ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第20次支援活動<気仙沼市・震災3年>(その1)~気仙沼へ

2014-03-27 02:55:58 | 能楽の心と癒しプロジェクト
やっと活動と同じ月にブログ記事をスタートできます~~

去る3月10日と11日の2日間にかけて、気仙沼市で「能楽の心と癒やしプロジェクト」の活動を行って参りました。

なんと言っても震災から3度目の3.11を現地で迎えられることが出来てよかったです。毎年3.11は石巻で過ごしていたのですが、我々を取り巻く事情もだんだんと変わって行き、複雑な人間関係もあって、今年は気仙沼でこの日を迎えることになりました。

しかし、気仙沼での3.11は目が覚めるような体験でした。この日に気仙沼にいて、本当によかったと感じています。石巻での3.11は1日がかりの追悼行事に参加していたので、市内で他にどのような行事が行われているのかまったく判らなかったのですが、気仙沼では活動も行ったけれど、そのあと市の主催になる追悼式に献花しに行くこともできたし、今年で廃校となる女子高でのキャンドルナイトに参加したり、それから気仙沼では有名な3.11に3本の光の柱を立てる追悼の催しを眺めることもできました。

さらには活動それ自体もとっても印象的な催しとなりました。被災建物での住民ボランティアさん主催ライブと、幕藩時代からの旧家での朗読会への出演。。電気も通じていない破壊された建物で寒気と戦いながらの上演と、韓国の歌人の震災を追悼する朗読会への参加と黙祷の時間。さらには災害FMへの出演。これは石巻でのそれから1年ぶりのラジオ出演になりました。追悼と復興と。まったく違うようでいながら、混ざり合ってこの地で融合していくはずのふたつの気持ちはブレることなく指向のままに突き進んでいき、それを ぬえのような部外者にまで包み隠さず巻き込んで、まさにこの街が進んでいくところに立ち会ったかのような滞在でした。気仙沼って、こういう街だと思います。

【3月10日(月)】
未明に笛のTさんをお迎えに行き、荷物を積み込んで出発。やっぱり運転手が2人いるとラクです。栃木から福島に入るあたりで運転を交代してもらったけれど、ちょっと眠って、気がついたらもう一ノ関に着くところでした。

気仙沼市内に入ったのは昼の少し前あたりでしょうか。まずは現地コーディネーターの村上緑さんをピックアップしに。緑さんは大晦日の活動でも八面六臂の活躍を見せましたが、今回はすべての活動の提案からプランニング、交渉まで一手に引き受けてくださいました。もうプロジェクトの「気仙沼支部長」「支店長」「営業所長」とまで呼ばれています。やはり「こうしたい」「これをやってみたい」という希望がある場合、現地で顔の広い方、フットワークの軽い方があると、一気に実現しますね。ありがたや。。

そうして、この日の最初の活動は「けせんぬま さいがいエフエム」さんへの出演だったのですが、まだ時間もあるので、まずは今回の活動とは別に4月に予定している活動のために、会場である北野神社に下見に伺うことにしました。
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決算報告書(12/30~1/1)

2014-03-24 18:28:56 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒しプロジェクト
第19次被災地支援活動(2013年12月30日~2014年1月1日)


 〔決算報告〕

 【収入の部】
     前回活動繰越金(ボラ扱い) 204,867円
     前回活動繰越金(ギエ扱い) 32,500円
     銀行口座募金1件(ボラ扱い)    5,000円
     直接頂戴した募金1件(ボラ扱い) 10,000円
     炊き出し残金             380円        収入計  252,747円
                           内訳:ボラ 220,247円 ギエ 32,500円

 【支出の部】
  〈活動費〉 111,799円
    ◎交通費        74,124円
     八田達弥分     
     (高速道路通行料         15,450円)
     (ガソリン代            8,389円)
     (ガソリン代            8,740円)
     (ガソリン代            7,652円)
     大川典良分
     (ガソリン代            6,781円)
     内野浩乃分
     (新幹線             11,440円)
     (同差額              520円)
     高橋日出子分
     (ガソリン代            6,600円)
     (ガソリン代            4,552円)
     大島フェリー代
     (フェリー代 4名往復       4,000円)
    ◎宿泊費    18,900円
     (2人×1泊、4人×1泊     18,900円)
    ◎炊き出し食材・容器類 18,775円
     (食器類              2,415円)
     (食器類              3,210円)
     (食器類              3,150円)
     (食材費への補助として      10,000円)
  〈雑 費〉         1,950円
     (ビデオテープ代          1,950円)       支出計  113,749円

 【収支差引残額】                         残額    138,998円
                          内訳:ボラ 106,498円 ギエ 32,500円

※注※
・今回活動前後に「ヤマザキ」さまより件、活動中に「津島」さまより1件計15,000円の募金を頂いた。プロジェクトの活動にかかる資金は主に募金によって賄われている。プロジェクトの活動にご理解を頂き、ご支援を頂いた諸兄には、改めて深謝申し上げます。
・「ボラ」とはプロジェクトの活動費用に充てる事ができる資金。「ギエ」は募金者希望により被災地への直接的支援のために使途を限定する資金。ただし「ギエ」についてはすでに一定の役目を終えた段階と考え、現在はプロジェクトからとくに「ギエ」の呼びかけはせず、チャリティ公演等の際は使途を「ボラ」と明言して募金をつのっている。なお「ギエ」については、被災地で継続的に活動を続ける信頼すべき支援団体に寄付する予定である。
・今回はプロジェクト単独の活動である。よって支援企業さまよりの助成金の提供はなかった。
・また今回特筆すべきはプロジェクトとして初の試みである仮設住宅での炊き出し支援である。食器類については事前に買い込む必要があったためプロジェクト活動費から支出したが、現地で調達した食材、調味料、炊事道具類にかかる出費については、プロジェクトの活動資金からは10,000円を支出したほかは、大部分は今回の活動に参加したメンバーに負担をお願いした。これら収支の明細については下記に掲出する。
・プロジェクトの活動にかかる支出については節約を旨とし、おおよそ次のような基準を設けている。①高速道路の利用については体力や公演スケジュールも鑑みるが、深夜割引を利用するなど工夫する。②宿泊はボランティア団体や個人宅に泊めて頂くなど節約するが、継続して活動を続けるボランティア団体が減少し、また市民生活も通常の落ち着きを取り戻しつつあることから、現状では旅館等の宿泊施設を利用する機会が増えた。その場合の宿泊費の基準としては、素泊まりとし、おおよそ5,000円程度までに収める。③食費については旅行がなくても掛かる費用であること、酒食の区別がつきにくいため参加者の自費負担とする。
・収支差額は今後の活動費用として活用し、支出明細を明らかにする。
・近来銀行口座へ継続的に活動資金を募金してくださる方も複数あり、またボランティア団体JIN'S PROJECTさまのご厚意により、活動によっては同団体との共催の形を取ることによって支援企業さまからの補助金を頂ける機会も増えてきた。しかしながら今後も息長い支援活動を続けてゆくために、今後も変わらぬご助力をお願い申し上げる次第である。


 【振込先】三菱東京UFJ銀行 練馬光が丘支店(店番622)普通預金 口座番号 0056264
名義 ノウガクプロジエクト ハツタタツヤ

                                           以上

  平成26年1月24日



                           「能楽の心と癒やしプロジェクト」
                               代表   八田 達弥
                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com


〔炊き出し収支内訳〕

【収入の部】
   活動参加者より寄付(6人×3,000円) 18,000円
   プロジェクトより支出         10,000円        収入計  28,000円

【支出の部】
   食材・つまみ類            2,337円
   ビール・飲み物            4,180円
   食材                 1,050円
   食材・飲み物             6,130円
   食材                 7,875円
   ビール・飲み物            5,250円        支出計  26,822円
【収支差引残額】                          残額    1,178円

※残額は活動参加者に等分に返金。(1名あたり大凡200円)
※ところが後日、食材を提供いただいた会社より割り引きして頂き、380円が払い戻された。この払戻金は
 炊き出し残金としてプロジェクト活動資金に繰り入れた(上記プロジェクト決算報告書参照)



↓領収証は次頁以下に添付









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活動報告書(12/30~1/1)

2014-03-23 05:01:41 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第19次被災地支援活動
(2013年12月30日~2014年01月01日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」の4名(※注1)は、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに16度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る12月30日~翌2014年1月1日の3日間に渡り宮城県・気仙沼市の仮設住宅および2カ所の神社にて能楽の上演および舞囃子の奉納を行いました(※注2)。

今回の活動で特筆すべきは、プロジェクトとして2年ぶり2回目の被災地での年越しであることと、なんといっても初めて仮設住宅での炊き出しを行ったことでしょう。年越しは2011年末から翌2012年始にかけて、岩手県釜石市から宮城県石巻市にかけて活動をした経験がありますが(このときは9日間のうちに14公演をしました)、今回の活動はそれ以来の活動になります。大晦日の夕方からの仮設での活動ということで、いつもの能楽の上演やワークショップの活動だけでなく、上演終了後に住民さんと一緒に団らんの時間を設けることが必要で、必然的に食事のご用意…炊き出しをすることになります。今回は上演面では太鼓の大川典良氏、フルートの内野浩乃さん、キーボードの高橋日出子さんの参加を得、また活動コーディネートは気仙沼市民の村上緑さんの献身的な協力を頂きましたが、炊き出しではこれらの方々にも食材購入費の負担から当日の食事の用意、さらに深夜におよぶ活動へのお付き合いまで、金銭面、体力面でも大きなご負担を頂くことで活動を進めることができました。改めまして感謝申し上げます。なお食材面では八田が伊豆で指導を続ける「伊豆の国市子ども創作能」の保護者・大川直子さまより巨大な椎茸を大量に送って頂きましたことを申し添えておきます。ご厚情まことにありがとうございました。

また翌元日には、気仙沼市内2カ所の神社で舞囃子を奉納させて頂きました。気仙沼内湾地区を見下ろし、海運・漁業の神様として崇敬を集める五十鈴神社での奉納は初めてでしたが、市内でこれまで活動に協力頂いた多くの方々も参集されて賑やかな奉納になりました。大島神社ではもうこれで3回目の奉納になると思いますが、元日ということで、やはり多くの参拝客で賑わいました。こちらでは当日思いついて内野浩乃さんのフルートも奉納演奏させて頂き、当地の方々に大変お喜び頂くことができました。

プロジェクトの活動として、期日こそ3日間と短いものでしたが、参加人員や費用面において、おそらく過去最大の規模の活動であったと思います。それほど炊き出しとは大変な作業であることを痛感する活動にもなりました。が、年末年始の活動を気仙沼の住民さんにお喜び頂いたことはプロジェクトとしてもありがたいことで、震災から3年目を迎えつつある現在、プロジェクトの新しい年の始まりになったと思います。

※注1 プロジェクトメンバーは八田達弥(シテ方・観世流)、寺井宏明(笛方・森田流)、大蔵千太郎(狂言方・大蔵流)、小梶直人(同)の4名。
※注2 今回の上演場所は気仙沼市内の①旧唐桑小学校跡地住宅②五十鈴神社③大島神社の3箇所。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
大川典良(ゲスト能楽師)
内野浩乃(フルート)、高橋日出子(キーボード)
村上緑(活動コーディネート、活動全般の協力)
【協力者】
 村上充/旧唐桑小学校住宅自治会/五十鈴神社/大島神社
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)
 12月30日(月)
八田・寺井・内野早朝東京出発、昼頃登米市佐沼の高橋宅に内野を下ろし、昼食後陸前高田市へ移動。

 12月31日(火)
午前中より食材等買い出し
八田・寺井・村上は昼食後会場入り、大川・内野・高橋も午後会場到着

◎「大晦日あったか鍋の集い」
17:00 ~ 旧唐桑小学校住宅(集会所)
能「羽衣」 出演(八田・寺井・大川)
ピアノ・フルート コンサート 出演(高橋・内野)
能「石橋」 出演(八田・寺井・大川)
炊き出し支援:村上緑
終了後 鍋を囲んで住民さんと歓談。年越しにならず解散にはなったが、その後も住民ボランティアの村上充さんらと親しく歓談させて頂き、気仙沼の現状等について意見交換を行うなど有意義な時間。
片づけのあとホテル観洋さまのお計らいにより深夜入浴させて頂き、活動終了のミーティングもここにて。陸前高田の宿舎に戻る途中の路上で新年を迎え、車を停めて新年の挨拶をする。

 1月1日(水)
内野・高橋はこれにて解散予定のところ、内野を撮影班として同行して頂く
◎五十鈴神社奉納 10:00
舞囃子「高砂」 出演(八田・寺井・大川)
気仙沼市内でこれまでに活動協力頂いた多くの方々も参集頂き、大変賑やかな奉納となりました。
終了後大島に渡航
白幡まさえさんほか大島のみなさんのご協力により大島神社まで送迎頂き、楽屋入りの前に亀山からの眺望も見せて頂くことができました。

◎大島神社奉納 13:30 お祓いを頂いてから奉納
舞囃子「高砂」 出演(八田・寺井・大川)
フルート奉納演奏(内野)
フルート演奏は急遽当方からのお願いのところ、宮司さまより快諾を頂いての奉納。元日の奉納ということで初詣客も多く参集され、宮司さまよりの指示により拝殿より屋外に向けて奉納することになる。海を見ながらの奉納は複雑な思いもありながら、大変気持ちのよい奉納になった。

終演後、やはり白幡まさえさんらの協力により浦の浜に戻り、「グリーンアイランドおおしま」にてしばし休憩させて頂き、その後フェリーにて気仙沼本土に戻る。

その後一ノ関駅にて内野は新幹線利用にて帰宅、八田・寺井は東北道経由で深夜に帰京。

【収入・支出】

プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。近来JIN'S PROJECTさまとの共催の形を取り、同団体の斡旋により企業より活動資金の一部を補助頂くことができておりますが、今回はプロジェクトのみの主催にて活動資金の提供は受けておりません。

募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂きます。
プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として 237,367円(内訳:ギエ204,867円ギエ32,500円)があるほか、今回の前に1名の個人(ヤマザキさま)より活動資金として5,000円を頂戴致し、また活動中に大島神社さまの氏子さま(津島さま)より活動資金10,000円を頂戴致しました。また活動終了の後日になりますが炊き出しの食材について割引による払戻金380円がプロジェクトに寄せられました。よって計252,747円(内訳:ボラ 220,247円 ギエ32,500円)が今次活動資金として計上されております。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 138,998円(内訳:ボラ106,498円 ギエ32,500円)となりました。これらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。今回の支出金額が113,749円と膨大になったのは、ひとえに炊き出しに伴う食材・食器・炊事道具の調達のためです。炊き出しは何度か他ボランティア団体のお手伝いはさせて頂きましたが、プロジェクトとしては初めての経験でした。実際にはプロジェクトのような小規模の団体にとって炊き出しは、いろいろな意味で負担が大きい活動だというのが正直な実感です。活動の成果には満足しておりますが、募金もほとんど頂くことがなくなっている現在、経済的な負担は活動の継続そのものを短命にする可能性もありますし、なにより実演家が炊き出しを行う場合、本人が調理や配膳に割く時間がなく、より多くのスタッフや協力者の奉仕を必要とすることが明らかになりました。

炊き出しは震災当初は自衛隊がこれに当たり、震災の年の夏以後から10月頃の避難所閉鎖~仮設住宅への移行までの間は自治体が負担していました。自衛隊の活動では人海戦術と豊富な機材により避難所個別に温かい食事を提供できていましたが、その後自治体が避難所の運営を担うようになってからは総菜パンやパック飲料など、極端に食事の質が低下したのはプロジェクトのメンバーも実見しておるところです。しかし配食の経済負担は相当なもので、ある被災自治体では毎日1万人分の食料配布の必要があり、被災者1人あたり日額1,000円という予算で炊き出しが行われましたが、それでも日額1千万円、月額にして3億円という巨費が必要だったと側聞しております。

当プロジェクトの炊き出しはそのような大規模なものではなく、仮設の住民さん数十人を対象としたものでしたが、炊き出しは小規模な人数では相当な負担があります。すでに仮設住宅に自治体による食料援助はなく、その必要も差し迫ったものではないと思いますが、ボランティア団体の活動内容により食事提供も必要な場合もあり、そのような場合、弱小のボランティア団体がどのような方法で携わって行けるのか、課題のひとつだと思います。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。


【成果と感想・今後の展望】
今回は年末年始を超えた年越しの活動というのがまず第一義に意味ある活動だったと思います。仮設住宅での初の炊き出しは前述のように費用、人材の面で当プロジェクトのような弱小ボランティア団体としては少々無理もあったかという反省もありますが、なにより、未だに仮設住宅で孤独に大晦日を迎える住民さんがおられ、多少なりともその支援が出来たというのがプロジェクトの活動として意味がありました。メンバーや出演者、協力者にとっても、年末年始の活動に参加するということは、取りも直さずそれぞれの家庭に負担をかけ、犠牲を強いての参加だったと思います。しかし、それほど被災地に向ける思いがまだ強く残っている人々があることに安心したのまた事実です。

元朝の五十鈴神社さまでの奉納は、もう丸2年も活動している気仙沼市では初めて本土の神様への奉納でありました。宮司さまのご都合でお祓いは受けられませんでしたが、宮司さまも震災により被害を受けておられる由。。しかしながら気仙沼でこれまでプロジェクトの活動に協力して頂いた方々。。ネットワークオレンジや うを座の関係者さまが多数が参集くださり、とても賑やかな奉納になりました。気仙沼という街に以前から感じている、街全体に広がる人々の絆の厚さを改めて実感した瞬間でもあります。

大島神社さまではこれまでにもう2度も奉納させて頂いている気安さからお邪魔しましたが、宮司さまからは我々が去年は一度も大島に渡っていない事を知らされて愕然としました。大島では復興祈願の花火大会での印象的な上演もあり、それもつい昨日のように思っていたのですが、あまりの不義理に言葉もありません。まずは大島神社さまで装束能の奉納をお約束させて頂きましたが、思えば上演後に感謝を頂いて「また来ますね!」と言ったきり、二度とお伺いしていない仮設住宅や仮設商店街がいくつもあることには心痛めておりました。費用の問題、東京でのスケジュールの問題など難問はたくさんありますし、また一方、被災地区のかさ上げも始まり、災害復興住宅の建設もようやく姿が見えるようになり、今年あるいは来年には仮設住宅や仮設商店街も廃止が始まると思われます。今後の活動場所について、協力ボランティア団体のJINS' PROJECTさんからもいろいろな情報とアドバイスを頂いておりますが、活動の転機の時期が近づいていることを実感しております。

これから震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていくなりの工夫が迫られる日も来るとは思っています。石巻や気仙沼では友人や協力してくれる方も多いので、目先を仮設住宅や仮設商店街以外にも広げていろいろと活動の幅を広げてゆきたいと考えております。


平成26年3月23日







                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                             E-mail: QYJ13065@nifty.com
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第19次支援活動<気仙沼市>(その17)~大島神社にて奉納舞囃子

2014-03-11 09:22:39 | 能楽の心と癒しプロジェクト
今日は3.11。。3年目の「その日」です。昨日から気仙沼市内での活動を行っていまして、今日も素晴らしい庭園のある市指定文化財の建物で上演の予定です。。が、ブログではまだお正月~ (×_×) 先を急がねば。。

大島神社はもう何度も奉納をさせて頂いているおなじみの神社で、今回も宮司さんに奉納のお願いをしたところ、とても喜んでくださいました。「今度は泊まりに来なさい」とまで言ってくださって感激。今回はこの日のうちに東京に帰らなければならないので、暖かくなったら、ゆっくりとお邪魔したいと思います。

さて神社に到着すると宮司さんは歓待してくださいまして、いつもの大きくてきれいな社務所に通してくださいました。それぞれのその後の動静など語り合いましたが、よく聞けば、なんと昨年は ぬえたちは一度も大島に渡っていないのですって! これほど気仙沼に通っているのに、なんとも不義理な話で申し訳ないかぎり。。(・_・、)

そうか。。ワキ方や太鼓方まで参加してくれて舞囃子や独吟など奉納させて頂いた、あの夏は去年ではなく、もう おととしの事だったのか。。それほど長く気仙沼に通っているのかとも感慨もありましたが、なんだか あっという間だったような気もします。それ以上に、また来ますからね~ と挨拶しておいて、それっきりにしてしまっている仮設住宅なども数知れずある事も気にはなっていましたが、これほど親切にして頂いている大島神社さまにさえ不義理をしている事を思い知らされて。。東京でのスケジュールや活動資金の問題もありますが、もう少しなんとかしないと。。

気を取り直して、まずはこの日の奉納を全うしようと、ぬえから宮司さんにご提案。。じつは大島に渡るフェリーの中で考えたのですが、前日の大晦日で活動を一応終えたながらこの元日も記録班として同行願った浩乃ちゃんに、せっかくの大島渡航なので、神社でフルートの奉納演奏をしてもらってはどうか、と。

車は本土に残してきたので、不要な荷物は車に置いてきたのですが、聞けば大切な楽器はいつも背中のリュックに入れて担いでいるとのこと。神社の奉納にフルート。。ちょっと違和感もないではないかも、とは思いましたが、知らない神社や宮司さんではなし、思い切って宮司さんにご相談してみたのでした。

宮司さんはすぐに賛成してくださり、それでは、と奉納の準備を始めます。仙台で暮らす宮司さんのお嬢さんもお正月ということで実家に戻ってきておられ、初詣の参拝客のお相手に忙しくしておられます。久しぶりにお話しできました~(^。^)

さて裃に着替えて奉納させて拝殿に昇殿させて頂きます。こちらの神社のご神体は自然の大岩で、祝詞も独特の形式です。これらを拝見するのも1年半ぶりなのか。。まずは正式参拝させて頂き、それから舞囃子『高砂』を奉納上演をさせて頂きました。









今日は参拝客もたくさんお見えだから、いつもと逆に。。神様に背を向ける形にはなるけれども、外に向かって舞ってほしい、という宮司さんのお言葉に従って、外に向いて舞い始めたのですが、亀山のかなり標高の高い場所にある神社の拝殿からは太平洋の大海原が広々と見渡せました。この海には複雑な思いもありますが、海に向かって舞うのは本当に気持ちが良い。。次々に起こる雑念を振り払いながら。。でも、この神社で大勢のお客さまの前で舞うのは初めての体験で、新年をお祝いする気持ちに背中を押されて無事に奉納させて頂くことができました。



さて引き続いて浩乃ちゃんのフルートの奉納演奏です。かわゆいし。



この日は3曲の演奏が奉納されました。フルートってソロでは難しい楽器と思いますが、このときはこの拝殿のたたずまいと不思議な合致があって良かったと思います。初詣のお客さまもとても喜んでおられた模様。終わってから宮司さまも大変喜んでおられ、また来てください、とねぎらっておられました。





大島在住の協力者の方々も初詣に集まっておられ、挨拶も交わして、さて大島神社を辞して、これにて年末年始に渡った活動は終わりました。フェリーが出る浦の浜までまた白幡さんらに送って頂き、こちらにも元日からのご協力に感謝。

浦の浜では花火大会の時にお世話になった(これも おととしなのねえ。。)、ただ1軒再開されたコンビニエンス・ストア「グリーンアイランドおおしま」の菅原さんにご挨拶して、ストアのお部屋でフェリーの時間まで休憩させて頂きました。

。。が。

菅原さんと しゃべりしている間に、ふと見るとフェリーが港に。おお、やって来たか。
。。と、菅原さんが「いや、出航したところだよ。あんたたち、このフェリーに乗らないのかなあ、と思ってたんだけど。。」

おお。

次のフェリー便まで1時間半待ちまして、えー、じつはこの日のうちに新幹線で静岡に帰る浩乃ちゃんの交通が間に合うか大騒ぎだったのですが、ぬえは居眠りしていました。(;^_^A  目覚めると、本土に戻ってから一ノ関駅までがんばって車を走らせればなんとか新幹線に間に合うことがわかったそうで、おお、そうですか。それでは出発しましょう。(^◇^;)

こうして本土に戻り、大急ぎで気仙沼市内の関係者にご挨拶も済ませて一ノ関へ。浩乃ちゃんも無事に新幹線に間に合い、ぬえと笛のTさんは、そこから高速道路を走って、深夜に東京に戻ることができました。

最後はちょっと ドタバタしましたが、まずは無事に活動を終えることができて良かったと思います。ぬえも無事に舞初めを済ますことができました。師家の謡初めはこの翌日ですが。(^_^;)

今回も多くの関係者の方々のご尽力によりまして、活動させて頂きました。改めまして深謝申し上げます。

                                     (この項 了)
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第19次支援活動<気仙沼市>(その16)~大島へ

2014-03-07 23:55:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
お神明さまでの奉納を終えて、すぐさまエースポート跡地のフェリー乗り場へ直行。この日は久しぶりに大島に渡り、大島神社さまでも奉納させて頂く予定になっていました。

このへんもだいぶ様変わりしてきました。海に水没したまま2年以上放置されていた桟橋も撤去され、跡地開発のためか、それほど損傷はなかったはずのエースポートの立体駐車場も撤去。一帯はがらんとした空き地のようになってしまいました。

一方 屋台村の隣りには、渡辺謙さんのカフェ&イベントスペース「KーPort」が建ち、さらにそれと屋台村の間に新たに 磯屋水産さんの新社屋が建設中でした。このあたりには まだ被災家屋も少数残っていますが、新しい気仙沼の街が生まれていくのが感じられます。





が、なんだかんだと出航の時間が迫り、またしても昼食を摂る間もなく。。フェリー乗り場のすぐ近くにある仮設商店街「復興屋台村 気仙沼横丁」さんでフェリーの中で食べるお弁当を探したのですが、売っていない。。ここは、かなり冒険ではありましたが、太鼓の大川さんが車を飛ばして昨日お風呂に入れて頂いたホテル観洋さんのそばで見かけたコンビニに弁当を買いに行ってくれました。元日から朝食も昼食もコンビニ弁当です。時間に追われる活動では仕方ないのですが、今年も食事情は好転する兆しがないな。。

大川さんもギリギリ出航前に到着してセーフ! 無事に5人を乗せたフェリーは大島に向けて進みはじめました。



船内の様子。フェリーなので客室は狭いです。まだ昨夜の疲れが抜けていなくて大変そうな方(笑)、元気にお弁当食べてる人、感慨深げに窓から外の様子を見る方。。あ、そうそう浩乃ちゃんはフェリーのデッキからカモメに餌のパンをあげていましたが、見事に指から流血していました。そりゃカモメも くちばしから突進してくるんだから。。

30分も走ると、フェリーは大島の浦の浜に到着します。カーフェリーなんですから車で行けばよいようなものですが、車の運搬費は高いので、必要なものだけ持って車は本土に残して、これまた正月からご迷惑なことですが、大島在住で昨年ご一緒に仮設住宅で活動した白幡まさえさんとそのご友人に車で大島神社まで送って頂くことになっていました。

が、フェリーに乗るときにはあんなに忙しかったのに、いざ大島に渡ってみると、大島神社さまに伺う時刻には少し早いです。ちょうど良いフェリー便がなかったので、こういう事になったのですが、それでは、というので亀山の山頂に行ってみることにしました。

亀山は大島を代表する山で、震災前には登山リフトもあったのですが、震災のときに起きた山火事で失われました。気仙沼を襲った津波は大島にも直接上陸し、一方本土に至った津波も、また跳ね返って大島にぶつかりました。いわば両方向からの津波にさらされたわけで、そのとき島は二つに分断されたのだそうです。それだけでなく、港から流出した重油が海面を漂い、被災した船からの出火がそれに引火して大島に燃え移り、亀山が大規模な山火事を起こしました。一時は全島避難まで検討された危機が島を襲い、また島であるために救助の手も遅れて、島の住民さんが懸命の消火作業を行って、山火事を鎮火させたのでした。

この日奉納させて頂く大島神社はこの亀山の中腹にあります。この神社も震災時は一時は焼けてしまうのではないか、と思われたそうですが、奇跡的に神社に到達する直前で山火事は止まったのだそうです。

そんな大変な状況にあった大島ですが、津波が到達した低地はあいかわらず何もない状態ですが、少しずつ護岸の整備も始まった様子で、また亀山の山頂の展望台から見た景色は平和そのもの。

ぬえがこの山頂に登るのはこれで2度目ですが、よく見るとここは山頂ではなく、車を停めた場所から さらに遊歩道のような道が上に続いています。今回ははじめてこの道を歩いてみました。よく見ると、震災後に植林された若木に混じって、焼け焦げた切り株がたくさんあります。震災前はこの展望台からは木が邪魔になってあまり景色はよく見えなかったそうですが。。

そして訪れることができた本当の亀山山頂。なんて雄大な景色でしょう!



やがて宮司さんとお約束した時刻になり、一行は本日の目的地、大島神社に向かいました。
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第19次支援活動<気仙沼市>(その15)~2014年の舞初め…お神明さまで奉納舞囃子

2014-03-05 08:05:38 | 能楽の心と癒しプロジェクト
この日。。元朝にお邪魔するのは気仙沼内湾に面する「五十鈴神社」です。お待たせしました~(笑)

五十鈴神社は気仙沼市の内湾の一番奥まった、つまり陸地側から見れば一番手前に位置していて、港の中にひょっこりと突き出た小さな岬。。港からは小島のように見える「神明崎」の上に鎮座しています。その岬全体が銭形山と呼ばれる小山で、ちょうど港を見下ろす位置関係から神社は水産業の守り神として崇敬を集めているのだそうですが、それ以上に地元では「お神明さま」と呼ばれて親しまれている神社なのでした。

震災前はこの岬の周囲に赤い欄干を巡らせた遊歩道が設えられ、「浮見堂」という東屋が建てられてあり、ある種 気仙沼を代表する景観のひとつとなっていましたが、津波によって浮見堂も遊歩道も失い、遊歩道は現在でも立ち入り禁止のままです。

え~、ぬえたちは結局朝9時に到着すべきところ15分遅れてしまいまして。。前日下見をしておいた神社近くの空き地に車を停め、急な坂を登って神社に到着しました。この神社での活動をコーディネートしてくれたプロジェクト気仙沼支部局長(?)緑さんは、本来ご自宅までお迎えに参上するところ、それもまた ぬえたちが間に合わないということで、タクシーで先に到着してくれているはずですが。。

山頂に登って、まずは初詣客の対応にお忙しい様子の宮司さまにご挨拶をして、社務所の一室を控室に拝借させて頂きましたが、その部屋に上がろうとすると、境内の遠くに緑さんが誰かと話しています。それは気仙沼の災害FM「けせんぬまさいがいエフエム」さんの取材でした。取材の可能性があることは聞いていたのですが、なんとこの時間に生放送して頂いたらしく、遅れて到着した ぬえたちに代わって緑さんがインタビューを受けることになったのでした。すまん。。

さて気を取り直して楽屋であらためてプロジェクトのメンバーに会ってみると、いやはや。。いまだに意識ももーろーの方もおわしますし、今日の活動には参加しないけれど、まだ矢作の宿でお休み中の方もあり。。昨夜の盛り上がりの爪痕がこんなところに。ぬえは元気に起きたけどなあ。

で、この元日の奉納舞囃子のために用意してきた裃に着替えて、宮司さまに改めてご挨拶をして拝殿へ。



拝殿はコンクリート造りではありましたが、さすがは海の守り神さまとして崇敬を集めている神社で、内部の壁一面に「海上安全祈願」を記した幟がずらりと並んでいました。ご祭神は天照皇大神、素戔鳴尊のほかに、なるほど大海津見大神。。能『玉井』にも登場する竜宮城の主の海神が祀られていました。天の神、地の神、そして海の神がおわするあたりが海とともにある街らしいですね。五十鈴神社という名称は、それを統括するのが天照という意味で、伊勢神宮のほとりを流れる五十鈴川から採られたものなのでしょう。

この日の上演曲は舞囃子『高砂』です。拝殿の中を舞いやすいように少し片づけて広くして頂いて、さて ぬえたちは着座して宮司さまをお待ちしたのですが。。ああ、どうもご多忙のご様子で、残念ながらお祓いは受けることができませんでした。お待ちしている間に、なんか見知った気仙沼の方々が次々に拝殿に姿を見せます。気仙沼の「つばき会」の高橋和江さん、身障児童支援団体の「ネットワークオレンジ」の鈴木夕佳ちゃんと白幡大輝くん。。それでわ、ってんで舞囃子を奉納させて頂きました。







うん、晴れて ぬえの2014年の舞初めは気仙沼の神様への奉納で無事に勤めることができました。



終わって拝殿の外で夕佳ちゃんも入れて記念写真~。
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第19次支援活動<気仙沼市>(その14)~一本松のいま

2014-03-01 02:41:12 | 能楽の心と癒しプロジェクト
矢作駐在所から気仙沼に行くには、宿の前を通ります。陸前高田市から気仙沼までの距離を考えると、もう約束の時間ギリギリ。宿に近づいたところで携帯で連絡を取ってみると、ようやく宿のフロントに全員が揃うところ、とのこと。浩乃ちゃんは日出子さんの了解を得て能楽チームの活動に参加してくれるそうです。

もう、先に行くよ! と言って、ぬえは一人で今度こそ気仙沼に向けて走り出しました。

。。が、すぐに ぬえも寄り道。(^◇^;)
なんせ例の「奇跡の一本松」の周囲がとんでもない状態になっていたのです。



以前にもブログに書きましたが、一本松の前で JIN'S PROJECT の企画で奉納の能を上演したとき、すでにそのあたりは工事現場となっていました。なんでも、かつての市街のはずれに位置する一本松のすぐ横を流れる気仙川を渡った、高田からは市外になる境界にある山を削っているのですって。山を削って、そこは高台移転の住宅地になり、切り崩して出た土砂は 地盤沈下した平地のかさ上げに使われるのだそうです。その土砂を運び出すのに、ダンプよりも効率がよく、経済的、そして事故や渋滞も防げる、というので、気仙川をまたぐ巨大ベルトコンベアが採用されて、その工事が行われているのだそうで、最初 コンベアを支える建設中の橋脚を見た ぬえは、東京のレインボーブリッジ並みの巨大な橋を造っているのかと思いました。

この撮影から ほんの2ヶ月。一本松のあたりは、やっぱり巨大な道路橋にしか見えないコンベアの橋がほぼ形になり、コンベアで運ばれた土砂を高架から地表にまで降ろすのでしょう、これまた巨大なジェットコースターのコースのような建築物が姿を見せつつありました。



わかるかしら? 一本松はすでに構築物の影にかくれて、ほとんど見えなくなってしまいました。



実際には、一本松はもともとこの工事現場がある場所からは橋を渡ったところにあり、そのさらに少し進んだ奥にユースホステルがありました。いわば一本だけ残った「奇跡の一本松」の母体である「高田松原」全体が、小さな内海を抱えた島のような形で、市街とは少し切り離された格好だったようで、本土に造られたこの巨大ベルトコンベアも、一本松からは少し離れたところに位置しています。だから見学のための遊歩道を徒歩で行けば、変わらぬ一本松の姿は目の前で見れるのだとは思いますが。。

それにしても巨大コンベアの偉容はちょっと驚愕の景色でした。

さて先行した ぬえがコンベアを見るために停車していたところに、能楽チームと浩乃ちゃん一行も追いついて来ました。それでは、というので一同打ち揃って気仙沼に向かいました。
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