ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

野蒜の「Kibotcha」

2020-04-30 08:57:54 | 能楽の心と癒しプロジェクト
去る3月11日の石巻・鹿島御児神社さまでの奉納の前日、ぬえはNHK-FMの「FM能楽堂」の収録がありまして、それから東北道を走って宮城県に入ったのはすでに午後10時近くでした。

笛の寺井さんと寺田さんも同じく前泊ということで、宿の予約を早めにしておいたのですが、それが今日ご紹介する「Kibotcha(キボッチャ)」です。

場所は石巻ではなく、そのお隣りの東松島市・野蒜(のびる)なのですが、宿泊予約サイトで野蒜に宿があると知った ぬえはびっくり。この辺りは9年前の東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた場所で、東松島市民によれば「あのへんは全滅だな。。」という言葉も聞いたことがある地区なのです。このあたりには「貞山堀(ていざんぼり)」という運河があって、ここを海から遡った津波によって、その周囲に集まって建てられていた住宅や野蒜駅が全壊している様子は ぬえも震災3か月目に目にしております。

貞山堀は仙台空港の南、岩沼市の阿武隈川の河口から、途中仙台港と山が迫る松島で中断はしますが、海岸線に沿って延々と50km近い長さで石巻まで続く運河で、正確には南部の貞山運河と中部の東名運河、それに北部の北上運河という、建設時期も異なる3つの運河の総称として使われています。東日本大震災では海からの津波が川を遡上して内陸に被害を及ぼしましたが、とくに石巻ではかなり内陸にまで運河が入り込んでいまして、ここから溢れ出した海水が周辺に浸水被害を起こしていました。野蒜の辺りでは海岸からと運河からの海水は浸水ではなくもろに津波となって集落を襲ったもののようです。

さてそんな場所にある「Kibotcha」は旧野蒜小学校の校舎を改装したもので、宿泊施設もありますが主な目的は防災を学ぶ場で、しかも対象は子どもたちなのだそうです。遊びや様々な体験を通して防災の意識や避難の方法などを教える「防災キャンプ」などのイベントもあるそう。ちなみに野蒜小学校は津波の被害を受け、その後ほかの小学校と統合される形で消滅しました。「Kibotcha」の入口の受付では1階の天井すれすれのところに浸水した水の跡が今でも残されています。野蒜駅も海から離れた場所に再建されましたが、どうも周辺はあまり賑やかではなさそうでした。。

宿には夜遅くに到着したものであまり画像は撮れませんでしたが、こちらが宿泊した1~2名用のお部屋。





。。ん~、教室を細かく分けて部屋にしたためなのか、不思議な造作。あまりくつろげる感じではありませんでした。広い部屋もあるようですが、防災キャンプなどに使うことを考えるとドミトリーかも。しかし1階にあった大浴場は、よくまあ学校施設をここまで作り変えたねえ、と思うほどの広さがありました!

なお当日の宿泊客はプロジェクトの3名のみ。どうやら3月初旬でありながらすでに新型コロナウイルス問題で新規の宿泊予約を断っていたようで、すでに予約を済ませていた ぬえたちだけがキャンセルされずに宿泊できたようです。

震災によって被災した建物を再利用した例はいくつもありますが、「Kibotcha」は ちょっと他とは変わった面白い、また有益な取り組みだと思います。通常の宿泊客のためにも、東松島の名所? を走り回って、そこに隠されたアイテムを集めると、ごほうびに大量のカキがプレゼントされるイベントなどもあるみたい。翌日の石巻での奉納を前にしながら心動いた ぬえでしたが、残念ながら現在はこのイベントも休止しているみたいです。残念。



こちらは付近の野蒜海岸。かつては海水浴場として人気があったそうですが、まだ防潮堤の工事も始まっておらず、土嚢が並べられてありました。。

9回目の3.11 石巻・鹿島御児神社さまで奉納上演

2020-04-27 15:30:03 | 能楽の心と癒しプロジェクト
史上初の「緊急事態宣言」が出され、外出自粛要請・マスクやアルコール消毒液の不足。。と、いまは大変な状況が続いています。能楽師も舞台も教室もすべてが停止してしまって苦んでおります。。

そんな中、時間だけは持て余すほどありますので、ずっとサボっていた報告を順次アップしていこうと思います。

一番最近の特筆すべき活動としては、去る3月11日。。9回目となった東日本大震災の日(これ、うまい言い方はありませんかね。災害だから「記念日」ではどうも具合が悪いし。。)に、石巻の日和山の頂に鎮座する鹿島御児神社さまで奉納上演を致しました。

考えてみれば3月11日という日は犠牲者の追悼をする日であって、イベントはしにくい日なのですが、能がもつ鎮魂と慰霊、そして未来へ向けた祝福の心が現地で理解され、我々「能楽の心と癒やしプロジェクト」は震災の翌年、つまり一周忌から今日まで1度も欠かすことなく3月11日の、それも発災の時刻の午後2時46分に奉納上演を行わせて頂いております。

今回の奉納上演の会場となった鹿島御児神社さまは、じつは昨年の3月11日に続いて2回目の奉納となります。というのも去年の奉納は大雨に祟られて、社務所の中で奉納をしなければならなかったのです。

この石巻の日和山は、すぐ直下の崖下が震災のときに大きな被害を受けた門脇・南浜地区で、そこを見下ろす位置にあることから石巻の。。というより東日本大震災の一種の象徴となった場所です。山の上に建つ石の鳥居から門脇地区や海を見下ろすこの構図はどなたも一度はテレビやネットでご覧になった事があるのではないかと思います。


(撮影:佐藤栄一氏)

とくに去年はワキ方下掛宝生流の吉田祐一氏がはじめて活動に参加してくれましたのに、この象徴的な大鳥居の前で奉納できなかったのはとても残念でした。吉田氏はそのまた前年に偶然にお話していた中で ご出身が石巻市の小さな漁村である荻浜で、ご実家は震災による津波で全壊、と伺ってびっくり。吉田氏もプロジェクトの活動をご存じなくて驚かれたようで、それでは、と翌年の石巻・鹿島御児神社さまでの奉納に参加してくださったのでした。

鹿島御児神社さまも、プロジェクトは震災の年に奉納をお願いしてみましたが、当時はとても受け入れられる状態ではない、とお断りされた経緯があります。じつは今年の奉納のあとに奥様から詳しくお話を伺いましたが、神社は近在の被災者が押し寄せて臨時の避難所のような状態だったそうです。それから月日は流れ、久しぶりに奉納のお願いを申し上げたところ、なんと神社さまも「震災の年に奉納をお断りしたことは今でも気になっていました」とのお気持ちだったそうで、すんなりと奉納のお話が決まりました。

これほどの偶然が重なっただけに昨年の奉納の荒天は本当に残念で、今年も再度の奉納をお願いして神社さまも快くご承諾くださいました。ちょうど神社さまも去年の春は拝殿の改装が成ったところでしたが、その後本殿の新築も整い、プロジェクトの奉納は追悼や慰霊のためだけでなく、当地を守る神が新たなお住まいに鎮座されることを祝い、当地の繁栄と祝福を祈願する絶好の機会となりました。もともとプロジェクトの活動は震災の犠牲者への追悼だけではなく、むしろ残された方々の心を癒やす事に重点が置かれています。だからこそ「能楽の心と癒やしプロジェクト」という名なのですし、活動場所も被災地区というよりは避難所、仮設住宅などで、生活を再建しようとする住民さまに向けての活動です。

さて今年の3月11日は晴天に恵まれました! 早めに楽屋入りしましたが、奉納会場の設営やご祈祷を受けている間にいつの間にか発災時間まであと30分。。なぜいつも最後はバタバタになるんだろう。吉田氏と寺井氏に装束を着付けて頂き、なんとか奉納の時刻に間に合うことができました。

今回奉納した曲は「龍田」です。秋の曲のように思えますが能の設定は冬。シテの龍田姫は奈良盆地をはさんで向かい合う佐保山の佐保姫と対をなして平城宮を守る女神です。風の神でもあり水をも司る女神が住む龍田山は、さらにイザナギ・イザナミが天の浮橋から差し下ろして海の中から淡路島を誕生させた、天の沼矛を安置していて、女神はその矛を守護する役割もあります。


(撮影:寺井宏明氏)

いわば龍田姫は自然を象徴し、国土の創生をも司る女神で、冬から春に向かう石巻が未来に向けて再生してゆくにはふさわしいと考え、今回はこの曲を選んだのでした。

奉納のメンバーは ぬえのほか、ご挨拶と解説を吉田祐一氏にお願いし、笛は少々体調が思わしくなかった寺井氏に代わってそのお弟子さんにの寺田林太郎氏、そして太鼓の大川典良氏です。吉田氏お流儀内でのお立場やこういう略式の上演方法で奉納することなど種々条件が整わず、能の中のお役ではなく挨拶と解説をお願いしましたが、同じ石巻出身者として市民に語りかける口調はすばらしいものでした。また大川氏は本来この3月11日には舞台の予定があって当初はお断りだったのですが、新型コロナウィルス問題によって公演が中止となり、急遽参加してくださいました。


(寺井宏明氏)

まだ現在(4月下旬)のような「緊急事態宣言」になる前で、宮城県ではまだ感染者も出ていない頃の奉納でしたが、参拝客のみなさんには吉田さんからお隣の人との間隔を取って頂くよう感染予防を呼び掛けての奉納になりました。今となってはこの頃はまだ感染対策にも余裕がありましたね。今や能楽師はなにも仕事がない状態が3か月目に突入しようとしていますが。。



ともあれ、この日は発災時刻が近づくにつれ、境内も多くの参拝者がお集まりになりました。故人を思っておうちで静かに過ごされる方、お弔いのためお寺に集う方も多いであろう中で、こうして被災地区を見渡せる場所で手を合わせる方もあります。震災のときに鳴らされたサイレンに合わせて1分間の黙祷が捧げられ、その後に石巻の未来に幸多かれと祈念しつつ能「龍田」を奉納させて頂きました。