ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

師家所蔵 16mmフィルムのデジタル化大作戦!

2010-04-22 02:46:05 | 能楽
2007年と言いますから、いまからもう3年も前のことになってしまうんですね~。名古屋の能楽研究者・通称=鮒さん(あ、いや、研究者ですから本名の方がいいんでしょうけれども、ぬえとはネット…正しくはパソ通の頃にオンラインでのお付き合いがいまだに続いているもので、なんとなくハンドルの方が呼びやすい…)が、ぬえの師家に所蔵される古い録音SP盤をデジタル化する、という大事業を成し遂げたのは。

師家には、当然のことではありましょうが、舞台や謡を記録した音源や映像記録も残されていますが、もちろんそのような音声や映像の記録は近代になってから始まったものです。そうしてその嚆矢がSP盤でした。鮒さんは早くにこのSP盤に注目され、もろく、割れやすいSP盤が保存されているうちに、近代に記録された貴重な音源をデジタル化しておこう、と考えられ、そうして友人である ぬえに、師家の協力を頂けないかの打診があったのでした。

これを最初に聞いた ぬえは面白い発想に感心して、また ぬえ自身にもそういった古い音源が現代に再生されることへの興味がにわかに盛り上がって、師家に伺うことは引き受けました。が、実際のところは、それを実現するのは大変な作業であることも気づいてはいました。

師家に所蔵される音源…SP盤に限らず…は、当然のことながら装束を納めてあるお蔵の中にあります。そして装束を出し入れする際に、ちらりとそれらの物があるなあ、程度の認識は持っていました。でも、さてそれらを漏れることなくすべてお蔵から出すのは大変な作業です。いや、時代の移り変わりの中で破損したり、またお蔵の隅の方に紛れ込んだりもしていますし、分量としては驚くほど多い、というわけでもないのですが、なんせ通常の公演に使う装束の出し入れに便利が良いようにお蔵の中は整頓されていますので、そういった記録の類は装束類よりもずっと奥にしまい込まれているのです。

それでも、ぬえ自身にも興味があり、また師家からもご協力を頂きまして、なんとか これですべて、と一応は思われるようにSP盤を引っ張り出すことができました。そうして時間を掛けて、鮒さんの努力によってそれらのSP盤をデジタル化する事に成功したのです。その当時の記録はブログ内の次の記事をご参考になさってください。

師家蔵・古いSP盤のデジタル化作戦(まとめ)

そのうえこれらの音源は鮒さんのサイトで公開され、DLできるようになっています。
→鮒さんのサイト 恵理人の小屋

さてここからが今日の本題ですが、この時の鮒さんが出した成果は師家にも納得して頂けたようで、このたび、今度は師家の方から ぬえにお尋ねがあり、師家所蔵の 16mmフィルムをデジタル化できないか、鮒さんに聞いてほしい、との仰せを承りました。

これというのも、実はたった今、師家ではお屋敷の全面建て替えをしておられまして、この時に整理していたところ、多くのフィルムが発見されたのでした。SP盤も16mmフィルムも、今となっては師家といえども再生する機器さえ手元には残っていない現状で、この機会に 前回成果を上げた鮒さんに白羽の矢立ったのですね。やはり勤勉であることは大切で、もちろん成果を出せば信頼も高まるでしょうが、ぬえは鮒さんの誠実な作業の態度が好感を持たれたのだと思います。

そうして今日、鮒さんは名古屋から上京され、ぬえと二人で師家蔵の 16mmフィルムの調査を行いました。

結果的には…期待していた初世・万三郎師の映像は、ただ一つを除いて見つかりませんでした。

その例外が、もうずっと以前になりますがNHKから発売されたビデオ「名人の面影」に収録されている 舞囃子『松風』です。厳密に言えばこのフィルムは 16mmではないのですが、ともあれ、ほかのどの方とも同じく初世万三郎師の映像といえばこの『松風』しか見たことのない ぬえにとっては、そのほかにも写真ではなく実際に動いて、舞っておられる初世様の新しい映像が発見されたか!!?? とふくらんだ期待は、あえなく潰えてしまいました。師家にさえ残されている初世様の映像は『松風』1番だけだということになりますから、今後も新発見は望むべくもないかもしれません…

でもまた、今回見つかった 16mmフィルムの中には能の『羽衣』を愛してやまなかった舞踏家エレーヌ・ジュグラリス夫人を偲んで三保松原で催された『羽衣』や、小津安二郎監督の映画『晩春』の中で使われた染井能楽堂での『杜若』など、2世万三郎師の貴重なフィルムが含まれているようで、意外な発見もあるかも。ただ、SP盤とは違ってフィルムには、書籍でいうところの「錯簡」や「脱簡」があっても一見してはわかりませんので、とりあえず業者さんにお願いして保存状態のチェック→デジタル化が可能かどうかの判断をしてもらうことになりました。

今回も長い道のりになるかも知れませんが、折々 進行状況はこのブログでも発信していこうと思っております。ご期待ください~

「能面を打つ」新井達矢能面展/山口宏子写真展

2010-04-19 02:01:33 | 能楽

…という催しが銀座で開かれます。

新井達矢さんは若干27歳の新進気鋭の能面作家です…が、知名度は抜群で、このブログをご愛読頂いているみなさまの中にも名前をご存じの方もあると思います。幼少から能面を打つことに親しまれ、5年前に福井県で行われた新作能面公募展で最優秀賞たる「文部科学大臣奨励賞」を受賞されて注目を集めました。その後も彼の能面製作の様子を記録した短編映画が作られたりと活躍されておられます。

一方、能楽写真家の山口宏子さんは ぬえのブログでも何度も登場されておられます。ぬえとのお付き合いもずいぶん長くなってきたと思いますが、最初は東京で ぬえが舞う能の撮影を所望されたところからお付き合いが始まったのだと思います。ところが拝見した写真から撮影技術は相当に高いことが窺われ、以来親しくお付き合いさせて頂いております。伊豆の子どもたちの稽古風景や発表の様子を撮影して頂いたり、外国人へのそれをお願いしたり…どうしても予算の厳しい催しで無理を言ってお願いするよう場面が多くて ぬえはご迷惑を掛けっぱなしなのですが…

今回は山口さんの写真展+新井さんの能面展という珍しい企画なのですが、じつは山口宏子さんは ずっと以前…それこそ新井さんが賞を頂くより前から面を打つ姿を撮影し続けておられるのだそうです。今回はそれをまとめた写真展であるわけですね。

さて、なぜ ぬえがこの写真展+能面展をご紹介しているかというと…この写真展では ぬえが新井さんの面を掛けて舞う写真が少々含まれているからなのです。

…というのも、新井さんの製作風景の写真は多くあっても、いかんせん舞台で実際にその面を掛けて舞っている写真が少ないのだそうで、そうしたわけで ぬえに依頼を頂き、本式の能ではないけれど、師家のお舞台で面・装束を着けての撮影が今月のはじめに行われました。

山口さんと ぬえとの関係があったればこそ頂いた依頼でありましょうが、これまた奇遇にも、前述の福井県での公募能面展の審査員というのが なんと ぬえの師匠その人なのです。このとき ぬえは師匠からその様子を伺っておりますが、審査は作者名が伏せられて、先入観なく面そのものの出来だけで審査することになったのですが、師匠は最優秀賞はこの面しかない、と感じたものの、そのうえに「はて…? この面は新井くんの作に似ているが…」と思われたそうです。かくして受賞が決まったところではじめて師匠は作者と会い、そこで「ああ、やっぱり君か」と話されたそうです。ん~~、ぬえにはとても出来ない、とんでもなく高いレベルで面を見ているのですね…

これからもわかるように、師匠と新井さんとは公募展よりも以前からお付き合いがあるそうですが、この度の撮影で新井さんに どれほどの期間交際が続いているのですか? と伺ったところ…「15年以上になりますか…」というお答え。いま新井さんは27歳ですから、そうすると高校生の頃から…!!?? まあ…もとより小学生時代から面を打っておられる新井さんだから、非常に能面に造詣の深い ぬえの師匠と出会う時期が早いとは驚くこともないのかも知れませんが…

こんな訳で、今回は ぬえに頂戴した依頼ではありましたが、これは ぬえが撮影モデル(?)になるよりは師匠の方が似つかわしいと考えて師匠にも相談したのですが、あいにく師匠の都合が合わず、やはり ぬえが舞うことになりました。

まあ、ぬえも ひと通りは装束を持っているつもりですが、う~ん、いざ1曲、頭のてっぺんから爪先まですべて自前の装束や小道具類で揃えて、となると相当 曲目も限られてきますね~。今回はそういうわけで『葵上』など3曲のそれぞれ一部分だけを舞ってみました。装束の着付けと演技監督には若師匠が当たってくださり、また師匠もご予定の合間にしばしお見えになりアドバイスも頂きました。舞ったのは ぬえでしたが、結果的にかな~り豪華な撮影になりましたですね~

そしてまた ぬえも、新井さんが持参された面の中に美しい面を見つけて心躍りました! かつて人間国宝であった故・粟谷菊生師は古い小面を「生涯の伴侶」とおっしゃって、一生ほとんどの三番目物のシテをその面だけを使われたと聞きますが、今回は ぬえも「恋人」ができそうです…

【能面を打つ】新井達矢能面展/山口宏子写真展

会期: 2010年5月7日(金)~13日(木)/会期中無休
会場: フレームマン エキシビションサロン銀座 アンビションⅡ
    東京都中央区銀座5-1 銀座ファイブ2F
時間: 10時~19時/初日12時~19時/最終日10時~17時

岐阜県・海津市にて浦田保利師追善の素謡会

2010-04-14 01:56:41 | 能楽

一昨日になりますが、岐阜県・海津市というところで素謡会がありまして、ぬえも地謡にて出演して参りました~

これは ぬえが尊敬する故・浦田保利師の一周忌追善の催しで、会主は保利師の弟子であるF師…海外公演で ぬえも何度もご一緒し、また ぬえが米国の大学で教えた際にも2度に渡りご同行をお願いした方…ぬえとは親子ほども歳が離れているけれども、また東京と京都で離れて住んでいるから滅多に会う機会もない方ですが、それでも ぬえとはとっても仲の良い、と言ったら大先輩に向かって失礼ですが、そんな信頼で結ばれている方…の催しでした。出演したのはF師のお弟子さんたちでしたが、大熱演で楽しい会でした。

またF師のご友人の能楽師が大勢 地謡で出演されるのですが、いずれも関西の方ですんで、東京の田舎者は ぬえ一人~。この日に地謡で出演された能楽師の方々は、もう何度もお目に掛かっている…けれども普段はなかなかお会いしないので旧交を温めた、という感じの方もあり、また初めてお目に掛かった方もあり、けれども皆さん気さくな方ばかりで、楽屋でも楽しい時間を過ごさせて頂きました。こういう交友関係もF師の人徳に依るところが大きいでしょうね~。ぬえはF師は本当に人格者だと思うし、また浦田家の同門の方も、技術的にも、人間性の面でも、ぬえから見ると見習わなきゃいけないことばかり… 

そうそう、この日は終演後に新幹線の岐阜羽島駅を利用して帰ったのですが、ご同門のK師とは話が尽きず、駅の蕎麦屋さんでビールを飲みながらかなり長く話し込んでしまいました。現代の能楽のこと、将来のこと、故・保利師の思い出話… K師はかなり鋭い視点で、古典芸能の役者として現代人にどう訴えかけるべきかを考えておられる方で、お目に掛かる度に ぬえは話し込んでしまいますね~。お互いに熱弁していながら、決して意見の違いから険悪なムードが漂ったり、ということはありません。K師に限らず舞台で技術的に刺激を受けることも多く、また楽屋では楽しい話題もあり、議論もできて、毎年お招き頂いて恐縮ですが、F師の催しは楽しみに参上しております。

さて今回の会場がまた、興味深いところでした。「海津市歴史民俗資料館」というのがそれ。タイトル画像を見て頂きたいですが、なんて立派な建物なのでしょう! それも近代的な博物館の屋上に純和風の屋敷があるとは…。

最初はこの御殿を見て、なぜ平地に建てなかったのかなあ? と不思議に思ったのですが、よくよく聞いてみると、ちゃあんと深い理由があったのでした。海津市は岐阜県の中では最南端に位置して、東は愛知県、西は三重県に接するところにあります。木曽三川と呼ばれる長良川・木曽川・揖斐川がちょうど合流する地点に当たっています。この地域、政治的にいえば江戸時代には松平氏が治め、尾張徳川家の分家のような立場にありました。そんなわけでこの御殿は松平氏の居城だった高須城の御殿を再現したものなのですね。

そうして御殿の中には本格的な能舞台も再現されています。ここが今回の会場となりました。



お城の御殿を再現したものなので、ちゃんと上段の間もあります。



こういうわけで、石垣の上に建つ城のイメージで建てられた御殿なのでしょうが、もう一つ、この高さに建てられた理由…というより石垣が再現された理由があったのでした。

それは、この石垣が付近を流れる木曽川や揖斐川の堤防の高さを表しているのです(!)。…じつはこの辺りは海抜ゼロメートル地帯でして、古来 三つの川の氾濫に苦しめられてきた土地なのだそうです。資料館には水と闘ってきた歴史や、その被害を軽減するために様々に工夫された結果生み出された、独特の生活様式の有様が展示されていて、とても興味深く思いました。集落をそのまま堤防で囲う「輪中(わじゅう)」が発達していたり、盛り土の上に田を開いて、水路で往復して農作業を行っていたことなど、ぬえには想像もつかない水との果てしない戦いの上に成り立っていた土地だったのですね。そういう意味もあって、現代では堤防も発達して水害への恐れは往時ほどではないにしても、水害の恐ろしさの戒めとして、自分たちの生活を守っている堤防の高さを表しているのでしょう。

しかしなんと言ってもこれ! 障子を開けたときの見晴らしの良さと言ったら!




伊豆でお花見~(*^。^*)

2010-04-10 01:03:21 | 能楽

ようやくお休みがとれました~。なんともいろんな事があったこの1ヶ月でした。

まずは車を買い換えたことですかね~。長年親しんだ車でしたが、ようやく限界を感じて買い換えを決断したのでした。「限界を感じて」というのが買い換えの理由とは、我ながらかなり物もちはよい方だと思いますが…(^◇^;) ところが周囲の能楽師に聞いてみると、おお~っ、ぬえより物もちの良い人があちらにも、こちらにも… いや、これには ぬえも意外でした。能楽師ってケチ…もとい、堅実な方が多いんですね~ もう、泣きそう。(;^_^A…

さてこの話題もすでに先週のことになってしまうのですが、伊豆にお花見に行って参りました~。あ、いや、お稽古に出かけたついでではありましたのですが、さすが温泉地で、毎年このお花見の季節には芸妓さんが舞を見せるステージまで組まれます。そこで ぬえも急遽、飛び入り参加させて頂きました~。

それにしても…山に桜が咲いている有様に、それを見慣れぬ ぬえは驚嘆させられました。



デジカメ画像ではあの美しさは表現できないですが…

それにしても、そもそも東京では桜というものは平地に規則正しく並んでいる、もしくは大きな公園の一角に「さくら広場」かなんかと名前をつけて押し込められて咲いているものでしょう(←極論)。ですから東京で ぬえが好きな桜の光景は、車で走り抜ける桜並木のトンネルや、駅に向かう道の間じゅう、ずっと桜吹雪の中を自転車で走ることだったりします。いや、桜も植物であれば山にたくさん生えている木々の中に桜が混じっていても不思議ではないですが、なんせ見慣れぬ光景でした。ぬえって「田舎」を持っていない人なのよねえ…(・_・、)

あれ…? この画像だけはどこかで見た記憶があるような…



しばし考えて、ようやく思い出しました。これは師家にあってよく舞台でも使われる「吉野竜田図」の鬘扇だ。春の吉野山を表面に、秋の紅葉の竜田山を裏面に描いた、なんというか季節に節操のない「お徳用」の扇でもあるわけですが、両面ともに淡い彩色で、かたや青い空に薄く白い山々、もう片面は紅葉に燃える山脈を、どちらも遠山の風情に描いた、とっても品の良い扇なのです。吉野山には及ばないまでも、青い空に桜の砂糖菓子をあちこちにちりばめたようなこの伊豆の風景は、そんな長閑で満ち足りた幸福感を ぬえに与えますね~。

さてお花見では前述のように地元の芸妓さんのステージや「よさこい」…最近これはどこででも見るなあ。それと伊豆太鼓と呼ばれる郷土芸能などが披露されました。へへ、ってんで、ぬえも急遽 仕舞で参戦することに~。

ををっ、ぬえの応援団の黄色い歓声まで投げかけられるではないかっ。応援団…と言っても地元の小学生たちなんですけどね~ (^_^;)v

ま、こういう訳ですから、ぬえは地元にも関係の深い曲『鵺』を仕舞に選びました。こういうことが契機になって能に興味を持ってくださる方が増えてくるのを期待もしたいし、また郷土愛をはぐくんだり、郷土の歴史に思いを持って頂ければありがたいですね。