ちょっと書き忘れ。この牡鹿半島に向かった日は、午前中からずっと石巻市内でつぎつぎにイベントの関係者と会って出演の交渉をしておりました。
正直に言って、石巻市では少々「イベント疲れ」のような雰囲気も感じられます。被害は甚大、仙台からそれほど遠くない位置にある石巻市は、ある種「著名被災地」のようになっていますね。そうしていろいろなイベントのために多くの芸術家が、そしてタレントが集まり…。受け入れをする側が少々パンク状態かも…
また一方で、誰も支援の手を差し伸べていない市町村も、いまだにあるのです…。それどころか、これは後日石巻で聞いたことですが、石巻市内でもいまだに自給自足のような生活をしている地域があるのだそうです。こうした不均衡もあり、さりとて、これは ぬえの経験ですが、地域でリーダーとなって活動している支援団体などの連絡先などは容易に知ることができません。もちろん電話やメールを宣伝したら、全国からの声援が集まって、それはそれで機能が働くなるということまるでしょうが…。地域の生活事情に沿った支援を、細かく細かく網羅して、住民のみなさんとも密着して行う必要があるわけで、それには時間も資金も必要。少なくても良いから、息長く支援することが、次のステップへ進む早道なのかも。ぬえも避難所のリーダーと話していて、「やっぱり人と人の信用関係から、なんですよね…」とおっしゃっておられました。一方、当地まで足を伸ばせない多くの日本国民の、ちょっとした善意も受け入れられ、またそれがわかりやすいシステムがあったらいいなあ(と、後日港小学校のボランティアさんとも話をしたりしました)。
こうしたわけで、じつは ぬえたちの訪問も、東京を出発する直前までほとんどイベントらしいものが決まっていませんでした。正直いって、出発の2週間くらい前からは心労も感じたし、なんといっても 石巻のあちこちの関係者とメールなどで交渉するので眠る間がない状態でした。それでもスケジュールは決まらず…そこで現地に入ってからも必然的に受け入れ先の模索を続けることになったのですが、これがじつは大正解で。…飛び込みで上演を持ちかけたところももちろんありますが、それ以上に実際に関係者の顔を見て話すことがこれほど大切なのかがよくわかりました(T氏も石巻の近く…とは到底思えない場所のお稽古のついでに、数日前に先に現地に入って交渉してくれました。これも効果が大きかったと思います)。当地に到着してから ぬえたちの出演の機会は一気に増えて、合計5つもの機会で上演できることになりました。今度はちょっと忙しすぎるかも…。(^_^;)
さてこの日は松島に宿泊したのですが…松島市と塩釜市は3/11大震災の時にも奇跡的に大惨事が起きなかった場所です。国宝の瑞巌寺も、海に面した五大堂も、ちゃあんと残っています。日本三景の松島という天然の防波堤が町を守ったのですね。それで ぬえたちも松島であらかじめ宿を予約することができたのでした。
ところが。
先日このお宿から突然電話を頂いて…いわく「台風15号で甚大な被害を受けてしまいました…当分営業はできません…まわりのホテルなどにも代わりの部屋がないか聞いたのですが、満室か、あるいはやはり被害を受けていて…すみませんがキャンセルということにさせてください…」(!) …宿の方からキャンセルされたのは初めての経験だ…。聞けば1階の厨房やお風呂が壊滅状態だ、とのことでしたが、もとより ぬえらはボランティア団体ですし、雨露さえしのげれば結構ですよ、と、申し上げ、2階の客室は被害を免れたそうなので、予定通り宿泊させて頂くことになりました。いやはや大変な不幸ではありますが、そういう時にこそ宿泊して収入が途切れないようにしてあげないと…。遊びに行くんじゃないからね。…それでも到着したらすさまじい有様でしたけれど…浸水した1階は畳があげられて床板のまま。消毒液のにおいも鼻を突きます。なんとか就寝して翌日はいよいよ石巻市での上演活動を始めます。
翌日。
石巻市にて狂言方のO氏とK氏と合流。夜中の2時に到着して車中で仮眠をとっていたとのこと。まず今夜からご厄介になる湊小学校避難所のボランティア本部にて挨拶をすませ、寝室は音楽室となりました。寝具(ぬえは寝袋)を下ろして、毎度お世話になっているチーム神戸のリーダー金田真須美さんと話して、湊小学校の児童が間借りして授業を行っている住吉中学校に出向き、佐々木校長先生にご挨拶。当初はこの子どもたちを対象にして能楽ワークショップを行う計画もあったのですが、翌日から修学旅行だそうで…さらにこの日はその前日だというのに運動会の予行演習までやっている。震災の影響で行事が遅れて、いまそのために行事が重なって大変な時期とのこと。校長先生は能楽ワークショップが実現しないことを残念とおっしゃっておられましたが、いつか、小学校が本来の機能を取り戻したときには、ぜひ授業の一環として子どもたちに能を体験させてあげたいです、とお願いを申し上げて失礼しました。校庭では子どもたちに混じって、あの、吉祥寺での写真展を開かれた松田氏もラジオ体操をしておられました。(^.^)
早く普通の授業ができますように!
その後巨大ショッピングセンターに移動してステージで上演。今回の訪問は、震災から半年を過ぎて、避難所など直接に被害を受けた方々ばかりではなく、石巻の市民にも能を「楽しんで」頂こうと、前回よりも少し視野を広げる目標がありましたので、こういう場所にも出演することを決めました。さて上演準備に取りかかっていると…ひとりのお客さまが ぬえたちの方へ歩み寄って来られて…。伺えばお孫さんを大川小学校で失われたとのこと…。苦しいこともあるけれど、お客さまには幸せを持ち帰って頂くことをお祈りして、この日は『羽衣』を勤めさせて頂きました。
終了後、下着などを干すために湊小学校にいったん戻り、さて今度は仙台に向けて出発です。ここは先日以来お世話になっている東北大学の先生方のお計らいで、市内でチャリティ上演の機会を探してくださいまして…なんとその上演場所が「仙台みたらしだんご総本店」…ぢゃないや「玉澤総本店 一番町店」の中の喫茶部。ををっ、ついにあの みたらしだんごの蜜のプールで泳げるのね~(違)。
こちらはチャリティということで有料の催しです。抹茶とお菓子が出て…今回は ぬえがあんまり騒ぐので、お客さまにもお菓子がもう1品…みたらしだんごが加わりました。ぬえも開始前に、チーム神戸や明友館のボランティアさんのためにいくつか みたらしだんごを購入し、上演がはじまってからも いつまでも みたらしだんごと ぬえとの関係について説いていたためか… なんとその日は みたらしだんごは売り切れになってしまったそうです。社長さんや専務さんもお見えになっておられた能楽ワークショップですが、お喜び頂けたかなあ~~(#^.^#)
この時の上演曲目は「松風」の一部。被災地から少し離れて、ここならば やや静かな、悲しみをたたえた能を演じるのも許されるかな、と思ってのことです。限られた空間ではありましたが、とても良いものができたと自負しております…これなら、石巻での上演も可能かも…その日の深夜に、ぬえっは少し考えを変えました。人を待つ、そのテーマは被災地では重いかもしれないけれど、松風の悲しみは恋のそれです。そのひたすらな気持ちが美しい。これならやっても許されるかも…
正直に言って、石巻市では少々「イベント疲れ」のような雰囲気も感じられます。被害は甚大、仙台からそれほど遠くない位置にある石巻市は、ある種「著名被災地」のようになっていますね。そうしていろいろなイベントのために多くの芸術家が、そしてタレントが集まり…。受け入れをする側が少々パンク状態かも…
また一方で、誰も支援の手を差し伸べていない市町村も、いまだにあるのです…。それどころか、これは後日石巻で聞いたことですが、石巻市内でもいまだに自給自足のような生活をしている地域があるのだそうです。こうした不均衡もあり、さりとて、これは ぬえの経験ですが、地域でリーダーとなって活動している支援団体などの連絡先などは容易に知ることができません。もちろん電話やメールを宣伝したら、全国からの声援が集まって、それはそれで機能が働くなるということまるでしょうが…。地域の生活事情に沿った支援を、細かく細かく網羅して、住民のみなさんとも密着して行う必要があるわけで、それには時間も資金も必要。少なくても良いから、息長く支援することが、次のステップへ進む早道なのかも。ぬえも避難所のリーダーと話していて、「やっぱり人と人の信用関係から、なんですよね…」とおっしゃっておられました。一方、当地まで足を伸ばせない多くの日本国民の、ちょっとした善意も受け入れられ、またそれがわかりやすいシステムがあったらいいなあ(と、後日港小学校のボランティアさんとも話をしたりしました)。
こうしたわけで、じつは ぬえたちの訪問も、東京を出発する直前までほとんどイベントらしいものが決まっていませんでした。正直いって、出発の2週間くらい前からは心労も感じたし、なんといっても 石巻のあちこちの関係者とメールなどで交渉するので眠る間がない状態でした。それでもスケジュールは決まらず…そこで現地に入ってからも必然的に受け入れ先の模索を続けることになったのですが、これがじつは大正解で。…飛び込みで上演を持ちかけたところももちろんありますが、それ以上に実際に関係者の顔を見て話すことがこれほど大切なのかがよくわかりました(T氏も石巻の近く…とは到底思えない場所のお稽古のついでに、数日前に先に現地に入って交渉してくれました。これも効果が大きかったと思います)。当地に到着してから ぬえたちの出演の機会は一気に増えて、合計5つもの機会で上演できることになりました。今度はちょっと忙しすぎるかも…。(^_^;)
さてこの日は松島に宿泊したのですが…松島市と塩釜市は3/11大震災の時にも奇跡的に大惨事が起きなかった場所です。国宝の瑞巌寺も、海に面した五大堂も、ちゃあんと残っています。日本三景の松島という天然の防波堤が町を守ったのですね。それで ぬえたちも松島であらかじめ宿を予約することができたのでした。
ところが。
先日このお宿から突然電話を頂いて…いわく「台風15号で甚大な被害を受けてしまいました…当分営業はできません…まわりのホテルなどにも代わりの部屋がないか聞いたのですが、満室か、あるいはやはり被害を受けていて…すみませんがキャンセルということにさせてください…」(!) …宿の方からキャンセルされたのは初めての経験だ…。聞けば1階の厨房やお風呂が壊滅状態だ、とのことでしたが、もとより ぬえらはボランティア団体ですし、雨露さえしのげれば結構ですよ、と、申し上げ、2階の客室は被害を免れたそうなので、予定通り宿泊させて頂くことになりました。いやはや大変な不幸ではありますが、そういう時にこそ宿泊して収入が途切れないようにしてあげないと…。遊びに行くんじゃないからね。…それでも到着したらすさまじい有様でしたけれど…浸水した1階は畳があげられて床板のまま。消毒液のにおいも鼻を突きます。なんとか就寝して翌日はいよいよ石巻市での上演活動を始めます。
翌日。
石巻市にて狂言方のO氏とK氏と合流。夜中の2時に到着して車中で仮眠をとっていたとのこと。まず今夜からご厄介になる湊小学校避難所のボランティア本部にて挨拶をすませ、寝室は音楽室となりました。寝具(ぬえは寝袋)を下ろして、毎度お世話になっているチーム神戸のリーダー金田真須美さんと話して、湊小学校の児童が間借りして授業を行っている住吉中学校に出向き、佐々木校長先生にご挨拶。当初はこの子どもたちを対象にして能楽ワークショップを行う計画もあったのですが、翌日から修学旅行だそうで…さらにこの日はその前日だというのに運動会の予行演習までやっている。震災の影響で行事が遅れて、いまそのために行事が重なって大変な時期とのこと。校長先生は能楽ワークショップが実現しないことを残念とおっしゃっておられましたが、いつか、小学校が本来の機能を取り戻したときには、ぜひ授業の一環として子どもたちに能を体験させてあげたいです、とお願いを申し上げて失礼しました。校庭では子どもたちに混じって、あの、吉祥寺での写真展を開かれた松田氏もラジオ体操をしておられました。(^.^)
早く普通の授業ができますように!
その後巨大ショッピングセンターに移動してステージで上演。今回の訪問は、震災から半年を過ぎて、避難所など直接に被害を受けた方々ばかりではなく、石巻の市民にも能を「楽しんで」頂こうと、前回よりも少し視野を広げる目標がありましたので、こういう場所にも出演することを決めました。さて上演準備に取りかかっていると…ひとりのお客さまが ぬえたちの方へ歩み寄って来られて…。伺えばお孫さんを大川小学校で失われたとのこと…。苦しいこともあるけれど、お客さまには幸せを持ち帰って頂くことをお祈りして、この日は『羽衣』を勤めさせて頂きました。
終了後、下着などを干すために湊小学校にいったん戻り、さて今度は仙台に向けて出発です。ここは先日以来お世話になっている東北大学の先生方のお計らいで、市内でチャリティ上演の機会を探してくださいまして…なんとその上演場所が「仙台みたらしだんご総本店」…ぢゃないや「玉澤総本店 一番町店」の中の喫茶部。ををっ、ついにあの みたらしだんごの蜜のプールで泳げるのね~(違)。
こちらはチャリティということで有料の催しです。抹茶とお菓子が出て…今回は ぬえがあんまり騒ぐので、お客さまにもお菓子がもう1品…みたらしだんごが加わりました。ぬえも開始前に、チーム神戸や明友館のボランティアさんのためにいくつか みたらしだんごを購入し、上演がはじまってからも いつまでも みたらしだんごと ぬえとの関係について説いていたためか… なんとその日は みたらしだんごは売り切れになってしまったそうです。社長さんや専務さんもお見えになっておられた能楽ワークショップですが、お喜び頂けたかなあ~~(#^.^#)
この時の上演曲目は「松風」の一部。被災地から少し離れて、ここならば やや静かな、悲しみをたたえた能を演じるのも許されるかな、と思ってのことです。限られた空間ではありましたが、とても良いものができたと自負しております…これなら、石巻での上演も可能かも…その日の深夜に、ぬえっは少し考えを変えました。人を待つ、そのテーマは被災地では重いかもしれないけれど、松風の悲しみは恋のそれです。そのひたすらな気持ちが美しい。これならやっても許されるかも…