ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

師家所蔵 16mmフィルムのデジタル化大作戦!(その3)

2010-05-29 01:12:03 | 能楽
フィルムはまず日本語の字幕から始まります。当時の日本映画でも物語の背景の説明のために映画の冒頭によくこういう字幕がある、あれです。

  その昔、素朴な人々が美しい富士山の下で平和な生活をおくり三保の松原をこよなく愛していた
  この人々の愛情から羽衣の伝説が生まれた
  きれいな天女が一人の漁夫のために踊った
  この羽衣の伝説は今も全世界の美を愛する人々にささげられている

この字幕はあとで追加されたもののようです。なぜなら、この字幕に続いて始まる本編ではすべてフランス語の表示・ナレーションが付されているからです。

三保の松原から見た富士山の遠景、出漁の準備にいそしむ漁夫…そんなイメージカットのあとに出たタイトルは「Hommage à Hélène」…「エレーヌへのオマージュ」。続いて「Pour Hèléne et tous ceux qui aiment et out aimé MIHO NO MATSUBARA et HAGOROMO」という文字が現れます。ええと…「エレーヌと、その愛したもの…三保の松原と羽衣のために」というような意味でしょか。すんませんフランス語は大学の第二外国語で習っただけなもんで…(×_×;)

こうして始まったのは、エレーヌ夫人へ捧げられた碑の除幕式の映像です。まず「1er Novembre 1952」という日付が示されたのち、映し出された会場(碑の除幕式ですから当然野外)の入口に設えられた門には日本語で「祝 エレーヌ夫人 羽衣の碑 除幕式」とあるほかにフランス語で「Bienvenue Ceremonie à Hélène Giuglaris」(=ようこそエレーヌ・ジュグラリスのセレモニーへ)と書いてあります。ここにかぶせられているフランス語のナレーションまではさすがに ぬえにはわかりませんでした~

1952年といえば戦後からあまり隔たっていない昭和27年です。参列者も和服の人が多いですし、男性のまん丸メガネも時代を感じさせます。その中でひときわ目立つハンサムな外国人こそ、エレーヌの夫君のマルセル氏でありましょう。



若くしてこの世を去った妻エレーヌの遺髪が納められた碑の除幕を見つめる彼は、時折ハンカチで眼を拭くしぐさも映し出され…。当時の記録は検索ではなかなか発見できませんでしたが、フランス大使や市長(これは当時の清水市長でしょう)なども出席されたようで、そうして映像を見ても、能の公演もあったので一般の人も広く見物できたのでしょう、本当に多くの…数百人ほどもありそうなお客さまが集まっているようです。

チラッと映った式次第にはこう書いてありました。
一、 開式の辞
二、 日本 フランス国歌斉唱
三、 除幕
四、 献花
五、 式辞
六、 経過報告
七、 感謝状表彰…(判読不能)
八、 祝辞
九、 謝辞
十、 能上演
十一、 閉式の辞

こうして除幕式の最後の場面で ぬえの師匠(先代)によって能『羽衣』が上演されました。

師家所蔵 16mmフィルムのデジタル化大作戦!(その2)

2010-05-28 01:47:22 | 能楽
先月お知らせしました師家所蔵16mmフィルムのデジタル化プロジェクトですが、1巻のみですが ついに結実しました!

師家所蔵 16mmフィルムのデジタル化大作戦(その1)

先月、師家所蔵のSP盤をデジタル化することに尽力してくださった名古屋の能楽研究者の鮒さん(あ、いやこれはニフティ時代からの彼のハンドルでして…飯塚恵理人氏というのが本名ですが)が東京の師家に見えられて、16mmフィルムの調査を行いまして、リストを作った結果、今回は日本の能を愛してやまなかったフランス人舞踏家エレーヌ・ジュグラリスを記念して昭和27年に三保の松原に建てられた碑の除幕式で先代師匠が舞った『羽衣』をとりあえずデジタル化することになりました。

その後フジフィルムの手によってフィルムのクリーニングとデジタル取り込み作業が行われ、今日、ついにDVDとなって納品されてきたのです!

早速 師家で試しに上映してみたのですが、まず感じたことは意外や非常に画質がよいことでした。もう半世紀もほったらかしになっていた16mmフィルムはクリーニングによってこんなにも見事に復元できるものなのですね~。映像も音声もほとんど見苦しい箇所はなく、非常に鮮明です。これならデジタル化した意義は大きいと言わざるを得ないでしょう。

さて内容は、というと、こちらは予想と反した結果にまたもやビックリでした。まずはその収録時間。元の16mmフィルムのリールが30cm近くある大きなものだったので、これは当日舞われた『羽衣』の全曲が収録されているのでは、と期待を持ったのですが、実際には7分間しか収録されていませんでした。フジフィルムの担当者さんに聞いたところ、16mmフィルムの収録量はそういうものなのだそうです。そんなに短いものなのか…これは知りませんでした。

そしてその収録された内容。これについては、まず収録された催しそのものの意義を語っておかねばなりませんね。

エレーヌ・ジュグラリスは第二次大戦中から戦後にかけて活躍したバレエ舞踏家で、40年代はじめ頃から日本の能に強い関心を持って独学で研究し、とくに『羽衣』に魅せられてこれを舞台化した人です。『羽衣』への深い傾倒は、装束を自作したことなどからも窺われます。1947年に初演されたエレーヌ版『羽衣』は好評を博し、各地で公演がもたれましたが、その同じ年の6月には舞台上で倒れ、白血病のため2年後の51年に35歳の若さで他界しました。

こちらに彼女についての説明があります。自作の装束は、ちょっと むむむ…という感じですが。

エレーヌ・ジュグラリスについて

ジャーナリストだった夫のマルセル・ジュグラリス氏は夫人の逝去の4ヶ月後に経済紙の特派員として日本を訪れ、病床で『羽衣』の舞台である三保の松原への憧憬を語っていたエレーヌの遺髪を携えて現地を訪れました。この事が契機となって現地でも反応がわき起こり、翌52年(昭和27年)にエレーヌ夫人が能面に見入っている姿を刻んだブロンズ・レリーフをはめこんだ「羽衣の碑」が建てられたのでした。このときの除幕式で ぬえの先代の師匠が能『羽衣』を勤め、これを記録したのが、今回デジタル化した16mmフィルムです。

さてフィルムの現物には「三保の松原 羽衣 昭和27年」という程度しか記載されていませんでした。これがエレーヌ夫人の碑の除幕式の記録だということは 門下である ぬえにはすぐに気づきましたので、これは貴重なものが発見されたぞ! と心躍りましたですね。そのときの ぬえは、てっきり当日の『羽衣』の上演が1番まるまるそのまま記録されているのかと思ったのですが…実際はそうではありませんでした。

内容は、能…というよりは除幕式を記録した7分間のドキュメンタリーだったのです。


発表会と結婚式に出演してきました~

2010-05-27 07:38:37 | 能楽

土曜日と日曜日の2日間に渡って生徒さんの発表会がありました。どちらも能楽師の要員が少なかったので、出演する番数がおのずと多くなって…今回の ぬえは2日間で素謡10番、仕舞11番、舞囃子2番というものでした。まあ、2日間の発表会としては それほど多い番数でもないのですが、今回の ぬえはこのうち素謡8番、仕舞5番で地頭のお役を頂いておりまして、さらにその中には素謡『隅田川』の地頭なんて大役もありましたので、じつは先週頃からかなり緊張していたのでありました。

まあそのお陰か、当日はなんとかノーミスで勤めることができました…と言いたいところですが、本当のことを言うと、2カ所でミスを犯してしまいました…。(×_×;) どちらも すぐにほかの地謡が訂正して謡ってくれましたので大事故にはなりませんでしたが…あ~あ、なんともお粗末なことで…申し訳ありませんでした~(>_<)ヽ

それにしても…日曜日の催しは先輩の生徒さんの発表会でしたが、なんとも楽しい催しでしたね~。幼稚園の保母さんたちによる舞囃子とか、お母さんが後見についた子方の素謡とか…。やっぱりねえ、発表会は楽しくなきゃダメ! という思いを新たにした ぬえでありました。

さてタイトル画像は 先日 ぬえが出演した結婚式の会場となった都内の料亭の中庭です。こうして見ると深山幽谷の有様ですね。この結婚式は ぬえのサイトをご覧になった新郎新婦さんから直接ご依頼を頂いて出演することになったのですが、昔ながらの「祝言」という結婚式がとても良い形で結実したと思います。もとはと言えば挙式プランナーの八千代ウェディングさんの依頼によって ぬえは結婚式への出演をするようになって、それからもう何年も経つのですが、まあ正直言って ぬえがそういう古来の祝言式の作法として知っていることは自分の出演の前後の間だけでして、八千代ウェディングさんが式次第を上手に進行していくのを ポカンと口を開けて眺めながら なんとなく指示されるままに謡うような感じでした。

それでも自分が参加する場面では いろんなアイデアを出したりもしまして、そうしているうちにも段々と自分でも 式の進行の大筋の流れだけはようやくわかって来た程度のものだと思います。…そんなわけで、故実については はなはだ頼りない ぬえではありますが、今回は挙式をされるお二人から ぬえに直接出演のご依頼を頂きましたので、精一杯勤めさせて頂きました!

しかし、日本古来の結婚式では謡は必須の条件だったようで、それは能楽師が出演するというよりは仲人さんが謡っていたようですんで、まあ、その起源は謡が庶民に普及してからの近世あたりまでしか遡らないのでしょうが、少なくとも何百年かの間培われた伝統が、現代に至ってここまで消滅してしまうとは悲しいかぎりです。また一方、能楽師としても、そのように民間の中にここまで浸透していた能のひとつの姿に立ち帰る姿勢はあるべき姿だと思います。実際、お客さまのすぐ目の前で謡う結婚式は舞台にはない緊張があります。さらに、お二人だけのために舞い謡うということ、そうしてそれについてお二人や参列のお客さまが喜んで頂き、直接感謝のお言葉なんかを頂くのは新鮮な体験で、とてもうれしかったです~。

今回挙式をされるお二人から ぬえに出演のご依頼があってから、かなり綿密に打合せを重ねましたし、会場となる料亭にも打合せで足を運びました。その結果 豆ぬえも挙式に出演することとなり、三三九度のお酌を勤めさせて頂きました。お二人としても挙式にハッキリとしたビジョンを持っておられましたので、演出には一部変則的な部分もあったものの、ぬえも安心してお二人のご希望に沿う形で演出を考えることができましたね。

そうして挙式の当日。なんだかお二人、楽しそう。新郎さんも全然緊張していないご様子で、へえ~~ ぬえの方が緊張しているんですけど~ (×_×;)。 お客さまが入場されるまで、挙式会場の隣にある披露宴会場で待機していたのですが、そこでは 披露宴の際に流されるビデオが試しに映写されていました。これがかなり凝ったものでビックリ! 新郎さんはコンピュータ関連のお仕事をしておられる方だったので、それでこういうビデオができたんでしょうか。

お二人がこれからもずっとお幸せでありますように~ (^^)V

千葉県・野田市「和のおけいこ講座」~『鵜飼』についての雑談(その1)

2010-05-21 01:05:15 | 能楽

もう2年近く続けている千葉県・野田市での「和のおけいこ講座」…名称はそうなんですけれども、実際には能楽講座に体験がついた感じの催しです。野田市はご存じお醤油の街で、キッコーマンの本社や工場がひしめいています。その中にある市民会館というのが、通い慣れた会場です。「市民会館」とは名前こそお堅い感じでコンクリート造りの地域コミュニティホールを想像しちゃいますけれども、これがキッコーマンの中心的な創業家だった茂木佐平治家の旧邸宅でして、大正時代に建てられた純和風の豪邸です。戦後野田市に寄贈されて市民会館となったわけですが…国の有形文化財にも指定されている建物なので、もう少しウツクシイ名前をつけてあげないとかわいそうかも…

この場所で、毎月1回 ぬえは能楽講座を開いています。もうパターンも決まってきまして、毎回1曲の能を取り上げて、その曲の見どころを説明して能の魅力を知って頂き、併せて体験程度の実技をやってみる、というもの。

毎回冒頭の30分で ぬえが演じたその曲のビデオを見て頂きながら演技の内容を解説していくのですが、今回は「なんとなく」能『鵜飼』を取り上げてみました。まさに「なんとなく」で、もう2年も続けていると、さすがに自分が舞ったビデオのストックも先が見えてきまして…いや、まだ録画はたくさんあるのですが、さすがにずうっと以前の、まだまだ未熟だった頃の録画はとても見せられたものではないんで…、それで、毎回 次はどの曲を取り上げようかなあ…と考えるのも、ビデオに記録された自分の演技のよしあしと相談しながら、なのです。ですから今回も「あ、鵜飼をまだ取り上げていなかったか…」と気づきましたが、この曲を取り上げて説明して、さてその中から能の魅力や、日本文化の特質をわかりやすく理解して頂くのには…ちょっと不利な曲かなあ、とも同時に感じました。おそらく、この2年の間には何度か『鵜飼』を取り上げようと思ったけれど、同じような理由で、ほかの曲を選んでいたと思います。

そうやって段々とストックが少なくなってきて、あまり理由もなく今回は『鵜飼』を取り上げました。それでも、「鵜之段」がビジュアル的に面白く感じてもらえるかな? という思いもあったのですが、ところが今回は実際にお話をしてみると、意外や 多くの問題を秘めている曲だな、と ぬえ自身も面白く感じましたし、新しい発見もありました。『鵜飼』についてはすでにこのブログで取り上げていまして、それをまとめたものをサイトにアップしてあります→能『鵜飼』について

が、これは作品の読み込みとしてはまだまだ浅かったようです…今回は割と印象に残った…と自分で言うのもナニですが、講座になりましたので、しばらくこの話題を続けてみようと思います。

ところで、この「和のおけいこ講座」ですが、1曲の見どころを30分にまとめたビデオを流しながら、型について細かく解説をしています。「あれ?と思って松明を少し下げて二足下がりました」「すぐ松明を上げてそれをしげしげと見ています。おかしいな…松明はちゃんと燃えているのに…という心です」「その松明を上げたまま、再び水面を見下ろします…やっぱり水底が見えない…と思っているんですね」「あ…とふと気づきます。こういう時は正面を見るのです。松明を下ろすのは、これが不要になったことに気づいた事を表しています」「ぼんやりと左上を見上げて月が上ったのを見ます…つまり、月影の明るさに水面が鏡になってしまって、松明を灯してもその水の下にいる魚の姿が見えなくなったのですね」「月になりぬる悲しさよ、と地謡が謡うとき、面を伏せて二足下がります。絶望しているのですが、彼はこれから地獄に帰らなければならないのです。ワキに言われて懺悔のために鵜飼の漁の有様を再現していたのですから…」

…これらが毎回参加者には好評を頂いております。「こういう解説を聞くと、実際の舞台が見たくなってきました」という声もよく寄せられます…のですが、ううむ、考えさせられる意見です。

公演の前に、事前に学習会を開いて能の見どころを解説したり、一部を実演して見せたり、ということは かなり広く行われていると思います。とくに地方公演の場合には、主催者となり当日シテを勤めるシテ方の役者は積極的に行っていると思いますが、もっともっと、根本的なところから、お客さまに能の魅力の解説を行うべきなのではないかな? と考えたのです。

梅若研能会7月公演

2010-05-18 00:51:11 | 能楽

来る7月、師家の月例会「梅若研能会7月公演」にて ぬえは能『自然居士(じねんこじ)』を勤めさせて頂きます。3月に勤めました『敦盛』に引き続いて、ぬえが自分から希望して許された曲で、世阿弥の父・観阿弥の得意曲として知られている、非常に「演劇的」な能です。世阿弥から始まった歌舞能より以前の、ある意味ではよりアクティブな能の世界をこの曲はかなり正当な形で伝えていると感じます。
某所で、当日 ぬえが掛ける面「喝食」の製作をお願いしていまして、これが間に合えばいいなあ、と楽しみにしております。どうぞお誘い合わせの上ご来場賜りますよう、お願い申し上げます~

梅若研能会 7月公演

【日時】 2010年7月17日(土・午後1時開演)
【会場】 観世能楽堂 <東京・渋谷>

    仕舞 江 口クセ  中村 裕
        二人静キリ 梅若紀長/梅若久紀
        小袖曽我  長谷川晴彦/梅若泰志

能  自然居士(じねんこじ)
     シテ(自然居士)  ぬえ

     子方(女児)豆ぬえ
     ワ キ(人商人)高井松男/間狂言(雲居寺門前の者)山本則重
     笛 寺井義明/小鼓 幸 信吾/大鼓 佃 良勝
     後見 梅若万佐晴ほか/地謡 伊藤嘉章ほか

   ~~~休憩 15分~~~

狂言 樋の酒(ひのさけ)
     シテ(主人) 山本
     アド(太郎冠者)   山本 則孝
     アド(次郎冠者)   山本 則秀

能  安達原(あだちがはら)
     前シテ(里女)
     後シテ(鬼女) 古室 知也
     ワキ(山伏祐慶)舘田 善博/間狂言(能力)山本泰太郎
     笛 成田寛人/小鼓 鵜澤洋太郎/大鼓 大倉榮太郎/太鼓 徳田宗久
     後見 中村 裕ほか/地謡 梅若万三郎ほか

                     (終演予定午後4時30分頃)

【入場料】 指定席6,500円 自由席5,000円 学生2,500円 学生団体1,800円
【お申込】 ぬえ宛メールにて QYJ13065@nifty.com

例によってブログで作品研究。。というか、上演曲目の考察を行いたいと考えております。併せてよろしくお願い申し上げます~~m(__)m

「能面を打つ」新井達矢能面展/山口宏子写真展 行って来ました

2010-05-12 01:20:02 | 能楽
東京・銀座で行われている新井達矢くんの能面展と、彼が面を打つところを数年間にわたって撮影し続けている山口宏子さんの写真展。ぬえはその初日に行って参りました。

銀座の、小さなギャラリースペースが会場で、え~正直言って ぬえは銀座に着いてから相当迷ってしまいました。銀座には本当にたくさんのギャラリーがありますね~。久しぶりながらやっぱり驚いた。そういえば昔…ぬえの師家の戦前の舞台の調査をしたことがあって、そのとき このあたりの画廊の社長さんにとっても親切にして頂いたことがあったなあ…大学の能楽研究会出身で、まだ書生時代の ぬえは、このような調査研究には熱心だったけれど、社会の中でエライ人というのはほとんど知らなかったし、それにそういう実業という分野には興味もほとんどありませんでした…。ところがこの調査研究の結果を師家の機関誌に報告した際に、どうしても師家の舞台建造に献身的に協力してくださった恩人の肖像写真が必要になって…写真自体は芸術誌に掲載されているのが見つかったのですが、編集部に問い合わせたところ所蔵者に使用許可を得なければならない。そこで ぬえが訪ねた写真の所蔵者というのが、銀座のとある画廊の社長さんだったのです。

アポイントメントを取って、恐るおそる銀座に参りましたのですが、突然「能楽家の内弟子です」と言って単身現れた若造に、社長さんも怪訝な顔だったのを覚えています。会話もなんだかちぐはぐで、「使うのはよいが、原版なんて探すのは面倒だな」「そんな事をしてもこちらに何の得もないじゃないか」…お言葉もずいぶん厳しいものでした。でも芸術畑の人だからなのでしょうね。ぬえがその写真が掲載されている芸術誌をお見せしたところ、とたんに相好が崩れて…「ほお…これはいい写真だねえ」「ふうん…で、君はそのお師匠さんの家の歴史を調べているのだね?」そうして、「そうか…じゃ、先程も言った通り、こちらも忙しいから原版を探すことまでは協力するつもりはない。しかしこの芸術誌の編集部に版下になる画像があるはずだろう。編集部に言ってそれを借りなさい」と言ってくださったのです。

そのうえで、この社長さんが一言を付け加えました。…「その貸し出しには私の名前を出して交渉してよいから。もし編集部が面倒がって貸し出しを渋るようなことがあったら、今後一切オマエたちには協力しない、と私が言っていた、と伝えなさい」

…このとき ぬえは ようやく、世の中には人を意のままに操る人がいるんだ、と知ったのでした。まだまだ若い頃の ぬえのお話です。社会を知らなすぎ。なんせ ぬえ、就職活動さえしたことがなく、師匠の家からもほとんど外出しないで稽古に励んでいた時期ですもんね…

話が脱線しました~。さてギャラリーには新井くんも、山口宏子さんもいらして、親しく写真を見ながら歓談をさせて頂きました。いや、面白いですね。面を打つ作業は ぬえもある程度知っているつもりですが、こうして画像として切り取ると迫力が伝わります。なるほど、そういう迫力があってこそ生きた面も打ち上がるのでしょう。

この展覧会は写真展でもあり、能面展でもあります。新井くんの面の展示もあり、それを着けた ぬえの写真もあり。そうして ふらりと展覧会を覗いた人が、新井くんがまだ幼い頃に打った面を見て、作者と知らずに新井くん本人に尋ねていました。「この面は、説明に書いてあるように8歳の子どもが打ったものなの?」「ええ…8歳の頃に打ちました」「え? いま8歳の子が打った、のではないの?」その会話を見かねて誰かが「この人あ作者なんですよ」「ええっ!?」 …ま、驚かれるのも無理はあるまい。

会場では観世流シテ方の津村禮次郎師や、能楽写真家の渡辺国茂さんともお会いしまして、そうして、なんと渡辺さんからの情報で、同じ銀座のすぐ近くの別のギャラリーで、女流能面師の石原良子さんが、ご自身の能面教室の生徒さんの発表会も開催されていることを知り、こちらも拝見に伺いました。

そしたら! こちらでは、もうかれこれ長いお付き合いの狂言方の友人・奥津健太郎くんが石原さんのもとで面を打っているのを知ってビックリ! それがまた、かなり質の高い面を打っておられました! 聞けばご本人は、秘曲『釣狐』を披いたときに、自作の面を使ったのだそうです! すごいなあ。こうして自作の面を掛けて舞台を勤めるのは、本人にとってもかけがえのない思い出になりますね。

え…ぬえですか?? いえ~、面打ちが如何に大変な作業なのかを知ってしまうと…絵心のない ぬえにはとても打つ気持ちにはなれません。外国で教えているとき、面を見せると必ず「それは ぬえ先生が打ったものですか?」という質問が出ます…が、とんでもないっ!! となぜか大声になる ぬえ…(×_×;)

【「能面を打つ」新井達矢能面展/山口宏子写真展】は13日(木)まで開かれています。
詳しくは ぬえのブログのこのページを見よ!

伊豆長岡~影奉仕活動に参加してきました(その2)

2010-05-10 02:42:02 | 能楽

…その1というのは→ここにご報告させて頂きました~主催団体「サプライズ」のこと、清掃活動の意味などもこちらの記事を参考にしてくださいまし~

うん、前回この活動に参加したのは2月のことだったんですね。今回も午後6持に集合して清掃活動をしたのですが、前回とはうってかわって明るくて気候もおだやか。気持ちのよい奉仕活動になりました。

じつはこの日に影奉仕活動があると ぬえが知ったのは当日のことでして…。この日長岡で稽古をしていたのですが、その場で聞いて「え??今日ですか?」と驚いて、東京に帰る間に1時間ほどの活動に参加したわけです。なかなか稽古日と偶然に日が合わないと参加できませんから、次回はいつになることやら…

清掃活動終了後は、付近の温泉旅館さんの好意で 参加者は温泉に入ることができます。それを楽しみに集まってくる子どもたちも多くて、清掃活動は2つの班に分かれて方面を分けて清掃をします。そんなわけで自然と班分けも「大人組」と「子ども組」にわかれますね (^◇^;) 前回 ぬえは「大人組」の方に加わって清掃をしたので、前回書きましたような活動の目標とか主催団体の性格、成果なども伺うことができました。できました、と言っても別にインタビューしたわけではなく、ゴミを拾いながらのコミュニケーション(←これはゴミニュケーションと呼ばれて位置づけられていました~~~)としてお話をしながらの行動だったものですが、ぬえはしきりに感心していました。

今回は「子ども組」に加わった ぬえ。ぬえについてお稽古をして下さっている長岡の温泉旅館「ゑびすや」の若女将のりんちゃん
も、直後に旅館でお客さまの宴会のお手伝いのために着物姿で参加です。あ~~、教え子のみーちゃん(小6)はどうして大人組の方に行っちゃうの~~>??(・_・、)

…そんなこんなで清掃活動とはいえ楽しい時間を過ごさせて頂きました。で、タイトル画像なんですが、主催者およびその周辺(^_^;) の方々です。みんな足湯につかっていますね~(^^ゞ さすが温泉の街。そしておそろいのTシャツ…なぜか覆面の女性の方もいらっしゃいます。

Tシャツに書いてあるのは「伊豆どろフェス」です。なんでも 大人も子どもも泥だらけになって遊ぼう、というコンセプトらしい。会場は長岡の江間地区にあるイチゴ狩りセンターの隣の敷地を重機で掘り返して水を入れて…。参加者はその中にスライディングをしたり、親子で泥だらけで遊ぶコーナーがあったり、というものなんだそうです。開催日は23日と言いますから、来週の日曜ではないか! いえ、ぬえは舞台があるので行けませんが~(^_^;

で、覆面の女性は「どろフェス」のアイドル、スどろベリーちゃん らしいです。なんでも沼津プロレスの関係の方らしいですが…詳しくは伺いそこねてしまいました。

どろフェス詳しくはこちら →豆どろんこフェスティバル
泥んこスライディング試走も…この日の昼に行われたらしい… →伊豆どろフェス

この日は ぬえは稽古のあとで参加したのですが、そのまた前日に伊豆に入って、前回のリベンジのため、釣りに行きました。ここまで来ると執念です。伊豆のサカナにナメられたままで終わるか!!

釣果は…チビ・サバ×3、チビ・ハゼ×1、チビ・メジナ×1でした。ふふふ…今回は ぬえの勝利だ。

でも…釣れたのがチビばっかりだったので、だんだん小学生の教え子たちを釣り上げている気分になってきました…ああん、海の中で今頃ママが泣いているかも~~(×_×;)

静岡県~能舞台発見!

2010-05-07 02:18:26 | 能楽

これまた1週間前の話題です。静岡県某所に結婚式の出演に行って来ました。

まあ結婚式にはよく出演させて頂く機会の多い ぬえなのではありましたが…今回は驚きました。なんと古い日本家屋(庄屋屋敷らしい)を移築したその庭先に、本式の能舞台が建てられていたのです。

まあタイトル画像を見てください! もう…非の打ち所がないシチュエーションです。大きな座敷に芝生、そして能舞台。今回は結婚式ですから、ここでガーデンパーティを行ったんです。そのパーティのしつらえが何となく洋式に見えますが、座敷で祝言式を済ませた花嫁さんは、パーティでは色打掛に着替えておられました。こういう和式の結婚式であっても、参列されるゲストの方々はほとんど洋装ですから、ガーデンパーティもまったく違和感はありませんでしたね。そのうえこの時の新郎さんは茶人で、ぬえも感心するような良い品の羽織を着ておられましたよ~。さすがだね~

この舞台…どころか施設そのものが、実際には年間に数えるほどしか使われていないのだそうです。これはもったいないですね…何か催しができないかなあ。



で、こちらが祝言が行われる前の挙式会場の様子。もう~~~!! こんな素晴らしい会場はほかにあるかなあ! ぬえもこの座敷で気持ちよく謡わせて頂き、そのうえ本式の舞台で祝言舞を披露させて頂きました~

このお舞台、じつはこれだけが古いものではなく、現代の新築なのです。そして、とても良く能舞台の構造を調べて建ててあることに感心しました。

いや…本当のことを言うと、地方の、ふとした所に能舞台が建てられていることは、時々発見することがありますね。それは能を上演することが目的なのではなく、庭園に趣を添えるために建てられたのかもしれませんが…そうならば とんでもない贅沢ではありますが…、しかしながら、そういう理由で現代に建てられたのではないか? と思うのには理由があります。

一見、素晴らしい能舞台であっても、細かい部分を見ると…ありゃ、勘違いかな…? という舞台は意外にたくさんあるものなのです。舞台の規格が間違っていたり…これは東京の国立能楽堂でも同じ問題があるのですが…、地謡が座るスペースが極端に狭かったり、舞台はよく出来ているのに床の表面にニスが塗られていたり…ひどい場合は能の実演はできない、という舞台さえあります。能舞台の建築に手慣れた建築家は少ないでしょうし、そんな問題もあって、見よう見まねで建ててしまうのかなあ。これまた もったいない話ではありますね。

ところがこのお舞台は、舞台についてよく勉強している方が建てたのだな、ということが一見してわかります。舞台の床板もよく滑り、さりとて滑り過ぎず。ちょうど良い具合でした。ん~~ますますもったいない!

気候も良い時期に、素晴らしいお舞台で結婚式のお手伝いができて、ぬえは幸せでした~

※今回の挙式は八千代ウェディングのプロデュースによりました。お問い合わせはこちらからどうぞ~

伊豆~河津七滝

2010-05-05 23:39:47 | 雑談

ゴールデンウィークもいよいよ終わりですね~。基本的にお客さんが集まりにくくて催しが少ないこの時期、能楽師はヒマなことが多いですが…ぬえも確かに催しはなかったこの1週間でしたが、稽古に出たり、結婚式に出演したり、間近に近づいている催しの地謡を覚えたり、その合間に溜まった事務仕事をこなしたり…と、なんだか普段よりも忙しかったです。

今日の話題は、そんなゴールデンウィークに入る前…で申し訳ないのですが、先日伊豆に行った際にちょっと足を延ばした「河津七滝」についてです。

ぬえ、こう見えても伊豆には10年以上通っているのですが、その行き先は長岡の周辺に限られていまして、その先となると、なんと修善寺にさえ行ったことがありませんで…いや、かつては能舞台を持つ修善寺の旅館での催しなどで修善寺という町を知らないわけでもないですが、催しのために訪れるとなると実際上は舞台にしか行かないわけで…

で、今回は稽古までの時間があったので、ずっと行ってみたかった「河津七滝」に行って来ました。「七滝」と書いて「ななだる」と読むのが特徴的ですが、いや、実際に行ってみるとなかなか見応えのある滝でした。

タイトル画像は七つある滝の一つ、初景滝(しょけいだる)という滝です。『伊豆の踊子』の像が建てられていて、観光名所として完璧な構図ですね~。ん~、『伊豆の踊子』には ぬえ、ヨワイなあ。

じつは ぬえ、学生時代は国文学を専攻していまして、卒論は「川端康成と大正モダニズム」というものでした。意外でしょう? 古典文学ももちろん好きだったし、ぬえが能を学生時代に初めて見たきっかけも『平家物語』だったのですが。じつは大学1年から卒業までずっと「近代文学研究会」に籍を置いておりました。当時の先生とは今でも交流がありますし、図書館の使い方や論文の探し方を身につけたのは大学時代の大きな収穫でしたね~。もっとも「枕草子研究会」にも「準会員」のような格好で時折参加していまして、こちらでは主に変体仮名の読解を学びました。これもその後とっても役に立っています!

そんなわけで川端康成にはちょっとヨワイ ぬえなのでありました。川端康成の代表作の一つの『古都』は京都の美しい情緒と人を描いた小説ですけれども、それが短編の『片腕』と同時進行で書かれていたことを知ったとき…その衝撃は忘れられません。あのへんからかなあ、人間の奥深さについて強く興味を持ったのは。

ちと脱線しましたが、これが河津七滝のうち最大の「大滝」です。この滝は上流に遊歩道があって、滝壺に向かって流れ落ちてゆく水を上から眺めることもできます。近くには有名な「河津ループ橋」もあって、見どころは尽きませんね。この日は朝早くに行ったので、観光客もほとんど まばら。静かに見て廻ることができました。



さて能のお話も少し。この河津という場所、能の『小袖曽我』や『夜討曽我』と縁の深い場所なのです。要するに能というよりその本説たる『曽我物語』の舞台なのですね。『曽我物語』は、十郎祐成・五郎時致の曽我兄弟が父の敵である工藤祐経を頼朝主催の有名な富士の巻狩りの折に討ち果たす、という物語で、近世に赤穂浪士の仇討ち、いわゆる「忠臣蔵」の事件が起きるまで、仇討ちといえばこの『曽我物語』の方が人口に膾炙していたのではないかと思います。そんな影響下で能の中にも「曽我物」と呼ばれる一連の能が作られ、曾我兄弟はシテやツレとなっているわけですが、じつは兄弟が名乗る曽我という姓は、夫を殺されて幼い兄弟(幼名を一萬、箱王といった)を抱えた母が再婚した先の姓なのですね。殺された父は河津三郎祐重で、当地の出身であったそうです。今となっては『曽我物語』のあらすじも ほとんど知られていないでしょうから、謡のお稽古をしてる方も初めて『小袖曽我』の詞章を見ると ちんぷんかんぷんだったりするらしいですね~

ちなみに五郎の名「時致」は烏帽子親である北条時政から一字を頂いたもの。また、能『小袖曽我』で晴れて敵討ちに出かける兄弟が母の前で相舞を披露しますが、原作では十郎が笛を吹き、五郎が一人で舞っています。

こうして中伊豆の山の中を進んでいくと、ついには海に出ます。ここは東伊豆にあたりますが、だいぶ下田に寄ったところで、今井浜というあたり。南に進むと、なぜかそこだけ白砂の美しい海岸があって有名な白浜がありますが、このあたりは夏には渋滞で大変~。それを過ぎると下田、そして伊豆半島の最南端には絶景で知られる石廊崎があります。

伊豆で車中泊

2010-05-01 03:16:11 | 雑談

先日もちょっと書いたのですが、このたび ぬえ、長年親しんだ車を買い換えました。

この度手放した ぬえの愛車は…なんと15年も乗っていまして、走行距離も当然のように15万km! (O_o)WAO!!!

さすがにそろそろ限界が見えてきたので買い換えを決意したのですが、いや、まだまだエンジンは快調でして。故障ひとつ起こしたこともありませぬ。いまどきの日本車のエンジンは丈夫なのねえ…ぢゃなにが限界なのかというと、それは内装だったりします。あちこちのクロスが毛羽立ってきたりはがれたり…わははっ!σ(^◇^;)

そんで、恥ずかしながら楽屋で走行距離の話題を出したところ、あちらからは「え? オレはもう16万kmだよ?」「こちらからは「オレは21万km~」「日本車は10年目からが本調子だろう?」…正直、能楽師がこんなに物持ちがよいとは知りませんでした~σ(^◇^;) もちろん高級外車を乗り回している人もいるのですが、反面、こんな人たちも大勢いるのを知ってちょっとビックリしました。

そんなら15万kmにビビらずにもっと乗ろうかな~? とまで考えた ぬえでしたが、さすがにあちこちに微妙に「あぶないかもよ~」というサインも感じるし、第一、こんなに古い車に乗っていると、今度は税金が高くなるんだそうです。これだけ乗っていると修繕費が高額になって大変~、と思われるかも知れませんが、それはほとんどありませんでしたが、税金が高くなるのは困る~。そんなこんなで、ついに車を買い換えることにしたわけです。古い車もちゃあんと走るとわかった ぬえが買った車は安いぞ~(^◇^;)

これまでの車は装束を積むのに苦労していたので、今回は荷物が積める車に換えました。よ~し、この車で最初に行く仕事は伊豆だな~、と漠然とスケジュールを眺めていたのですが。ところが、たまたま見ていたテレビ番組で、いま「車中泊」というのが流行っているんだとか。車中泊! (O.O;) …やってみよう…(^^ゞ

それで、稽古だけの予定だったのを「釣り」まで予定に組み込んでの伊豆旅行にしました。いろいろ検索したところ、はあ~、今は「車中泊グッズショップ」なんてものまであるのねえ。そこで情報を得て近所のホームセンターで寝袋などを手に入れて。

…雨でした。

しかも釣果は…ボウズ。伊豆のサカナは頭良すぎです。(-_-メ)

まあ、それでも見てください、この光景! これは稽古を終えた帰りに伊豆スカイラインで撮ったものです。
キレイだね~…

山に咲く桜に目を見張ったばかりの ぬえでしたが、やはり伊豆の風景は美しい。いつも新しい発見があります。
次に行くのは来週。楽しみです~(^^)V