もう一昨日になるのですが、千葉県・浦安市で行われた「浦安薪能」に出演してきました。
浦安市。。といえば有名なのはTDLですよね~。今回の薪能はそのTDLのすぐとなり、新浦安駅からまっすぐに伸びている大通りの突き当たり、海に面した「総合公園」で行われました。いや、見てくださいこの環境のよさ! 舞台の背景は海! 秋の一番よい気候の日、涼しい風が舞台に吹き渡り、本当に気持ちのよい舞台になりました!
上演された曲目は『羽衣』だったのですが、季節は春と秋とで違ってはいても、まさに天女が天下るような良いお天気でした。ん~、考えてみると薪能ってのはなぜ真夏に催すのが多いんだろうか、と ふと考えてしまいました。春や秋の気候がおだやかな頃の薪能ならばお客さまにとっても舞台に集中しやすいんではないかなあ。まあ、春も秋も晴れの日が多いとはいえないのかも。
晴れの日の確率の高さを考えるならば、真冬に催すのが一番いいでしょうが。。寒いわな。(;>_<;)
そういえば気候が厳しい時期。。とくに真夏の催しには、かつて「袴能」というものが上演されていました。冷房がないような時代には二・八月には催しは休演になるか、もしくは真夏の場合だけ、装束を着るのが負担になるような時期に、面・装束は用いず、紋付袴姿で能を舞うのです。袴能が仕舞や舞囃子と違う点は、まず能の一部ではなく一曲全部を上演すること。。これは当たりまえですが、作物や小道具は略さずにすべて持ち出されること、それから中入の際の間狂言は省略されること、でしょうか。
仕舞や舞囃子では、たとえば『桜川』の「掬い網」とか『野守』の「鏡」などの小道具はすべて扇で代わりにしますが、袴能ではちゃんと小道具はそのまま出します。また作物もすべて略さずに舞台に出します。
また間狂言ですが、おそらくシテが前後で装束を替える必要のない袴能では中入で着替える時間を必要としないので、その理由で間狂言が省略されるのだと思いますが、これはどうも。。間狂言はシテが装束を着替える時間稼ぎのためだけに舞台に登場しているわけではなく、「語リ」という芸を見せるひとつの場であるはずなのでしょうから、この省略はちょっと狂言方に失礼ではないかなあ、とも思いますが。。近来は袴能はほとんど演じられなくなってしまいましたが、現代に上演される場合はこの間狂言の省略の有無も再度検討されるべきだと思います。ついでながら、間狂言でも いわゆる「アシライ間」と呼ばれる役。。たとえば『三井寺』で鐘をつく能力の役とか『花月』の「清水寺門前の者」。。つまり花月の友達の役などは、この役がないと曲の進行ができないような役は袴能でも省略されずに登場します。
また、袴能が上演されるときには、本狂言も「袴狂言」として上演されることになります。こちらも袴能と同じく面・装束は用いずに、小道具・作物類は出して上演するのです。。が。。狂言では面は能とはちょっと違う使われ方をしますから、その場合はどうなるんだろう。『仏師』や『清水』のように変装のために面を使う曲では、これを略してしまうと上演ができないのではないかと思うので、その場合はやっぱり省略はできないのではないかと思いますが。。
近来は袴能・袴狂言の催しはめったに見られませんが、ぬえの師家でもずうっと8月の催しの能は袴能の形式でした。当時おそらく東京で定期的に袴能を上演していたのは ぬえの師家だけだったと思います。まあ、夏休みの時期にもあたるので、学生さんなどが能楽堂にはじめて足を運んでくれるのもこの時期。そのせっかくのファーストコンタクトが袴能では具合が悪かろう、ということになって、ぬえの師家でもとうとう袴能は上演されなくなってしまいましたが。。
まあ、風情のものなので、ときどきは袴能も見たいな~、ぬえも今も思っておりますけれども。