ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

鹿児島で学校公演(その3)

2009-10-31 09:08:21 | 能楽

前回ご紹介しました特攻隊員のマニュアル書ですが、検索して調べた結果「と号空中勤務必携」というもののようです。どうやら文庫本などにも収録されているようですので、興味のある方はお調べください。ぬえもすぐに探します。。とはいえ、手帳ほどの大きさで横長にガリ版で印刷された。。すなわち人の手書きによって作られたあの凄みは活字になってしまっては到底現れてこないとは思いますが。。

「と号空中勤務必携」は知覧特攻平和会館の中ではかなり奥の方に、ほかの展示品に埋もれるように壁に展示されていました。つい見過ごしてしまいそう。ただ本書はバラバラに解体されて、大きな額ふたつに全ページが読めるように展示されていました。全部で70~80ページあるのですが ぬえは一気に読んでしまいました。こちらも機会がある方はぜひご覧になることをお勧め致します。

さて上記の画像は同じくオフの日に行った知覧に残る武家屋敷群です。いや良い雰囲気ですね~。それになんとも不思議な風景でしょう? 石垣の上にそびえる垣根の、その刈り込みの不思議なこと。それが通りから見ると不思議な景色になるのですね。で、公開されている武家屋敷の庭園に入ってみると。。



なるほど、不思議な垣根は庭園の遠景になって、遠山を表していたのですね。借景に本当の山並みまであるのに、なんとも豪華なことです。ちなみにこれらの武家屋敷には今も当地の方が暮らしておられて、公開は庭園のみとなっています。庭園の見学には入場料がかかるのですが、いくばくの入場料でこの景観が維持されるのはありがたい事だと思います(実際にはそればかりでは不可能なのでしょうが。。)。ここは国の名勝に指定されたそうですが、国内には保存の手が差し伸べられずに取り壊されていく古い町並みはいくつもあるのでしょうね。。



これは武家屋敷の表門です。石造りの門といい、目隠しの石といい、これはやはり琉球文化の影響を受けているのでしょう。

このあと ぬえは知覧からJR線が走る海ぎわまでバスで戻って、行けるところまで、と電車に乗ってみました~。結果、そこから先への電車の本数が減る指宿で降りて、徒歩で海まで行ったところで日没となったので、ここで今回の旅行を終えて鹿児島市に戻りました。ちょっとだけ鹿児島湾の海の水に触って。



翌日は鹿児島市立福平中学校で学校公演。こちらは大きな学校でした。木造の内装を備えた大きな体育館での公演は生徒でいっぱい! 公演後に質疑応答も行われましたが、最初はあまり質問も出にくい感じでした。まあ小学生とくらべれば中学生になれば「恥じらい」も出てくるのでこれは仕方のない面もあるのですが、ところが男の子が一人、意を決して(?)質問に立つと、その後は堰を切ったように次々に質問が飛びました。ああ、みんなやっぱり聞きたいことはあったのね。なんだか元気いっぱい、明るい生徒たちで ぬえも感心しました。



かくして鹿児島での学校公演は終わり、ぬえはそのうちの後半、2つの中学校での公演にしか参加しませんでしたが、とても印象深い経験ではありました。今回出会った南さつま市と鹿児島市の子どもたち、またいつか能楽堂で会えることを楽しみにしております。

鹿児島で学校公演(その2)

2009-10-28 10:16:40 | 能楽

引き続いて鹿児島に来ています。昨日はオフ日でして、東京から集まった能楽師はみ~んな思い思いのひを過ごしていました。ぬえも休暇~、と言いたいところですが、遊びもあり、勉強もあり。そんな1日でした。

ぬえは鹿児島に行くという千載一遇のこの日、どうしても行きたいところがあったのです。それが知覧にある「特攻平和館」。太平洋戦争時代の特別攻撃隊。。知覧はいわゆる「特攻」の最前線となった旧日本軍の基地で、特攻攻撃の中心地であり、司令部でもあったところです。ぬえは何度も公演で鹿児島には来たことがあるのですが、九州最南端の鹿児島県の中でもそのまた最南端に近いところにある知覧。。要するに沖縄に近いから戦時にも最前戦になったわけですが、その遠方にはなかなか達する機会もなく。。このたび念願かなって特攻の記念館にたどりつくことができました。

この地に来たい、と ぬえが願っていた背景には、公演のついでばかりではないですがこの数年のうちにヒロシマ・ナガサキという日本にとってモニュメント的な二つの場所を訪れる機会があってからこそで、日本人として一度は訪れておきたい、という気持ちは強く持っておりました。

ヒロシマ・ナガサキでも思ったことですが、この地に至って ぬえが思うのは、悪政に巻き込まれて よんどころなく死に向き合わされてしまう市民の姿です。あれよあれよと兵士にならざるを得なくなる人々の姿。ぬえの小鼓の師匠・穂高光晴先生が ぬえに向かってある日おっしゃった言葉・・「キミたちは本当に良い時代に生まれてきたよ…」が思い起こされてなりません。

ヒロシマ・ナガサキとは違って、遺品という物が遺書以外ほとんど残されていない現実。その遺された遺書が、検閲をおそれてほとんどの場合「皇国のために身を殉ずるよろこび」を謳っている事実。それらはヒロシマ・ナガサキと違って、本心を意識的に隠したうえで、さらに死に向き合う恐ろしく強い精神力の結実でもあります。ですが。。教育ってやっぱり大切。。



    海中から引き揚げられた特攻機の残骸

さて展示品を見た ぬえがもっとも戦慄したのは、特攻隊のおもに隊長に対して配られた当時極秘のマニュアル書でした。

そこに書かれていたのは、敵艦に激突するための入射角の計算法とか、雲を利用して敵に探知されずに近づく航行法とか、そういった技術的なことも書かれてあったのですが、部下との接し方とか、突入の心構えとか。。こういうところが恐ろしかった。

・部下トハ腹ヲ割ツテ相談ニ乗ツテヤレ
・訓練デハ温情ハ見セルナ

・突入スルトキハ目ヲ開ケテイロ
・目ヲ開ケテ「ブツ」カツタ奴ガイル。ソノ男ハ言ツタ
  ソノトキ母ノ顔ガ頭ニ浮カンダ。ソレハ動揺モセズニフツウノ顔ダツタ
  ソノアト見知ラヌ女ノ顔ガ浮カンダ。ソレハ誰ダカワカラナカツタ
  ソレカラアトハ。。ナニモナイヨ

そうして死んでいった特攻兵の、なぜ体験談があるのか。
とにもかくにも。。言葉の出ない体験ではありました。




鹿児島で学校公演

2009-10-27 00:53:16 | 能楽

ただいま鹿児島に来ています~

文化庁が主催の「本物の舞台芸術体験事業」。昨年は ぬえの師匠の一門にて北海道と東北地方の小中学校を2週間掛けてまわって公演をしましたが、今年は鹿児島の中学校で巡回公演をさせて頂くことになりました。

今日は朝5時に起きて羽田空港に直行、そこから鹿児島空港を経て会場となる中学校に移動してすぐ公演、と、なかなかハードスケジュールですが、なかなか実りのある催しだったと思います。

今回は2度に分けて数カ所の学校を巡回して公演しているのですが、ぬえは師匠の東京での公演があるためそのうちの2度目の公演だけに参加しました。そうして今日訪れたのは南さつま市立津貫中学校。位置としては鹿児島県のずっと南、薩摩半島の南端の、枕崎や指宿に近いところになります。

このあたりには鉄道も通っておらず、とっても静かでのどかな環境。うらやましい限りです。しかし中学校の生徒数はわずか30数名。。残念ながらこの中学校は廃校になることが決まっているのだそうです。。 それでも今日の催しにはお隣に建つ津貫小学校の児童や近隣のみなさんも集まってくださってくださいました。

能楽のレクチャーから始まって、字幕を舞台袖に投影しながらの能『安達原』の上演。はじめて見るであろう能の公演だったのですが、間狂言の活躍や後シテの鬼女の迫力に興味はつきない様子でした。

特筆すべきなのは公演終了後の質疑応答で、これは主に小学生からと、それから先生? からも質問が次々と出されて、とても用意していた時間が足りないほどでした。これには驚かされましたですね。昨年の東北での学校公演よりもさらに多くの質問が出されたのではないかしら。

また公演の冒頭に行われたレクチャーでは、とくに囃子の説明に興味が集まったようで、説明にあたったお囃子方が機転をきかせて、小学生の一人に大鼓を打つ体験をさせたところ、これは大いに盛り上がっていました。実演があり、体験があり、それからプロの芸を見せる。。理想的な学校公演ではなかったかと思います。

さて公演の終了後のいまは鹿児島市内に宿泊しているのですが、夕食後に市内を歩いてみたら。。鹿児島中央駅の駅ビルの屋上に観覧車があるのを発見! よくよく見ると。。なんと観覧車のゴンドラの中に 2台だけ「透明なゴンドラ」があるのです! これは。。と思って駅ビルの屋上に上がってみると。。観覧車の乗り場にはお客さんはだ~れも並んでいません。ははあ、この観覧車は作られて時間が経っていて、地元の人たちにとっては平日の夕食後などには もう並んで乗るほどの話題性がないのか。。

で、乗ってみました。もちろん透明なゴンドラが乗り場に廻ってきたところを見計らって。



おお~~っ、本当に透明だ。やっぱり高度が上がってくるに従って。。怖いかも。。

鹿児島には何度か来たことがありますが、まだまだ知らないところがたくさんあるな~

ぬえ ぬいぐるみ

2009-10-26 01:13:50 | 能楽

なんでしょ? これ。

じつはこれ、「ぬえ ぬいぐるみ」と申します! なんとっ、ぬえはぬいぐるみになっていたんですか~~(*^_^*) 先日 伊豆に行ったときに無理を言って頂いてきてしまいましたっ(^^)V

なぜ伊豆に「ぬえ ぬいぐるみ」があるのか? というと、これが長~い話なんです。

ぬえ…いや鵺は能『鵺』にもある通り近衛天皇を悩ませた怪物で、源頼政によって退治されたのは『平家物語』でも有名な話。でもその話は都での事件であるはず。…じつは頼政の愛妻として『源平盛衰記』などに描かれる「菖蒲前(あやめのまえ)」が、ここ伊豆の長岡・古奈地区の出身という伝承があるのです。

『源平盛衰記』に書かれているのは「頼政は鳥羽院に仕える菖蒲前をひと目垣間見て一目惚れをし、文を送り続けたけれども返事がない。そうしているうちに三年の月日が経ち、あるときその事は鳥羽院の耳に入ることになった。鳥羽院は頼政を試そうと菖蒲前によく似た年齢・美貌の女御を集めて菖蒲前とともに立たせ、頼政に思いを掛ける菖蒲前を選び出せ、と言った。頼政は赤面して<五月雨に沼の石垣水こえて何かあやめ引ぞわづらふ>と、いずれもの美貌に選び出すことはできませんと歌を詠んで返答した。院はこの返答に感動して涙を流し、みずから菖蒲前の手を取って頼政に賜った」というもの。


ここから先、つまり「菖蒲前」が伊豆出身というのはどうも史料には乏しいようですが、それでも『源平盛衰記』には頼政の嫡男・仲綱はこの菖蒲前の子とされていて、その仲綱は伊豆守でしたから、あながち伝説とも言い切れないのかも。余談ですが仲綱といえば平宗盛が仲綱の秘蔵する名馬を欲して叶わず、ついに権勢にものを言わせて奪い取り、ところが供出を惜しんだ仲綱の振る舞いを憎んだ宗盛が奪い取った馬に「仲綱」と名づけて愚弄した、と『平家物語』に書かれてあって、これが平等院で頼政が討ち死にする以仁王の乱の原因のひとつとされているのも有名で、なかなか複雑な人間模様が彼らを取り巻いているのでした。

ともあれ伊豆では「あやめ御前」として地元のヒロインとなっているわけです。当地では「あやめ祭り」や。。そうしてご相伴にあずかった形で「ぬえ祓い祭り」も毎年盛大に執り行われていまして、どうもこの ぬいぐるみも鵺に関連した過去のイベントの中で作られたもののようです。

がしかし!『平家物語』に描かれる「頭は猿、尾は蛇、足手は虎」という鵺の姿をここまで忠実に再現した ぬいぐるみが存在していたことにまず感動! 



後ろ姿に注目! ちゃあんとシッポがヘビになっています。ああ~ ぬえってヒーローなのねえ(←違)

。。ちなみに ぬえというハンドルは ぬえが能『鵺』を舞ったときにつけたもの。
当時は「頭は猿、尾は蛇、足手は虎のごとく」という謡曲の表現に「ををっ、カッコイイじゃん!」と思ったものでしたが、後日 よくよく『平家物語』を読み返してみたら。。謡曲にはこの表現が抜け落ちていました。。


「お腹はタヌキ」

。。(×_×;)

マリモ姫、1歳のお誕生日を迎えました~

2009-10-23 13:10:39 | 雑談

なんだか長らくのご無沙汰です~ m(__)m
まあまあ舞台も多くて せわしない毎日を送っております~

そうこうしているうちにマリモ姫が1歳のお誕生日を迎えました~(#^.^#)
いつの間にか1年が経っていたんですね~。 マリモ姫をお迎えしてから。

秋生まれのマリモ姫は寒い冬も暑い夏も乗り切って、無事に1歳のお誕生日を迎えました~

今年は冬も夏も割とおだやかな気候だったと思うので、はじめて体験ばっかりの冬も夏も、姫は大変ではなかったかも。暑い夏はウサギさんはグッタリしていしまいますものね~(×_×;)

じつは ぬえ家にお迎えしたウサギさんはマリモ姫で4人目。
最初のマリカ姫は7歳まで一緒に過ごしました。。が、2代目のマリモ姫はわずか1歳になる前に亡くしてしまいました。だから今のマリモ姫には早く大きくなってほしかったんです。そりゃ小さい時はかわいいんだけれど、やっぱり幼いうちは病気にも弱いのですね。ぬえとしては小さいときに病気になってしまうよりも、丈夫に早く大きくなってほしい、と思っていました。

ところが3代目のマリカ姫は。。無事に3歳まで育ったんだけれど、休暇に一緒に旅行をしているときにお庭で遊ばせているうちに。。どこかにいなくなってしまいました。。(;.;) 野生の環境では生き延びられるかと心配したのですが、その後その土地のご近所さんから畑を飛び跳ねている姿を見たとお知らせ頂きましたから、たくましく生きているようですが。。(。、ヾ

もうお気づきと思いますが、ぬえ家のウサギさんは初代マリカ姫→初代マリモ姫→2代マリカ姫→当代マリモ姫、とずっとお名前を襲名しております(^◇^;) ちなみに「マリモ」とは阿寒湖にいる丸~い藻のことではありませんで、「マリカの妹」という意味だったりします~

んでは「マリカ」とはどういう意味かというと、なんとアラビア語で「女王さま」という意味! この名前はじつはネット公募の名前 (^_^; だったりします。ま、そんな大げさなものでもないんですが、まだインターネットも普及していない頃、パソコン通信の能楽専門のBBS。。いやその頃は「会議室」と呼ばれていましたが、そこで「今度ウサギさんをお迎えすることになりました~。名前をどうしたらいいでしょうね??」と会議室の住人。。「ROM」に対して「アクティブ」と呼ばれていましたが、こちらに聞いてみたのです。それはそれは いろんな名前の候補があったんですが、中に一人アラビア語を習っておられる方があって、ぬえが「お迎えしたウサギさんはまるで女王さまのようにふるまっています」と書いたところ、女王さまを意味する「マリカ」の名前を教えてくださったのでした。

それにしてもウサギさんにも性格がいろいろあって。初代マリカ姫はイスに乗っけても高さを怖がって飛び降りることもできませんでした。それなのに次の初代マリモ姫はよくテレビの上に乗っていたっけ。。(^◇^;) 三代目の2世マリカといまのマリモ姫は寒くなるとお布団の中にもぐり込んできます~(#^.^#)

あ~いつまでもマリモ姫と一緒にいられますように~。(*^_^*)

画像はあえてお迎えした1年前のものです~。もう走り回って撮影するのが大変でした。ショップでウサギさんを区別するために耳の中に「1」と書き込まれちゃってる~

大倉流小鼓「裕月会」、無事に終了しました~

2009-10-09 01:24:54 | 能楽
うん、楽しいお会でした。

お弟子さんも一生懸命に舞台を勤められて熱演が繰り広げられ、お客さまもこれを暖かく見守られ、大曲も演奏されたし、玄人はだしの名演もあり。まあ、大舞台で緊張されて思うように打てなかった方もあるかと思いますが、総じてレベルの高い催しではなかったかと思います。(^^)V

ぬえも地謡や居囃子のシテを何番か勤めさせて頂きましたが失敗もなく、後味の悪い思いをすることなく楽屋を出ることができました。ん~、囃子のお弟子さんの発表会でプロのシテ方が間違っているんじゃ問題ですからね~。。そりゃ人間だから失敗を根絶することは不可能なのですが。。それだけにこの催しの前日はスケジュールを入れずにずっと家で稽古をしておりました。

この催しに集まった能楽師も、シテ方も囃子方も まあイキのよい若手~中堅どころで固められ、みなさん力のこもったバックアップで聴き応えがありました。お弟子さんも楽しそう。これらの人々が集ったのも、古賀先生の人望によるものでしょう。ぬえも古賀先生とはおつきあいが長いですが、ぬえにとっては古賀先生は大先輩にあたります。それでも昔から先輩風を吹かせたりすることなく、優しく接してくださっておられました。このたびのお会も気さくにお声を掛けてくださり、なんだか友だちのような気軽さ(いや、先輩にそんな態度ではイカンですが。。)で楽屋にいることができました。それだからこそ、なおのこと、舞台上では ぬえのできる範囲内ではありますが、最高の成果を出したい、と思っていた ぬえでした。

さて、古賀先生からわざわざご指名を受けて ぬえが司会をさせて頂いた「能楽レクチャー」ですが、あ~~時間が足りない! ぬえとしましてはここは心残りが大きかったです。結局能楽の基本的な解説~お囃子方による楽器の説明に多くの時間が割かれてしまい、「お題」として突然指定された「気分」を音楽として表現できるか? という眼目の試みもわずかに1曲だけしか実現できませんでした。さらに見所全体を巻き込んだ囃子体験講座、という ぬえのアイデアにいたっては とうとう時間切れで実現できず!! ああ~、すべてはおしゃべりな ぬえが時間配分に失敗したのが原因です。これは悔しい。次の機会が来たときにはぜひやってみたいです。。

終演後は打ち上げパーティーにもお招き頂きましたが、ここではお弟子さんからも「ブログ見ました~」とお声が掛かったり、思わぬ再会があったり、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。舞台で失敗があったらここでは恐縮しっぱなしだったでしょう。あ~まずまず良い仕事ができて安心です。ぬえはさらに深夜近くまで飲みにいきました~

翌日は台風が日本を直撃して、東京は鉄道網が大混乱。裕月会の当日は雨模様だったけれど、それでも台風の影響の強風もなかったのは幸いでした。ぬえの出番は開演冒頭の番外連調『天鼓』からで、ああ、ぬえはお会の口開けを勤めさせて頂いたのですね。このときはお客さまは少な目でしたが、レクチャーが始まってみると見所は正面はほぼ満員の盛況でした。

能楽レクチャーは、それだけを標榜してもなかなかお客さまを集めるのは大変でもありましょう。よほど宣伝に工夫するとかでなければ。ところがこういう発表会の中でレクチャーを行う、という古賀先生のアイデアは功を奏したと思います。なるほど、お客さまは多少なりとも小鼓または能楽に興味を抱いてお出ましになる方なのですし、当日の出演者たるお弟子さんにとっても、小鼓についても、また囃子の全貌についても、稽古の際には時間も限られてなかなか勉強する機会も限られてくるでしょう。このレクチャーはこれらお客さまやお弟子さんにとっても興味を引く試みだったのではないでしょうか。

これを機会に能について興味を持たれ、能楽鑑賞や、またお稽古を始める方が増えてくださることを期待したいと思います~(*^。^*)

大倉流小鼓「裕月会」(10/7・矢来能楽堂)

2009-10-03 00:21:32 | 能楽
大倉流小鼓方・古賀裕己先生主催の、お弟子さんの発表会のお知らせです。ぬえも出演する。。のですが、なにやら大役を仰せつかったらしいです。

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第七回 裕月会 平成21年10月7日(水)午前10時30分~ 於・矢来能楽堂(東京・神楽坂駅)

番外連調 天鼓
居囃子  桜川/羽衣/小鍛冶/砧/鞍馬天狗/玉鬘/百萬/松風/下端/融/石橋
連 調  鵜之段/殺生石
舞囃子  野宮/井筒/巴/浮舟
独 鼓  天鼓
番外一調 安宅・勧進帳

ぬえは当日の最初の番組、番外連調「天鼓」(小鼓=田邊恭資・大山容子)のお相手の謡を一人で勤めさせて頂くほか、何番かの囃子の地頭も勤めさせて頂く予定です。

ところが!今回のお会は発表会の中で「囃子レクチャー」が催されるそうでして、そうしてなんと! 古賀先生から ぬえにその「囃子レクチャー」の司会の大役を仰せつかりました!

ええ~?? なんで ぬえなの~??

ん~。。やはり能楽界きってのお喋り屋なのが古賀先生にまで聞こえていた(もしくはこれまでの長いおつきあいの中でよ~く経験してわかっていた。。)のでしょうか。。当日はこれまた能楽界きっての話し上手の津村禮次郎先生もお見えになるのに、大先輩を差し置いて ぬえがしゃべるのはちょっとおこがましいのですが。。

なんでも当初は1時間半という長いレクチャーの予定だったそうで、ん~発表会にとどまらない意欲的な催し。それでも結局時間の関係もあって少し短縮することになって、40分~1時間ばかりがレクチャーに充てられるようです。それでもかなり長いレクチャーですね。

古賀先生もただいまは大舞台を勤められるお弟子さんのお稽古の追い込みに大変な時期なので、レクチャーについては「お任せします」とも言われておりまして、大まかな打ち合わせはできているのですが、細部の詰めはとてもできる状態でもないでしょう。

そうか。それならば。何をやってもいいのね~?(*^。^*)

まあ、まずは通常の能楽レクチャーのつもりで、ぬえが能の全般的な解説をして、それから四人のお囃子方がそれぞれの楽器の説明をして、模範演奏をしてみせる。。ここまでは、なんというかもう決まり切った能楽レクチャーの基本路線のようなものですが、これでは40分はとても埋まらないので、ぬえ自身がやってみたい「試み」をここに導入してしまおうかと。

ぬえは常々思っているのですが、能の場面にはそのシチュエーションに最も合うような囃子が最初から取り決められているわけです。つまり台本があらかじめすでに完成されているのであって、囃子方も含めた能役者は、すでに取り決められた約束事なり演奏を師匠から稽古を受けることを通じて、基本的にはその曲なり場面の解釈を「習得」することになります。もちろん、だからと言って習った事を反復して上演するだけでは「化石」に等しいので、能楽師は独立した後には次第に自分の経験なり感性に基づいて自分なりの曲解釈というものを主張してゆくことにはなるのですけれども。

ともあれ、では古典の曲にとどまらず、ある場面の「状況」というものだけを突然に突きつけられたならば、能楽師は敏感に対処してそれに最も似合う演奏を音楽として表現できるものなのか? もちろん囃子方は四拍子のアンサンブルですから、これはその場で即興して新しい音楽を新作するのを期待するというわけではありません。ある「場面」を急に提示された場合、囃子方はその状況に応じて、往古から伝わっている囃子の手組を最善の選択をして、なおかつ最善のテンポによって表現できるか? 。。これは ぬえにとっても興味津々。

一応これは会主の古賀先生にも承諾を得なければ実現しない試みではありますが、昨日古賀先生に相談してみたところ「おもしろそうですね。やりましょう!」とご快諾を頂きました。しめしめ、ぬえは「お題」を出すだけで、演奏するのはレクチャーに参加する古賀先生はじめお囃子方のみなさんだというのに。(^◇^;)

そんなわけで、この日、ちょっとした実験が行われるレクチャーにはなるんではないかと思います。能楽の囃子にご興味のある方はぜひ覗いてご覧くださいまし~。この「裕月会」は古賀先生のお弟子さんの発表会ですから入場無料! ご来聴歓迎ですよ~! 

能楽の囃子というのは本当に高度な音楽理論に基づいて構築されているものなので、その体系の一部でも垣間見れるかも。。そんなことを考えているうちに、またしても ぬえにヒラメキが。。この「実験」を行っても、まだ40分には足りないよなあ。。(^_^)b