内2カ所の仮設住宅での慰問活動、気仙沼階上地区で地区の精神的支柱となっている地福寺さま主催の「送り火の集い」への出演、およびはじめて活動する登米市にある本格能舞台「伝統芸能伝承館」(通称:森舞台)での上演を行いました。

今回の活動で特筆すべき点は多々ありますが、中でも気仙沼市内の2カ所の仮設住宅での能楽上演に、5名の市民が参加して住民へのボランティア支援活動を展開したことでしょう。この市民ボランティアは市内のNPO団体「ネットワークオレンジ」が街を活性化する目的で行っている起業支援プログラムによって起業した人々で、「ネットワークオレンジ」を介して八田と知り合い、プロジェクトの活動にご一緒して頂けるようお願いしたものです。被災地では仮設住宅の住民と家屋の被害を受けなかった市民との間に微妙な温度差も生じており、お互いの交流も限定的です。この度の市民ボランティアの中にも仮設住宅を初めて訪問した方もあり、今回のような市民を巻き込んだ支援活動が、市民が仮設住宅への支援を行う契機になればよいと希望しております。

また気仙沼市では2012年の冬以来仮設住宅での活動の実績が途絶えていました。この度の2カ所の仮設住宅訪問は、いずれも市民によって受け入れの交渉を進めて頂いたもので、市民との有機的な関係が構築されたと感じます。さらに仮設住宅での医療支援やイベントの斡旋をしておられる市民ボランティアさんとも知己を得、今後の活動の発展に期待を持っております。

気仙沼・階上地区の地福寺ではすでに2度活動を受け入れて頂いており、今年は3月11日の前日に地福寺主催で行われた追悼法要に出演させて頂き、またプロジェクトの公演にご住職の片山秀光氏に来演願ったり、と深い交流を続けております。この度は地福寺主催の盂蘭盆会の法要会「送り火の集い」にお招き頂き、一部の演出面もお任せ頂きました。これによりこのところプロジェクトの活動に協力してくださっているピアニスト・御子柴聖子さんの出演をお願いし、先日石巻の秋田屋庭園で行った「能とピアノの夕べ」公演を厳粛な雰囲気となるように改編して上演致しました。地福寺さんお取りはからいにより「ともしびプロジェクト」によって境内に多くのキャンドルが灯され、また最近地福寺が導入した200個のソーラー電源のLEDライトが敷地内に灯り、大変雰囲気を盛り立てました。プロジェクトでは2012年の夏頃より活動目標として「文化の復興」を目指しております。今回の「送り火の集い」は、あくまで法要が主眼の集いではありますが、芸術文化がそれに華を添える役目を持ち、この目標のための活動の一環として捉えております。なお地福寺「送り火の集い」の設営や準備には檀家さんの「花園会」さまのご協力を頂きましたことを申し添えておきます。

登米市は内陸にあり、津波の被害は受けなかったものの、地震の被害は相当にあり、また南三陸町とは歴史的に深い関係にあって、市内に南三陸町の住民のための仮設住宅を多く受け入れています。また宮城県の民俗文化財にも指定された「登米能」が伝承されているなど文化の香り高い土地で、今回は「伝統芸能伝承館」の本格能舞台を拝借させて頂き、むしろ伝統芸術の普及の意味合いが濃い活動となりました。登米市では市長さんとの知己も得、今後被災住民への活動の展開も期待しております。

このように、今回は短い滞在日程の割には大きな成果が得られた活動だったと思います。また将来的にも活動のさらなる展開を予感させるものとなりました。関係各位のご尽力に深謝申し上げたいと思います。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。ただし都合により今回は八田・寺井の2名での活動となった。
※注2 今回の上演場所は気仙沼市①鹿折中学校住宅②地福寺③反松公園住宅、登米市④伝統芸能伝承館(森舞台)の4箇所。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(以上能楽の心と癒やしプロジェクト)/大川典良(能楽師・太鼓方)
地福寺「送り火の集い」共演者:御子柴聖子(ピアニスト)/片山秀光(地福寺住職)
【共催】
NPO法人 JIN'S PROJECT
【協力者】
気仙沼市:NPO法人ネットワークオレンジ/鹿折中学校住宅自治会/小野寺由美子(鹿折復幸マルシェ・小野寺商店)/地福寺/地福寺花園会/ともしびプロジェクト/反松公園住宅自治会/村上緑(パワーストーンGreen)/米倉三喜子(復康フットサロンよつば)/村上朋子(ココ♥カラ)/白幡まさえ(おぢゃのみ工房子葉輝)/村上寛(コンビニエンスサービス ヒロ)
登米市:とよま振興公社/日本学校俳句研究会/横山不動尊
前島吉祐(能楽写真家)

【活動記録】
 8月16日(金)
10:00より気仙沼市・鹿折中学校住宅にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『羽衣』を上演、囃子と装束着付けの体験コーナーを行う。起業家ボランティア3名とアシスタント少数名により住民サービスも実施。参加住民約30名。

夕方19:00より階上地区・地福寺にて「送り火の集い」に参加。御子柴聖子のキーボード演奏、能『羽衣』、片山秀光住職による法要が執り行われる。参列者約80名。

 8月17日(土)
10:00より気仙沼市・反松公園住宅にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『龍田』を上演。囃子と装束着付けの体験コーナーを行う。起業家ボランティア4名とアシスタント数名により住民サービスも実施。参加住民約25名。

15:00より登米市・伝統芸能伝承館(森舞台)にて「能楽の心と癒やしをあなたに」公演。能『猩々』を上演。囃子と装束着付けの体験コーナーを行う。本公演は登米市出身の協力者の計らいにより日本学校俳句研究会の援助を受けて実施させて頂いた。

【収入・支出】

  プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。近来JIN'S PROJECTさまとの共催の形を取り、同団体の斡旋により企業より活動資金の一部を補助頂くことができ、今回も交通費のみご支援を頂くことができました。

  募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。

  プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として291,202円(内訳:ボラ258,702円 ギエ32,500円)があるほか、今回の活動中およびその前後に4名の個人(ハシモトさま、ヤマナカさま、エノキさま、タチバナさま)および1つの団体(日本学校俳句研究会さま)より活動資金として計66,000円を頂戴致しました。よって計357,202円(内訳:ボラ 324,702円 ギエ32,500円)が今次活動の前に計上されております。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 317,372円(内訳:ボラ284,872円 ギエ32,500円)となっております。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。

  プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

前述の通り今後は企業さまのご支援を頂ける可能性もありますが、今後も長期に渡って被災地での活動が継続できますよう、みなさま方には引き続きまして活動支援をお願い申し上げる次第です。

【成果と感想・今後の展望】
プロジェクトとして第16次となる今回の支援活動では、約2年ぶりに気仙沼市の仮設住宅での訪問活動を行うことができました。それも市民の斡旋によって実現することができたのであり、また市民ボランティアのご協力を頂き住民サービスという、能楽師にはできない「付加価値」のついた活動となりました。もとより復興は市民の努力によって達成されるものであり、その一助となるべく活動を続けるプロジェクトとしましては、市民と共同で活動を行えたことを大変意義深く思っております。

その意味では地福寺の「送り火の集い」も同等の価値を持つ活動であったでしょう。地福寺主催の法要にお招き頂き出演させて頂いたことは、大変ありがたいことでありました。地福寺では本年3月の震災の日に合わせて震災メモリアル・コンサートと犠牲者への法要が行われましたが、そこにもプロジェクトは参加させて頂き、法要の場にての上演をお許し頂きました。片山住職には我々プロジェクトの活動について大変ご理解とご支援を頂いております。

登米市の活動は、プロジェクト・メンバーの寺井宏明の生徒さんの繋がりがあって、本年3月に気仙沼リアスアーク美術館で催した「星と能楽の夕べ」公演に、多くの登米市出身の方がボランティアスタッフとして参加してくださり、この方々の活躍のおかげで公演が成功した経緯があります。前回8月の15次活動にて登米市の関係者とも懇談し、また前回スタッフとして活動に協力頂いた方の尽力によって今回の公演が実現しました。前述の通り登米市は南三陸町の被災住民のための仮設住宅を受け入れるなど独自の活動を展開しておられ、また文化の香りの大変高い街です。今回は市長さんとも知己を得ることができ、今後も仮設住宅への訪問や、当地の伝統芸能との交流など、新たな活動の展開を期待しております。

一方、東京のNPO団体 JIN'S PROJECTさまとは今回も共催という形を取らせて頂き、活動資金の面では大きなご協力を頂きました。ご紹介頂いた支援企業さまからはプロジェクトのメンバーの交通費のみと使途を限ってご援助頂いているのではありますが、そのおかげでプロジェクトに一般の協力者の方々より募金として頂いている活動資金の支出を抑えることが出来、これにより共演者の交通費などをプロジェクトとして負担できるようになりました。従来、プロジェクトのメンバーの交通・宿泊費を調達するのが精一杯で、共演者にはすべて自費負担でご協力願っておりましたが、それでは活動にもいずれ限界が来てしまう危機感を抱いておりましたが、JIN'S PROJECTさまの協力を得て、当プロジェクトの活動はその幅を拡げることができるようになりました。JIN'S PROJECTさまとは来年に向けてより大きな活動の目標を立てているところで、新たな目標に向けて今後もともに手を携えて活動してゆきたいと考えております。

以上、総合的に見て今回の活動は、コーディネートや準備段階から実際の活動にまで渡って、まさに市民・住民さんが主体になって実現できた活動だったと言えると思います。改めまして関係各位に心より感謝申し上げます。しかしこの活動の直後に気仙沼市鹿折にあった被災漁船「第十八共徳丸」が解体され、震災遺構も次々に消滅しつつあり、震災の風化がまさに懸念される状況です。また一方当地では防潮堤の建設について大きな問題が起こっています。我々能楽師はそれらの問題には無力でありますが、あくまで能楽の持つ力。。まさしく「能楽の心と癒やし」を個人の心に響かせることを目指して、もって「文化の復興」を構築するお手伝いを致し、そこから生まれる活力をもって素晴らしい街の再生に寄与したいと考えております。どうぞ今後とも変わらぬご支援、ご教示をお願い申し上げる次第です。


平成25年10月24日




                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その9)

2013-10-21 09:35:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ただいま17次の活動中で、昨日の東松島市・矢本の活動のあと気仙沼に宿泊しております。今日は陸前高田で活動予定。昨日の大雨がウソのように陽が差しています~

さて8月の16次活動のご報告もようやく終盤、最後の上演地は、初めて活動する登米市です。

登米市は南三陸町、気仙沼市、石巻市、栗原市、大崎市、それに岩手県の一関市などに囲まれた内陸に位置し、平成の合併で9つの町が集まって出来た大きな市です。内陸にあるため津波の被害はなかったのですが、地震では大きなダメージを受け、またもともと南三陸町と地縁が深かったため、市内に仮設住宅を受け入れ、多くの避難者が市内で暮らしておられます。

プロジェクトとしては、笛のTさんの友人関係がとっても深くて、今年3月に気仙沼市で行った「星と能楽の夕べ」公演では ほとんど登米市出身の方々によるボランティア・スタッフさんが八面六臂の大活躍をしてくださり、ぬえも信頼感を厚く持ちました。このご縁から初夏には登米市の神社などに伺う機会も得、また南三陸町での今後の活動についても展望が開けてきました。

一方、じつは登米市には立派な能舞台がありまして、それは県指定の民俗文化財となっている「登米能」(市の名称の読み方は「とめし」ですがこちらは「とよまのう」と読みます)の伝承・保存のために建てられた「伝統芸能伝承館」。緑豊かな屋外に建てられ、白砂の敷かれた庭を隔てて近代的な見所から舞台を見る、まさに本格的な舞台です。このたびは関係者のご尽力によって、こちらの舞台で能『猩々』を上演させて頂きました。ん~、被災地に来て橋掛リを歩んだのはこれが初めて。なんだか、むしろ勝手が違うような、妙な違和感を感じた ぬえはちょっと感覚がおかしくなっているのかしら。













この日、いまこの記事を書いている10月からは考えも及ばないですが 相当な暑さで、楽屋内もかなり厳しい状態でした。これでは公演も成立するかしら? と思いましたが、開演時間にはお客さまも大勢お集まり頂いて、文化水準の高さを窺わせます。終了後はここでも囃子の体験と装束の着付け体験コーナーもちゃんとやりました。









終演後、市長さんと一緒に記念撮影。登米市にはほかにも重文指定されている「旧登米高等尋常小学校」などもあるそうで、文化の香り高い町ですが、これらの史跡にもやはり震災の地震の被害もあったとのこと。プロジェクトの目標としている「文化の復興」についても聞いて頂くことができ、今後も登米市で活動が続けていければ良いな、と考えています。まずは登米市内にある仮設住宅の訪問から始めるのがよいかも、と 今後の活動について考えを廻らせております。



こうして第16次の活動は無事に終わりました。
今回は地福寺さんでの美しい法要、久しぶりにお邪魔することができた気仙沼の仮設での活動、そして登米市の本格舞台での上演と、印象深い活動となりました。またそれぞれの活動会場でも大変温かいおもてなしを受けて、やりがいを感じた活動でもあったと思います。まして、はじめて気仙沼の市民がボランティアとして活動に強力なご支援を頂いたことは、プロジェクトの活動としても画期的なことでした。
プロジェクトの活動に共演頂いた能楽師・太鼓のOさん、ピアノの御子柴さん、それから起業家ボランティアさんのみなさん、能楽写真家のMさんにはご協力に大変感謝しております。お疲れさまでした~。また上演を受け入れてくださった気仙沼の鹿折中学校仮設と反松仮設、地福寺の片山秀光さん、登米市の関係者のみなさんにも心から御礼申し上げます。反松仮設でお目に掛かった、仮設での医療支援を続ける村上充さんともお目に掛かることができ、その意義深い活動について知ったとともに、我々プロジェクトの今後の活動についてご協力頂ける可能性があります。どうぞ関係者各位には今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げます~。

                                 【この項 了】
(撮影:前島吉裕)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その8)

2013-10-19 23:32:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
じつは明日の早朝から、東松島市および陸前高田市で第17次となる活動に出発致します! ああ。。はやく16次活動の報告を書かなきゃ。。

さてそのうちにプロジェクトのメンバーも起床してきまして、朝食後宿を後にして次の公演地、気仙沼市の反松公園住宅にお邪魔させて頂きました。



こちらの仮設はピアニストの御子柴さんや、昨日鹿折の仮設で一緒に活動した村上緑さんのどちらもご縁があってご紹介頂き、活動させて頂けることになりました。

自治会長さんにご挨拶して、ちょっと早かったのですけれども集会所を開けて頂き、また昨日と同じく市民の起業家ボランティアさんも集合しておのおの準備をしていると。。年輩の住民さんが覗きにやって来られました。聞けば今日の能の催しをまったくご存じないとのこと。。チラシは自治会長さんに事前に郵送してありますが、まさか宣伝がなされていない。。? その場合は集会所から出て仮設住宅の駐車場ででも上演してお客さんを呼び集めようか、などと出演者で話し合ったりもしましたが、それより気になったのはこの住民さんの次のお言葉で。。

「今日はなあにやんだ? もうイベントも多くて、みんな少し飽きてるんだ。。これから先の見通しもねえってのに、一緒に歌いましょう、なんて言われてもなあ。。」

。。震災から2年半も経って、ボランティアさんもめっきり減ったと思ったら、イベントはまだ続いているのだとわかったまでは良いのですが。。慰問のイベントも、住民さんの立場に立ってやるべき、というのはJIN'S PROJECTさんの報告会でも出ていた話題ですが、上演する方も手探り、住民さんも出演者に気を遣い。。という状況は、まだ続いていたのか。ぬえは震災の年の夏頃までの話と思っていました。あの頃はイベントもずいぶんひどいのもあったみたい。。

しかし今日は太鼓のOさんが懇切丁寧に我々の活動を説明してくださって、住民さんも「能? そりゃ珍しいな。。じゃ仲間を呼んでくるから」と集客にお手伝い頂けることになりました。

そうしているうちに住民さんも集まって来られました。どうやらチラシはちゃんと配布頂いていたようです。こちらは ぬえが装束を着るまでずっと一緒に遊んでいた小学生の住民ちゃん。



朝10時開演の今回の上演曲は『龍田』でした。はじめての場所では大概有名な『羽衣』を上演するのですけれども、この日は起業家ボランティアさんが昨日に引き続いて支援活動をされるので、昨日とは違った曲の方がよいかなと。



終演後は恒例の囃子の体験会と装束の着付け体験コーナー。







そして、起業家ボランティアさんたちの支援活動が続きます。











ぬえたちは急いで次の公演地である登米市に向かって出発しなければならなかったため、あとは起業家ボランティアさんにお任せして出発しましたが、いや大歓迎といえる温かいお見送りを頂きました。

起業家ボランティアさんの支援活動も大盛況で、とくに米倉さんの「足ツボマッサージ」は順番待ちの行列ができて、午後までずっと活動していたそうです。で、その米倉さんからあとで報告を頂きまして、住民さんも「最初は能なんて難しいかと思ったけど、良い人ばかりで安心した。楽しかった」(大意)と言って頂いたみたい。気仙沼で仮設の活動は久しぶりでしたが、2カ所の仮設で大変歓待して頂きました!

(撮影:前島吉裕)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その7)

2013-10-18 03:28:54 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【8月17日(土)】

旅館の一室に能楽師3人と能楽写真家のM氏と、合計4人で泊まって、久しぶりに雑魚寝の様相でした。
考えてみればプロジェクトの活動では避難所当時には湊小学校の音楽室に泥掻きのボラ戦士とともに眠り、避難所が解消されてからはボラ団体さんの事務所や個人宅に泊めて頂いたりで、雑魚寝は当たり前でした。それが段々と、ボラ団体さんが撤退されたり、状況が落ち着いてきて個人宅に泊めて頂くのもなんだかご迷惑になったりと情勢も変わってきまして、復興なった旅館に泊まる機会も増えてきたのですが、これも最初は経費節減のため安い宿で雑魚寝状態。ところがたび重ねて旅館を探すうちに、安価なシングルルームを持つお宿を発見するようになりまして、このところの活動はすべて個室での宿泊になりました。たまたまボラ団体さんに泊めて頂く場合も、ボランティア自体が少なくなってきたこともあって、なんだか ぬえたちに気を遣って頂いちゃって一室を提供頂いたり。。段々と活動も優雅になってきましたね~

この日も、2年前にはこんな立派なところに泊まっていいの? って感じの旅館さんに泊めて頂いたのですが、今回は活動に参加する人数が多かったために、久しぶりにみなさんと枕を並べて寝ました。いや~快適。壁も崩れてないし天井もあるし。お風呂だってあるんですもの。

さて相変わらず睡眠障害の ぬえは朝5:30頃には起床しまして、もうここも定点観測地のようになった岩井崎を散歩しました。

だいぶキレイになりましたが、まだ。。壊れた旅館が残っているのですね。



それよりも ぬえが気づいたのは、この防潮堤の計画を知らせる看板でした。





このあたりでは9.8mの防潮堤の建設が予定されていて、もともと海からは断崖がある場所なので、水面からの高さとしては、道ばたに生えているこの松の木の半分くらい。。3mほどの高さになるみたい。







いま、気仙沼に限らず被災地域では、津波対策の防潮堤の建設が計画され、それが大きな、大きな問題になっています。住宅地域は高台に移転したのに防潮堤は必要なのか? 防潮堤によって海が見えなくなると、人が集まらなくなって街が死んでしまう。。 防潮堤によって安全に過信が生まれ、海が見えなくなるためにかえって逃げ遅れる人が出るのではないか。。? ぬえが聞いた限り、地元では防潮堤には懐疑的。。というか反対意見が多く、行政への陳情とか代替案を模索する動きも多数見受けられますが、計画は着々と進行しているようです。。

岩井崎でも、計画通りに防潮堤が建設されれば、トップ画像のような海に昇る朝日はもう見れなくなるのですね。。住民さんたちの力でなんとかならないものかしら。。?

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その6)

2013-10-16 22:45:30 | 能楽の心と癒しプロジェクト
やがて日も暮れ、ともしびプロジェクトさんによりキャンドルにも火が灯されて、会場はとってもロマンチックな雰囲気に。こうして地福寺の片山住職さまを中心にした「送り火の集い」は始まりました。



もうこのブログを書いているいまは寒いけど。。これは8月16日のお盆の終わりのことで、東北とはいえ暑いさなかの催しでしたが、それでも今回の活動の中では最も美の空間が現出されるはず。そうしてこの美しさに しばし暑さを忘れました。

当初は入れることに異論も出た御子柴さんのキーボードでしたが、ぬえがゴリ押しして参加して頂いて、これは大正解だったと思います。どこまでもお盆の法要の集いなのですけれども、それは同時に故人を偲ぶ。。面影に思いを馳せるために参集する機会でありたい。

この3月。。震災から2年目の日の直前にプロジェクトでは気仙沼の「リアス・アーク美術館」を拝借して「星と能楽の夕べ」という、擬似的なプラネタリウムを出現させ、その前でピアノ演奏と能の上演を行う公演を行いました。これはナマイキながらプロジェクトが掲げる「文化の復興」という目標へと続く企画のひとつだったのですが、ぬえはこの場にもぜひとも片山さんをお招きしたいと考えました。これにも出演者からは少々異論も出たのですが、結果的にやっぱり ぬえがゴリ押し。(^_^;) たしかにプラネタリウムやピアノの上演とは僧侶である片山さんの出演は一見似合わないようにも思えましたが。。しかし震災の日の直前の公演でもあり、片山さんには上演の直前に黙祷をして頂くことにしました。これがじっと不動のままの片山さんの黙祷により、予想以上の大きな効果を生み、単なるロマンチックなイベントではなく、あくまで震災を思い、復興を見据えて、この二つがバランスを取った催しとなったと思います。



今回の地福寺さんの「送り火の集い」は、この「星と能楽の夕べ」のまるっきり逆の形式で行われた催しになりましたね。キーボードの演奏により、まずはとってもロマンチックな雰囲気に。。御子柴さんには、今回は申し訳ないが影で弾いて頂くことにしていましたが、キャンドルのゆらめく ともしびだけが目に入り、そこに音楽が響く。。なかなか良いアイデアだったのではないかと思います。

やがて笛の独奏に引かれて『羽衣』のシテが登場。プロジェクトが先日、石巻の秋田屋さんで催した「能とピアノの夕べ」公演では、持参のLEDキャンドルを灯しましたが、今回は本物の火がゆらめいています。







。。ところが、昼のうちによく石庭の様子は見ておいたのですが、やっぱり暗くなると、自分が舞う場所がよくわからない。。しかも驚いたことに、長絹を着ているのに、扇を持つ手にキャンドルの熱が感じられるのですよね~(!)。これには焦りました。舞うには決して広いとはいえない石庭のスペースで、築山を廻るようにびっしりとキャンドルは置かれていて。。キャンドルを築山をよけて舞うための目印にしようと考えていた ぬえでしたが、キャンドルの熱を感じることで、まさか自分がいつの間にか築山に寄っていて、キャンドルの火が装束に燃え移るのではないか? と不安で不安で。。 後日ビデオを見てみたら、どのキャンドルからも程良く距離を取ってうまく舞っていましたが、この時は内心ではびくびくしながら舞っておりました。

能が終わると片山さんの法要。ぬえは着替えをしていたのであまり良くは拝見していませんでしたが、やはり法要が締めくくり、というのが「送り火の集い」の趣意だと思います。当初は片山さんから能をフィナーレに、というご提案も頂いたのですが、それでは やはりイベントに近いものになってしまう。。ぬえはこう考えて、ぬえたちを尊重してくださるお気持ちは大変ありがたく思いますが、やはり法要を中心に、我々はその前座、というような気持ちで、そのような順番にして頂くようお願いしました。





終演後には片山さんから食事(とビールも!)の提供を頂いて本堂で歓談させて頂きました。神戸から植樹をしたりブラスバンドの演奏をしに来ている中学校の生徒さんのこと、それから震災の当時のこと。。「送り火の集い」には、昼の鹿折中学校仮設で活動をご一緒した起業家の方もお出まし頂きましたので、この歓談にも参加頂き、片山さんとも語り合って とても有意義な時間だったと思います。

やがて地福寺さんを辞して、近くに再開されたとボラ仲間から聞いた旅館「沖見屋」さんに宿泊しました。

(撮影:前島吉裕)

伊豆の国市子ども創作能「ぬえ」守山八幡宮祭典公演

2013-10-15 22:03:48 | 能楽
もうおとといの事になってしまうのですが~
伊豆の国市で ぬえが指導を続ける「子ども創作能」の本公演がありました!

本年は新作『ぬえ』を ぬえが台本を書き上げ(ややこしいな。。)、この8月、すでに「長岡温泉戦国花火大会」で ぬえの指導のもと『ぬえ』は初演を迎えましたが、その後も ぬえは『ぬえ』の稽古を続け、子どもたちも ぬえから『ぬえ』の指導を受けて、この度はお囃子方の来演を願って、ぬえも参加して『ぬえ』の本公演が行われた、というわけです。ぬえ。

伊豆の国市の中でも寺家(じけ)という地域は、かつて北条氏の邸宅があったところで、ここにある「守山八幡宮」は北条氏の氏寺だった、という由緒ある神社。平治の乱のあと伊豆・蛭が小島に流された源頼朝は北条時政の娘・政子と結婚すると北条氏の庇護を受けてこの地に住み、北条氏が源氏と同じ八幡神を信仰していると知って感激、平家の目代・山木兼隆を目標に挙兵した際も、頼朝は三島大社とともにこの守山八幡宮に戦勝祈願をしています。

そうしてこの守山八幡宮のお隣には願成就院さまという名刹がありまして、こちらも北条時政の願によって建立され、なんと運慶仏が5体も安置されています。後北条(早雲)も含め、幾たびもの戦火に晒されたため、八幡宮も願成就院も建築は当時のものは残っていないながら、運慶仏は、よくまあ現代にまで伝えてきたものだと思います。そうしてその作の見事さは、ぬえが初めてこれを拝見したときには衝撃を受けたものです。しかるべくして、本年この運慶仏は国宝指定を受けることとなりました。仏像彫刻としては中部地方初の国宝指定なのだとか。

これほど歴史の上で重要な位置を占める伊豆の国市で縁あって子ども創作能の指導ができる ぬえは幸せものですが、地元の方々の強力な協力を頂いて、もう15年も指導を続けて参りました。このたびは新作の創作能として4作目になる『ぬえ』の上演ですが、本年度だけで4回の公演予定こそありますが、お囃子を入れての本格公演は、予算の都合もあってこの1回だけ。子どもたちの稽古にも気合いが入りましたが、もう15年の指導、そうして4作目になる台本、となると、おのずと難易度も上がってきました。もう、前作『伊豆の頼朝』でも小学生が中之舞なんか舞っていましたが、新作『ぬえ』ではシテに当たる鵺の役と、その眷属の「小ぬえ」役の合計8人の小学生が舞働を舞う、というハードルの高さ! ああ、小学生相手に ぬえも酷ですが、だって、みんなハードル上げても、苦しみながらも ちゃあんとついて来るんだも~ん。

かくて上演された 子ども創作能の舞台を見よ!

まずは創作能の前に、中学生となったOG2人による舞囃子『竹生島』。シテが2人という変則ではありますが、子ども能を卒業してもまだ稽古を続けてくれる中学生には古典の曲をしっかり勤めてもらうことにしております。





新作『ぬえ』の舞台はこちら! 
勅使により近衛帝の御悩の原因と推測される化生の物を退治するべく源頼政が任じられる。頼政はただ一人の郎党・猪早太を連れて南殿の大床に伺候し、八幡太郎の故事に基づき弓の弦を打ち鳴らし、御悩の刻限を待つ。



やがて案の如く東三條の森の方より黒雲がひと叢立ち来たって御殿の上を覆う。頼政は八幡神に祈誓を込め黒雲を目掛けて矢を射ると、果たして手応えがあった。この日は八幡宮さまの祭典の日ということで境内はごった返して、本来は頼政は矢を本当に射る型をつけてあったのですが、この状況ではお客さまに当たって怪我をさせてしまう危険性があったので、今回は射ることは禁止にしました~



と、俄に大地が震動し、稲妻が天を走ると、やがて 鵺の一群が現れる。



頼政は鵺と対決し、ついに早太が九刀刺し通して鵺を退治する。弓箭の道の誉れとなったのだった。





終わって再び舞台に登場してお客さまにご挨拶。



やがて控室に戻ってアイスクリームのごほうびをもらいました。





最後に集合写真を。いつも何枚かオーソドックスな構図で写真を撮ってから、指先を頬にあてて小首をかしげて「おすまし」ポーズで写真を撮るのですが。。



最近はあまり子どもたちにも あきれられてやってくれない。。で今回は 新開発の決メポーズだっ!
名付けて「ゾンビ集合」!!!!



。。え? 誰もついてきてない?? (・_・、)


(撮影:山口宏子/子ども能参加児童の保護者)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その5)

2013-10-09 10:42:17 | 能楽の心と癒しプロジェクト
鹿折中学校住宅を正午頃に辞して、次の公演場所である地福寺さんへ。。まずは鹿折復幸マルシェに寄って、鹿折中学校住宅での活動をコーディネートくださった小野寺由美子さんをお訪ねしましたが、生憎この日は休業でした。。と、ここでお別れするはずだった起業家の住民ボランティアさんから、昼食をご一緒に?  という提案を頂きました。地福寺さんでは夕方に上演の予定だったので、ありがたく昼食に参りました。お勧めのおいしい釜飯のお店は混雑中ということで、しばし住民ボランティアさんのお店で歓談してから昼食を頂き、ここで みなさんとはお別れして地福寺さんへ。



もうこちらで活動させて頂くのは3度目になるでしょうか。そのほか気仙沼の美術館で行ったプロジェクトの催し「星と能楽の夕べ」公演にお招きして出演頂いたこともありますので、ご住職の片山秀光さんとご一緒の活動はこれで4回目になります。最初の活動。。昨年の2月だったと思いますが、終演後に片山ご住職とはずうっと話し込んで、ここまでの復興の道のりについてや、日本の伝統文化の衰退について、それから地福寺さんが続ける地域の支援活動について大変興味深いお話を聞かせて頂きました。これがきっかけで今年の3.11をめぐる催し。。地福寺さん主催の追悼法要に出演させて頂き、また当プロジェクトの「星と能楽の夕べ」公演にて開演前の黙祷の主導をお勤め頂いたりとお互いの交流を発展させてきました。



ああ、まだありますね。伊豆で ぬえが指導している「子ども創作能」に参加しているご家庭からの支援物資。。これも思えば震災の半年後から続けてご支援頂いていますが、この受け入れを地福寺さんが引き受けてくださったり。なんだか良い関係がずっと続いております。

この日は地福寺さん主催のお盆の「送り火の集い」への参加させて頂くことになっていました。
しかも能の上演場所は枯山水の石庭の上! 。。足の裏が痛そうですが、まあ仮設商店街で角ばった砂利の上で舞ったこともあるので、細かい白砂。。じゃなくて、やっぱり石だけれど、小石の上なら大丈夫であろう。。

準備を始めていると、ピアニストの御子柴さんも到着。ずっとプロジェクトでは活動を共にしてくださっているピアニストで、もうお互いの様子がわかっているから安心です。この日は「送り火の集い」で、法要がメイン、そこに能が奉納という形で加わるのですから、本来ピアノなどが入るとイベント風になってしまって、出演者の中でも最初は異論が出たのですが、ぬえは庭にキャンドルを敷き詰め、竹灯籠を灯す、という片山さんのお言葉を聞いて、ここはやはり聴覚の要素。。は必要だろう、と考えて、片山さんとも話し合って、ピアノコンサート風にせず、ヒーリングミュージックのような演奏を、と御子柴さんにお願いしました。

ピアニストに対しては「裏方の、BGMとして弾いてください」と言うわけで、失礼千万な話ではありますが、御子柴さんはこれを快諾くださり(そういう方だと知っているからお願いもできました)、こうして「送り火の集い」の概要が固まりました。結果的にピアノ。。というよりこの日はキーボードをメインに弾いて頂いたのですが、これはとっても雰囲気を盛り上げてくれました。

御子柴さんも、今日はドビュッシーの「沈める寺」を弾きますが、これ、不協和音の感じが西洋の教会のベルではなくて東洋の鐘の音を感じるんですよね。。と言っていました。曲名が、ここで演っていいの? という感じですが (^_^;)、曲調はまさに夕暮れのお寺の石庭に合っていますね。





こうして淡々と準備は進んでゆき、やがて日暮れを迎えます。



こちら今回膨大なキャンドルを持ち込んで飾り付けた「ともしびプロジェクト」のリーダー杉浦恵一さん。








(撮影:前島吉裕)

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その4)

2013-10-08 01:57:31 | 能楽の心と癒しプロジェクト
上演終了後は仮設住宅で恒例のお囃子体験会と装束の着付け体験会。
いろいろ、試行錯誤しながらやってきましたが、囃子は文句なく喜ばれますね。そうして装束。面よりも装束の方が喜ばれるのは、震災以来着物なんて着たことがなかった。。という おばあちゃんが多いから。一度などは目の前で涙があふれちゃった方もありました。この日は爆笑のうちに(なぜ??)体験コーナーは進みました。













そうしてその後。今回の仮設訪問の目玉企画である、市民起業家さんたちによる住民サービスです。

以前にもご報告しましたが、気仙沼には震災前から障害児童の支援団体「ネットワークオレンジ」という団体がありまして、ぬえたちも ふとしたことからその事務所で活動をさせて頂きました。もう1年半も前のことです。その後は、なんとなく、つかず離れずお付き合いしている、という感じではありましたが、今年に入ってからにわかにお近づきになり、5月には新拠点の落成式に出演、そこからまた どんどん人のつながりの輪が広がりました。

その落成式で、まずはリーダーの小野寺美厚(みこ)さんの類い希な才能と、未来まで鋭く見据えるビジョンの確かさに本当に感銘を受けたのですが、もうひとつ、「ネットワークオレンジ」さんが支援する起業家育成の講座を受けて国の助成プログラムに合格した起業家さんたちと知り合ったのが大きな収穫でした。

起業家といっても大層なビジネスマンではなく、お隣さんのような気軽さで街の中に溶け込んでいく、それこそ地域の中に生きる小さなお店、という感じの経営者の方ばかり。この落成式で ぬえは大いに意気投合しまして、それならば、ぬえたちプロジェクトの仮設住宅での活動にご一緒して頂けないか、と その場でお願いし、みなさんも即答でご協力頂けることになりました。

それからの懇意な関係。。ええい、もう名前を出しちゃえ。

この度の仮設住宅での ぬえらプロジェクトの活動に同伴くださり、住民さんサービスを提供してくださったのはこの方々!

村上緑さん:パワーストーン Green (ストラップのプレゼント、お手持ちのブレスレット無償修理)
村上寛さん:コンビニエンスサービス ヒロ (ご家庭のお困りごとお手伝い・代行サービス)
米倉三喜子さん:復康フットサロン よつば (足ツボマッサージ体験)
村上朋子さん:ココ・カラ (心と体に関する無料相談や症状を軽減する無料マッサージ)
白幡まさえさん:おぢゃのみ工房 子葉輝 (がんづき と しそジュースのサービス)

ね? いいでしょう? これらの方々にはこの日と、あるいは翌日の別の仮設の2カ所の両方、またはどちらか1方でお手伝い頂いたのですが、これ、まさに仮設のような、住民さん個人の困りごとに寄り添うことあ必要な場に、きめ細かいサービスができる内容だと思います。ゴメンなさい、でも実際の活動を写した画像がないのです。。



ぬえたちの活動は もっぱらお能をご覧頂く「癒やし」の活動だったわけですが、それだけでなく、つまり「見せっぱなし」でなく、住民さんにお楽しみ頂ける活動が、とくに避難所や仮設住宅では必要、と、ようやく気づいたのが活動を開始して半年も経った2011年の暮れぐらいだったでしょうか。

それから山形県のお坊さんの炊き出しボランティアと一緒に活動したり、ぬえたちだけの時は試行錯誤しながら「体験コーナー」の充実を図って行ったのでした。段々に時間の比率は、上演時間よりも その後の体験コーナーの方が長くなっていきました。

震災から2年を経て、ぬえたちの活動も、能だけでない、いろいろな楽しみが詰まった活動にしたい、と考えています。そのひとつがピアニストと一緒に活動したり、星空を投影してロマンチックな空間を作り上げる活動。。ぬえはナマイキにもその方針を「文化の復興」を目指す活動の一環、と考えているのですが、また一方、その活動が、結局「ご覧頂くだけ」の活動に逆戻りしていないか? という思いは常に持っていました。美しい夕暮れやキャンドルの中での能楽鑑賞と、住民さんに装束を着付けて、ちょっと格好つけて頂いて、みんなで爆笑、という活動は相反した方向性を持っています。それを上演するのが仮設住宅なのか、被災を免れた美術館なのか、でも違うとは思いますが、どこかで融合できないか、とも考えてはいます。

そんな混乱した思いの中で、今回はあまり深く考えもせず。。いわば炊き出しの代理として、という程度で ぬえは起業家さんたちにご一緒の活動をお願いしたのではないか、と思います。しかし、彼女たちから ぬえに提出された住民さんサービスの、そのきめ細かい内容を見て、ぬえは正直、衝撃を受けました。こんな、ご近所さんのお付き合いの延長のようなサービスを、ぬえたちはやって来ませんでした。もう2年半も活動しているというのに。

おめ、肩凝っでるなあ、ダメだよぉ、考え込み過ぎねで、たまには力抜いでリラックズしねえとぉ。

ぬえたち、やっぱり余所者なのかもしれないなあ。美しい能装束を着て頂いても、本当にこの住民さんたちのお側に寄り添っている、と言えるのかしら。なんか、着付け体験が急に色あせてしまったように見えました。復興は、どこまで行っても住民さんたちで成し遂げるもの。ぬえたちの目線は、やはりどこか東京のものなのかも。

でもまあ、たまにしか東北を訪れることができない ぬえたちにとっては、それで仕方がないのかも知れませんね。見守る、その日だけは楽しんで頂く。それで良いのかも。ともかく、これら市民ボランティアさんに負けたな。。と思った、そんな日でした。気分は良いのですよ? 一緒に活動できたことが ぬえには嬉しい、そんな日でもあったのです。

(撮影:前島吉裕)

NHK ETV特集「トラウマからの解放」

2013-10-06 01:16:50 | 能楽の心と癒しプロジェクト
。。激しく心を動かされました。再放送だそうですが。。

トラウマから精神的に不安定になり、ついに鬱に。。それが、心の奥に閉じこめられた闇を突き止めるセラピーと、眼球を動かすなど身体の左右に刺激を与えるEMDRと呼ばれる、むしろ簡単といえる治療法でこんなに見事に緩和されるなんて。。! 患者さんの目にはこのお医者さまは天使にも神にも映ることでしょう。

ぬえだって日常的にストレスを感じるし、あまりつらい時には、ここで鬱に陥るわけにはいかない! と、むしろ頑張って明るく振る舞うようにしているんだけれども(いや、がんばれば鬱にならない、というわけでもないでしょうが。。)、自分が頑張ればちゃんと成果が目に見える仕事がらか、また伊豆や東北での活動に大きな成果を実感できるからか、追いつめられることはないです。もともと楽天的。。というか ばかなのかもしれんけど。

でも人間関係など難しい問題に悩み、メンタル・クリニックに通ったこともあります。。この時は処方された薬を飲んだらケロッと治っちゃったけど (^◇^;) やっぱり ばかなのか。。

翻って、震災以後、こういう心のケアというのはどう推進されているんだろう。。

ぬえだって一度だけ、仮設住宅で子どもたちの「津波ごっこ」を目の前で見てしまって凍り付いたことがあります。あれだけの規模の災害で、心に傷を負った人々。。わけても子どもたちの心の治療は決しておろそかにされてはならないです。彼らが将来の被災地を背負って立つのですから。

しかし番組ではEMDRの治療法が確立されたアメリカと比べると日本ではまだまだ圧倒的に専門医が少ないこと、その専門医の治療も保険がきかないため自己負担になること、さらに精神科医でもトラウマを見抜けず外面に現れる症状をおさえる治療を選んでしまって、症状が悪化してしまったりする現実も紹介されていました。

現実には患者さんと一定時間 話を聞いてあげること。。これは「傾聴活動」というやり方で被災者と向き合うボランティア活動もありましたが、そうして寄り添ってあげる信頼関係からでないとトラウマの根元を探り当てることも難しく、治療には長い時間がかかり、また一人の医師が診察する患者の数にも限界があります。でもアメリカでは資金を寄付などに頼り、子どもたちの心のケアは重視されているとのこと。

難しい問題もあり、ぬえにはどうすることも出来ないのですが、人の生死に関わる問題だと思います。
どうか どうか被災地のすべての子どもたちの心の声を聞いてあげるようなシステムを作り上げてほしい、と心から願います。

番組の紹介は→こちら

ちょっと長いですが→番組の全編が映像として公開されています。


第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その3)

2013-10-05 04:19:42 | 能楽の心と癒しプロジェクト
小野寺由美子さんには、この活動のあとマルシェに寄ってご挨拶しようと思ったのですが、お店がお休みでお会いすることができず。。そのまま10月の今日を迎えてしまいました。まあ。。今月も来月も気仙沼には何度か滞在したり通過する機会がありますのでお会いできる日もあるでしょう。

さて最初の活動地「鹿折中学校住宅」に到着しました。わかるかしら。ここでもやはり、中学校の校庭の半分を舗装して、住宅と駐車場に宛てられています。震災直後の避難所も、またその後建設された仮設住宅も公立学校に多く作られるのは、当然そこが公立の公共施設で、災害時に自治体の判断で使用目的を変更するのが容易であるからですが、それが子どもたちが通う小中学校であるとき、痛ましさを感じますね。。

ぬえは多くその事例を石巻で実見しました。避難所時代には、被災しなかった学校には避難所が設けられ、さらに学校そのものが壊滅した被災地域の児童・生徒のための「仮設学校」が同じ学校内に間借りして教室を開いたり。こうなると学校の敷地が足りなくなって、間借りしている小学校の児童は、校庭がふさがっている時は、近所の公園で体育の授業をしていたり。。一方避難所を解消しようと行政は仮設住宅を次々に建設しましたが、避難所の住民さんにとって引っ越しの手段や経済的な負担をどうするのかという問題に直面したり、いやその前に避難所の解消の期限は震災から半年を経ていて、避難所で培われたコミュニティを分断するような、抽選による住居の指定がなされたり、ましてその結果、車も持っていない高齢の住民さんに割り当てられた仮設住宅が、付近に商店もない山間の数軒だけしかない仮設住宅だったり。。「こんなところでは私は生きていけない」と嘆く住民さんに寄り添って、ときには拒否まで勧めたボランティアさん。それが原因となってささやかれる「学校が再開できないのは避難者が居座っているからだ」という心ない声。。いま考えれば、震災の年の10月。。あの避難所の解消までがある意味で震災後の「混乱期」と呼ぶべき状態だったのではないかと思います。

ともあれ鹿折中の校庭に建てられた仮設住宅に到着しました。掲示板にはちゃんとチラシを貼ってくださっていてありがたや~。



上演会場となる集会所もすぐに見つかり、早速 自治会長さんにご挨拶させて頂き、上演の準備を始めさせて頂きました。この日到着する予定の太鼓のOさんも、ほどなく到着。仮設住宅での活動で囃子方が2名も参加して頂くのはあまり例がなく、それならば、というので上演後の体験コーナーも囃子体験を充実させることにしまして、Oさんもわざわざ体験用の鼓や太鼓を何調もご用意してくださいました。







なんか ぬえも楽しそう。



そうして上演の時間が迫ってきまして、ぬえも装束を着て準備。大概の装束はもう自分一人で着れるようになりましたが、やっぱり無理なところもあって、そこはお囃子方である笛のTさんにお手伝い願ったりしています。東京でそんなことはあり得ない訳ですが、被災地では仕方がない。Tさんも、もう ぬえの着付けを手伝わされる経験は2年以上ですから、もう手慣れたもの。おっと、太鼓のOさんは天冠が珍しいみたい~ 能の世界は完全分業制ですから、同じ能楽師といってもお囃子方がシテ方の道具類を身近に見る機会は、ほとんどないのです。それが着付けの手伝いまでさせられる。。すみません~~



やがてお客さまも見えて上演が近づきます~。

こうして朝から能!。。『羽衣』を上演させて頂きました。









「国土にこれを施し給ふ」の型では思い切ってお客さまの方まで出る。。いつも機会があればそうしているのですが、この日は座布団の感触が膝に伝わって「?」とは思いましたが。。お客さまのすぐそばに行けたとはいえ、なんか変な格好だなあ。。



第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その2)

2013-10-04 23:10:57 | 能楽の心と癒しプロジェクト
先日、東新城地区で活動したため、安波山トンネルを通るバイパスを通れば宿のある田中前のあたりから鹿折までは渋滞も信号もなくすぐに到着することがわかっていたので、その道を使って鹿折へ。で、定点観測と言いましょうか、第十八共徳丸へ。写真家のM氏はこの船を見てさすがに驚いたようでした。が、その後の展開はみなさんもご存じの通り。M氏は運良く共徳丸が解体される直前に気仙沼に来ることができました。

ぬえは変わったところもない共徳丸(とはいえ、この直前には車がこの船に衝突する事故が起こったらしいのですが)を見て、これまで見に行ったことがない、すぐそばの「鹿折唐桑駅」のプラットホームに立ってみました。



やや高台に立つ「鹿折唐桑駅」のプラットホームは、ほんの数十メートルそばまで大型漁船が流されてきた割には、ほとんどダメージがないように見えました。大船渡線の線路もそのまま残っています。しかしこのレールは気仙沼方面にも、大船渡方面にもつながっていません。津波によってレールがあちこち寸断されてしまったために、いまこちらの大船渡線もBRT(バス高速輸送システム)が運行しています。



レールをよく見ると赤く錆び付いていますね。そうして夏草が生い茂って線路を隠そうとしています。しかし、2年の歳月が経っているのに繁茂がこの程度ということはあり得ない。これはJRの関係者とか付近の住民さんなどが定期的に草むしりをしておられるのでしょう。

共徳丸の方へ駅のプラットホームから下りて戻ってくると、駅舎の前には長野県の有志の方から贈られたカンナが赤い花をつけていました。



さて共徳丸を離れ、今日の最初の活動場所である「鹿折中学校住宅」へ。以前は宮城県では「応急仮設住宅」と呼んでいましたが、あまり良い響きではなかったからか、いつの間にか呼び方が変わっているようです。

ぬえたちが気仙沼市の仮設住宅で活動をするのは、2012年の2月以来のことです。もうかれこれ1年半もの間、気仙沼では仮設の訪問をしていませんでした。。石巻と比べると気仙沼は遠いため なかなか活動をしに行かないのかというとそうでもなくて、割と頻繁に足を向けているとは思うのですが、いろいろな事情もあり、受け入れ頂く方の意向もあり、これまで気仙沼では仮設商店街での活動に比重がかかっていたように思います。あるいは大島まで足を伸ばして活動するとか。

今回は意識的に仮設住宅での活動を行うつもりでいたのですが、それは東新城オレンジ落成式で出会ったネットワークオレンジさんが育て上げた起業家さんたちと、仮設でご一緒に活動しよう、住民さんサービスで ぬえたちの公演に華を添えてほしい、という話が盛り上がったからでした。そうそう、その東新城オレンジ落成式の日、起業家さんたちに車で鹿折復幸マルシェまで送って頂いて、数日後に迫ったマルシェでの公演のポスターをあちこちに貼らせて頂いた折、マルシェの小野寺由美子さんに大変親身なご協力を頂きましたが、この鹿折中学校住宅での活動お話をまとめてくださったのも、誰あろう由美子さんだったのでした。

すみませ~ん、おそらくその数日前にはじめてお電話を掛けて、突然マルシェで活動したい旨お願いしたのですが、その時も快くマルシェの会長さんをご紹介頂きまして。。ありがたいかぎりですが、その後FBで多くのボラ団体さんのお世話をしてくださっている、マルシェのアイドル的な方と知りました~。ぬえ、そこにピンポイントで電話を掛けて活動受け入れのお願いしたなんて。ぬえ、持ってます。

第16次支援活動<気仙沼市・登米市>(その1)

2013-10-03 22:04:53 | 能楽の心と癒しプロジェクト
え~、例によってとっても遅いご報告ですが。。「能楽の心と癒やしプロジェクト」では8月中旬に宮城県気仙沼市および登米市にて支援活動を行ってまいりました。

今回もNPO法人JIN'S PROJECTさまとの共催という形を取らせて頂きました。JIN'Sさまには大変お世話になり感謝しております。また今後もともに手を携えて東北のみなさんのために活動を続けていくことになっています。乞うご期待。

また今回はいくつもの特筆すべき活動がありました。ひとつは7月下旬に石巻で行った、ピアニストを入れた『能とピアノの夕べ』公演の替えバージョンの催しを、気仙沼のお寺の枯山水庭園で行ったこと。次に初めて登米市の本格的な能舞台で活動を行ったこと。そうして気仙沼の2カ所の仮設住宅での活動では、気仙沼市民の協力を得て能楽公演だけでなく住民サービスの活動を行ったこと。これらの活動のどれもすべてが、これまでの活動では行ったことのない、初めての試みの連続でした。そしていずれの活動も成功裏に終わることができました。ああ、やってよかったな~と思える活動になったのは本当に幸せなことです。ご協力頂いた関係諸氏に心より感謝申し上げます。

【8月15日(木)】
この活動の前、ぬえは東京でスケジュールが立て込んでいまして、この日も ぬえは東京で稽古能2番、それから秋にあるお役の斬り組みの稽古を終えて、さて自宅に帰って、夕方近くなってからようやく車で出発。気仙沼に到着するのは深夜になってしまうので、笛のTさんに事前に気仙沼に入ってもらい、定宿に先にチェックインして頂きました。ぬえは、結局JINSのリーダーのJINさんと一緒に気仙沼に向かったのですが、まあまあ深夜にはならずに到着、早速にJINさんと「気仙沼ホルモン」を食べに、先日も行ったお店にまた行って、宿にも無事に入ることができました~。よかったよかった。

【8月16日(金)】
この日から活動開始。写真家のM氏がこの朝 高速バスで気仙沼に到着することになっていたので、これまた例によって睡眠障害の ぬえが朝5時に起きてバス停がある気仙沼市役所前へ。

M氏は夜行バスは初めてだったそうで、あまり眠れなかったとのこと。そうでしょー。ぬえも今年はじめて夜行バスに乗りましたが眠れなかった。。あ、それは睡眠障害だからか。で、ちょっと大変だとは思ったけれど、宿では宿泊客以外は入館禁止、ということだったのでMさんには宿で休んでもらうわけにもいかず、早朝に気仙沼の被災地区を案内することにしました。

南気仙沼駅。。もう草が生い茂ってしまって、プラットホームさえ見分けられないほどに。このプラットホームは瓦礫の撤去のための車両が通行するのに邪魔だったのか、震災の年の秋頃でしたか、突然中央部分だけ取り壊してなくなってしまいました。



内湾地区。埋め立て地で、水産加工工場の大きな建物や、駅の周辺は歓楽街だったそうですが。。瓦礫を撤去して岬の突端部分まで行けるようになったのは、震災後1年近く経ってからのことでした。今でもその突端部分には津波のために壊れた建物の鉄骨が残されていました。



もう少し内陸に入った地区では、壊れた家屋も残っているのですが、それも もう数えるほどになってしまいました。



そうこうしているうちに、最初の活動場所である「鹿折中学校住宅」へ楽屋入りする時刻が近づいてきました。コンビニで弁当を買って食べて、宿に帰ると笛のTさんも起床していましたので、別の宿に泊まったJINさんも拾って、一路鹿折地区に向かいました。