このような理由があって、プロジェクトでは仮設住宅など初めてお邪魔する土地では必ず『羽衣』を上演しているわけですが、そのほかにも理由があって選曲している場合があります。たとえば、震災の年の夏、初めて避難所で演じたのは『石橋』でした。これは、その1カ月ほど前に ぬえが初めて単身で被災地にボランティア活動をしに行ったときの経験によります。震災の3カ月後、津波に襲われた石巻を初めて訪れた ぬえは、見てしまったのです。。
3カ月も経つとすでに捜索活動などは一段落してしまっていて、瓦礫も一部片付けが進んでいました。街の中心部に近い地域では、ピースボートのような大きなボランティア団体のメンバーが大勢ゼッケンを着けた姿で、それこそ蟻が菓子に群がるように(失礼!)半壊した家の掃除をしていました。反面、海に近い被害が甚大だった地域には誰もおらず。。何かを探している住民さんなのかが遠くの方に1人か2人。あとは警備のためにパトロールしているのか、全国中の県警のパトカーが時折ゆっくりと巡回しているだけで、あとは一面崩れかけた家ばかりが立ち並ぶ、それだけでも戦慄を覚える光景なわけですが。。そうではない、そこにいちゃいけない何者かの。。姿は見えないのですが。。やはり「見た」と言うべきだと思います。
これはいけない。。ととっさに思いました。人が見捨てて行かなくなったところに巣食う者。打ちひしがれて首をうなだれて歩く人の心を蝕む者。本当にいるんだ。。
(被災地の方々のお気持ちを害するかもしれない表現で申し訳ないです。震災10年を経て、ようやく今、あの時の気持ちを正直に表現して、ひとつの記録にしておこうと思っております)
『羽衣』の解釈から能楽師の使命を感じた ぬえですが、このときは震災に対して能楽師が行えることまでは考えが至らず、すぐに東京に戻って、仲間の能楽師に被災地の現状を伝えて被災者の慰問に行くべきだ、と相談したのでした。それからの準備期間に、避難所でどの曲を上演するのかを決めなければならず、そこでようやく ぬえは能楽師の使命と、その選曲の重要性に気が付いたのでした。ただ自分が好きな曲を演じるのでは自己満足でしかないです。街の半分が破壊されるような状況でそんな事は許されない。それで熟考の末選んだのが『石橋』でした。
『石橋』は能の中でも屈指の動きの烈しい能です。そしてこの曲の後シテの獅子は文殊菩薩のお使い。これについては興味深い解釈があるのですがそれは他の機会に譲るとして、注意すべきは乗り物である以上、文殊菩薩は常にこの獅子の背後(か頭上)に存在しているということです。
言うなれば『石橋』は仏と、その守護をして悪鬼を駆逐する明王や天部とを、一人のシテが同時に表現する曲なのですよね。こういう例はほかにないと思います。
ぬえがこのとき避難所で『石橋』を演じることを選んだのは、避難者にとっては仏の加護を願い、同時に、この少し前に ぬえが「見て」しまったもの。。魔、と呼んでいいのか、そいつに対して「この避難所に近づくな!」と威嚇する、という意味を込めてのことでした。
そのほか、避難所から仮設住宅に被災者の生活の場が変わったときなど、あえて『菊慈童』を選んだりしました。『菊慈童』のシテは経文の功徳により童子の姿のまま七〇〇歳の長寿を保つ少年。。いわば不老不死の仙童がその長寿を観客に約束する能です。高齢者が多かった仮設住宅で孤独死の問題などが起きた頃、この曲を演じて住民さんに長生きを祈ったのです。上演後に面をはずして再び住民さんの前に出て「この曲は700歳の長寿をお授けしたんですよ~♪ えと、、みなさんの平均年齢は。。45歳くらいかな??」 苦笑を感じながら「ではまた、650年後に会いに来ますからね~♪」
心の中では「みなさん、長生きしてくださいね」と思いながら。
すごいなあ、日本人の先人の感性。
3カ月も経つとすでに捜索活動などは一段落してしまっていて、瓦礫も一部片付けが進んでいました。街の中心部に近い地域では、ピースボートのような大きなボランティア団体のメンバーが大勢ゼッケンを着けた姿で、それこそ蟻が菓子に群がるように(失礼!)半壊した家の掃除をしていました。反面、海に近い被害が甚大だった地域には誰もおらず。。何かを探している住民さんなのかが遠くの方に1人か2人。あとは警備のためにパトロールしているのか、全国中の県警のパトカーが時折ゆっくりと巡回しているだけで、あとは一面崩れかけた家ばかりが立ち並ぶ、それだけでも戦慄を覚える光景なわけですが。。そうではない、そこにいちゃいけない何者かの。。姿は見えないのですが。。やはり「見た」と言うべきだと思います。
これはいけない。。ととっさに思いました。人が見捨てて行かなくなったところに巣食う者。打ちひしがれて首をうなだれて歩く人の心を蝕む者。本当にいるんだ。。
(被災地の方々のお気持ちを害するかもしれない表現で申し訳ないです。震災10年を経て、ようやく今、あの時の気持ちを正直に表現して、ひとつの記録にしておこうと思っております)
『羽衣』の解釈から能楽師の使命を感じた ぬえですが、このときは震災に対して能楽師が行えることまでは考えが至らず、すぐに東京に戻って、仲間の能楽師に被災地の現状を伝えて被災者の慰問に行くべきだ、と相談したのでした。それからの準備期間に、避難所でどの曲を上演するのかを決めなければならず、そこでようやく ぬえは能楽師の使命と、その選曲の重要性に気が付いたのでした。ただ自分が好きな曲を演じるのでは自己満足でしかないです。街の半分が破壊されるような状況でそんな事は許されない。それで熟考の末選んだのが『石橋』でした。
『石橋』は能の中でも屈指の動きの烈しい能です。そしてこの曲の後シテの獅子は文殊菩薩のお使い。これについては興味深い解釈があるのですがそれは他の機会に譲るとして、注意すべきは乗り物である以上、文殊菩薩は常にこの獅子の背後(か頭上)に存在しているということです。
言うなれば『石橋』は仏と、その守護をして悪鬼を駆逐する明王や天部とを、一人のシテが同時に表現する曲なのですよね。こういう例はほかにないと思います。
ぬえがこのとき避難所で『石橋』を演じることを選んだのは、避難者にとっては仏の加護を願い、同時に、この少し前に ぬえが「見て」しまったもの。。魔、と呼んでいいのか、そいつに対して「この避難所に近づくな!」と威嚇する、という意味を込めてのことでした。
そのほか、避難所から仮設住宅に被災者の生活の場が変わったときなど、あえて『菊慈童』を選んだりしました。『菊慈童』のシテは経文の功徳により童子の姿のまま七〇〇歳の長寿を保つ少年。。いわば不老不死の仙童がその長寿を観客に約束する能です。高齢者が多かった仮設住宅で孤独死の問題などが起きた頃、この曲を演じて住民さんに長生きを祈ったのです。上演後に面をはずして再び住民さんの前に出て「この曲は700歳の長寿をお授けしたんですよ~♪ えと、、みなさんの平均年齢は。。45歳くらいかな??」 苦笑を感じながら「ではまた、650年後に会いに来ますからね~♪」
心の中では「みなさん、長生きしてくださいね」と思いながら。
すごいなあ、日本人の先人の感性。