こんな事も。
ぬえが『安達原』のシテを勤めたとき、終演後におワキが難しい顔をして楽屋に座っておられました。自分では まあまあの出来だったと思ったので、終演直後にご挨拶をしたところ、このおワキだけは生返事で挨拶を返してきて、ぬえも「?」と思っていました。
どうも ぬえの『安達原』がお気に召さなかったらしい。。楽屋でいまだに難しい顔をして座っておられるおワキに、ついに ぬえは再度のご挨拶に伺いました。そのときのおワキのお言葉が。。
。。「祈リというものはああいうものじゃないだろう。。オマエが押してくるところはオマエの力でこちらが下がるんだが、逆にオマエが下がるところはこちらの力で押してゆくんだ。オマエが勝手に橋掛りに行ってしまうのならば、オレは追わないぞ。オマエが祈リを舞うのが初めてだ、と知っているから今回は追って行ってやったけれど。。」
「祈リ」という舞(?)は鬼女がシテの能に独特のもので、『道成寺』『葵上』『安達原』にあって後シテの鬼女は打杖を、霊能者であるワキは数珠を持って争います。大きく分けて四段構成になっていて、1段目~3段目にそれぞれシテがワキに打ち掛かる型があります。そしてその打ち合いは、1段目と3段目では舞台の前方で行われるのに対して、2段目では橋掛りで行われます。上記のおワキはこの2段目の打ち合いの前、シテが橋掛りに行くところの事を言ったのです。
この3度の打ち合いでは、ワキに迫るシテに対してワキは法力で対抗して、数珠を揉んで祈ります。シテは祈られて弱り、ワキから顔を背けて苦しみますが、やがて一念発起、ワキに打ち掛かる、という型が繰り返されるのです。舞台の先での1段目の打ち合いのあと、ワキに祈られたシテは心弱く橋掛りに逃げ、ワキはそのあとから数珠を揉みながら追って行きます。そして橋掛りの幕際まで追いつめられたシテがそこでワキに振り返って打ち掛かるのですが、その1段目のあと、橋掛りに行く ぬえの足が速すぎたのでしょう。ワキに祈られて苦し紛れに橋掛りに逃げる、そういう心得をきちんと持っておらず、型付けの手順として橋掛りに行った ぬえをこのおワキは厳しくおっしゃったのです。
なるほど、ぬえが悪かったし、勉強にもなりました。でもそれ以上に ぬえが思ったのは、これは祈リに限った心得ではないな、ということでした。祈リはおワキと直接舞台上で争うからわかりやすいけれども、ほとんどの能ではこういう事はありません。シテは見所に向かって舞う事が多く、その場合はおワキはそれを見ているだけ、という場合が多いのです。でも。。どこまで行っても能の脚本のうえではシテはワキの前に登場して、ワキに対して舞を見せているのです。どうしても舞になるとシテは囃子方との呼吸ばかりに気を取られてしまうけれども、正面を向いて舞っていてもシテは常にワキの視線を意識していなければ、脚本そのものが成り立たないでしょう。
思えばおワキの先輩には若手のシテに対して鋭い助言をなさる方がありますね。型や謡についておワキがおっしゃる事は、ときとして先輩から頂く助言よりも冷静で的確だったりします。やはり能の中盤から後半にかけてはじっと舞台を凝視されている事の多いおワキは、いろいろな催しでシテをご覧になっていて、思われる事も多いのでしょう。
ぬえが『安達原』のシテを勤めたとき、終演後におワキが難しい顔をして楽屋に座っておられました。自分では まあまあの出来だったと思ったので、終演直後にご挨拶をしたところ、このおワキだけは生返事で挨拶を返してきて、ぬえも「?」と思っていました。
どうも ぬえの『安達原』がお気に召さなかったらしい。。楽屋でいまだに難しい顔をして座っておられるおワキに、ついに ぬえは再度のご挨拶に伺いました。そのときのおワキのお言葉が。。
。。「祈リというものはああいうものじゃないだろう。。オマエが押してくるところはオマエの力でこちらが下がるんだが、逆にオマエが下がるところはこちらの力で押してゆくんだ。オマエが勝手に橋掛りに行ってしまうのならば、オレは追わないぞ。オマエが祈リを舞うのが初めてだ、と知っているから今回は追って行ってやったけれど。。」
「祈リ」という舞(?)は鬼女がシテの能に独特のもので、『道成寺』『葵上』『安達原』にあって後シテの鬼女は打杖を、霊能者であるワキは数珠を持って争います。大きく分けて四段構成になっていて、1段目~3段目にそれぞれシテがワキに打ち掛かる型があります。そしてその打ち合いは、1段目と3段目では舞台の前方で行われるのに対して、2段目では橋掛りで行われます。上記のおワキはこの2段目の打ち合いの前、シテが橋掛りに行くところの事を言ったのです。
この3度の打ち合いでは、ワキに迫るシテに対してワキは法力で対抗して、数珠を揉んで祈ります。シテは祈られて弱り、ワキから顔を背けて苦しみますが、やがて一念発起、ワキに打ち掛かる、という型が繰り返されるのです。舞台の先での1段目の打ち合いのあと、ワキに祈られたシテは心弱く橋掛りに逃げ、ワキはそのあとから数珠を揉みながら追って行きます。そして橋掛りの幕際まで追いつめられたシテがそこでワキに振り返って打ち掛かるのですが、その1段目のあと、橋掛りに行く ぬえの足が速すぎたのでしょう。ワキに祈られて苦し紛れに橋掛りに逃げる、そういう心得をきちんと持っておらず、型付けの手順として橋掛りに行った ぬえをこのおワキは厳しくおっしゃったのです。
なるほど、ぬえが悪かったし、勉強にもなりました。でもそれ以上に ぬえが思ったのは、これは祈リに限った心得ではないな、ということでした。祈リはおワキと直接舞台上で争うからわかりやすいけれども、ほとんどの能ではこういう事はありません。シテは見所に向かって舞う事が多く、その場合はおワキはそれを見ているだけ、という場合が多いのです。でも。。どこまで行っても能の脚本のうえではシテはワキの前に登場して、ワキに対して舞を見せているのです。どうしても舞になるとシテは囃子方との呼吸ばかりに気を取られてしまうけれども、正面を向いて舞っていてもシテは常にワキの視線を意識していなければ、脚本そのものが成り立たないでしょう。
思えばおワキの先輩には若手のシテに対して鋭い助言をなさる方がありますね。型や謡についておワキがおっしゃる事は、ときとして先輩から頂く助言よりも冷静で的確だったりします。やはり能の中盤から後半にかけてはじっと舞台を凝視されている事の多いおワキは、いろいろな催しでシテをご覧になっていて、思われる事も多いのでしょう。